【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第九十五話 動き出す河北

第九十五話 動き出す河北

 

 

 建業を出発したのは早朝だった。

 

 江東の空にはまだ朝靄が残り、運河を行き交う船もまばらだった。

 

 城門前には孫策たちの姿がある。

 

 時雨と趙雲を見送るためだ。

 

「もう帰るの?」

 

 孫策が少し残念そうに言う。

 

「用事は済んだ」

 

 時雨は馬上から答えた。

 

「もっとゆっくりしていけばいいじゃない」

 

「それは次の機会だ」

 

 徐州。

 

 曹操。

 

 そして河北。

 

 やるべきことは山ほどある。

 

 遊んでばかりもいられない。

 

「ふふっ」

 

 孫策が笑った。

 

「次に会う時は戦場かもしれないわね」

 

「味方としてなら歓迎だ」

 

「もちろん」

 

 二人は笑った。

 

 既に同盟は成立している。

 

 利害は一致している。

 

 ならば今後しばらく敵になることはない。

 

 周瑜も静かに口を開いた。

 

「徐州の件は頼む」

 

「ああ」

 

「こちらも準備を進める」

 

 時雨は頷いた。

 

 徐州を孫策へ渡す。

 

 それが約束だった。

 

 もちろん簡単な話ではない。

 

 曹操が黙っているはずがない。

 

 だがだからこそ価値がある。

 

 孫権も頭を下げた。

 

「お気を付けて」

 

「お前もな」

 

 真面目な少女だった。

 

 その姿に趙雲も微笑む。

 

 こうして別れを済ませた二人は河北への帰路についた。

 

 長い旅だった。

 

 だが建業へ向かう時とは違う。

 

 今は目的がある。

 

 徐州侵攻。

 

 そして曹操包囲網の第一歩。

 

 河北へ戻る道中も時雨はずっと地図を眺めていた。

 

 趙雲が呆れたように言う。

 

「珍しいな」

 

「何がだ」

 

「真面目に考え事をしている」

 

「失礼だな」

 

「事実だ」

 

 反論できなかった。

 

 徐州攻略。

 

 その後の江東との連携。

 

 曹操への圧力。

 

 今回は単なる暇潰しではない。

 

 河北の未来に関わる話だった。

 

 やがて二人は鄴へ帰還する。

 

 城門をくぐると兵士たちが慌ただしく動いていた。

 

 河北の中心。

 

 四州の中枢。

 

 以前にも増して賑やかになっている。

 

「帰ってきたな」

 

「ああ」

 

 趙雲もどこか安心したようだった。

 

 そのまま二人は公孫瓚の執務室へ向かう。

 

 案の定だった。

 

 部屋の中は書簡の山。

 

 そしてその中央には白蓮が埋まっていた。

 

「……」

 

「……」

 

「助けてくれ」

 

 開口一番だった。

 

 時雨は即答する。

 

「断る」

 

「帰れ!」

 

 元気そうだった。

 

 時雨は満足した。

 

 それから江東での出来事を説明する。

 

 孫策。

 

 周瑜。

 

 孫権。

 

 そして同盟。

 

 話が進むにつれて白蓮の表情も真面目になっていく。

 

「本当に同盟したのか」

 

「ああ」

 

「江東と河北が?」

 

「そうだ」

 

 白蓮は思わず椅子に座り直した。

 

 これは大きい。

 

 想像以上に大きい。

 

 今や江東は独立勢力として確固たる地位を築いている。

 

 その江東と河北が手を結ぶ。

 

 天下に与える影響は計り知れない。

 

「曹操が嫌がりそうだな」

 

 白蓮が苦笑する。

 

 時雨も頷いた。

 

「間違いなくな」

 

 そして。

 

 ここからが本題だった。

 

 時雨は地図を広げる。

 

 曹操領。

 

 河北。

 

 徐州。

 

 江東。

 

 全てが描かれている。

 

「白蓮」

 

「ん?」

 

「軍を動かせ」

 

 空気が変わった。

 

 白蓮も姿勢を正す。

 

「どこへだ」

 

 時雨の指が国境線をなぞる。

 

 河北と曹操領の境界。

 

「ここだ」

 

「牽制か」

 

「ああ」

 

 全面戦争ではない。

 

 まだ早い。

 

 しかし何もしなければ曹操は自由に動ける。

 

 だから圧力をかける。

 

 常に意識させる。

 

「誰を総大将にする?」

 

 白蓮の問いに時雨は迷わなかった。

 

「袁紹」

 

 一瞬。

 

 沈黙が流れる。

 

 そして白蓮は目を丸くした。

 

「麗羽?」

 

「ああ」

 

 意外だった。

 

 だが時雨は真面目だった。

 

「名門だ」

 

「それはそうだが」

 

「冀州の豪族も従う」

 

 確かに。

 

 袁紹には名声がある。

 

 袁家の看板は未だ健在だ。

 

 さらに今は公孫瓚の配下。

 

 河北内部の結束にも役立つ。

 

「本人はどう思うかな」

 

 白蓮が苦笑する。

 

 時雨も少し笑った。

 

「喜ぶだろ」

 

 実際その通りだった。

 

 しばらくして呼ばれた麗羽は事情を聞くなり胸を張った。

 

「ふふん!」

 

 豪快だった。

 

「ようやく私の出番ですわね!」

 

 時雨と白蓮が顔を見合わせる。

 

 予想通りだった。

 

「任せなさい!」

 

 麗羽は自信満々だ。

 

「曹操なんて震え上がらせて差し上げますわ!」

 

「戦うなよ」

 

 時雨が釘を刺す。

 

「牽制だ」

 

「分かっていますわ」

 

 本当に分かっているかは怪しい。

 

 だがやる気は十分だった。

 

 そして。

 

 軍議が終わる。

 

 白蓮率いる河北軍。

 

 総大将は麗羽。

 

 趙雲。

 

 張遼。

 

 その他主力将も参加する。

 

 国境へ進軍。

 

 曹操への圧力。

 

 一方で。

 

 時雨には別の役目がある。

 

 黒山軍。

 

 その全軍を率いる。

 

「行くのか」

 

 白蓮が聞く。

 

「ああ」

 

 時雨は頷いた。

 

 徐州。

 

 そこが次の戦場だ。

 

 曹操の支配はまだ完全ではない。

 

 今なら崩せる。

 

 今なら揺らせる。

 

 そして何より。

 

「約束だからな」

 

 江東との同盟。

 

 孫策との約束。

 

 徐州を渡す。

 

 そのために戦う。

 

 白蓮はしばらく黙っていた。

 

 やがて小さく笑う。

 

「気を付けろ」

 

「お前もな」

 

 短いやり取りだった。

 

 だが十分だった。

 

 その日の夜。

 

 鄴の外では黒山軍の集結が始まる。

 

 無数の篝火。

 

 馬の嘶き。

 

 兵士たちの声。

 

 久しぶりの大遠征だった。

 

 時雨は高台からその光景を見下ろしていた。

 

 趙雲が隣へ来る。

 

「私は残る」

 

「ああ」

 

 河北を守る必要がある。

 

 曹操がどう動くか分からない。

 

 だから誰かが残らなければならない。

 

「寂しいか?」

 

 時雨が聞く。

 

 趙雲は笑った。

 

「少しな」

 

「そうか」

 

「だから無事に帰ってこい」

 

 珍しく真面目な言葉だった。

 

 時雨も笑う。

 

「善処する」

 

「信用できん」

 

「知ってる」

 

 二人は笑った。

 

 夜風が吹く。

 

 遠くでは出陣準備が続いている。

 

 そして翌朝。

 

 黒山軍は動き出す。

 

 目指すは徐州。

 

 曹操の新たな牙城。

 

 そして孫策との同盟を本物にするための戦場。

 

 河北軍もまた北方国境へ向かう。

 

 麗羽の軍旗が翻り。

 

 白馬将軍の軍が進む。

 

 曹操を挟み込む巨大な包囲網。

 

 その第一歩が、ついに始まろうとしていた。




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