締切で月に吐いた嘘が、王国予算になりました ~三流記者の適当な新大陸予言を、月蝕の魔女だけが嘘だと知っている~   作:喧々鰐々

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第3話 三つの名を持つ聖なる芋

 

見出しを三倍にする、というのは比喩ではなかった。

 

バスティアンは本当に、俺の原稿の上に赤い線を引き、紙面の中央を指何本分で測り始めた。俺の寿命が少しずつ削られていく。

 

「編集長、三倍は大きすぎます」

 

「大きすぎる見出しはない。勇気をだせ、尻込みするな。」

 

「勇気で紙面を圧迫しないでください」

 

「圧迫ではない。読者への抱擁だ」

 

この人の抱擁は、だいたい俺の首を絞める形をしている。

 

俺が書いた記事は、少なくとも本文だけならまだ逃げ道があった。月の民が見た、かもしれない。西の海の向こうに大地がある、かもしれない。古い船乗り話を組み合わせれば、そう読めなくもない。そんな程度の、新聞屋としての自己防衛を備えた怪奇記事だった。

 

ところが見出しは違う。

 

見出しは目線をつかむ。本文が「かもしれません」と震えて小さくなっている横で、見出しは「事実だ」と大きな声で叫ぶ。前世の雑誌もそうだった。

 

本文を読めば引き分けの戦なのに、表紙だけは敵の損害だけ並べて勝った顔をしている。

 

新聞屋が本気を出せば、変な噂をまき散らして世界を滅ぼすことだってできるかもしれない。

 

その速度は魔法より速いかもしれない。

 

「問題はここだ」

 

バスティアンが原稿の中ほどを叩いた。

 

俺は反射的に身構えた。そこには、西の海の向こうにあるかもしれない土地の暮らしについて、ほんの少しだけ触れた一段落がある。

 

ほんの少しだけだ。

 

前世の記憶の底に、土の中から掘り出す白っぽい塊があった。茹でる。焼く。潰す。腹にたまる。貧しい土地でも育つ。たしか飢饉を救ったり、逆に病気で大変なことになったりした。じゃがいものことだ。

 

自信がないものは、断定しない。

 

三流記者としてではなく、火刑台に乗りたくない人間として当然の判断である。

 

だから俺は、こう書いた。

 

『西方の地には、土中で育つ保存食があるとの古い話も残る。飢えに強い根の作物、あるいは白い塊茎のようなものかもしれない』

 

「本当にあるかもわからない植物なので」

 

「臆病とも言うが、今回は許す」

 

「許すならこのまま載せてください」

 

「だが、売れない」

 

許していない。

 

バスティアンは俺の文章の横に、さらさらと別の文を書き始めた。丸眼鏡の奥が妙に輝いている。暗殺者が、刃物の切れ味を確かめる時の目をしている。

 

「土中で育つ保存食、では表現が固い」

 

「保存食の話ですから」

 

「読者が土のにおいを想像してしまう」

 

「それは具体的でいいのでは」

 

「地味だ」

 

地味。

 

その一言で、前世のじゃがいもに属性が追加されていく。

 

バスティアンはまず、『土中に眠る白き月の実』と書いた。

 

俺は椅子の背を握った。

 

「編集長」

 

「なんだ」

 

「月が増えました」

 

「月の記事だからな」

 

「土の中に眠っている時点で月ではないです」

 

「白いのだろう」

 

「切ったらたぶん白いです」

 

「なら月だ」

 

理屈があまりにも雑だった。

 

バスティアンは続けて、『飢えを退ける根』と書く。

 

これは、まだ分かる。少なくとも根ではある。たぶん根ではない可能性もあるが、この世界で塊茎と根の違いを説明するとなると、俺の知識が足りない。

 

「これはまあ、まだ」

 

「まだ、という顔はよくない。記事は胸を張れ」

 

「俺は背中を丸めて目立たず生きていきたいです」

 

「背中を丸める記者の記事は売れん」

 

バスティアンは少し考えた。

 

俺は祈った。

 

どうか、せめて地味でありますように。土くさく、台所くさく、読者が「ふうん」と言って切り取る程度の言葉でありますように。

 

祈りは届かなかった。

 

『西の地が授ける第三のパン』

 

「待ってください」

 

俺はついに立ち上がった。

 

「パンではありません」

 

この世界でもパンは神の体を象徴する神聖なものとみられることがある。どこでも主食は神聖なものになるのだろうか。稲も麦も。

 

「主食になるかもしれんのだろう」

 

「かもしれませんが、パンではありません」

 

「第一のパンは麦から。第二のパンは祈り」

 

「第二がもう食べ物じゃない」

 

「だから第三が映える」

 

映えないでほしい。

 

俺は紙面の端に並んだ三つの文句を見た。

 

『土中に眠る白き月の実』

 

『飢えを退ける根』

 

『西の地が授ける第三のパン』

 

俺の書いた慎重な一文は、いつの間にか三つの名を持つ何かになっていた。しかも月の実とか授けるとか、宗教的な匂いがする。月と太陽の教会が雨雲の向こうからこちらを見ている気がした。

 

だがこの国では、建物より人間のほうが余計な意味を見る。

 

「これ、教会に怒られませんか」

 

「三流新聞で怒るほど教会も暇ではない」

 

「月の実って書いてます」

 

「比喩だ」

 

「その比喩で人が実際に燃えるのでは?」

 

俺は赤い線の下に、小さく注記を書こうとした。

 

『なお、以上は古い船乗り話と筆者の想像を含む表現であり、当該作物の実在を保証するものではない』

 

バスティアンが俺の手首を押さえた。

 

「長い、こうしよう」

 

彼は注記を半分ほどに縮めた。

 

『諸説あり』

 

「短すぎる」

 

「新聞における万能の盾だ」

 

「紙の盾ですよね」

 

「新聞社を守る盾だ。書き手までは知らん」

 

知ってほしい。俺が書き手だ。

 

奥の印刷室から、活字工の声が飛んできた。

 

「編集長、中央の見出しは決まりですか!」

 

「決まりだ! 月の民と西の大陸で組め!」

 

「囲みは?」

 

バスティアンは俺を見た。

 

嫌な予感がした。今日だけで嫌な予感が何度も来ている。胃の中で嫌な予感たちが席を取り合っている。

 

「この根の作物を囲み記事にする」

 

「やめましょう」

 

「三つ名がある作物は売れる」

 

「作物に三つ名を付けたのは編集長です」

 

「名付けた者には責任がある」

 

「今、俺を命名権者にしました?」

 

バスティアンは答えず、活字工へ紙を渡した。

 

「大きく組め。読者が切り取って台所に貼れるくらいにな」

 

台所に貼るな。

 

俺は心の底から思った。もし本当にそんな作物がどこかにあるなら、そいつはただ土の中で静かに育って、鍋に入れられ、腹を満たすだけの健気な存在のはずだ。月の実でも、第三のパンでも、聖なる何かでもない。なんなら毒であたるかもしれない。

 

俺は初めて、まだ見ぬ芋に謝りたいと思った。

 

「ユーリ」

 

バスティアンが満足そうに言った。

 

「これは売れるぞ」

 

「売れたら困るものもあるんです」

 

「売れてから考えろ。売れなかったものに責任は発生しない」

 

それはたぶん、新聞屋として最低の真理だった。

 

そして困ったことに、この職場では最低の真理ほど活字になるのが早い。

 

印刷室の奥で、かちり、と鉛の活字が置かれる音がした。

 

『三つの名を持つ聖なる芋』

 

誰もまだ、そんな題名を書いていない。

 

なのに俺にはもう、その文字が紙面の上で待っている気がした。

 




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