Kなら……Kならきっとなんとかしてくれる
「父さん……」
少女のか細い声は冷たいトイレの床に落ちた。生者の声は死者に届くことはない。
しかし、瓦礫に沈むグエル・ジェタークには確かに響いた。
「ぐ……うおおおおおおお!!」
背中に積もる瓦礫を押しのけてグエルは立ち上がった。
「血が……! おい! しっかりしろ!」
グエルが少女を抱き起そうとしたその時、
「待て! 迂闊に動かしてはいかん!」
マントを身に着けた大柄な男が現れた。ギュッと眉根を寄せた形相に気圧され、グエルは指示通り少女を寝かせ直した。男は少女の頭あたりに跪くと傷口を調べ始めた。
「何なんだアンタは。こいつらの仲間か?」
グエルは不審げに訊ねた。そう遠くない場所で起きた爆発の光が、崩れたトイレを一瞬照らした。
「俺はK。一介の医者に過ぎん。小さな男の子に友達を助けてくれと頼まれたのだ。君は見たところ軽傷のようだが、頭は打っていないか? 眩暈や吐き気はあるか?」
Kと名乗った男が訊ねた。何かごそごそと手を動かしているが暗がりでグエルにはよく見えなかった。
「俺は何ともない! だから頼む、この子供を助けてやってくれ!」
グエルは怪しい男に頭を下げた。
「分かっている。幸い頭部の裂傷以外に大きな怪我はないようだ。だが血を失い過ぎている。傷は塞いだが早く輸血しなければ危険だ」
「傷を塞いだ……? いつの間に、しかもこんな暗い中で──」
グエルは言葉を失った。少女の出血は確かに止まっていた。男はそんなことはどうでも良いとばかりに鞄を片付けていた。
「爆発の光で一度見れば十分だ。それより早く患者を治療設備のある場所まで運ばねばならん。立てるか?」
「あ、ああ!」
グエルは少女を背負って立ち上がった。まだ温かい。その体温が、三日間ろくに立ち上がることもしていなかった脚に不思議な力を与えた。そんなグエルの様子を見て男はふ、と口角を上げた。
「よし、行くぞ。移動の間君は患者を励まし続けるんだ」
男は鞄を持つと走り出した。グエルも慌てて後に続いた。
「分かった! おい、もう大丈夫だぞ! もう少しの我慢だ、ええっと、あー……チビ助」
「うるさい。……シーシア。名前」
「悪い。俺はグエル……ただのグエルだ」
「聞いてないから」
三人は廃墟を出た。再び市街地で爆発が起きたのが見えた。
「移送車はあっちだ。俺たちが着くまで待ってくれれば良いが……」
Kの案内でグエルは再び駆け出した。息が上がって心臓は痛いほど脈打っていた。しかし、シーシアを支える腕と踏み出す脚には変わらぬ力が宿っていた。舗装されていない森林の地面を踏みしめてグエルは走る。
「大丈夫だからな。もう少しで助けてもらえる」
グエルは変わらず背中に励ましの言葉をかけ続けた。
「……何だよ。何がしたいんだよ、お前……」
「分からない。何がしたいんだ俺は……?」
グエルは歯を食いしばって自分自身に問いかけた。
その時、
「止まれ!」
前を走っていたKがグエルを制止した。グエルが言われるままに止まると、どこからか吹き飛んできたモビルスーツが木々をなぎ倒し、グエルたちの目の前で止まった。
「ベッシのプロドロス……」
シーシアが言った。
「モビルスーツ……」
呟くグエルは、倒れたモビルスーツが全く動かないことに疑問を覚えた。戦闘の最中ならすぐに戦線に復帰しようとするはずだ。見える範囲では大きな損傷はない。つまり電気系統の故障か、パイロットに何かトラブルが起きた可能性が高い。
同じ結論に達したKがコックピットを開けた。すると、
「お前たちは見ない方が良い」
Kはマントでグエルたちの視線を遮った。グエルは一瞬呆気にとられ、何が起きているか理解し歯を食いしばった。シーシアは静かに目を伏せた。
「そんな。コックピットは無傷なのに」
グエルが言った。
「頭部の損傷が激しい。ヘルメットをしていれば或いは助かったかもしれんが、ノーマルスーツも満足に手に入らないのが彼らの現状なのだ。残念だが埋葬の時間はない。先を急ぐぞ」
遺体に手を合わせて再び走り出そうとしたKに、
「待ってくれ! 機体はまだ生きてる。詰め込めばコックピットに3人とも乗れるはずだ」
グエルはシーシアをKに預けるとコックピットに乗り込み、計器のチェックを始めた。
「君はモビルスーツが動かせるのか」
Kが言った。
「ああ。一刻を争うんだろ! さっきからそいつの呼吸が弱くなってる。それに車が出ちまってたら走ってちゃ間に合わない!」
グエルはパイロットだったものを引きずってコックピットの外に出した。それを地面に横たえさせると、喉で抑えていたものが溢れ出し、グエルの口の中に不快な酸っぱさが広がった。
「だが患者は強いGに耐えられる状態ではない。パイロットにはドリンクホルダーのコップの水を溢さないような繊細な操縦が求められる。それが出来なければ徒に患者を死なせることになるぞ」
「外向けのお上品なデモ操縦なんかガキの頃からやってる! 俺はジェターク家御曹司、グエル・ジェタークだぞ!」
グエルはギュッと眉根を寄せた。
Kは何も言わずシーシアを抱えるとコックピットに運び、グエルの膝の上に横たえた。なるべく脳と心臓の高低差を小さくする耐G姿勢だ。K自身はなるべくグエルの邪魔にならないよう体をくの字に曲げて、コックピットの後ろの空間に大きな体をギュッと押し込めていた。
グエルの人生で最も集中してモビルスーツを動かした時間だった。乗り慣れた自社製品ではなくとも、幼い頃から父親に叩き込まれたあらゆるテクニックを総動員し、モビルスーツを自分の手足のように動かしていた。
上昇して森を抜け、空から周囲を見渡すと、待っているはずの車が走り去るのが見えた。遠くの戦場で爆発が起きたのを気にも留めずグエルは車を追った。
《ベッシか、無事だったか!》
オルコット機から通信が入った。
「アンタは……頼む! 移送車に止まるように言ってくれ! 子供が死にかけてるんだ!」
グエルは叫んだ。
《グエル・ジェタークか? 何故貴様が──》
「輸血と輸液、昇圧剤の準備をするように伝えろ!」
Kが後ろから言った。
《ドクターK!? これは一体……いや、分かった。すぐに医療班の車を止めさせる》
通信が切れ、程なくして移送車両のうち1台が停車した。グエルは近くにプロドロスを着陸させると、Kの後についてシーシアを運び込んだ。医療スタッフはグエルにぎょっとしていたが、既に意識朦朧としているシーシアを励まし続けるグエルの様子を見て何も言わず迎え入れた。
何やら専門用語で話しているKと医療スタッフにシーシアを託し、邪魔にならないよう外で待とうとしたグエルにKが声をかけた。
「君、血液型は」
唐突な問いにグエルが答えると、Kは頷いた。他のスタッフは何やらホッとした様子だった。
「輸血用の血液が足りん。血を提供してくれないか。この車にいる血液型が合う人間で、君が一番体格が良い。他の者では体力が持たん可能性があるのだ」
「あ、ああ! 俺ので良いなら何リットルでもやってくれ!」
「フッ……そんなには要らん」
「おい、どこへ行く」
曙光射す森の中をフラフラと歩くグエルをオルコットが呼び止めた。
「会社の為に、俺はあのまま連れていかれるわけにはいかないんだ」
「捕虜が逃げ出すことを不思議がってはいない。だが、こんな森に何の用がある」
「ただ……俺の勝手な感謝だ」
グエルが向かっていた先にあるものにオルコットは気が付いた。
「ベッシ……!」
「あの人の機体のおかげで子供を助けられた。だからせめて、埋葬してやりたいんだ。俺からの感謝なんて要らないだろうが、だから、これは俺の自己満足だ」
「そうかもな。だが俺はお前に感謝しよう」
オルコットはギュッと眉根を寄せ、サバイバルキットのスコップをグエルに投げ渡し、自身は手で穴を掘り始めた。
二人はしばらく無言で穴を掘っていた。やがて大人一人を埋められる大きさの穴が掘られ、ベッシの遺体が葬られた。最後の土をかけたのはオルコットだった。
全てが終わった時、グエルは眩暈を起こし地面に倒れ込んだ。
「お前、シーシアに結構な量の血を提供したそうだな」
「ああ。俺の血が使えて良かった。同じなんだな、この肌の下に流れる血は。どこで生まれたって」
「……お前、何故あの時逃げなかったんだ」
「父さん、って聞こえたから。助けて欲しかったんじゃ、ないかって……」
グエルは苦しげに目を瞑った。
オルコットは何も言わずじっとグエルを見た。しかし、その目に映っていたのはグエルではなかった。
「ここに居たか」
二人の後ろからKが現れた。
「ドクターK。もう車が西の飛行場に向けて出発する頃だろう」
オルコットが言った。
「俺は乗らん。出来ることは全て終わった。あとはそちらのスタッフに託して問題ないだろう」
「そうか。あんたには感謝している。おかげで助かった命がたくさんある」
「礼には及ばん。だが設備と薬が足りん。何より栄養不足を解決せねばジリ貧の状況は続くだろう」
「分かってはいるが、今は凌ぐしかない。この状況を解決するために俺たちは動いている」
「なあアンタ。K先生、だったか?」
グエルが起き上がった。
「ああ。ここには君の様子を見に来たのだが、その分では大丈夫そうだな。水分をしっかり摂っておくように」
Kは踵を返した。
「待ってくれ! 俺もアンタみたいに人を助けたい。俺に医術を教えてくれないか?」
グエルは頭を下げた。Kはゆっくりと振り返った。
「言ったろう。俺は一介の医者に過ぎん。君が治すべき患者は俺の行く先にはいない」
グエルは顔を上げ、Kと目線を合わせた。
「俺が治すべき患者?」
「そうだ。君が執刀すべき患者はこの世界! 患部は地球と宇宙の社会構造! その為にジェターク社というメスを振るえるのはグエル・ジェターク、君しかいないのだ!」
グエルは雷に打たれたように立ち尽くした。
「ではさらばだ。オルコットさん、グエル君。俺はまた俺を必要とする患者の元へ行こう」
Kは今度こそマントを翻して歩き始めた。その背中が見えなくなるまでグエルとオルコットは無言で見送っていた。
オルコットに通信が入り、グエルから離れた。
「オルコットだ──ああ、ドクターなら今まで一緒だった」
グエルは自分の手のひらを見つめ、握っては開いてを繰り返して、やがて強く握りしめた。
「──二人が? 了解──二人とも無事か、良かった。そうだ二人とも──」
オルコットは通信を中断するとグエルを手招きした。
「何だ?」
その疑問には応えず、オルコットは通信機を渡した。
「手短にな」
「何なんだ?……こちら捕虜のグエル・ジェターク。悪いがまた掴まる気はない」
《シーシアを助けてくれてありがとう》
グエルに食事を運んでいた、セドと呼ばれていた少年の声だった。
「……助けたのはお前が呼んだK先生だ。俺はただ狼狽えて焦ってただけで──」
《ううん。グエルの操縦がなかったら助からないか後遺症が出てたかもって先生が言ってたよ》
少年の声に、グエルは喉が詰まりそうになるのを必死に堪えた。
「そうか、なら……良かった」
《僕もモビルスーツを──あ、ちょ、シーシア……!》
音声が乱れた。
「どうした?」
《別に。スペーシアンと話すことなんかもうないんだって》
通信機からは少女の声が聞こえていた。
「お前……元気になったんだな。良かった」
グエルは安堵のため息を吐いた。
《全然。頭は痛いしお腹は減ったし、意識失ってる間ずっとお前に励まされてるのが聞こえてたのも最悪だった》
「それはKがそうしろって言うから……!」
《でも生きてる。助けてくれて嬉しかった。ありがとうグエル》
グエルが何か言う前に通信機の向こうから気配が消えた。
《ごめんね急に。あ、やばい、オルコットに代わって! ほんとにありがとう!》
言われた通りグエルはオルコットに通信機を渡した。
「──ああ、ドクターKにどうしても礼を言いたかったそうだ。──合流は少し待ってくれ。考える時間が欲しくなった」
オルコットは通信を切った。
「良いのか? 俺を捕まえなくて」
「『お前は瓦礫に押し潰されて死んだと思った』。これが俺の責任で下した俺の判断だ。お前はこれからどうするんだ? お前の人生だ。行く道は自分で決めるんだな」
オルコットはベッシの墓を一瞥して、森の道なき道を歩き出した。
「教えてくれないか。軌道エレベーターまでの行き方」
「何?」
オルコットは振り向いた。
「これ以上、失くしたくないんだ。俺と、父さんを繋ぐもの」
グエルはギュッと眉根を寄せた。
オルコットは改めて正面からグエルに向き直った。その瞳は夏空のように深く、真っすぐだった。美しい朝焼けを反射する青い眼を、オルコットは美しく思った。