VTuber業界って、穏やかじゃないですね? 作:エクシーク
収録スタジオへ向かう廊下を歩きながら、姫野ミカンはポケットの中でエナドリを転がしていた。
本日三本目。
流石に身体に悪い。
カフェインの過剰摂取でゾーンに入りそう。
「……ったく」
姫野は小さく息を吐いた。
「なんなんだよ、あの新人」
頭に浮かんだのは、さっきまで隣の席でカフェオレを両手で抱えていた遠藤アオの顔だった。
目は合わせない。
声は小さい。
すぐ謝る。
褒めると処理落ちする。
そして、鳴き声がおかしい。
「『ひゃい』、『ひょっ』、『ミ゛っ』……」
姫野は思い出して、口元を押さえた。
「……ふははっ」
ダメだった。
廊下のど真ん中で吹いた。
通りすがりのスタッフがちらっとこちらを見る。
あの新人は、変だ。
控えめに言って、かなりの変態だ。
最初に見たときは、正直、面倒なタイプが来たと思った。
清白メイカにスカウトされたと聞いたから、どんな変人か、どんな天才かと思ったら、出てきたのは根暗なキョド女。
人と目も合わせられない。
挨拶ひとつで様子がおかしい。
オフィスに来ただけで、すでに一仕事終えた顔をしている。
――あれで本当にVSPの現場に耐えられるのか。
この事務所は、甘くない。
タレントの人気が大きい分、動く金も人も多い。
確認漏れ一つで炎上する。
言葉選び一つで誤解を生む。
資料の扱い一つで、タレント本人の安全に関わる。
Vtuberの活動名の裏にある本名や住所、生活圏、そういうものは絶対に外へ出してはいけない。
本人たちが画面の前で笑っていられるように、その見えない境界線を死守するのがこっちの仕事だ。
だからこそ、ぼんやりした奴は怖い。
気持ちだけで来た奴も危うい。
憧れだけで来た奴は、だいたい現実の速度に轢かれる。
「……まぁ、あいつも最初は轢かれかけてたけどな」
けれど、アオは逃げなかった。
あれだけ顔を青くして、あれだけ毎秒帰りたそうにして、それでも資料を見ていた。
メモを取っていた。
分からないことを、震えながら聞いてきた。
しかも、見ている場所が妙に細かい。
素材の使用条件。
タレント本人のニュアンス。
告知文の言い回し。
共有リンクの範囲。
普通、新人二日目でそこまで気が回る奴は少ない。
少なくとも、ただの「根暗なキョド女」で片づけるには、妙に引っかかる。
「……あの人が見出しただけはある、ってことかね」
姫野は立ち止まり、エナドリのプルタブを開けた。
かしゅ、と小さな音がする。
一口飲む。
甘い。
不味くはない。
ただ、そろそろ舌がエナドリの味と融和してきた。
「っつーか」
姫野は眉を寄せた。
「私、何マジになってあいつのこと考えてんだ?」
保護者か。
先輩か。
いや、先輩ではある。
でも、入社二日目の新人をここまで気にしてやる義理があるかと言われると、まあ、あるような、ないような。
「……いや、流石にそれはあるか。面倒見るって言ったしな」
自分で言った。
今日から隣の席な、と。
逃げんなよ、と。
面倒見る、と。
「はぁ……」
姫野はため息をついた。
「私、意外とチョロいな」
面倒見がいい、とよく言われる。
自覚はある。
ただし、本人としては少し不本意だった。
別に誰にでも優しいわけじゃない。
手のかかる奴が視界に入ると、気になるだけだ。
危なっかしい奴が転びそうになっていると、つい手を出してしまうだけだ。
つまり、優しいのではなく、見ていられない。
そして遠藤アオは、過去最高レベルで見ていられない。
放っておいたらコピー機の前でフリーズしそうだし、会議室の予約システムに負けそうだし、チャットの通知音に謝罪しそうだ。
何なら、社内の観葉植物にも会釈してそうだ。
「……あいつならやりかねないな」
想像した。
観葉植物に向かって、
『あ、あの……今日から、お世話に……なりましゅ……』
と萎縮しているアオ。
「ぶはっ」
また吹いた。
ダメだ。
あの新人、いない場所でも面白い。
ある意味才能だ。
震えながらも、聞く。
固まりながらも、考える。
怖がりながらも、叩き台を出す。
昨日の告知文の修正案も、二日目の新人が出したものとは思えないほど悪くなかった。
「……スズちゃんが気に入るわけだわ」
そう呟いたところで、休憩スペースのソファから、気の抜けた声が飛んできた。
「おーい、姫野ー」
見ると、清白メイカがクッションを抱えてだらしなく伸びていた。
「おいーす。こんなとこで何してんだよ、スズちゃん」
「溶けてた~」
「床に染み込む前に固まれ」
「姫野、冷たいなぁ」
清白はくすくす笑いながら、姫野を見上げる。
「で、どうだった?」
「何が」
「アオちゃん」
姫野は足を止めた。
「……正直、最初は無理だと思った」
「うん」
「目も合わせねぇし、声は虫より小さいし、何かあるたびすぐ謝るし。あのまま現場の速度に放り込んだら、一週間で蒸発すると思った」
「……蒸発ね」
「水分量少なそうだしな」
「そう?あの子の感情は常に湿気ってそうだけど」
「……たしかに」
清白がふふっと笑った。
「でも?」
「でも……思ったより見てる」
「何を?」
「資料の抜けとか、言葉の違和感とか、タレント本人のニュアンスとか。派手なことはできねぇけど、妙に細かいとこ拾う」
「あと、ビビってるくせに逃げねぇ」
「へぇ」
「本人は自信なさそうだけどな。むしろ自信がなさすぎて、毎回確認する。今のところ、それがいい方向に出てる」
「うんうん」
「ただ、遅い。処理も会話も遅い。あと抱え込みそう。ヘルプを呼ぶのに、一回ごとに心頭滅却してる」
「え~?ホントに~?」
「いや、マジマジ。なんも誇張してない」
清白は少しだけ目を細めた。
「そっか」
「何だよ」
「いや、ちゃんと見てくれてるなぁって」
「……そりゃ、あんたが拾ってきた新人だろ」
「うん」
「アンタが見出しただけはあるのかも、って思ったよ。少しだけな」
「おお~」
清白がわざとらしく手を叩いた。
「ミカンちゃんから“見出しただけはある”いただきました~」
「うぜぇ」
「私の勝ちだね」
「いや、別に勝ち負けの話じゃ……」
「ねぇ姫野」
「……んだよ」
「GGEZ」
(こ、こいつ……!)
「ふぉっふぉっふぉっ」
清白は謎の高笑いをしながら、廊下の壁にもたれた。
「……アオちゃん、面白いでしょ」
「あぁ、まぁ……面白いな」
「心の声が表情にぜーんぶ出るでしょ」
「全部出るな」
「変な鳴き声も出るでしょ」
「おもろい音がな」
「それで、ちゃんと頑張るでしょ」
姫野は黙った。
清白の声は、変わらず軽い。
けれど、その言葉には、妙な確信があった。
「……アンタ、最初から分かってたのか?」
「何が?」
「遠藤がそういう奴だって」
「ん~。全部は分かんないよ」
清白は天井を見上げた。
「でも、面接のときね。アオちゃん、めちゃくちゃ緊張してたんだよ」
「だろうな」
「声も出てなかったし、質問にもまともに答えられてなかったし……FXで有り金全部溶かす人の顔してた」
「え、マジ?顔芸もできたのかよアイツ」
「いやホント。盛り無しね、コレ。思わず笑っちゃったもん」
「超見たかったんだけど」
「ミカンちゃん性格わる……」
「テメェが言うな」
清白は、自分の目元を指で軽く叩いた。
「でもね、そのときの目がさ」
「逃げたいはずのに、逃げてなかったんだよね」
姫野は黙って聞いた。
「怖い、無理、帰りたい、消えたい。顔には全部出てた。でも、それでも最後まで座ってた。ちゃんと聞こうとしてた。届かせようとしてた」
「……それで声かけたのかよ」
「うん。あと声」
「出てなかったんじゃねぇの?」
「出てなかったよ。でも、ほんの一瞬だけ出たの。ちゃんとした声が」
清白は、ふわりと笑った。
「透き通ってた。たぶん、あの子の中にずっと閉じ込められてた声」
「……詩人かよ」
「『我あり、あるがままにて十分なり』」
「アンタが言うと説得力が違ぇや」
ウォルト・ホイットマンだっけか?確か。
作者本人より説得力があるとはこれ如何に。
「……だからさ、力になってあげたくなっちゃったんだ」
「ああいう子が、なりたい自分になるために」
「……なるほどな」
「姫野にだって、そういうとこあるんじゃない?」
「……そんなことねぇよ」
「一生懸命だけど、うまくいかない子。怖がりだけど、頑張ろうとしてる子。そういう子を見ると、すぐ面倒見たくなる」
「ないって」
「昔の姫野みたいだから?」
「……っ」
姫野は、言葉に詰まった。
少しだけ、廊下が静かになる。
忘れるはずもない――――数年前に起こった、あの世界的パンデミック。
世界が突然、止まった。
それまで「会うのが当たり前」だった日常が、まるごと剥ぎ取られて、人と人の距離が強制的に離された。
その代わりに急速に伸びたのが、動画や配信、e-sportsなどの各種オンラインサービスの類だ。
――この業界も、その波に乗って一気に跳ね上がった。
当時は、配信を始めさえすれば誰かしらが見に来てくれる時代だった。
ファンも配信者も「特別」であることを意識するより先に、「繋がれる」ことそのものに熱狂していた。
今思えば、あれは完全なるバブル景気でしかなかったんだろう。
けど、今はもう違う。
そのバブルはもう崩壊した。
かつてのパンデミックも既に終息を迎えており、元の世界の姿に戻ってきている。
しかしその一方で、かつての熱狂ぶりが忘れられないのか、全体的なVtuberの数は今でも指数関数的に増え続けている。
そんなわけで、今じゃもう完全に飽和状態。
どこを見ても似たような声、似たような企画、似たような配信枠が並んでる。
もう“始めた”だけじゃ誰も振り向かないし、生き残るためには人並外れた工夫やセンス、覚悟がなきゃいけない。
――その過程で、潰れていった人間を山ほど見てきた。
声が出なくなったやつ、燃え尽きたやつ、消えるように去っていったやつ。
名前なんて、もうほとんど思い出せない。
消滅した事務所も数知れず。
この世界って、そういう場所だ。
冷たいって言えば冷たいし、残酷って言えば本当に残酷。
(シビアな世界だよな、ホント……)
私は今の仕事が好きだし、誇りだって持ってる。
けど――それと同じくらい、どうしようもなく儚くて、脆い現実も知ってる。
「……だからだよ」
アタシは小さく言った。
「だから、怖ぇんだよ。ああいうやつが、ちょっと前に進み始めるとさ」
清白は黙って聞いている。
「できた、って思うだろ。見てもらえた、って思うだろ。役に立てた、って思う。そしたら、もっとやらなきゃってなる。期待に応えなきゃってなる。で、気づいたら自分で自分を潰す」
「……危なっかしくて見てられないんだよ」
「うん」
「できたって思う。見てもらえたって思う。そしたら、もっとやらなきゃってなる。ああいうタイプは、自分で自分を潰しかねない」
「優しいねぇ、姫野」
「違ぇよ。仕事上のリスク管理だ」
「ふふ。じゃあ、リスク管理として面倒見るんだ?」
「そうだよ」
「隣の席にするのも?」
「質問しやすいだろ。抱え込む前に気づける」
「あと、変な鳴き声がすぐ聞ける?」
「……業務上必要な観察だ」
「ギエピー」
「ギエピーはやめとけ」
清白がころころ笑う。
姫野も、つられて少しだけ笑った。
「アオちゃんの本当の声、聞いた?」
清白が不意に聞いた。
「少しだけな」
「どうだった?」
「まぁ……綺麗だったよ。普段は蚊の鳴くような声だけど、ちゃんと出ればかなり通る。透明感もある」
「でしょ?」
「ただ、本人が出せねぇ。人前に立つと閉じる。褒めても閉じる。見られても閉じる。二枚貝かよ」
「アオガイ」
「……アオガイは二枚貝じゃないぞ」
「あ、そうなの。ミカンちゃん頭いい~」
「ミカンちゃんやめろ」
そもそも貝なのかどうかすら怪しい。
貝なのかタコなのか。
まぁどっちとも近いか、アイツ。
フニャフニャしてるし。
「……でもね、姫野」
清白は、穏やかに笑った。
「閉じてる子って、開いた時にすごいんだよ」
姫野は何も言わなかった。
清白の言うことは、時々よく分からない。
けれど、人を見る目だけは妙に鋭い。
それを姫野は知っている。
「だから拾ったの」
「タレントとしてじゃなくて?」
「今はね」
「あんまり変な期待は持たせるなよ」
「期待はしてるよ。でも、タレントにしたいって意味じゃない。アオちゃんが、自分の声とか居場所を見つけられたらいいなっていう期待」
「……相変わらず、ふわっと重いこと言うな」
「姫野ほどじゃないよ~」
「アタシは重くねぇ」
清白はにへっと笑った。
「アオちゃんのこと、よろしくね」
「言われなくても見るよ」
「けど、ほどほどにね。姫野、気に入った子ほど構い倒すから」
「アタシを猛獣みたいに言うな」
「アオちゃん、すぐびっくりするから」
「知ってる」
「泣かせちゃだめだよ?」
「泣かせねぇよ」
「ほんとに?」
「泣かせたら、アンタがうるせぇだろ」
「うん。めちゃくちゃうるさいよ~」
姫野はため息をついた。
本当に、この人はずるい。
ふざけているようで、いつも大事なところだけは外さない。
「あ、そうだ」
ソファから立ち上がった清白が、いきなり何やらニヤついた表情でこちらに振り返った。
――まっずい。
姫野は嫌な予感がした。
「……おい。何企んでやがる」
「実はね~」
「おい」
「今日の収録、冒頭トークの尺が足りないかもなんだよね〜」
「ああ、そういや誰かが言ってたような……」
「だからさ、姫野」
「……何すか」
「……冒頭のつなぎ、お願いできる?」
「はい出たァアアアア!」
廊下に姫野の声が響いた。
通りすがりのスタッフが一瞬こちらを見て、「ああ、また清白さん絡みか」という顔で去っていく。
「収録まであと30分もねーんだよ!」
「えーでも姫野って機転が利くし、声通るし、空気読むの上手いし~」
「褒めて押し付けるな!」
「あと、今日ちょっとデレ成分多めだから、きっといい感じになるよ」
「デレ成分ってなんだよ!」
「アオちゃん効果?」
「あァん!?」
「ミカンちゃん照れてる〜!カワイ〜!」
「テメェはいつかブチ殺す!!」
清白は笑いながら、スタジオの方へ歩いていく。
アオはまだ危なっかしい。
仕事も遅い。
視線も泳ぐ。
謝罪も多い。
でも、逃げない。
ちゃんと見ている。
考えている。
ほんの少しずつ、前に進もうとしている。
なら、見てやるくらいはいい。
先輩として。
運営スタッフとして。
……それから、まあ。
面白い鳴き声を聞くために。
「うちのモルモットに、カッコ悪い背中は見せらんねぇしな」
「ん? 姫野、今なんか言った?」
「……何でもねぇって」
「まぁウチらもちゃんとガンバんなきゃ。ね、センパイ?」
「聞こえてんじゃねぇか!」
「責任重大だねぇ」
「誰のせいだ、誰の!」
清白が笑う。
姫野は舌打ちしながら、スタジオの扉を押し開けた。
照明の白。
機材の熱。
スタッフの声。
いつものVSPが、そこにあった。
忙しくて、騒がしくて、胃に悪い。
それでも、何だか気分は悪くない。
「しゃあねぇ……よし、始めるぞ!」
姫野の声に、スタジオの空気が締まる。
そして姫野は、頭の片隅で思っていた。
明日の朝、隣の席に座るあの根暗な新人が、どんな顔で「おはようございます」と言うのか。
それを少しだけ楽しみにしている自分のことは、まだ誰にも見抜かれたくなかった。