安心安全、絶望提供カフェ&バーSCIP   作:とある財団職員

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 ──いらっしゃいませ。ブックカフェ&バーSCIPのご利用、誠にありがとうございます。
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 他のお客さまに関する詮索、干渉、過度な接触はお控えください。
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 貸出、複製、購入等はお受けいたしかねます。ご了承ください。

 ──『呼び名』は……。はい、承知しました。

 ──では、ごゆるりと。



Case.1 高木渉『汝、英雄なりや?』

***

 

 特別、忙しかったわけじゃない。

 ただ、日々積み重なる苦労だとか、これまであった事件だとか、そんな重たいものが急に押し寄せてきただけ。

 

 あの時、自分がもう少し優しく声を掛けれたら、被害者はもっと安心できただろうか。

 あの時、自分が気を抜かなければ犯人に逃げられなかっただろうか、佐藤さんに迷惑をかけなかっただろうか。

 あの時、あの時、あの時。

 

 なぜか止まらない思考の渦に、視界がぐるぐる回っていく。ああ、明日は非番だってのに。

 このままだと、丸一日回復するためだけに使うことになってしまう。

 

 なんでだろう、何もそんなに疲れてなかったはずなのに。

 

 ふらふらとおぼつかない足取りのまま、なんともなしに路地裏へと歩き始める。

 

 どうしようか、家に帰る気にはなれない。かといって、職場に戻るだなんてできるはずもない。

 ああそうだ、飲み屋にでも行こう。ぱーっと飲めば、少しはマシになるはずだ。

 

 靄がかった頭のまま、まるで酔っ払ったみたいに頭を揺らしながら進んでいく。

 とても、市民を守る警察の姿じゃないよなぁ、なんて考えながら。

 

「……ん?」

 

 ふと、目の端に見慣れない扉が映る。

 通い慣れた路地裏だった筈だが、とてもこんなアンティークな扉を見た覚えはない。

 

 新しくできたのだろうか。

 にしては工事している様子もなかったが。

 

 まぁ、なんだっていい。バー、か。久しぶりだし、色々飲んでみようか。

 ぐわんと重たい頭を掻きながら、木製の重厚感がある扉を開いた。

 

「──いらっしゃいませ。一名様でしょうか」

 

 からんころん、と小気味のいい音が耳を撫ぜると、穏やかな声に迎え入れられる。

 ちらっと店内を見回す。アンティークでどこかカフェを思わせるような、木々の温かな柔らかさに満ちている。その上で、薄暗さがその洒落た雰囲気を、バー特有のどこかシャープな印象へと仕立て上げていた。

 

 当たり、だな。

 

 鼻を通る本の香りに、ブックバーかと納得しながら、店員らしき声に頷いた。

 

「では、始めにこちらの用紙の確認をお願いします」

 

「え?」

 

 そうして渡されたのは、真っ黒な紙に金色と白で装飾された厚紙。読み込むと、どうやらこの店特有のルールがあるらしい。

 

 プライベート、か。

 

 少し怪しいだろうか、とその紙をじっと睨みつける。警察としての顔で見つめ、そしてふとやめる。

 

 今日はもう、いいだろう。

 どうしても怪しければ、また来ればいい。

 

 こんな状態で仕事なんてできるはずもない、と内心自嘲しながら軽く首を振った。

 ふぅ、と息を吐いてから、「同意します」と店員に伝える。

 

「ありがとうございます。では、呼び名の方を決めていただきたく……」

 

「ああ、はい……。えっと、じゃあ、『タカ』でお願いします」

 

「かしこまりました、タカ様、ですね」

 

 あだ名を決めるなんて変わってるなぁ、と関心していると、さらさらと手元を動かしていた店員が顔を上げる。

 

「こちら、利用証になります。次回お越しいただいた際、こちらのカードをご利用くださると、同意の手続きを省略できますので。もし書籍をご購入されるのでしたら、ご提示お願い致します」

 

「はぁ……込んでますね、手」

 

「ええ、込ませてます、手」

 

 にこにこと笑う店員が書いていたらしい、この店の利用証。といっても、あだ名が書かれたポイントカードのようでしかないが。随分と綺麗に作ってあるな、と感心する。

 店員の胸元にあるネームプレートのようなものに書かれた、『カエデ』という言葉から察するに、この店員もまた本名ではないのだろう。

 

 そんなことを考えていると、店員が微笑みながら「こちらです」と歩みだしたので、慌てて追いかける。

 

「では、ごゆるりと」

 

 さらっと流れるようにカウンターまで案内され、店員は初めからいなかったかのように立ち去っていた。

 

 ──さて、何を飲もうか。

 

 ぼんやりとメニューを眺めていると、カウンターの向こう側から、先程までの店員とは違った声を掛けられた。

 

「いらっしゃいませ、お客さま。当店のご利用は初めてですよね?」

 

「あ、はい。まぁ」

 

 綺麗なひとだなあ、と思わず見惚れてしまう。

 いや、顔が整っているといえばそうだけれど、仕草に品があるというか、なんというか。

 

「ふふ、びっくりしたでしょう、あの同意事項。あんまり他所では見られない言葉が多くてね、色んな方に驚かれてしまうんです」

 

 くすくすと軽やかに笑っている。

 女性、いや男性?

 どちらとも取れる雰囲気を纏っていて、一瞬言葉に詰まる。

 

「……そうですね。呼び名を決める、っていうのも珍しいなぁと。利用証もおしゃれで素敵ですし」

 

「ありがとうございます。お客さま、失礼ですが呼び名はなんと?」

 

「あ、タカです。店員さんは?」

 

「マスターと。これでも一応、店主でしてね。ここは小さいものですから、あそこにいる彼とわたくしだけですよ、店員は」

 

 どうやらマスターだったらしい。言われてみれば、あの案内してくれた人以外の店員の姿が見当たらない。

 そんなに言うほど少ないのだろうかと見回せば、中々客はまばらで、これなら二人でも回せるだろう、と納得した。

 

「それで、どうしますか?」

 

 そう言われて、そういえば何を飲もうか決めていなかったことに気づく。

 すっかり話に夢中になっていたらしい。素敵な人柄のひとなんだな、と思いながら答える。

 

「じゃあ、マスターのおすすめでお願いします。大体なんでも飲めるので」

 

「かしこまりました。っと、その前に。こちら、サービスです」

 

 置かれたのは、湯気がもくもくと上がるミルクだった。「えっ」と声を上げると、マスターは唇に人差し指を乗せて目を細める。

 

「ただのホットミルクです。アルコールも入っていませんよ。まずは身体を温めては? それに、打算でもありますよ。これからもぜひご贔屓に、とだけ」

 

 あ、あったか〜い!

 

 ピシャーンと脳に刺激が落ちるような感覚。

 どうやらさっきまで余っ程顔色が悪かったらしい。話している最中、何やら手元を動かしているなとは思ったけれど、ミルクを作っていたなんて。

 優しいというか、温かいというか。

 

 熱くなる目を抑えながら、震える声で「ありがとうございます」と伝えると、「なんのことでしょう」と笑われる。

 大人の余裕、というやつだろうか。きっと来店してすぐに気がついたんだろう。

 

 ああ、でも。こんな気遣いをされるだなんて、警察として情けない。

 

 そう考えると、少しずつ顔が下がっていく。ぐっと握りしめたホットミルクの熱が、やけに遠く感じられた。

 

 こんな、善意でしかない行動に対して、ネガティブに思うだなんて。失礼だ。

 ああ、やっぱり、今日はだめなのかもしれない。

 

 ぐっと掌に爪が食い込む。

 すると──

 

「……タカさん」

 

 マスターに声を掛けられて、ふっと顔を上げた。

 見ると、眉をハの字に下げて、少し悲しげな顔をしている。

 

 ああちがう、こんな顔をさせたいわけじゃなくて。

 

「なにがあったかは分かりません。聞こうとも思いません。ですが……そうですね、一つ、お話をさせていただいても?」

 

 じわ、と口に広がっていた血の味がふっと吹き飛ぶ。

 

「話……ですか?」

 

「ええ、お話です。本当は、明後日の予定でしたが……まぁ、良いでしょう」

 

 明後日にする予定、と言われて首を傾げる。

 どういうことだろうか、と考える前に、マスターが声を上げた。

 

「さあさあ皆様、少々日付が早いですが、今週のお話のお時間でございます。どうぞ、皆様、ご拝聴ください」

 

 こういうのって、バーでやっていいことだったか?

 大声を出すのはマナー違反じゃないのか?

 

 そんな疑問が浮かびかけた瞬間、まばらだった客が一気にカウンターへと移動してくる。

 それはまるで、その瞬間を待っていたといわんばかりだった。

 

「な、何事ですか?!」

 

 思わず声を挙げてしまうと、隣に移動してきたガタイの良い客が声を掛けてきた。

 

「おー、お兄さんここ来んの初めてだろ。マスターがわざわざ日ぃ早めたんだ、あんたのためだろうよ。耳ん穴かっぽじって聞きな」

 

「え、えええ」

 

 事態の把握もできないまま、客全員がカウンターにつく。ちらっと周りを見渡すと、最初に案内してくれた店員が、入口の看板をclosedに変えていた。

 

「ありがとうね、カエデくん」

 

「いいえー、僕もマスターの話好きですし。それになにより、マスターのためならなんだってしますよ」

 

「いやあ、我ながら良い店員を持ったもんだなぁ」

 

 ははは、と笑うマスター。カエデと呼ばれた店員がカウンターから少し離れた席に座ると、マスターは辺りを見回してから、口を開いた。

 

「それでは。わたくしが語りますは、とある人々の足掻きでございます。

 ──ご安心くださいませ。これより語るは、この世の誰もが知らぬ出来事でございますゆえ。決してこちらで起こることはありません。

 

 ──どうぞ、今宵もごゆるりと」

 

*

 

 本日語りますは、『終わらない英雄譚』。とある本に纏わる話でございます。

 

 その本は実にシンプルな装飾で、黒い革の表紙にタイトルのみと、淡白なものです。

 ですが、その本にはとある異常性がございました。

 

 ──増えるのです。

 ただ増えるのではありません。

 ある特定の時までページが増え続け、かと思えば途端に止まる。

 どころか、ページが増えなくなると、本そのものの数も増えていきます。しかもどれもこれも、別のタイトルのものです。今はまぁ、ある一冊のページが増え続けているだけですが。

 

 そして、大体それらには先程述べたこと以外の共通点があります。それは──

 

 自分の命を犠牲にして他者を救った者の英雄譚である、ということでした。

 ええ、これで終われば素晴らしい美談でしょう。

 

 ですが、違います。違ったのです。

 

 終わらないのです。

 挙げ句、ページが増えなくなると、これまでの賛美が嘘のように変わってしまいます。

 タイトルが、極めて侮蔑的なものへと変貌してしまうのです。

 

 まぁ、ここまでの話を聞いて、そうなのか。でも本の中の出来事だしいいじゃないか、と思うでしょう。

 

 では、問いましょう。

 

 ──もし、この本の中の英雄が、意識のある、我々と同じ様な人物であるのなら?

 

 そう、この本は恐ろしいことに、間違いなく当事者たちの意識が存在しているのです。

 

 そして、先程述べた言葉、『ページがある時まで増え続ける』こと。命を投げ捨てて他者を救うという、死を前提とした英雄譚。

 その上、この話のタイトル、『終わらない英雄譚』。

 

 ──この物語は、救われた人が死にかけ、かつて救った人がそれを再び救う物語。

 

 それは終わること無く、いつまでも続いていく。何度死のうとも、何度救おうとも。

 

 死は救った人の記憶に永久に残り、それでも再び生き返っては救います(死にます)。

 

 ただ、疲れ果てて救うことを諦めてしまう、その時まで。

 

 しかも、苦痛の永遠を終えたところで、救いたかった人は死に、本は救わなかった自分を侮蔑します。

 そして、その死体を眺めながら、消えてゆくのです。

 

 そうですね、例えるなら。『病魔に苦しむ妹を救った、心優しき兄の英雄譚』が、あったとしましょう。彼は96回も救ったにも関わらず、本は述べます。『たった一人の肉親を見殺しにした屑野郎の物語』、と。

 あるいはこうでしょう。『まだ見ぬ我が子の命を救った、愛深き母親の英雄譚』が、『無情なアバズレの息子として生まれたがために泣き叫びながら燃え尽きた少年の悲劇』に。『未来ある若き兵士を救った、尊敬すべき上官の英雄譚』が、『死に瀕する部下を我が身かわいさに見捨てた腰抜けのおはなし』に。

 このどちらも、100回以上は救っています。

 それでも、本は侮蔑するのです。

 

 さて、この本ですが。わたくしが紹介したということで、警戒している方が多いでしょう。

 

 ──まぁ、その通りなのですが。

 

 この本、初めはただの本なのです。

 

 ──とある人に拾われる前までは。

 その人とは、「自分が死の危機に晒された際に他者に救われたが、その人がかわりに死んでしまった」という状況において生還した人のこと。

 

 もうお察しでしょう。

 

 この本を手にしたその人は、消失してしまいます。ええ、本に閉じ込められるのです。

 そして、せっかく以前に助けられた命でありながら、再び死の危機にさらわれてしまいます。

 

 そこで現れるのが、かつて死んでしまったはずの、あの時の恩人(ヒーロー)。

 再び命を犠牲に救われたその人は、間違いなく救われます。

 そうして、その章は終わるのです。賛美の言葉とともに。

 

 ええ、そうですよ。『その章は』、です。

 

 先程述べた通り、この本は一定時間ごとに新たな物語が書き込まれます。24時間に一度、一章分が終わるのです。

 もちろん、その本の内容は、中での彼らの行動次第です。

 

 さて、小説において一章が終わるとどうなりますか?

 

 そうですね、次の章が始まります。

 後はもう、これまで述べた通りです。救う人は死の記憶を抱えたまま救い(死に)、救われた人はいつまでも本から出られないまま。

 多少内容は違えども、どの章も必ず流れは同じです。

 

 では、救うことを諦めてしまうとどうなるのでしょうか。

 

 ──答えは一つ、救われなかった人が死ぬ。

 それだけです。

 

 救われなかった人は、その章での死に方のまま本から出てきます。タイトルが侮蔑なものへと変貌した、その本の傍らに。

 

 そうです、現実でも死んでしまうのです。

 

 なんて理不尽なことでしょう。無理やり人を助けることを永遠に強要しておきながら、助けなかったら誰も幸せになることはできない。

 

 ここで、思い出してください。

 初めにわたくしが語った、この本の異常性について。

 

 そう、ページが増えなくなったら、つまりバッドエンドに終わってしまったら。

 

 新たな英雄譚(地獄)が、生まれてしまうのです。

 

 無論、抗う人はいます。実際の所、5000回以上に渡って抗い続けている人がいます。

 

 ええ、5000回も、です。今ではもはや、何回死んでいるかは、把握できていません。

 それでもなお、抗い続けている。

 

 そのタイトルはいつまでも変わらないまま、『無辜の幼き少女を救った、とある忠勇なるエージェントの英雄譚』。

 

 ですが、それでもやはり、解放されることはないのです。

 

 今もなお、本のページは増え続けています。抗い続けているのです。5000回も死にながら、諦めずに、自分のような犠牲者を増やさないために。

 

 さて、この本について、長々とお話しましたが。

 結局のところ、彼らが自己犠牲をしなければ、このような地獄はなかったのでしょう。

 

 ですが、かといって救わなければいいわけでもないでしょう。

 

 なら、と思いますか?

 

 そうですね、そうでしょう。

 けれど、一つだけ。わたくしから、言えることがあります。

 

 たとえどんな英雄であろうと、きっと一人でいることはつらいのです。

 どうして自分だけ、と思ってしまうのです。

 実際、彼らは一人で命を投げ捨て続け、皆心を折っていますから。

 

 救うならば生きる気で。たった一人で英雄になろうとしないでください。

 

 どうか、それを忘れずに。未だに抗う英雄とともに、どうか。

 

 ああ、そうだ。最後にもう一つ。

 

 ──もし、あなたが道端で本を見つけたとして。

 

 決して、手にとってはなりませんよ。

 もしかすると、その本かもしれませんから。

 

*

 

「……さて、今宵の話はここまで」

 

 しん、と店内が静まり返っている。冷え切った空気がいやに肌を撫ぜた。

 脳裏を巡る恐ろしい言葉の数々が、その空気の重たさを強調していく。

 

 誰も口を開かない中、マスターはカウンターからグラスを持ってきた。

 からん、と乾いた氷の音が響く。

 

「タカさん」

 

「……はい」

 

「いかがでしたか? 多少、気は逸れたでしょうが」

 

「え……っと」

 

 どう返そうか、うんと頭を悩ませていると。

 

「そりゃねえよ、マスター! ブックバーで語る内容じゃないぜっ!」

 

 隣の人がひえっ、と身体を震わせて声を上げた。

 その声に、ぴんと張り巡らされていた何かが弾けて、初めのバーの、柔らかな雰囲気に戻る。

 確かにそうだ、相変わらず趣味が悪い、でも面白かった。

 そんな風に語る彼らは、マスターに愚痴を言っているようで、それでも楽しんでいるようであった。

 そして彼らはそのまま元の席へと戻っていく。

 

「ふふ、たしかに言われてみればそうですね。ねえ?」

 

「あはは……そう、ですね」

 

 そんな話を聞いて、思い浮かんだのは、これまでの記憶。

 

 思い返せば、自分は何をしていたのだろう。佐藤さんに迷惑をかけたくないからと、そう宣っておきながら、空回りばかりして。心配させてばかりだったんじゃないか。

 いつもいつも、自分がヘマをして、先走って。

 

「……タカさん」

 

「なんで、しょうか」

 

 湧き上がってきた、熱くて冷たいものを胸の奥底に押し込める。

 

「遅くなりましたが、本日のおすすめでございます」

 

「あ……そういえばそうでしたね」

 

 マスターの語りの最中、ミルクを飲んでいたからか、すっかり忘れていた。

 そうして差し出されたのは、黄金色の、色鮮やかなカクテル。

 

「『サイドカー』、と申します」

 

 僅かに聞き覚えのあるような、そうじゃないような。

 しぱしぱと瞬きをしていると、マスターがからからと笑った。

 

「ふふ。こちらですね、『いつもふたりで』というカクテル言葉がございまして」

 

 からり。

 今度はどこか綺羅びやかな音が軽快に鳴る。

 

「英雄というものは、得てして一人で走ろうとしてしまいます」

 

 静かで、穏やかで、深い深い、悲しみと慈しみ。

 滲み出るものは、とても自分には受け止めきれないほど。

 

 けれど、その笑みは間違いなくうつくしくて。

 

「ですがね、人は案外、誰かを隣に乗せたまま、前に走るものでございますよ」

 

 その言葉で浮かんだ女(ひと)は、爽快にも笑っていた。

 

***

 





「いやぁ、もう大丈夫そうだね」

「……マスター、相変わらず世話焼きなんですから、もう」

「なんだい、もしや心当たりでもあったのかな? そうだな……例えば、彼の面影がどこか君の友人に似ている、だとか」

「あは、どうでしょうね」

「ふふ、まぁ深くは聞かないさ。取り敢えずはまぁ……彼が、もう一人追い詰まってしまわないことを祈ろうか」

「だったら、それよりも。彼が、一人ぼっちの英雄から、仲間と歩む英雄へ、一歩進み出せたことを祝いましょうよ」

「ああ、確かにそうだね。それじゃあ──」

「「乾杯」」

***

タイトル: SCP-268-JP - 終わらない英雄譚
作者: home-watch
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-268-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0
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