大学3年生の主人公が、それまで特に接点のなかった同級生・田中冴子に誘われ、冴子率いる和太鼓チーム「烏合」のメンバーに加わることになり──…。
楽器はもう、高校でやめたはずだった。
中高の6年間続けた吹奏楽。高校最後のコンクールでは、さすがに全国に出場はできなかったけど金賞をとったし、やり切ったという充足感もあった。
それに──。
これが自分の限界だと気づいていたのだ。
どれだけ研鑽を積んでも、とてもお金を取れるような奏者にはなれない。
続けるとしても、あくまで趣味。それなら一度、音楽から距離を置いてみようと思ったのだ。
結果、私は特にサークルにも入らずバイト三昧の2年間の末、気づけば大学3年生になっていた。
「──ねえ! 高校まで吹奏楽でフルートやってたってほんと!?」
ある日の講義終わり。
講義室に金髪ボブの派手な女の子が飛び込んできたな──と思っていたら、彼女はなんとまっすぐ私の元へとやってきた。
「え、ええと……?」
「あっごめんね! アタシは田中冴子! 冴子って呼んで!」
「さ、冴子ちゃん……。私は竹内香澄」
「カスミンね! それで、さっきの話だけど……合ってる?」
彼女の勢いに気圧されながらも頷く。すると彼女はわかりやすく目を輝かせた。
「うちのチームに入らない!?」
キャンパス内に設置されたテーブルセットに移動して話を聞いたところ、彼女が取りまとめている和太鼓のチームで、篠笛の奏者が足りないそうだ。
「でも私、篠笛なんてやったことないし……」
それに、もう3年なのだ。就活が現実味を帯びてくるこの時期から新しいことを始めるなんて、あまり賢明ではない気がしてしまう。
「そーおなのよほんと! 経験者全然いなくて!」
それはそうだろう。楽器経験のある私の周りでも聞いたことがないくらいだ。
「アレそもそも音鳴らすとこからして大変でさぁ。アタシたまにやらせてもらうけどいまだに全っ然鳴らない」
「そうなんだ……」
実を言うと、ちょっと興味を引かれてしまった。音を出すのすら難しいというその楽器を、私は鳴らせるのだろうか、と。
「ちょっとさ、一回体験に来てみない? やってみて気が乗らなきゃそれで全然いいからさ!」
冴子ちゃんのその勢いと自分の中に芽生えてしまった好奇心につられて、私はつい頷いてしまったのだった。
「おつかれーっ! 篠笛候補連れてきたよーっ」
連れてこられたのは格技場──学内にある中では一番小さな体育館だ。
冴子ちゃんが率いる和太鼓チーム「烏合」のメンバーは毎週、ここで練習しているのだという。
冴子ちゃんの声に反応して、真っ先に近づいてきたのは背の高い女性だった。
篠笛奏者で、百合子さんというらしい。
「香澄ちゃんね。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、百合子さんは「じゃあ、早速だけど……」と持っていた篠笛を渡してくれた。
「わ、軽い」
正直な感想が口をついて出る。
フルートは木管楽器といえど金属製なのに対し、篠笛は竹でできている。キィもなく文字通りの穴が空いているだけだ。
「吹いてみていいですか?」
ワクワクを抑えながら尋ねると、百合子さんは「もちろん」と頷いた。
「でも、やったことあるの?」
気遣わしげな百合子さんに「いえ、ないです」と答える間も篠笛から目が離せない。鳴るだろうか……。
私は下唇の下の窪みに、そっと篠笛をあてる。
それから息を吸い、"アンブシュア"を作って、そっと息を吹き込んだ。
「……」
鳴らない。ならもっと「下」だろうか。息を割るポイントを探りながら吹き続けていると──。
ここだ、という実感があった。そして次の瞬間。
ピイィィィィィィ──。
わっと格技場全体がどよめいて、それとなく注目されていたことに気づく。百合子さんも笑顔でパチパチと拍手してくれていた。
演奏の構えを解くと、冴子ちゃんがすっ飛んできた。
「ちょっとぉ! 初めてでコレとか天才じゃん!?」
手放しで褒めてくれる冴子ちゃんに、私は「そんなことないよ」と首を振る。というのも──。
「香澄ちゃん、フルートか何かやってたんじゃない?」
百合子さんの言葉に私は「はい」と頷いた。
「中高と吹奏楽で……」
そう、私が初手で音を出せたのは、篠笛は音が鳴る原理がフルートと同じだからだ。
「それで冴子ちゃん、香澄ちゃんに声かけたのね」
しかし冴子ちゃんは「えっ?」と目をぱちくりさせている。
「アタシはただおんなじ横笛だしって思っただけだよ」
「えっ」
今度は百合子さんと私が目を瞬く番だった。
なんとなく、冴子ちゃんの人となりが見えてきた気がする。
気を取り直して、というように百合子さんが咳払いをした。
「それでも──フルート経験者ってことを加味してもって意味ね。センスがある方だと思う。ちょっともう一回吹いてもらってもいい?」
私は頷き、篠笛を構える。さっきので角度が掴めていたので難なく鳴らすことができた。
「それじゃあ、今度は全部の穴を塞いで──そう、この指がここね。これで吹いてみて」
「──!」
息が穴を滑ってしまった。穴を塞いだことで息を当てるべきポイントが微妙に変わってしまったのだろう。
吹き込む息の量、速さ、角度を微調整してやり直すと、今度はしっかり音が鳴った。
「これは……フルートよりシビアですね」
フルートでも、それこそ最低音のドなんかはある程度練習してからでないと鳴らなかったりするけれど、篠笛は難易度の桁が違う気がする。
「でもちゃんと鳴ったじゃない」
百合子さんがにっこりと微笑む。
「正直、やらないのはもったいない」
「カスミン……!」
冴子ちゃんが期待のこもった目を輝かせている。
どうしよう。正直──楽しかった。楽しかったというか、ワクワクしてしまったのだ。
初っ端から鳴らせたことにも、でも一筋縄では行かなそうなことにも。
そして何より、限界がはるか遠くで、上手くなる余地が無限にあるように思えることに。
フルートを始めたてのあの頃のように、ただひたすらに成長していけそうな予感に。
「えっと……」
ちらりと様子をうかがうと、冴子ちゃんと百合子さん以外にも、というかこの場の全員から注目されているのがわかった。
私は篠笛を胸に抱いたままぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いします」
その瞬間、格技場が割れんばかりの拍手に包まれた。
それが、かれこれ半年以上前の出来事だ。
あれから私は、百合子さんによる、吹部時代を思い出すくらいの超絶スパルタ指導に耐え抜き、夏には地域の夏祭り、秋には大学の学祭と、二つのステージに立った。
さすがにノーミス演奏とはいかなかったものの、どちらもとても楽しんで演奏ができたと思う。
そして12月初旬の今、私たちメンバーは冴子ちゃんの緊急召集を受けて学内のカフェテリア──と名前がついているが要は学食だ──に集まっていた。
「今日集まってもらったのはね、遠征の相談なんだけど」
冴子ちゃんが口を開くと、メンバーは「遠征?」「出張演奏ってこと?」と顔を見合わせる。
「それが今回はちょっと遠くって、東京なんだよね」
「東京!?」
ええっ、とどよめきが上がった。
その中で、百合子さんが「もしかして」と口を開く。
「例のバレー部の弟さんの……?」
冴子ちゃんは「そう」と頷き、全員に向き直って言った。
「春高に出る烏野バレー部の応援。でも私情じゃないよ。センセーたちからの依頼」
なるほど、と思う。吹部時代にも、何度か野球部の応援に行ったことがあった。といっても地区大会だけど。
「東京だし、泊まりだし、今回は有志で行くことになると思うんだけどね」
冴子ちゃんの言葉に胸がどきん、と鳴る。行きたい──。
「日程は来年の1月6日から。来週には練習に入りたいから、返事は金曜までにヨロシクねー」
冴子ちゃんはそう言って、立てた人差し指をくるくる回した。
「香澄ちゃんはどうする?」
百合子さんがこちらを向く。
「行きたいです! あ、親にはもちろん確認しないといけないですけど……」
すると百合子さんは少し考えてから、私の目をまっすぐに見据えて言った。
「……うちの篠笛、香澄ちゃんに任せてもいい?」
「えっ?」
戸惑う私に、百合子さんは真剣な表情で続ける。
「残念だけど、そしてとても申し訳ないけど、私は修論で動けない。だから……」
今度の本番は、百合子さんがいない──?
衝撃のあまり固まっていると、肩にぽん、と手が載せられたのを感じた。
「──大丈夫。なんたってカスミンはアタシがスカウトしてきた逸材だからね」
見上げると、サラサラの金髪ストレートボブが天井の照明で煌めいていた。
年が明けて1月6日。
私たち6人の有志メンバーは、2台の車に分乗して宮城からはるばる東京体育館へとやってきた。
冴子ちゃんの弟くんのチームは無事に初戦を突破し、今日2回戦を戦うことになっているそうだ──が。
「──やっばい! 急ぐよ!」
冴子ちゃんが声を張り上げる。
朝早くに余裕をもって出発したにもかかわらず、道に迷ってだいぶ時間をロスしてしまったのだ。
もう試合が始まってしまっているかもしれない。
「入り口はこっち! 二往復で済ますからね!」
指揮をとる冴子ちゃんの傍で、私も搬入を手伝う。
その間も、頭の中にはずっと和太鼓と篠笛の音が鳴り響いていた。
本番衣装を身に纏い、各々楽器を携えて。私たちは今回のステージとなる客席へと足を踏み入れる。
と、その瞬間、ダイナミックな吹奏楽の演奏が耳に飛び込んできた。
「──!」
考える間もなく「これは」と思う。
音響が計算されたホールとは程遠い、体育館の客席という環境。にもかかわらずこのクオリティ──相当ハイレベルな演奏集団だ。
吹部時代を思い出して圧倒されそうになった時──。
「相手の応援スッゴイじゃーん!」
冴子ちゃんだった。そしてその声に反応して、コートに釘付けだった応援席の人たちが振り返る。
烏野太鼓と書かれた幟を担いだ冴子ちゃんは、彼らを一瞥し不敵な笑みを浮かべた。
そして仲間のピンチに駆けつけたヒーローさながらの一言を放つ。
「待たせたな!」
それから急ピッチで設営を進める。
私も幟をいくつか設置し終え、手が空いてふっと顔を上げた時だった。
「えっ」
思わず大きめの声を上げてしまった。というのも、見慣れた文字列が目に飛び込んできたからだ。
「稲荷崎? 稲荷崎が相手なの?」
驚く私に、冴子ちゃんが「何? 有名なの?」と聞いてくる。
「稲荷崎高校──毎年必ず全国に出てくる吹奏楽の強豪校だよ。吹奏楽やってて知らない人はまずいないと思う」
私が言うと、冴子ちゃんは特に関心を引かれなかったのか「へーそうなんだ」とだけ言って、すぐに作業に戻って行った。
「……」
なるほど、それであの演奏か──圧倒されるわけだ。
そして私たちは、応援団としてあれに対抗しなければならない。篠笛を握る手に思わず力が入る。
と、そこにそっと温かい手が重ねられた。
「そう気負いなさんな。アタシたちの役目は相手の応援に勝つことじゃないからね」
コートを見つめる冴子ちゃんの横顔がきりりと光る。
そのあまりのかっこよさに見惚れそうになったところで、冴子ちゃんは右手のばちを前へと突き出した。
「行くよ!」
「ハイ!」
ぴたりと揃ったメンバーの声が空気を揺らした。
タン──タタン──タタタタタタタタタタタタ…
曲の入りの平太鼓の音がくっきりと耳に届く。
お客さんが「聴きに」来てくれていたこれまでとは違う。聴いてもらうためじゃない、観てもらうためじゃない。
ざわざわと漂う音の波の中から、届けるためにここにいる。
拍子の基準となる音を数えながら、私は篠笛を構えた。
大丈夫。最初の一音さえ出てしまえば──。
ピューィルルルルー…
篠笛が高らかに歌い出す。それを追いかけるように、和太鼓が駆けてきた。
さあ、この全身を楽器にして──届け!
ありったけの集中を込めて息を操り指を動かし、そして姿勢を保つ。
初心者に毛が生えた程度の私には、正直周囲を伺う余裕なんてない。
「──!」
それでも、この一瞬で会場の空気が変わったのが肌でわかった。
稲荷崎一色に思えるほどだった客席に、烏野の色が生まれている。
あの金髪のお兄さんも言っていた。相手を掻き消す大音量じゃなくていいと。選手に、相手の拍子以外の音が聞こえさえすればいいのだと。
初めての全国大会、相手は常連シード校。
会場中が敵陣営に思えてしまうほどのプレッシャーの中にいる彼らに伝えるんだ──君は、君たちは独りじゃない、と。
わっと歓声が上がる。烏野側のスパイクが決まったようだ。それを讃えるように、私たちはまた太鼓を打ち鳴らし笛を吹き鳴らす。
「すごい……」
思えば、バレーボールのちゃんとした試合を見るのは初めてだった。
こんなにスピード感があって、躍動感があって、そして何より、こんなに面白いなんて──。
「っし同点!」
「このまま一気に獲っちまえ!」
陣営でそんな声が上がる。
冴子ちゃんは「っしゃあ!」と大きくばちを振りかぶった。
「盛り上げるよーっ!」
ドンドドンドドンドドンドと駆け抜けて行く和太鼓に、篠笛で必死について行く。
たぶん、百合子さんがいたら怒られるな、と思うくらいに、私の篠笛は音色より音量重視になっていた。
でももう、音が揺れるとかブレるとか割れるとか、そんなことは言っていられないのだ。
「いっけー!!」
応援団の声援を乗せてコートへ運ぶように、私たちは鼓笛を奏で続ける。
きっと、烏滸がましいと笑われるだろう。
でもまるで、自分も一緒に戦っているような気分だった。
コートの中の緊張に、プレッシャーに、熱気に呼応して否が応でも速まる鼓動が、私たちを一つにする。
だけど篠笛を吹く私には、どうしたって声を出すことはできないから。
フレーズの切れ目で素早く息を吸い込む。
ピュールルルルピュールルルルル──…
胸に熱く渦巻く想いを全て乗せて、高らかに歌う篠笛の音が鳴り響いた。
(終)