各陣営には、本来の歴史ではあり得ない存在が紛れ込んでいた……
***
「……あらあら。一体これはどういうことなのかしら、ラインハルト?説明してくれると助かるのだけど」
背の高い紫髪の男は、女性のような口調でこの国最強の赤毛の騎士にそう問いかけた。
「ぺぺ。唐突で本当に済まない。しかし僕は、彼女にレディとして……いや、彼女が本来受けるべき教育を受けさせたいと考えているんだ。」
(……ラインハルト、まさか貴方……)
国最強の騎士は、聞いているペペロンチーノがこの子乱心したのかしら、と心配になるようなことを言い出した。
その分析はただしい。
ラインハルトは乱心している。それも、純粋に……心が喜びの方向で乱されていた。
それは、国最強の暴力装置にとってはあるべきではない感情で。
しかし、一人の人間の情緒にとっては、なくてはならないが情動。けして好ましくはない強引な押し付けであった。
(貴方がこの娘にどういう感情を抱いたかはともかくとして。……それはこの娘にとってはどうなのよ、ラインハルト……?)
ラインハルトから事情を聞き、フェルトの出自を把握した上で。
友として、否人として当然の指摘を言うべきかどうかペペロンチーノは迷い、そして、言わないという選択をした。
まずはその娘に確かめるべきだと思ったからだ。
***
「王選とはつまり、言い換えれば、『擁立する貴族間の権力闘争劇』に他ならないわ」
ラインハルトが拉致してきたブロンドの少女は、起きてそうそう大人しく振る舞い、皆が寝静まった頃に脱走を試みた。
ペペロンチーノはそれを見越して彼女を部屋まで連れ戻した。と言っても、それはペペロンチーノにとってもあまり好ましいことではなかった。
「くっだらねえまな。誰が糞どもの王になったからって、あたしら庶民に関係があるのかよ」
「ないわね。王道とは甘いものにあらず。関係ない、と言って無責任を装うそんな姿勢では、絶対に変えられないわ」
「もっとも、王であれば変えられることもなくはない。貧富の格差があったとしても、それを可能な限りの範囲まで縮小することは良き王の治世と言えるでしょうね」
ペペロンチーノはあっさりとフェルトの言葉を肯定した。フェルトはあっさりと肯定されたことに拍子抜けしつつも、ペペロンチーノの言葉に一瞬心が乱されたような顔をした。
自らの育ちに対して、一度も思うところがなかったかと言えば嘘になると、その顔が告げていた。
盗みは日常であったのだろう。少なくとも、まともな職にあり就ける人間ばかりではない以上、生計を立てるために何らかの手段を講じなければならなかったのだ。
「そうだ、あたしには無関係だ。じゃああたしを『家』に返せ。こんな服着てられるか!」
「……」
ペペロンチーノ・スカンジナビアは思わず目を伏せかけた己の心を閉じて、ゆっくりと笑った。
「それはできないわ。貴女の口ぶりからして、貴女にも帰るべき場所というものがあるのでしょうけど……今この国には『腸狩り』がいる」
「それは仕留め損なったお前らの責任だろ!?」
「そうよ。でも、腸狩りがまだ生きている以上、目撃者である貴女や貴女の保護者はまた襲われかねない」
「貴女が女王になり、最強の騎士であるラインハルトがその後見人になる。それなら、腸狩りを徹底的に捜索して、ロム爺様という方を護れるわ。国の糞どももは貴女の意見にも耳を傾けざるを得なくなるでしょうね」
「……最初からこうすることを考えてやがったのか、あの赤毛は?」
「いいえ。彼にはそこまでの思慮はないわ。彼はただ、あなたを見ていられなかっただけ。」
ペペロンチーノは、出会って僅か一年に満たないながらもラインハルトという友人の厄介な性質……起源を察していた。
驚くほどに。
余りにも不器用。
それが、ペペロンチーノから見たラインハルトという青年なのだ。
ペペロンチーノは華奢で痩せたフェルトの身体を見た。
「貴女という存在に対して何かしてあげたかったけど、彼にできることはその力で側に立って、何かを断ち切ることだけ。それだけだったのよ」
本当の貧困層。己の食べるものにすらままならない人間という出で立ちではない。彼女がスラム街の人間からけして嫌われてはいなかったという証であり、盗みを働いて生計を立て、馴染み、そこで『フェルト』としての人生を歩んできたからに他らならい。
(……なんて残酷)
ペペロンチーノ・スカンジナビアにとってこれほど皮肉な巡り合わせはなかった。
王族としての人生を失い、スラム街の住人としての人生を受け入れ、そうと知らずに歩んできた幼女に。
その生活を取り上げ、王族とは名ばかりの傀儡としての……盗みを働かなくてもよい王族としての生活を強要させようとしている。
余りにも極端。これ以上なく残酷な話。余りにも、荒唐無稽な話ではないか。
***
「マナの扱いにも慣れてきたようやね、キリシュタリア。あっという間に三属性を扱うことが出来るまでになるとはいい意味で想定外や。お買い得やったわ」
若く利発そうな女傑は、スーツに身を包み、ステッキを持った魔法使いの部下をそう褒めた。
魔法使いの名は、キリシュタリア・ヴォーダイム。彼はアナスタシアに使える魔法使いであり、リカード、ユリウスに次ぐ陣営の3番手となる戦力であった。
「ミミをはじめとして優秀な教師ががいたのですから、私としても彼女たちの手本に見合った成果を出せたことに喜びを感じています。アナスタシア様にお使えする魔術師として、不足のない働きをできると踏んでいます」
「でも、キリシュタリアの望みはそれでええん?」
「王族や議会が所有する文献。それを閲覧することが私の望みです」
「魔術が発展したんはここ百年のことやさかい、ルグニカ王都にも役立つ書類はあまり多くないと思うんやけどねぇ……」
「うちの魔術師に一つサプライズ・プレゼントや。ユリウスによると先日、都で『腸狩り』が出没したそうや。王選候補者にハーフエルフがおって、その後援がロズワール辺境伯やて噂がある」
「ロズワール辺境伯……ミーティアを開発したという、あの?」
「せや。一気にきな臭くなってきたと思わへん?」
「魔女絡みの厄災が、ルグニカに訪れるかもしれない……と、アナスタシア様はお考えなのですか?」
「そこまでは言っとらんよ?せやけど、大きな商談の前にはリスクがつきものや。幸いうちには情報網というアドもあるけど、警戒するに越したことはないやん?キリシュタリアの方針を聞きたいなおもて」
「暫くは様子見に徹するべきかと思われます。盤面が動くまでは、こちらから仕掛けるべきではないかと」
「うん、合格や。あれこれと動いて『敵』を作るんが今は一番ようないからね」
キリシュタリア・ヴォーダイムという駒の意見に、アナスタシアは満足げに頷いた。
最優の騎士と傭兵団の団長、そして、最優の魔術師を得たカララギの女傑は、その目に何を望むのだろうか。
***
「……おいおい、兄弟。根を詰め過ぎじゃねぇの……」
人間族や亜人族が暮らす多種多様な人種のるつぼであるルグニカではあるが、そんな国であっても上半身は半裸の上にマントを着、しかも仮面をつけた男というのは珍しい。そんな珍奇な服装をした男は、書庫に埋もれていた銀髪の青年に対して心配そうに声をかけた。
声をかけられた側の青年は、隈のできた瞳をこすりながら顔を上げ、すまないと謝ってから弁明した。
「……アルデバラン、か。すまない。僕は……そうか。ここで寝落ちしていたのか……」
「魔法の習得に手間取ってるなら、俺も手を貸せるけどよ。そこまで焦る必要はねぇだろう?お前さんの持つ魔獣避けの魔法にゃあ姫様は大層ご執心だぜ?焦ることないんじゃないの」
気楽な調子でそう話すアルデバランの声色には、同輩を気遣う労りが込められていた。それが感じられるカドックではあるが、気は抜けない、と言った
「僕は陣営の中で最も戦闘能力に欠けているんだ。それしかできない、のでは命取りになる……」
「そうは言うが、ハインケルを見てみろよ。あのおっさんみたいに、出来ないことは出来ねぇと割り切って時には酒を飲んででも休むってのも必要なことだぜ?お前、休めなくなるのは辛いだろ」
「休暇の概念はほぼない国だろうに……」
カドックは舌打ちした。
ルグニカ王国において、休日は月25日目の月祝祭のみである。建国の日以外は皆が働く、という定めなのだ。
例えば病にかかったとき、治癒魔法にかかれない庶民が病気に陥ったとき、暇を貰うことはある。しかしそれ以外の場合では休みを取るなどあり得ないのだ。
「いや……つまりだな。上手くやれってことだよ。同僚の全員が全員、お前さんみたいに勤勉なわけじゃねぇ。時には高すぎるハードルを下げて手を抜くのも、お前さんのためじゃなくて周囲のためには必要な事なんだぜ」
アルデバランの言葉はカドックには刺さるものがあった。
カドックには劣等感が常にあった。優秀な周囲の人間に対して、何も成せていないという思い。純然たる能力の不足。才能というギフトの不足である。
加護、という形で才能という名のそれが可視化されている世界である以上、プリシラ陣営に属するルグニカ王国騎士団副団長のように酒に逃避する人間がいることは責められないだろう。
「……そうだな。あんたの言う通りだ、アルデバラン。……僕は根を詰めすぎたらしい。以後は気をつける」
「おう。あと、姫様が呼んでたぞ。中庭にいるからか。俺は先に行ってるぜ」
「……先にそれを言ってくれ!」
カドックが慌てて服装を整え、主の元へと駆け出していく。
この日以来、カドックが人前で寝落ちすることはなくなった。しかし、カドックは己の研鑽を辞めることはなかった。
王選という戦い。それに勝ち抜き、魔女や神竜に対する手掛かりを手にすること。
それがこの異世界から元の世界に帰還する為のほんの僅かな手掛かりである以上、カドックには諦めるという選択肢はないのだ。
***
「……街道に出没した白鯨に、所属していたはずの騎士が襲われた。それは間違いない」
クルシュ陣営を悩ませていたのは、四百年間の間ルグニカ王国を苦しめてきた災害についてであった。
「……眠り姫と化したこの少女も、おそらくは……私にとって大切な騎士であったに相違ない」
惨殺された騎士たちの中でも、何人かの騎士達は、誰も知らぬ存在となって街道に倒れていた。眼帯をした栗毛の女性もその一人であった。
白鯨の被害を受けた人間は、この世から忘れ去られる。それはルグニカ王国で知られる災害である。
その人間がいたという痕跡すべてが失われても、クルシュ陣営が商会と取引をしたという痕跡は残っていた。少女とは無関係に、クルシュが商会と取引をした事実はこの世から失われていなかったがために、クルシュ陣営は白鯨の被害によって自分たちが少女や騎士の存在を忘却したのではないかという可能性に思い至ったのだ。
「……クルシュ様の御心のままに」
公爵夫人であるクルシュは、主に向けてそう告げる執事に頷く。しかしその主に対して一抹の不安を見せるのは、フェリスという筆頭指揮であった。記憶の改ざんという異常な能力に対しては、治癒魔法は無力であった。
執事の脳内には、このときある疑問符が浮かんだ。
(……白鯨によって被害者の記憶が失われるというならば)
(なぜ私は、目の前の騎士たちのことを忘れているのに……妻のことを覚えているのだ……?)
その疑問に答える人間はいない。そう分かっていて、答えを求めるために、白鯨の被害を防ぐために、クルシュ陣営は白鯨に挑むのである。
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「俺の名前はナツキ・スバル!無知蒙昧にして天下御免の一文無しだ!」
ロズワール邸の一室において、ルグニカ王国においてはやや幼い顔立ちの少年がそう見栄をきっていた。
「おっ!いい名乗りだな少年っ!それじゃあスバルに合わせて俺も名乗っとくぜ。俺の名前はベリル・ガット。天涯孤独にしてロズワール辺境伯からは細々したことを仰せつかってる雇われの傭兵さ」
白けたようにスバルを見るロズワール辺境伯や、レム、ラムらに代わってそう言ったのは、ロズワールの側に立っていた眼鏡をかけた伊達男であった。スバルはこの男もルグニカ王国の国民であるに違いないと思った。
スバルのような日本人は『童顔』と言われる。皺やほうれい線が少なく、年齢に対して若く見られることが多い顔だ。対して、ルグニカ王国で出会った人間たちは、皆がこの世界で苦労しているからなのか彫りが深い。王都で出会ったリンゴ屋の男などは極端な例だが、スバルに返答を返した伊達男もよく見ると目の下に隈があり、苦労していたことが察せられる顔であった。
「傭兵ってきょうび聞かねえ響きだな……」
そこでスバルは、王都で出会った赤毛の騎士のことを思い出した。
(ラインハルトは騎士。これぞ異世界の騎士ってぇ感じだったけど……そういや傭兵って?なんで騎士じゃねぇんだ)
スバルの中の異世界ファンタジー知識を総動員すると、傭兵は金で雇われる類の人間だ。ロズワールは辺境伯というのだから騎士を抱えられるはずであるが、騎士ではないことに何か事情があるのだろうかとスバルは思った。
「無知を晒すようで気を悪くしたら済まねえんだが、傭兵ってのは騎士とは違うのか?」
思った上でスバルは空気を読まなかった。ロズワールにとって、或いはベリルにとってのっぴきならぬ事情があり不況を買うかもしれないという配慮はこの時のスバルにはない。
無知無能。皆がスバルを一段下に見て侮るならば、スバルは期待されることによる苦しみを味合わずに済む。右も左もわからないこの状況では何よりも情報が欲しかったという事情もあったが。
「騎士は契約によって成り立つ公務員。対してオレみたいな傭兵は期間限定の助っ人ってやつさ。世間ってのは世知辛いねぇ」
「ベリルが居なくなると思うと精々するわね、レム」
「そうですねラム姉様。少なくとも部屋の掃除をする手間が省けます」
辛辣なメイドたちの毒舌を浴びてもベリルは笑みを崩さない。そんなベリルに対して、スバルは親近感を抱いた。
「お……おう……なんか悪い。こっちでもそういうのあるんだな……」
正規社員と非正規社員の軋轢。社会を知らないスバルが現実というものの一端を垣間見た瞬間であった。
***
「オイオイマジか?俺に失礼なことを聞いたって気にしてんのか?」
屋敷の使用人として雇わせてくれ……そう頼んだスバルは、その日の終わりにベリルと出会って話をした。朝に失礼な質問をしたのではないかと、今さら思い至ったのである。
「最初のうちは分からないことはガンガン聞いたらいいんだぜ?そりゃあ何年たっても、3回以上同じことを聞いてくるようなやつは使えねーと言われるけどな」
「肝に銘じとくぜ、ベリル」
「……けど、ベリルは傭兵って言ったよな。早速質問しちまって悪いんだけど、ルグニカってのはベリルみたいな傭兵も結構いる国なのか?」
スバルはこの国について、というよりこの世界の常識についてほとんどどころではなく何も知らない。だからこそ、こうして聞くことができる環境というのは何に代えても得難いものであった。
「ー……あー、そうだな。お前さん、王都で腹あ掻っ捌かれたって聞いたぜ。お察しの通り、そういうのが彷徨いてる治安だと、宮仕えの騎士さんだけじゃあ身を守れねえ」
ベリルは一瞬の間のあとでそう答えた。
「ロズワール辺境伯はちょいと特殊なお人でな。この国では差別の対象であるハーフエルフにも、亜人族にも寛容だ。けど……騎士達はどう思うよ?」
「真っ当な騎士達は、エミリアやロズワールを助けようとはしないってことか……」
スバルが事態の深刻さを理解したことを言うと、ベリルは満足げに頷いた。
(……つまり。ベリル・ガット。あんたは、差別とか気にしねぇ善人ってことじゃねぇか)
ナツキ・スバルはこのとき、少なくとも、ベリル・ガットという人間について少なくない好感を持った。
ルグニカという差別のある国。その国に属しながら、ベリルは差別意識を持っていないのだ。
その国か、少なくともその周辺の国で育ったであろうベリルなら亜人やエミリアに対して差別的な感情を持つ機会はあったはずである。
しかし、エミリアに対する態度には軽薄さこそあれど、差別的な雰囲気はない。
スバル自身、道化を演じているからこそわかる。ベリル・ガットはきっと、軽薄そうに見えて真面目で、差別をするような悪人ではないのだと。