締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~ 作:喧々鰐々
『月の民、西の海の果てに大陸を見たり』
それが、俺の人生の転換点になった見出しである。
いや、違う。正確には、俺が書いた本文はもう少し慎重だった。
西海の彼方には、いまだ王国の地図に載らぬ陸影があるかもしれない。
古い漂着物、潮の流れ、渡り鳥の経路。
そして民話を合わせれば西に何かあるかもしれない。
だいたい、そんな感じだった。はずだ...
少なくとも俺は、「月に住む連中が望遠鏡片手に新大陸を発見しました」とは書いていない。
なのに翌朝、王都リュミエールの教会広場では、露天商が『月の羽根』を売り、教会前では神官が鐘を鳴らし、商人はまだ見ぬ大陸の作物に値札を貼り始めていた。
新聞というものは怖い。拡散力が高すぎる。娯楽に飢えている時代だとなおさらだ。
「違うんだ」
俺は新聞社《月桂冠通信》の裏口で、誰にともなく言い訳した。
「俺はただ、紙面の穴を埋めろって言われただけで……」
「自分で自分の墓穴を掘っていたようだけれど」
背後から、涼しい声がした。
振り向くより早く、襟首をつかまれた。
「ぐえ」
情けない声が出た。人間、首根っこを押さえられると思想より気道が優先される。
そこに立っていたのは、黒いドレスの女だった。銀の髪が月光を吸ったみたいに淡く光り、夜紫の瞳が、俺の顔ではなく、俺の中身の逃げ道を見ている。
月蝕の魔女、モルガーヌ・ノクテール。
王国でその名を知らない者はいない。そして詳しく知っている者ほど、できれば会いたくない。
「あなたが、月に嘘を吐いた男?」
「違います」
「まだ名前しか聞いていないわ」
「俺は神託なんて受けてません」
「まだ神託とも言っていない」
「月に知り合いもいません」
「そこまで自白が早いと、珍獣としては優秀ね」
やめてほしい。俺の口は、なぜ自分からぺらぺら白状するのか。
モルガーヌは俺を逃がさないまま、新聞の一面を開いた。見出しは本文より三倍大きく書かれている。
「月の民が西方大陸オンドワナを見た。土中に眠る白き月の実。飢えを退ける根。西の地が授ける第三のパン」
「最後の三つは編集長が盛りました」
「最初の月の民は?」
「……比喩です」
「便利な言葉ね。火あぶりの薪にも使えそう」
俺は震えた。
「待ってくれ。俺はただ、この世界が前世のヨーロッパっぽいから、アメリカっぽいのもあるかと思ったんだよ!」
モルガーヌの指が、俺の襟をつかんだまま止まった。
表情が消えた。
「その発言、裁判で絶対に言わないで」
「なんで?」
「異端者で火あぶりか、復活した奇跡からの聖人認定で一生修道院の中の二択よ」
「どっちも嫌すぎる」
「なら、言葉を選びなさい。あなたが生き残りたいなら、月を喋らせてはだめ」
俺は新聞を見た。
俺の嘘はもう、俺のものではなかった。
広場では誰かが月を指さしている。教会の鐘は鳴り続けている。商人は笑い、学者は鼻で笑い、やんごとなき方々もたぶん俺の名前を聞いている。
そして目の前の魔女は、俺の襟首を離さない。
「あの」
「なに?」
「俺、今から逃げたら」
「三分で捕まえるわ」
「三分はくれるんだ」
「ペットにも運動は必要でしょう」
この日、俺は学んだ。
締切に追われて月へ吐いた嘘は、王国予算になりかける。
そして魔女は、新聞の誤字訂正記事が出るよりより早く逃げ道を塞ぐ。