締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第16話 読者投書の地獄

麻袋は、郵便物の顔をした災害だった。

印刷室の少年が床に置いた瞬間、袋の口から封筒、紙片、木札、鶏羽根、月の形に切った菓子の包みまでこぼれた。

 

すべて俺宛て。人気ラジオのお便りコーナー並みだろうか。

 

「開けよう」

バスティアンが見出しを見つけた顔で言った。

 

「燃やしましょう」

俺は即答した。

 

「燃やす前に読む。読まずに燃やすのは編集者ではなく証拠隠滅だ」

 

モルガーヌは黒い手袋で袋の口をつまみ、少しだけ中を覗いた。

 

「よく育ったわね」

 

「俺が育てたみたいに言わないでください」

 

「種をまいたのは誰かしら」

 

返す言葉がない。

いや、返す言葉はある。締切です。編集長です。俺は被害者です。

ただし、その三つを口に出すと、バスティアンが「文責は君だ」と笑う未来が見えたので黙った。

 

セレスタンが眼鏡を押し上げる。

 

「分類しましょう。全部を同じ扱いにすると、後で本当に必要な問い合わせを見落とします」

 

「本当に必要な問い合わせがこの袋にありますか」

 

「可能性は低い。ですが、可能性が低いことと、確認を怠ってよいことは別です」

 

正論は刃物だ。さすが学者様。

切れ味が良すぎて、俺の逃げ道だけが薄く削られていく。

 

バスティアンは机の上を片づけ、羊皮紙を何枚か並べた。

 

「目撃談、神学、商売、求婚、その他。これでどうだ」

 

「求婚を最初から分類に入れないでください」

 

「もういくつも手紙が見えた。モテるな」

 

見えるな。

袋の口から薄桃色の封筒が半分出ている。封蝋の代わりに乾いた花が貼ってあった。

嫌な種類の丁寧さだった。どんな貞操観念なんだ。怖すぎる。

 

バスティアンが一通目を開いた。

 

「『昨夜、月見広場の煙突の上に、銀色の小人を三名見ました。小人は西の方を指し、パン屋の煙突へ消えました。これは月の民でしょうか』」

 

「ただの煤か何かを見間違えたのでしょう」

 

俺は即答した。

 

「『なお、小人の一人は帽子をかぶっていました』」

 

「煤に帽子を見ないでください」

 

モルガーヌが少し笑った。

 

「帽子をかぶった煤。あなたの記事よりは控えめね」

 

返す言葉がまた消えた。

 

セレスタンが紙片を横に置いた。

 

「月見広場、煙突、西の方を指す。目撃談としては信頼できませんが、広場で記事が読まれている影響の記録にはなります」

 

「それを記録しないでください。俺の裁判資料になってしまいます」

 

「資料は厚いほど説得力があります」

 

「俺の生存には薄いほど助かります」

 

二通目は、太陽輪を下手に写した封筒だった。

バスティアンが開く前に、俺は背筋を伸ばした。教会関係は笑えない。いや、さっきから笑えるものも笑えない。

 

セレスタンが文面を読む。

 

「『月の民が神の使いでないなら、月の民は神の民の隣人に当たるのでしょうか。隣人ならば喜捨の対象でしょうか。異端ならば〇〇〇するべきでしょうか』」

 

「うちは教会じゃありません。教会の懺悔室へどうぞ」

 

バスティアンは真面目な顔をした。

 

「読者相談欄を作ろう」

 

「作りません」

 

「『ユーリ先生が答える月と暮らし』」

 

「先生をつけないでください。暮らしてもいません」

 

モルガーヌが俺を見る。

 

「答えは簡単よ。神の声ではありません、新聞向けに盛りすぎた西海の可能性の話です」

 

「それを全部の封筒に写して返したい」

 

「写字生の給金だけ必要ね」

 

給金。

俺の胸が一瞬だけ現実的に痛んだ。

訂正にも金がかかる。否定にも手間がかかる。嘘は一度刷ると、訂正するたびに紙とインクと人件費を食う。

 

三通目は木札に紐で結ばれていた。

商人の字は、なぜこうも読みやすいのか。金が絡む文字は整っている。

 

「『オンドワナ航路準備組合への出資について、筆者様の推薦文を一筆いただきたく』」

 

俺は木札を机に戻した。

 

「断ります」

 

「まだ最後まで読んでいない」

 

「推薦文の時点で断ります」

 

 

セレスタンが木札を別の山に置いた。

 

「これは商売の問い合わせ。危険語がありますね。『月の民公認』『聖なる西海利回り』」

 

「利回りに聖なるをつけるな」

 

次の封筒は農家からだった。

紙に土がついている。

 

「『白き月の実を植える場合、畑は満月の方角へ向けるべきでしょうか。灰を混ぜるべきでしょうか。祈りは朝と夜の二回で足りますか』」

 

「芋に祈るな」

 

思わず本音が出た。

 

バスティアンが目を輝かせる。

 

「いいな。聖なる芋の栽培相談だ」

 

セレスタンが淡々と紙を押さえる。

 

「あなたの記事では保存性の高い根菜を示唆しただけですね」

 

「はい」

 

「見出しが悪い」

 

「編集長に言ってください」

 

バスティアンは胸を張った。

 

「見出しが良いからここまで来た」

 

「だからここまで来たんです」

 

言い合っている間にも、投書は増える。

袋の中身は減っているはずなのに、机の上の圧は増えていた。

月の民を見たという話は、背が指二本ぶんの小人から、鐘楼ほどの巨人までいた。銀の髪だという者もいれば、緑の肌だという者もいる。ある少年は、月の民に似顔絵を送って返事を待っていた。

 

薄桃色の封筒がついに開かれた。

バスティアンが声を整える。

 

「『月の民の殿方が独身であれば、文通から始めたいと存じます。身長、信仰、持参金の要不要をお知らせください』」

 

「知るか」

 

俺の声が編集室に落ちた。

 

モルガーヌは封筒の花を指先でつついた。

 

「よかったじゃない。あなた本人だけじゃなくて嘘の登場人物に縁談まで来たわ」

 

「俺の縁談も、月の民の縁談も破談です!」

 

「月の民の仲人ね」

 

「役職を増やさないでください」

 

バスティアンが羊皮紙に大きく何かを書き始めた。

 

「特集名は『月の民への手紙』でどうだ」

 

「どうも何もありません」

 

「読者参加型だ。王都は自分の見た月、自分の欲しい大陸、自分の得たい金を投書にして送ってくる。これは売れる」

 

「投書欄に載せるのに金をとるんですか?」

 

 

俺は月の民を書いた。

バスティアンが見出しを大きくした。

露天商が羽根を売り、商人が先物を作り、信徒が神学を送り、誰かが結婚相手まで求める。

嘘はもう、俺一人の机の上にはなかった。

王都の人間が、それぞれの不安と欲と退屈を貼りつけて、勝手に大きくしている。

 

「訂正記事を出しましょう」

 

俺は言った。

 

バスティアンが顔を上げる。

 

「出す。もちろん出す」

 

「本当ですか」

 

「『本紙筆者、過熱する投書に慎重姿勢』。その横に読者投書の抜粋を載せる」

 

「横に載せるな」

 

セレスタンが深くため息をついた。

 

「少なくとも、危険な語は削るべきです。神託、公認、確定、聖なる。この四つは使わない」

 

「では『月の民かもしれない方々へのお便り』」

 

「削れていません」

 

 

俺は一番上の封筒を取った。

 

指先にインクと乾いた花粉がついた。

 

「せめて、神託ではないと大きく書いてください」

 

セレスタンが珍しくうなずいた。

 

「そこだけは正しい。大きく、ただし正確に」

 

「大きく書こう」

 

「見出しより大きく」

 

「それは紙面の秩序に反する」

 

「俺の人生はもう混沌です」

 

その時、袋の底で硬いものが鳴った。

 

木札ではない。封蝋つきの厚い封書が、他の投書の下から滑り出てきた。

 

白い紙。金の縁取り。押された蝋には、”王冠と百合の紋”(王家の印)があった。

 

バスティアンのペンが止まった。

セレスタンの眼鏡が、窓の光を拾った。

モルガーヌだけが、面白そうに俺を見ている。

 

封書の表には、整った文字でこうあった。

ユーリ・ミクラ殿へ。

 

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