現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話 作: トウコ
何とも言えない空気のまま猫附家を後にし、二人並んで帰路につく。
夕暮れの中、横を歩く額月だけが鮮やかに見えて落ち着かない。
俺の仕出かしたことが、許されたわけではない。
『――何でもするって、何をするつもりだったんですか』
あの場で幼さを残す子の問いに対し、
『何でも、だよ』
額月はひんやりとする微笑みを浮かべた。
常は鷹揚な性格で、心の広い彼女ではあるが――
謀られるというのは、額月にとって両親に次ぐ逆鱗の一つ。
その報復の苛烈さは目を見張るものがある。
自分が例外だとは、とても思えなかった。
彼女は情に厚いが、公正な人物だ。
それなのに、額月は受け入れた。
『――桃弓木にはそうしようと思えないから、仕方がないね』
力ない、どこか甘やかな声。
矛盾を持て余し、心底弱ったという顔で笑った。
その顔を自分がさせたという事実に心臓を鷲掴みにされ、畳に突っ伏した。
思い出すだけで顔から火が出そうになる。今が夕方で良かった。
すると、少し冷えた――額月の指先が頬に触れた。
「トマトみたい」
微笑む目に浮かぶ、からかいの色に戦慄く。
「……俺はもういっぱいいっぱいなんだ。しまいには地面を転げ回るぞ」
「そのときは抱えて連れて帰ってあげる」
「絵面が不味すぎて心が死にそうになるからやめてくれ。頼むから」
「なら背負おうか」
いつかしたような会話をしながら、どちらからともなく手を取り歩く。
夕日を浴び、二人の影がどこまでも伸びていった。
手を繋いで戻ってきた俺たちの顔を見るなり、姐ちゃんは噴き出した。
ケタケタと笑い声が背に追いすがる。
ろくに言葉も返さず、繋いだ手を引いて足早に家へ向かった。
二人きりになりたい。
ずっと言いたいこと――いや、聞きたいことがあった。
猫附家では無理だったこと。
引き戸を閉め、鍵を掛ける。
乾いた音がやけに大きく響いた。
振り返ると、目が合う。
額月はわずかに瞬き、握られた手と、俺の顔を見比べて――首を傾げる。
「桃弓木?」
呼ばれるだけで、逃げ道が塞がれるような焦燥。
必死だった。
その両手を取り、縋るように握る。
そして、希った。
「……お前の名を、知りたい」
額月の目がわずかに見開かれ、その奥に揺らぎが走る。
初めて出会った日、彼女が本名を名乗らないことを当然と受け止めていた。
危険を避ける、賢明な判断だと。
そもそもあの時代、貴族の娘の名を知るのは、家族を除けば……夫になる人物のみ。
――いつしか、焦がれるようになった。
「お前の名を呼びたい。それを許される男がこの先、俺だけであって欲しい」
願いというより、ほとんど祈りだった。
資格などないことは、とうに知っている。
それでも口にしてしまったのは――彼女が、受け入れたからだ。
あのとき。
赦しきれないはずのものを、飲み込んだ。
ならば。
この願いもまた、届いてしまうのではないかと。
そんな都合のいい期待を、捨てきれなかった。
沈黙が落ちる。
額月は、何も言わない。ただ、静かな目でこちらを見つめている。
肩から力が抜けた。
――求めすぎた。
遅れて理解が追いつく。
自嘲が、喉の奥でかすかに鳴る。
そのとき。
「……うん」
小さく、肯く気配。
顔を上げる。
「わかった」
息をのみ、瞠目する。
あまりにもあっさりとした、その言葉に。
そして、額月はほんの少しだけ逡巡するように視線を揺らし、
静かに――
「――」
音が、落ちてきた。
「祝言を挙げなくても……あなたにそう言われたら、私は応えたよ」
息をするのも忘れて見つめていると、彼女はわずかに眉を下げた。
「随分遠回りをしたね」
責めるでもなく。ただ、呆れたように。
その視線が、刺さる。
これまでのことが、一気に押し寄せた。
思わず顔を覆って天を仰ぎ、たたらを踏む。
「……っ、は……」
息とも笑いともつかないものが漏れた。
指先から、力が抜けていく。
――ただ求めることが正答だった……!
ついに堪えきれず膝から崩れ落ちた。
額月は縁台に腰掛け、その様を悠然と眺めている。
「感情がせわしないね」
「お前が揺るがな過ぎる……!」
敵わない。
どうしようもなく、抗えない。
胸いっぱいに、いや、全身から込み上げるものを処理しきれず――
俺は結局、呻きながら転げ回ることになったのだった。
完
これにて完結。
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続編は、もし書く場合はpixivで書き、完結してからこちらに投稿する形になると思います。