【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第九十八話 荀彧の反撃

第九十八話 荀彧の反撃

 

 

 徐州の情勢は日に日に悪化していた。

 

 いや。

 

 正確には曹操軍にとって悪化していたと言うべきだろう。

 

 黒山軍は相変わらず城を攻めない。

 

 村を焼かない。

 

 街を荒らさない。

 

 だが確実に徐州を削り取っていた。

 

 街の門は自然と開かれる。

 

 豪族たちは様子見を始める。

 

 商人たちは黒山軍との取引を始める。

 

 民衆は黒山軍を侵略者として見なくなっていく。

 

 その一方で徐州南部では江東軍が着実に勢力を広げていた。

 

 孫権を総大将とする軍勢は慎重に進軍を続けている。

 

 周瑜の指揮も見事だった。

 

 無理をしない。

 

 だが確実に前進する。

 

 まるで巨大な波が岸を削るように徐州へ浸透していた。

 

 徐州城。

 

 軍議の空気は重かった。

 

「またか!」

 

 春蘭が机を叩く。

 

 机が悲鳴を上げる。

 

「北部の三都市が離反しました!」

 

「南では江東軍が進軍!」

 

「商人たちが黒山軍へ流れています!」

 

 報告が止まらない。

 

 春蘭の顔が引きつっていた。

 

「戦え!」

 

 思わず叫ぶ。

 

「なぜ誰も戦わん!」

 

 武人らしい意見だった。

 

 だが現実は違う。

 

 民は勝てる相手と戦わない。

 

 利益になる相手にも戦わない。

 

 まして今回は略奪もない。

 

 抵抗する理由がなかった。

 

「だから言ったでしょう」

 

 桂花が呆れたように言う。

 

「これは戦場での勝敗ではないのよ」

 

 春蘭が睨む。

 

「なら何だ!」

 

「支配の戦い」

 

 桂花は冷静だった。

 

 怒っても意味がない。

 

 現状を分析する方が先だ。

 

 地図の上には赤い印が増えていた。

 

 黒山軍の影響地域。

 

 江東軍の影響地域。

 

 徐州城周辺だけが辛うじて曹操軍の支配下に残っている。

 

「嫌な男ね」

 

 桂花は小さく呟く。

 

 張燕。

 

 あの男は戦っていない。

 

 だが勝っている。

 

 まるで毒だ。

 

 少しずつ広がり、気付けば全身を侵している。

 

「どうする?」

 

 秋蘭が尋ねる。

 

 春蘭と違い冷静だった。

 

 桂花は考える。

 

 そして。

 

 不意に笑った。

 

「ならこちらも同じことをしましょう」

 

 春蘭が首を傾げる。

 

「何?」

 

「張燕のやり方を真似るのよ」

 

 その日の夜。

 

 徐州各地へ大量の使者が放たれた。

 

 黒山軍が押さえた街。

 

 江東軍が近付いている村。

 

 豪族の館。

 

 商人の組合。

 

 あらゆる場所へ。

 

 そこに書かれていたのは同じ内容だった。

 

『黒山軍は山賊である』

 

『江東軍は侵略者である』

 

『曹操軍は徐州を守る』

 

 さらに。

 

 金もばら撒いた。

 

 豪族への援助。

 

 商人への優遇。

 

 曹操軍が持つ豊富な資金力を利用する。

 

 それを見た春蘭が驚く。

 

「そんなことが効くのか?」

 

「効かせるのよ」

 

 桂花は鼻を鳴らした。

 

「戦とは兵だけでやるものじゃない」

 

 それは曹操軍の強みだった。

 

 統治。

 

 財政。

 

 組織力。

 

 それらは黒山軍より遥かに上である。

 

 数日後。

 

 徐州北部。

 

 時雨は報告書を読んでいた。

 

「ほう」

 

 少しだけ感心する。

 

「動いたか」

 

 恋は団子を食べていた。

 

「なに?」

 

「曹操軍が反撃を始めた」

 

 恋はよく分かっていない。

 

 だが時雨は理解していた。

 

 予想以上に早い。

 

「流石だな」

 

 徐州の豪族たちが迷い始めている。

 

 商人たちも様子見に戻りつつある。

 

 曹操軍は支配の戦いへ応じてきた。

 

 正解だった。

 

 だからこそ面白い。

 

「どうする?」

 

 恋が聞く。

 

 時雨は笑った。

 

「次だ」

 

「次?」

 

「ああ」

 

 そして時雨は立ち上がる。

 

 地図を広げる。

 

 その指は徐州城ではなく別の場所を指した。

 

 大河。

 

 補給路。

 

 倉庫。

 

 物流拠点。

 

「城はまだいらない」

 

 周囲の黒山軍幹部たちが集まる。

 

「なら?」

 

「兵糧を取る」

 

 全員が笑った。

 

 黒山軍らしい。

 

 実にらしい発想だった。

 

 夏侯惇がどれだけ強くても。

 

 夏侯淵がどれだけ冷静でも。

 

 荀彧がどれだけ優秀でも。

 

 兵糧がなければ軍は動けない。

 

「戦わせてやる」

 

 時雨は笑う。

 

「だが戦場は俺が決める」

 

 数日後。

 

 徐州各地で異変が起きた。

 

 補給隊が消える。

 

 倉庫が空になる。

 

 荷車が行方不明になる。

 

 兵糧が届かない。

 

 城壁の上では春蘭が怒鳴っていた。

 

「またか!」

 

「申し訳ありません!」

 

「補給隊は何をしていた!」

 

「護衛ごと消えました!」

 

 意味が分からない。

 

 戦っていない。

 

 だが消えている。

 

 黒山軍は正面から現れない。

 

 夜襲。

 

 奇襲。

 

 買収。

 

 偽情報。

 

 何でも使う。

 

 秋蘭が険しい顔をする。

 

「徐州全域で起きている」

 

「分かっている!」

 

 春蘭も流石に焦り始めていた。

 

 そして桂花もまた表情を曇らせる。

 

「想像以上ね」

 

 黒山軍は軍ではない。

 

 巨大な盗賊団に近い。

 

 だから普通の戦術が通じない。

 

 補給線を守るための補給線が必要になる。

 

 その結果。

 

 徐州軍は動けなくなっていく。

 

 一方。

 

 南部では周瑜が報告を聞いていた。

 

「張燕が動いたか」

 

「はい」

 

 孫権が頷く。

 

 周瑜は少し笑った。

 

「恐ろしい男だな」

 

 正面決戦を避け続けている。

 

 しかし徐州は確実に弱っている。

 

 江東軍が前進できるのも、そのおかげだった。

 

「同盟して正解だったわね」

 

 孫権も同意する。

 

 もし敵だったなら。

 

 間違いなく面倒だった。

 

 その頃。

 

 時雨は丘の上から徐州城を見ていた。

 

 遠くに見える巨大な城。

 

 まだ落ちない。

 

 だが焦る必要はない。

 

 徐州は既に揺れている。

 

 民心。

 

 補給。

 

 物流。

 

 経済。

 

 全てが少しずつ崩れていた。

 

「もう少しだな」

 

 時雨が呟く。

 

 恋は隣で団子を食べている。

 

「城、壊す?」

 

「まだだ」

 

 時雨は笑った。

 

「もっと嫌がらせしてからだ」

 

 恋は頷いた。

 

 よく分からないが楽しそうだった。

 

 そして徐州の戦いは新たな段階へ進む。

 

 春蘭。

 

 秋蘭。

 

 桂花。

 

 三人はまだ知らない。

 

 張燕が準備している本当の一手を。

 

 黒山軍最大の非道な策は、まだ切られていなかった。




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