締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第22話 学者と魔女の視線

表口の向こうで止まった馬車は、王宮の金ぴか馬車ではなかった。

学士院の小さな荷馬車だった。

俺は少しだけ息を吐いた。少しだけだ。荷馬車でも、今の俺には十分に胃へ悪い。

 

「資料が来ました」

 

セレスタンが当然の顔で言った。

 

「いつ手配したんですか」

 

「昨日のうちに」

 

「俺の処理予定が、俺より早く動いている」

 

「あなたの判断速度に合わせると、王都が先に燃えます」

 

朝から正論である。

表口から、学士院の小使いが木箱を二つ運び込んできた。古い紙と革表紙の匂いがした。

 

バスティアン編集長は箱を見て、残念そうに眉を下げた。

 

「金貨ではないのか」

 

編集長、あまりに品がない。

 

セレスタンは一冊目の台帳を開いた。表紙には『西海沿岸漂着物控え』とある。文字は細かく、ところどころ水染みで薄い。

 

「まず確認します。ミクラ氏、あなたの記事には三種類のものが混ざっています」

 

「嫌な予感しかしません」

 

「一つ、完全な創作。月の民、オンドワナという名称、月からの観測」

 

俺は机に額をつけたくなった。

 

「二つ、不適切な装飾。聖なる、告げた、示した、三つの名を持つ、など」

 

「俺の罪と編集長の罪が混ざっています」

 

「三つ、検証できる可能性。西海の向こうに陸があるかもしれない、未知の作物があるかもしれない、漂着物や風の記録に何か残っているかもしれない」

 

モルガーヌが窓際から言った。

 

「つまり、泥と金粉と芋の皮を同じ袋に入れて売ったのね」

 

「金粉ありました?」

 

「極限まで薄くした金箔のかけらぐらいかしら」

 

セレスタンは台帳の頁をめくった。

 

「問題は、あなたの頭の中身です」

 

モルガーヌが椅子を引いた。黒いドレスの裾が床に静かに落ちる。

 

「彼の頭は、鍵付きの書庫ではないわ。穴の開いた引き出しよ。中身を取り出すたび、余計な埃も舞う」

 

「かなり失礼な家具評価ですね」

 

「家具ならまだ安定してるわね」

 

セレスタンが真顔で頷いた。

 

「同意します。ミクラ氏の発言は、資料ではなく根拠不明の情報です。これから検証作業がいる」

 

「学者と魔女が初めて仲良くなった話題が俺の頭の悪口なの、つらいんですが」

 

「悪口ではありません」

「評価よ」

 

二人で言うな。

 

セレスタンは台帳の一部を俺の前へ押した。

そこには、港町サン=リュンヌ近郊で拾われた木片、見慣れない種子、奇妙な浮草についての古い記録が並んでいる。

どれも決定的ではない。だが、何もない、と笑い飛ばすには少しだけ引っかかる。

 

「これは、あなたの記事の証拠ではありません」

 

「はい」

 

「あなたの正しさの証明でもありません」

 

「はい」

 

「ですが、西海について再整理する理由にはなります」

 

俺は息を止めた。

怒られると思っていた場所で、仕事が生まれた。

ありがたいような、刑の執行が事務作業に変わったような、複雑な気分だった。

 

モルガーヌは俺を見た。

 

「よかったわね。預言者ではなく、資料整理の口実になれた」

 

セレスタンは別の紙を取り出した。俺の訂正案だ。

一行目には、昨日から何度も見た文字がある。

『本紙記事は神託を主張するものではありません』

 

「これは残します」

 

「残るんですか」

 

「残します。ただし、次に『月の民の存在を否定するものでもありません』などと逃げる一文を入れてはいけません」

 

「入れようとしてません」

 

「あなたは逃げ道を見ると文章にします」

 

否定できない。

 

モルガーヌが訂正案の余白を指で叩いた。

 

「ここには、人間の言葉だけを書くの。月は言わない。神も言わない。民も喋らせない」

 

「では、何が残るんですか」

 

「新聞屋の失敗と、調べる価値」

 

セレスタンが即座に補った。

 

「そして、未整理の航海記録です」

 

三人分の視線が、俺の手元のペンに集まった。

バスティアンだけは、箱の端に貼られた学士院の封帯を見ていた。たぶん、見出しにできるか考えている。

 

「書くなら、こうです」

 

セレスタンがゆっくり言った。

 

「本紙記事は神託を主張するものではありません。西海に関する未整理記録と民間伝承をもとにした、誇張を含む仮説記事です。今後、学士院および関係機関の確認を待ちます」

 

「関係機関」

 

俺はその語を見た。

王宮。教会。学士院。商人。

関係したくない機関ばかりである。

 

モルガーヌは短く笑った。

 

「いい言葉ね。誰も喜ばず、誰も完全には怒れない」

 

「そんな文章、売れますかね」

 

バスティアンが真剣に聞いた。

 

セレスタンは少し考えた。

 

「売れにくいでしょう」

 

「駄目では?」

 

「命は残りやすいです」

 

俺は即座に頷いた。

 

「採用で」

 

バスティアンは悲しそうな顔をしたが、反論はしなかった。昨日からこの新聞社では、命が売上に勝つ瞬間が増えている。

良いことなのか、経営的に悪いことなのかは分からない。

 

俺はペンを取った。

月を黙らせる文章を書く。

神を出さず、民を作らず、商人に売らず、学者に刺されすぎず、魔女に笑われすぎない文章。

難易度が高い。三流新聞屋の仕事ではない。

 

「ミクラ氏」

 

セレスタンが言った。

 

「念のため確認します。月は、本当に何も言っていませんね」

 

俺はペン先を止めた。

モルガーヌの視線も、静かに俺へ向く。

窓の外では、荷馬車の車輪が石畳を離れていく音がした。

 

「……言っていません」

 

その一言を、どこまで紙に載せていいのか。

俺にはまだ分からなかった。

紙は、まだ白い。

 

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