案内人は今日も帰ってくる 作:メめ
山の怪
それは、山に現れる怪異の総称。
山木霊や山神、ここの山では見つかっていないけど山童や、山姥。天狗も『山の怪』という括りに入る。
仮称が『山の怪』というのは、山に現れた正体不明な怪異に当てられたもの。
怪異は、観測して、命名や分類によって存在を外側から補強、固定化する。
そうして初めて怪異を確認した、ということになる。
なら、初めから適当に命名して固定化すれば良い。そんな安全と適当を勘違いしている意見は新人によく言われる。
しかし、そうも行かないのが怪異。
あまりにも命名と存在が乖離していると、命名による固定化が出来ず。ただ呼称がついただけの存在になる。
そして、適当さの代価を払うのは現場で対処に当たることになる職員。自分の適当さが、現場の死に民間人の被害に直結する。
「──そういった意味もあって、アガリビトである可能性がいくらあったとしても、私たちが対象怪異をきちんと認識、観測をしないと〝怪異が確定した〟ことにならないんですよ」
「なるほど、大変なんすね。初めて知ったっす」
岸辺さんも、思い込みが危険であると理解してくれたらしい。
……さて、怪異対処の前に確認しないといけないことができた。
「……嶺方さん。岸辺さんの担当って誰ですか?」
「高野さんだったはずだよ。千曳の内に行ったよ」
「……いつ頃ですか」
「うーん。一週間は前かなぁ」
「?」
……仕方がない。岸辺さんの教育クレームは、第四課の加賀課長に向けて。……いや、意味ないか。
四課には別に必要のない知識だし。
「何の話してるんです?」
「……」
岸辺さんは何を教わったんだろう。
私は高野さんがどんな人なのかは知らないけど、戦闘と封印ぐらいしか教えてもらわなかったんだろう。
「ただの業務連絡。陽奈ちゃんとの情報共有だよ。気にしなくてもいいよ」
「でもそれって、今──……、いえ。何でもないっす」
四課には四課独自の文化もある。……私には、悪習にしか思えないけど。
「ごめんね。いつかわかるようになるからさ」
嶺方さんが申し訳なさそうに、岸辺さんにそう言った。千曳の内に送られるほどの案件。気にはなるけど、今は後回し。目の前の対処を優先しよう。
日が傾き、西の空が薄く朱に染まり始めている。夕暮れまではまだ少しあるが、そう長くはない。
小屋の中にある円陣から発されている霊気に穢れが混じりはじめている。
小屋の周囲のみ、氷点下に達してかなり冷えているんだろう。吐き出した息は白く色付き、肌に小さく痛みを感じる。しかし、別の寒気。忌避感を伴った怖気とも似た冷たい気配。
着実に怪異は姿を現そうとしている。
ただの勘だけど、この感じだと夕刻前に顕現するだろう。時間が早まるとなると、作戦に誤差が出る。
連絡はしたいが、山の中は山木霊がかなり活発に動き回っている。この小屋の周りにはいないみたいだけど、きっと今はここが疑似的な領域になりかけているからだと考えられる。
スマホを使って連絡を取りたいけど、今の山木霊たちは異物に敏感だ。せっかく逃げたのに自分から山木霊を呼び寄せることになる。
アガリビトの対処もしながら、ついさっき仕込んだ術式の発動タイミングも見極めつつ、山木霊や呼び寄せられて出現するであろう怪異への対応もしなくちゃいけないことを考えると、とてもじゃないがそんなことは出来ない。全滅する。
ただ、誰かを無理に走らせることはできない。
嶺方さんも、岸辺さんも重要な戦力。直接戦闘は避けると考えても、撤退戦は避けられない。嶺方さんも本調子じゃない。消耗の激しい動きはあまりさせられない。
岸辺さんは前衛戦力だ。伝令に出すのは惜しい。
「嶺方さん。鏡童子に伝令は任せられますか」
「……どうだろう。試運転も碌にしてないから、わからないかな」
わからないか。
「手紙を届けるのは可能ですか?」
「それぐらいなら出来ると思うよ」
なら問題ない。拠点化している村の集会所に、連絡用の呪符を持って行かせれば良い。呪符だから一方的にはなるけど、効果は現地でしか発揮されないから山木霊にこちらのことがバレる心配はない。
念投の呪符に、「ゆうがたまえ」とだけ思念を込めて、嶺方さんに手渡す。
「これの呪符を鏡童子に持たせて、寿さんに届けさせてください」
「わかった。……いいんだけどさ、戦力減っても大丈夫?」
「大丈夫ではありませんが、早まることを連絡しなければ最悪被害が増えます」
鏡童子はいてもいなくても変わらない。いても大した戦力にはならないだろうし、有効活用するタイミングがあるなら今だろう。
嶺方さんがコンパクトミラーを取り出して、式符を取り出した。
「〝オキョウ〟出ておいで」
嶺方さんが鏡童子の式名を唱える。すると、式符から黒い影が飛び出して鏡の中に飛び込んだ。
「オキョウ。この呪符を、下の村にいる寿って人に届けて欲しいんだ。……うん。お願いね」
そう言って鏡に私の手渡した呪符を翳すと、呪符が吸い込まれてなくなった。
それから少し話をしてコンパクトミラーを閉じた。
「ちゃんと届いてくれるといいんだけど……」
「不安っすね」
不安は残る。
鏡童子は、鏡の中に住む子供のような見た目をした小鬼。イタズラ好きなこともあって、御使いが出来るかは運も絡むだろう。
だから、届けてくれるように祈って。私たちは現場で任された仕事をするだけだ。
「……もういつ出てきてもおかしくありません。気は抜かないよう、構えていてください」
もう、時間はないよ。
いつでも発動できるよう、肉体の補強と各種札に霊力を込めて起動のタイミングを待つ。
私が円陣を警戒し始めるのと同時に、嶺方さんが七人岬を出して辺りを警戒し始めて。少し遅れて岸辺さんも警戒をし始め
──バキンッ!!
そんな、何かが砕ける音と同時に、視界が白く染まった。
全身に吹き付け、体温を奪いとっていく冷たい風。今すぐ逃げ出したくなるほどの強烈な圧を放つ霊力の波。
ひりつくような、思わず膝をついて見上げたくなるような強大な気配。それは、ただの怪異ではなく、神性を感じさせる。
圧倒的な自然が、人に襲いかかってくる。気象そのものが牙を剥いている。
そんな錯覚を起こすほどの理不尽を前に、私は目を開いて怪異を見た。
白い。
ただ白く、頭を抱えながらうずくまり、吹雪の中心で苦しんでいる。
視界が悪い。白い人型の怪異としかわからない。
「術式励起。呪を暴き、祓い清めん」
ここまでの出力なら、私の準備した術式は長くは持たないけど、対象捕捉のために穢れを払い落とすぐらいなら問題なくできる。
霊力を込めてある2枚の札から連鎖するように、あらかじめ設置した札に込めてある霊力が活性化して立方三角形の結界を形成した。
内部で呪いや穢れを浮かせて、除去する結界が姿を現して、対象を捕らえる。運が良ければ、呪いを吐き出すための霊力放出も抑えられるだろう。
そして、結界内で安定──
──ピシッ。
「衝撃に備えて!」
バリンッ!!!
硝子が強い力によって破られたような音と共に、体が吹き飛ばされるほどの衝撃が体を通り抜けていく。
その受け身をとって体勢を整え、対象を見る。
あたりには、まだ白い霊気が対象怪異を包んでいて目視できない。そして、自分のいる場所の空気がとても冷たい。私が吹き飛ばされたのは、だいたい2mぐらいだ。周囲をチラッて見れば、後ろにある木々も一部が白い霜を降らせて、凍っている。
規模と出力はましろの言った通りで間違いなさそうだ。出力が高いから、近寄れば危ない。だけど、射程自体はそこまで長くないし、自然への干渉能力も規模に限られている。
岸辺さんは大して動いていないし、嶺方さんも大きく移動したような感じはない。ただ、ギリギリ範囲内にいたであろう七人岬の内1体が完全に凍り付き、別の1体は体の一部が凍てつき、身動きを取るのが難しそうだ。
「状況報告!」
「身体状態安定! 問題なしっ!」
「七人岬の1体が完全にやられた。私の身体状態は多分やばい! 治りかけがかなり痛むから、開きかけてるかも!」
岸辺さんが問題なくても、嶺方さんに問題が出来たなら、やることは決まった。
「岸辺さん! 嶺方さんを援護しながら撤退してください! 嶺方さんは岸辺さんから離れないようにお願いします!」
撤退だ。神性は感じられても、神霊なら結界の中で大人しく穢れを祓われるのを待つ。
でも、対象はそうはしなかった。一瞬で結界を決壊させるほどの霊力放出で術式ごと破壊した。
仮に神霊だったとしても、碌に理性は残っていない荒御魂と化しているだろう。話が通じる相手じゃない。対話なんて不可能で、対処としては封印か討伐になる。
そして、今の私たちには出来ない。
「望月さんは!」
「少し時間を稼ぎます。私もやることが済めばすぐに撤退します。早く行ってください」
「ごめんね、陽奈ちゃん」
「お気になさらず。気にするなら、大人しく回復に努めて撤退してください!」
開きかけの傷が痛むのか、嶺方さんの顔は痛みに耐えているように見える。なんで出撃させられたのか理解できない。上は本当になにを考えているんだ。
身隠しも身分けもないから、私から2人に対しての術支援はできない。逃げられるうちに逃げてくれるとありがたい。
声を張り上げながら2人を先に送り出して、対象へ視線を向ける。
苦しむように蹲り、白く透明な肌をもつ全裸の女性のような姿。その身に纏う白い冷気が体を薄く隠して、よく見えないが足は黒く染まっていた。
―。―。―。
何かを呟いている。何かを言っているけど、何を言っているかまでは聞き取れない。
「ア゙ア゙ぁ。ニンゲン、オノレ。ユルサナイ。滅、コロス」
「……」
蹲り、悶え呻きながら、譫言のようにそう音を発する存在。
その場で錯乱するように、地面に頭を打ちつけ。発狂する。怪異化は思ったよりも進行していないのか、状態は危なそうだけど、こちらへ襲いかかってくる様子はない。
「アガァギャアァァァアア!」
そんな怪異から視線を逸らすことなく、無線機をつける。山木霊が寄ってくるかもしれないが、寄ってきたら寄ってきたでバラけて逃げればいい。もう、まとまっている必要はないんだから。
「あーあー、こちら二課 望月陽奈です。聞こえますか」
『──こちら三課 寿。聞こえている。怪異の顕現が早まったとの情報は受け取った。他に何かあったか』
無線に出たのは寿さんだった。五課の誰かが出るよりは良いか。
「怪異の特定が完了しました」
『わかった。急ぎ撤退、報告を──』
「いえ、このまま報告させていただきます」
見た目の特徴として、白い姿のヒトガタの怪異。しかし、それは人間とは違う別の存在。
白い肌に、白い髪。白目の部分は黒くなり、黒目部分は青白く染まっている。
規模は伝説級。区分は呪霊と悪霊の複合型。
山に属し、自然へ帰化した怪異。『アガリビト』。
神霊までは至っていない。しかし、規模は伝説級。その力は並の怪異よりもはるかに強く、まさしく脅威であると言える。
『──了解した。対処班に向かわせる。村に戻り、防衛に当たってくれ』
「……特定完了。撤退します」
アガリビトから視線を離さないまま後方へ移動して、現場から離れる。
山木霊が来る様子はない。このまま離れていけば、そのうち岸辺さんや嶺方さんとも合流して撤退もできそうだ。
やるべきことはやった。封印もできればやりたかったが、手持ちの札では無理だった。
冴木さん。対処を頑張ってください。
私は現場を後にした。
「―」「―」「―」
撤退しようとすると、アガリビトからまた声が聞こえてきた。
何を言っているのかはわからない。ただ、頭に残る不思議な音が、私の中に強い疑念として根を張り始めた。
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ペタリ。ペタリ。
それは、一本脚で跳ねて移動する。
ペタリ。……ペタリ。
バランスをとるように体を揺らしながら、跳ねて暗いトンネルを行く。
「ひ、ひぃい」
「てん」「ソウ」「メつ」
怯え、逃げようとする人間の後をゆっくりと追うように、ペタリ。ペタリ。と移動した。
逃げていた人間は崩れ落ち、泡を吹いて倒れた。
「ハイ、レ──タ。
ハイレ、タ。ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ」
一本脚の怪異は、口端の吊りあがった大きな口でニタニタと笑いながら人間を見下ろしていた。
「テン」「そう」「滅」
「転」「ソう」「めつ」
不気味な言霊が、トンネルの中に響いていた。