平成のホームズと実力至上主義の教室   作:野良野生

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第三話 図書館

 

 

「それにしても、星之宮先生ちょっと怖かったよね。最初は優しそうでキレイだなぁって思ってたのに。二重人格? ってやつなのかな……」

 

 職員室を出て、体育館脇の廊下へ。

 入学式終わりの生徒たちが波のように行き交い、ざわめきと靴音が絶えない。

 その喧騒の中で、蘭は歩調を落とし、星之宮の豹変ぶりを思い返していた。

 

 そんな蘭の呟きに、新一は鼻を鳴らす。

 

「バーロー、二重人格なんかじゃねぇよ。社会人なら誰でも、外ヅラ用と本音用の顔を使い分けてんだよ」

 

 軽く言い放つ新一に、蘭は口を尖らせる。

 

「ふーん。でもウチのお父さんは、家にいる時とお客さんの前とでそんなに変わらないよ?」

 

「……オッチャンは例外ってやつだよ」

 

 言いながら、新一は苦笑した。

 推しのアイドルが特集されたテレビにかぶりつく姿と、美人の依頼人に鼻の下を伸ばす姿。蘭の父親――毛利小五郎の顔が脳裏をよぎる。

 

「新一が怒らせちゃったんじゃないの? あんなペラペラと生意気なこと言っちゃったから! 先生だって呆れてたじゃない」

 

 蘭の声には心配半分、からかい半分。

 新一は肩をすくめ、前方に視線をやった。

 

「怒らせただぁ? こっちは普通に質問しただけだぜ。先生がどう受け取ろうが勝手だろ。……まあ、今朝の件まで合わせりゃ、立場的に説教されんのは当然だろうけどよ」

 

 星之宮に背中を押されるように職員室を追い出された時のこと。

 

『いい? 今朝みたいな無茶はしないこと! 学校側で守れることにも限度があるんだから!』

 

 今朝みたいなこと、とはバスジャック事件を指しているのだろう。

 結果だけ見れば、犯人を制圧した正義のヒーローとして評されてもおかしくない。

 

 しかし、素人が取るべき最良の選択は『静観』。新一や蘭はまだ未成年で、危険な行為だったのは間違いない――と、一度は新一も思い直す。

 

 そのうえで、なおも否定する。

 

「無茶って言われりゃそうかもな。だけどよ、目の前に銃を持った犯人がいて、見て見ぬフリできるか? 『解いてみなさい』って言ってるような学校説明を、黙って聞いてろって? 無理だね。探偵が事件や謎解きを我慢なんておかしな話さ」

 

 新一の開き直ったような調子に、蘭はあきれ顔でため息をついた。

 

「なにが探偵よ。いい気になって事件に首突っ込んでると、いつか危ない目に遭うわよ!」

 

「かもな! でもよ、ホームズだって十代の頃から頭角を現してたんだぜ? グズグズしてられっかよ!」

 

 新一の声色は熱を帯び、歩く足取りまで軽やかになる。その勢いに呆れつつも、蘭はつい口を挟んだ。

 

「ホームズって、あれは小説でしょー?」

 

「でも、みんなが知ってる名探偵だ! いつも冷静沈着、あふれる知性と教養! 観察力と推理力は天下一品! おまけにバイオリンの腕はプロ並みだ!」

 

 また始まった、と蘭は深いため息をこぼす。

 新一とは保育園の頃からの付き合いだが、推理小説の、それもシャーロック・ホームズの話題になると決まって上機嫌に語り出すのだ。

 

「小説家、コナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズは、世界最高の名探偵だよ!」

 

「でも、なんで探偵なのよ? そんなに推理小説が好きなら、小説家になればいいのに……」

 

「俺は探偵を書きたいんじゃない……なりたいんだ! 平成のシャーロック・ホームズにな!」

 

 瞳を輝かせる新一の様子に、蘭は肩をすくめる。

 

「ふーん、じゃあこの学校の進路優先権には『平成のシャーロック・ホームズ』って書くわけ?」

 

「バーロー、そんなんで叶う夢が嬉しいわけねぇだろ? 自分の実力でなってみせんだよ」

 

 蘭は口を尖らせつつ、話題を変える。

 

「じゃあなんでこの学校を選んだの? みんな何かしら叶えたい夢があって、ここを選んだはずよ? 敷地の外に出られないし、新一にとってここの環境は退屈でしょ?」

 

 高度育成高等学校。原則、敷地からの外出禁止。

 校内で起きるのはせいぜい小さな諍い程度で、殺人事件など夢のまた夢。

 新一にとっては、退屈極まりない鳥かごのような環境だった。

 

「父さんに言われたんだよ。ここで学べ、ってな。正直、俺は気が進まなかったけどよ……『探偵を目指すなら必ず糧になる』なんて言われたら、逆らいにくいだろ」

 

「たしかに、Sシステムとか普通の学校じゃあり得ないもんね……謎解きって意味じゃ、新一にしか分からないこともあったし。今回のこと、みんなにも伝えるんでしょ?」

 

「いんや? 俺からは何も言わねぇよ」

 

「どうして!? さっき言ってたじゃない、クラス同士の争いになるかもって……みんなの協力が必要なんじゃないの?」

 

「言ったろ? 俺は進路の特権とか興味ねぇの。言いたいならオメーの口から言えよな。間違っても俺の名前は出すんじゃねーぞ? 争いに巻き込まれるのは勘弁だからよ」

 

「なにそれ呆れた。私じゃうまく説明できる自信ないわよ……これからの試験でもそうするの?」

 

「かもな。そういうオメーこそどうなんだ? オッチャンを放ってきて大丈夫なのかよ」

 

「それは……」

 

 蘭はこっそりと新一の横顔を盗み見る。

 本人はまったく気付かず、すれ違う生徒の顔や掲示板、監視カメラの角度を観察していた。

 その観察眼は、無意識に『探偵』としての習性を滲ませている。

 

 そんな抜け目のない新一の姿を見て、蘭は小さくつぶやいた。

 

「……こんの、探偵オタクは」

 

「なんか言ったか?」

 

 振り返った新一と目が合い、慌てて顔を背ける。

 赤く染まった頬が気づかれないよう歩調を早め、誤魔化すように蘭は声を張り上げた。

 

「別になんでもないわよ! 一応お母さんに頼んでるし、お父さんもいい大人なんだから、きっと大丈夫よ!」

 

 蘭は小走りに前へ出て、振り返ると「べー」と片目の下を引っ張ってみせた。

 その子供っぽい仕草に、新一は呆れ半分、安心半分の顔をする。

 

 蘭は、くるりと身を返して自分たちの教室へ続く曲がり角を曲がった、その瞬間――。

 

「あれれ? ひょっとして、君が毛利さんで……後ろの子が工藤くんかな?」

 

 不意にかけられた声に、蘭は驚いて足を止め、新一もつられて視線を向けた。

 声の主は、腰まで届く薄桃色の長髪をふわりと揺らし、満面の笑みを浮かべながら二人に駆け寄ってくる少女だった。

 

 美少女だ、と新一は思った。

 隣にいる蘭もかなりの美少女だと日頃から思っているが、彼女はまた違った雰囲気をまとっている。

 柔らかな笑顔は、周囲の空気さえ明るくするようだ。

 

 そして次に、新一が見たのは胸。

 豊満、という言葉では形容しきれない迫力。高校生離れしたその存在感に、思わず視線を吸い寄せられる。

 慌てて目を逸らしたが、胸の奥に残るざわつきを打ち消すことはできなかった。

 

 周囲の男子生徒を見れば、同じように彼女に釘付けになっていた。自分だけじゃない――と、新一は心の中で自己弁護する。

 

「なんで私たちの名前を……?」

 

 蘭が怪訝そうに問い返すと、少女は首をかしげながら答えた。

 

「おかしいなー? 星之宮先生からあなたたちのこと頼まれてたんだけど、聞いてなかった?」

 

 星之宮の雑な報連相に肩をすくめざるを得ない。

 案内役がいることも、何を頼まれているかも、一切聞かされていなかった。

 

 ふたりの戸惑いに気づいたのか、少女が口を開いた。

 

「私は一之瀬帆波(いちのせほなみ)って言います! 君たちと同じBクラスだよ。三年間よろしくねー!」

 

 元気いっぱいの声とともに、一之瀬は蘭へと手を差し出した。一瞬反応が遅れた蘭だったが、少し戸惑いつつも右手を握り返す。

 

「私たちのことは星之宮先生から?」

 

「うん、聞いてるよ。今朝は大変だったみたいだね? でも尊敬しちゃうかも、犯人を制圧しちゃうなんて。乗り合わせた他の生徒もみんな『かっこよかった』って言ってたし、私も見たかったな〜」

 

 一之瀬はまるで旧知の友人に話すような距離感で、言葉を紡ぐ。その人懐っこさと柔らかな笑みは、初対面の警戒心を自然に溶かしていく。

 

 新一は彼女の言葉尻にひっかかりを覚えた。どうやら、蘭も同じようで、目を細めながら口を開ける。

 

「かっこいいですってぇ? ただの無鉄砲なだ――」

 

 蘭がそう言いかけたところで、新一は彼女の肩に手を置いて言葉を遮った。

 急に口角を上げ、芝居がかった口調で声を張り上げる。

 

「フッフッフ……この名探偵工藤新一の手に掛かれば、バスジャック犯などお手の物というものです」

 

 蘭を押し退けて前に出る新一の顔は、完全に緩みきっていた。思春期の男子らしく、鼻の下は伸び、得意げな笑みが隠しきれていない。

 

 同級生の、しかも恐らく女子の間で『かっこいい』と噂されている。それだけで、思春期真っ盛りの彼が上機嫌になる理由としては十分といえた。

 

「にゃはは! 工藤くんって面白いね。たしかに推理も凄かったって聞いたかも!」

 

 一之瀬は明るく笑いながら、そのまま新一に握手を求める。新一もすかさず手を差し出し、芝居がかった調子を崩さずに応じた。

 

「いえいえ、お嬢さんもお困り事があればぜひ」

 

 その様子を見ていた蘭は、呆れ声を漏らした。

 

「バッカみたい。ヘラヘラしちゃってさ。一之瀬さんも騙されちゃダメよ? こいつただの推理小説オタクなんだから」

 

「へー、毛利さんって工藤くんのこと詳しいんだね。高校入学前からの知り合いなのかな?」

 

「一応、保育園からの幼なじみなの。お互いの親が仲良いのもあって、そのまま小中高と同じだよ」

 

「ずっと一緒なわけか〜。ということは、もしかしなくても付き合ってたりするの?」

 

「な!?」

 

 一之瀬の無邪気な一言に、新一が派手に反応する。

 蘭は肩をすくめて、あっさりと答えた。

 

「ないない。ホントにただの幼なじみよ」

 

 キッパリと言い切る蘭の横で、新一はがっくりと肩を落とす。

 一之瀬は二人の対比に目を細め、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「そうだ、二人にはクラスのみんなに自己紹介してもらわないとね! もう他の子たちは済ませてあるの」

 

 思い出したようにパンッと手を打ち、一之瀬は先導するように前へ歩き出す。

 新一と蘭はその背中を追った。目的地はもちろんBクラスの教室だ。

 

「みんな注目ー! 今朝いなかった二人に自己紹介してもらうね!」

 

 教室に入ると、一之瀬の明るい声が響き渡る。

 自然と視線が集まり、新一と蘭はそれぞれ自己紹介を済ませていく。

 

「俺は柴田颯(しばたそう)! いや〜聞いたぜ、バスジャック犯を取り押さえたんだって? ドラマかよ!」

 

「私は網倉麻子(あみくらあこ)。毛利さんって何か格闘技やってたの? すんごいかっこよかった! 私も運動はじめてみようかな〜」

 

 それからクラスメイトとの親交を深めていき、やがて星之宮が教室に入ってきたことで、交流の時間は終わる。

 

「今から敷地内の説明をしていくね〜。これが終われば解散だから、実際に足を運んでみるといいかもっ!」

 

 すっかり猫の皮を被り直した星之宮から、施設に関する説明が続く。

 さして興味のない内容に、新一は頬杖をついて話半分で聞き流した。

 

 予定通り、説明が終わると解散となった。

 真っ直ぐ寮へ戻る生徒、カフェやカラオケに流れるグループ。蘭も誘われ、そちらに加わるようだ。

 

「新一は行かないの?」

 

「ああ、俺は別に行くところがあるからな。オメーらだけで行ってこいよ」

 

「ふーん、まあいっか」

 

 教室からほとんどの生徒がいなくなった頃、新一は立ち上がった。

 

 向かう先は図書館。

 星之宮の説明によれば、蔵書量は相当な量を誇っているんだとか。ファンタジーやバトル物、ラブコメはもちろん、古典や専門書まで網羅しているという。

 

 入学式直後ということもあり、館内の利用者はまばらだった。

 わざわざ入学早々に図書館へ来る新入生は少なく、今いるのは二、三年生がほとんどだろう。

 

 新一は司書に配置を尋ね、その足で『ミステリーコーナー』へ向かった。

 棚には江戸川乱歩や横溝正史、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン。有名どころから渋い短編集、さらには絶版の復刻まで並んでいる。

 

 背表紙を指先でなぞっていた時、不意に声がかかった。

 

「なにかお探しですか?」

 

 振り向くと、腰まで伸びた銀髪の女子生徒が立っていた。涼やかな色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。

 

「ミステリー、私も好きなんです。入学してすぐ図書館に来るなんて……あなたも相当なミステリー好きなのでしょう?」

 

「入学してすぐ? 俺が二、三年生のどちらかだとは思わねぇのか?」

 

 素直に答えてもよかったが、新一は彼女がどうして新入生だと見抜いたのかを知りたくなった。

 

「偶然ですが、あなたが司書さんに場所を尋ねるところを見ました。一年以上在学している生徒なら、配置は覚えているはずです」

 

「ふと本が読みたくなって、今日が初めての来館って可能性は? 二、三年生でもあり得るだろうぜ」

 

「たしかに可能性はありますね。ですが本に不慣れな人が、他の棚を一瞥もせず、迷いなくミステリーに直行するでしょうか?」

 

「推理小説が急に読みたくなったとか?」

 

「仮にそうでも、まずはアガサ・クリスティやコナン・ドイルに手を伸ばすと思います。有名作を避け、最初からマイナー作品ばかり探す――それは熟練の読者の行動です」

 

 彼女の指摘に、新一は感嘆の息を漏らした。

 当てずっぽうではなく、確かな観察と推理。かなりの洞察力を持っている。

 

 実際、新一は未読の作品を探していた。

 有名どころはすでに実家の書庫で読破済み。求めていたのは新しい出会いだったのだ。

 

「……降参だ。俺が図書館に入ってくるところから見てたのか?」

 

「ごめんなさい。隠れて覗くような真似を。でも、入学式直後に図書館へ来る新入生なんて珍しいでしょう? 気が合うと思ったんです」

 

「まあ、たしかにな。――その手にあるのは『さらば(いと)しき(ひと)』だよな?」

 

 彼女が抱えるのは、レイモンド・チャンドラーの長編シリーズの第二作目。主人公は私立探偵フィリップ・マーロウの名作である。

 

「はい。読むのは二度目ですが、今回は別の方の和訳で。あなたも読まれました?」

 

「ああ。あの主人公の生き方が最高にカッコいいんだよな。武骨で皮肉屋なのに、本質は優しいロマンチストって感じでさ」

 

 新一の声が一気に熱を帯びる。

 彼女は驚いたように瞬きをしたが、すぐに瞳に同じ熱を宿してうなずいた。

 

「分かります。まさしくハードボイルドが似合う探偵ですよね」

 

 二人はすぐに打ち解け、互いの愛する作家やおすすめ作品を語り合った。

 気づけば時間はあっという間に過ぎていく。

 

「っと、もうこんな時間か」

 

「本当に……入学早々、随分と盛り上がってしまいましたね。必要な物を買いに行ったりと、何かとお忙しいでしょうに」

 

「それはお互い様だろ? またここに来たとき、続きを話そうぜ。――椎名(しいな)

 

「はい。それでは参りましょうか、工藤くん」

 

 銀髪の少女、椎名ひよりは、心から嬉しそうに微笑むと、貸出カウンターへと歩き出した。

 

 未読本の数々、趣味の合う女の子。

 事件とは無縁のこの三年間、本に囲まれる生活も悪くないのかもしれない。

 

 高校では知識だけを詰め込み、卒業したら積極的に事件の解決を目指す。

 

 新一は、椎名の後ろ姿を眺めながら、そんなひとつの将来を思い描いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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