「ザント・ガノンドロフの乱」から三年後。

魔王による大災厄の余波が過ぎ去り、ハイラル王国は再び平和に慣れ切っていた。

そんな折、王城に剣技教官として着任したのは、かつてハイラル城奪還の戦いで活躍した女剣士、アッシュ。

やる気を見せない兵士たちを叩き直すアッシュに、軍長官はある任務を命ずる。

辺境の村を悩ませる魔物たちの巣窟を掃討せよとの任務を受けて出発するアッシュと部下たち。

だが、その裏には知られざる因縁があった。

トワイライトプリンセスの世界を元に独自解釈した「黄昏の姫と緑の勇者」から三年後のハイラルを舞台にした短編です。(ちょっと長めですが、一話完結です。)

【登場人物紹介】

アッシュ:女剣士。三年前、魔物に占拠されたハイラル城を奪還する戦いで活躍した。

バルド:新兵。力はあるが剣は素人。

リンク:三年前魔王ガノンドロフを倒した勇者。

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指揮官アッシュの初陣:封じられた洞窟

屹立する尖塔と巨大な城壁が威容を誇るハイラル城。ゼルダ女王のおわすハイラル王国の中心地である。

 

ある昼下がり、この城の中庭に、百名近くの兵士たちが整列していた。

 

皆、入隊して間もない新兵である。

 

だが、彼らの顔に緊張の色はなく、姿勢もだらしがなかった。

 

平和の時代が長く続いた後、突如として襲った「ザント=ガノンドロフの乱」。

 

この事件から三年が経過し、人々の心は再び平和に慣れ切ってしまっていた。

 

畢竟、兵士とは魔物から民を守る危険な職務ではなく「安定した月給を得られる城勤め」の一種とみなされていたのである。

 

「....ふあぁ...飯食ったら眠くなっちゃったぜ。午後は何やるんだったっけ?」

 

「なんでも、『剣技教官』ってのが来るらしいぜ」

 

前列に並んだ若い兵士たちが互いに言い合っていた。

 

「剣?そんなの今さらやってどうすんだ?」

 

「さあな。兵士の心得ってやつだろ」

 

「まったく面倒だな。どうせ魔物なんか来やしねえのによ」

 

「おい....!来たぜ!」

 

その時隊列にざわめきが走った。城壁の扉が開き、何者かが中庭に入ってきたからだ。

 

その入ってきた何者かを見て、その場にいた兵士たちは皆口をつぐんだ。

 

威圧されたからではない。現れた人物の外見の意外さに呆気にとられたからだ。

 

* * * * * * * * * * * 

 

隊列の前に進み出たのは若い女性だった。歳の頃は二十歳を過ぎたか過ぎないかくらいであろう。

 

黒髪を高く結い上げ、銀色に光る鎖帷子を身に着けている。腰には長剣を提げていた。

 

「このたび剣技教官に着任したアッシュと申す」

 

彼女は簡潔に名乗った。

 

「本日から貴殿らに剣術を指導することと相成った。剣術は初めてという者もこの中にはいようが、基礎からお教えするゆえ安心してほしい」

 

そこまで彼女が言うと、兵士たちの中にひそかな失笑が広がっていった。

 

「...これ..冗談じゃないよな?」

 

「教官が......女?」

 

「大丈夫なのか?歳も俺たちと大して変わらないみたいだけど....」

 

「では、各自木剣を持て。型の練習から始める」

 

アッシュが命じると、隊列は緩慢な動作で動き始め、兵舎の横にある倉庫から木剣を取り出すと、再び整列した。

 

「両手持ちにて縦斬り、横斬り、突きの型を行う」

 

彼女は手本を示した。だが、兵士たちはそれぞれ溜め息を吐いたり、互いに肩をすくめ顔を見合わせたりで、やる気の欠片も見せない。

 

「やれやれ、教官どのは剣術ごっこがお好き...と来たか」

 

ひとりの大柄な若者が無聊な様子で木剣を肩に担ぎながら呟いた。

 

アッシュはその男の前に歩み寄ると、相手を真っすぐに見上げた。

 

「名を名乗られよ」

 

「え?...ああ。バルド二等兵です、教官どの」

 

兵士が答えた。だがその顔はニヤついていた。

 

「バルド殿。ごっこ遊びと本物の違いとは何か?」

 

「へ?違い?」

 

問われた若者は肩をすくめると、やがて答えた。

 

「ごっこは楽しむためでしょ?だったらやりたい奴だけがやりゃいい」

 

「では本物は?」

 

アッシュが尋ねると若者は面食らった顔をしながら答えた。

 

「本物って...?そりゃあ....。魔物をぶっ飛ばすのが本物でしょ。だけど、教官どの」

 

若者は、いかにも自分の体格を誇示するように胸を張ると、自分の肩ほどの身長しかない相手を見下すようにねめつけた。

 

「それをやるには....力ってもんが無ぇとダメなんじゃないですかね?」

 

「なるほど貴殿には力がありそうだ」

 

アッシュは頷くと続けた。

 

「...では、貴殿にとってはこの私を打ちのめすのも造作ないことと思える。違うか?」

 

「え?」

 

相手の返事を待たずに、彼女は前列に並んだ兵士たちを次々と指さした。

 

「貴殿...貴殿...そう。貴殿もだ。全員前に出られよ」

 

指名された若者たちは訳も分からない表情でおずおずと指示に従った。

 

「貴殿ら十名で、私を打ちのめすことができたら本日の課業は終わりだ」

 

アッシュは淡々と言うと、腰に下げた長剣の鞘を外して地面に置いた。

 

彼女が手に木剣を握って隊列のほうを振り返ったとき、その場に緊張感が走った。

 

その二重瞼の大きな目には、異様なほどの鋭い光が宿っている。

 

「...なあバルド。もしかして教官どのってよぉ...」

 

青年の隣にいた兵士が囁きかける。

 

「もしかして『レジスタンス四勇士』の一人の...あの『アッシュ』じゃねえ?」

 

「レジスタンス?勇者リンクの後ろにくっついてって手柄を立てたっていうあの四人組か?」

 

バルドが答えた。だが、彼の相棒は心配そうな表情で続けた。

 

「おい、お前知らないのか?確か鬼百匹を一度に相手にしたっていう...」

 

「まさか。しょせん噂だろ、そんなの」

 

バルドは一笑に付した。アッシュが号令をかけた。

 

「では、始めよ」

 

アッシュは片手で軽く木剣を下段に構えた。それを見た十人の兵士たちは困惑した。

 

「きょ...教官。本当にいいんですかい?」

 

思わずバルドが尋ねる。アッシュは相手の顔を見上げ即座に答えた。

 

「言ったとおりだ。ただし貴殿が怖気づいたのなら、辞退も認めよう。だが続行するなら多少の負傷も覚悟されたい」

 

それを聞いた兵士たちは失笑した。今度はあからさまな笑い声が上がった。

 

「やれやれ....女を痛めつけるのは趣味じゃねぇけど、ちょっくら行かせてもらいますぜ」

 

バルドは首を振ると、剣を構えて進み出た。

 

中段に構えたバルドは間合いを詰めると、やおら縦斬りを打ち込んだ。

 

だが、その木剣は空を切った。アッシュは既に横に身を翻していたからだ。代りに強烈な小手が彼の手首を襲った。それも親指の付け根を狙った一撃だ。骨折しそうになるほどの痛みに、バルドは思わず呻き声を上げ、木剣を取り落とした。

 

突きが左胸に刺さる。木剣とはいえバルドは痛みに息を吐いた。さらに首筋にピタリと木剣があてられる。

 

「貴殿は二度死んだ。任務失敗だ」

 

アッシュが告げる。その途端にバルドの胸に激しい怒りが湧いた。

 

「このアマが!」

 

バルドが掴みかかった瞬間に、アッシュが低く身を伏せた。

 

投げが決まった。空中に高く放り上げられたバルドは背中から地面に叩きつけられ、またも呻いた。

 

「三度目だ」

 

アッシュが剣先を青年の顔に突き付けて言った。その語調のあまりの静かさに、バルドは狐につままれたような気分がした。

 

「他に任務を遂行できる者はいないのか?先ほど言ったとおり一斉に掛かってきても構わん」

 

残りの兵士たちは顔を見回すと、困惑しながらも各自構えた。

 

アッシュを取り巻くように散開していく。バルドもまた、痛みに呻きながらも立ち上がって木剣を拾い上げた。

 

「うわぁぁぁぁッ!」

 

ひとりが気合いの声を上げながら斬りかかる。

 

だがアッシュは木剣を上げて防ぐ動作さえしなかった。剣先を見切り、わずかに身体を反らして躱すと、相手の手首を掴んで無造作に投げる。宙を飛んだ兵士がまだ空中に浮いている間に、彼女はその喉と後ろ首を木剣の刃で打った。

 

「貴殿も二度だ」

 

アッシュは地面に叩きつけられ呻いている相手に告げた。別の兵士がその背後から斬りかかった。

 

彼女はまるで背中に目がついているかのような動きで身を躱すと、脚をかけて転ばし、胸に三度突きを喰らわせた。

 

「貴殿は三度」

 

やっと事態を理解した他の兵士たちの表情が真剣になった。用心深い動作でアッシュを包囲しようと、それぞれが木剣を構え摺り足で移動し始めた。

 

「ようやく本気になったか?」

 

アッシュの顔に笑みが浮かんでいる。だが、それを見たときバルドは背筋が寒くなった。

 

心の底から楽し気な笑みだ。だがそれでいて、その視線は獲物を見る狩人のように兵士たちの動作を見張っているのだ。

 

「では、こちらからも参ろう」

 

彼女は呟くように言った。剣を中段に構えると、摺り足で滑るように横に移動し始めた。

 

兵士たちは気づいた。囲んでいるのはこちらではない。狙っているのはこちらではない。

 

こちらが狙われているのだ。この女剣士に。

 

近くにいた一人が気合いを発して斬りかかる。だがアッシュは剣先でその一撃を逸らすと、鳩尾を木剣の柄の先端で打って悶絶させた。

 

他の者たちも一斉に斬りかかった。だがアッシュは悶絶したままの兵士を盾にし、器用に体勢を入れ替えた。

 

数人の木剣が仲間を誤爆する。一方のアッシュは崩れ落ちた兵士の木剣を奪い取り、両手剣となっていた。

 

気を取り直した兵士たちが次々と突進するのを、彼女は片手で攻撃を逸らし、もう片方の手で相手の頭部に痛撃を与え、片付けていく。

 

たちまち兵士たちの数が半分ほどとなった。アッシュはやおら片手の剣を振り上げると投擲した。飛んで行った木剣の先が生き残りのうちの一人の眉間を直撃する。やられた兵士は呻き声を上げしゃがみこんだ。

 

「囲め!囲め!」

 

バルドが声を上げた。我に返った兵士たちは、剣を構えながら距離を置いた。だがアッシュは委細構わず突進した。

 

「ひ...ヒイッ!」

 

狙われた兵士が慌てて木剣を掲げ防御する。がら空きになった胴に剣先が食い込む。さらに喉を突きが襲い、やられた兵士は激しく咽せ返った。

 

左右にいた兵士たちが挟み撃ちとばかりに斬りかかる。だが、アッシュは剣を上げもせずそれぞれの斬撃を回避すると、自分の木剣を地面に突き立てて身体を浮かせた。

 

次の瞬間、二人の兵士たちは頭部をしたたかに蹴られてよろめき倒れた。飛び回し蹴り。それも二連だ。

 

残りはバルドひとりだった。着地したアッシュは剣を構え直すと相手を見据えた。

 

「クソッ!」

 

バルドが剣を構えると、アッシュは真っすぐ間合いを詰める。剣を振り上げようとしたときには、既にアッシュの木剣がその頭部を直撃していた。

 

「四度」

 

アッシュの声が聞こえる。よろめいたところに、顎を掌底が襲う。次いで露わになった喉首を木剣の刃が撫でた。

 

「五度」

 

さらに足が後ろから払われた。もんどり打って倒れたところに、胸に木剣の先が食い込んだ。

 

「六度。貴殿は本日の『死亡賞』受賞者だ」

 

アッシュが静かに言った。

 

土煙が上がる中庭に、十名の兵士たちが倒れている。ある者は痛みに呻き、ある者は目を白黒させていた。

 

「――恥じることはない。訓練で『死亡』した者ほど、実戦では死ににくくなる」

 

アッシュは彼らを一瞥すると、整列した者たちに向き直って言葉を継いだ。

 

「遊びと本物の違いは理解いただけたと思う。では訓練を始める」

 

――ハイラル城奪還の戦いで鬼百匹を相手にした女剣士―――

 

呻きながらようやく体を起こしたバルドの脳裏に同僚の言葉が浮かんだ。

 

「痛てて....。だから言ったろバルド?ヤバイ相手なんてもんじゃねえって。ありゃバケモンだ」

 

先ほどの同僚も立ち上がりながら言った。バルドは生唾を呑むと呟いた。

 

「嘘だろ...ただのホラ話じゃなかったのかよ....」

 

* * * * * * * * * * * * 

 

「打撲。打撲。打撲。脳震盪。打撲。打撲。打撲。いったい何があったていうの?乱闘でもしたの?」

 

西通りの診療所内部。若い女性看護師が並んで座った兵士たちに手当をしながら呟いた。

 

「訓練だ。お手を煩わせて申し訳ない、ルダ嬢」

 

入り口を背に立っていたアッシュが言った。だがルダと呼ばれた看護師は溜め息をつくと彼女を見やった。

 

「ねえ、もうちょっと安全にできないの?」

 

「兵士は危険を伴う職務ゆえ、ご理解されたい」

 

「そういう話じゃなくて、例えば防具をつけるとか」

 

そこまで言うと、ルダは何かに気づいたように顔を上げた。

 

「ねえ、アッシュ姉さん――まさか痛い目に遭わせて見せしめにしようとしたとかじゃないでしょうね」

 

それを聞いたアッシュはやや驚いたように目を見開いたが、やがて溜め息をついた。

 

「...ルダ嬢にはお見通しというわけか。これは敵わぬな」

 

「ねえ、アッシュ姉さん。これだけは分かって」

 

ルダはアッシュに歩み寄ると声を低めて言った。

 

「あなたが女性だからって舐められたくないっていうのは分かる。私も散々嫌な思いしたから......。でも、一つ言わせて」

 

彼女はアッシュの目を真っすぐ見つめた。

 

「あなたのやり方は危ういわ。自分の実力だけで強引に道を開こうとするから」

 

「危うい...?」

 

「そうよ。人の心を動かすには時間がかかるものよ。誰かが強いからといって、人はすぐに従うわけじゃないもの」

 

その時だった。執務室のほうから、分厚い眼鏡をかけた老医師が入ってきてアッシュに声を掛けた。

 

「おい、請求書は城宛てでいいんじゃな?」

 

「さよう。かたじけない、先生」

 

「あ~...そこで相談なんじゃがな...」

 

老医師は揉み手しながら近づいてくる。

 

「できればそのぉ...支払いは早めにしてもらえんかの?例えば二十日ごろとか...」

 

「わかった。経理部にかけあおう」

 

アッシュは答えた。だがルダは呆れたように腰に手を当てると言った。

 

「先生は酒場のツケを溜め過ぎですよッ」

 

「なんでワシまで叱られなきゃならんのだ。お前の給料はちゃんと払っとるぞ」

 

医師はブツブツと言いながら執務室に戻っていった。

 

「アッシュ姉さん。気を悪くしたら謝るわ。でも....」

 

ルダは真顔に戻ると言った。

 

「私は...心配よ。あなたのことが。無理し過ぎなんじゃないかって」

 

「無理などしておらぬ。剣は幼き頃より嗜んでいたゆえ」

 

「違うわ。そういう問題じゃないのよ」

 

ルダは首を振ると、アッシュの腕に手を添え、切実な口調で言葉を継いだ。

 

「姉さん...軍に入ったっていうことは、もうあなたはあなた自身の信念だけでは動けないってことよ?だから、あなたが誰かに利用されて、無理なことをさせられてしまうんじゃないかって。それだけが心配で..」

 

それを聞いたアッシュはしばらく黙っていたが、やがて相手の肩に手を置いた。

 

「ご忠告感謝する、ルダ嬢」

 

「おぉい、終わったらサッサと帰ってもらってくれ!診療所が満員じゃわい!」

 

老医師の声が聞こえた。アッシュは座っていた兵士たちを立たせ、外に出た。

 

* * * * * * * * * * * * * * * 

 

「教官どの.....軍長官がお呼びです」

 

兵舎に戻ったアッシュに、駆け寄ってくる者があった。城付きの将校だ。

 

「了解した。すぐ参る」

 

アッシュは将校の後ろに従って歩き始めた。将校は、血筋は良いが実戦経験の乏しい新任だ。

 

「教官どの。今日は凄かったらしいですな。噂で聞きましたよ」

 

前を歩きながら将校が感心した表情で言った。

 

「十人を相手にして全員コテンパンにのしたそうじゃないですか。これで軍紀も引き締まろうというものです」

 

「お言葉ながら...まだ道のりは長いかと。一朝一夕では剣は身に着きませぬゆえ」

 

アッシュは答える。二人は城の建物に入り階段を登った。会議室に入ると、テーブルの向こう側には身なりの良い廷臣が座っている。

 

「長官殿、アッシュ教官をお連れしました」

 

将校が声を掛けると、長官と呼ばれた男は鷹揚に手を上げて下がらせ、アッシュに座るよう促した。

 

「訓練は進んでおりますかな?アッシュ嬢」

 

長官は尋ねた。

 

「...進んでいるも何も、本日が初日です。まず剣を扱う心得を教えましたが、道程は長ごうございます、長官殿」

 

座りながらアッシュは答える。その率直な話し方に慣れていないのか、長官はやや顔をしかめたが、やがて続けた。

 

「アッシュ嬢、貴女の職務は、儂としても非常に重要だと思うておる。兵たちに剣と戦いを教えるは、軍の要。それで貴女に提案なのだが...」

 

長官はやや間を置くともったいぶって続けた。

 

「兵たちが従うようにするには、貴女にも階級が必要だ。どうだろう、貴女を大尉に任官し、給与も当初の二倍にする。その代わり....」

 

アッシュは怪訝な表情で相手を見た。長官はまた口を開く。

 

「その代わり...剣術の教授だけでなく、付帯するその他の任務も引き受けて頂ければ有難い。いかがかな?」

 

「付帯する任務とは具体的にどのようなものでしょうか?」

 

アッシュは尋ねた。すると長官は両手を広げた。

 

「まあ....大したものではない。兵たちに基本だけでなく、応用も教えてやって欲しいのだ。貴女は何しろ、ハイラル城解放の戦いで手柄を立てた百戦練磨の剣士。型どおりのことだけでなく、実戦においてどう振舞うかまで教えて初めて兵たちもモノになろうというもの。違いますかな?」

 

「つまるところ、実戦における指揮と申されるのですな」

 

アッシュは簡潔に言った。そして数瞬考えたあと答えた。

 

「それには私の意志以前の問題があるかと。兵たちはそもそも戦さに出る準備が出来ておりませぬ。それさえできれば、私は彼らの師として喜んでともに戦いますが」

 

「それにはどれくらいの期間がかかりますかな?」

 

長官の問いにアッシュは即答した。

 

「少なくとも一年。まず基礎体力と型で半年。打ち合いと演習で半年。これは限界まで切り詰めての話です。最後は昼夜を問わない訓練が必要となりましょう。脱落者も相当数出るとご覚悟を」

 

それを聞いた長官はまた顔をしかめて言った。

 

「一年とは随分悠長な話ではないか。農作物でもあるまいし」

 

「兵を育てるは農作物より遥かに時間がかかります。急ぎすぎれば実る前に命を落としまする」

 

「ふむ...その理屈は分かるのだが...だがのう」

 

長官は自分の髭を指先で捻ると、少し間を置いてから続けた。

 

「儂は軍の財政について城側に申し開きをしなければならない立場。それはお分かりですな、アッシュ嬢?」

 

そして長官は身を乗り出すと、こう言った。

 

「費用と時間を注ぎ込んで、結果が出ないとなれば儂も女王陛下に申し訳が立たぬ。それゆえ、貴女を召し抱えたことについて善き結果を陛下へ報告できぬと、儂も立つ瀬がないのだ」

 

「お立場は無論理解できます。しかし兵の練度はそれとは別の話。未熟な兵を戦さに出せば死にまする。これは陛下のお悲しみに繋がりましょう」

 

アッシュはつれなく答える。だが長官は食い下がった。

 

「待て待て。その兵の練度云々の話も、城から予算を賜らねば、最初から成り立たぬ理屈なのだ。従ってだな....」

 

長官は狡い笑みを浮かべると、アッシュの顔を見た。

 

「今後も予算を得られるよう、一つ貴女の力を示して欲しいのじゃよ。兵たちを率いてな」

 

「力を示す...?」

 

アッシュはまた怪訝な顔をした。すると長官は我が意を得たりとの表情で、地図を取り出した。

 

地図がテーブルの上に広げられると、長官はある一点を指さした。

 

「ここだ。この村だ」

 

北ハイラル平原の境目を示す、ラネール地方の北限の岩壁の縁。農村を示す印が印字されている。

 

「昨今、この村が魔物の出没に悩まされているらしい。そして村民の証言から近くの洞窟がその巣窟だと判明したのだ」

 

「長官殿。魔物の掃討のご依頼ならば経験を積んだ民間剣士でパーティを組んで掃討したほうが遥かに確実かと」

 

アッシュは口を挟んだ。

 

「特に、私は個人的に勇者リンク殿と知己です。それにトアル村のモイ殿にも私から声を掛けましょう。彼も歴戦の猛者ですゆえ。そして....」

 

「いやいやいや。それではまずいのだ」

 

長官は慌てて声を上げた。

 

「ハイラル城が得体の知れない民間剣士に頼ったなどと噂を立てられたらたまらぬ。あくまでも王家の旗印を立てた兵たちが民を救うのでなければならんのだ」

 

「失礼ながら、それは長官殿のご都合かと。このアッシュ、剣士として最も確実な方法をご提案したに過ぎませぬ」

 

アッシュも譲らなかった。それを聞いた長官はさも忌々し気に舌打ちした。

 

「ええい、分からん奴だな君も。それでは城から予算を得られぬではないか」

 

「お言葉ですが、民の苦しみを救うことと城の予算に関わりがあるとは思えませぬ」

 

アッシュが答えると長官は額に青筋を浮かべたが、彼はふと深呼吸し、もう一度口を開いた。

 

「いいかね、剣士としての貴女の理屈は正しい。だが、それではわがハイラル軍の発展には繋がらぬ」

 

長官は言った。

 

「組織を運営するには予算が必要だ。だが予算を得るには結果が必要だ。だから強き軍を建て上げ保つためには、貴女にこれをやってもらわねばならんのだ」

 

長官はまくしたてる。アッシュは黙って聞いていた。

 

「辺境の民の安全が民間剣士のみに委ねられていることに女王陛下は心を痛めておられる。それゆえ貴女の抜擢が持ち上がったのだ。だが....」

 

そこで少し間を置くと長官は指を立てて強調した。

 

「次期の御前会議ではその結果を報告せねばならぬ。ガノンドロフ事件から三年経ったとはいえ城の予算はまだひっ迫しておる。他の貴族連中に何もできておらぬと決めつけられたら儂はどうすればいい?」

 

そこまで言うと気が済んだのか、長官はやっと落ち着いた。アッシュはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。

 

「...事情は理解いたした。可及的速やかに出撃いたしまする」

 

* * * * * * * * * * * * * * * *

 

「バルド二等兵、入れ」

 

兵舎の扉が開いて声がかかる。外で整列していた兵たちの中から、若者がひとり進み出て建物の中に入った。

 

デスクの向こう側にアッシュが座っていた。その両目からは感情が見てとれない。ただ、何かを測るように真っ直ぐに若者を見つめている。

 

「座れ」

 

再び彼女が言う。バルドはデスクの手前にあった椅子を引き寄せて腰掛けた。

 

「貴殿は力に自信がある。そうだな?」

 

アッシュが手元の書類に目を落としながら言った。バルドは軽く笑うと答えた。

 

「へっ....皮肉ですか?教官どの」

 

「皮肉ではない。貴殿の体格を見ればわかる。力は人並み以上だと」

 

だが若者は不貞腐れた顔をして相手から目を逸らした。胸の中には屈辱と恥が渦巻いていた。

 

「ある任務のため現在人選している。だが命の危険を伴う実戦ゆえ、志願者限定だ」

 

そこまで言うと、アッシュは少し間を開けて尋ねた。

 

「バルド殿。志願するか?」

 

それを聞いた若者は少し驚いて相手を見つめたが、やがて答えた。

 

「それはつまり.....魔物をブッ飛ばす任務ですか?」

 

「その通りだ。だが用心深くやらねば死を招く。私の指示には従ってもらいたい」

 

「あんたの指示?あんたはただの剣術教師じゃなかったのか?」

 

若者は苛立ちを隠さずに尋ねる。だがアッシュは腹を立てた様子もなく言った。

 

「最初はそのつもりだった。だが本日をもって事情が変わった。北平原の村で魔物出現の報があり、急ぎ対処が必要だ。それで私は指揮官に任命されたのだ」

 

少しの沈黙の後、バルドは口を開いた。

 

「魔物をぶっ倒せるなら行く。だがその代わり約束して欲しいことがあるんだ」

 

「何だ?」

 

「もしも俺が手柄を立てたら、もう一度勝負してくれるか?」

 

若者は言う。その目には静かな怒りが込められていた。

 

「よかろう。では成立だ」

 

アッシュは即答した。次の兵を呼ぶよう指示されたバルドは立ち上がり、退室した。

 

「おいバルド、お前行くのか?」

 

外に出ると仲間が寄ってきて尋ねる。バルドは短く答えた。

 

「ああ。行く」

 

「お前本気か?死ぬかも知れないんだぞ?」

 

「ここでくすぶってたって始まらねえだろ。だが手柄を立てりゃ昇給だぜ」

 

「.....そういやお前、お袋さんと妹に仕送りしてるんだったな」

 

仲間が言う。だがバルドは首を振った。

 

「それだけじゃねえ。俺は魔物をぶっ殺してぇんだ。恨みがあるからな」

 

バルドは呟くように言った。それを聞いた相棒は首をすくめた。

 

「お...おっかねえこと言うなぁお前も。まあ、どうしても行くって言うなら止めはしねえが...。だけど俺はやめとくぜ。怪我でもしたら嫌だからな」

 

やがて全員の面接が終わり、二個小隊分の兵士が選抜された。

 

翌日から特訓が始まった。選抜小隊は素振りに加え打ち合いと体力錬成が課せられた。全員が気合いの声を発しながら木剣を振っていると、時折り長官がお付きの将校を伴って中庭を訪れた。

 

一日が過ぎ、2日が過ぎる。不参加の兵士たちは遠巻きに眺めながら噂しあった。

 

「おい...見ろよ。長官まで来てるぜ」

 

「魔物退治って...どうやら本当らしいな」

 

「バルドのヤツ無茶しやがって...入隊一週間で実戦なんて聞いたこともねえぞ」

 

* * * * * * * * * * * * * * 

 

特訓期間が終了し、翌朝二個小隊は城下町を出た。兵たちはジャラジャラと音を立てる鎖帷子を身に着け、腰に剣を提げ、手には長槍を持っていた。背後には食料を積んだ馬車が追従する。

 

アッシュと将校はそれぞれが馬に乗り、隊を先導していた。

 

「教官どの、お耳に入れたいことが...」

 

将校は馬を寄せてくると、小声でアッシュに話しかけた。

 

「何です、中尉殿?」

 

「実は....あの村は貴族のセバスン伯爵の所領なのですよ」

 

将校は躊躇いながらも続けた。

 

「そして伯爵は長官殿とは親戚筋です。.....ですから今回長官殿がああも焦っておられたのは、そういう事情があったものと...」

 

それを聞いたアッシュは軽く溜め息をついた。

 

「なるほど。わかり申した。よくある話しです」

 

彼女は将校を見ながら言葉を継いだ。

 

「しかし中尉殿。貴殿は長官にとってはいわば私へのお目付け役のはず。そのような秘密を私に漏らしてもよいのですか?」

 

すると将校は頭を掻いた。

 

「え?ハハハ。いやあ、それもそうなんですが....」

 

将校は少し間を置くと真顔になって続けた。

 

「.....私は正直なところ、長官殿の手法には承服しかねるところもあるのです。アッシュ教官、あなたは全く偽りのないお方だ。あなたの着任初日から、私は感銘を受けておりました。ですからあなたには私も本当のことを....」

 

するとアッシュは微笑んで頭を下げた。

 

「感謝いたしまする、中尉。しかし私は自分が他人より正直だなどと思ったことはありませぬ。ただ...」

 

「ただ?」

 

「剣と戦いは一切の偽りが通用せぬ世界。ただそれゆえかと」

 

将校は無言で頷いた。その顔に急速に緊張感が浮かんできた。

 

休憩を挟みながら速足での行軍を終え、日が暮れかかった頃には目的の村が見えてきた。兵士たちは安堵の声を上げながら歩調を緩めた。

 

「あぁ~疲れた疲れた。足が棒みてえだ」

 

「ずっと歩き詰めだったからな」

 

「兵隊てなぁ歩くのが仕事だぜ?知らなかったのか?」

 

兵士たちが雑談する中、バルドだけは無言だった。

 

「おい、バルド。お前、確かこの辺りの出身じゃなかったか?」

 

「ああ。そうだ」

 

問われた若者は一瞬顔を上げたが、短く答えたあとまた口をつぐんだ。

 

「村の広場にて宿営する。天幕を張り夕食を取れ。ただし村の食料家畜には一切手を付けるな」

 

村に入ると、アッシュが下馬しながら指示する。兵たちは槍を放り出すと作業に取り掛かった。

 

アッシュと将校は村長の家を訪れた。いっぽう、他の村人たちは物珍しそうな顔をして家から出てくる。

 

「バルド、あんたなのかえ?」

 

ひとりの老女が声を上げて駆け寄ってきた。若者は顔を上げたが、直ぐに天幕を張る作業に戻った。

 

「風の噂じゃあ、城下町で荷運びをやって母さんと妹を養ってたっていうじゃないか。心配してたんだよ。....それが今じゃこんな立派な兵隊さんになって...」

 

老女は感極まったように言う。だがバルドはつれなく答えた。

 

「おばあ、悪りぃが仕事中だ。後にしてくれ」

 

「何だよバルド。お前随分冷てぇんだな」

 

同僚が不思議そうに声をかけてくる。だが若者は無表情のまま手を動かし続け、言った。

 

「これから魔物と戦争しようってのに世間話してる場合か?」

 

「そ...それもそうだな」

 

天幕を張り終わると、兵士たちは焚火を熾し車座になって食事を始めた。村長との面談を終えたアッシュと将校も戻ってきて加わった。アッシュが口を開く。

 

「全員食事しながら聞け。魔物の種類は不明だが、人がこれまで三人死亡し、家畜が継続的に略奪されている。従って人型魔物の群れ、あるいは中型魔物複数が想定される」

 

それを聞いた全員が一瞬、咀嚼する口を止めた。アッシュは続ける。

 

「翌朝から掃討を開始する。私とドルコ中尉が先頭に立ち、第一小隊が続く。第二小隊は予備だ」

 

兵士たちは緊張と興奮を顔に浮かべながら互いに顔を見合わせた。

 

「今夜はよく休んでおけ。ただし歩哨を立てるのを忘れるな」

 

指示が終わると、兵士たちはくじ引きで歩哨の輪番を決めた。しばらく雑談していた兵たちは、やがて三々五々天幕の中に引っ込んでいった。

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

「や....やめろ!やめろ!」

 

バルドは大声で叫びながら目を覚ました。

 

若者は上体を起こし、左右を見回した。暗い天幕の中だ。夜明けにはまだ早いのか、天幕の入り口からは星空が覗く。

 

「一体どうしたってんだ?寝ぼけやがって」

 

隣にいた同僚が文句を言いながら寝返りを打つ。

 

「す...すまん」

 

バルドは呟いた。額には大粒の汗が浮かんでいる。彼は首を振ると、水筒から一口水を含み、天幕の外に出た。

 

やはりまだ真夜中だ。上を見上げると満天の星空だった。

 

「歩哨の順番は私だ。まだ休んでいて良い」

 

振り返るとアッシュが立っている。完全武装で腰の剣の柄に手をかけていた。

 

「教官.....」

 

「戦いの前に神経が昂るのは当然だ。だが体だけでも休めておけ」

 

それを聞いたバルドは大きく溜め息をつくと言った。

 

「教官.....もしかして...俺の声、聞こえたのか?」

 

「聞こえた。だが悪夢の一つやふたつ見るのは貴殿が正常な人間である証拠だ」

 

アッシュは用心深げに周囲を見やりながら答えた。

 

だがバルドは顔を伏せた。そしてしばらく逡巡した後、口を開いた。

 

「あれは...ただの悪夢じゃねえ。あれは....」

 

アッシュが怪訝そうに若者の顔を見る。バルドは口ごもった後、言葉を継いだ。

 

「あれは...俺がまだ八つくらいのことだった。親父は俺の目の前で洞窟に引きずり込まれたんだ。巨大な何者かに....」

 

若者の唇は震えていた。アッシュはしばらくの間相手を見ていたが、やがて静かに言った。

 

「魔物を倒すことにこだわっていたのはそれが理由か」

 

「ああ」

 

沈黙が夜の闇に広がる。焚火が爆ぜる音だけが響いた。かなりの間が開いた後、アッシュが続けた。

 

「動機は悪くない。だが、それゆえ用心が必要だ。怒りに我を忘れるな」

 

「仇が取れるなら俺は死んでも構わねぇ」

 

バルドが答えるとアッシュは相手を鋭く見据えた。

 

「それを軽々しく口にするな。命を賭けるべき時を見極められなければ剣士とは言えぬ」

 

すると若者は苛立った表情で顔を逸らした。

 

「いちいち説教しやがって。あんたに俺の何が分かるってんだ?」

 

するとアッシュは前を向いたまま答えた。

 

「わからぬ...だが貴殿には今、守るべき誰かがいるということは知っている」

 

「へっ...耳が早いんだな、あんたも」

 

「もう休め、バルド」

 

バルドはしばらく黙っていたが、やがて天幕に入っていった。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

翌朝、小隊は村長の案内で村の北側の岸壁に向かっていった。兵士たちは行軍しながら囁き合った。

 

「出てくるのはボコブリンあたりかな。最初の一匹は俺が仕留めてやるぜ」

 

「大丈夫か?お前訓練でさんざん教官にぶっ叩かれてたじゃねえか」

 

「そりゃお前もだろ」

 

「...小隊止まれ」

 

アッシュが振り返って指示した。

 

「第二小隊はここで待機。ただし命令があり次第すぐ突入しろ」

 

目の前の岸壁には巨大な洞窟が口を開けている。アッシュが合図すると、将校がカンテラに点火した。

 

アッシュを先頭に、隊は用心深い足取りで前進していく。洞窟は分岐がなく一本道だった。

 

やがて、一行は広い場所に出た。天井が高い。将校がカンテラを高く掲げたが、光が届かないほどの空間だった。

 

「魔物なんてどこにもいねえじゃねえか」

 

兵士の一人が呟く。だが別の一人が応じた。

 

「へッ...そうやって油断してるところをお前の後ろからブスって刺してくるんだよ」

 

アッシュは無言のまま周囲を見回していた。将校も不安そうな表情でカンテラを左右に向けている。

 

「.....上だ!」

 

アッシュが鋭く叫んだ。

 

音も立てずに頭上から影がいくつも降りてくる。兵士たちがざわめいた。

 

スタルチュラ――巨大蜘蛛だ。胴体の大きさが手押し車ほどもある。それが五・六匹ほど床に降り立つと、いつの間にか小隊を包囲していた。

 

「会敵!戦闘開始せよ!」

 

アッシュが剣を構えながら叫んだ。兵たちは慌てふためき、遮二無二槍を突き出す。だが蜘蛛が前足を振り回すと、たちまち武器が吹き飛ばされた。

 

「奴らは甲が硬い!甲の下を突け!」

 

アッシュが再び叫ぶ。だが兵たちはパニック状態に陥っていた。

 

「クソッ!」

 

カンテラを掲げた将校が片手に剣を持ち、手近の魔物に振り下ろした。だが、蜘蛛の頭部には傷ひとつつかない。

 

ギシャァァァッ!

 

スタルチュラは威嚇しながら将校の上に覆いかぶさった。

 

「うわぁぁぁぁッ!」

 

だがアッシュが滑るような足捌きで蜘蛛に接近する。剣が閃き、蜘蛛の脚が次々と切断されていく。

 

「ドルコ中尉!」

 

動きを止めた蜘蛛の前から将校を引きずり出すと、アッシュは周囲を見回し戦況を確かめた。

 

小隊は総崩れ寸前だった。数人は既に戦意を喪失しつつあった。残りの者が槍を振り回しても、巨大蜘蛛(スタルチュラ)どもは前足でそれを易々と弾き飛ばし、壁際に追い詰めている。

 

「抜刀しろ!剣先で顔を狙え!」

 

将校を立たせると、アッシュは一匹目の口吻に剣を深々と突き立てながら言った。

 

だが振り向くと、その目にバルドの姿が映った。

 

呆然と槍を手にしながら立ち尽くしている。目が恐怖で見開かれ、顔面は蒼白だった。

 

「だ....だめだ!歯が立たねえ!」

 

「こんなに強いなんて聞いてねえぞ!」

 

辛うじて抵抗していた兵たちも口々に言った。

 

いっぽう、アッシュと将校は二匹の巨大蜘蛛(スタルチュラ)に挟み撃ちにされていた。剣を構え背中合わせになると、アッシュは言った。

 

「中尉、貴殿は離脱して第二小隊を呼べ」

 

「しかし...教官どのたった一人で...?」

 

「私のことは案ずるな。立て直すには増援が必要だ。急げ!」

 

中尉は悲壮な表情で頷くと、剣を振り回して敵を牽制しながら駆け出した。

 

「増援が来るまで持ちこたえよ!」

 

左右から巨大蜘蛛(スタルチュラ)の前足が矢継ぎ早に襲うのを、剣で防ぎながらアッシュは叫んだ。

 

バルドは両膝を震わせながら壁際に退いていた。その周囲の兵たちも、自分の身を護るのが精一杯だった。

 

その隊列の端にいた一人が襲われた。巨大蜘蛛(スタルチュラ)はその兵士の武器を跳ね飛ばすと、のしかかって捕えた。

 

「た....助けてくれぇ!」

 

悲鳴を聞いてアッシュは顔を上げた。兵士が一人、仲間から引き離され引っ張られていく。

 

「クソッ...」

 

彼女を挟み撃ちにしていた蜘蛛の一匹が両の前足を伸ばしてきた。逆袈裟斬りで一本を切断する。

 

背後から気配が迫る。アッシュは振り向かないまま咄嗟に脇の下から突きを繰り出した。剣先が魔物の口に突き刺さる。

 

魔物が悲鳴を上げた。だが正面の巨大蜘蛛が残りの前足を振るった。頭を打たれ、アッシュはよろめいた。必死で剣を振るい、追撃を防ぐ。

 

「こっちだ!第一小隊を援護しろ!」

 

中尉を先頭として第二小隊が雪崩込んできた。だが、洞窟の中を様子を見て全員が固まってしまった。

 

「む...無理だこんなの!」

 

「勝てるわけがねえ!」

 

捕らえられた兵士は、いまや糸で上半身を縛られていた。巨大蜘蛛(スタルチュラ)は、それを引き摺りながらゆっくりと壁を登り始める。

 

「や....やめろ!やめろ!」

 

その時、バルドが叫んだ。彼は槍を放り出すと、獲物を手に入れた蜘蛛に走り寄って体当たりした。

 

スタルチュラが地響きを立てて地面に落下した。だが魔物はすぐに立ち直り怒り狂って威嚇のポーズをとった。

 

「バルド!」

 

同僚たちが叫ぶ。だがバルドは突進すると、スタルチュラの頭部を掴み、唸り声を上げながら押し上げた。

 

「ムチャだ!喰われるぞ!」

 

いっぽうアッシュは頭を振って立ち直ると、目の前の蜘蛛に突きを喰らわせ、もう一本の前足を斬り落とした。

 

振り向くと、そこには信じがたい光景があった。

 

バルドが、巨大蜘蛛の身体を持ち上げていたのだ。

 

「腹を刺せ!」

 

アッシュは咄嗟に叫んだ。我に返った兵士たちが、バルドの格闘している魔物に殺到した。槍が何本も突き出され、柔らかい腹に致命傷を喰らった巨大蜘蛛が断末魔の悲鳴を上げた。

 

アッシュが背後にいた巨大蜘蛛に向き直り、止めを刺した。それと同時に、残りの巨大蜘蛛たちが状況の変化に気づいたのか、洞窟の入り口のほうに向きなおった。

 

「下だ!下から刺せ!」

 

誰からともなく叫び声が上がった。増援を得た兵たちが一斉に槍を構える。

 

戦況が逆転した。三匹の巨大蜘蛛たちは執拗に突き出される槍の穂先にジリジリと後退し始めていた。

 

やがて、魔物どもは一匹また一匹と傷を負い始めた。動きが弱ったところにアッシュが殺到し、脚を斬り落としていく。最後に元気を取り戻した兵士たちが群がって止めを刺した。

 

「点呼を取れ」

 

ようやく静寂が戻るとアッシュが指示した。兵士たちは事前に練習した点呼もできないほど息を乱していたが、それでも全員が生きていることがわかった。

 

「バルド、無事か」

 

アッシュは剣を拭って鞘に納めると歩み寄った。だが若者は起こったことが理解できないような顔をして呆然としている。

 

「よくやった」

 

相手の肩を叩くと、アッシュは重ねて声をかけた。バルドはふと顔を上げると呟いた。

 

「俺は....今...何を?」

 

「貴殿の動きで状況が変わった。礼を申す」

 

アッシュが言う。兵の一人が息を整えながら茶々を入れた。

 

「ヘッ....荷役人夫あがりだからって、まさか巨大蜘蛛を持ち上げるとは思わなかったぜ」

 

「バルドは仲間を救うべく動いた。これもまた立派な兵の動きだ」

 

アッシュは微笑むと答えた。すると皆が頭を掻きながら口々に言った。

 

「た...確かにそうっすね」

 

「お前のお陰だ、バルド」

 

「どうやら一番槍はお前の手柄だな。いや『一番相撲』か?」

 

笑い声が上がる。アッシュは中尉に声をかけた。

 

「少し休憩したら二小隊で奥まで掃討しよう」

 

「了解です、教官」

 

軽傷者を手当てし、小休止すると、二小隊は洞窟の終端に進んだ。

 

だが、そこにあったものを見て、一行は息を呑んだ。

 

* * * * * * * * * * * * * * * 

 

洞窟の端の壁には、抱き合うように倒れた二体の骸骨があった。

 

「最近死んだものではありませんね。少なくとも十年は経過していますよ」

 

中尉がカンテラをかざしながら言う。アッシュも覗き込みながら言った。

 

「明らかに魔物に喰われたものではないな。この服装からすると....当時の若い男女。だが男のほうは妙に仕立てが良いな」

 

アッシュは振り向くと指示を出した。

 

「村長を呼べ。何か分かるかも知れぬ」

 

しばらくすると、兵に先導され村長がやってきた。

 

「村長、これに見覚えは?」

 

アッシュに問われると、彼はしばらく呆然と遺骸を見つめていたが、やがて言った。

 

「こ...これは....十年前に行方不明になった伯爵さまのお坊ちゃまでさぁ...。この服は間違いねぇです」

 

「伯爵のご令息....?なぜ騒ぎにならなかったのだろうか?」

 

アッシュは怪訝な表情をした。すると、村長は溜め息をついて話し出した。

 

「実は...お坊ちゃまは村の娘と恋仲になったんでさぁ。もちろん伯爵様はお許しにならず、悲観した娘は毒で自らの命を断ったんでごぜえやす。おそらく、悲しまれた坊ちゃまは、後を追うようにご自分の命を....」

 

遺骸の手元に目を凝らすと、女の服装をしたほうは薬瓶を、男のほうは小刀を手に持っていた。

 

「むごい話ですな...」

 

中尉が首を振りながら言う。

 

「村長、だがそれだけでは理屈がつかぬ」

 

アッシュは鋭い目つきで村長を見つめた。

 

「魔物が発生する前からこの洞窟に遺体があったのは明白だ。小さな農村で行方不明事件があったのに、なぜ誰も探さなかったのだ?」

 

問われた村長は途端に息の詰まったような表情になった。

 

「そ...それは....」

 

気まずい沈黙が流れたあと、村長は何度も唾を飲み込んでからやっと口を開いた。

 

「それは....伯爵様が仰ったからでさぁ。『この洞窟には絶対に入るな』と」

 

「悪い評判が広がらぬようにとの緘口令ですな。貴族にありがちとは言え、まったく感心せぬ話だ」

 

中尉が苦々しい表情で吐き捨てる。だが、村長は顔を上げるとおずおずと続けた。

 

「じ...実はそれだけじゃないんでさぁ。儂は....十年前見てしまったんでさぁ」

 

「見た?何をだ?」

 

アッシュが尋ねると、村長は唇を震わせながら話した。

 

「.....伯爵さまが人夫たちを連れて、この洞窟に何か大きな箱を運び込んでたんで....。その後のことでさぁ。伯爵さまが『洞窟に入るな。入ったものは死ぬ』と村にお触れを出されたのは」

 

「大きな箱だと?」

 

「儂にはそれが何かわかりませんでしたが....。毛むくじゃらの脚みてえなものが突き出してて...。今思えば、あれは魔物だったのかも知れねぇです」

 

それを聞いた瞬間バルドの顔色が変わった。

 

「おい、それは本当か?」

 

「う...嘘は言ってねぇ。だけどその時には儂も、いったいあれが何だったかは....」

 

バルドが詰め寄ると、慌てた村長が答えた。

 

「奇妙だと思っていた。ラネール地方には本来スタルチュラは生息せぬ。だが人為的に持ち込まれたとしたら納得がいく」

 

アッシュは静かに呟いた。だがバルドは拳を握りしめると身体を震わせた。

 

「...ふ...ふざけるな!親父が死んだのは.....」

 

若者は血走った目を上げると叫んだ。

 

「許さねぇ!絶対に許さねぇ!....親父の仇は必ず取ってやる。伯爵め....首を洗って待っていてやがれ!」

 

一同は驚きに目を見張りながら若者を見つめた。だがアッシュは彼に言った。

 

「よせ。復讐などしても何も生まれぬ」

 

だがバルドは指を突き付けて怒鳴った。

 

「黙れ!あんたに親を殺された俺の気持ちをわかってたまるか!」

 

アッシュは沈黙した。他の者も口をつぐんだまま言葉を発しない。だが、数瞬のあとアッシュがまた言った。

 

「貴殿の気持ちは分からぬ。分からぬが...一つ言えることがある」

 

アッシュは静かに相手の肩に手を置くと言葉を継いだ。

 

「...私は貴殿を失いとうないのだ」

 

「.....え?今なんて言っ...」

 

バルドは毒気を抜かれたような表情で聞き返す。アッシュは繰り返した。

 

「私は貴殿を失いとうはない。この隊から去って欲しくないのだ」

 

当惑したバルドは、少し黙った後自嘲気味に笑った。

 

「へっ...何言ってんだよ。俺は力以外何の取り柄も無え男だ。あんたが一番良く知ってるだろ?代わりなんていくらでも....」

 

「違う。貴殿は仲間を、そして私を救うため素手でスタルチュラに挑んだ。そのような勇気の持ち主は簡単に見つかるものではない」

 

アッシュは淡々と言うと、こう付け加えた。

 

「頼む、バルド。私のために、この隊にとどまってくれ」

 

その瞬間だった。洞窟の天井から恐ろしい咆哮が聞こえてきた。

 

威嚇音のようにも摩擦音のようにも聞こえる。だがそれを聞いた誰もが一瞬で理解した。

 

――想像もつかないほど巨大な魔物の声だ。

 

* * * * * * * * * * * * * * 

 

ズシッ...ズシッ...ズシッ...

 

壁を伝った振動が足元まで響いてくる。

 

「み....見ろ!」

 

中尉がカンテラを掲げて頭上を指さした。

 

一同は息を呑んだ。

 

あり得ないほどの巨大な蜘蛛の化け物が天井からこちらを睥睨している。

 

その胴体は家ほどの大きさもあり、脚は木の幹のように太い。

 

蜘蛛の背中には大きな黄色い単眼が光っていた。魔物はその単眼でこちらをジロリと睨むと、意外なほどの素早い動作で壁を降りてきた。

 

「横隊陣形!槍で距離を取れ!」

 

アッシュは剣を抜くと叫んだ。兵士たちは慌てふためきながら陣形を整える。

 

だが超巨大蜘蛛は委細構わず突っ込んできた。化け物が丸太のような前足を振ると、兵士たちはたまらず吹き飛んだ。

 

「こやつが...最初に持ち込まれた『母親』だったのか!」

 

アッシュは呟いた。兵士たちは必死で陣形を立て直そうとするが、その度ごとに超巨大蜘蛛が脚を振り回す。兵士たちは攻撃を避けようと右往左往した。

 

「中尉!代りに指揮を!私は奴の背後に回る!」

 

アッシュは叫んだ。中尉は一瞬戸惑ったあと答えた。

 

「わ...わかりました。しかし教官どのもご無理なさらず!」

 

アッシュは超巨大蜘蛛が振り回す脚の間を縫うようにして走った。背後には、兵士たちの悲鳴、罵声、喚き声が響く。

 

だが相手はまだアッシュの位置に気づいていなかった。彼女は剣を納めると、怪物の毛むくじゃらの胴に取り付き、その背中を登っていった。

 

「列を組み直せ!」

 

中尉の号令が響く。だが兵士たちは散り散りになっており、何名かは既に逃げ腰になっていた。

 

その時、アッシュが怪物の背の上に立つと逆手に持った剣を大きく振り上げた。

 

ズシュッ....!

 

剣が深々と化け物の単眼に突き刺さる。だが超巨大蜘蛛は悲鳴を上げて暴れると、身体を大きく回転させた。アッシュはたまらず吹き飛ばされた。

 

ギシギシを嫌な音を口から立てながら超巨大蜘蛛がアッシュに迫る。立ち上がったアッシュは剣を構えた。

 

怒り心頭に発した様子の怪物が前足を振り回す。アッシュは辛うじて回避した。だが防戦一方だった。怪物の脚に斬りつけても殆ど刃が徹らない。

 

「俺が相手だ!」

 

その時、バルドが叫びながら進み出た。化け物が前足で突き飛ばそうとする。だがバルドは両腕を広げて逆にそれを捕まえると、顔を真っ赤にしながら押さえつけた。

 

一瞬敵の動きが止まった。その隙を突いて、アッシュは滑るように前進し魔物の顔面に深い突きを入れた。

 

ギシャァァァッ!

 

悲鳴が上がった。だが化け物はバルドを両の前足で挟むと放り投げた。壁に叩きつけられ、若者は気絶した。

 

「これで終わりだ!」

 

アッシュはいつの間にか再び怪物の背によじ登っていた。逆手に持った剣を単眼に突き入れると思い切り抉った。

 

凄まじい断末魔の悲鳴が響く。超巨大蜘蛛は脚をバタバタと暴れさせた後、痙攣を始め、そして動かなくなった。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * 

 

「酷くやられたもんじゃな。だが、まぁ、若いからの。いずれ治るじゃろ」

 

老医師は溜め息をつくと言った。兵舎のベッドにはバルドが横たわっている。その頭は包帯でぐるぐる巻きだった。腕にも添え木が当てられていた。

 

「先生、回復までにはどれくらい?」

 

「リハビリ含め半年ほどじゃな」

 

アッシュに問われ老医師は答えた。アッシュが礼を述べると、老医師は揉み手しながら言った。

 

「と...ところでのぉ。今回は兵舎までの出張もあることだし、出張費も含め早めに支払ってもらえると助かるんじゃが.....」

 

「むろんだ。話は通しておく」

 

返事を聞くと、老医師は上機嫌でカバンを抱え、兵舎から出ていった。

 

「全く...。患者が誰でも毎回ああなんだから」

 

ルダが腕を組むと呆れ声で言った。だが彼女はアッシュがバルドの寝顔を見つめているのに気づくと声を掛けた。

 

「心配はいらないわ。鎮静剤がよく効いてるだけだから」

 

アッシュは頷いた。だが言葉は発しなかった。

 

「アッシュ姉さん....」

 

ルダは彼女に歩みよるとその腕に手をあてた。アッシュは相手を一瞥すると、何か言いたげに口を開いた。だがルダは静かに言った。

 

「...分かってるわ。何も言わないで」

 

「...かたじけない、ルダ嬢」

 

しばらくの後、アッシュは呟くように答えた。

 

やがてアッシュが兵舎を出ると、中尉が走り寄ってきた。

 

「アッシュ教官...長官殿が....」

 

「わかっている。すぐ参る」

 

二人は足早に城の建物に入ると階段を登った。会議室はガランとしており、テーブルの後ろには長官がひとり腰かけていた。

 

「座り給え、アッシュ大尉」

 

長官は無表情に告げると、中尉を下がらせた。

 

「...任務ご苦労...と言いたいところだが、これは一体何の真似だね?」

 

長官は苛立ちを無理に抑えたような声で言うと、封筒をアッシュの目の前に押し出した。

 

だがアッシュは沈黙したままだった。

 

「『キコア村洞窟における不審遺体の発見について』だと?いったい十年前の心中騒ぎに誰が興味を持つというのかね?」

 

そう言うと長官は溜め息をついて首を振った。

 

「君がこれを渡した法務長官には儂のほうから手を回しておいた。だから、沙汰なしということにはなったが....。はっきり言おう。こんなことをされては困るのだよ」

 

「....長官殿。上申書の結論部分はお読みになられましたか?」

 

アッシュは静かに言った。

 

「結論だと?」

 

「洞窟に外部からの魔物が持ち込まれたとの村長の証言が得られています。あの魔物自体が本来あの地方には生息せぬもの。そして、魔物の飼育は重大な王国法違反にて、捜査が必要かと」

 

「...ええい、君はまだ分かっておらんのか?」

 

長官は机を叩くと唸るように言った。

 

「田舎村で人が何人死のうが、王城は知ったことではないのだ。余計な事に首を突っ込むな!」

 

「長官殿、田舎村の魔物被害が王城の関心事でないなら、なぜ未熟な兵を率いての出撃が必要だったのです?」

 

アッシュが問うと、長官は途端に凍りついた。だが、やがて彼は媚びるように微笑むと、語調を変えてこう言った。

 

「...なるほど。君はいささか頭がいいな。ならばこれでどうだ」

 

長官は両手を広げてアッシュの顔を覗き込んだ。

 

「給与は二倍ではなく三倍にしよう。そうすれば君も、貴族連中の事情について今よりも理解が深まるだろう。違うか?」

 

「要りませぬ」

 

アッシュは短く答えた。すると長官は当惑し始めた。

 

「き...君は昇給に興味がないのか?ならば...そうだ。少佐に昇進させよう。その歳では異例のことだぞ」

 

「それも要りませぬ...それから」

 

アッシュは相手を真っすぐに見据えると、付け加えた。

 

「上申書は二通作成しました。もう一通は女王陛下宛てに提出済みです」

 

「なっ......」

 

長官は顔面が蒼白になった。

 

「報告すべきことは以上かと。戻ってよろしいでしょうか?」

 

アッシュは言った。だが長官の顔はみるみるうちに紅潮していった。

 

「き...君は自分が何をやったか分かっているのか?セバスン伯爵を告発したも同然だぞ!」

 

「相手が誰であるかは関係ありませぬ。私は、見て聞いたことをそのまま書いただけにて。では、失礼」

 

アッシュは立ち上がると足早に会議室を出た。階段を降り、城の建物を出て、前庭を横切る。回廊から城下町の広場に出るともはやすっかり日が暮れていた。

 

* * * * * * * * * * * * * * 

 

「アッシュ...もしかしてアッシュかい?」

 

声を掛けて来るものがいて、彼女はふと顔を上げた。

 

擦り切れた緑のチュニックを着て、剣と盾を背負った若い男がこちらを見ている。男は弾んだ声を上げた。

 

「やっぱりアッシュだね。久しぶりじゃないか」

 

「...リンク殿か。お久しゅうござる」

 

アッシュは軽く微笑むと挨拶を返した。

 

「聞いたよ。城勤めになったんだって?剣術指南役なんて君にぴったりの仕事....」

 

リンクは近づいてくると、話しながら途中で言葉を切った。怪訝に思ったアッシュは問うた。

 

「いかがされた?」

 

「いいや..その....」

 

リンクは頭を掻くと、言葉を選びながら続けた。

 

「今日、君に晩御飯を奢らせてくれないか?」

 

「リンク殿。貴殿は異なことを申される」

 

アッシュは笑った。

 

「失礼ながら私のほうが貴殿より遥かに富んでいる。私に奢れと申されるなら、いくらでもそうするが....貴殿、よもや私を口説こうとしているのではあるまいな?」

 

「いや...違う違う!そうじゃないよ!ただ....」

 

リンクは困惑しながら言った。

 

「ただ...なんか....その...君が落ち込んでるように見えたからさ...」

 

* * * * * * * * * * * 

 

「私は...指揮官として未熟だった。もっと慎重に振舞うべきだった」

 

噴水広場を見渡すレストランで、食前酒のグラスを手に持ったままアッシュは呟いた。リンクはそれを黙って聞いていた。

 

任務の直後にも関わらず、アッシュの食は進まない。リンクはやがて口を開いた。

 

「未熟....か。君は自分の未熟さに腹を立てているのかい?」

 

「...当然だ。指揮官とは兵の命を預かる身。判断を間違えれば、人の人生を終わらせることになりかねない」

 

「.....そうだね」

 

リンクは答えると、広場のほうを見やった。

 

「...僕は...勇者としてずっと未熟だった。民の平和と国の命運がかかっていたのに、間違えてばかりだったよ」

 

「からかわないで頂きたい。九つのダンジョンを制覇し魔王を倒した貴殿が未熟だなどと申されても誰も信じぬぞ」

 

アッシュは苦笑いした。だがリンクは言った。

 

「いや、本当さ。勝てたのは仲間が支えてくれたお陰なんだ。自分の力だけで冒険を成し遂げられたことなんてない。一度もね」

 

「ならば....指揮官もまた同じと?」

 

「僕は君のような立場になったことはない。だけど、ひとたび冒険に出たら、もう仲間を信じるしかないんだ。そうだろ?」

 

「私は...その仲間を傷つけたのだ」

 

アッシュは聴き取れないほどの小声で言った。彼女がグラスをテーブルに置いた指先は僅かに震えている。しばらくの沈黙のあと、リンクが言った。

 

「それは違うよ。彼はきっと君のことを、自分が傷ついてでも守るべき存在だと考えたんだ。だから前に出たんだ」

 

リンクはアッシュの手の甲に軽く手を添えると付け加えた。

 

「仲間はそうやって互いに守り合うのさ。その意味では、君は今回、大事な仲間を得たんだよ。どんな財宝よりも大事な仲間をね」

 

アッシュは顔を伏せたままだったが、リンクは続けた。

 

「僕は知ってる。君は嘘をつかないし、弱い者を見捨てない。君のことを知れば一緒に戦いたいっていう人はきっと大勢出てくるよ」

 

「....本気でそう思うか、リンク殿?」

 

アッシュが顔を上げた。リンクは答えた。

 

「本気さ。僕も含めてね」

 

「わかった。礼を言う、リンク殿」

 

だが、食事が終わって店員に勘定書きを見せられたリンクは顔面が蒼白になった。

 

「ず...随分お高いんだな。...もう少しなんとか....」

 

「リンク殿。言ったであろう。私が払おう」

 

アッシュは手早く勘定を済ませ、店を出た。

 

外に出ると、リンクは赤面しながらバツが悪そうに言った。

 

「いやぁ……参ったな。今日はご馳走するつもりだったのに」

 

「リンク殿、老婆心から申し上げるが....」

 

アッシュはリンクに言う。

 

「そのチュニックは買い替えられてはいかがか?なんなら私が払ってもよい」

 

「い....いや!大丈夫だよ。これまだ着れるし...」

 

リンクは慌てふためくと手を振った。そして少し考えた後取り繕うように口を開いた。

 

「...そうだ!今度一緒に冒険したとき、借りを返すよ。面倒な仕事は僕が引き受けることにするからさ」

 

「リンク殿......」

 

アッシュは静かに言った。

 

「リンク殿。申し出は嬉しいが、軍人となった立場上、もう民間剣士である貴殿と冒険することはできぬのだ」

 

「そ...そっか。残念だなぁ」

 

リンクは答えた。だが彼はふと思いついたように付け加えた。

 

「でも君にはもう新しい仲間がいる。きっと彼らがいて良かったと思う瞬間が来るよ」

 

アッシュはこう答えた。

 

「....貴殿は人をおだてるのが上手い。それは変らぬな」

 

「カンベンしてくれよ。これは本音さ。掛け値なしのね」

 

二人は人通りの少なくなった広場で別れた。アッシュは西の貧民街に消えていくリンクを見送ると、兵舎に向かって歩き出した。だが彼女は立ち止まると少し夜空を見上げた。

 

「新しい仲間...か」

 

アッシュは呟くと、また歩き始めた。

 

(終わり)


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