駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第一章 第九話『少年は受付嬢と街へ出る』

 

 ◆

 

 そうして――一週間が経った。

 

 昼前の角兎亭。

 二階の小さな部屋で、僕は机。

 中では、この一週間で稼いだ硬貨が重なり、頼りなく光っていた。

 

 大金ではない。

 

 ギルドにいる上位のハンターなら、仲間へ食事を奢うだけで使い切ってしまうかもしれない。

 防具屋に並ぶ立派な鎧なら、入口へ立つ前に諦める程度の金額なのだろう。

 

 けれど――僕にとっては違う。

 

 薬草を摘んだ。

 港で荷物を運んだ。

 スノウラビを捕まえ、古くなった依頼書を新しいものへ貼り替えた。

 

 掲示板から抜けかけた釘を打ち直し、素材袋を種類ごとに整理した。

 教会へ薬草や清潔な布を届けたこともある。

 

「華々しくは、なかったですね」

 

 どれも『蒼空のアルヴィス』に出てくるような冒険ではない。

 

 邪竜を倒したわけでもない。

 盗賊団から街を救ったわけでも、囚われた姫を助けたわけでもなかった。

 

 夢にまで見たハンター生活は――思っていたより、ずっと地味だった。

 

 それでも、価値がないわけではないらしい。

 

 僕が摘んだ薬草は、誰かの傷を治す薬になる。

 港で運んだ荷物は、店の棚へ並び、誰かの生活に使われる。

 

 整理した素材袋は、これから依頼へ向かうハンターの手へ渡る。

 掲示板の釘だって、抜けたままなら大切な依頼書が落ちてしまうかもしれない。

 

 僕のしたことは小さい。

 

 でも――小さいなりに、どこかへ繋がっている。

 

「悪くなかったな」

 

 忙しくて、慌ただしくて。

 夜になれば疲れて、寝台へ入った途端に眠ってしまう日もあった。

 

 それでも毎朝ギルドへ向かい、依頼を受けることは楽しかった。

 

「……とはいえ」

 

 革袋を指先で軽くつつく。

 中の硬貨が、ちゃり、と心細い音を立てた。

 

「使うのは、怖いなぁ」

 

 貯めるのは大変だった。

 

 薬草を何束も摘み、荷物を何箱も運び、数日をかけてようやく増えた。

 けれど、減る時はきっと一瞬だ。

 

 お金とは、なんと儚いものなのだろう。

 

 森で母と暮らしていた頃は、ほとんど意識したことがなかった。

 食事も服も本も、暮らしに必要なものは、いつの間にか用意されていたからだ。

 

「母は、すごかったんだな……」

 

 母はすごい。

 母は偉大だ。

 

 そして、お金は大事だ。

 

 あまりにも当たり前のことを改めて噛み締め、ギルドカードを確認する。

 隅には、教会登録を示す小さな羽の印も刻まれていた。

 

「そろそろ時間かな」

 

 カードをしまい、いつものようにフードを深く被る。

 

 今日の予定は、昼過ぎからの買い物だった。

 

 アルナさんが仕事の時間を調整し、防具屋と道具屋を一緒に回ってくれることになっている。

 

『新人の初期装備を相談することも、受付の仕事です』

 

 本人はそう言っていた。

 

 けれど、僕にとってはかなりありがたい。

 

 一人で店へ行ったら、きっと黒くて格好いい肩当てに目を奪われる。

 値札を見て心を折られるか、勢いで買って宿代を失っていたかもしれない。

 

「財布を守るためにも、必要ですね」

 

 命だけでなく財布まで守ってもらう。

 受付嬢という仕事は、ずいぶん大変らしい。

 

 革袋を外套の内側へ大切にしまい、部屋を出た。

 

 ◆

 

「おや。今日は、ずいぶん念入りに身支度をしてるじゃないか」

 

 一階へ下りると、厨房で大鍋をかき混ぜていた女将さんが、すぐにこちらへ気づいた。

 

 昼前の角兎亭は、朝食の慌ただしさが一段落したところだった。

 夜の仕込みが始まるまでの、少し緩んだ時間らしい。

 

 客の姿はまばらで、窓から差し込む光が木の床へ落ちている。

 厨房からは、肉と豆を煮込む匂いがゆっくり漂っていた。

 

「今日は、装備を買いに行くんです」

「おお。ようやく血まみれ坊やから卒業かい?」

「その呼び名からは、早く卒業したいです」

「なら、半人前坊や」

「悪化していませんか?」

 

 女将さんは大きな腹を揺らし、からからと笑った。

 

「半人前なら、一人前になる楽しみがあるだろう?」

「血まみれには、楽しみがなかったんですか?」

「掃除が大変だったねぇ」

「すみませんでした」

 

 あの時に汚した床や寝具のことだろう。

 今さらながら、申し訳なくなった。

 

 豪快な笑い方。

 厨房から漂う温かな匂い。

 

 森の家とは違う。

 母とも違う。

 

 けれど、こういう場所にも「帰ってきた」と思えるものがあるのだと、この一週間で少し分かってきた。

 

「装備って、やっぱり高いんですね」

 

 外套の上から革袋を押さえる。

 

 女将さんは棚から皿を一枚取り出し、薄く切った黒パンと焼いた肉を手際よく載せていった。

 

「そりゃあね。命を守るものが安すぎても、怖いだろう」

「それは、そうですね」

「いいかい、坊や。格好いい装備より、ちゃんと帰ってこられる装備を選びな」

 

 皿の上へ炙った野菜が追加される。

 

「まあ、あの受付嬢が一緒なら、変なものは買わせないだろうけどね」

「アルナさん、財布に厳しいですから」

 

 この一週間、少し良い食事でも食べようかと思ったことが何度かあった。

 

 けれど、そのたびアルナさんに、

 

『装備を買ったあと、余裕があればにしてください』

 

 と止められた。

 

「いい女じゃないか」

「財布に厳しいのがですか?」

「命に優しいってことさ」

 

 女将さんは焼いた肉と野菜を挟んだパンを、僕の前へ置いた。

 ついでに、小さな器へ入ったスープも添えてくれる。

 

「買い物へ行くなら、腹へ入れておきな」

「ありがとうございます」

 

 椅子へ座り、温かいうちにパンへかじりつく。

 

 焼けた肉の香ばしさに、野菜の甘み。

 固めの黒パンにも肉汁が染み込み、簡単な食事なのに十分美味しかった。

 

「で、そのアルナ嬢と買い物かい?」

「はい。装備の相談です」

「そうかい。装備の相談ねぇ」

 

 女将さんが、妙に含みのある声で繰り返した。

 

「……なんですか、その言い方」

「いやいや。若いねぇと思ってね」

「装備の相談ですよ?」

「そうだねぇ。装備の相談だねぇ」

 

 短い兎耳まで、楽しそうに揺れている。

 

 けれど、僕にはよく分からない。

 

 アルナさんは受付嬢で、僕は新人ハンター。

 今日は装備を買うために、一緒に店を回る。

 

 ――つまり、装備の相談である。

 

 それ以上でも、以下でもないはずだ。

 

「帰ったら見せな。似合っているか、見てやるよ」

「はい!」

「変なのを買ってきたら、笑ってやる」

「それは困ります!」

 

 食事を終え、女将さんへ礼を言う。

 革袋があることをもう一度確かめ、角兎亭を出た。

 

 午後の光が、石畳へ白く反射している。

 

 なぜだろう。

 

 今日のエルドランは、いつもより少しだけ眩しく見えた。

 

 ◆

 

 ギルドへ着くと、アルナさんは受付台の向こうではなく、入口に近い柱のそばで待っていた。

 

「……あれ?」

 

 最初は、誰だか分からなかった。

 

 いつもの受付服ではなかったからだ。

 

 白を基調にした、柔らかな生地のブラウス。

 胸元には淡い黄色のリボンが結ばれ、その上から紺色の短いベストを重ねている。

 

 腰は細い革ベルトで軽く締められ、そこには小さなポーチがいくつか下がっていた。

 

 スカートも、いつもの仕事着より軽やかだ。

 白に近い布地へ紺色の装飾布が重なり、動くたびに裾がふわりと揺れている。

 

 足元は編み上げの短靴。

 肩には小さな鞄。

 

 そして栗色の猫耳の横には、紺色の小さなリボン飾りがあった。

 

「お待たせしました!」

 

 僕へ気づいたアルナさんが、ぱっと表情を明るくする。

 その瞬間、猫耳もぴこんと立った。

 

「……あ」

 

 変な声が漏れた。

 

 アルナさんが、小さく首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「い、いえ。その……」

 

 普段の、てきぱきとした受付嬢の姿とは少し違う。

 

 落ち着いた色なのに柔らかく、明るい。

 受付台越しに見ていた時より、ずっと年齢の近い女性に見えた。

 

 いや、年齢が近いかどうかは知らない。

 

 とにかく――可愛かった。

 

「私服なんですね」

「はい。今日は仕事ではなく、買い物のお付き合いですから」

 

 アルナさんが、肩の鞄の紐を持ち直す。

 その仕草まで、いつもとは少し違って見えた。

 

「すごく似合っています。可愛いです」

「――えっ」

 

 アルナさんの動きが止まった。

 

 猫耳も、ぴたりと固まる。

 ほんの少し遅れて、先端だけがぴくぴくと揺れ始めた。

 

「か、可愛い……ですか?」

「はい。すごく」

 

 正直に頷く。

 

 受付服も似合っている。

 けれど、今日の服は柔らかくて明るく、それでいて動きやすそうで。

 

 アルナさんに、よく似合っていると思った。

 

「そ、そういうことは……あまり急に言わないでください」

「え。すみません」

「いえ、嫌というわけではないのですが……」

 

 そこまで言ったところで、アルナさんは口ごもる。

 

 頬が、うっすらと赤い。

 尻尾も、落ち着かない様子で左右へ揺れていた。

 

「と、とにかく!」

 

 こほん、と小さく咳払いする。

 少しだけ赤い顔のまま、アルナさんが僕を見上げた。

 

「早く行きましょう。今日は、お店を何軒か回るのですから」

「あ、はい!」

「時間がなくなると、きちんと選べなくなります」

「分かりました」

 

 歩き出そうとしたアルナさんが、一度だけ足を止めた。

 

「……それと」

「はい?」

 

 猫耳が僅かに伏せられる。

 

「あ、ありがとうございます」

「はい」

 

 言い終わると、猫耳がまたぴくりと揺れた。

 

 アルナさんは照れ隠しをするように、くるりと背を向ける。

 

「で、では行きますよ、ルキウスさん! 時間は有限ですから!」

「はい!」

 

 慌てて、そのあとを追った。

 

 いつもなら、アルナさんは受付台の向こうにいる。

 

 けれど今日は、同じ通りを歩いていた。

 人混みでは僕に歩幅を合わせ、曲がり角の前では何度か振り返ってくれる。

 

 それはきっと、受付嬢としての仕事なのだろう。

 

 新人の装備相談。

 そのための付き添い。

 

 分かっている。

 

 分かっているのだけれど――私服姿のアルナさんと二人で街を歩くことが、少しだけ特別なことのように思えた。

 

「まずは、防具屋へ行きます」

「道具屋ではなく?」

「はい。ナイフバードの時の傷を考えると、腕、首元、脇腹の保護が優先です」

 

 アルナさんが僕の装備へ視線を走らせる。

 

「道具はそのあと。残った予算で選びましょう」

「予算」

「はい。大切です」

「この一週間で、だいぶ分かりました」

「それは良いことです」

 

 満足そうに頷く。

 

 その時、通りの反対側へ黒い肩当てが並んでいるのを見つけた。

 艶のある金属に、銀色の縁取り。

 

 かなり格好いい。

 

「…………」

「ただし、見た目だけで選ばないでくださいね」

「まだ何も言っていません」

「先に言っておきます」

「信用が……」

「積み重ねです」

 

 いつものやり取りだった。

 

 けれど、今日は少しだけ楽しい。

 

 受付台の前で話すのとは違い、街を歩きながらだと同じ会話も少し違って聞こえる。

 

 僕はアルナさんに案内され、装備通りへ向かった。

 

 ◆

 

 装備通りは、港ともギルド前とも教会の周辺とも違う匂いがした。

 

 焼けた金属に、機械油。

 乾いた革と、削られた木材……そこへ槌の音や値段を交渉する声が、絶え間なく重なっている。

 

「すごいですね」

 

 壁いっぱいに盾を飾った店。

 剣や槍を並べる露店。

 革鎧を天井から吊るした店に、靴や手袋を山のように積んだ店。

 

 見るものすべてが、森で暮らしていた頃とは違った。

 

「ここが装備通りです。正式な名称ではありませんが、ハンターや護衛の方は、だいたいそう呼んでいます」

「分かりやすい名前ですね」

「分かりやすさは大切です」

 

 アルナさんは一軒の防具屋の前で足を止めた。

 

 扉の上には、革の胸当てと剣を組み合わせた看板。

 店先には、手袋や簡易的な腕当てが並んでいる。

 

 値札を見た瞬間――僕は革袋を押さえた。

 

「た、高い……」

「これでも、初心者向けの品ですよ」

「初心者は、お金持ちなんですね」

「そういうことではありません」

 

 でも、今日はこのために来た。

 

 僕は少しだけ心を強く持ち、アルナさんと一緒に店へ入った。

 

 店内は、外よりも革と金属の匂いが濃い。

 

 壁には胸当てや革鎧が並び、棚には手袋、腕当て、膝当て。

 首元を守る厚手の布や、腰へ巻いて脇腹を覆う防具も置かれていた。

 

 奥では店員が、別の客へ靴底の補強について説明している。

 

「守るといっても、いろいろあるんですね」

 

 鎧と聞けば、身体全体を覆うものを想像していた。

 

 けれど実際には、手首を守るもの。

 肘や膝を守るもの。

 首元や脇腹を覆うもの。

 

 滑らないように靴底を補強することだって、身を守ることに繋がるらしい。

 

 ――命を守るというのは、こういう細かな積み重ねなのだろう。

 

「まずは手袋です」

「手袋」

「ナイフバードの時、腕と手の傷が多かったですよね」

「はい」

 

 アルナさんが、棚へ並んだ商品を順番に確認していく。

 

「厚手の手袋と、簡単な腕当ては優先です。ただ、剥ぎ取りや採取もありますから、指が動かしにくすぎるものは避けましょう」

「なるほど」

「それから首元。フードの内側へ入れられる形のものを選びます」

 

 そこで、アルナさんは深く被ったフードを見上げた。

 

「ルキウスさんにとって、これは大切なものなのですよね?」

「あ……はい」

「では、外さなくても使えるものにしましょう」

 

 やはり、理由は尋ねなかった。

 

 けれど、僕が大切にしていることは覚えていてくれる。

 

「ありがとうございます」

「いえ。装備が使いにくければ、意味がありませんから」

 

 受付嬢として当然のこと。

 アルナさんなら、そう言うのだろう。

 

 それでも――少し嬉しかった。

 

 棚へ並んだ手袋を手に取る。

 

 厚い革で作られたもの。

 手の甲に金属板が入ったもの。

 指先が動かしやすいものに、手首まで覆えるもの。

 

「……全部、少しずつ違う」

 

 二つを手に取り、見比べる。

 

「どちらがいいのでしょう」

「用途によります」

 

 アルナさんは片方を受け取り、縫い目や革の厚みを確かめた。

 指で何度か曲げてから、もう片方を僕の手へ戻す。

 

「剥ぎ取りや細かな作業をするなら、指が動かしやすい方がよいです。戦闘で切り傷を防ぐなら、厚みも必要になります」

「両方ほしいです」

「だから悩むのです」

 

 装備選びは、思っていたより難しい。

 

 格好いいものを選べばよいわけではない。

 高いものなら、必ず自分に合うわけでもない。

 

 今の自分に必要なもの。

 自分の動きに合うもの。

 

 そして――予算に収まるもの。

 

「ハンターって、考えることが多いですね」

「多いですよ」

「物語では省略されていました」

「現実では省略できませんから」

 

 アルナさんが、楽しそうに笑う。

 

 その横顔を見ながら、もう一度手袋を比べていた――その時だった。

 

「あ……」

 

 視界の奥に、見覚えのある姿が映った。

 

 防具屋の奥。

 珍しい装備が飾られた棚の前に、一人の女性が立っている。

 

 夜を映したような黒髪。

 見る者を気圧す黄金の瞳。

 

 大きく強靭そうな尾と、首元に覗く黒い竜鱗。

 背中には、身の丈ほどもある大剣。

 

「フレイヴィアさん……でしたよね」

 

 以前、ギルドの受付前ですれ違った竜族の女性だった。

 

 小さく口にすると、アルナさんも店の奥へ顔を向ける。

 一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐにいつもの丁寧な表情へ戻った。

 

「はい。よく覚えていらっしゃいましたね」

「かなり印象に残っていたので」

「少しだけ、ご挨拶をしてきます」

「挨拶?」

「ギルドでは、大変お世話になっておりますから」

 

 手にしていた手袋を棚へ戻し、服の裾と髪を軽く整える。

 それからアルナさんは、防具屋の奥へ歩いていった。

 

 僕は、入口近くの棚の前で待つ。

 

 フレイヴィアさん。

 ハンターランク7。

 

 このギルド支部に所属する、最高位のハンター。

 本来は複数人で行う依頼を、一人で終わらせて帰ってくることもあるらしい。

 

 そんな人が、防具屋にいる。

 

「装備の新調でしょうか」

 

 強い人も装備を整える。

 

 いや――強い人だからこそ、装備の大切さを知っているのかもしれない。

 

 僕はそんなことを考えながら、棚の腕当てを手に取った。

 

 値札を見る。

 

「……高い」

 

 そっと棚へ戻した。

 

 ◆

 

 アルナが声を掛けるより少し早く、フレイヴィアは手にしていた品を棚へ戻した。

 

 小さな、白銀の腕飾りだった。

 

 竜鱗を模した細工が施され、留め具には赤い石が一つはめ込まれている。

 

 防具というより、装飾品に近い。

 実用性がないわけではないが、少なくともフレイヴィアほどのハンターが必要とするものではなかった。

 

 ――ただ、珍しかった。

 

 ただ、綺麗だった。

 そして少しだけ、可愛らしかった。

 

 それだけである。

 

 それだけで、しばらく眺めていただけだ。

 

 断じて、欲しくなったわけではない。

 

 ……たぶん。

 

「お疲れさまです、フレイヴィア様」

 

 背後から聞こえた声に、フレイヴィアは腕を組んだ。

 何事もなかったような顔で、ゆっくりと振り返る。

 

「ぬ。アルナか。どうした、こんなところで」

「新人ハンターの装備相談で来ています。フレイヴィア様は、装備の新調ですか?」

「……まあ、そんなところだ」

 

 短く答える。

 

 アルナはにこりと笑い、それ以上は追及しなかった。

 

 受付嬢は、聞かない優しさを知っている。

 そして――少しだけ、察する目も持っていた。

 

「そうでしたか。フレイヴィア様には、いつもギルドの依頼でお世話になっております」

「余が勝手にやっていることだ。礼を言われるほどではない」

「それでも、助かっております」

「……そうか」

 

 正面から礼を言われ、僅かに視線を逸らす。

 

 礼を言われ慣れていないわけではない。

 ないのだが――面と向かって告げられると、少しばかり座りが悪かった。

 

 ふと、黄金の瞳が店の入口近くへ向く。

 

 深いフードを被った少年がいた。

 

 棚へ並ぶ腕当てを前に、真剣な様子で悩んでいる。

 一つを手に取って値札を確認し、静かに元の位置へ戻した。

 

 あれもよい。

 これもよい。

 

 しかし、高い。

 

 おおよそ、そのようなことを考えているのだろう。

 

「アルナ」

「はい」

「そなたが連れている新人とやらは、あれか?」

「はい。つい一週間ほど前に登録したばかりの方です」

 

 アルナもルキウスへ視線を向ける。

 

「登録の日に、フレイヴィア様ともすれ違っていました。覚えていらっしゃいますか?」

「ああ」

 

 フレイヴィアは黄金の瞳を細めた。

 

「なにぶん、不可思議な匂いのする者だったのでな」

「匂い、ですか?」

「うむ」

 

 種族の匂い。

 魔力の匂い。

 

 血や森、獣の匂い。

 

 竜族であるフレイヴィアは、それらを嗅ぎ分けることに長けている。

 

 けれど――あの少年は、どこかおかしかった。

 

 何かが薄い。

 何かが足りない。

 

 それでいて、妙に懐かしいような――本来なら知るはずのない匂いがする。

 

 フレイヴィア自身にも、その正体は分からなかった。

 

「……ふむ」

 

 もう一度、少年を見る。

 

 彼は自分の話をされているとは露ほども思っていないらしい。

 別の腕当てを手に取り、値札を見た途端に、そっと戻した。

 

 実に分かりやすい。

 

 弱く。

 未熟で。

 

 本来なら、歯牙にかけるにも値しない存在――そのはずなのだが。

 

「アルナ。少し、話してみる」

「え?」

 

 アルナが驚いたように瞬きをする。

 

 すぐに姿勢を整え、フレイヴィアと少年を交互に見た。

 

「構わぬな?」

「は、はい。もちろんです」

 

 アルナの返事を聞き、フレイヴィアは歩き出す。

 

 不可思議な匂いのする少年。

 登録の日、無意識に目で追ってしまった存在。

 

 その正体を確かめるため――フレイヴィアは、アルナと共に店の入口側へ向かった。

 

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、一週間の地道な依頼を経て、装備を買いに行く回でした。
次回は実際の装備選びと、フレイヴィアさんメインの回になります。

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