締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

33 / 33
第32話 初めての護衛対象

署名というものは、羽根ペン一本で人間の逃げ道を細くする。

 

白百合の間で俺は、庇護契約に名を書き、ミクラ処遇案に名を書き、訂正文案の下にも確認印の代わりに名を書いた。

 

「次」

 

シャルロット王女が、何事もない顔で紙をずらす。

 

「まだありますか」

 

「あります。月読顧問は書類を読む仕事です」

 

「局長代行は」

 

「書類から逃げない仕事です」

 

訂正文案は、朝から昼にかけて削られた。

月の民、神の言葉、告げられた、授かった、確定した大陸。

危険語は赤い線で消され、残ったのは、未整理記録、漂着物台帳、航海者証言、検証すべき仮説、という地味な言葉だった。

 

地味。

あまりにも地味。

新聞社でこれを見たバスティアン編集長がどんな顔をするか、想像するだけで胃が痛い。

 

「売れない訂正文になりました」

 

俺が小さく言うと、セレスタンが封筒の口を押さえながら答えた。

 

「訂正文は売るものではありません」

 

「編集長は売ります」

 

「では、売れない形にして正解です」

 

正論だった。

ただし、うちの編集長は正論を紙面の端へ追いやり、売れる部分だけ切り取って大見出しにする男である。

『月読顧問、王宮公認へ』くらいは平気で打つ。

俺の胃は、まだ刷られていない見出しで先に傷ついた。

 

夕方、ようやく王宮を出ることになった。

白百合の間を出る時、書記官が封蝋つきの封筒を俺へ渡す。

 

「訂正文案です。《月桂冠通信》編集長へ直接渡してください」

 

「はい」

 

「途中で開封した場合、王宮記録に残ります」

 

「開けません」

 

「紛失した場合も記録に残ります」

 

「落としません」

 

「第三者に写された場合も」

 

「俺は封筒ですか?」

 

王宮西門の外は、夕方の冷えた空気に変わっていた。

朝に連れてこられた時より、石畳の影が長い。

門番が俺を見る目も、今朝とは少し違う。

被告人を見る目ではない。

何か面倒な荷物に札が付いたのを確認する目だ。

 

近衛が二人、少し離れて歩くことになった。

俺のすぐ横にはモルガーヌ。

黒いドレスの裾が、夕方の石畳を静かに払っている。

 

「あの、これは護衛ですか」

 

俺は確認した。

正式な肩書きをもらい、給金も上がり、王宮出入り許可まである。

少しだけ偉くなった気がしたのだ。

 

「護衛よ」

 

モルガーヌはあっさり言った。

 

「本当に」

 

「ええ。あなたが刺されないように」

 

「思ったより物理的でした」

 

「あなたが逃げないように」

 

「護衛の中に監視が混ざっています」

 

「あなたが余計なことを喋らないように」

 

「監視が本体では?」

 

「気づけて偉いわ」

 

偉くなった気分が、王宮西門から三歩で剥がれた。

俺は護衛対象であり、逃亡防止対象であり、口封じ防止対象でもあるらしい。

出世するほど不自由になる。

 

新聞社へ戻れば、バスティアンがいる。

いや、いるとは限らない。

あの人は金の匂いがする場所へ外出していることも多い。

ただし、不在でも怖い。

不在の机に置かれた封筒を見て、「売れる」と判断する未来だけははっきり見える。

 

「封筒を新聞社に届けたら、俺の今日の仕事は終わりでしょうか」

 

「終わると思う?」

 

「思いたいです」

 

「願望と予定を混ぜると、また記事になるわよ」

 

混ぜたくて混ぜているわけではない。

俺の人生が勝手に紙面向けに混ざるのだ。

 

大通りを避け、近衛は一本細い道へ入った。

表通りには夕市の声が残っている。

こちらの路地は、石壁の間に荷車の跡が細く伸び、軒先の灯りがまだ少ない。

 

「人目を避けるためですか」

 

俺が聞くと、近衛の一人が短く答えた。

 

「騒ぎを避けるためです」

 

同じ意味のようで、少し違う。

人目を避けるのは俺のため。

騒ぎを避けるのは王宮のため。

どちらにしても、俺は避けられる側だった。

 

路地の曲がり角で、声が落ちてきた。

 

「ミクラ殿」

 

知らない男の声だった。

 

俺は足を止めかけた。

モルガーヌの指が、俺の袖を軽く押さえる。

止まるな、という合図だった。

 

壁際に、灰色の外套を着た男が立っていた。

顔は帽子の影で見えにくい。

商人にも、信徒にも、新聞屋にも見える。

こういう時、人間の顔は便利に曖昧になる。

 

「月の民の本当を、少しだけ聞かせていただきたい」

 

胃が、封筒より先に折れた。

 

「本当は、王宮が隠しているのでしょう。教会へ渡す前に、私どもへ。金なら出せます」

 

私ども。

誰だ。

その曖昧さだけで、すでに面倒事の匂いがする。

 

「人違いです」

 

俺は反射で言った。

 

モルガーヌが横目で俺を見る。

 

「名前を呼ばれていたわよ」

 

「では、職違いです。そういう本当を売る職ではありません」

 

「昨日まで売っていたでしょう」

 

「傷をえぐらないでください」

 

男が一歩近づいた。

近衛の手が剣へ寄る。

それより早く、モルガーヌの影が動いた。

 

夕方の路地に落ちていた細い影が、石畳の上をすべる。

黒い糸が引かれるようで、けれど糸よりずっと静かだった。

しかも、仕事が早い。

 

黒い線が男の足首に触れた。

次の寸刻、男は膝から崩れた。

悲鳴は出ない。

足だけが石畳へ縫いつけられたみたいに動かない。

 

男の袖から、小さな刃物が落ちた。

 

「動くな」

 

モルガーヌの声は、低くも大きくもなかった。

だが路地の温度が下がった。

 

男は震えたまま、両手を上げた。

近衛が駆け寄り、刃物を蹴って離す。

もう一人が王宮側へ合図の笛を吹いた。

 

俺は封筒を胸に抱えたまま、ようやく息を吐いた。

守られた。

たぶん、守られたのだ。

 

その実感はありがたい。

ありがたいのだが、同時に別の理解が追いついてきた。

前世から命の危機などあったことがない。

 

「モルガーヌさん」

 

「何」

 

「俺、もしかして、前より安全ではなくなってますか」

 

彼女は男の足元の影を押さえたまま、こちらを見た。

 

「ようやく局長代行らしい顔になったわね」

 

その顔は、たぶん胃痛の顔である。

 

近衛の笛に応じて、王宮側から複数の足音が近づいてきた。

石畳の上には、小さな刃物と、動けない男の影が残っている。

 

俺は新聞社へ戻る前に、まず王宮へ一人分の面倒事を返却することになった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ディストピアのネット友達が優秀すぎる(作者:名無しのペロリスト)(オリジナルSF/文芸)

ディストピア世界に転生した、元オタクOLは絶望した。▼飯がクソ不味いだけでなく、前世にあったサブカルチャーが絶滅していたのだ。▼それに都市に貢献しない者を生かしておくほど、アバシリシティは甘くない。▼だからと言って過酷な労働はしたくはないので、せめて身の回りの環境を改善するために仮想空間で色々していると、何故か上級市民のお嬢様がログインしてきて──。


総合評価:1031/評価:8.35/連載:15話/更新日時:2026年05月31日(日) 12:00 小説情報

元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル現代/冒険・バトル)

祖父の死に際、元ITエンジニアの御門悠真は、自分が「召喚師の家系」の末裔だと知らされる。▼御門家は、かつて神も悪魔も妖も精霊も呼び出した、万能召喚術の本家本元だった。▼だが、万能であるがゆえに術式はあまりにも複雑化し、始祖以降は衰退の一途を辿る。▼火だけを呼ぶ家、水神だけを祀る家、鬼だけを使う家――分家たちは属性や対象を絞ることで生き残った。▼一方、万能に固…


総合評価:1409/評価:8.63/連載:15話/更新日時:2026年05月28日(木) 21:53 小説情報

無自覚にヒロインを沼らせるソシャゲの凡人(自認)(作者:狐仮虎威)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

簡単な指揮と支援をするだけで天才だのなんだのとヒロインたちにチヤホヤされるけど、俺ってただの凡人だよな……? ※カクヨムでも連載中


総合評価:1282/評価:7.79/連載:7話/更新日時:2026年05月29日(金) 13:37 小説情報

(ガワだけ)胡乱なカードゲームおじさん(作者:十田心也)(オリジナル現代/冒険・バトル)

【バトルワールド】▼それはただのカードゲームに非ず▼それは世界中の人々を熱狂に導き、いまだ醒まさせない▼ある国では1枚のカードを手に入れるため、世界有数の富豪が一文無しになり都市が壊滅した▼またある国では、そのカードゲームが最も強い者が皆を率いるリーダーとなった▼長年争っていた両国が、1回のカードゲームの勝負で終戦に合意したこともある▼カードゲームの枠を超え…


総合評価:2944/評価:8.27/連載:16話/更新日時:2026年05月27日(水) 18:30 小説情報

現代日本の霊的事情が終わってる件(作者:RGN)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 環境汚染とか人口爆発とか某GHQさんの策略とかで霊的事情がガッタガタもガッタガタになってしまった現代日本。▼ 何なら世界の存続すら危ぶまれる事態に、国家が下した結論とは……!!▼ 神の化身系美少女「私と結婚して国のために命がけで戦ってほしいな」(唐突)(強制)(拒否権無し)▼ 俺「キレそう」


総合評価:1590/評価:8.31/連載:6話/更新日時:2026年05月07日(木) 22:47 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>