締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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月読み審問
第25話 魔女は同乗する


馬車の扉は、閉まる前にもう一つ面倒を乗せた。

黒いドレスの裾が白い車体の縁をかすめたと思った次の瞬間、モルガーヌ・ノクテールが当然のように足を踏み入れていた。

 

「失礼」

 

おそらくかけらも失礼と思っていない。

 

白手袋の使者が一瞬だけ止まった。

本当に一瞬だ。近衛らしい訓練された顔が、魔女という単語を飲み込み、礼儀へ戻るまでの短い沈黙。

 

「ノクテール様。王女殿下からは、ミクラ様をお連れするようにと」

 

「ええ。連れて行きなさい」

 

「同乗については」

 

「私が乗っている馬車で、彼を連れて行きなさい」

 

主語の暴力だった。

 

使者は俺を見た。

俺は何もできない顔で見返した。できれば、俺に判断を求めないでほしい。俺は今日、馬車に乗るか乗らないかの判断すら失敗している。

 

外の通りがまたざわめいた。

 

「魔女様だ」

 

「やっぱり本物の件なんだ」

 

「月蝕の魔女が同じ馬車に」

 

違う。

 

使者は短く頭を下げた。

 

「……承知いたしました。王宮まで、同道願います」

 

断れない人が、断れない人に断れないと言わされた。

権力の上澄みみたいな会話だった。

 

モルガーヌは俺の向かいではなく、隣に座った。黒いドレスが革張りの座席に広がり、香の匂いより冷たい月光の気配が勝った。

扉が閉まる。

世界が一枚、薄く遠くなった。

 

馬車が動き出すと、窓の外で人々が後ろへ流れた。パン屋の前掛け、靴屋の革屑だらけの手、切り取られた新聞の見出し。

王宮の馬車だから揺れないようにか、えらくゆっくり走っている。

 

「筆者が」

 

「王宮へ」

 

「魔女様と」

 

三つ並ぶと、もうただの見出しだった。

バスティアン編集長なら、帰るころには刷っている。いや、帰らなかったら追悼特集だった。どちらにせよ刷るのが腹立たしい。

 

「顔色が悪いわね」

 

モルガーヌが言った。

 

「王宮へ連れていかれる一般庶民としては、標準的な血色だと思います」

 

「一般庶民は王女の馬車に乗らないわ」

 

「乗りたくて乗ったわけでは」

 

「そこは黙っていなさい。王宮では、その言い方が一番危ない」

 

俺は口を閉じた。

馬車の車輪が石畳を越える音だけが、少しの間、室内に残った。

 

モルガーヌは俺の胸元を指した。

 

「紙束」

 

「訂正文案、学士院確認事項、危険語一覧です」

 

「順番は」

 

「一枚目が訂正文案。二枚目が確認事項。三枚目が危険語一覧」

 

「三枚目を一番上にしなさい」

 

「なぜ」

 

「あなたは一枚目を読みながら三枚目の言葉を踏むから」

 

否定できないのがつらい。一枚目を読んでいるとき、勝手に言葉を付け足して、それが三枚目に記載されている。

簡単に想像できる。

俺は紙束を入れ替えた。危険語一覧の一行目に『神託』とある。二行目に『啓示』。三行目に『月の声』。

地雷原でタップダンスをするのに変わりはないが。

 

「いい。王宮で最初に聞かれるのは、記事の根拠よ」

 

「根拠は、未整理の航海記録と漂着物控えと民間伝承を再確認するための仮説です」

 

「暗記しているなら、少しは生き残れるわ」

 

少し。

その表現を命に使わないでほしい。

 

「王宮は何をしたいんですか」

 

「あなたを罰するだけなら、使者はもっと静かに来る。あれは見せる迎えよ」

 

窓の外では、白い馬車を見送る人々がまだ月の方角を見上げていた。

昼の薄い月は、屋根の上にぼんやり残っている。あいつは何も言っていない。何も言っていないのに、俺のせいで発言者扱いされている。

 

「見せる、ですか」

 

「王宮は、民衆に『この騒ぎを把握している』と示したい。教会には『勝手に処理するな』と伝えたい。商人には『値札を付ける前に国家方針を待て』と思わせたい」

 

「俺、荷札ですか」

 

「失礼ね」

 

「違うんですか」

 

「荷札より面倒よ。勝手に喋るもの」

 

言い返せなかった。

勝手に喋った結果がこれだ。

 

馬車は大通りへ出た。石造りの商館の前で、ヴェルヌ商会の帆船印に似た看板が見えた。たぶん別の店だ。だが俺の胃は、看板の帆まで商人組合に見え始めている。

 

「商人は、あなたが隠している地図を欲しがる」

 

「ありません」

 

「ないなら、ないことを高く売る方法を探す」

 

「商人、怖いですね」

 

「新聞屋も似たようなものよ。空白に値札を付けるのが得意でしょう」

 

俺は胸を押さえた。

 

「教会は」

 

「月の言葉が、教会を通さず街に出たことを嫌がる。あなたが神の声を聞いたのか、月の民を見たのか、誰に告げられたのか。聞き方は柔らかいでしょうね」

 

「柔らかいのに怖いんですか」

 

「絹で首を絞めることはできるわ」

 

やめてほしい。

想像しただけで襟元が苦しい。

 

「では、何と言えば」

 

「人間の言葉だけで答えなさい。見た、聞いた、授かった、告げられた。これらは避ける。あなたが書いた。あなたが盛られた。あなたが確認できていない。ここまでは言っていい」

 

「俺だけが悪いみたいになりませんか」

 

「かなり悪いもの」

 

「かなり」

 

「全部ではないわ。そこは譲ってあげる」

 

譲られた。

ありがたくないのに、少しだけ息がしやすくなる。

 

俺は窓の外を見た。

王宮へ近づくにつれ、道幅が広くなり、建物の壁が白くなる。花壇の縁はまっすぐで、衛兵の槍もまっすぐだった。三流新聞社の歪んだ机とは別の世界だ。

だが、その白い道の上でも、切り取られた新聞を持つ人間がいた。

見出しだけが、手の中で小さな旗みたいに揺れている。

 

「俺の記事は、新聞の空白を埋めただけだったんです」

 

モルガーヌは笑わなかった。

代わりに、危険語一覧の端を指で押さえた。

 

「空白を埋める言葉ほど、よく燃えるのよ」

 

「燃やしたくて書いたわけでは」

 

「知っているわ。だから、あなたはまだ座席に座っている」

 

その言い方は、庇っているのか、脅しているのか分からなかった。

たぶん両方だ。

 

馬車の窓に、王宮の外壁が映った。高い白壁、金の百合、門の前に並ぶ近衛。遠くから見た王宮は絵はがきみたいだったが、近くで見ると人間を選別する装置に見える。

 

使者が外から声をかけた。

 

「まもなく王宮西門です」

 

俺は紙束を握り直した。

インクで汚れた指が、危険語一覧に黒い跡を付ける。三流新聞屋の手のまま、王宮の門をくぐる。

場違いにもほどがある。

 

モルガーヌが、俺の横で静かに言った。

 

「最初に覚えなさい」

 

「はい」

 

「神が言った、とは絶対に言わないこと」

 

「はい」

 

「月が命じた、月の民に聞いた、授かった、示された。全部だめ」

 

「はい」

 

「そして、黙れば助かると思わないこと」

 

「それは」

 

俺は思っていた。

いま、かなり思っていた。

 

モルガーヌの夜紫の瞳が、窓の白い光を受けて細く光った。

 

「黙ると、周りがあなたの代わりに喋るわ。新聞と同じよ」

 

門が開いた。

重い金具の音が、腹の底まで落ちる。

馬車は王宮の敷地へ入り、白い石畳の先で止まった。

 

扉の向こうから、別の使者の声がした。

 

「ユーリ・ミクラ様。白百合の間へご案内いたします」

 

扉が開く。

若い使者は、俺を見て、それから俺の隣を見た。

礼儀正しい顔が、ほんの少しだけ固まる。

 

「……ノクテール様」

 

「ええ。乗っていたわ」

 

「伺っておりませんでした」

 

「今、伺ったでしょう」

 

使者は一拍だけ沈黙し、すぐに深く頭を下げた。

 

「失礼いたしました。ユーリ・ミクラ様、ノクテール様。白百合の間の控え室へご案内いたします」

 

ここまで王宮が下手に出るのは過去何をやったのだろうか。

そして白百合。

きれいな名前なのに、被告席の匂いがした。

 

俺は危険語一覧を一番上にしたまま、馬車を降りた。

 




2部から王宮編です
次話から11:00頃の一日1話更新予定です

ここまで読んでくださってありがとうございます。
よければ評価等頂けると三流記者の寿命がちょっと延びます。
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