【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第九十六話 動き出す三つの軍

第九十六話 動き出す三つの軍

 

 

 河北の空を埋め尽くすように軍旗が翻っていた。

 

 鄴の南門。

 

 そこには数え切れないほどの兵士たちが整列している。

 

 黒山軍である。

 

 かつて山賊と呼ばれた者たちも、今では歴戦の兵へと成長していた。

 

 幾度も戦を潜り抜け。

 

 幾度も死地を越え。

 

 そして河北統一の立役者となった。

 

 その軍勢の先頭に立つのは時雨だった。

 

 愛馬に跨りながら南を見据えている。

 

 その隣には呂布の姿があった。

 

 相変わらず無表情だが、その瞳には闘志が宿っている。

 

「恋」

 

「なに?」

 

「久しぶりの大戦だ」

 

「うん」

 

 呂布は小さく頷いた。

 

「いっぱい戦う?」

 

「多分な」

 

「分かった」

 

 それだけだった。

 

 だが十分だった。

 

 呂布にとって戦場は居場所の一つである。

 

 特に時雨と共に戦うことを嫌がる理由はなかった。

 

 むしろ楽しみにしている節すらある。

 

 その後ろには張遼の姿もある。

 

「ほんまに行くんやな」

 

「今さらだろ」

 

「まあな」

 

 張遼は苦笑した。

 

 今回は同行しない。

 

 河北の防衛戦力として残ることになっている。

 

 趙雲も同様だった。

 

「曹操も馬鹿ではない」

 

 張遼が言う。

 

「どこかで必ず反撃してくるで」

 

「ああ」

 

「気を付けろよ」

 

「お前もな」

 

 短いやり取りだった。

 

 そして。

 

 出陣の時が来る。

 

「出るぞ」

 

 時雨が馬を進める。

 

 それに続いて呂布も動く。

 

 数万の黒山軍が南へ向かって進軍を開始した。

 

 目標は徐州。

 

 曹操が手に入れたばかりの豊かな土地だった。

 

 その頃。

 

 遠く江東でも軍勢が動いていた。

 

 建業。

 

 孫家の本拠地。

 

 城内では出陣式が行われている。

 

 孫策は高い場所から軍勢を見下ろしていた。

 

 その隣には周瑜。

 

 そして孫権がいる。

 

「本当に私が総大将なのですか?」

 

 孫権が不安そうに尋ねる。

 

 真面目な性格だけに責任の重さを理解している。

 

 しかし孫策は笑った。

 

「あたしが決めたんだから大丈夫」

 

「ですが」

 

「経験を積む必要があるわ」

 

 孫策の声は真剣だった。

 

 妹を甘やかしているわけではない。

 

 期待しているのだ。

 

 江東の未来を。

 

「冥琳もいる」

 

 周瑜が静かに頷く。

 

「私が補佐する」

 

 その言葉に孫権も覚悟を決めた。

 

「……分かりました」

 

 こうして江東軍も動き出す。

 

 総大将は孫権。

 

 軍師は周瑜。

 

 目的地は徐州。

 

 同盟に基づく共同作戦だった。

 

 一方その頃。

 

 許昌。

 

 魏の中心地では緊張感が漂っていた。

 

 曹操は軍議の最中だった。

 

 青い瞳が地図を見つめている。

 

 その周囲には将軍たちが並んでいた。

 

 春蘭。

 

 秋蘭。

 

 そして軍師たち。

 

「河北が動いた」

 

 曹操が言う。

 

 報告書が机の上に置かれる。

 

 袁紹を総大将とした河北軍。

 

 国境への大規模進軍。

 

 それは明らかな圧力だった。

 

「ふん!」

 

 春蘭が鼻を鳴らす。

 

「来るなら来ればいい!」

 

「姉者」

 

 秋蘭が呆れた声を出す。

 

「少しは考えろ」

 

「考えている!」

 

「そうは見えない」

 

「なんだと!」

 

 いつもの姉妹喧嘩が始まりそうになる。

 

 しかし。

 

「静かになさい」

 

 鋭い声が飛んだ。

 

 全員が振り向く。

 

 そこには小柄な少女が立っていた。

 

 ネコミミ付きのフード。

 

 鋭い目付き。

 

 不機嫌そうな表情。

 

 荀彧だった。

 

「まったく」

 

 桂花はため息を吐く。

 

「だから脳筋は嫌いなのよ」

 

「何だと!」

 

 春蘭が即座に反応する。

 

「誰が脳筋だ!」

 

「あんた以外いる?」

 

「このチビ!」

 

「馬鹿にチビと言われる筋合いはないわ!」

 

 一瞬で言い争いになる。

 

 秋蘭が頭を押さえた。

 

 いつものことだった。

 

 曹操は苦笑する。

 

「桂花」

 

「はい、華琳様」

 

 先ほどまでの毒舌が嘘のようだった。

 

 態度が一変する。

 

 絶対の忠誠。

 

 それが荀彧だった。

 

「あなたはどう見る?」

 

「簡単です」

 

 桂花は地図を指差した。

 

「河北は囮です」

 

 空気が変わる。

 

「囮?」

 

 秋蘭が聞く。

 

「ええ」

 

 桂花は頷いた。

 

「張燕がわざわざ袁紹を前面に出した時点で怪しい」

 

 あの男は表に出るのを嫌う。

 

 それなのに今回は違う。

 

「つまり別働隊」

 

 桂花の指が徐州へ移動する。

 

「本命はこちら」

 

 全員が理解した。

 

 徐州。

 

 曹操が苦労して手に入れた土地。

 

 そしてまだ完全には支配しきれていない場所。

 

「江東ですか」

 

 秋蘭が呟く。

 

 桂花は頷いた。

 

「おそらく」

 

 そして続ける。

 

「張燕は孫策と手を組んだ」

 

 春蘭が顔をしかめた。

 

「面倒だな」

 

「ええ」

 

 桂花も同意する。

 

 非常に面倒だった。

 

 河北だけでも厄介。

 

 江東だけでも厄介。

 

 それが同盟したとなれば話は別である。

 

「華琳様」

 

 桂花は曹操を見た。

 

「河北は無視できません」

 

「そうね」

 

「しかし徐州も守らなければなりません」

 

 難しい判断だった。

 

 兵力は有限。

 

 どちらを重視するか。

 

 そして曹操は決断する。

 

「私は北へ行く」

 

 即答だった。

 

「華琳様!」

 

 春蘭が嬉しそうに笑う。

 

 河北との対峙。

 

 強敵との戦い。

 

 武人としては願ったり叶ったりだった。

 

「春蘭」

 

「はっ!」

 

「秋蘭」

 

「はい」

 

 二人が姿勢を正す。

 

「徐州を任せる」

 

 一瞬。

 

 春蘭と秋蘭は顔を見合わせた。

 

「私たちにですか?」

 

「そうよ」

 

 曹操は頷いた。

 

「あなたたちなら守れる」

 

 信頼の言葉だった。

 

 二人の表情が引き締まる。

 

「必ず」

 

 春蘭が言う。

 

「守り抜きます」

 

「当然です」

 

 秋蘭も続いた。

 

 そして。

 

「桂花」

 

「はい」

 

「徐州へ同行しなさい」

 

 荀彧は即座に頭を下げる。

 

「承知しました」

 

 それが最善だった。

 

 軍師が必要になる。

 

 張燕という予測不能な相手を迎え撃つのだから。

 

 こうして軍議は終わる。

 

 曹操本隊は北へ。

 

 河北軍との睨み合いへ向かう。

 

 徐州防衛軍は春蘭、秋蘭、桂花が率いる。

 

 そして南からは江東軍。

 

 北西からは黒山軍。

 

 三つの勢力が徐州へ向かって動き始めていた。

 

 戦の火種は既に撒かれた。

 

 後は燃え上がるだけだった。

 

 時雨はまだ知らない。

 

 徐州に待ち構える相手が、夏侯姉妹だけではなく、曹操が絶対の信頼を寄せる毒舌軍師・桂花であることを。

 

 そして桂花もまた知らない。

 

 これから始まる戦いが、自分の想像以上に面倒なものになることを。

 

 徐州の戦い。

 

 その幕が静かに上がろうとしていた。




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