劣等生と落伍者(Re:)   作:百済 影炎

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第七話 遺された兄妹

 龍が目を覚ましてから、数日後。

 

 彼はようやく、車椅子であれば病院内を移動できる程度まで回復していた。

 

 全身に走る裂傷と打撲。

 右腕にはまだ固定具が巻かれており、少し動かすだけでも鈍い痛みが走る。

 

 それでも――。

 

「……先生。お願いします」

 

 病室の入口で、龍は担当医を真っ直ぐ見上げた。

 

「那由他に、ちゃんと伝えたいんです」

 

 医師は難しい顔をした。

 

「百済君。君の精神状態も、まだ安定しているとは言えない。無理をすれば――」

 

「それでもです」

 

 龍は遮った。

 

 普段の彼からは想像もできないほど、強い声音だった。

 

「僕が……お兄ちゃんとして、言わなきゃいけないから」

 

 短い沈黙。

 

 やがて医師は、小さく息を吐いた。

 

「……わかった。ただし、無理はしないこと。気分が悪くなったらすぐに呼びなさい」

 

「はい」

 

 龍は静かに頭を下げた。

 

 その隣で、氷華が不安そうに龍を見つめていた。

 

「龍くん……本当に、大丈夫?」

 

「うん」

 

 龍は小さく笑う。

 

 だが、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。

 

「大丈夫じゃなくても、行かなきゃ」

 

 氷華は何も言えなくなる。

 

 代わりに、そっと車椅子の持ち手を握った。

 

「……私が押すね」

 

「ありがとう、氷華ちゃん」

 

 二人は静かな病院の廊下を進んでいく。

 

 消毒液の匂い。

 白い壁。

 無機質な蛍光灯の光。

 

 車椅子のタイヤ音だけが、やけに大きく響いていた。

 

 そして――。

 

 病室前のネームプレート。

 

 『百済 那由他』

 

 龍の喉が、小さく鳴った。

 

 氷華が心配そうに顔を覗き込む。

 

「……龍くん」

 

「うん。行こう」

 

 龍は数秒だけ目を閉じ、覚悟を決めるように深呼吸した。

 

 氷華が扉を開ける。

 

「――あっ、お兄ちゃん!」

 

 病室のベッドの上で、那由他がぱっと顔を明るくした。

 

 少し痩せてはいるが、その笑顔は事故以前と何も変わらない。

 

「氷華ちゃんも来てくれたんだ!」

 

「う、うん……」

 

 氷華はぎこちなく笑う。

 

 だが次の瞬間、那由他の表情が固まった。

 

「……え」

 

 視線が、龍へ向く。

 

 包帯だらけの身体。

 固定された右腕。

 青白い顔色。

 

「お兄……ちゃん……?」

 

 震える声。

 

「どうしたの、それ……!」

 

「……ちょっと、事故に巻き込まれちゃって」

 

 龍はできるだけ穏やかに答えた。

 

 しかし那由他は首を横に振る。

 

「ちょっと、じゃないよ……! そんな……そんなの……!」

 

 今にも泣きそうな顔だった。

 

 龍は一瞬だけ目を伏せる。

 

 そして、静かに言った。

 

「那由他。大事な話があるんだ」

 

 空気が変わった。

 

 那由他も、それを感じ取ったのだろう。

 

 ベッドのシーツを握る指に力が入る。

 

「……うん」

 

 龍は言葉を探すように、数秒沈黙した。

 

 喉が痛い。

 

 胸が苦しい。

 

 それでも――逃げるわけにはいかなかった。

 

「お父さんと、お母さんが……」

 

 声が掠れる。

 

「事故で、死んじゃった」

 

 那由他の瞳が、大きく見開かれた。

 

「……え?」

 

 理解が追いついていないようだった。

 

「な、に……言って……」

 

「……ごめん」

 

 龍は唇を噛み締める。

 

「もっと、早く伝えたかった。でも……僕もずっと意識がなくて……」

 

「うそ……だよね……?」

 

 那由他の声が震える。

 

「だって、お父さんもお母さんも……この前だって……」

 

 ぽろり、と。

 

 涙が零れ落ちた。

 

「やだ……」

 

 震える声。

 

「やだよぉ……」

 

 那由他は顔を覆い、そのまま嗚咽を漏らした。

 

「やだぁっ……!」

 

 病室に、少女の泣き声が響く。

 

 龍は何も言えなかった。

 

 自分だって、まだ受け止めきれていない。

 

 両親が死んだという現実を。

 

 もう二度と会えないという事実を。

 

 けれど。

 

 それでも。

 

 龍は震える左手を伸ばし、那由他の手を握った。

 

「……那由他」

 

 少女が涙に濡れた顔を上げる。

 

 龍は必死に笑おうとした。

 

「僕たちまで、止まっちゃだめだ」

 

「……っ」

 

「お父さんもお母さんも、きっとそんなこと望まない」

 

 それは、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。

 

「つらいよ。僕も……すごくつらい」

 

 声が震える。

 

「でも、僕は那由他のお兄ちゃんだから」

 

 龍は那由他の手を、ぎゅっと握った。

 

「これからは、僕が那由他を守る」

 

 那由他の瞳から、大粒の涙が溢れる。

 

「……お兄、ちゃん……」

 

「一緒に頑張ろう」

 

 龍は静かに言った。

 

「お父さんとお母さんがいなくても……僕たちは、生きていかなきゃいけないから」

 

 那由他は泣きながら何度も頷いた。

 

「……うん……っ」

 

「うん……!」

 

 兄妹は、互いの手を握り合ったまま泣いていた。

 

 その光景を――。

 

 病室の隅で見ていた氷華は。

 

「っ……ぅ……」

 

 顔を押さえ、声を殺して泣いていた。

 

 涙が止まらなかった。

 

 龍も、那由他も。

 

 二人とも、自分よりずっとつらいはずなのに。

 

 それでも前を向こうとしている。

 

 その姿が、あまりにも痛々しくて。

 

 あまりにも優しくて。

 

「ぅぅ……っ……」

 

 氷華は堪えきれず、その場で泣き崩れるようにしゃがみ込んだ。

 

 そんな彼女に気づいた龍が、困ったように小さく笑う。

 

「……氷華ちゃん、泣きすぎ」

 

「だ、ってぇ……!」

 

 氷華は涙声で叫ぶ。

 

「こんなの……泣くに決まってるもん……!」

 

 その言葉に、那由他が少しだけ笑った。

 

 つらくて。

 

 苦しくて。

 

 それでも、温かい時間だった。

 

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