Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く 作:りー037
視界の全てを塗り潰す、圧倒的で絶対的な『白銀』。
それは音もなく空間を喰らい尽くす、純粋な破壊の極光であった。
網膜を焼き切るような閃光の中心で、間桐桜はその双眸を閉じることなく、ただじっと、魅入られたようにその光景を眺めている。
極限まで圧縮された正のエネルギーが、大英雄の強靭な霊器を根源から解体し、蒸発させていく光景。
ジュワァァァァァッ、という、生命の理が強制的に消去されるおぞましい音が響き渡る。だが、桜はその絶叫のような破壊音すらも、一音たりとも聞き逃すまいと、うっとりと耳を澄ませていた。
(……ああ。やはり、美しい)
他者の命が、自身の構築した完璧な論理と暴力によって刈り取られていく。その絶対的な優位性がもたらすカタルシスに、桜の口元に微かな、しかし底知れぬ狂気を孕んだ愉悦が浮かぶ。
やがて、網膜に焼き付いた白銀の残滓が、ガラスの破片のように空中で砕け散り、ゆっくりと光が晴れていく。
分厚い石畳は円形に抉り取られ、周囲の壁は融解し、赤熱した溶岩のようにドロドロと崩れ落ちている。鼻を突くオゾンの匂いと、何かが完全に燃え尽きた灰の匂い。
その破壊の爆心地、すり鉢状になったクレーターの中心に。
「あ……ぁ…………」
生き残った、いや、死に損なった一人の少女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、力なくへたり込んでいた。
彼女自身には、火傷一つ、傷一つついていない。
それは奇跡などではない。最後の瞬間、大英雄ヘラクレスが、己の巨大な背中で全ての光を受け止め、文字通り『己の存在を完全に犠牲にして』マスターを守り抜いた、その揺るぎない結果であった。
焦点の合わない、虚ろな赤い瞳。
半開きになった口からは、意味を為さない掠れた呼気だけが漏れ出ている。
何が起こったのか。たった今、自分の頭上を覆っていたはずの巨大な温もりと、絶対に自分を守ってくれるはずの最強の剣が、どこへ消えてしまったのか。
理解を超えた事象を前にして、彼女の精神は完全にショートし、真っ白に燃え尽きていた。
桜は、そんな魂の抜殻のようになった少女を視界の端に留めながらも、すぐには歩み寄ることはしない。
彼女の意識は、目の前の勝利よりも、たった今自らが放った『光の斬撃』の解析へと深く没頭し始めていたのだ。
「……とても、素晴らしいものでした。何度見ても、惚れ惚れします」
クレーターの底を見下ろしながら、桜の口から独り言が漏れる。
しかし、その美しい顔には、微かな不満のような、学術的な探求の翳りが差していた。
「これ以上ないほどの、圧倒的な一撃でしたが……。やはり、『空間を対象とする一撃』にはなりませんでしたね」
魔虚羅という事象への適応装置。
そこに『能力の開示』という呪術的な縛りを乗せ、さらに大英雄の概念防壁に対する『適応』という条件を重ね掛けした。
桜の計算では、この極限状態のバフが掛かった退魔の剣の斬撃ならば、空間そのもの、ひいては『世界というキャンバスごと』対象を両断する、究極の次元断絶へと至る可能性が、ワンチャンあると考えていたのだ。
「……能力の開示に加えて、あの硬いヘラクレスへの適応状態。条件は完璧だったはずなのですけど。やはり、あれは全てを許容する『虚数空間』という底なしの土台限定で引き起こせる、バグ技のようなものなんですかねぇ……。現実の物理法則、あるいは抑止の枠組みの上では、出力が頭打ちになってしまうのか……」
うんうん、と。
周囲の凄惨な光景には全くそぐわない、まるで難しい数式を解き損ねた学生のような仕草で、桜は小首を傾げながらぶつぶつと考察を口にする。
「ひ……っ、あ…………」
その異様すぎる独り言を聞きながら、イリヤスフィールの喉から、ヒュッと引き攣ったような音が漏れた。
意味が分からない。目の前の女が何を言っているのか、単語の羅列一つすら頭に入ってこない。
ただ、ヘラクレスを失ったという絶対的な【絶望】と。
次は自分があの光に呑まれるのだという、生物としての根源的な【恐怖】。
それらの感情がない交ぜになり、イリヤの呼吸は浅く、異常な速度で繰り返されるだけで、まともな思考が一切回らなかった。
だが、そんなイリヤの精神の崩壊などお構いなしに。
桜は、考察を一旦脳の隅へと追いやり、すうっと大きく息を吸い込んだ。
「んんーーっ……、はぁぁ」
両腕を高く上げ、背伸びをする。
それは、大仕事を一つ終えたあとの、清々しくも生々しい、年相応の少女の仕草。
やりきった、という確かな達成感。アインツベルンの最高傑作を、正面からの力押しで完全に叩き潰したという事実。
しかし、背伸びを終えて腕を下ろした瞬間、桜の表情に、じんわりと疲労と憂鬱の色が滲み出た。
(……それにしても。今回消費したリソースの大きさは、流石に無視できませんね……)
あの絶対的な一撃を放つための下準備。
庭に放ち、ヘラクレスに呪いを付与するために使い潰した『影の獣』たち。
その数、実に数百体。
桜の影の中に蓄えられていた手駒のストックは、今回の戦闘で完全に【ゼロ】になってしまった。
あの動物の影は、戦闘能力こそサーヴァントには遠く及ばない微妙な性能だが、索敵、監視、足止め、そして今回のような呪いの媒介などに使う。なければないで、今後の聖杯戦争の立ち回りに多大な支障をきたすのだ。
「本当に、理不尽なくらい硬いバーサーカーでしたね……。まあ、あれだけの規格外をこの序盤で刈り取れたとなれば、収支としてはプラスの方が大きいですけど」
桜は、へたり込むイリヤの方へとゆっくりと歩みを進めながら、ほんの少しだけ、素の感情の混じった愚痴を吐き出した。
「……また、集め直しかぁ。憂鬱ですね」
その言葉の裏にある『苦痛』を、イリヤは知る由もない。
影の獣のストックを補充する手段。それは、単純な魔力生成ではない。
現実の動物を、桜自身の『影』の中に引きずり込み、飲み込ませ、その遺伝子情報や存在をまるごと抽出・反転させるという、極めておぞましいプロセスを要する。
対象を飲み込み、術式に変換するその瞬間。
喰われる生物が最期に抱く『恐怖』、生への執着、理不尽に対する『憎しみ』、そして断末魔の『根源的な狂気』。
それらのどす黒い負の感情と死の疑似体験が、泥流となって直接、桜の脳髄へと流れ込んでくるのだ。
抽出のたびに引き起こされる、頭蓋骨の内側をヤスリで削られるような激しい頭痛と、吐き気。
それを数百体分、また一からやり直さなければならない。その労力と精神的負荷を想像するだけで、桜の美貌がほんの微かに歪む。
「……ここまでしないと殺し切れないと、そう思わせるほど。あなたのサーヴァントは、本当に強かったですよ」
イリヤの目の前まで歩み寄った桜は、足を止めた。
それは、最大の障害を排除した者としての、掛け値なしの賞賛だった。
「まあ、でも。ただ、それだけのことですけどね」
カツン、と。
桜の靴音が、静寂の地下室に冷たく響く。
バーサーカーは消滅した。勝負は完全に決した。
絶対の盾を失ったイリヤスフィールの心は、すでに粉々に砕け散り、再起不能の領域へと達している。
桜は、ガクガクと震えながら自分を見上げる白髪の少女を見下ろし。
そして、冷徹な勝利者として、最期の対話を行うべく、静かに片膝を突いた。
桜はその瞳を正面からまっすぐに見据えたまま、白く、ひどく冷たい指先を伸ばし、イリヤの血の気の引いた頬へとそっと触た。
死人のように冷徹な指の感触に、イリヤの身体がびくりと跳ねる。
「ふふっ……」
桜の唇から、慈悲深い聖母のようでもあり、同時にすべてを嘲笑う悪魔のようでもある、艶やかな笑みが漏れた。
「あなたの敗因は、余裕すぎたことです。自身のサーヴァントは絶対に負けることはないのだと。そういう、絶対の自信と慢心が、根底にあった。自身の手札や、与えられた能力が、どれほど客観的に優れていたとしても……」
頬に触れた指先が、なぞるようにしてイリヤの顎へと移動する。イリヤは拒絶する力すら湧かず、ただ涙を溜めた瞳で目の前の少女を見つめることしかできない。
「あなたは――どのようにしたら勝てるかではなく、どのように勝つかを考えていたのではないですか?」
桜の口から紡がれたその一文は、静かでありながら、イリヤの魔術師としての本質を正確に、そして最も醜悪な形で暴き立てるものだった。
勝つための泥臭い方法を死に物狂いで模索するのではない。
『勝つこと』はすでに揺るぎない前提として決まっており、その上で「どのような順番で、どうやって美しく、もしくは自身の思い通りに相手を蹂躙して勝つか」を夢想する。それは、命のやり取りをする戦場という舞台において、この上なく醜悪で、致命的な【傲慢】に他ならなかった。
「それは……アインツベルンという温室の中で、最強の狂戦士を与えられた、あなたの幼さ故の無邪気さだったのかもしれませんね。お人形で遊ぶ子供のように、自分が傷つく可能性なんて、これっぽっちも考えていなかった」
桜の声音には、怒りも、あるいは明確な見下しもない。ただ、淡々と客観的な事実を突きつけるだけの冷徹さ。
「それでも。他者の命を奪うという血生臭い舞台に、あなた自身がその足で立ったのなら――自身が奪われる側になった際に、そこから逃れることなんて出来はしない。それが、殺し合いの冷徹なルールですよ」
「あ、う……あ…………」
イリヤの喉から、かすれた嗚咽が漏れる。
言い返す言葉など、一言もない。ヘラクレスの無敵性に胡坐をかき、敵を見くびり、ただの盤上遊戯のように聖杯戦争を捉えていた自身の『浅はかさ』を、これ以上ないほど的確に解剖されたのだ。
桜は、背後にそびえ立つ白亜の怪物――魔虚羅へと視線を向けた。
その瞳には、イリヤがヘラクレスに向けていたものと同じ、あるいはそれ以上の、絶対的な『狂信』が宿っている。
桜もまた、自身のバーサーカーを最強だと心の底から信じている。この怪物が負けることなど、世界の法則がひっくり返っても絶対にあり得ないと、魂の底から確信しているのだ。
その意味において、間桐桜とイリヤスフィールは、間違いなく【同類】である。
だが。二人の間には、決定的に異なる一線が存在した。
桜は自らのサーヴァントを最強と信じながらも、敵の前で「余裕」を気取り、「傲慢」を気取り、バーサーカーの進むべき確実な勝利への道を歪ませるような愚は、天地が裂けても犯さない。
表面上は似通った強者の佇まいを見せていても、その本質は、奈落の底と天上の雲ほどに乖離していた。
負けないために。勝つために。死なないために。
そのためであれば、どんな卑劣な罠も、どれほど泥臭い手段も、自らの身を削るような呪いの代償すらも、躊躇なく呑み干す。
その血を吐くような『覚悟』が、目の前の純粋培養された雪の王女には、決定的に欠落していた。
「その程度の生温かい心構えの方に、私の愛が、私の目的が打ち砕かれるはずがありません。……最初から、この勝利は確定していたのです」
桜は顎から手を離し、今度はイリヤの真っ白な美しい髪を、まるで愛玩動物を慈しむように優しく、ゆっくりと撫で始めた。
「さて……。あなたをどうしましょうか。聖杯戦争、その儀式の根幹に最も近いアインツベルンの一族」
優しく撫でる手。しかし、その指先から伝わる思考は、極めて事務的で冷酷な殺処分の算段。
「儀式を完全に私の望む形にするには、やはりここであなたを消しておくべきですかね。小聖杯としてのイレギュラーを起こされても困りますし……」
桜の瞳の奥に、仄暗い、底なしの執念が揺らめく。
「私は、この町を守らなくてはいけないので。……私の大切な場所を、荒らす存在は、すべて排除しなくてはならないんです」
撫でる手がピタリと止まる。桜の魔力が、イリヤの脳髄を直接破壊すべく、その指先に集束しようとした、まさにその刹那――。
シュウゥゥゥゥッ!!!
背後の闇、地下室の上層へと続く崩壊した通路の奥から、空気を鋭く引き裂く不吉な風切り音が炸裂した。
放たれたのは、漆黒の呪いを極限まで凝縮した、禍々しい魔力の弾丸。
それも、常人の魔術師が放つそれとは一線を画す、一撃で人間を即死させるほどの濃密な呪詛の塊が、桜の頭部を正確に狙って一直線に射出されたのだ。
だが。
桜が身じろぎするよりも早く、主の危機を察知した魔虚羅が、無言のまま自動的にその巨体を二人の間に割り込ませた。
チュンッ。
弾丸が肉体に激突する、乾いた、あまりにも呆気ない音が響く。
魔弾は魔虚羅の白亜の胸板に直撃した瞬間、パチパチと小さな火花を散らしただけで、煙のように霧散した。
現代の魔術師がどれほど練り上げた神秘であろうとも、神代の理を有し、底上げを終えた怪物の皮膚には、傷一つ付けることすら叶わない。
「……あら?」
桜は、頭を撫でていた手をゆっくりと下ろし、冷ややかな視線を後方へと向けた。
破壊された天井の隙間から差し込む、薄暗い月明かりと、立ち込める煤煙。
地下室の最奥から見上げる、上階へと続く階段。その先の、崩れかけた廊下の縁。
そこに、彼女は立っていた。
夜の闇に映える、鮮烈な真紅の衣装。
誇り高く結い上げられた黒髪が、地下室から吹き上がる熱風に揺れている。
階段の上の廊下から、冷徹な、しかし烈火のような怒りと魔術師としての峻烈な矜持を宿した瞳で、まっ合にこちらを見下ろす少女の姿。
「――そこまでよ、桜」
冬木の管理職が、冷酷な戦場に、堂々とその姿を現した。
桜は小さく溜息を吐くと、首をほんの少しだけ傾げ、冷ややかな微笑をその唇に浮かべる。
「せっかくの、華々しい勝利の後なんです。――冷めさせないで下さいよ?」
影の獣は、十種影法術というより呪霊操術をリスペクトしました。
あと自身を倒した存在に呪いが転写される、劣化モースみたいな性能ですね!!
五条先生の赫とFateの対軍宝具って、どちらが威力上だろうか。何となくで投票してほしいです。
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術式反転・赫
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対軍宝具