「ふーん。あれなら俺の方がいいじゃん。どう?」
「は……? 冗談はよしてくれ。美少女ならまだしもなんで団長となんか……」

悪戯で女装神威が阿伏兎を襲いに行く話

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第1話

 しっとりと濡れた街が原色に彩られていた。ネオン街、と呼べば話が早いだろう。煌々と輝く照明が濡れたメインストリートに入り乱れていた。

「意外と混んでるな」

「そう?」

「はぐれんなよ、団長」

「いつも勝手に行っちゃうのは阿伏兎の方じゃん」

 あっけらかんとした声に応えたのは重っ苦しいためいきだった。

 各々が傘を広げたメインストリートは思ったよりも身動きが取れない。右に左にと避けながら歩くことになる。

「ねえ、邪魔だから蹴散らしていいかな?」

「ダメに決まってんだろ。今回は交渉で来てんだ。揉め事はよしてくれ」

「全部叩き潰せば終いじゃん」

 背後から聞こえるケラケラと子供のような第七師団団長・神威の笑い声を副団長の阿伏兎は苦虫を噛み潰したような面持ちで聞いていた。

「話し合いだけなんて退屈じゃん」

「だから船に残っててもいいって言っただろ」

「じっとしてんのも退屈じゃん」

「……こりゃダメだ」

 思わずこぼれた副団長の嘆きは、幸いなことに神威の耳には届かなかったようだ。少し前に立ち止まっていた神威が歓楽街の店先をじっと見つめているのだ。

「なんかあったか? ……ん、飯屋じゃないのか」

 神威の視線の先には一際煌びやかなネオンに半裸姿の女性が艶めかしいポーズで写った写真が並ぶ店があった。趣旨は悪くないが、どれもこれも板厚が薄いというか、貧相というか、スレンダー美女が並んでいる。

「ここじゃアレが人気なんだろうなぁ」

 しみじみと阿伏兎が呟く。歓楽街に入った頃より視界に入るサンプル写真は皆スレンダー美女ばかりで食指が動かないなどと考えながら歩いていたのだ。

「阿伏兎一人で行ったらこういうとこ行っちゃうんだろ?」

「……いや、行かないわけじゃないが、俺はもっとこう……バインの方が好みだ」

「バイン……?」

「バインボインだよ」

「ふーん。あれなら俺の方がいいじゃん。どう?」

「は……? 冗談はよしてくれ。美少女ならまだしもなんで団長となんか……」

 ニコニコと可愛い笑顔を向ける神威に嫌な寒気を覚えて阿伏兎は立ち去ろう促す。

「くだらねぇこと言ってないで行くぞ」

「はーい」

 神威の素直な返事を聞きながら、阿伏兎はこれみよがしなため息を漏らしたのであった。

 

 

 酷い目に遭った、とひとりごちたのは身を投げ出したベッドの上であった。正確には、今回も酷い目に遭った、と言うべきかと考えた頭の隅には先日の交渉の件が浮かんでいる。神威を連れて行った場が円満に収まるわけもなく、一悶着の後始末に労を要し、ようやく片付けた。身体が鉛のように重い。今夜はもう眠ってしまいたかった。

 しかし、微睡の中に侵入してくる気配があった。部屋の扉を叩く音がする。人を呼んだ記憶はない。身構えた気配を察したのか、扉の向こう側で声がした。

「開けてよ、阿伏兎」

「なっ……んだよ、団長か。何してんだ、入ってこい」

「だからさ、開けてよ」

「……ったく」

 今度はなんの悪戯だ、と身体を起こして扉に向かう。扉を引くと向こう側には若い女が一人立っていた。

 いや、長い赤髪を下ろした上目遣いで見上げているその女はまごうことなく団長の神威だ。それを理解した瞬間に阿伏兎は反射的に扉を閉めた。が、締め切るよりも早く神威の靴が挟み込まれている。

「何してんだよ団長。仮装大会でもやってんのか!」

「いきなり閉めるなんて酷いだろ。部屋に入れてよ」

「ちょっと待て。その仮装の説明が先だろうが」

 扉を閉めてなかったことにしたい阿伏兎、強引に足を捩じ込んで部屋に入りたい神威の押し問答がしばし続いた。扉の隙間から神威の瞳がギロリとのぞく。それはもう獲物を見つけた時のそれだ。どう勘定しても艶のある気配ではない。

「説明してやるから入るよ」

 入ってから言うセリフではない、とツッコミを入れる気勢を削いだのは神威の身なりであった。藍色に見える艶やかなチャイナ服の丈はやたらと短い。しかもそこから白い足が二本伸びている。戦うための筋肉をまとい、しなやかさも備えた柔肌が剥き出しの足に目を奪われていた。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。あんなものは風呂に入れば嫌でも見る。見慣れてるものだろうと。

「生足ってやつ? こういうの好きなんだよね?」

「ちょっと待て、団長」

「結構美脚だと思うんだけど」

「やめてくれ」

 チラリと裾を持ち上げると深く入ったスリットから白い肌がのぞいた。

「面白いよね。チラ見せしてやるだけで興奮するんだ」

「女の足ってのはそんなに筋肉質じゃないんだよ」

「阿伏兎知ってるの?」

「そりゃ知ってるさ。女の足ってのは脆いもんで、あんたのは蹴り殺すためのものだろ!」

 神威と視線を交わした阿伏兎が本能的に身構える。刹那に差し込んだ殺気に叩き込まれる蹴りを想定したのだ。しかし、神威の方は構えた腕に柔らかく触れると乗り越えるようにして顔を寄せた。

「どうしたの? ずいぶんと余裕ないじゃん」

 眼前で射抜いてくるまなざしには、やたらと甘い響きが絡みついていた。

「おすわりだよ、阿伏兎」

 満面の笑みと甘ったるい声が状況の詰みを穏やかに告げた。

 

 

 宇宙船というのは閉鎖空間だ。時には長期間滞在することも。その際に平穏に暮らす知恵として欲を適切に満たす必要がある。食欲、睡眠、そして性欲だ。

「だからってこれはまずいだろ」

 手にした雑誌をパラパラとめくりながら呟いたのは副団長の阿伏兎だ。目の前に並んだ強面の団員たちはニヤニヤのしながら反応を眺めている。

 先日上陸した惑星で団員の誰かが仕込んできた雑誌の一冊だった。男の性欲を満たす書籍の類はどの惑星でも見かけるが、住人の風貌が夜兎に似ているせいもありここでの収穫物はやたらと回し読みされているのだ。

「あの星では御禁制本らしいんですよ」

「御禁制本? なんだそりゃ」

「無修正本って意味らしいですよ」

「だったら生身の女でいいじゃねえか。なんでわざわざ雑誌なんか……」

 検閲と称し見るともなしに眺めていた阿伏兎の手があるページで止まった。

「ね? 悪くないでしょ?」

「いや、こいつは……」

 雑誌のサイズより少し小さな紙面が中央部分に挟まっていた。スペシャル袋とじ、などと書かれているその中身も一人の女優が挑発的なポーズで写っているページなのだが問題はその風貌だ。それは他人の空似と笑い話にして名を出すには危険な人物であった。

「団長に似てませんか?」

「おいおい、命知らずなこと言い出すんじゃないよ」

「これで抜いたやつも少なくないらしいんですよ……」

 耳打ちするように小声で囁く団員は周囲を警戒する視線を向けている。口にしてはいけない話をしている自覚はあるようだった。

「悪いことは言わねえからこれはさっさと処分しておけ。あのバカに殺されても知らねえぞ」

 男所帯特有の馬鹿みたいなやり取りの後に呆れながら確認の済んだ雑誌を返したのはしばらく前のことだ。

 そんなことを天井を仰ぎながら思い出していた。

「なんてクソゲーだ」

「なんか言った?」

「いや、何も」

 思わず漏れた本音を耳にした神威が首を傾げて問いかけた。作為に満ちた仕草が諦めに追い討ちをかける。袋とじの中から飛び出してきたような危険人物が阿伏兎の目の前に、さらに言えば命令されて座り込んだ足の上に跨っているのである。

「さっきから上の空じゃん。何考えてんだよ」

「悪戯が過ぎるバカの撃退方法だよ」

「残念だったね。そんなのないよ」

「だろうと思った」

「もしかして不満?」

「この状況で何を満足したらいいのか教えてくれ」

「美少女じゃん」

 にっこりと神威が笑う。

 

 美少女、とは?

 

 その問いを理解するには互いの距離が近すぎる。考えをまとめるよりも早く神威の手が届く。呼吸も体温もすでに触れている。体感に美少女の語感が重なってようやく声を絞り出した。

「……は?」

「だって、美少女ならいいんだろ?」

「あんたじゃなきゃいいって意味だよ! わかってやってんだろ!」

 絡めとるように首に回された神威の腕は殺意か誘惑か。どちらにせよ生命の間近まで手を伸ばされているのは間違いなかった。抱きつくように密着しようとする神威を押し返そうと出した手は寸前で止まる。これには触れてはいけないと身体が抵抗した理由が防衛本能なのかも阿伏兎にはわからない。

「いいこと教えてやろうか?」

「なぁに?」

 鼻にかかったような声が吐息混じりで首筋に触れた。背筋を駆け上がったのは悪寒だけでなかったことを振り払うように、頸動脈を狙う猛獣を連想した。

「美少女ってのはな、股間に立派なブツをぶら下げてないんだよ」

「ぶら……あぁ、これ?」

 ぐっと神威の身体が沈んだ。阿伏兎の足との間に挟まれた塊が一気に存在感を増す。

 そうだ、こいつは男だ。こいつは団長なんだ。

 阿伏兎にしてみれば自分に言い聞かせるしかなかった。この距離で対応を誤るな。即死に繋がるぞ、と。

「孔があればいいんじゃないの?」

「そんなことどこで覚えてきた」

「……エロ本? 阿伏兎が好きなの聞いたら貸してくれた」

 おい待てよ、と飛び出しかけた言葉を慌てて飲み込んだ。それはどのエロ本の話だ、と。検閲を口実に没収した本に世話になったことは当然あるし、エロ漫画を読めばそんなくだりは頻繁に出てくる。

「あれ、バインでもボインでもないじゃん」

 美少女に、バインでボイン。

 そんな単語を交わした場面が阿伏兎の脳裏に浮かんだ。そしてあるエロ本の存在もである。

「あの女、俺に似てたね」

 その袋とじから飛び出してきた女の姿をした神威は、憂いを帯びた表情すらご丁寧に真似る。

「買ったのは俺じゃないぞ」

「あ、やっぱり読んだんだ」

 ニコニコと笑う神威に踊らされていたと悟った瞬間にはもう手遅れで、甘えるような仕草で身体を預けられていた。

「だから聞いただろ? 俺の方がいいじゃん、って」

 神威の声音に殺気はない。むしろ、美味いものをねだるときのように甘えすら滲ませている。なのに阿伏兎は身じろぎすらできなかった。

「ほら〝美少女〟を好きにしたいんだろ?」

 喉笛に押し付けられたままの唇が紡いだ言葉に噛みちぎられたように、両腕で神威の身体を押し返していた。思ったよりも強い抵抗だったのか神威には驚いた気配が浮かぶ。

「人をおちょくるのもいい加減にしろ」

「おちょくってなければいいの?」

 じっとまなざしを向けた神威が小さく出した舌先で唇を舐めた。狙われているのは阿伏兎のはずなのに、その仕草は誘っているよな艶かしさすらまとっている。

「いいよ、好きにしな」

 思わず喉を鳴らしていた。そこにあったのは生存本能ではない。あの袋とじの中身を目にした時に湧いた邪な衝動の一端であった。

 押し返すために掴んだ神威の身体は薄い。そして戦うための筋肉を備えるしなやかな肉体だ。見慣れているし、触れることも普通のことだ。

 

 この顔なら板厚の薄い方がいいな

 

 一瞬の意識の緩みを見抜いたように神威の指先が阿伏兎のみぞおちに触れた。

「はい、死んだ〜」

 突き抜けるような明るい声と笑顔が神威から向けられていた。何が起きたのか、阿伏兎の中では理解がじわりと形になっていく。

「詰めが甘いんだよ。まだ同族は食えないとかバカなこと言ってんの?」

「あー……。あー、あぁ、そうだよ。俺は共食いは趣味じゃねえよ。やっぱりクソゲーじゃねえか」

 思わず天井を仰いで声を上げていた。神威にみぞおちを取られた時点で臓腑が無事であることが奇跡なのだ。その気になれば気付いた時には腹などすでに破いている相手である。

「死体にはボーナスステージもあるからね」

「はいはい、わかりましたよ。で、死体は何をすれば?」

「死体なら抵抗しないよな?」

 阿伏兎のみぞおちに触れていた指先が軽く押し込まれる。臓腑がすくみ上がるような嫌な感覚で満たされた。指先はそのままゆっくりと腹部へと滑っていく。

「……おい、やめろ」

「死体がしゃべるなよ」

 臓腑の詰まった柔らかな腹部を確かめた指先はさらに下がっていく。

「満更でもないみたいじゃん」

 細い指先が丁寧になぞって確かめるのは劣情の満ちた輪郭だ。

「スッキリしたいよね?」

 にっこりと神威が笑った。滲む悪意を隠しもしないその笑顔はスペシャル袋とじの中身とはほど遠く、阿伏兎は己の悪食を呪うしかなかったのである。


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