宝鐘マリンになったホロリス、カルデアで人理を航海する 作:ホロリスのホロリスによるホロリスのたm
燃える街は、海に似ていた。
足元には熱を持ったアスファルト。周囲には崩れたビルと、赤黒い空を舐める炎。潮の匂いなんてしない。波の音もない。それなのに、私はそこを黒い海だと思った。どこまでも視界が悪くて、足を踏み出すたびに沈みそうで、何が底に潜んでいるか分からない。
特異点F。
冬木市の名を持つ、けれど私の知っている冬木とは違う場所。
「……最初の航海にしては、ずいぶん荒れてますねぇ」
私は短銃を構えながら、前方の骨兵士たちを見る。燃える街の奥から、黒い影がゆらゆらと近づいてきていた。人の形をしている。だが、生きてはいない。骨だけの腕に錆びた剣を持ち、空洞の眼窩に赤い光を灯している。
藤丸立香が息を呑んだ。
「これが……敵?」
「ええ。歓迎会にしては、ちょっと治安が悪いですね」
「ちょっとで済むんですか」
「済ませたいです。船長の胃のために」
返事をしながら、私は視線を巡らせる。藤丸はまだ戦闘に慣れていない。オルガマリーは座り込んだ状態から立ち上がろうとしているが、レイシフトの負荷で足元が危うい。マシュは藤丸の前に立っている。彼女の腕には、まだ淡い盾の輪郭が揺れていた。
不安定だ。
今すぐ崩れてもおかしくない。けれど、敵は待ってくれない。
「マシュさん、藤丸さんの前から離れないでください。所長は後方へ。ドレイクさん、正面の群れを散らせますか?」
「もちろんさ、マスター」
ドレイクは片手で銃を抜き、楽しげに笑った。炎上都市の真ん中で、その笑い方だけはどこか青空の下にいるみたいだった。
「派手にいくかい?」
「できれば建物の倒壊は最小限で」
「注文が多いねぇ」
「カルデアの修繕費に加えて、冬木の被害請求まで来たら船長破産します」
「ここはもう燃えてるよ」
「それはそうなんですけど、気持ちの問題です!」
ドレイクが笑い、引き金を引いた。
銃声が炎の音を裂いた。放たれた弾丸は、ただの弾ではない。ライダーとしての霊基と、女海賊としての豪胆さが乗った一撃。先頭の骨兵士が砕け、後続の数体が吹き飛ばされる。だが、敵は止まらない。崩れた骨が炎の中で軋み、別の個体がその隙間を埋めるように進んでくる。
「数が多い……!」
藤丸の声が震える。
それでも、彼は逃げていない。マシュの背中から目を逸らさず、震える手を握りしめて立っている。いい。怖いのに立っている。それだけで、今は十分だ。
「藤丸さん、まず状況を見ること。敵の数、味方の位置、逃げ道。全部一気に考えようとしなくていいです。最初は一つずつ」
「はい!」
「マシュさん、左から来る二体を警戒。所長は後ろの瓦礫の影へ。そこなら流れ弾が来にくいです」
「私に指図を――」
「今は現場指揮です、所長」
私が言い切ると、オルガマリーは悔しそうに眉を寄せた。けれど反論はしなかった。彼女は自分が今、前線で動ける状態ではないと分かっている。だからこそ悔しいのだろう。
「……分かったわ。後方から術式補助をする」
「助かります。さすが所長、話が早い」
「褒め方が軽いのよ」
「船長、軽さが売りなので」
私は短銃を撃つ。
狙うのは骨兵士本体ではない。足元。膝。武器を振り上げる肩。弾丸で敵の姿勢を崩し、進路をずらす。正面から倒すのはドレイクに任せればいい。私の役目は、敵を動かし、味方が撃ちやすい形にすること。
二発、三発。
骨兵士の脚が砕け、前のめりに倒れる。その背後にいた個体がつまずき、列が乱れた。
「ドレイクさん、今!」
「任せな!」
ドレイクの銃が火を噴いた。
乱れた敵列の中央が吹き飛ぶ。砕けた骨が炎に照らされ、白く散った。海賊らしい戦い方、というものがあるなら、たぶんこうだ。真正面から英雄みたいに斬り結ぶのではない。敵の足場を崩し、煙に巻き、味方の火力で叩く。格好良いかどうかはともかく、生き残るには向いている。
私は腰のポーチから煙幕弾を抜いた。
「マシュさん、前方に煙を出します。視界が悪くなったら、藤丸さんの声を聞いてください」
「はい!」
「藤丸さん、マシュさんに敵の位置を伝えて。右、左、正面、それだけでいいです」
「分かりました!」
煙幕弾を投げる。白い煙が炎の赤を飲み込み、骨兵士たちの輪郭を曖昧にした。敵の動きが鈍る。生き物ではないが、視界に頼る程度の反応はあるらしい。
「右から二体!」
藤丸が叫ぶ。
「マシュさん、右!」
「はい!」
マシュが右へ身体を向けた。その腕に残っていた淡い光が、敵の接近に合わせて強くなる。まだ形は曖昧だ。だが、藤丸を守ろうとした瞬間、その輪郭が一段濃くなった。
骨兵士の剣が振り下ろされる。
「マシュ!」
藤丸の声。
マシュは両腕を前に出した。
次の瞬間、光が弾けた。
盾だった。
完全とは言えない。輪郭は揺らぎ、表面も霞のように淡い。それでも、確かに盾だった。巨大で、重く、ただ守るためにそこにあるもの。骨兵士の剣がその光に弾かれ、金属音に似た響きが炎上都市に広がる。
マシュ自身が、一番驚いていた。
「これは……」
「今は考えない!」
私は叫んだ。
「受け止められるなら、そのまま押し返して!」
「は、はい!」
マシュが一歩踏み込む。
盾の輪郭が彼女の意思に合わせて強まった。骨兵士が押し返され、姿勢を崩す。藤丸が息を呑みながらも、すぐに声を出した。
「マシュ、左にも来てる!」
「はい、先輩!」
マシュが動く。
ぎこちない。まだ戦い方を知らない。盾の扱いも分かっていない。けれど、藤丸の声に反応して、彼女は動けている。守る対象を見失わない。自分が前に出る理由を見失わない。
それは強い。
私は短銃で左の骨兵士の肩を撃ち抜いた。敵の剣筋がずれ、マシュの盾がそれを受ける。衝撃で彼女の足が滑ったが、倒れない。
「いいです、マシュさん! 今のまま、受けることだけ考えて!」
「了解しました!」
「藤丸さん、声を止めないで! あなたの声がマシュさんの目になります!」
「はい!」
藤丸は頷き、周囲を必死に見た。
「正面、三体! 奥に弓みたいなのがいます!」
「ドレイクさん、奥!」
「見えてるよ!」
ドレイクが煙の向こうへ銃を向けた。弾丸が炎と煙を突き抜け、遠距離の骨兵士を撃ち砕く。続けて二発。三発。弓を構えた敵が倒れ、残った骨兵士たちの動きが鈍る。
「マリン、煙が薄くなるよ!」
「了解です!」
私は外套の裏からロープ付きフックを抜いた。近くの崩れた標識へ投げ、巻きつける。強く引くと、傾いていた金属板が倒れ、敵の進路を塞いだ。骨兵士がそれに引っかかり、一瞬だけ足を止める。
その隙に、短剣を抜いた。
近づきすぎない。深く踏み込まない。あの足運びは使わない。今はまだ、海賊らしい荒い動きでいい。短剣で敵の剣を弾き、銃で膝を撃ち抜き、ドレイクの射線へ流す。
「ドレイクさん、流します!」
「いいねぇ、任せな!」
私は骨兵士の懐へ半歩入り、短剣で剣を受け流す。腕が痺れる。軽い相手ではない。だが、正面から勝つ必要はない。横へずらし、膝を撃ち、背中を蹴って進路を変える。
「今!」
ドレイクの弾丸が敵を砕いた。
骨が炎の中へ散る。
「うわ、こっわ……!」
思わず素の声が漏れた。
オルガマリーが後方から叫ぶ。
「あなたがやったんでしょう!」
「やった本人が一番びっくりすることってあるんですよ!」
「戦場で驚いてるんじゃないわよ!」
「所長のツッコミで正気を保ててます!」
「そんな用途に使わないで!」
そのやり取りに、藤丸が一瞬だけ笑った。
その一瞬で十分だった。初戦の空気が少し変わる。恐怖だけで固まっていた場に、呼吸が戻る。マシュの盾も、藤丸の声に合わせて安定してきている。
もちろん、危険は消えていない。
むしろ、ここからだ。
煙の向こうで、骨兵士たちが一斉に動いた。倒しても倒しても、炎の奥から湧いてくる。数が多い。こちらは到着直後で、レイシフトの負荷も残っている。長引かせるべきではない。
「ドレイクさん」
「ああ、まとめて吹き飛ばすかい?」
「お願いします。ただし、マシュさんと藤丸さんの正面は避けてください」
「分かってるさ。マスターの大事な新人たちだ」
「大事ですよ。めちゃくちゃ大事です」
言ってから少し恥ずかしくなった。
だが、藤丸もマシュもこちらを見ている余裕はなかった。よかった。いや、よくはないが助かった。
ドレイクが片手を掲げる。
空気が変わった。
海の気配がした。ここは燃える冬木で、潮の香りなどないはずなのに、確かに荒波のような圧が広がる。彼女の背後に、船影のようなものが一瞬だけ揺らいだ。完全な宝具展開ではない。だが、ライダーとしての格が、炎上都市の空気を上から押さえつける。
「さあ、景気よくいくよ!」
砲声。
銃声ではない。もっと重く、腹の底に響く音だった。ドレイクの一撃が骨兵士の群れをまとめて吹き飛ばす。炎が揺れ、崩れた瓦礫が跳ね、敵の列が一気に削られた。
マシュが盾を構え、余波から藤丸を守る。
その姿を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
盾は安定してきている。彼女の意思に応じて、形を取り戻しつつある。まだ名前はない。まだ真価も知らない。けれど、マシュ・キリエライトはもう、ただのカルデア職員ではなくなり始めている。
私はそれを止められない。
止めるべきでもない。
「残り、正面に二体!」
藤丸が叫ぶ。
「マシュさん、受けて!」
「はい!」
マシュが盾を構える。骨兵士の剣が叩きつけられる。盾がそれを弾き、藤丸がすぐに声を出す。
「今です、マリンさん!」
「ナイス判断!」
私は短銃を撃つ。
一体目の脚を砕く。二体目はドレイクが撃ち抜く。最後にマシュが盾で押し返し、骨兵士は瓦礫に倒れ込んだ。動かなくなる。
一瞬、炎の音だけが残った。
「……終わった?」
藤丸が恐る恐る言う。
私は周囲を見る。敵影はない。少なくとも、今見える範囲では。
「一旦は、ですね」
そう言った瞬間、足から力が抜けそうになった。慌てて踏ん張る。短銃を下ろし、深く息を吸う。焦げた匂いが肺に入って、咳き込みそうになった。
ドレイクが肩を叩く。
「初戦にしちゃ上出来だよ、マスター」
「船長、もう帰りたいです」
「早いねぇ」
「初戦で残業確定みたいな空気出てますもん」
「残業どころか長旅だろうさ」
「聞きたくなかったです」
オルガマリーが後方から歩いてくる。足取りはまだ不安定だが、無事だ。彼女は藤丸とマシュを見て、少しだけ息を吐いた。
「生きているわね」
「はい」
藤丸が頷く。
「マシュのおかげです」
「先輩の声があったから動けました」
二人がそう言い合う。
私は少し離れて、それを見ていた。
いい関係だと思う。まだ始まったばかりなのに、もう互いを支え合っている。マシュが盾を持ち、藤丸が声を届ける。これを壊してはいけない。私が先回りして全部守ろうとすれば、たぶん彼らの成長を奪う。
分かっている。
分かっているのだが、マシュの腕に残った盾の光を見ると、どうしても胸がざわついた。
「マリンさん」
マシュがこちらを見た。
「これは、何なのでしょうか」
彼女は自分の腕を見つめている。盾の輪郭は徐々に薄くなっているが、完全には消えていない。本人の意思とは別に、彼女の中の何かが形を持とうとしている。
私は答えに詰まった。
知っている。けれど、全部は言えない。ここで名前を出しても、彼女の不安を増やすだけだ。今必要なのは説明ではなく、彼女が自分を怖がりすぎないようにすること。
「守りたいって気持ちに、身体が応えたんだと思います」
「気持ちに……」
「はい。だから、怖がりすぎなくていいです。ただし、無理に使おうともしない。分からない力は、慎重に扱いましょう」
マシュは静かに頷いた。
「分かりました」
藤丸がその横で、真剣な顔をしている。
「マシュが無理しないように、自分も気をつけます」
「お願いします。藤丸さんの声、さっきかなり助かってました」
「俺の声が?」
「はい。マシュさん、藤丸さんの声でかなり動けてました。これは大事です」
藤丸は少しだけ照れたように目を逸らした。
「なら、ちゃんと見ます。周りを。マシュのことも」
マシュが小さく微笑む。
そのやり取りを見て、オルガマリーが腕を組んだ。
「初戦としては、悪くなかったわ。ただし、状況把握はまだ甘い。藤丸立香、あなたは敵だけでなく味方の位置を常に確認しなさい。マシュも、盾を出せたからといって無理に前へ出すぎないこと」
「はい!」
「はい、所長」
指導する声は厳しい。けれど、そこにはちゃんと心配が混ざっていた。オルガマリーもまた、彼らをただの駒としては見ていない。それが分かって、少し安心する。
ドレイクが周囲を見回した。
「で、マスター。次はどっちへ進む?」
「まず安全な場所を探します。到着早々にこれだと、開けた場所にいるのは危ないです」
「同感ね」
オルガマリーが頷く。
「カルデアとの通信は?」
「ドクター、聞こえますか?」
私は通信礼装に触れる。ノイズが走ったあと、ロマンの声が返ってきた。
『こちらカルデア。全員、無事かい!? レイシフト反応が一瞬乱れて、心臓が止まるかと思ったよ!』
「止まったら医療部門責任者不在になるので困ります」
『冗談が言えるなら無事だね……いや、無事なのかな、それ』
「全員到着。軽微な負荷あり。敵性個体と初戦闘、突破済み。マシュさんに霊基由来と思われる盾の発現を確認」
通信の向こうで、ロマンが息を呑む。
『……やはり出たか』
「ドクター」
私は声を少しだけ低くする。
「解析は必要です。でも、本人の前で言葉を選ばない説明はしないでください」
短い沈黙。
『分かってる。彼女は実験体じゃない』
その答えに、私は少しだけ息を吐いた。
「ありがとうございます」
『こちらでも可能な範囲で支援する。まずは安全確保を。冬木全域に異常反応がある。特に大きな反応がいくつか……いや、これは――』
通信にノイズが走った。
『気をつけて。サーヴァント反応がある。複数だ』
藤丸の顔が引き締まる。
マシュが盾の残光を見つめ、息を整えた。
オルガマリーが周囲を睨む。
ドレイクは、面白そうに笑う。
「なるほどねぇ。骨の次は英霊かい」
「初心者向けのチュートリアルって概念、どこ行きました?」
「燃えてるんじゃないかい?」
「嫌な答え!」
私は額を押さえたくなったが、そうもいかない。炎の向こう、遠くの高台の方から、確かに強い気配がする。こちらを見ている。まだ動いてはいない。だが、特異点Fは骨兵士だけで終わるほど甘くない。
「移動します」
私は短銃に弾を込め直す。
「開けた場所は避けて、まずは遮蔽物の多い道へ。藤丸さんはマシュさんの後ろ。マシュさんは無理に盾を維持しない。所長は中央。ドレイクさんは後方警戒をお願いします」
「了解」
「任せな」
「分かりました」
「分かったわ」
返事が揃う。
その時だった。
耳の奥で、かすかな音がした。
銃声ではない。警報でもない。炎の爆ぜる音でもない。もっと遠い、もっと別の場所から聞こえるような音。誰かの笑い声。舞台の照明が点くような眩しさ。雑多で、明るくて、現実離れした空気が一瞬だけ胸の奥を叩いた。
私は足を止めた。
「……今の」
ドレイクが私を見る。
「どうした、マリン」
「いえ」
私は首を振った。
「気のせい、ではないですね」
足元の影が、一瞬だけ揺れる。
燃える冬木のアスファルトに、あり得ない光が差した。海でも、炎でも、カルデアの術式でもない。もっと賑やかで、もっと懐かしい光。うさ耳の影。白銀の鎧の輪郭。炎のような髪の揺らぎ。声までは届かない。形にもならない。ただ、私の中にある航路の奥で、誰かがこちらを見た気がした。
まずい。
まだ早い。
ここで開くつもりはない。
私は胸元を押さえ、深く息を吸った。
「マリン?」
藤丸が不安そうに声をかける。
私は笑った。
「大丈夫です。ちょっと、推しの幻覚が見えただけなので」
「それ、大丈夫なんですか?」
「船長基準ではギリギリ大丈夫です」
「基準が分からないです」
オルガマリーが怪訝な顔をする。
「また何か隠しているわね」
「隠し事は魅力を増やすスパイスですぅ」
「その言い訳、帰ったら全部剥がすから」
「所長、表現が怖い!」
ドレイクだけが、私の影をちらりと見た。
彼女は何かに気づいている。けれど、今は何も言わなかった。ただ銃を肩に担ぎ直し、前方の炎を見据える。
「なら、その幻覚とやらが本物になる前に動こうじゃないか」
「そうですね」
私は頷いた。
まだ開かない。
まだ呼ばない。
けれど、確かに繋がっている。
私がずっと会いたかったもの。届かないはずの世界。推しの声と光でできた、私だけの航路。その片鱗が、燃える冬木の黒い海に一瞬だけ浮かび上がった。
私は短銃を握り直す。
怖さは消えない。だけど、胸の奥に少しだけ熱が灯った。
「行きましょう」
炎の街の奥へ、私たちは歩き出す。
特異点Fの夜は、まだ始まったばかりだった。