「未来の警察から、追われている……?」
僕の口から出た言葉に、小5のアホのび太が、目を丸くしてオウム返しに呟いた。その隣で、ドラえもんがヒゲをピクピクと動かして訝しげな顔をする。
「未来の警察って……『タイムパトロール』のこと? だとしたら、のび太くん、君は一体未来でどんな悪いことをしたんだい!?まさか、歴史を変えるような大犯罪を……!」
ドラえもんにとって、TPとは時間犯罪を取り締まる正義の絶対的組織だ。彼らに追われているということは、僕がとんでもない極悪人に成り下がってしまったとでも思っているのだろう。
「悪いことなんてしてないよ。ただ、自分の頭で考えて、現代のガラクタだけでタイムマシンを作っただけさ。……まあ、彼らのルールに違反したのは事実だけどね。でも、僕たちを追っているのはTPだけじゃない」
僕は言葉を区切り、窓の外の茜色の空を見つめながら続けた。
「もう一つ。『TVA』っていう警察にもね」
「てぃー・ぶい・えー……?」
ドラえもんは首を傾げた。
「そんな組織、僕の時代の22世紀には存在しないはずだけど。TPの上部組織か何かかい?」
「知らないのも無理はないよ。だって彼らは、時間や宇宙の完全に外側に存在している組織だからね」
僕の言葉に、ドラえもんとアホのび太はポカンと口を開けた。彼らの原始的な理解力を超えていることは百も承知だ。
「宇宙の外側って……宇宙の果ての、もっと向こうってこと?」
アホのび太が、トンチンカンな質問をしてくる。
「いや、空間的な距離の話じゃない。……おい、少年。こいつらに理解させるのは時間の無駄ではないか?」
後ろで腕を組んでいたカーンが、苛立たしげに口を挟んだ。
「まあそう言わずに。彼らにも状況を把握してもらわないと、協力もしてもらえないからね」
僕はカーンを制し、ドラえもんたちにできるだけ噛み砕いて説明を始めた。
「僕たちが住んでいるこの宇宙には、過去の選択によって枝分かれした無数の『平行世界』が存在する。でも、そのTVAっていう組織は、自分たちに都合のいい歴史、彼らが『神聖時間軸』と呼ぶたった一つのタイムラインだけを残して、他のすべての宇宙を消去してしまったんだ」
「宇、宇宙を……消去……?」
ドラえもんの声が震えた。彼のお腹の四次元ポケットには星を砕く爆弾が入っているが、「宇宙そのものを無かったことにする」というスケールの話は、彼の安全な人工知能の許容範囲を超えている。
「そうさ。そしてそこにいるカーンは、そのTVAに逆らって捕まっていたんだ。……彼は昔、無数の宇宙を征服していたらしいんだけどね。時間の外側にある『未規定の牢獄』に閉じ込められていた」
「せ、征服……!?」
アホのび太が、悲鳴のような声を上げてドラえもんの背中にへばりついた。
「やっぱり怖いおじさんじゃないか!宇宙を征服しようとしたって……映画の悪役みたいなこと言ってるよ!」
「口を慎め、過去のガキ」
カーンが鋭い眼光で睨みつけると、アホのび太は「ヒィッ」と声を漏らして完全に縮み上がった。
僕は苦笑しながら話を戻す。
「僕も、僕が自力でタイムマシンを作ったことを『犯罪だ』とみなすTPに捕まって、その牢獄に放り込まれた。そこでカーンと出会って、二人でシステムをぶち破って……この世界に逃げてきたってわけさ」
僕の怒涛の告白を聞いて、ドラえもんは頭を抱え、ショート寸前の回路を必死に冷まそうとしているようだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。のび太くんが自力でタイムマシンを……?平行世界……?宇宙の外側……?情報が多すぎて、僕の頭じゃ処理しきれないよぉ……」
「まあ、全部を理解しなくていい。でも、君たちにも関係のある、もっと『不可解なこと』があるんだ」
僕は部屋の中央を歩き、畳の上に座り込んだ。 そして、真剣な眼差しでドラえもんを見た。
「ドラえもん。君は僕を『まっとうな大人』にするために、セワシくんから送り込まれてきたんだよね。君が来て、僕が少しずつ成長し、やがて未来がマシな方向へ変わる。それがTPが本来認めている『正しい歴史』のはずだ」
「う、うん。そうだよ。それが僕の使命だし、航時法でも保護されている歴史の範囲内だ」
「じゃあ、考えてみてよ」
僕は眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「僕は、君たちの介入なしに自力で『天才』に覚醒した。その時点で、僕の未来は完全に書き換わり、セワシくんの借金も消え、僕の未来は全く別の形になった。……本来のタイムトラベルのルールなら、その時点で歴史は上書きされて、この『僕がマヌケなままで、ドラえもんに泣きついている過去』は消滅していなきゃおかしいんだ」
僕の指摘に、ドラえもんの丸い目が限界まで見開かれた。
「あ……」
「でも、現実には君たちはこうして存在している。……つまり、この世界は僕がいた時間軸から切り離されて分岐した『別の世界』として、そのまま残っているということだ」
僕は部屋の窓ガラスを指差した。
「でも、おかしいじゃないか。TPは、自分たちの決めた『一本道の歴史』を守る組織だ。もし僕が天才に覚醒したことが『イレギュラーな分岐』だとしたら、TPは僕の存在を真っ先に消去して、君たちのいるこの歴史を『正史』として元に戻すはずだ」
ドラえもんはコクンと頷いた。
「うん……そうだね。TPがそんな大きな分岐...?を放置するはずがないよ。ましてや、僕たちがこうして別の世界として残っているなんて……」
「そうだ。でも、TPはそうしなかった。彼らは僕がもたらした『天才としての利益』を甘んじて享受し、僕がタイムマシンを作ってルールを破るまで、僕を放置していた」
僕は壁に寄りかかるカーンを見上げた。
「考えられる可能性は一つだ。TPの連中は、僕の作った都合のいい未来を『正史』として乗っ取り、その代償として生じた矛盾……つまり、君たちがいる『本来の正しい歴史』の方を、時空の死角に隠蔽したんだ」
「隠蔽……?どうしてTPがそんなことを?」
アホのび太が、恐る恐る口を挟む。
「さあね。本来の歴史を消してしまうと、宇宙の土台が崩れちゃうから消せなかったのかもね。だとしても、もし連中が自分たちの都合のいい歴史だけを享受しながら、ルールに反してこの世界を裏でこっそり保存しているとしたら……連中はただの警察じゃない。歴史を横領している、腐りきった犯罪組織だ」
僕は冷たく吐き捨てた。
「でも、そんなのあり得ないよ!」
ドラえもんは、必死に首を振った。
「TPは厳しいけど、歴史を守る立派な組織だ!彼らがそんな、世界を隠したり、ルールを破ったりするようなことをするはずがない!だって、TPにはそんな力は……平行世界を丸ごと切り離して隠すなんて、そんな神様みたいなことができるわけない!」
ドラえもんの叫びは、歴史の守護者への信頼というよりも、自らの存在意義が根底から揺らぐことへの恐怖から来るものだった。
「そう、その通りだ。彼ら自身のオリジナル技術では絶対に不可能だ」
僕はドラえもんの言葉をあっさりと肯定し、静かに目を細めた。
「だからこそ、彼らは『誰か』から技術を借りたんだよ」
「……借りた?」
ドラえもんが呆然と聞き返す。
「僕を逮捕し、連行したあの青いポータル。あれはドラえもん、君たちが使っているような四次元空間を経由するタイムマシンとは根本的に違う、次元の壁を直接書き換える代物だった。……おそらくTPの上層部は、あのTVAという宇宙の外側の組織の圧倒的な力に怯え、彼らから何らかの形で『技術の劣化版』を受け取ったんだ。そして、そのポータル技術を使って、自分たちの繁栄の矛盾であるこの世界を時空の死角に隔離した」
僕の推理を聞き、それまで黙って腕を組んでいたカーンが、低く喉を鳴らした。
「……なるほど、腑に落ちたぞ」
カーンは忌々しそうに、しかしどこか納得したように頷いた。
「TPの奴らはTVAのシステムと何らかの密約を交わし、技術の残飯を貰い受けて、自分たちの世界の矛盾を隠し通しているというわけか。……どこの次元でも、官僚どものやる汚職は変わらんな」
二つの巨大組織の間に横たわる、いびつな共犯関係。それが僕の仮説だった。
その時、部屋の隅で縮み上がっていたアホのび太が、震える声で口を開いた。
「じゃあ……僕たちは……」
彼の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「都合の悪いゴミとして……ずっとこの箱庭に閉じ込められているの……?誰にも気づかれないまま……一生、ここに……?」
彼の声には、絶望と、言いようのない無力感が滲んでいた。
未来を変えるためにドラえもんと一緒に頑張ってきた日々が、実は誰かの都合で隔離された水槽の中の出来事に過ぎなかったという残酷な現実。
僕は、過去の自分を見つめた。泣き虫で、弱くて、誰かにすがりつくことしかできなかった少年。
かつては軽蔑し、切り捨てた『過去の自分』。しかし、今この瞬間、僕の胸の奥底に湧き上がってきたのは、彼に対する嘲笑ではなく、この理不尽なシステムを作り上げた未来の権力者たちに対する、絶対的な嫌悪と怒りだった。
「……泣くなよ」
僕は静かに、しかし冷酷な決意を込めて言った。
「君たちは、未来の既得権益を守るための『見えない土台』として生かされているだけだ。自由意志なんて、最初からなかったんだよ。……でも、安心していい」
僕は眼鏡を外し、シャツの袖でレンズを拭きながら、冷たく笑った。
「僕が、未来の警察の化けの皮を全部剥がしてやる。僕の才能も、君の日常も、誰かの都合の良いように管理されていいはずがないんだ。……連中の作ったこの箱庭ごと、全部ぶち壊す」
夕日が差し込む四畳半の部屋。僕の言葉を聞いたドラえもんとアホのび太は、ただ言葉を失い、静かに座り込んでいた。
「フン……」
カーンが、僕の横顔を見てサディスティックな笑みを浮かべた。
「過去の情けない貴様よりは、今の貴様の方がいくらかマシな目をしているな、少年。……どうやら、私の蒔いた種は最高の形に育ったようだ」
茜色の光が、僕たちの長く歪な影を畳の上に落としていた。
僕たちの「退屈しのぎ」は、もう終わった。ここから始まるのは、すべての歴史の法則を捻じ曲げる、未来の神々への完全なる反逆であった。