締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

37 / 37
王立月読局
第36話 王立月読局、看板だけ立つ


看板は、鍵より先に来た。

 

俺たちは王宮北側の通りに面した、古い事務棟へ案内された。

正確には、案内されたというより、王宮の使いに逃げ道を塞がれながら連れてこられた。

 

「こちらが月読局仮庁舎です」

 

王宮の使いは、まだ閉まっている玄関扉の前で誇らしげに言った。

 

古い石造りの二階建て。

窓の一つは板でふさがれ、玄関脇の植木鉢には土だけが入っている。

王立という言葉から想像する輝きは、少なくとも建物本体にはなかった。

 

だが、玄関前には職人が二人いた。

二人が抱えている横長の板だけは、妙にまぶしい。

黒塗りの板に、金箔の文字。

 

《王立月読局》

 

俺は文字を読んだ。

読んでしまった。

 

「仮称はどこへ行ったんですか」

 

「外れました」

 

王宮の使いは、当然のように答えた。

 

「シャルロット王女殿下の御裁可です」

 

王女の名を出されると、だいたいの抵抗は法的に弱くなる。

 

職人が梯子を掛け、玄関上へ看板を取り付け始めた。

木槌の音が、かん、かん、と石壁に響く。

その音を聞いて、道行く人が足を止めた。

 

「月読局だって」

 

「あれが月読顧問の」

 

「西へ行く役所か」

 

やめろ。

まだ鍵も開いていない。

中身のない役所に期待をかけるな。

中身はだいたい俺の胃痛だ。

 

モルガーヌは玄関脇の影に腰掛け、金箔の看板を少し楽しそうに見上げていた。

 

「立派ね」

 

「中身が立派になってから立派な看板を出すべきでは」

 

「あなたの記事も、根拠より見出しが先だったでしょう」

 

短い皮肉だった。

しかも事実だから、反論が弱い。

 

玄関が開くと、ほこりの匂いがした。

 

仮庁舎の中には、空き部屋が三つ。

脚の高さが合わない机が一つ。

背もたれの割れた椅子が二脚。

扉の外れた棚が一つ。

帳簿はない。

文箱もない。

インク壺はあるが、乾いて底で黒い石になっていた。

 

「王立」

 

俺は小さくつぶやいた。

 

「月読局」

 

言えば言うほど、部屋の空っぽさが際立つ。

 

王宮の使いは懐から紙を取り出した。

 

「月読顧問ユーリ・ミクラ殿。本日より、こちらを仮庁舎として使用してください」

 

「机は一つ、帳簿はなし、人員は今後検討。そういう理解で合っていますか」

 

「設立初日ですので」

 

俺は玄関へ半歩下がった。

 

「では、新聞社から私物を」

 

ということで逃げよう。

 

 

 

 

椅子が、きしりと鳴った。

 

俺は座っていない。

なのに、俺の膝裏に椅子が押し当てられ、体が自然にそこへ落ちた。

次の瞬間、椅子の脚から伸びた影が床に縫い付いていた。

 

モルガーヌが入口の影からこちらを見ている。

 

「座りなさい」

 

「椅子に縫い付けました?」

 

「逃げ道を塞ぐより品があるでしょう」

 

俺が椅子から立てないまま、最初の来客が来た。

 

 

4人同時に...

 

 

王宮事務官、教会の補佐役、商人組合の番頭、学士院から書類を届けた小使い。

四人は同時に空き部屋を見回し、一つしかない机を見て、最後に俺を見た。

 

「王宮より、最初の方針案の確認を」

 

「神託相談と誤解される問い合わせの扱いを」

 

「出資願い、調達希望、倉庫利用の窓口を明確に」

 

「学士院からは検証項目の様式案です。セレスタン殿より、表現が曖昧になりすぎる前に使え、と」

 

あいつ、本人が来る前から刺してくる。

 

「皆さん、順番に。まず机が一つしかありません」

 

商人組合の番頭が、床に空箱を置いた。

 

「こちらを台に」

 

月読局最初の物資支援は空箱だった。

 

王宮事務官が封書を開いた。

赤い封蝋には、王冠と百合。

紙にはシャルロット王女の整った筆跡があった。

 

「月読局は、三十日以内に次の三件を提出すること」

 

俺の胃が、提出前から沈んだ。

 

「一つ、西海調査の基礎資料目録。未整理資料、漂着物台帳、航海者証言、寄進記録、民間航路控えを含む」

 

教会補佐役がうなずいた。

学士院の小使いも紙束を抱き直す。

 

「二つ、偽情報対策案。民間の神託相談、偽月読み、便乗商法、誇大な新聞表現への対応を含む」

 

俺を見ないでほしい。

誇大な新聞表現の発生源がここにいます、という空気が部屋に満ちた。

 

「三つ、予算案。人員、帳簿、警備、調達、記録保管に必要な概算を含む」

 

「警備?」

 

思わず聞き返した。

 

王宮事務官は真面目な顔でうなずく。

 

「王宮文書、商会情報、教会監査資料、学士院の検証資料が集まりますので」

 

「まだ棚も壊れているのに、狙われる前提なんですか」

 

モルガーヌが入口から言った。

 

「看板を出した時点で、狙う人間は中身を想像するわ」

 

教会補佐役が小さな袋を差し出した。

中身は、今朝から教会に届いた相談の写しだった。

夢で銀の船を見た。月の民と文通したい。子どもの額のほくろは月の印か。

 

最後は薬師へ行け。

 

商人組合の番頭も紙束を出した。

 

「こちらは小口出資希望、帆布の先買い、保存食の売り込み、月読局公認表示の使用願いです」

 

「公認表示はやめてください」

 

「では、監修」

 

「もっとやめてください」

 

学士院の小使いは、ためらいがちに紙束を置いた。

 

「こちらは検証様式です。『確認済み事実』『推測』『根拠不明』を分ける欄があります」

 

「まともだ」

 

思わず言ってしまった。

 

小使いは少し胸を張った。

 

「オルセー殿が、月読顧問殿の言い換えは役に立つが、そのままにするとまた見出しになる、と」

 

褒めているのか、刺しているのか。

たぶん両方だ。

 

けれど、少しだけ胸の奥が軽くなった。

神託ではなく、記録。

見出しではなく、台帳。

逃げ道のつもりだった言葉が、使える形に直されようとしている。

 

その直後、王宮事務官が言った。

 

「では、月読顧問殿。本日のうちに仮運用方針を一枚で」

 

軽くなった胸に、即座に重しが載った。

 

「一枚で済みますか」

 

「最初は一枚で。明朝、詳細を三枚で」

 

「増える前提」

 

「王立ですので」

 

王立という言葉が、だんだん嫌いになってきた。

 

そこから半刻ほど、俺たちは空箱を机にして、書類を分けた。

王宮は命令。

教会は相談。

商人は金。

学士院は様式。

 

モルガーヌは入口の影に座ったまま、時々だけ口を挟んだ。

 

「神託相談は受けない」

 

「未確認の噂を商品にしない」

 

「燃やすなら、先に写しを取る」

 

「最後のは怖いです」

 

「燃やす必要が出る書類は、だいたい写しがない時に限って重要よ」

 

経験者の声だった。

俺は素直にうなずいた。

 

夕方近く、ようやく最初の仮運用方針ができた。

 

月読局は神託を扱わない。

西海に関する情報は、確認済み事実、推測、根拠不明に分けて記録する。

民間の公認表示は、正式な書面がない限り認めない。

危険語は、公表前に王宮、教会、学士院、商人組合の確認へ回す。

 

地味だ。

眠い。

正しい。

 

そして仕事が多い。

 

王宮事務官は紙を受け取り、満足げにうなずいた。

 

「よい初日です」

 

「看板と空箱と胃痛だけで、よい初日なんですか」

 

「初日から方針が一枚出ました」

 

評価基準が役所だ。

 

その時、玄関の外で騒ぎが起きた。

見物人の声ではない。

もっと切羽詰まった声だった。

 

「月読局の方は、どなたですか!」

 

中年の女性が、王宮衛兵に付き添われて駆け込んできた。

手には小さな布袋を握っている。

袋の口には、赤い蝋のようなものが雑に塗られていた。

 

「市場で買わされたんです。月読局公認だから、持っていれば西海の幸運が来るって」

 

部屋の全員が俺を見た。

 

「まだ、印章も作ってません」

 

俺は言った。

 

女性は布袋を机代わりの空箱に置いた。

蝋の表面には、下手な百合と、読みにくい文字が押されている。

 

《王立月読局公認》

 

看板が立ってから、まだ半日も経っていない。

 

モルガーヌが影の中で、ひどく楽しそうに笑った。

 

「中身ができる前に、偽物ができたわね」

 

俺は布袋を見た。

金箔の看板は、夕方の光を受けて玄関の外でまぶしく光っている。

 

王立月読局は、まだ帳簿もない。

それなのに、最初の仕事だけはもう届いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ディストピアのネット友達が優秀すぎる(作者:名無しのペロリスト)(オリジナルSF/文芸)

ディストピア世界に転生した、元オタクOLは絶望した。▼飯がクソ不味いだけでなく、前世にあったサブカルチャーが絶滅していたのだ。▼それに都市に貢献しない者を生かしておくほど、アバシリシティは甘くない。▼だからと言って過酷な労働はしたくはないので、せめて身の回りの環境を改善するために仮想空間で色々していると、何故か上級市民のお嬢様がログインしてきて──。


総合評価:2021/評価:8.56/連載:24話/更新日時:2026年06月05日(金) 00:00 小説情報

元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル現代/冒険・バトル)

祖父の死に際、元ITエンジニアの御門悠真は、自分が「召喚師の家系」の末裔だと知らされる。▼御門家は、かつて神も悪魔も妖も精霊も呼び出した、万能召喚術の本家本元だった。▼だが、万能であるがゆえに術式はあまりにも複雑化し、始祖以降は衰退の一途を辿る。▼火だけを呼ぶ家、水神だけを祀る家、鬼だけを使う家――分家たちは属性や対象を絞ることで生き残った。▼一方、万能に固…


総合評価:1461/評価:8.51/連載:15話/更新日時:2026年05月28日(木) 21:53 小説情報

無自覚にヒロインを沼らせるソシャゲの凡人(自認)(作者:狐仮虎威)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

簡単な指揮と支援をするだけで天才だのなんだのとヒロインたちにチヤホヤされるけど、俺ってただの凡人だよな……? ※カクヨムでも連載中


総合評価:1443/評価:7.7/連載:7話/更新日時:2026年05月29日(金) 13:37 小説情報

(ガワだけ)胡乱なカードゲームおじさん(作者:十田心也)(オリジナル現代/冒険・バトル)

【バトルワールド】▼それはただのカードゲームに非ず▼それは世界中の人々を熱狂に導き、いまだ醒まさせない▼ある国では1枚のカードを手に入れるため、世界有数の富豪が一文無しになり都市が壊滅した▼またある国では、そのカードゲームが最も強い者が皆を率いるリーダーとなった▼長年争っていた両国が、1回のカードゲームの勝負で終戦に合意したこともある▼カードゲームの枠を超え…


総合評価:3088/評価:8.25/連載:17話/更新日時:2026年06月03日(水) 18:30 小説情報

現代日本の霊的事情が終わってる件(作者:RGN)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 環境汚染とか人口爆発とか某GHQさんの策略とかで霊的事情がガッタガタもガッタガタになってしまった現代日本。▼ 何なら世界の存続すら危ぶまれる事態に、国家が下した結論とは……!!▼ 神の化身系美少女「私と結婚して国のために命がけで戦ってほしいな」(唐突)(強制)(拒否権無し)▼ 俺「キレそう」


総合評価:1630/評価:8.21/連載:6話/更新日時:2026年05月07日(木) 22:47 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>