VTuber業界って、穏やかじゃないですね?   作:エクシーク

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第4話:コミュ障、VSPの名誉モルモットになる

 

入社して、数日が経った。

数日。

たった数日。

けれど、アオの体感では半年くらい経っていた。

 

――VSPの時間はおかしい。

朝イチに出社して、姫野さんにヒィヒィ言わされてたら昼で、資料を見ていたら夕方で、チャット通知に追われていたら退勤時間で、家に帰る頃には魂が消えかかっている。

 

間違いない。この場所は明らかに時空が歪んでいる。

きっとアクセルワールドか何かだ。

 

けど――

 

「……慣れてきた、のかな」

 

自分の席で小さく呟く。

慣れてきた。

そう言っていいのかは分からない。

 

少なくとも、初日のようにオフィスへ入った瞬間、魂が宙を舞うことはなくなった。

チャット通知の音を聞いて、反射的に謝ることも少し減った。

姫野さんに話しかけられたとき、毎回心臓が階段から落ちるような感覚になるのも、随分とマシになってきた。

 

すごい充実感を感じる。今までにない何か熱い充実感を。

 

「おい、遠藤」

 

「ひんっ」

 

――はい、噓ぴょーん。

 

開幕から完全に声が裏返った。

人間としてまるで成長していない。

 

姫野さんが「おぉ」と謎の感嘆を出しながら、隣の席からこちらを見た。

 

「お前、朝イチで新作出したな」

 

「お、おはようございます……」

 

「ん、おはよ」

 

出ました。新キャラの登場です。

 

『ひゃい』、『ひょっ』、『ミ゛っ』。

そして今回、新たに加わった『ひんっ』。

 

アオ語録の四段活用。

またの名を、出涸らしカルテット。

新メンバー絶賛募集中。

 

「ああ、そうだ。今日の予定についてだが……」

 

姫野さんは、相変わらず少しガサツで、言葉遣いも荒っぽい。

でも、ここ数日で分かったことがある。

 

この人は、怖そうに見えて、ちゃんと見てくれる人だ。

私が抱え込みそうになる前に声をかけてくれる。

間違えそうなところは先に止めてくれる。

 

そして、変な声を出したら絶対に拾ってくる。

……そこだけは本当に見逃してほしかった。

 

「今日、午後から打ち合わせな」

 

「う、打ち合わせ……ですか?」

 

「ああ。配信・動画制作チームと」

 

「配信・動画制作チーム……」

 

私はメモ帳を開いた。

 

タレントマネジメント部。

それが、私や姫野さんの所属部署。

 

タレントの企画、スケジュール、確認事項、関係各所との調整などを担当する部署。

そして配信・動画制作チームは、同じ運営統括プロデューサー配下にある別部署。

配信の技術面、動画素材、編集、告知用ショート動画、配信演出などを扱うチームだと聞いている。

 

別部署。別の生物。

つまり、未知との遭遇。

人類には早すぎる。

 

「……姫野さん」

 

「あ?」

 

「む、無茶です。別部署の方と打ち合わせなんて……人類にはまだ早すぎます……!」

 

「いや何ドラマチックな感じ出してんの?お前の参加はもう決まってんだよ」

 

「なん……だと……」

 

姫野さんは呆れたようにため息をついた。

 

「心配すんな、進行はアタシがやるから。お前はただ、資料見て気づいたことを言えばいい」

 

「気づいたこと……」

 

「前に告知文の叩き台出しただろ。あれ、他部署でも結構評価されてるぞ」

 

「えっ」

 

「だから今回、お前も同席させることになった」

 

私は固まった。

 

評価。同席。別部署。

そして打ち合わせ。

この単語たちが、脳内で騎馬を組んでこちらへ突撃してくる。

 

「今回のアタシらと打合せするのは。配信・動画制作チームの蓮見ってヤツだ」

 

姫野さんは、手元の資料を私に見せた。

 

「腕はいい。仕事も早い。けど、基本無気力。ダウナー系の職人って感じだな」

 

「ダウナー系の職人……」

 

「あと、あんま人と関わるタイプじゃない」

 

「……なんだか、急に親近感が」

 

「バカたれ。お前と違って蓮見は真っ当に喋れる」

 

「ぐふっ……」

 

ダウナー系。

職人肌。

あまり人と関わらない。

 

何となく、勝手に仲間意識が芽生えかけた。

ただし、きっと蓮見さんは仕事ができるタイプの無気力。

私は仕事ができないタイプの低燃費。

同じ省エネでも、電気自動車と電池切れのリモコンくらい違う。

 

「ま、お前を同席させるのは、私の提案じゃねぇんだけどな」

 

「え?」

 

「蓮見からの要望。『もしよければ遠藤さんも是非』って」

 

「…………ヱ?」

 

アオは完全に停止した。

別部署の人。

まだ会ったこともない人。

その人が、自分を打ち合わせに呼んだ。

 

なぜ。

どうして。

ホワイ?

 

まさか、私は何かやらかしたのでは。

いや、やらかしたなら打ち合わせではなく呼び出しでは。

呼び出し?

これ呼び出し?

 

「姫野さん」

 

「何」

 

「私、何かしましたか……?」

 

「成果出したって話してんだろ」

 

「でも、別部署の方が私を指名するなんて……きっと裏があります……」

 

「仕事の打ち合わせに陰謀論持ち込むな」

 

「あぁ、やっぱ私は実験動物なんだぁ……」

 

「……もしかしてモルモット呼ばわりしてるの、結構根に持ってる?」

 

 

午後。

会議室の前で、私は深呼吸をした。

一回。二回。三回。

まだ足りない。

四回。五回。

 

「その辺にしとけ。過呼吸になるぞ」

 

横から姫野さんが言った。

 

「こ、呼吸の適量が分からなくて……」

 

「普通に吸って吐け」

 

「普通が一番難しいです……」

 

「ハイハイ、ムズイムズイ」

 

「ざ、雑……!」

 

とうとう姫野さんにテキトーにあしらわれ始めた。

 

「大丈夫だ。進行はアタシがやる。お前は無理に喋ろうとしなくていい」

 

「は、はい……」

 

「ただ、気づいたことがあったら言え。遠慮して飲み込むな」

 

「……はい」

 

「謝罪は禁止な」

 

「すみま――あっ」

 

「開幕前からダウト。早えっつーの」

 

「気を付けます……」

 

そして、姫野さんがドアを開けた。

会議室には、すでにひとりの女性が座っていた。

 

黒っぽい服。

少し眠そうな目。

無駄のない姿勢。

手元にはタブレット。

 

その雰囲気は、確かに姫野さんの言う通りだった。

 

ダウナー系。

職人。

あまり喋らなさそう。

でも、仕事は速そう。

 

そんな印象を受ける人だった。

 

「お疲れ、蓮見」

 

「お疲れさまです、姫野さん」

 

蓮見さんは、ゆっくりと顔を上げた。

そして、私を見る。

 

目が合いそうになった瞬間、私は視線を机の角へ逃がした。

机の角、こんにちは。

今日もたいへん鋭利ですね。

 

「……はじめまして」

 

蓮見さんは、静かな声で言った。

 

「配信・動画制作チームの蓮見カンナです」

 

「あ、あの……タ、タレントマネジメント部の、遠藤アオ、です……本日は、その……よ、よろしくお願いします……」

 

言えた。

ぎりぎり言えた。

声は細かったが、挨拶の形は保っていた。

 

大丈夫、これは挨拶。

鳴き声には分類されない……ハズ。

 

「よろしくお願いします」

 

蓮見さんは、すっと手を差し出してきた。

 

握手。

握手だ。

人類の友好を示す儀式。

 

しかし、私はその儀式に慣れていない。

 

握手という行為は、私にとっては上級者向けのコミュニケーションである。

手を出す。握る。離す。

簡単に見えるが、実はその全てに絶妙なタイミングがある。

 

――人間業ってもしかして、まあまあ離れ業?

 

「……あ、はい」

 

私はおそるおそる手を差し出した。

蓮見さんの手が、私の手を包む。

 

冷たい。

細い。

でも、握り方は丁寧だった。

 

よかった。

普通の握手だ。

そう思った。

思ったのだが。

 

「……」

 

蓮見さんは、手を離さなかった。

 

…………ん?

あれ、おかしいな。離れない。

もしかして、手に接着剤でも付いちゃってたかな。

 

「……」

 

さらに、蓮見さんは私の手を両手で包み直した。

そして、にぎにぎし始めた。

 

にぎ。にぎ。にぎ。

 

私はフリーズした。

脳が止まった。

目の前の世界がスローモーションになる。

 

「おい、蓮見」

 

姫野さんの声が聞こえた。

遠い。

遠くから聞こえる。

私は今、精神だけ天井付近に浮かび上がっている気がする。

 

「何してんだお前」

 

「……いや」

 

蓮見さんは、私の手をにぎにぎしたまま言った。

 

「肉球が……」

 

「何言ってんだコイツ」

 

姫野さんの声が、会議室に響いた。

 

「人間に肉球はねぇよ。離せ。遠藤の魂が半分出てる」

 

「もう少しだけ」

 

「ダメだっつってんだろ」

 

姫野さんが私と蓮見さんの間に手を入れ、強制的に握手を終了させた。

私の手が解放される。

戻ってこい、魂。

ここはまだ現世ぞ。

 

「……す、すみません……」

 

「はいダウt……いや、今回ばかりはノーカンだな」

 

あ、姫野さん優しい。

 

「おい蓮見。お前、仮にも遠藤とは初対面だろ」

 

「はい」

 

「はいじゃないが」

 

「柔らかかったので」

 

「理由になってねぇ」

 

私は自分の手を見つめた。

他部署の人に、初対面で肉球認定された。

 

しかも、人間なのに。

人間としての境界が、日に日に崩れていく。

最初は姫野さんにモルモットと言われた。

今日は蓮見さんに肉球と言われた。

 

このままでは、社内全体に小動物認定される日も近い。

 

「……あの、私は一応、人間で……」

 

「はい。把握しています」

 

「把握されてるのに……!?」

 

蓮見さんは、表情をほとんど変えなかった。

だが、その目だけが、少しだけ輝いているように見えた。

 

気のせいだろうか。

気のせいであってほしい。

しかし、本題に入ると、蓮見カンナという人の印象は一変した。

 

「では、週末企画配信の動画素材について確認します」

 

タブレットを操作しながら、蓮見さんは端的に話し始めた。

 

「対象素材は三本。うち一本は尺調整が必要。二本目は使用許諾確認済み。ただし、サムネイル転用は不可。三本目は音源差し替え前提です」

 

「告知用ショートの方向性は?」

 

姫野さんがすぐに聞く。

 

「十五秒版と三十秒版を作ります。十五秒版はテンポ重視。三十秒版は企画内容を見せる構成。どちらも冒頭二秒で配信テーマが伝わるようにします」

 

「出演タレントの確認は?」

 

「仮編集後に本人確認。セリフ字幕のニュアンスはマネジメント側で一度見てほしいです」

 

「了解。こっちで見る」

 

会話が速い。

速すぎる。

私の脳内で、小さな私が全力疾走している。

 

今、何本目?

十五秒?

三十秒?

音源差し替え?

本人確認?

字幕ニュアンス?

 

情報が光の速度で流れていく。

 

けれど、蓮見さんの説明は無駄がなかった。

短い。けど分かりやすい。

必要な情報だけが、綺麗に並んでいる。

 

先ほど私の手をにぎにぎして「肉球が……」と言っていた人物と、同一人物とは思えない。

 

すごい。

この人、変だけど、すごい。

いや、VSPでは「変だけどすごい」が標準装備なのかもしれない。

 

姫野さんも、清白さんも、蓮見さんも。

逸材には変人属性が付属するのだろうか。

だとしたら、私は逸材ではないただの変人だ。

――悲しい。

 

「遠藤、資料見えてるか」

 

「あ、はい……!」

 

姫野さんに声をかけられ、私は慌てて画面に集中した。

資料には、週末の企画配信で使用する予定の動画素材一覧と、告知用ショート動画の構成案が並んでいた。

 

出演タレント。

企画テーマ。

使用予定シーン。

字幕案。

音楽。

テンポ。

投稿タイミング。

 

目が滑りそうになる。

でも、見逃さない。

 

姫野さんに言われた。

気づいたことがあったら言え、と。

飲み込むな、と。

私は資料を追った。

 

一つずつ。

文字を拾う。

構成を見る。

 

出演タレントの配信アーカイブで見た雰囲気を思い出す。

すると、一か所だけ、引っかかった。

告知用ショートの中盤。

タレントのリアクションを強く切り出す構成。

動画としては目を引く。

 

テンポもいい。

 

たぶん、一般的なショート動画としては正しいのだろう。

でも。

 

――告知用ショート動画としては不完全に見える。

 

このタレントさんは、普段の配信では、もっと柔らかく場を回す人だったはず。

強いツッコミや、過度に煽るような印象ではない。

この切り抜き方だと、企画自体は楽しそうに見える。

けれど、本人の普段の雰囲気とは少し違って見えるかもしれない。

 

「……」

 

言うべきか。

言わないべきか。

 

会議は進んでいる。

姫野さんと蓮見さんの会話は速い。

二人とも、迷いがない。

そこへ入社数日の新人が割って入る?

 

ありえへん。

無理ぽよ。

 

「では、この方向で一度仮編集を――」

 

蓮見さんが言いかけた。

その瞬間、ほんの少しだけ間ができた。

 

「……あ、あのっ」

 

反射的に声が出た。

思ったより、大きかった。

姫野さんと蓮見さんが、こちらを見る。

視線。

でも、言わなきゃ。

 

「その……す、すみま――じゃなくて……えっと、確認なんですけど……」

 

姫野さんの眉が少し動いた。

謝罪を飲み込んだことに気づいた顔だった。

 

「この中盤の切り出し部分なんですが……動画としては、とても目を引くと思います。テンポも良くて、ショートとして分かりやすいです」

 

言葉が震える。

でも、続ける。

 

「ただ、出演されるタレントさんの普段の配信の雰囲気って、もう少し柔らかくて……相手の方を立てながら場を回すタイプ、というか……」

「ここだけ見ると、少し強めのツッコミ役みたいに見えるかもしれないな、と……思いまして……」

 

会議室が静寂に包まれた。

先ほどとは打って変わって、この静謐。

 

…………ヤッヴァイ。

 

お母さん、お父さん、そして妹よ。

私は今日、会議室で散ります。

アイルビーバック。

 

「……」

 

蓮見さんは、じっと資料を見ていた。

 

怖い。

無表情が怖い。

何を考えているのか分からない。

 

姫野さんも黙っている。

その沈黙がさらに怖い。

 

「……なるほど」

 

蓮見さんが呟いた。

私は肩を跳ねさせた。

 

「確かに、ショートとしての強度を優先しすぎて、タレント本人の普段のトーンとの接続が弱いですね」

 

「えっ」

 

「そのご指摘、正しいと思います」

 

「えっ」

 

「この観点は、制作側だけだと漏れやすいです。素材をどう見せるかに寄りすぎるので、タレント本人の普段の空気感との整合性は、マネジメント側の意見が必要です」

 

蓮見さんは、私の方を見た。

 

「遠藤さん、ありがとうございます。ここまで多角的な意見は、自分だけでは出せませんでした」

 

「……え」

 

褒められた。

別部署の職人に。

 

きちんと。

真正面から。

 

その瞬間、私の脳は処理を放棄した。

画面が暗転する。

脳内の全社員が一斉退勤した。

閉店ガラガラ。

 

「おい、遠藤」

 

姫野さんの声。

 

「遠藤。再起動しろ」

 

「……はっ」

 

私は我に返った。

 

「す、すみま――」

 

「ダウト」

 

「あっ……」

 

「今のはありがとうございますだろ」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

姫野さんは満足げに頷いた。

 

「だそうだ、蓮見……蓮見?」

 

しかし、蓮見はその様子をじっと見ていた。

じっと。

かなり、じっと。

そして、タブレットに何かを打ち込み始めた。

 

「……蓮見」

 

姫野が怪訝そうに目を細める。

 

「お前、なにしてんの」

 

「議事録です」

 

「……本当か?」

 

「処理落ち……モルモット……良い」

 

「心の声はダダ漏れなんだけど?」

 

「後であの動画、見直さなきゃ……!」

 

「もう隠す素振りすらねぇや、コイツ」

 

蓮見は一切悪びれなかった。

それどころか、真顔のままアオを見た。

そして――

 

「この子、やっぱりモルモットみたいでカワイイ」

 

ついに言った。

正面切って、完全に言い切りやがった。

 

アオは椅子の上で完全に固まった。

 

――テッテレー。

あなたはVSPの公認モルモットに認定されました。

 

遠藤アオ:VSP事務所タレントマネジメント部所属。

霊長目ヒト科テンジクネズミ属モルモット種。

 

「……も、モル……」

 

「遠藤?」

 

「……他部署の人にまで、モルモット認定……」

 

「おい、遠藤。しっかりしろ」

 

アオの顔から表情が抜け落ちていく。

目は虚空を見つめる。

口元は力なく開く。

それはまさに――

 

「ぶっ」

 

姫野さんが吹いた。

 

「ぶはははははははっ!」

 

次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。

 

「お、お前、その顔!ほ、ホントにFXで有り金全部溶かして……!」

 

「…………」

 

アオは何も言えなかった。

有り金は溶かしていない。

けれど間違いなく、人としての尊厳は溶けた。

 

「ははははははっ!……や、やばい、笑い殺される!……助けてスズちゃん!」

 

姫野さんは床の上でのたうち回っていた。

唯一のストッパーが機能していない。

果てには、あのVSPが誇る狂人・清白さんにさえ助けを求めだす始末。

 

「その顔もまた……イイ」

 

その傍らで、蓮見さんは真顔で妄言を呟いている。

 

ひどい。これはひどい。

京都人がド直球に、「死ねどす」と暴言を吐くレベルでひどい。

 

――控えめに言って、この空間は終わっていた。

 

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