VTuber業界って、穏やかじゃないですね? 作:エクシーク
入社して、数日が経った。
数日。
たった数日。
けれど、アオの体感では半年くらい経っていた。
――VSPの時間はおかしい。
朝イチに出社して、姫野さんにヒィヒィ言わされてたら昼で、資料を見ていたら夕方で、チャット通知に追われていたら退勤時間で、家に帰る頃には魂が消えかかっている。
間違いない。この場所は明らかに時空が歪んでいる。
きっとアクセルワールドか何かだ。
けど――
「……慣れてきた、のかな」
自分の席で小さく呟く。
慣れてきた。
そう言っていいのかは分からない。
少なくとも、初日のようにオフィスへ入った瞬間、魂が宙を舞うことはなくなった。
チャット通知の音を聞いて、反射的に謝ることも少し減った。
姫野さんに話しかけられたとき、毎回心臓が階段から落ちるような感覚になるのも、随分とマシになってきた。
すごい充実感を感じる。今までにない何か熱い充実感を。
「おい、遠藤」
「ひんっ」
――はい、噓ぴょーん。
開幕から完全に声が裏返った。
人間としてまるで成長していない。
姫野さんが「おぉ」と謎の感嘆を出しながら、隣の席からこちらを見た。
「お前、朝イチで新作出したな」
「お、おはようございます……」
「ん、おはよ」
出ました。新キャラの登場です。
『ひゃい』、『ひょっ』、『ミ゛っ』。
そして今回、新たに加わった『ひんっ』。
アオ語録の四段活用。
またの名を、出涸らしカルテット。
新メンバー絶賛募集中。
「ああ、そうだ。今日の予定についてだが……」
姫野さんは、相変わらず少しガサツで、言葉遣いも荒っぽい。
でも、ここ数日で分かったことがある。
この人は、怖そうに見えて、ちゃんと見てくれる人だ。
私が抱え込みそうになる前に声をかけてくれる。
間違えそうなところは先に止めてくれる。
そして、変な声を出したら絶対に拾ってくる。
……そこだけは本当に見逃してほしかった。
「今日、午後から打ち合わせな」
「う、打ち合わせ……ですか?」
「ああ。配信・動画制作チームと」
「配信・動画制作チーム……」
私はメモ帳を開いた。
タレントマネジメント部。
それが、私や姫野さんの所属部署。
タレントの企画、スケジュール、確認事項、関係各所との調整などを担当する部署。
そして配信・動画制作チームは、同じ運営統括プロデューサー配下にある別部署。
配信の技術面、動画素材、編集、告知用ショート動画、配信演出などを扱うチームだと聞いている。
別部署。別の生物。
つまり、未知との遭遇。
人類には早すぎる。
「……姫野さん」
「あ?」
「む、無茶です。別部署の方と打ち合わせなんて……人類にはまだ早すぎます……!」
「いや何ドラマチックな感じ出してんの?お前の参加はもう決まってんだよ」
「なん……だと……」
姫野さんは呆れたようにため息をついた。
「心配すんな、進行はアタシがやるから。お前はただ、資料見て気づいたことを言えばいい」
「気づいたこと……」
「前に告知文の叩き台出しただろ。あれ、他部署でも結構評価されてるぞ」
「えっ」
「だから今回、お前も同席させることになった」
私は固まった。
評価。同席。別部署。
そして打ち合わせ。
この単語たちが、脳内で騎馬を組んでこちらへ突撃してくる。
「今回のアタシらと打合せするのは。配信・動画制作チームの蓮見ってヤツだ」
姫野さんは、手元の資料を私に見せた。
「腕はいい。仕事も早い。けど、基本無気力。ダウナー系の職人って感じだな」
「ダウナー系の職人……」
「あと、あんま人と関わるタイプじゃない」
「……なんだか、急に親近感が」
「バカたれ。お前と違って蓮見は真っ当に喋れる」
「ぐふっ……」
ダウナー系。
職人肌。
あまり人と関わらない。
何となく、勝手に仲間意識が芽生えかけた。
ただし、きっと蓮見さんは仕事ができるタイプの無気力。
私は仕事ができないタイプの低燃費。
同じ省エネでも、電気自動車と電池切れのリモコンくらい違う。
「ま、お前を同席させるのは、私の提案じゃねぇんだけどな」
「え?」
「蓮見からの要望。『もしよければ遠藤さんも是非』って」
「…………ヱ?」
アオは完全に停止した。
別部署の人。
まだ会ったこともない人。
その人が、自分を打ち合わせに呼んだ。
なぜ。
どうして。
ホワイ?
まさか、私は何かやらかしたのでは。
いや、やらかしたなら打ち合わせではなく呼び出しでは。
呼び出し?
これ呼び出し?
「姫野さん」
「何」
「私、何かしましたか……?」
「成果出したって話してんだろ」
「でも、別部署の方が私を指名するなんて……きっと裏があります……」
「仕事の打ち合わせに陰謀論持ち込むな」
「あぁ、やっぱ私は実験動物なんだぁ……」
「……もしかしてモルモット呼ばわりしてるの、結構根に持ってる?」
◇
午後。
会議室の前で、私は深呼吸をした。
一回。二回。三回。
まだ足りない。
四回。五回。
「その辺にしとけ。過呼吸になるぞ」
横から姫野さんが言った。
「こ、呼吸の適量が分からなくて……」
「普通に吸って吐け」
「普通が一番難しいです……」
「ハイハイ、ムズイムズイ」
「ざ、雑……!」
とうとう姫野さんにテキトーにあしらわれ始めた。
「大丈夫だ。進行はアタシがやる。お前は無理に喋ろうとしなくていい」
「は、はい……」
「ただ、気づいたことがあったら言え。遠慮して飲み込むな」
「……はい」
「謝罪は禁止な」
「すみま――あっ」
「開幕前からダウト。早えっつーの」
「気を付けます……」
そして、姫野さんがドアを開けた。
会議室には、すでにひとりの女性が座っていた。
黒っぽい服。
少し眠そうな目。
無駄のない姿勢。
手元にはタブレット。
その雰囲気は、確かに姫野さんの言う通りだった。
ダウナー系。
職人。
あまり喋らなさそう。
でも、仕事は速そう。
そんな印象を受ける人だった。
「お疲れ、蓮見」
「お疲れさまです、姫野さん」
蓮見さんは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、私を見る。
目が合いそうになった瞬間、私は視線を机の角へ逃がした。
机の角、こんにちは。
今日もたいへん鋭利ですね。
「……はじめまして」
蓮見さんは、静かな声で言った。
「配信・動画制作チームの蓮見カンナです」
「あ、あの……タ、タレントマネジメント部の、遠藤アオ、です……本日は、その……よ、よろしくお願いします……」
言えた。
ぎりぎり言えた。
声は細かったが、挨拶の形は保っていた。
大丈夫、これは挨拶。
鳴き声には分類されない……ハズ。
「よろしくお願いします」
蓮見さんは、すっと手を差し出してきた。
握手。
握手だ。
人類の友好を示す儀式。
しかし、私はその儀式に慣れていない。
握手という行為は、私にとっては上級者向けのコミュニケーションである。
手を出す。握る。離す。
簡単に見えるが、実はその全てに絶妙なタイミングがある。
――人間業ってもしかして、まあまあ離れ業?
「……あ、はい」
私はおそるおそる手を差し出した。
蓮見さんの手が、私の手を包む。
冷たい。
細い。
でも、握り方は丁寧だった。
よかった。
普通の握手だ。
そう思った。
思ったのだが。
「……」
蓮見さんは、手を離さなかった。
…………ん?
あれ、おかしいな。離れない。
もしかして、手に接着剤でも付いちゃってたかな。
「……」
さらに、蓮見さんは私の手を両手で包み直した。
そして、にぎにぎし始めた。
にぎ。にぎ。にぎ。
私はフリーズした。
脳が止まった。
目の前の世界がスローモーションになる。
「おい、蓮見」
姫野さんの声が聞こえた。
遠い。
遠くから聞こえる。
私は今、精神だけ天井付近に浮かび上がっている気がする。
「何してんだお前」
「……いや」
蓮見さんは、私の手をにぎにぎしたまま言った。
「肉球が……」
「何言ってんだコイツ」
姫野さんの声が、会議室に響いた。
「人間に肉球はねぇよ。離せ。遠藤の魂が半分出てる」
「もう少しだけ」
「ダメだっつってんだろ」
姫野さんが私と蓮見さんの間に手を入れ、強制的に握手を終了させた。
私の手が解放される。
戻ってこい、魂。
ここはまだ現世ぞ。
「……す、すみません……」
「はいダウt……いや、今回ばかりはノーカンだな」
あ、姫野さん優しい。
「おい蓮見。お前、仮にも遠藤とは初対面だろ」
「はい」
「はいじゃないが」
「柔らかかったので」
「理由になってねぇ」
私は自分の手を見つめた。
他部署の人に、初対面で肉球認定された。
しかも、人間なのに。
人間としての境界が、日に日に崩れていく。
最初は姫野さんにモルモットと言われた。
今日は蓮見さんに肉球と言われた。
このままでは、社内全体に小動物認定される日も近い。
「……あの、私は一応、人間で……」
「はい。把握しています」
「把握されてるのに……!?」
蓮見さんは、表情をほとんど変えなかった。
だが、その目だけが、少しだけ輝いているように見えた。
気のせいだろうか。
気のせいであってほしい。
しかし、本題に入ると、蓮見カンナという人の印象は一変した。
「では、週末企画配信の動画素材について確認します」
タブレットを操作しながら、蓮見さんは端的に話し始めた。
「対象素材は三本。うち一本は尺調整が必要。二本目は使用許諾確認済み。ただし、サムネイル転用は不可。三本目は音源差し替え前提です」
「告知用ショートの方向性は?」
姫野さんがすぐに聞く。
「十五秒版と三十秒版を作ります。十五秒版はテンポ重視。三十秒版は企画内容を見せる構成。どちらも冒頭二秒で配信テーマが伝わるようにします」
「出演タレントの確認は?」
「仮編集後に本人確認。セリフ字幕のニュアンスはマネジメント側で一度見てほしいです」
「了解。こっちで見る」
会話が速い。
速すぎる。
私の脳内で、小さな私が全力疾走している。
今、何本目?
十五秒?
三十秒?
音源差し替え?
本人確認?
字幕ニュアンス?
情報が光の速度で流れていく。
けれど、蓮見さんの説明は無駄がなかった。
短い。けど分かりやすい。
必要な情報だけが、綺麗に並んでいる。
先ほど私の手をにぎにぎして「肉球が……」と言っていた人物と、同一人物とは思えない。
すごい。
この人、変だけど、すごい。
いや、VSPでは「変だけどすごい」が標準装備なのかもしれない。
姫野さんも、清白さんも、蓮見さんも。
逸材には変人属性が付属するのだろうか。
だとしたら、私は逸材ではないただの変人だ。
――悲しい。
「遠藤、資料見えてるか」
「あ、はい……!」
姫野さんに声をかけられ、私は慌てて画面に集中した。
資料には、週末の企画配信で使用する予定の動画素材一覧と、告知用ショート動画の構成案が並んでいた。
出演タレント。
企画テーマ。
使用予定シーン。
字幕案。
音楽。
テンポ。
投稿タイミング。
目が滑りそうになる。
でも、見逃さない。
姫野さんに言われた。
気づいたことがあったら言え、と。
飲み込むな、と。
私は資料を追った。
一つずつ。
文字を拾う。
構成を見る。
出演タレントの配信アーカイブで見た雰囲気を思い出す。
すると、一か所だけ、引っかかった。
告知用ショートの中盤。
タレントのリアクションを強く切り出す構成。
動画としては目を引く。
テンポもいい。
たぶん、一般的なショート動画としては正しいのだろう。
でも。
――告知用ショート動画としては不完全に見える。
このタレントさんは、普段の配信では、もっと柔らかく場を回す人だったはず。
強いツッコミや、過度に煽るような印象ではない。
この切り抜き方だと、企画自体は楽しそうに見える。
けれど、本人の普段の雰囲気とは少し違って見えるかもしれない。
「……」
言うべきか。
言わないべきか。
会議は進んでいる。
姫野さんと蓮見さんの会話は速い。
二人とも、迷いがない。
そこへ入社数日の新人が割って入る?
ありえへん。
無理ぽよ。
「では、この方向で一度仮編集を――」
蓮見さんが言いかけた。
その瞬間、ほんの少しだけ間ができた。
「……あ、あのっ」
反射的に声が出た。
思ったより、大きかった。
姫野さんと蓮見さんが、こちらを見る。
視線。
でも、言わなきゃ。
「その……す、すみま――じゃなくて……えっと、確認なんですけど……」
姫野さんの眉が少し動いた。
謝罪を飲み込んだことに気づいた顔だった。
「この中盤の切り出し部分なんですが……動画としては、とても目を引くと思います。テンポも良くて、ショートとして分かりやすいです」
言葉が震える。
でも、続ける。
「ただ、出演されるタレントさんの普段の配信の雰囲気って、もう少し柔らかくて……相手の方を立てながら場を回すタイプ、というか……」
「ここだけ見ると、少し強めのツッコミ役みたいに見えるかもしれないな、と……思いまして……」
会議室が静寂に包まれた。
先ほどとは打って変わって、この静謐。
…………ヤッヴァイ。
お母さん、お父さん、そして妹よ。
私は今日、会議室で散ります。
アイルビーバック。
「……」
蓮見さんは、じっと資料を見ていた。
怖い。
無表情が怖い。
何を考えているのか分からない。
姫野さんも黙っている。
その沈黙がさらに怖い。
「……なるほど」
蓮見さんが呟いた。
私は肩を跳ねさせた。
「確かに、ショートとしての強度を優先しすぎて、タレント本人の普段のトーンとの接続が弱いですね」
「えっ」
「そのご指摘、正しいと思います」
「えっ」
「この観点は、制作側だけだと漏れやすいです。素材をどう見せるかに寄りすぎるので、タレント本人の普段の空気感との整合性は、マネジメント側の意見が必要です」
蓮見さんは、私の方を見た。
「遠藤さん、ありがとうございます。ここまで多角的な意見は、自分だけでは出せませんでした」
「……え」
褒められた。
別部署の職人に。
きちんと。
真正面から。
その瞬間、私の脳は処理を放棄した。
画面が暗転する。
脳内の全社員が一斉退勤した。
閉店ガラガラ。
「おい、遠藤」
姫野さんの声。
「遠藤。再起動しろ」
「……はっ」
私は我に返った。
「す、すみま――」
「ダウト」
「あっ……」
「今のはありがとうございますだろ」
「あ、ありがとうございます……!」
姫野さんは満足げに頷いた。
「だそうだ、蓮見……蓮見?」
しかし、蓮見はその様子をじっと見ていた。
じっと。
かなり、じっと。
そして、タブレットに何かを打ち込み始めた。
「……蓮見」
姫野が怪訝そうに目を細める。
「お前、なにしてんの」
「議事録です」
「……本当か?」
「処理落ち……モルモット……良い」
「心の声はダダ漏れなんだけど?」
「後であの動画、見直さなきゃ……!」
「もう隠す素振りすらねぇや、コイツ」
蓮見は一切悪びれなかった。
それどころか、真顔のままアオを見た。
そして――
「この子、やっぱりモルモットみたいでカワイイ」
ついに言った。
正面切って、完全に言い切りやがった。
アオは椅子の上で完全に固まった。
――テッテレー。
あなたはVSPの公認モルモットに認定されました。
遠藤アオ:VSP事務所タレントマネジメント部所属。
霊長目ヒト科テンジクネズミ属モルモット種。
「……も、モル……」
「遠藤?」
「……他部署の人にまで、モルモット認定……」
「おい、遠藤。しっかりしろ」
アオの顔から表情が抜け落ちていく。
目は虚空を見つめる。
口元は力なく開く。
それはまさに――
「ぶっ」
姫野さんが吹いた。
「ぶはははははははっ!」
次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「お、お前、その顔!ほ、ホントにFXで有り金全部溶かして……!」
「…………」
アオは何も言えなかった。
有り金は溶かしていない。
けれど間違いなく、人としての尊厳は溶けた。
「ははははははっ!……や、やばい、笑い殺される!……助けてスズちゃん!」
姫野さんは床の上でのたうち回っていた。
唯一のストッパーが機能していない。
果てには、あのVSPが誇る狂人・清白さんにさえ助けを求めだす始末。
「その顔もまた……イイ」
その傍らで、蓮見さんは真顔で妄言を呟いている。
ひどい。これはひどい。
京都人がド直球に、「死ねどす」と暴言を吐くレベルでひどい。
――控えめに言って、この空間は終わっていた。