星の棘に触れた少年 ――使徒聖第十二席、最前線で「恋」を分解する―― 作:雨風 時雨
という事で投稿
――世界は、正しく二つに分かたれている。
一つは、高度な科学文明を礎とし、理不尽な超常の力を排除せんとする機械仕掛けの理想郷『天帝国』。
一つは、星霊と呼ばれる魔力を宿し、帝国の弾圧に抗い続ける魔女の国『ネビュリス皇庁』。
百年の長きにわたる戦争は、双方の憎しみを糧に、出口のない泥沼へと世界を沈めていた。
いつどこで発動するかもわからない星霊術という「異常」を、科学という目に見える「合理」で駆逐し、管理可能な世界を塗りつぶす。
それが天帝国の絶対的な理念であり、そこに住まう民が信じる唯一の平和の形だった。
その天帝国の最高戦力として君臨するのが、天帝直属の12人の精鋭、『使徒聖』である。
彼らは天帝から絶大な権限を与えられた「帝国の盾」であり、各々が常識外の特殊兵装を有する。
たった一人で戦況を覆し、軍団を壊滅させ、空を落とし海を割る。それが帝国最強の12人だ。
だが、その第十二席に座る少年、アルゴは、暗い出撃準備室の中で自らを「代えの利く部品」だと自嘲していた。
「……出力、安定。
彼は最初から英雄の器であったわけではない。
前任の第十二席が皇庁の魔女によって跡形もなく消し飛ばされたことで空いた「欠員」。
それを埋めるために、帝国の兵器実験施設から引きずり出された『適合体』。それがアルゴという少年の正体だった。
彼の皮膚の下を這うのは、血の通った血管ではなく、帝国のナノテクノロジーが編み上げた人工神経――
彼の武器は、両袖の射出機構から放たれる『
目に見えないほど極細でありながら、重戦車の装甲をも寸断し、崩壊する陣地を丸ごと縫い止めることができる。
だが、これを星霊使いの知覚速度に対抗して制御するためには、自らの脳と兵装を直結し、限界まで強制加速させる禁忌の改造――『
知覚を加速させれば、世界は止まって見える。
脳内の演算速度が引き上げられ、あらゆる飛来物の軌道を完璧に先読みできるのだ。
しかし、その代償は重い。
脳はオーバーヒート寸前の高熱を発し、その過負荷に耐えるため、彼の人体は自らの感覚機能を強制的にシャットダウンさせていく。
味覚が死に、痛覚が麻痺し、感情すらもすり減って冷徹な機械に近づいていく。
「――第十二席、アルゴ。直ちに出撃してください。場所はネレント採掘基地。未確認の極めて強力な星霊使いが出現。現地の一個師団が、壊滅の危機に瀕しています」
スピーカーから響くオペレーターの緊迫した声。
アルゴは何も答えず、手首の射出機を静かにロックした。
戦うこと。すべてを繋ぎ止めること。
それが、欠員補充の部品として生まれた自分の、唯一の存在意義なのだから。
***
「ひ、退けッ! 退却だ! 怪物め、こんなの人間業じゃない……!」
「うわあああッ! 撃て! 撃ちまく――あ、腕が、俺の腕が砂に……!」
アルゴがヘリから降り立ったネレント採掘基地の最前線は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
そこにあるのは炎でも、氷結でも、雷撃でもない。ただの『無』だ。
厚さ30センチの防弾シールドも、帝国軍が誇る装甲車も、それを構える兵士の肉体も。
目に見えない何かに触れた瞬間、すべてが分子レベルでバラバラに分解され、灰色の粉塵となって舞い散っていく。
恐怖。未知への絶望。
帝国兵たちがパニックに陥り、陣形も何もなく蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。
その光景の中心、猛烈な砂塵が吹き荒れる視界の先に、一人の少女が立っていた。
夜の闇をそのまま織り上げたような、漆黒のドレス。
月光を吸い込むような、どこまでも深く艶やかな黒髪。
そして、その右目を禍々しい黒の眼帯で覆った少女は、周囲で上がる絶叫を一切気にかけることなく、ただ淡々と指先を振るっていた。
指先が空を撫でるたびに、虚空から無数の「黒い棘」が噴出し、帝国の最新兵器を文字通り塵に還していく。
帝国軍のデータベースには存在しない、見たこともない星霊術。まさに歩く災害、正体不明の魔女。
「う、撃て! 化け物め、近寄るな!」
腰を抜かした帝国兵の一人が、アサルトライフルを乱射した。
しかし、放たれた弾丸は少女の周囲数メートルの空間に差し掛かった瞬間、見えない棘に分解され、音もなく消滅する。
「……五月蝿い。帝国の、機械……」
少女は不快そうに左目をすがめ、指先を帝国兵へと向けた。
黒い棘が弾丸以上の速度で伸び、恐怖で身動きが取れない兵士の命を分解しようとした、その瞬間――。
シュガァンッ!!
空気を切り裂く鋭利な音と共に、幾重にも束ねられた鈍色の線が上空から降り注ぎ、兵士の眼前で黒い棘を強引に弾き飛ばした。
「――皆さん、下がってください。ここから先は、僕が引き受けます」
瓦礫の山の上に、私服に近い軽装の少年――アルゴが音もなく降り立った。
怯えきった兵士たちが一斉に顔を上げる。その視線は、少年の肩で鈍く輝く紋章に釘付けになった。12の星を象った、天帝直属の証。
「し、使徒聖……! 第十二席、アルゴ様だ!」
「助かった、これで勝てるぞ……!」
歓喜に沸く一兵卒たちに対し、アルゴは静かに、しかし絶対的な命令を下した。
「お礼はいいですから、早く負傷者を連れて、僕のワイヤーが届かない後方まで退避してください。今の皆さんの戦力では、あの星霊に触れられて死ぬだけです」
「は、はいッ!ご命令だ、全隊、速やかに後退!」
声は穏やかだが、そこには一切の反論を許さない意志の強さがあった。
使徒聖とは、一兵卒にとって天帝の代行者に等しい。
彼らが蜘蛛の子を散らすように下がるのを見届け、アルゴはようやく目の前の少女――『黒い棘の魔女』へと視線を向けた。
「……また、鉄屑。……増えても、同じ、です」
少女の声は、酷く澄んでいて、どこまでも冷たかった。
彼女の視線には、怒りや憎しみすら見えない。まるで道の真ん中に転がっている小石を蹴飛ばすような、圧倒的な無関心。
少女にとって帝国兵とは、ただ排除すべき無機質な物体に過ぎないのだ。
「鉄屑かどうかは、試してもらわないと。……バラバラにするのは、少し待ってもらえませんか。僕の糸は、結構しつこいんですよ」
アルゴは薄く笑みを浮かべ、右腕のロックを外した。
人工神経を通じて、アルゴの脳が帝国軍事衛星のシステムへとリンクしていく。
「――
瞬間、脳髄を沸騰したお湯の中に叩き込まれたような激烈な熱と痛みが、アルゴの頭蓋を駆け巡る。
痛覚の遮断回路が作動し、体の震えがピタリと止まった。
視界が真っ赤に染まる。落ちていく瓦礫の動きが、水に沈んだようにゆっくりと遅くなる。
加速した知覚の中で、アルゴは眼前の魔女が放つ異常な出力の『棘』の気配を読み取った。
(なんだ、この星霊は。……触れた端から『構造の結合』を破壊してるのか? 燃やすのでも凍らせるのでもなく、純粋な分解……化け物め)
アルゴは冷徹な演算回路 に徹し、両袖を前に突き出した。
「排除……開始。……消えて」
魔女が右手を振る。
虚空から現れた数十本の黒い棘が、音速を超えるスピードでアルゴの四肢を狙って迫った。
「『
アルゴが指先を弾く。
両手から放たれた数百本の極細の鋼糸が、瞬時に空中で編み上げられ、蜘蛛の巣のような幾何学模様の防御壁を形成した。
キィィィィィィィィィィンッ!
黒い棘が鋼の網に突き刺さり、鼓膜を破るような高周波の摩擦音が鳴り響いた。
棘の星霊に触れた箇所から、帝国のナノマシンで構成されたワイヤーが粉々に分解されていく。強靭な鋼が、砂糖のように崩れて砂となった。
「……? 壊れない。……なぜ」
魔女の無機質な声に、微かな疑問が混じった。
彼女の分解の棘に触れて、原型を留められた物質などこれまで一つもなかった。だというのに、眼前の少年はいまだに立ちふさがり、自分の棘を阻んでいる。
(くそっ……なんて出力だ……! 1秒で100本の糸が消し飛ばされる!)
アルゴの額から滝のような汗が流れ落ちる。
彼は防御壁が破られたわけではなかった。
棘が糸を『分解』して消滅させるのと全く同時のタイミング、いや、それをわずかに上回るコンマ数ミリ秒の速度で、アルゴは『千切れた端から新しい糸を射出し、編み直して再結合』していたのだ。
壊された分だけ、新たに糸を編む。ただそれだけの極めて単純な力技。
だがそれを、迫り来る何十本もの棘に対して寸分の狂いなく行うなど、神がかった演算能力とワイヤー制御の技術がなければ不可能だ。
使徒聖・第十二席。彼の真価は「空間を繋ぎ止める」その異常な支配力にあった。
「だったら、この程度で驚かないでくださいよ……! 神経加速、
アルゴは脳のリミッターをさらに解除する。
視界が白飛びし、自らの鼓動の音すら消える極限の世界。
彼は防御から転じ、新たな糸を周囲の瓦礫に打ち込んで宙へと飛び上がった。
立体機動。建物の残骸を利用しながら高速で移動し、全方位から鋼糸で魔女を囲い込んでいく。
斬り裂くためではない。彼女の手足の動きを『固定』するための包囲陣だ。
「……小細工。……すべて、邪魔です」
少女は周囲から迫る鋼の糸に対し、その場から1歩も動くことなく、眼帯に隠された右目の付近に左手を当てた。
その瞬間、アルゴの網膜センサーがけたたましい警報を鳴らす。
(マズい、エネルギーの脈動が桁違いに跳ね上がった……!? 一体なんだ、あの目に何があるんだ!)
爆発的な星霊エネルギーが、眼帯越しにでも周囲の空間を歪ませているのがわかる。
少女の全身から、今度は何百、何千という黒い棘がハリネズミのように四方八方へと噴出し、アルゴの張った包囲陣ごと採掘基地の施設を砂に変えていった。
「――っ!」
全方位からの無差別な分解攻撃。ワイヤーでの相殺が間に合わない。
アルゴは咄嗟に数百本の糸を地面に縫い付け、自分の前に何重もの分厚い『鋼の盾』を作り出して防ぎに回った。
次々と層が剥がされ、砂が顔を叩き、人工神経の接続が焼き切れそうになる。
凄まじい攻防。世界をバラバラにする棘と、世界を縫い止める鋼。
砂煙が舞い散る中、オーバークロックで極限まで加速した視界の中で、アルゴは防御の糸の隙間から前方を見た。
そこには、莫大な星霊を放ち終えて小さく息をつく魔女の姿があった。
漆黒のドレスの裾が風に揺れている。
彼女の放った絶大な力が、周囲数百メートルの空間からすべての建物を消し飛ばし、すり鉢状のクレーターを作り出していた。
(本当に、歩く災害だ。……俺は、こんな化け物を殺さなきゃいけないのか)
使徒聖としての演算回路が、彼女を『最大の脅威』としてロックオンし、急所を貫くための糸の弾道計算を弾き出す。
だが、その計算は最後までは完了しなかった。
砂埃が晴れ、アルゴの視線が、少女の『眼帯に隠されていない方の左目』を捉えた。
深海の青。それが第一印象だった。
その瞳は、あれほど絶望的な破壊を撒き散らしておきながら、恐ろしいほどに澄み切っていた。
敵に対する怒りも、圧倒的な力への傲慢さも、勝利への執着も、何もない。
彼女の瞳の奥にあったのは、底知れぬほどの『空虚』だった。
ただ、命じられたから。ただ、壊すことしか知らないから。
自分の持つこの力で世界がどうなろうと、自分がどう思われようと、彼女には理解できないのだ。
皇庁にいるという過激派の星霊使いとも違う。
まるで、暗闇の中で大切に閉じ込められ、破壊のための調整だけを繰り返されてきた『人形』のような、圧倒的な孤独の気配。
(なんだ……この気持ちは)
アルゴの心臓が、脳の加速とは関係のないところで、ドクン、と大きく跳ねた。
使徒聖として数え切れないほどの星霊使いを見てきた。すべてを「不条理な化け物」として糸で絞め殺してきた。
だが、眼前の少女は違う。
彼女は化け物などではない。誰よりも強大な力を持ちながら、自分の意志では生きられない、羽をむしられた無力な小鳥だ。
天帝国に拾われ、戦うためだけに人工神経を植え付けられ、『代えの利く使徒聖』として感情をすり減らしている自分と同じだ。
彼女もまた、誰かに仕立て上げられた『檻の中の兵器』なのだ。
(ああ……)
死と破壊が吹き荒れる地獄の中心で。
自分を今まさに殺そうとした敵の魔女を前にして。
(――なんて、綺麗なんだろう)
アルゴは生まれて初めて、心が激しく揺さぶられるような『美しさ』というものを知ってしまった。
脳が悲鳴を上げている。使徒聖としての責務が彼女を殺せと命じている。
しかし、それ以上に、彼という1人の少年の心が「彼女をこの絶望から繋ぎ止めたい」と叫んでいた。
殺すのではなく、助けたい。壊すしかない彼女の孤独に、触れたい。
「……あんたを、こんな場所で、終わらせたくないな」
自分でも驚くほど穏やかな声が、口を突いて出た。
糸を操る指先から、殺意が完全に消え失せた。
「……? あなた。……何を、言って……」
初めて、無機質だった少女の顔に『困惑』という人間らしい色が浮かんだ。
彼女の青い瞳が、不可解な生物を見るようにアルゴの顔を見つめ返す。
言葉が続くはずだった。
殺意のない糸を、彼女に伸ばそうとした。
だが、運命は2人を長く見つめ合わせることを許さなかった。
ズドォォォォォォンッ!!!
アルゴと少女の間を分断するように、凄まじい質量のエネルギー弾が天空から降り注ぎ、大地を激しく抉り取った。
帝国軍の戦艦からの無差別な重力砲撃。
前線のアルゴの生死を度外視した、力押しの支援射撃だ。
「くっ……! 基地ごと吹き飛ばす気かよ」
アルゴは爆発の衝撃波を避けるため、ワイヤーを上空の瓦礫に撃ち込んで強引に後方へ跳んだ。
土砂が滝のように降り注ぎ、数秒間、周囲の視界が完全に遮断される。
爆炎が収まった時、すり鉢状のクレーターの中心にいたはずの黒いドレスの少女の姿は、陽炎のように溶けて消えていた。
星霊の気配はもうない。
彼女は離脱したのだ。
「……消えた、か」
神経加速のシステムをオフにする。
強制的な演算から解放された脳が悲鳴を上げ、全身の筋肉が焼けるような痛みに襲われた。
膝から崩れ落ちそうになるのを、気力だけで堪える。
右腕の人工神経からは微かな白煙が上がっていた。
限界に近い出力を絞り出した証拠だ。
あのまま戦闘を継続していれば、確実に自分の体が壊れていた。
使徒聖と星霊使いの決着など、常に紙一重なのだ。
「……また、いつか」
アルゴは切れたワイヤーの端を撫でながら、誰もいなくなった荒野に向かって小さく呟いた。
帝国最強の一角たる使徒聖・第十二席。
感情を殺すはずだった機械仕掛けの少年の心に、決してアンインストールできない、あまりにも愛おしい『エラー』が組み込まれた瞬間だった。
続くかわからん
キッシングかわいい
以上