倭寇の頭目の中でもオンテギの名は殊更に著名であった。
『四海を統べる倭寇の大頭目オンテギ』の名前は北京の皇帝の耳にも、京の帝の耳にも、はたまた南方の島嶼部の諸王の耳にも、白人商人の耳を介して西欧の諸国家にも痛いほどに聞こえてきていたのだった。
他方、庶民、下民、平民ら民草にとってその名は、王侯にとっての耳の痛い悩みの種ではなく、ある種の愉快痛快の種であり、話題に尽きない娯楽の種でもあった。
オンテギ一家が襲い、奪うのは専ら諸侯や豪商の、それも阿漕に稼いでは蓄財に勤しむ輩の商船や軍船ばかりであったし。
彼らが手に入れた奴隷から枷を外して飯を腹いっぱいに食わせる話は誰もが知るところであったのだ。
大頭目として知られるオンテギ自身についても、百戦百勝の常勝将軍として名前を馳せていたし、戦わせれば一騎当千。終いには、槍でも矢でも石火矢でも殺せないときたものだ。
世間の人々は口勝手にオンテギを持て囃し、或いは貶めて遊んだ。
曰く、オンテギは金剛力士像に魂が吹き込まれて生まれた現人神であるとか。
曰く、オンテギは人食いの化け物で、獲物になった人間の生き血を啜ってその力を自分のものにしているのだとか。
噂の半分はと言えば、為政者の流したデマゴーグであったにしても、槍でも矢でも石火矢でも殺せないことは事実である当たり、噂のもう半分には信ぴょう性が否めなかった。
兎角、そんなこんなでオンテギの名前と所業はアジアの隅々、果ては西欧の諸侯の耳にまで届いていたのであり、世界広しと言えどもこれ以上に荒唐無稽な海賊もおるまいと誰からも思われていたのだった。
奴隷貿易、勘合貿易、密貿易、胡椒貿易…時の列強諸国の国家事業の粗方に唾吐くが如きオンテギの所業。
それは彼自身は全くの無知無関心であり、それを成し得る程度には神懸った強みを持ち得たからこそできたことであったのだろう。
事実、彼の関心ごとは五千とも一万ともに膨れ上がった大船団の構成員の野郎どもと自分自身の口の心配であり、腹一杯の飲食と清潔な環境が保証されていることだけだったのだから。
そのために世界の半分を敵に回していることになど、彼にとっては全く以て意味不明、未知かつ無関心のことである。
さて、そんな男に唆されたエボシとゴンザはと言えば、凡そ三千からなる荒くれ者どもと数十隻の大型船を率い、金銀硝石火薬石火矢を満載して、一路日ノ本へと向かい、その地で拠点開発に勤しんでいた。
凡そ中小国家の財産に相当する金銀と、明の正規軍崩れの石火矢衆に加えて、徳あり知勇ありの女傑エボシに経験豊富な倭寇の副頭目ゴンザが総力を挙げて挑んだ陸上拠点開発の進捗は、決して穏やかならざるものではあったが、常に前進邁進の程限りなかった。
エボシは海端の廃村に一時拠点を構えると、そこから内陸部への浸透を開始した。
方々へと人を遣り、金を遣り、情報と物資と使える人間も、使いようのある人間も、使えなくても生きていて欲しい人間をも掻き集め始めた。
この間にも数十の大型船は海運と海賊働きとで大活躍である。
だから、小さな海端の廃村が見違えて、ちょっとした貿易港に姿を変えるのも瞬く間のことであった。
港湾を整備し、鐚銭を集めて明国由来の灰吹き法を実践し、そして石火矢の安定供給のために製鉄工房を整備し始めたのである。
引き連れてきた荒くれ者どもと、新しく掻き集めた働き手とは棲み分けが行われ、前者は常備軍として外に備え、後者は働き手として老若男女、病気の者も怪我人も構わず雇い入れた。
棲み分けの結果、必然、港湾部の拠点は三重の囲いを組みながらも拡大を続けていき、最も危険な外側を荒くれ者どもが守り、ゴンザが治安を一手に引き受け綱紀を引き締めた。
その内側には兵隊ではなく労働者として働く男が集められて暮し、さらに内側の内城と呼ばれる場所には女や病人らが集められて暮らし、三重層の最深部にはオンテギとエボシのための廓が建設されていて、これは御城とか天主閣と呼ばれた。
巨大な拠点の中には製鉄場、石火矢工房、火薬工房、公衆浴場、大食堂、宿舎などの施設が整備され、公衆浴場と大食堂の火には製鉄場の余熱が利用されており、宿舎には個室と灯火が設けられるなど同時代の基準から考えてみれば至れり尽くせりであった。
とはいえ課題もあった、それは兎に角なにをするにしても大量の木材を必要としたということである。
だがこの課題は問題にはならなかった。
というのも、販路は近隣だけではなく、海賊働きをしていた頃の知己を通じて、明の、朝鮮の、南方の商人や海にほど近く、またオンテギの恩恵を受けてきた集落から買い集めるだけでも、生木の山ができて海に浮かべて保管するほど、文字通り有り余るほどに手に入ったからである。
傍目から見ても目覚ましい発展を遂げつつも、確かに地に足の着いた安定感のある走りだしで、オンテギ一家の陸上拠点というよりは、田畑まで含んだ一種の総構え形式の巨大城は一段落を迎えつつあったのだ。
概ねの経営が成り立つようになったと見たエボシはゴンザを使者に立てて、確実な伝達の為にも護衛の為の船も総浚いでオンテギの元へと走らせた。
あとはゴンザがオンテギを連れて戻り、拠点に辿り着けば全てがうまくいくはずだった。
しかし、ここで、この時を、エボシたちが一時的に無防備になる時を待ち構えていた勢力があったのである。
それはこの地の有力な領主であり、大侍として知られた浅野公方ことアサノであった。
この強欲な侍はエボシたちの勢力がたっぷりと財産を蓄えていることも、それが他に代えがたい重要な戦略物資である鉄に加え、金銀銅に材木の山であることまで、出入りの人間を通じて理解していたのである。
そして、いつかは必ずこれらを丸ごと我が物としてやろうと考えて、エボシたちが決定的な隙を見せる瞬間を虎視眈々と伺っていたというわけである。
彼の視点からすると、エボシの勢力は腐っても倭寇であり、その力の源は数十を数える大型船に違いなかった。
見たこともないような大型のものも含めて、これらの船舶こそがエボシ達を強者たら占める理由であり、この、俗に言う鉄を生む『タタラ場』の独立を象徴する権力そのものだと考えられていたのだ。
アサノが『タタラ場』を狙っていることなど周知の事実であり、これまでも幾度となく併合する為の試みを行ってきたし、小競り合いを繰り返してきたとはいえ、その度に海岸線に並ぶ船から飛んでくる鉄の玉から脅かされて手も足も出てこなかったのである。
だが、それも何もあの大船団がありきのこと…だと信じ込んだアサノは、この瞬間、大船団が大頭目をお迎えに上がるために、或いは海運の商いの為に全て出払い、そして『タタラ場』が完全に無防備になった瞬間を見て、我が身にこそ機運が訪れたことを確信したのであった。
こうして、アサノは大きな決断を下す。
「今こそ出陣の時、『タタラ場』を我が物にせん!」
アサノは先祖伝来の大鎧を着こんで本陣を『タタラ場』を見下ろす山の頂上付近に構えると、軍配を握った拳で膝を打って立ち上がり、そう宣言した。
「うおおおおおお!!!」
アサノの郎党が雄たけびを上げ、槍を弓矢を手に手に、我先にと布陣していた山裾から飛び出していった。
向かう先は『タタラ場』の貧相な、浅いばかりの堀切と、その向こうの背の低い外壁である。
アサノの視点から見て、それは貧相で城とも呼べない代物に過ぎなかったし、事実、この時代の基準から見れば貧弱な防御設備に過ぎなかった。
加えて、彼の戦略から言わせれば、『タタラ場』が完全に要塞化を済ませるより先に攻め込んで我が物にすることが重要であったため、いつまで経っても一定の深さの堀切以上のものは逆茂木程度しか作ろうとしない敵の油断を笑ってさえもいたのである。
おまけに彼らの城の形は三重層の厚みこそあるものの、外角は出っ張りだしたり、引っ込んだりといかにも不格好であった。
見れば既に第一陣が敵の城壁に組み付いているように見えた。
特に激しい抵抗もなく、敵方は通夜の時のように静まり返っていた。
山の頂上に立ち、『タタラ場』を睥睨しながらアサノは勝利を確信していた。
耳をすませば味方の雄たけびばかりが聞こえた。今にも門を破ろうというのだろうか。
「勝ったな。他愛もない」
そう彼が呟いた時だった。
ゴロゴロゴロッ!!
雷が立て続けに鳴り響いた。
つい、今さっきまで聞こえていた雄たけびが、悲痛な嘆きに変わった。
「味方の悲鳴だ!」
側仕えの誰かが叫んだ。
「何が起こった!」
アサノも叫んだ。
見る。
見えた。
味方は倒れ伏し、血を流していた。
辺りには濃い煙が充満し、その煙の奥向こう、『タタラ場』の門が開いてそこから揃いの唐風甲冑に身を包んだ一群が手に何か棒状のものを携えて乗り出してくるのが見えた。
「薙ぎ払え」
と、若い女の声が響いたような気がした。
ゴロゴロゴロッ!!!
再び、死の雷が鳴り響いた。
そこからの戦いは一方的なものでしかなかった。
それは虐殺に近かったが、恐れ知らずのもののふどもは健気にも向かってきて、その度にエボシの命令一下、石火矢が火を噴いた。
無情にも吐き出された、非常に良く、ほぼ均一に成形された鋼の礫は、まっすぐに目標物目掛けて推進し、これを弾き飛ばし、貫き、或いは引き裂いた。
繰り返される一方的な殺戮は、しかし防衛戦闘でしかなかった。
小一時間ほどの間に数百人が即死し、千人以上が致命傷を負ったが、それはすべてアサノの配下の郎党たちや傭われの兵隊に組する者たちであった。
アサノは現実を受け入れられなかったが、こればかりは相手が悪かった。
なにせ相手は石火矢衆だが、所謂、『原作』通りの民兵とは異なり、元は大明国の正規軍として火薬兵器に長らく通暁してきた兵どもである。
オンテギから殴りこまれて人員と船団を丸ごと奪われた彼らは、いつの間にやら給料未払いが立て続く祖国の天子よりも、情け深く太っ腹な、異国の人とも神とも知れぬオンテギに忠誠を誓うに至っていたのだ。
数十隻の船団と、ゴンザの護衛のための人員こそ『タタラ場』には不在であったが、彼ら明国の正規軍出身の石火矢衆は大方がこの地の防衛の任に当たっていたのである。
彼らはオンテギにとっても虎の子の精鋭兵であり、オンテギを天子様と崇め奉ってくれる親衛隊のような存在である。
そんな百戦錬磨の元倭寇狩りの専門家集団である彼らがこの地に配されたのは、万が一にもエボシが乗っ取り工作を成功させないためにとの監視の役割に加えて、将来の王道楽土となるべき陸上拠点を野蛮な地侍のような賊どもから防衛するためであった。
結果的に前者の心配は杞憂もいいところではあったが、後者に関してはアサノ公方による大規模侵攻を完璧に防いで見せた実績からかんがみても、実に効果的に作用したといえるだろう。
果たして、アサノ公方による大規模侵攻はアサノ側の完敗により幕を閉じた。
一万数千からなるアサノの軍勢は千余りの元大明国の兵士と二千ほどの『タタラ場』の志願兵からなる火薬兵器部隊により一方的に蹂躙され、ここにこの地での主導権は完全に『タタラ場』側へと移ったことが明白となった。
後に、『タタラ場』侮りがたしの風潮と同時に、惨敗を招いた慢心を示したアサノを主君として戴くことに疑問を抱く一派が生まれ、彼らによる下剋上の元でアサノは腹を切らされることになるのだが、それはまた別の話。