締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第23話 月は何も言っていない

紙は、まだ白かった。

反省文が埋まらない学生気分をまだ味わうとは.....

俺はペンを持ったまま、訂正文の二行目を見つめていた。

俺は文字に詰まった。

嘘です。

その一言で終わると思っていた。いや、終わってほしかった。

だが、机の上には西海沿岸漂着物控えがある。王女の封書がある。教会の出頭要請がある。商人の帆船印の封書がある。

俺の嘘は、もう単独で座っていない。周りに勝手な椅子が増えている。

 

「では、どう書けば」

 

「月の民という表現は、記事上の装飾であり、実在を確認したものではない」

 

セレスタンが言った。

 

「弱くないですか」

 

「強く書くと燃えます」

 

モルガーヌが続けた。

 

「月の声、神の声、告げられた、授かった。全部避けなさい。あなたが言えるのは、紙面上の表現だった、確認済みの事実ではない、調査価値は別に検討する。この三つ」

 

バスティアンが少し身を乗り出した。

 

「分類した上で、売れる部分を残して記事にするのは?」

 

モルガーヌがほほ笑む

 

「編集長」

 

「黙る」

 

本当に懲りない品のない人だ…

 

俺は新しい紙に書き始めた。

『月の民という表現は、確認された実在の民族を示すものではありません。』

ここまで書いて、手が止まる。

 

「民族」

 

セレスタンが眉を寄せた。

 

「だめですか」

 

「民族と書くと、存在しない民族(神話の民)を想定して否定しているように読めます。表現、または紙面上の人物像でよい」

 

「人物像」

 

「それも少し強いですね」

 

世の中の謝罪文を書いている人たちはこんな細かい言葉尻を気にして書いているのだろうか。

三流記者は気にしたことがなかった。

 

正論が鋭い。

 

俺は書き直した。

『月の民という語は、紙面上の表現であり、確認された事実ではありません。』

セレスタンが頷く。

 

「次に、西海です」

 

「そこも嘘です、と」

 

「違います」

 

即答された。

 

「西海の向こうに陸があるかどうかは未確認です。虚偽と断定する根拠も、実在と断定する根拠もありません。だから調査価値と書く」

 

「俺の嘘なのに、嘘と言わせてもらえない」

 

「あなたの嘘と、世界の未確認部分を混同しないでください」

 

セレスタンの声は冷たいが、内容はまともだった。

まともだから逃げ場がない。

 

俺は書いた。

『西海に関する推測は、未整理の航海記録、漂着物控え、民間伝承を再確認するための仮説であり、確定した発見ではありません。』

 

バスティアンが小さく唸った。

 

「硬いな」

 

「命は残りやすいそうです」

 

「命は大事だが、読者は硬い文章で眠る」

 

「寝かせておいてください。火刑より睡眠です」

 

編集長は悲しそうな顔をした。

俺も少し悲しかった。三流新聞屋として、読者を眠らせる文章を書くのは敗北である。

だが、俺が心地よく寝られるほうが優先なのだ。

 

セレスタンは最後の行を指示した。

 

「本紙は今後、関係機関の確認を待ち、確認済みの事実と未確認の仮説を分けて扱います」

 

「本紙は」

 

俺はバスティアンを見た。

 

「編集長、これで訂正記事を刷ってください」

 

バスティアンは、刷り見本を見るように俺を見た。

 

「売れないが、刷る」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、欄外に小さく『詳細続報』と入れる」

 

「商売根性を完全に捨てない」

 

「捨てたら新聞社ではない」

 

そこだけは、少しだけ頼もしかった。

 

俺はようやく紙を読み返した。

月は何も言っていない。

月の民は確認された事実ではない。

西海は未確認で、調査価値はある。

関係機関の確認を待つ。

 

嘘です、と叫ぶより、ずっと長い。

ずっと退屈だ。

ずっと逃げにくい。

 

「これで、嘘だと伝わりますか」

 

誰もすぐには答えなかった。

セレスタンは台帳を閉じ、モルガーヌは窓の外を見た。バスティアンは紙面の余白を測っている。

 

やがてモルガーヌが言った。

 

「嘘だけではなかった、と伝わるでしょうね」

 

俺の胃が沈んだ。

 

「それが一番困るんですが」

 

「世の中は、あなたの都合で単純にはならないわ」

 

表口の鈴が鳴った。

今度の音は、丁寧すぎるほど丁寧だった。

バスティアンが外を見た。

 

「王宮の紋章だ」

 

俺は訂正文を握った。

月は何も言っていない。

だが、王宮はもう迎えに来ていた。

 

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