締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第24話 王宮馬車は断れない

王宮の紋章は、遠くから見るぶんにはきれいだった。

近くで見ると、威圧感を庶民に与える形をしていた。

 

表口の外に停まった馬車は、金ぴかではない。白い車体に百合と王冠の紋が控えめに入っている。控えめなのに、通りの人間が一歩ずつ下がった。

まるで、ご老公の印籠だ。

 

「お迎えに上がりました」

 

扉を開けて入ってきた男は、濃紺の上着に白い手袋をしていた。腰には剣。声は低く、礼儀正しい。

 

「ユーリ・ミクラ様でいらっしゃいますね」

 

「人違いです」

 

セレスタンが即座に言った。

「こいつです」

 

「せめて一拍考えさせてください」

 

「不敬ですよ。考える時間で、余罪が増えます」

 

余罪という言葉を、俺の人生に常用しないでほしい。

 

使者は顔色一つ変えず、胸元から細い書状を出した。

 

「シャルロット王女殿下の御意により、先日の記事に関する説明のため、王宮書記局までご同行願います」

 

ご同行。

 

バスティアン編集長が、俺より先に身を乗り出した。

 

「王宮書記局。正式にですか」

 

「正式に、です」

 

「当社の記者が王宮へ招かれるわけですな」

 

「説明のために、ご同行いただきます」

 

「招かれる、と書いても」

 

「説明のために、ご同行いただきます」

 

使者の声は一文字も揺れなかった。

編集長は、見出しを見つけた顔から、訂正欄を見つけた顔へ少しだけ戻った。

 

「……では、『王宮、記事筆者へ説明要請』くらいか」

 

「生きて帰ってから紙面の心配をしてください」

 

「生きて帰ったら特集を組む」

 

「戻らなかった場合を先に心配して」

 

「追悼特集は売れる」

 

俺は手元の訂正文を見た。

月の民という語は、紙面上の表現であり、確認された事実ではありません。

西海に関する推測は、未整理の航海記録、漂着物控え、民間伝承を再確認するための仮説であり、確定した発見ではありません。

硬い。退屈。命が残りやすい。

いまの俺には、三つ目が一番大事だった。

 

「その紙は持って行きなさい」

 

モルガーヌが言った。

 

「王宮で読むんですか」

 

「読まされるでしょうね」

 

「読み上げるの、苦手なんですが」

 

「苦手で持っていかなかったら、また口が勝手に走って碌なことにならないわよ」

 

俺の口は、最近の俺より行動力がある。

 

セレスタンは台帳から薄い紙を一枚抜き、俺の訂正文の下に重ねた。

 

「学士院の確認事項です。西海沿岸漂着物控え、民間伝承、未整理航海記録。この三つは調査価値として扱う。証拠とは言わない。発見とも言わない」

 

「はい」

 

「月の民、神託、啓示、授かった、告げられた。この類は避ける」

 

「はい」

 

「王宮で聞かれても、夢や声の話はしない」

 

俺の背中が一瞬だけ冷えた。

使者は無表情のまま立っている。聞こえたのか、聞こえなかったのか。分からない。

セレスタンは眼鏡の奥で俺を見た。

 

「比喩を比喩として注釈される人生、だいぶ末期ですね」

 

「末期にしないための注釈です」

 

外からざわめきが聞こえてきた。

通りに人が集まり始めている。パン屋の前掛け、靴屋の革屑だらけの手、配達少年の帽子。誰かが新聞を持っていた。

例の記事だ。見出しだけがきれいに切り取られている。出版社凸とかこの時代からあったのか?

 

「筆者だって」

 

「王宮に呼ばれたぞ」

 

「やっぱり本物だったのか」

 

「違います」

 

俺は小声で言った。

誰にも届かない。届いたとしても、慎み深い否定にされる未来が見える。

 

バスティアンが窓際から外を見た。

 

「すごい宣伝効果だ」

 

「俺の護送を広告にしないでください」

 

「護送ではない。王宮書記局への説明要請だ」

 

「編集長まで言葉を整え始めた」

 

「売るためなら学ぶ」

 

嫌な成長である。

 

使者は一歩横へ引き、扉の方を示した。

 

「馬車の準備はできております。王女殿下は、無用な混乱を避けるため、移動を望んでおられます」

 

無用な混乱。

俺はペンを置いた。

置いた瞬間、手にインクが付いていることに気づいた。拭う時間はない。三流新聞屋の手のまま、王宮へ行くことになる。

 

「上着くらい」

 

「そのままで」

 

使者が言った。

 

「そのまま?」

 

「筆者御本人の通常の姿で、とのお言葉です」

 

王女殿下、何を見るつもりだ。

宮廷用に整えられた俺ではなく、寝不足で、インクまみれで、訂正文を握った俺。

標本か。

標本だな。

 

モルガーヌが短く笑った。

 

「よかったわね。珍獣としての鮮度を評価されているわ」

 

「よくないです」

 

「暴れると肉質が悪くなって、価値が下がるわ」

 

「俺は競りに出されるんですか」

 

「王宮は値札を付けるのが上手い場所よ」

 

皮肉なのか忠告なのか、最近は区別がつかない。

 

セレスタンが俺の前に紙束を整えて差し出した。

 

「これを。順番を崩さないでください。一枚目が訂正文案、二枚目が学士院確認事項、三枚目が危険語一覧です」

 

「危険語一覧」

 

「あなたには必要です」

 

一番上に『神託』『啓示』『月の声』『月の民の実在』と書かれている。

地雷原の地図みたいな紙だ。俺の場合、地図を持っていても足元を見ない可能性がある。

 

バスティアンが俺の肩を叩いた。

 

「胸を張れ。君は《月桂冠通信》の名を王宮へ運ぶんだ」

 

「できれば別の人が運んでください」

 

「私が行くと、王宮で広告枠を売りたくなる」

 

「自覚があるだけ偉い」

 

「だから君だ」

 

納得したくない選抜理由だった。

 

俺は紙束を胸に抱え、表口へ向かった。

通りのざわめきが近くなる。馬車の扉の横で、御者が帽子を取った。近衛らしい二人が、通行人を下がらせている。誰も怒鳴らない。だから余計に怖い。

 

「ミクラ様」

 

様を付けられるたび、首の周りが寒くなる。

 

「これ、本当に断れないんですよね」

 

「王女殿下の御意です」

 

「断れないんですね」

 

「ご理解いただき、ありがとうございます」

 

理解していない。

ただ、理解したことにされた。

 

背後でバスティアンの声がした。

 

「ミクラ、紙面に載せられる範囲で見てこい」

 

「生存範囲で見てきます」

 

セレスタンが続けた。

 

「言葉を分けてください。確認済みの事実と未確認の仮説です」

 

「はい」

 

モルガーヌは何も言わなかった。

それが少しだけ怖かった。

 

俺は馬車の中へ足をかけた。

革張りの座席、磨かれた窓枠、薄い香の匂い。新聞社の湿った紙とインクの匂いとは別世界だ。

俺が座ると、外の人々がまたざわめいた。

 

「王宮へ行くぞ」

 

「筆者が」

 

「月の」

 

「違う」

 

俺の声は馬車の内側で小さく落ちた。

 

扉が閉まりかけた、その時。

白い車体の縁に、黒いドレスの裾が映った。

月蝕みたいな黒だった。

 

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