締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第11話 なんとなく西にある気がした

俺が答えられないまま黙っていると、編集室の空気まで紅茶みたいに冷めていった。

机の端には問題の新聞。

向かいには月蝕の魔女。

表口には教会の従者。

そして俺の目の前には、まだ食べられていない黒パン。

この中で一番無害なのが黒パン。

そして誰も俺を助けてくれない。

 

「もう一度聞くわ」

 

モルガーヌは新聞を畳み、俺だけを見た。

 

「あなた、西に何かあると本気で思っているのね」

 

「……思っている、というか」

 

「というか?」

 

逃げ道を探した。

なかった。

逃げ道はさっき、全部モルガーヌに切り分けられた。月の民。オンドワナという名。月からの観測。どれも作り物。そして最後に残ったのが、西に何かあるかもしれないという、俺自身も扱いに困る勘だ。

 

俺は紅茶の底を見た。

茶葉の細かい欠片が、茶碗の底で頼りなく揺れている。

 

今の俺と同じだった。

 

「根拠は、あります」

 

言った瞬間、バスティアンの目が光った。

 

やめろ。見出しを見つけた顔をするな。

 

「根拠! いい言葉だ。読者は根拠が好きだ。根拠が薄いほど大きく刷れば」

 

「編集長、お願いですから、今だけ紙面から離れてください」

 

「私は常に紙面と共にある」

 

モルガーヌが指先で机を一度叩いた。

 

「とん」という軽い音だけで、編集長は口を閉じた。

 

魔法より便利な沈黙命令だ。俺にもほしい。

 

「続けなさい」

 

「はい」

 

続けなければならない。

 

だが、どう説明すればいい。

前世の記憶があります。昔の世界地図では西の海の向こうに大陸がありました。だからこの世界でも、なんとなくありそうだと思いました。

 

言葉にすると、神託詐称より別の方向で処刑されそうだった。

『狂人』のレッテルで悪魔に魅入られたとかで……

 

「その、地図です」

 

結局言わずにおこうと思っていたことが口から出た。

 

「地図?」

 

「昔、見た地図の形が、この辺りの国々と少し似ていた気がして」

 

「どこの地図?」

 

「ええと」

 

俺は言葉を飲み込んだ。

日本。地球。ヨーロッパ。アメリカ。大航海時代。

どれもこの部屋で言った瞬間、説明を求められる。説明できない。俺の前世知識は、授業中に居眠りした記憶と、教科書の図だけを雑に引っ張り出したような代物だ。

しかもその教科書の内容すら、当時の俺は試験が終わったら半分捨てた。

いま全力で拾い直したい。記憶のゴミ箱を漁りたい。

 

「どこの地図かは、うまく言えません」

 

「うまく、ね」

 

モルガーヌの声が少しだけ楽しそうになった。

 

嫌な予感がした。

 

「では、うまくなくていいわ。雑に言いなさい」

 

雑に言ったら死ぬから困っている。

 

だがモルガーヌは待つ。

教会の従者は表で待つ。

バスティアンは待ちきれない。

 

俺だけが追い詰められている。

 

「この国とか、周りの国とか、海とかが……俺の知っている、別の地図に、少し似ている気がしたんです」

 

「別の地図」

 

「はい」

 

「あなたの荷物にある?」

 

「ありません」

 

「新聞社の資料室に?」

 

「ないです」

 

「学士院に?」

 

「たぶん、ないです」

 

「では、どこにあるの」

 

俺は自分のこめかみを指で押さえた。

 

「ここに、ぼんやりと」

 

編集室が静まり返った。今度の沈黙は重かった。

 

俺は自分で言っておいて、机の下に潜りたくなった。

 

頭の中にだけある地図。

 

怪しすぎる。

 

怪奇記事の筆者が、脳内地図を根拠に西方大陸を書きました。騒ぎにならなければ許されていた程度の三流記事だったはずだ。

 

「頭の中の地図」

 

モルガーヌがゆっくり復唱した。

 

「はい」

 

「それで、あなたは西に大陸があると」

 

「大陸と断定したわけでは」

 

「見出しは断定しているわ」

 

「あれは編集長の腕力です」

 

「本文はあなたね」

 

「はい」

 

「昔、その別の地図では、こちらに似た場所の西の海の向こうに、大きな陸があったんです」

 

「こちらに似た場所」

 

「フランシールとか、その周辺の国の感じです。王様がいて、教会があって、船があって、新聞があって、商人が強くて、戦争と商売が海の向こうへ伸びていくような」

 

「かなり広い雑さね」

 

「自分でもそう思います」

 

「その雑さで記事を書いたの?」

 

やめてほしい。

 

核心を鈍器で叩かないでほしい。給金で頬を叩かれて書いたのだ。

 

「締切がありまして」

 

「締切は神託より強いの?」

 

「うちの新聞社では、たぶん」

 

バスティアンが胸を張りかけた。

モルガーヌが見た途端、編集長の胸はしぼんだ。

 

「歴史の流れも、少し似ていると思ったんです」

 

俺は無意識に早口になった。

危険だ。早口はだいたい墓穴の前兆だ。俺は喋れば喋るほど墓穴を掘るタイプなのだ。それは前世と今日でいやというほど思い知った。

 

「西の海がまだよく分かっていない。ただこの王国の港町には古い船乗り話がある。星が消える夜とか、変な漂着物とか、遠い海から来たかもしれない噂もある。だから、もし俺の知っている地図と似ているなら、西の向こうに何かあるかもしれない、と」

 

「それを、月の民が見たことにした」

 

「そこは本当にすみません」

 

「なぜ月の民?」

 

「紙面が寂しかったので」

 

編集室の誰かが、息をのむ代わりに変な音を立てた。

刷り場の少年だった。笑いかけて、必死に飲み込んだ顔をしている。

気持ちは分かるが飲み込んでほしい。俺の命がかかっている。

 

モルガーヌは黙っていた。

 

夜紫の瞳が、俺を見ている。

 

 

怒っているのか、呆れているのか、分からない。

俺はさらに言葉を足した。足すな、俺。でも足した。足してしまった。

 

「最初は、本当に穴埋めだったんです。読者が月を見上げて、少し怖がって、少し楽しんで、翌週には忘れるような。西の海の向こうに何かあるかもしれない、でも俺は断定していない。名前も仮名。月の民も比喩。逃げられると思って」

 

「逃げられた?」

 

「今、あなたの前に座っています」

 

「正直ね」

 

「得点は」

 

「まだマイナスよ」

 

知っていた。

 

俺の人生の採点欄は、今日だけで紙が足りない。

 

モルガーヌは茶碗を持ち上げた。

 

もう冷めているはずなのに、彼女は気にした様子もなく一口飲んだ。

 

「つまり、あなたの根拠はこう」

 

黒い手袋の指が一本ずつ立つ。

 

「頭の中にだけある、出所不明の別の地図」

 

一本。

 

「この国がその地図の一部に似ている気がした」

 

二本。

 

「その地図では西の海の向こうに大きな陸があった」

 

三本。

 

「歴史の流れも、なんとなく似ている」

 

四本。

 

「締切だった」

 

五本目。

 

最後がほぼすべてだ。

 

「はい」

 

「預言ではないわね」

 

「違います」

 

「学問でもない」

 

「はい」

 

「取材でもない」

 

「はい」

 

「航海記録でもない」

 

「はい」

 

「ほとんど、三流記者の思いつきね」

 

「そこまで削ると悲しいですが、反論できません」

 

モルガーヌの肩が震えた。最初、怒りかと思った。月蝕の魔法が火を噴くのかと思った。

 

違った。

 

彼女は口元を手袋の指で隠し、堪えようとして、堪えきれなかった。

 

笑った。

 

月蝕の魔女が、三流新聞社の欠けた茶碗を前に、本気で笑った。

高くはない。大声でもない。けれど、今までの皮肉の薄い笑みとはまったく違う。喉の奥からこぼれる、抑えきれない笑いだった。

編集室の空気が緩む。バスティアンでさえ、見出しを忘れた顔をしている。

 

俺は顔が熱くなった。

 

「そんなに笑います?」

 

「笑うわ」

 

モルガーヌはまだ少し息を揺らしていた。

 

「月の民。西の大陸。神託詐称。教会。商人。王都の噂。そこまで大きく燃えている火種の芯が、頭の中の曖昧な地図と、締切だったなんて」

 

「俺としても、火が大きすぎると思っています」

 

「あなた、自分が何をしたか分かっている?」

 

「薄給の三流記者が、紙面の穴を埋めようとして、宗教問題を引き起こしました」

 

「よくできました」

 

「褒めてます?」

 

「処刑台に上がる前の自己分析としては」

 

笑いの余韻を残したまま、モルガーヌは新聞を指先で押さえた。

その目はもう笑っていなかった。

けれど、さっきより冷たくもなかった。

 

俺を切り捨てる目ではない。

 

研究して、解剖して、ラベルを貼って、瓶に入れて棚に置くかどうか考えてるように見える目だった。

 

それはそれで怖い。

 

「ユーリ・ミクラ」

 

「はい」

 

「預言者としては最低」

 

「はい」

 

「詐欺師としても雑」

 

「はい」

 

「学者に見せたら、鼻で笑われる」

 

「はい」

 

「でも」

 

彼女は短く息を吐いた。

 

「珍獣としては上等ね」

 

俺は喜んでいいのか、逃げていいのか、分からなかった。

 

その時、表口の向こうで教会の従者が、三度目の咳払いをした。

 

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