『新蘭』ガチ勢のベルモットがいるんだから、『コ哀』ガチ勢がいてもいいだろう!   作:菖蒲の花

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青の古城探索事件(後編)

灰原さんの悲鳴が鼓膜を震わせると同時に、背後から音もなく迫る「圧倒的な殺意」が、私の肌を激しく粟立たせる。

 無防備に屈んでいた体勢のまま、私は警察官として培ってきた生存本能のすべてを爆発させた。

 ゴォ、と頭上をかすめたのは、殺傷能力の塊のような鉄パイプの風切り音。間一髪、私は床を転がるようにしてその凶行を紙一重で回避する。

 「――何者よっ!」

 体勢を立て直しながら懐の銃へ手を伸ばそうとしたその刹那、冷たい雷光が「襲撃者」の姿を白日の下に晒した。

 それは、包帯で顔をぐるぐる巻きにし、異様に痩せこけた体躯の――まるで生きる屍のような不気味な老婆、間宮マス代の姿だった。

 マス代は私を仕留め損ねたと悟るや否や、標的を瞬時に切り替え、私の背後で恐怖に身を硬くしている灰原さんへとその狂気の鉄槌を振り下ろした。

 「――っ、灰原さん!!」

 考える時間など、一微秒すら残されていなかった。

 反撃に移ろうとしていた身体の軸を、私は無理やり逆方向へとねじ切る。銃を抜くよりも早く、目の前の小さな命を目がけて、私はただ己の身体を投げ出した。

 ドガッ――!!!

 「あ……」

 鈍い衝撃とともに、私の脇腹へと鋭い痛みが突き抜けた。

 灰原さんの小さな身体を自分の胸の中に抱き込んだ瞬間、老婆の振るった鉄パイプが、私の脇腹へと容赦なく叩き込まれていた。

 「……っ、が、あ……ッ!!」

 肺の空気がすべて強制的に押し出されるような、凄まじい衝撃。

 傷口から熱い液体が溢れ出し、お気に入りの上着をまたたく間に汚していくのが分かった。衣服の繊維を引き裂き、肉を抉るような感覚――ただの鈍器じゃない。鉄パイプの先端に、何か刃物のようなものが仕込まれていたのだ。

 「千代田さん……っ!?」

 腕の中で、灰原さんが驚愕に目を見開いている。

 灰原さんを心配させないように必死に痛みに堪えながら歪な微笑みを浮かべる。

 

 「なんで、ただの他人のあなたが、私みたいな人間にそこまでしてくれるの……? まるで、お姉ちゃんみたいに――」

 

 押し寄せた激痛に、一瞬にして私の視界がぐにゃりと歪む。指先から急速に体温が失われ、あれほど自信のあった自慢の身体から、嘘のようにハラハラと力が抜けていく。

 (嘘、でしょ……。この私が、こんな……こんな場所で……)

 膝から崩れ落ちそうになる。だが、ここで私が倒れれば、この腕の中の灯火は今度こそ完全に消されてしまう。

 「……舐め、ないで……っ!」

 私は血の混じった息を吐き捨てると、薄れゆく意識をアドレナリンで無理やり叩き起こした。残されたすべての筋力を振り絞り、呆然とする灰原さんをもう一度強く抱き上げると、私は追撃を振り切るように、暗い急勾配の階段を一歩、また一歩と、死に物狂いで駆け上がり始めた。

 

「そこに何かある!」

 灰原さんの切迫した声を頼りに、私は限界を迎えた身体で壁へと突進するように雪崩れ込んだ。そこは、壁の装飾に巧妙に隠された狭い隠し部屋だった。

 直後、ドタドタと狂気に満ちた激しい足音が私たちのいた階段を駆け上がっていき、やがて上層へと離れていく。

 脅威がひとまず去ったことを肌で感じ取り、私たちは暗闇の中で泥のような安堵のため息を漏らした。

 「大丈夫!? 危険な位置から大量に出血してるわ。腹部大動脈の損傷は免れても、このままだと失血性ショックで命が……!」

 灰原さんは、小学生らしからぬ妙に高度な医療知識で、私の傷口をブラウスの上から必死に押さえつけながら状態を分析する。

 しかし、その瞳はいつもの冷徹な大人びたものではなかった。大切なものを今度こそ失うのではないかと激しく怯える、年相応の幼い少女の目をしていた。

 

 脳裏に差し込む死の影。薄れゆく視界の中、私は部屋の隅に転がっている一つの白骨化した死体を見つけた。その歪な頭蓋骨、異常に細い両足の骨――その特徴を目にした瞬間、私の脳内で今回の事件の凄惨な真相が、最悪の形で完成した。

 「いい、灰原さん……よく聞いて。昼間に私たちが会って、今私たちを襲った間宮マス代は……偽物よ。本物のマス代さんは、今私たちの目の前にある、その白骨化した死体……。おそらく犯人は、四年前のあの塔の火災を意図的に引き起こし、そこで本物を殺害した。そして……自らの顔を整形し、間宮マス代になり変わってこの城に君臨していたのよ……!」

 「今はそんなことどうでもいいわよ! それよりも一刻も早く止血してここを出ないと、あなたが――」

 「灰原さん」と、私は声を絞り出し、傷口を押さえる彼女の細い手を力強く掴んだ。

 触れたその手は、驚くほど華奢で、小刻みに、そして激しく震えていた。

 

 その瞬間に、私はずっと胸の奥に燻っていた違和感の正体に、完全に気がついた。

 誰よりも大人びていて、誰にも気を許さず、常に冷たい硝子の膜を張って世界を拒絶しているのに……。その実、中身は誰よりも繊細で、触れてしまえば一瞬で粉々に壊れてしまうほどに脆い、ただの寂しがり屋の女の子。

 (ああ……そうか。あなた、私の妹に……、そっくりなのね)

 目の前の少女に妹の幻影を重ね合わせた瞬間、私の心から死への恐怖は消え去り、絶対的な『覚悟』だけが満ちていった。

 「いい、灰原さん。私が合図したら、全力でこの塔から逃げ出して。私がここで時間を稼ぐ間に、できるだけ遠くまで走るのよ。そして、城に戻ったらすぐに警視庁に電話をして。『日比谷凛の代理です』って言えば……すぐに目暮警部に取り次いでくれるから……目暮警部に今の話を……」

 「ダメよ! そんなことしたら、あなたが死んじゃうじゃない……! 私のために、誰かが死ぬ必要なんてないのよ……本当は、私に生きる資格なんて、どこにもないんだから……っ!!」

 自嘲気味に涙を流す彼女の言葉を、私は自分の血で汚れた手で、その白い頬を優しく包み込むことで遮った。

 「そんな悲しいこと言わないで……。あなたは、これからの長い人生を生きなきゃいけないの。生きて、陽の当たる場所で、たくさんの幸せなことを経験していかなきゃいけない……。お願い、私のために生きて!」

 「っ……お、おねぇちゃん……」

 その時、灰原さんの口から、切実な、けれど別の誰かを呼ぶ愛おしい響きが零れ落ちた。

 しかし、感傷に浸る時間は容赦なく打ち切られる。

 遠のいていたあのドタドタという狂気の足音が、再び激しさを増して近づいてくる。どうやら、この隠し部屋にいることが嗅ぎ付けられたらしい。

 ドンッ! ドンドンッ! と、薄い扉が外側から力任せにこじ開けられそうになり、激しく悲鳴を上げる。

 私は最後の力を振り絞って、彼女の前に立ちはだかろうと立ち上がろうとした。けれど、無情にも身体には全く力が入らず、視界が急速に黒く染まっていく。

 

 「灰原ぁーーっ!? 千代田さんっ!!」

 完全に意識が途絶えるその刹那。

 衝撃で跳ね飛ばされた扉の向こう側から、聞き覚えのある、けれど今は誰よりも頼もしい少年の叫び声が響き渡った。

 (コナンくん……来てくれたのね。なら、もう安心だわ……)

 ドアの向こう側で起きている激しい捕物劇の物音を遠くに聞きながら、私は小さな志保を抱きしめたまま、完全に意識を失い、深い闇の底へと心地よく沈んでいった。

 

「――だから言ったでしょう? 私の美貌は神様にも愛されているから、傷跡ひとつ残らずに完治しちゃうのよ」

 白を基調とした清潔な病室。

 ベッドの背もたれにゆったりと身を預けながら、私はいつものように手鏡を取り出して、左右から自分の顔をチェックしつつ艶やかに微笑んでみせた。

 そんな私のベッドを賑やかにぐるりと取り囲んでいるのは、あの『青の古城』から無事に生還した少年探偵団の子供たちだ。

 「すごーい! 千代田さん、あんなにたくさん血が出てたのに、もう明日退院しちゃうなんて、まるでおとぎ話の魔法使いみたい!」

 歩美ちゃんが胸の前で両手を合わせて、きらきらと目を輝かせる。

 「魔法ってか、オレはてっきり、千代田の姉ちゃんは不死身の怪物か何かなのかと思ったぞ……」

 「元太くん、失礼ですよ! でも……確かに、あの大怪我をたったの一週間で治して退院してしまうなんて、人間の域を超えています!!」

 元太くんの呆れ顔に続き、光彦くんが私を褒めているのか貶しているのか分からない、しかし精一杯の純粋な賛辞(?)を述べる。

 「ちょっと、元太くん。レディに向かって怪物だなんて、いくら可愛い坊やでも容赦しないわよ? ――ねぇ、コナンくんも何か言いなさいな」

 私が視線を向けると、窓際のパイプ椅子に腰掛け、剥いてもらったリンゴをサクサクと齧っていたコナンくんは、「あはは……」と引き攣った笑いを浮かべた。

 (一週間で退院って……重傷の定義がひっくり返るわ。やっぱりこの人、中身はゴリラだろ)

 そんなコナンくんの、態度に丸出しの独り言を大人の余裕で見透かしながらも、私はクスリと笑って、子供たちに「明日、手続きが終わったらまた美味しいお菓子をあげるわね」と約束し、一旦彼らを阿笠博士と共に帰路につかせた。

 夕暮れ時。

 オレンジ色の密やかな光が差し込む、すっかり静まり返った病室に、トントン、と遠慮がちな小さなノックの音が響いた。

 すりガラスの向こうから入ってきたのは、少年探偵団と一緒に帰ったはずの、灰原哀ちゃんだった。

 「あら、哀ちゃん。忘れ物かしら?」

 彼女は何も言わず、小さな歩幅でベッドの脇まで近づくと、私の布団の端をその小さな手で、ぎゅっと、心細そうに握りしめた。

 いつもなら周囲を鋭く警戒し、目に見えない硝子の膜を張って世界を拒絶しているはずの彼女が、今はまるで、ようやく見つけた甘えるべき場所に身を寄せる幼子のように、私にじっと寄り添っている。

 「……本当に、ありがとう」

 蚊の鳴くような、ひどく愛おしい、震える声だった。

 「何も感謝されるようなことはしてないわ。あなたに怪我がなくて、本当に良かった」

 私は愛おしさを堪えきれず、そっと手を伸ばして、彼女の柔らかな茶髪を優しく撫でた。

 あの暗闇の隠し部屋で、恐怖の限界の中で私を「お姉ちゃん」と呼んだ彼女。その脆くて、繊細で、誰よりも傷つきながらも必死に生きようとしている佇まい。

 (やっぱり……そっくりね、私のいもうとに)

 脳裏に浮かぶ姿との合致。胸の中の確信は、今や何があっても揺らぐことのない確固たる情愛へと変わっていた。

 灰原さんは、私の手を拒否することなく、静かに受け入れてくれた。

 

 「……あなたが死ななくて、本当によかったわ。……凛さん」

 

 少し照れくさそうに、けれど明確な信頼と甘えを込めて紡がれたその名前に、私の胸の奥が、これまでにないほど温かい光で満たされていく。

 

 「ええ。私は何があっても、あなたの前から消えたりしないわ。約束よ、哀ちゃん」

 

 カーテンの隙間から斜めに差し込む夕日が、私たち二人を優しく包み込む。

 彼女がこの光の世界で、少年探偵団の仲間たちと幸せな人生を歩めるのなら――

 私は、腕の中で静かに目を閉じ、すっかり私に懐いてくれた小さな少女の頭を、いつまでも、愛おしそうに静かに撫で続けた。




 日比谷凛にとってのエンジェルが生まれた話でした。
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