魔法少女は悪役に恋をする 作:りゅうのまい
魔法の副作用なのかもしれないし、単なる絶望なのかもしれない。この胸に巣食う無気力に、私は今のところ、確固たる理由や原因を与えていない。
しかしこの数日で、後者の比重が少し増えたような気がする。
私を使う組織は、追加の報酬と一時的な住処を用意してくれた。ほのか──ブレイド・リリーがあまりにも迅速に駆け付けたのは偶然ということで最終的な結論が下され、今回の一件は、私の能力が一段階高く評価されただけの結果に終わったと言える。
ほのかと別れる前の会話や、あの公園から現場までの不自然な移動を考えれば、今回の襲撃が予感されていたことは自明に思える。その割には事後対応だったこともあって、何かをしかけたとすればこちら側だろう、と私は疑っているわけだった。
もちろん、予知の魔法なんかも有り得るだろうから、あくまで疑念程度の話だ。
ペットボトルのキャップをひねる。透明のグラスに水を注いで、一息に飲み干した。2Lのペットボトルをいつも通りに右手で持ち上げようとして、力を込めた瞬間の痛みに手を引っ込めた。
二度も斬り落とされた影響か、右手の感覚が少しおかしい。幻肢痛とは少し異なるのだろうが、原理としては似たようなものではないかと予想している。
次の仕事はしばらく後になる、とだけ聞き及んでいた。その間に回復すると良いのだが、楽観視はできない。次も同じように派手な暗殺を求められるのであれば、私は近々に捕えられるか、斬り伏せられる。
変身するだけの私の魔法は、器用だが最強ではない。左手を『何物も貫けぬ盾』へ変えることも、右手を『万物を貫く矛』とすることも、両足を『光さえ置き去りにする瞬足』へ変えることも出来はしない。並大抵のことは実現できるが、並大抵のことしかできないのが私の魔法だ。少なくとも魔法合戦において、私は強者であるが無敵ではない。
まして、それが政府に飼われた魔法少女達を相手にする状況ともなれば、すぐに限界がやってくるだろう。相沢かがみの顔が割れ、名前が割れ、魔法が割れ、組織が割れ、毒虫は脚をもがれる。
中世までならいざ知らず、現代社会において、ただの個人はどこまで行っても無力だ。
今回の騒動は間違いなく、私の寿命を大きく縮める結果になった。
テレビをつけると、丁度昨夜の事件が報じられているところだった。コメンテーターが昨今の魔法犯罪について弁舌を振るっている。犯人の特徴は報じられていないらしい。ほのかの情報じゃ不十分だと見られたか、それとも、変身する魔法の前に無意味だと考えられたか、といったところだろう。
ニュースが一巡したところでテレビの電源を消す。
ホテルのカードキーをポケットに仕舞って、わずかばかりの手荷物とともに私は外へと繰り出した。
一応はお尋ね者である私が愚かにも外出を選ぶのは、引きこもっているだけの生活が囚人と大して変わらないと思うからだ。気分転換のためというよりも、むしろ強迫観念に近い。
駅に向かう道すがら、魔法少女の一人とすれ違った。まだ小学生くらいか。魔力の隠蔽も不完全な見習いだ。もしかすると、隣を歩いていた少し年上の少女も魔法少女だったのかもしれない。
そもそも魔法少女とは何なのか。違う人生を想像するとき、最初に思い浮かべるのはあちら側に立っている自分だ。魔法に見初められた少女のうち、政府の魔法組織、魔法少女協会に属する者を魔法少女と呼ぶ。未成年の、それも女性が治安維持の戦闘部隊に引き立てられているのは、少女しか魔法を使えないからだ。
もしも……もしも、私を見つけたのが魔法少女協会であったのなら……私は笑っていたかもしれないし、ほのかの先輩になっていたかもしれない。
詮無いことを考えた。川の流れは翻りはしないし、蝶は芋虫には戻らない。グレゴール・ザムザは毒虫のまま餓死するのだ。
思案に耽りながら町を歩く。
気が付けば、あの公園の近くまで来ていたことに気が付いた。
理性が引き返せと叫び、私は踵を浮かせる。
これを単なる迂闊と呼ぶのか、自暴自棄と呼ぶのか、もはや判別がつかなかった。
「おねーさん」
だって、彼女が来ていないはずがない。
私が逆の立場でも、この公園を張ることだろう。
「こんにちは、ほのか」
制服を着た北川ほのかが、真っ直ぐに私を見ていた。
彼女は躊躇した後に、一歩私の方へと近付き、背中に回していた手を私の方へと差し出す。その手には、昨日と同じカフェオレが握られていた。
「ねぇ、お話しようよ。おねーさんのことを教えてくれるって、約束」
「……正気?」
「わたしは至って正気だよ。人生でいちばん考え事をしたかも」
深く息を吐いた。
私はまたも、分水嶺に立っている。ただし、今度は他人を巻き込む形で。
「……やっぱり、おねーさんなんだね」
逃げるべきだ。それが最も、私のためになる。
あるいは、刃を向けても構わない。彼女の傷は浅く済むだろう。
寝不足なのか、彼女の目にはうっすらと隈が浮かんでいる。心做しか髪の手入れもおざなりだ。
黙ったまま立ち尽くす私に業を煮やしたのか、カフェオレのペットボトルが投げて寄越された。反射的にそれを受け取ってしまってから、手元に視線を落とした。ペットボトルにはすっかり彼女の体温が移っていた。どれほど長い時間、ここで待っていたのだろう。
「……後悔するよ」
「そうかも。でも、仕方ないよ」
彼女の真横を通り抜けて、公園の中へ足を踏み入れる。
いつも通りの景色の中で、私は陰鬱な気分に苛まれている。
嗚呼、昨日、正体を明かさずに逃げていれば──いや、意味がない思考だ。あれが無ければ逃げ切ることはできなかった。どちらかと言えば、未練がましくふらふらとこんな所まで来てしまったことの方が重症だ。
いつものベンチを通り過ぎて、人気の薄い、公園の奥まった場所へ。公園の入口からの導線を外れているから、露骨に人の数が減る。それでも制服姿の女子中学生がいて視線を惹くことはない程度の、木陰のベンチに腰を下ろした。どうせ都市部の公園なんて、日中はどこでも無人にはならない。
「ドッペルゲンガーって呼ばれてるよ、おねーさんのこと」
「……そういう、殺し方をしたから」
「本当に、おねーさんがやったの」
「見てなかったの?」
「わたしが見たのは、路地裏で虫が蝙蝠になったところだけ」
路地裏といっても私はかなり高所を飛んでいたし、夜の闇の中、一匹のハエが消えて、知らぬ間に蝙蝠が飛んでいたって普通は気付かない。それも、すぐ隣で殺人事件が起きている現場でのことだ。私が迂闊だったとは思わないが……ブレイド・リリー、ひいては魔法少女の上澄み達の能力を甘く見積もっていたとは言えるかもしれない。
「それで十分でしょ。大橋信之の姿を模倣し、数人を殺傷した犯人は瞬く間に姿を消した。……その続きが、ほのかには見えているはずだけど」
「わたしを動揺させるために、おねーさんに変身した『誰か』かもしれないよ?」
「じゃあ、もう答えはわかったね。……ブレイド・リリーが成すべきことは?」
対話は時間稼ぎだろうか。周囲を探ってみるも、見回しただけでわかるような
ほのか1人では取り逃す可能性があると考えて、複数の魔法少女で包囲を敷いていると考えれば、ほのかの行動には合理性が伴う。仮に私が一般人であっても、連続殺人犯であっても、必ず成果を上げられる作戦だと言える。
手持ちの札を幾つ切れば逃げ遂せるだろうか。
無謀にも思える算段を立てながらほのかに問いかけると、彼女はきょとんとした表情で首を傾げた。
「ブレイド・リリーは犯罪者を捕まえるのが仕事だけど、いまのわたしは北川ほのかだよ?」
「はぁ?」
「だって非番だもん。わたしはおねーさんとお話ししに来たの」
「非番だって魔法少女でしょ」
「おねーさんは逮捕されたいの?」
「されたくはないけど」
「じゃあ、いいじゃん」
……本気で言っているのだろうか。
ほのかは確かに甘えたがりで、情緒的に幼く感じたことはあったが、それでも、なんとなくで職務放棄をするほど無責任なイメージは抱けない。
しかし、時間稼ぎにしても悠長だ。
逡巡の後、私はほのかの誘いに乗ることにした。
「それより、わたしはおねーさんのことを知りたいな。だって、名前も知らないんだもん」
「名乗ってなかったっけ」
「おねーさんが秘密って言ったんじゃん!」
「冗談だよ。私は相沢かがみ」
「かがみおねーさん?」
「変な名前でしょう」
私の隣にピッタリとくっついて座ったほのかは、はにかみながら私を見上げる。
「ステキな名前。どんな漢字で書くの?」
「平仮名だよ。鏡ばっかり見てるからかがみ。今思い返すと、適当な名前だったな」
「うん?」
「自分でつけたんだ。前の名前はもう使えないから、って」
彼女は目を丸くした。
「名前を自分でつけることがあるの?」
わざわざ自分の名前について誰かに話したことはなかったが、予想通りの反応だと言える。十人に聞かせても十人が同じような反応を示すことだろう。この国において、自分の名前を決めるという行為、あるいは儀式は、決して一般的とは言えない。芸名や源氏名、ペンネームくらいだろうか。
究極的には、私のこれもそれらと変わらない。偽名を使う理由なんて『鏡』は『桐壺』や『若紫』のように美しい名前ではないけれど、私の素性を曖昧にぼやかす程度には役に立つ。
「偽名だよ。江戸川コナンみたいな」
「え〜。じゃあ、本名は?」
「忘れちゃった」
「うそ!」
「嘘じゃないよ。そういう魔法があるの」
「魔法……」
「契約に関わる魔法だよ。今はもう、消失しただろうけど」
「その魔法少女は、死んじゃったの?」
「……魔法少女ではなかったけどね。大人になってしまったから」
「ふぅん」
ころころと表情が変わるさまに、私と彼女の断絶を覚える。
ほのかはまだ子供なのだ。だから目の前の犯罪者を、時折話す顔馴染であるとまだ勘違いしている。
足をふらふらと前後させて、ほのかは思案に耽っていた。
「おねーさんは……初めて人を殺した日のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「聞いてもいい?」
「……弟と同じくらいの子どもだったよ。小学生四年生だったかな。高層マンションから突き落として殺した」
事故死に見せ掛ける必要があったから、わざわざ自宅の高層マンションへ侵入し、色々と工作を行ってから殺した。
今思い返せば、私の最初の殺人が年下の子どもであったことには、作為的な理由が含まれていたように思う。つまり、私が使えるかどうかを試されていたのだろう。もしくは、私が後戻りできないようにしようとした。
「嫌だった?」
「さぁ、覚えてないや」
どうせ、私には戻ることなどできなかった。弟のために弟と同い年の子どもを殺し、一人を助けるために数人を殺す。そんな生活に身を落としても、当時の私には微かな希望があった。
──金さえ稼げば、弟は助かる。誰も助けてくれないのだから、私が手を血で汚したのは仕方がないことなんだ。
「命令だから殺したの?」
「そう」
「じゃあ、命令だったら、わたしのことも殺せる?」
「殺そうとする。私がほのかに勝てるかは怪しいところだけどね」
「わたしが抵抗しなかったら?」
「殺すよ」
言いながら、私は自問した。本当に?
抵抗してくれた方が望ましい、と思ってしまうのは事実だ。無抵抗のブレイド・リリーの首を、私は貫けるだろうか。
その時になってみなければ分からない。愚かにもこの公園へ足を運んだように。
「そっかぁ。じゃあ、今からやってみる?」
「遠慮しとく。……命令されてないし」
「残念」
「死にたいの?」
「ううん。でも、おねーさんなら悪くないかなぁ」
居心地が悪くて、首元を手のひらで押さえた。
周囲の気配は相変わらずで、本当に、私は包囲などされていないらしい。
「学校でね、将来の夢とか目標とか書くでしょ? あとは……勉強しないと好きな職業につけません、とか」
「うん」
「でもわたしは死ぬまで魔法少女だし、わたしに将来なんてものはないんだ」
「だから死んでもいいって? 生きてて楽しいことはあるでしょ? ほのかが死んだら悲しむ人も沢山いる」
「そうかもしれない。……けど、変なの。おねーさんはそういう人ばかり殺してきたんでしょ?」
ほのかは首を傾げた。
私が殺してきたのは、きっと人望のある人ばかりだ。影響力が大きい人間ばかりがターゲットにされるのだから、必然、そうなる。
「仕事だから仕方なくやってるだけ。……自分が生きていくためにね」
「じゃあ、大切な人を殺せって言われたら?」
「自分より大切な人なら、逃げ出すしかないかな」
「そうだよね、うん……」
少し俯いて、それから、ほのかは話題を変えるように勢いよく顔を上げた。
「あのさ、おねーさん。連絡先教えてよ」
「はぁ?」
「スマホ、持ってるよね?」
「教えるわけないでしょ」
私のスマホは間違いなく監視されている。不自然な連絡先の追加は、ほのかの身を危険に晒すどころか、私の命さえ危うくすることだろう。
まして、私の連絡先が向こうに渡れば、ただでさえ逃げ場を狭められつつある私の逃走経路が、さらに狭くなる。
私の意思が固いとわかると、ほのかはメモ帳の端に番号を書き付け、紙片を切り取って私に手渡した。
「じゃあ、これ!」
「連絡先は……」
「わたしが渡したいだけだから。破り捨ててくれてもいいし……」
言いながら、彼女は不安そうに私を見上げる。
紙切れを見つめて、私は11桁の数字を指でなぞった。
「……電話を掛けたりはしないからね」
「うん!」
この番号を組織へ売れば、ほのかの家族や友人は拷問され、人質になるのだろうか。それとも電話番号程度の情報は既に握られているのだろうか。
ただの紙切れをスマホのケースに仕舞い込んだ。
話し込んでいる間に、随分と時間が過ぎていた。
番号を確認するためにほのかが手にしていたスマホが着信を告げる。
『おい、ほのか! どこをほっつき歩いている!』
「あー、ちょっと公園……」
『16時には集合しろと言っただろう!』
「まだ5分前だよぉ」
『そこからじゃ間に合わないだろう。早く戻ってこい!』
「はーい」
これは私が聞いて良い会話なのか。
上官らしい人物に叱責されているらしいほのかは、通話を切るなり深く息を吐いた。
「ごめん、おねーさん。もう行かなきゃ」
「うん」
「じゃあ、
公園の外へ駆けていく背中を見送った。スマホには、新たな通知が踊っている。
黒い画面に反射する自分の表情を確かめた。
するりと心が冷えていく。