舞台は、動乱の時代が続く屍魂界(ソウル・ソサエティ)の黎明期。

最強の剣士として名を馳せ、初代「剣八」を冠した卯ノ花八千流は、突如現れた謎の超越者・戒骸(かいむくろ)と出会います。かつてない強敵との戦いの中で、彼女は自身の力と誇りを揺るがすほどの圧倒的な敗北を喫してしまいます。

それから長い年月が流れ、彼女が慈愛に満ちた四番隊隊長・卯ノ花烈として静かな日々を過ごしていた現代。死神たちの影に潜み、再び姿を現した骸との再会が、彼女が封印してきた過去の闘争本能を呼び覚まします。

かつての「最強の獣」としての殺意と、現在の隊長としての使命。相反する感情の狭間で、彼女は自分を敗北させた男との因縁に決着をつけるべく、再び過酷な宿命の戦いへと身を投じていくことになります。

二人の圧倒的な力と意志がぶつかり合う、ダークな宿命の物語です。


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第一章:胎動する軛

その時代の屍魂界(ソウル・ソサエティ)には、まだ「法」という言葉は存在しなかった。

 

空を統べる瀞霊廷も、それを守る護廷十三隊も、数百年後の未来に作られる形骸に過ぎない。

 

ただ広がるのは、乾いた土と、絶え間なく流れる血によってぬかるんだ、果て無き荒野。

強者が弱者を屠り、奪い、喰らう。

それが、この世界の唯一にして絶対の真理だった。

 

「――あはははは! 素晴らしい、素晴らしいぞ! もっとだ、もっと私を愉しませろッ!」

血飛沫を浴び、狂気的な歓喜の声を上げて笑う女がいた。

 

長い黒髪を夜風に振り乱し、手にした白刃を躊躇いなく振るうその姿は、およそ人間とも死神とも形容し難い。

ただ戦うためだけに産み落とされた「獣」そのもの。

 

彼女の名は、卯ノ花八千流。

後に屍魂界の歴史にその名を永遠に刻むこととなる、初代「剣八」にして、稀代の大悪党である。

 

彼女の周囲には、すでに数千を超える死兵の山が築かれていた。

ある者は首を刎ねられ、ある者は胴を両断され、荒野の泥は彼らが流した鮮血によって、どろどろとした赤黒い沼へと変貌している。

 

八千流はその死体の山の頂に立ち、肩で息をしながら、未だ癒えぬ戦への渇きに瞳をぎらつかせていた。

 

彼女の持つ斬魄刀の切っ先から、ぽたり、ぽたりと重い血滴が落ちる。

八千流にとって、世界は退屈に満ちていた。

 

誰も彼もが、己の剣の一振りの前に容易く崩れ去る。

己を満足させてくれるほどの、極限の殺し合い。

それを求めて、彼女はこの屍魂界の底を這いずり回っていた。

 

しかし、その歓喜の余韻は、突如として荒野に降り立った「異変」によって遮られることとなる。

 

――ゴ、リ……。

 

空間そのものが、物理的な質量を持って軋むような音が響いた。

それは、これまで八千流が対峙してきたどんな死神とも、どんな虚とも違う、異質な霊圧の胎動だった。

 

「……ッ?」

八千流の身体が、戦闘狂としての本能的な直感によって硬直する。

 

死体の山の向こう側。

立ち込める血煙を割って、一人の男がゆっくりと歩を進めていた。

 

黒い着物を酷く緩く纏い、何処か超然とした佇まいで歩くその男――戒 骸(かい むくろ)は、数千の死骸が放つ凄惨な死臭の中にありながら、衣服に塵一つ、血の一滴すらつけていなかった。

 

その容貌は端正でありながらも、生き物としての温かみが完全に欠落している。

 

何よりも異常なのは、その瞳だった。

底がまるで見えない、光を一切反射しない漆黒の双眸。

 

彼は目の前に広がる地獄絵図を見ても、眉一つ動かさない。

そして、死体の山の頂に君臨する八千流へと、その冷酷な視線を向けた。

 

「お前が、この界隈で『剣八』と渾名される獣か。なるほど、いささか血の匂いが過ぎるな」

骸の声は、低く、そして驚くほど静かに荒野へ響き渡った。

 

しかし、その静寂とは裏腹に、彼の身体から滲み出る霊圧は、周囲の空気をじわじわと、物理的に黒く染め上げていく。

 

「……あは、あははは! 面白い。お前が噂に聞く『屍魂界の深淵』、戒骸か……!」

八千流の顔に、獰猛な笑みが戻る。

身体の奥底から湧き上がるような歓喜。

 

この男は、今まで殺してきた有象無象とは格が違う。

魂が、本能が、目の前の存在を「最大級の標的」だと叫んでいた。

 

「私の退屈を殺してくれるのだろう? ならば――御託は不要だッ!」

地を蹴る。

音を置き去りにした、神速の歩法。

八千流の身体は一瞬にして骸の眼前へと肉薄していた。

 

彼女の放つ一閃は、極限まで練り上げられた剣圧を伴い、周囲の空間ごと目の前の男を真っ二つに叩き斬る――はずの、必殺の軌道を描いていた。

 

キィィィィン――!!!!

 

鼓膜を鋭く刺すような、不快な金属音が荒野の闇を引き裂く。

しかし、その刃が骸の首筋に届くことはなかった。

刃の切っ先から数寸手前の空間で、八千流の刀は、完全に静止していた。

 

「なっ……!?」

八千流の瞳が驚愕に、そして即座に狂暴な怒りに染まる。

 

骸は、刀を抜いてすらいない。ただそこに佇んでいるだけだ。

しかし、彼の身体から溢れ出た、夜そのもののような漆黒の霊圧が、まるで底なしの「泥」のように八千流の刃を絡め取り、その限界の威力をすべて内側から吸収し、無力化していた。

 

「無駄だ。お前の剣がどれほど鋭かろうと、私の領域(泥)に触れれば、すべてはただの物質に還る」

骸は冷酷に言い放つと、初めてその漆黒の瞳を妖しく光らせた。

 

次の瞬間、八千流の視界が完全に反転する。

「がはっ……!?」

何の予兆もない、全方位からの圧倒的な霊圧の質量。

 

それが彼女の全身を容赦なく叩きつけ、背中から地面の泥へと強制的に陥没させた。

肺の空気が力任せに絞り出され、視界が一瞬、白く明滅する。

生まれて初めて味わう、抗いようのない絶対的な暴力。

 

八千流はすぐに体勢を立て直し、再び男の喉笛を切り裂こうと泥の中から跳ね起きようとした。

しかし――。

 

ドシュッ、と重い音がして、彼女の動きは完全に封じられた。

骸の足が、彼女の鎖骨の間、まだ傷一つない滑らかな胸元へと、容赦なく踏み下ろされたからである。

 

「あ、ぐ……、う、あああッ!」

ミシリ、と骨が軋む音が、八千流の耳の奥で生々しく響いた。

 

地面の泥に頭を押しつけられ、男の足元で見上げる形となった八千流は、屈辱と激痛に顔を歪ませながらも、骸の喉笛を噛み千切らんばかりに牙を剥き、ぎらぎらとした狂暴な殺意の目で彼を睨みつけた。

 

「お前の剣は美味だが、いささか野放図が過ぎる。獣には、相応の飼い主が必要だ。お前という極上の刃を、これ以上他者の手で汚させるわけにはいかない」

骸は彼女の激しい抵抗を意にも介さず、冷徹に見下ろす。

 

そして、彼女の長い黒髪を乱暴に掴み上げ、無理やりその顔を己の方へと向かせた。

「思い上がるなよ、八千流。お前がどれだけ血を流そうと、どれだけ強者を屠ろうと、お前の身も、その剣も――すべては最初から、私のものだ」

男の冷たい指先が、彼女の胸元、その柔らかな皮膚をなぞる。

 

その瞬間、八千流は直感した。

この男は、自分を殺しに来たのではない。

自分という存在そのものを、魂の底から、永久に縛り付ける『軛(くびき)』になろうとしているのだと。

 

「誰が……お前のような、化け物の、手に……ッ!!」

八千流は喉の奥から血の混じった唾を吐き捨てるように呪詛を絞り出す。

 

しかし、骸はその言葉に微塵の動脳も見せない。

それどころか、彼女の裂けんばかりの殺意を愉しむように、その薄い唇の端をわずかに吊り上げた。

「吠えるな、獣。その無駄な抵抗も、今日この時を以て終わりだ。お前のその傲慢な肉体に、二度と剥がれぬ私の印をくれてやる」

 

骸が、着物の袖から己の右手を静かに突き出した。

その指先には、刀も、槍も、如何なる洗練された兵器も握られていない。

ただ、彼の五指の先から、どろりと溢れ出たのは――赤黒く、まるで沸騰した煮凝りのように歪に蠢く、超高密度の霊圧の塊だった。

 

それは美しい鬼道の光などでは断じてない。

ただひたすらに、触れたものの物質的形状を破壊し、融解させ、自らの色へと塗り替えるためだけの、酷悪な暴力の結晶。

「――っ!?」

八千流の直感が、かつてない最大級の危機を告げて鳴り響く。

 

しかし、骸の足は彼女の胸元を完全に固定しており、地を車うような逃げ道すら存在しない。

「目を逸らすな。これが、お前を縛る檻の形だ」

骸の右手が、容赦なく振り下ろされた。

 

突き立てられた場所は、八千流の鎖骨の間。

まだ傷一つなく、戦場にありながらも滑らかさを保っていた、彼女の白い胸元だった。

「――あ、あが、ううううっ……!!! あ、あああああっ!!」

商膜を、そして荒野の静寂を切り裂く、凄絶な絶叫が響き渡った。

 

それは、これまで数多の戦場で無数の敵を屠ってきた八千流が、生まれて初めてあげた「純粋な悲鳴」だった。

 

刃で綺麗に一閃された傷ならば、これほどの絶望はなかった。

骸の指先から放たれた沸騰する霊圧は、彼女の皮膚を、肉を、ジチジチと不快な音を立てて焼き溶かしながら、抉り開けていく。

 

肉の焦げる悍ましい臭いが立ち込め、彼女の滑らかな肌は、見る影もなく無残に変形していく。

綺麗な文字でも、洗練された家紋でもない。

それは、彼女の胸元をこれ以上ないほど醜く破壊し、ケロイド状の不揃いな肉塊へと変える、あまりにも凄惨な暴力の痕跡だった。

「が、はっ……あ、あ……っ!?」

しかし、本当の地獄はそこからだった。

 

骸は深く抉り開けた彼女の胸元の傷口に向けて、己の右腕から、さらにドス黒い霊圧の濁流を直接、容赦なく注ぎ込んだ。

 

八千流の身体が、魂の根底からの拒絶反応によって、ビクリと大きく跳ね上がる。

 

注ぎ込まれた骸の霊圧は、単に傷口を汚すだけでは終わらなかった。

それは生きた寄生虫のように意志を持ち、傷口の淵にある微細な血管へと侵入を始めたのだ。

「……っ、う、あ、あああぁぁぁっ!!」

 

皮膚の薄皮一枚の下を、赤黒く変色した血管の網目が、毒が回るように、急速に広がっていくのが目視できた。

胸元から首筋へ、そして肩口へ。

ドクドクと不気味に拍動しながら、骸の霊圧の粒子が、彼女の体内を巡る血流そのものを強引に乗っ取っていく。

 

それは、尸魂界の如何なる高度な回道(治癒の鬼道)を以てしても、二度と癒えることのない、魂への永久の冒涜。

 

彼女がこれから先、生きるために呼吸をするたび、戦うために霊圧を練るたびに、この血管の呪印が内側から烈しく疼き、骸という「主」の存在を強制的にその精神へと刻み込む仕掛けだった。

 

「これで、お前がこれからどれだけ生きようが、その身体に巡る霊圧のすべては私のこの指先に繋がった。お前が剣を振るうたび、お前の肉体は私の名を思い出す。お前は一生、私の色に染まったままだ、八千流」

 

骸は指を引き抜くと、どろりと汚れた彼女の傷口を、自身の親指でさらに容赦なく圧し潰した。

「が……はっ……あ……」

あまりの激痛。

 

臨して、己の肉体も、魂の象徴である霊圧さえも物質的に『汚され、書き換えられた』という、底知れない絶望感。

 

八千流の大きな瞳から、生理的な涙がどっと溢れ出し、泥に塗れた頬を伝って落ちる。

――この瞬間の八千流の胸中を占めていたのは、混じり気のない、純度100%の「弩級の憎悪」だけだった。

 

そこに、恍惚などという甘美な隙間は微塵も存在しない。

 

ただひたすらに、最強を自負していた己の誇りを完璧に粉砕され、家畜のように印を刻みつけられたことへの耐え難い屈辱。

 

臨して、目の前の男をいつか必ず五体バラバラに切り刻み、その肉を喰らい尽くして殺すという、血を吐くような凄まじい殺意だけが、彼女の脳細胞を埋め尽くしていた。

 

激痛に震え、涙を流しながらも、彼女はぎらぎらとした狂暴な眼光を失うことなく、骸を睨みつける。

その視線の鋭さは、文字通り刃となって男の肉を削らんとするほどの執念を孕んでいた。

 

「お前は……ただの、化け物、だ……っ。絶対に、絶対に……お前を、この手で、八つ裂きに……して、殺す……ッ!!」

声帯が焼け付くような声を絞り出し、最大の呪詛を吐く八千流。

 

骸はその顎を冷酷に、しかし愛おしい玩具を愛でるように持ち上げ、フッと低く笑った。

「そうだ、私を呪え。その憎悪の熱量こそが、お前という剣をより鋭く研ぎ澄ます。だが忘れるな。お前がどれだけ私を殺したいと願おうが、お前の身体は、既に私の檻の中だ。一生、その傷の疼きと共に、絶望の中で私を求め続けろ」

 

骸がゆっくりと足を退けたとき、八千流の身体は糸の切れた人形のように、泥の中に崩れ落ちた。

胸元には、黒い血管が脈打つ醜悪なケロイド。

 

彼女は急速に遠のいていく意識の闇の中で、自分のすべてを強奪した男の顔を、死んでも忘れないと脳裏の最奥に深く、深く刻み付けるのだった。

――この時、限界を迎えて意識を失った彼女は、まだ知らなかった。

 

魂の最奥に流し込まれた骸の霊圧が、時間をかけて、彼女の肉体と精神の構造をじわじわと作り替えていくことを。

 

後に、彼に幾度も組み敷かれ、圧倒的な敗北の夜を重ねるたび。

この胸の傷がシトシトと、甘く疼くたびに――あの時の純粋だったはずの憎悪の裏側から、抗えないほどの「悍ましい快感と恍惚」がどろりと溢れ出し、身体が本能的に彼を求めてしまうようになるなど、この時の彼女は想像すらしていなかったのである。

 

数百年という歳月は、尸魂界の姿を劇的に変えた。

 

かつて血と泥に塗れていた荒野には、巨大な白い壁に囲まれた巨大な霊都「瀞霊廷」が築かれ、法と秩序がもたらされた。

粗暴な死神たちは隊を組み、世界を守る大義名分を得た。

 

護廷十三隊・四番隊。

 

そこは、戦傷に喘ぐ死神たちを癒やすための、静謐なる救護の要衝である。

そして、その隊の頂点に立つ女性こそ、現在の四番隊隊長――卯ノ花 烈であった。

 

「――ええ、その患者の薬湯は、明朝から別の調合に変えてください。無理をしては、せっかくの回道の効果が薄れてしまいますから」

隊長室の机で書類に筆を走らせながら、卯ノ花烈は小隊員の死神に、慈愛に満ちた穏やかな微笑みを向けていた。

 

長い黒髪を胸の前で丁寧に三つ編みに結い、常に慈母のような優しさを湛える彼女の姿に、かつて屍魂界のすべてを恐怖せしめた大悪党「卯ノ花八千流」の面影を見る者は、今の瀞霊廷には総隊長・山本元柳斎重國を除いて一人もいない。

 

「はい! ありがとうございます、卯ノ花隊長!」

深く頭を下げ、救われたような表情で隊員が部屋を退室していく。

 

パタン、と静かに木の扉が閉まり、四番隊長室に完全な静寂が訪れた。

「……」

誰もいなくなった部屋で、卯ノ花は静かに筆を置いた。

 

途端に、彼女の顔から先ほどまでの聖母の笑みが、嘘のように消え失せる。

彼女の細い指先が、無意識のうちに、胸の前で編まれた黒髪の奥へと伸びた。

 

三つ編みの髪を少し退けると、そこには隊長羽織と死覇装の隙間から、白く滑らかな鎖骨の間が見える。

 

そしてその中央には、数百年が経過した今もなお、醜くケロイド状に盛り上がった「これ以上ないほど酷い傷跡」が、生々しく残っていた。

 

のちに更木剣八との死闘で刻まれることになる深い刀傷。

その周囲を囲うように、あるいはその傷を土台にして、彼女の肌の奥には「黒い血管の網目」がドクドクと拍動していた。

 

それは、尸魂界の歴史の表舞台から消え去ったあの男――戒 骸(かい むくろ)が、数百年前に彼女の魂へと直接注ぎ込んだ、呪わしい支配の刻印。

 

「――今日も、よく疼く(うずく)な」

闇の中から、彼女の思考を遮るように、低く冷酷な声が響いた。

 

卯ノ花は驚きもしなかった。

ただ、ゆっくりと視線を部屋の隅の影へと向ける。

 

部屋の障子も、窓も、一切開いてはいない。結界も破られていない。

にもかかわらず、そこにはあの数百年前と全く変わらない佇まいで、黒い着物を緩く纏った男――戒骸が、影から染み出るようにして立っていた。

 

「……骸」

 

卯ノ花がその名を呼んだ瞬間、彼女の胸元のケロイドが、まるで意志を持ったようにドクドクと烈しく脈打った。

傷口の奥から、熱い泥のような霊圧が彼女の体内を逆流する。

 

「くっ……、あ……」

卯ノ花は思わず机に手を突き、うめき声を漏らした。

 

かつて、この傷を刻まれた当初、彼女の心にあったのは純度100%の「激しい憎悪」だけだった。

この男を殺す。それだけを糧に、彼女は数百年の時を生きてきた。

 

だが、骸が彼女の体内に流し込んだ霊圧は、数百年という気の遠くなるような時間の中で、じわじわと、確実に彼女の肉体と精神の構造を作り替えてしまっていた。

 

骸が部屋に現れるだけで、彼と霊圧が同調するだけで。

胸の傷から広がる血管の呪印が、彼女の脳細胞へ「耐え難いほどの甘い疼きと、悍ましい恍惚」を強制的に送り込んでくるのだ。

 

「四番隊隊長、卯ノ花烈、か。ずいぶんと殊勝な仮面を被ったものだな、八千流」

骸は静かに歩み寄り、机を挟んで彼女の顎を指先で持ち上げた。

 

数百年ぶりの再会。しかし、彼にとっては昨日と変わらぬ距離感。

その漆黒の双眸に見下ろされた瞬間、卯ノ花の脳裏に、あの血の荒野で泥に組み敷かれた恐怖と激痛がフラッシュバックする。

 

「……おだまりなさい、化け物。私は、十一番隊を退き、剣を置いた身です。今更、私に何の用ですか」

 

卯ノ花烈としての穏やかな声音を保とうとしながらも、その瞳の奥には、初代『剣八』としてのドス黒い、臨して獰猛な「憎悪」がぎらりと蘇っていた。

 

今すぐにでもこの男の喉笛を、隠し持った刃で引き千切りたいという殺意。

それは数百年前から微塵も衰えていない。

 

「剣を置いた? 欺けると思ったか。お前がどれだけ聖母の真似事をしようと、その身体を巡る血のすべては、未だに私の霊圧に支配されている」

骸はフッと冷笑すると、彼女の顎を掴んだまま、もう片方の手で彼女の胸元の衣服を、容赦なくはだけさせた。

 

「あ……っ、やめ……」

あらわになった醜悪なケロイド。

 

その周囲で、黒い血管の網目が、骸の霊圧に呼応して、まるで生き物のように激しくのたうち回っている。

骸はその黒い血管の根元を、自身の親指でじわりと強く圧し潰した。

 

「――あ、あが、ううっ……!!! ぁ、は……っ!!」

四番隊長室に、押し殺した、しかし艶めかしい絶絶が漏れた。

 

肉体を苛む激痛。

臨して、それと同時に――。

 

かつては憎悪しか感じなかったはずのその痛みの裏側から、脳を極限まで麻痺させるような「圧倒的な快感」が、どろりと溢れ出して彼女の全身を支配した。

 

「はぁ、はぁ、っ……、く、あ……っ」

卯ノ花は首筋を真っ赤に染め、生理的な涙をボロボロとこぼしながら、激しく息を荒らげる。

 

自分の本能が、肉体が、自分をこれほどまでに無残に変形させ、自由を奪った男の暴力に対して「悦び」を感じてしまっている。

その悍ましい事実が、彼女のプライドを内側からズタズタに引き裂いていく。

 

「どうした、八千流。私を殺すのではなかったのか。その瞳にある殺意は本物だが――お前の身体は、これほどまでに私を求めて震えているぞ」

骸は彼女の耳元で残酷に囁きながら、はだけた胸元の傷口を、自身のドス黒い霊圧で愛撫するように侵食していく。

 

「あ、う……私は、あなたを……絶対に、許さない……、いつか必ず、その首を、刎ねて……っ」

卯ノ花は涙に濡れた瞳で、骸を最大級の「憎悪」で睨みつける。その殺意は100%本物だ。

 

しかし、そう口にしながらも、彼女の指先は骸の着物の胸元をぎゅっと強く掴み、自ら進んでその暴力的な霊圧の快感に溺れにいってしまっていた。

 

憎悪と恍惚。

 

相反する二つの感情が、数百年の歳月を経て完全に混ざり合い、彼女を逃れられない「軛」の檻へと閉じ込めていく。

 

「いいぞ、八千流。その憎悪と快楽の狭間で、一生私のために啼き続けろ。お前が四番隊長であろうと、初代剣八であろうと――お前は永遠に、私の所有物だ」

 

夜の静寂に包まれた四番隊舎。

聖母の仮面を剥ぎ取られた最悪の女傑は、主の腕の中で、ただ深く、暗い支配の深淵へと、再び沈んでいくのだった。

 


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