駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
~前回までのあらすじ~
前回はルキウスがアルナさんとお出かけをしました。
ということで今回は、その続きになります。
◆
黒い革の腕当て。
茶色い革の腕当て。
薄い金属板が縫い込まれたものに、銀色の縁取りが入った、とても格好いいもの……防具屋の棚には、似ているようで少しずつ違う品が並んでいた。
「…………」
一つ手に取り、値札を見る。
静かに棚へ戻す。
隣のものを手に取り、また値札を見る。
やはり戻す。
「現実は、厳しい……」
格好いいものは高い。
とても分かりやすい仕組みだった。
この一週間、薬草を摘み、荷物を運び、ギルドの雑用をいくつもこなした。
その報酬が入った革袋は、僕にとって大金と言ってもいい。
けれど、防具屋へ来ると急に頼りなくなる。
棚の上段に並ぶ黒い腕当ては、見るからに頑丈そうだった。
表面へ竜の意匠が刻まれ、肘まで覆う金属板には赤い線が走っている。
すごく格好いい。
ただし、値段もすごかった。
「これ一つで、何日泊まれるんだろう……」
考えるだけで怖くなり、そっと視線を外す。
「ルキウスさん」
背後から、アルナさんの声がした。
「あ、アルナさん。おかえりなさ――」
振り向く。
そのまま、身体が固まった。
アルナさんの後ろに、フレイヴィアさんが立っていた。
「…………」
近い。
そして、やはり大きい。
ギルドの受付ですれ違った時にも感じたけれど、この人は周囲の空気そのものが違う。
ただ立っているだけなのに、森の奥で巨大な獣の気配を感じた時のように、背筋が勝手に伸びてしまう。
綺麗で。
強くて。
少し、怖い。
「お待たせしました、ルキウスさん」
アルナさんが僕の隣へ戻る。
それに合わせて、フレイヴィアさんも一歩前へ出た。
大剣が、背中で僅かに鳴る。
「ええと……ヴォルグラートさん?」
いきなり名前で呼ぶのは失礼かと思い、家名で呼んでみる。
けれど、フレイヴィアさんは僅かに眉を寄せた。
「フレイヴィアでよい。家名は好かぬ」
「あ、はい。フレイヴィアさん」
どうやら、最初から名前で呼んだ方がよかったらしい。
黄金の瞳が、僕を真っすぐに見下ろす。
その視線に耐えながら、ふと以前と違うところへ気づいた。
服だ。
ギルドで見た時は、実用的な装備に身を包み、背中へ身の丈ほどもある大剣を差していた。
今日は大剣こそ変わらないものの、服装はどこか柔らかい。
黒を基調にした上質な外套。
胸元には控えめな銀の留め具があり、袖口へ赤い刺繍が入っている。
その下では膝下まである黒いスカートが、太い尾の動きに合わせて静かに揺れていた。
大剣を背負っていなければ、どこかの国のお姫様だと言われても信じたと思う。
「主」
低く、よく通る声に呼ばれた。
「は、はい!」
「主の名を、まだ聞いておらなんだな」
「あ……ルキウスです」
「ルキウス」
フレイヴィアさんは、確かめるように僕の名前を口にする。
ただ名前を呼ばれただけなのに、胸の奥が妙に落ち着かなかった。
「余はフレイヴィア・ヴォルグラート。竜族のハンターだ」
「知っています。アルナさんに教えてもらいました」
「ほう」
「ランク7の、すごい人だって」
「すごい人」
片方の眉が僅かに動く。
言い方が雑だったかもしれない。
「い、いえ。すごい人というか、すごいハンターというか……」
「間違いではない」
「間違いではないんですね」
「うむ」
自信がすごい。
けれど、実際にすごい人なのだから否定できない。
隣に立つアルナさんは、僕がこれ以上余計なことを言わないようにするためか、控えめに一歩近づいてきた。
「ルキウスさん。フレイヴィア様は、エルドラン支部でも最高位のハンターです。失礼のないようにしてくださいね」
「はい!」
「アルナ、構わぬ」
フレイヴィアさんが片手を上げ、アルナさんを制する。
そのまま僕へ視線を戻すと、黄金の瞳が僅かに細められた。
観察されている。
見定められている。
理由は分からないけれど、そんな気がした。
「ルキウス。主に一つ、聞きたいことがある」
「僕に答えられることであれば、何でも」
「そうか」
フレイヴィアさんは一度だけ目を伏せた。
何かを考えるような短い沈黙のあと、再び僕を見つめる。
「主は、なぜハンターになった」
「え……」
意外な質問だった。
けれど、答えはずっと前から決まっている。
英雄になりたいから。
『蒼空のアルヴィス』に憧れたから。
誰かを助けられる人になりたいから。
胸の中には、いくつもの言葉があった。
「…………」
革の匂いが鼻を掠める。
店の奥では、店員が金具を調整する小さな音が続いていた。
僕は指先へ力を入れる。
目の前にいるのは、ハンターランク7。
僕とは比べものにならないほど強く、既に多くの人を救ってきた人だ。
そんな人に、英雄になりたいと答えたら――どう思われるだろう。
子どもの夢だと笑われるかもしれない。
現実を知らないと、呆れられるかもしれない。
視線が、少しだけ下がる。
でも――逃げたくなかった。
この人の前で、適当な理由を口にしたくはない。
「……理想が、あるんです」
「理想」
フレイヴィアさんが、僕の言葉を繰り返す。
「はい。その理想に、少しでも近づきたくて。それで、ハンターになりました」
言えたのは、それだけだった。
本当は、もっといろいろある。
何になりたいのか。
何をしたいのか。
どんな自分でありたいのか。
けれど、すべてを口にするには、今の僕には何もなかった。
力も。
実績も。
その夢を疑わず語れるほどの、自信もない。
ただ、理想がある。
そこへ近づきたい。
今は、それだけだった。
「そうか」
フレイヴィアさんは、すぐには笑わなかった。
馬鹿にもせず、否定もしない。
僕の言葉を受け取るように、静かに頷いた。
「一つ、覚えておけ」
「はい」
「余が師から授かった言葉だ」
「師匠がいるんですか?」
「うむ」
フレイヴィアさんが、ゆっくりと腕を組む。
それだけで、防具屋の空気が僅かに引き締まった。
「力なき理想は詭弁であり、理想なき力は暴力である」
低い声が、胸の奥へ落ちる。
力なき理想。
理想なき力。
意味が分からないわけではない。
けれど、理解したと言い切れるほど――僕はまだ力というものを知らなかった。
「今は分からずともよい」
フレイヴィアさんは、黙り込んだ僕へ続ける。
「この言葉の意味は、いずれ分かる。ゆえに、その時まで生きよ」
「生きる……」
「理想を掲げるのなら、それへ届くための力を持て。力を持ったのなら、何のために振るうのかを忘れるな」
黄金の瞳が、僕を真っすぐ射抜いていた。
逃げ場のない視線。
けれど、不思議と怖くはなかった。
「……はい!」
胸の奥が熱くなる。
ガルドさんの言葉とは違う。
アルナさんやセラフィーンさんの言葉とも違う。
フレイヴィアさんの言葉は、まるで刃のようだった。
重く、鋭い。
曖昧なままでは、握ることすらできない。
「ありがとうございます、フレイヴィアさん」
深く頭を下げる。
フレイヴィアさんは組んでいた腕を解き、僅かに顎を引いた。
どこか誇らしげにも見える。
「礼を言われることではない。余は、師の言葉を借りただけだ」
「でも、僕に言ってくれましたから」
「……そうか」
フレイヴィアさんは少しだけ視線を逸らした。
その横顔を見て、先ほどから気になっていたことが口へ出かかる。
「それより――」
「なんだ」
「あ、いえ。大したことではないんですけど」
「構わぬ。申してみよ」
そこまで言われたなら、遠慮をする必要はないのだろう。
僕は改めてフレイヴィアさんの服を見る。
「フレイヴィアさんって、意外と可愛らしい服を着るんですね」
――瞬間。
店内の空気が、凍った。
「…………」
革鎧を選んでいた客の手が止まる。
店員の説明も途切れ、近くにいたハンターが驚いた顔でこちらを見た。
フレイヴィアさんの尾も、ぴたりと動きを止めている。
「あれ?」
何か、まずいことを言ったらしい。
けれど、褒めたつもりだった。
「黒い外套も、赤い刺繍も似合っていますし。最初に見た時、どこかの国のお姫様みたいだなって思ったんです」
「…………」
「大剣を背負っているのに、城の廊下を歩いていても似合いそうというか――」
「な、ななななっ!?」
突然、フレイヴィアさんが大きく動揺した。
黄金の瞳が見開かれ、その視線が明らかに泳いでいる。
太い尾は止まっていた反動のように左右へ揺れ、首元に覗く黒い鱗まで僅かに赤く見えた。
「お、おぬし、何を言っておる!? か、かわ、可愛らしいなどと、余に……!」
「え。やっぱり失礼でしたか?」
「し、失礼では……いや、そうではなく! なぜそのようなことを平然と申せる!」
「似合っていると思ったので」
「似っ……!」
フレイヴィアさんが再び固まった。
周囲の人々が、そっと目を逸らす。
アルナさんも口元へ手を当てていた。
笑ってはいないと思う。
たぶん。
けれど、栗色の猫耳が小さく震えていた。
「……主」
「はい!」
「余をからかっておるのならば、ただでは済まさぬぞ」
「からかっていません。本当に思っただけです」
「――っ! もうよい!」
「なぜ!?」
顔を背けたフレイヴィアさんの耳元は、はっきり赤くなっていた。
尾も落ち着きなく揺れている。
それ以上は何も言わせないとばかりに、短く息を吐く。
「装備を選ぶのであろう。ならば、さっさと選べ」
「あ、はい」
「見た目だけで決めるな。命を守るものを、飾りのように扱うでないぞ」
「分かりました」
返事をすると、フレイヴィアさんはほんの少しだけ間を置いた。
顔は逸らしたままだったけれど、声には先ほどまでの落ち着きが戻り始めている。
「……ただし、身につけるものへ誇りを持つことは、悪いことではない」
「誇り?」
「うむ。自らの命を守るものだ。粗末なものと思う必要はない」
さっきまで動揺していたのが嘘のようだった。
でも、まだ耳は赤い。
見ないふりをしておこう。
僕も少しは学んでいる。
「ありがとうございます」
「……うむ」
フレイヴィアさんは小さく頷き、少し離れた。
話は終わり――そういう空気だった。
けれど、店を出るわけではない。
少し離れた棚の前から、こちらをじっと見ている。
気になるのだろうか。
それとも、余計な装備を選ばないよう見張られているのだろうか。
「ルキウスさん」
隣から、アルナさんがそっと声を掛ける。
声音は普段通りだったけれど、口元が少しだけ緩んでいた。
「選びましょうか」
「はい!」
アルナさんと一緒に、腕当ての棚へ向き直る。
僕の背筋は――なぜだか先ほどより少しだけ伸びていた。
◆
装備選びは、思っていたよりも時間がかかった。
最初に選んだのは、厚手の手袋だった。
剥ぎ取りや採取のために指先を動かしやすく、それでいて手の甲と手首には丈夫な革が重ねられている。
「少し、指を曲げてみてください」
言われた通り、手袋をはめたまま指を握る。
新品の革は硬く、指先へ僅かな抵抗があった。
「少し動かしにくいです」
「使っていれば馴染みます。ただ、縫い目が指へ当たっていませんか?」
「ここが、少しだけ」
指の付け根を示すと、アルナさんが僕の手を取った。
縫い目の位置を確認し、店員へ別の大きさを頼んでくれる。
何度か試した末、指を細かく動かせるものへ決まった。
次は革製の腕当て。
内側へ薄い金属板が入っており、ナイフバードの硬羽根程度なら傷を浅く抑えられるという。
「少し重いですね」
腕を上げ、片手剣を振る真似をする。
裸の腕より動かしにくい。
「それでも、重い鎧よりは軽いです。今のルキウスさんでは、頑丈さより動きやすさを残した方がよいと思います」
「僕、力がないですからね」
「はい」
「即答」
「事実ですので」
セラフィーンさんにも似たことを言われた気がする。
この街の女性は、優しいけれど嘘はつかない。
腕当ての次は、脇腹と胸元を補強する簡易革帯。
今の革鎧の上から締める形で、動きを邪魔せずに傷を受けやすい場所を守れるらしい。
首元には、厚手の襟布を選んだ。
フードの内側へ収まる形のものを、アルナさんが店員と相談しながら探してくれる。
「こちらなら、フードを外さずに使えます」
「ありがとうございます」
「装備は、使う人に合っていなければ意味がありませんから」
やはり、なぜフードを外さないのかは聞かなかった。
理由を尋ねず、それでも必要なことは覚えていてくれる。
それが少し嬉しくて、僕は襟布の端へ指を滑らせた。
靴は、新しいものを買う余裕がない。
底を補修し、濡れた岩でも滑りにくいよう溝を増やしてもらうことになった。
最後に、今までより少し丈夫な素材袋も選ぶ。
「前の袋では、スノウラビやナイフバードの素材を入れるには小さすぎます」
「まだ使えますよ?」
「紐が半分切れています」
「結べば」
「買い替えます」
財布に厳しい。
しかし、素材を落とせば、依頼の報酬までなくなる。
それを考えると必要なのだろう。
「全部で、こちらになります」
店員から示された金額を見て、革袋の中を覗く。
「……かなり減りますね」
「はい」
「一週間分が……」
「命より安いです」
「それを言われると、何も言えません」
アルナさんは、申し訳なさそうな顔をしなかった。
高い物を押しつけようとしているわけでもない。
必要だから、必要だと言っている。
ただ、それだけの顔だった。
「分かりました。買います」
革袋から硬貨を取り出す。
ちゃり。
ちゃり、と。
一週間かけて積み上げた重みが、店員の手元へ移っていく。
少し寂しい。
でも――少しだけ、嬉しい。
新しい手袋をはめる。
腕当てを固定し、革帯を締める。
厚手の襟布をフードの内側へ収め、補修を終えた靴へ足を入れる。
最後に丈夫な素材袋を腰へ下げ、店員に細かな位置を調整してもらった。
「こちらで確認してください」
案内された鏡の前へ立つ。
「……おお」
思わず、声が漏れた。
強そうには見えない。
立派な鎧でもなければ、使い込まれた歴戦の装備でもない。
それでも、昨日までの僕よりは――少しだけハンターらしく見えた。
「どうですか、アルナさん」
鏡の前で腕を持ち上げてみせる。
アルナさんは少し離れた場所から、僕の姿を上から下まで確認した。
それから近づき、腕当ての位置を僅かに直してくれる。
「良いと思います。動きやすさも残っていますし、今のルキウスさんには合っています」
「よかったです」
「それに、か……」
アルナさんの言葉が途中で止まる。
「か?」
「い、いえ」
猫耳が、へにょりと横へ倒れた。
一度だけ視線を泳がせ、それから小さな声で続ける。
「少し、格好よくなったと思います」
「本当ですか?」
「はい。本当です」
そう言ったアルナさんの頬は、僅かに赤かった。
「ありがとうございます」
「い、いえいえ」
猫耳が忙しなく動く。
どうして褒めた側が、僕よりも恥ずかしそうなのだろう。
「軽装だな」
低い声に振り返る。
いつの間にか、フレイヴィアさんがすぐ近くまで戻ってきていた。
腕を組み、黄金の瞳で僕の装備を上から下まで確認している。
「はい。予算が」
「重すぎる装備を着たところで、今の主では装備に振り回されるだけだ。まずはそれでよい」
「フレイヴィアさんにもそう言ってもらえると、安心します」
顎へ指を当て、もう一度細部まで確かめる。
視線は厳しい。
けれど、先ほどのように押し潰される感じはなかった。
きちんと見てくれている。
僕にも、それが分かる。
「ただし、頼り切るな」
「はい」
「装備は死を遠ざけるものだ。勝利を約束するものではない」
「……覚えておきます」
「よし」
短い言葉だった。
それだけなのに、少し嬉しい。
認められたというほどではない。
でも――悪くはないと言われたような気がした。
「ありがとうございます、フレイヴィアさん」
「うむ」
「あと、やっぱりその服は似合っています」
「蒸し返すな!」
また怒られた。
けれど、今度は店内の空気も凍らなかった。
アルナさんが目を伏せ、肩を小さく震わせている。
店員も、何でもないような顔をしながら口元を引き締めていた。
フレイヴィアさんは顔を背けている。
ただ、その尾は――先ほどより少しだけ穏やかに揺れていた。
◆
防具屋を出る頃には、革袋は随分と軽くなっていた。
その代わり、身体には少しだけ安心できる重みが増えている。
新しい手袋。
腕当てに、襟布。
胸と脇腹を守る革帯。
補修された靴と、丈夫な素材袋。
どれも、伝説に残る装備ではない。
聖剣でもなければ、古代遺跡から発掘された鎧でもなかった。
でも――今の僕に必要なものだった。
店の外へ出ると、装備通りには夕方に近い光が差し始めていた。
防具屋の濃い革と金属の匂いから解放され、街の風が少しだけ軽く感じられる。
「今日は、ありがとうございました」
アルナさんへ頭を下げる。
「どういたしまして」
「一人だったら、たぶん最初に見た黒い肩当てを買おうとしていました」
「買わせません」
「はい」
アルナさんが笑う。
装備の相談。
命を守るための買い物。
かなり現実的で、真面目な一日だった。
それでも――少し楽しかった。
「アルナさん」
「はい?」
「今日、楽しかったです」
口にすると、アルナさんは一瞬だけ目を丸くした。
それから頬を緩め、栗色の猫耳を柔らかく持ち上げる。
「それなら、よかったです」
「はい」
「ただし、次は怪我をしないために、その装備を使ってくださいね」
「はい!」
「本当に?」
「本当に本当です」
「……まあ、今日は信じます」
「やった」
少しだけ、信用が積み重なったらしい。
たぶん。
「ルキウス」
防具屋の入口から、フレイヴィアさんに呼ばれる。
「はい」
振り返ると、先ほどまでの動揺はほとんど消えていた。
強い気配を纏い、黒髪とスカートの裾を夕方の風に揺らしている。
「理想を語るのなら、まず生き残れ」
「……はい!」
「よい返事だ」
フレイヴィアさんは短く頷き、背を向けた。
大剣が僅かに音を立てる。
遠ざかっていく姿は、やはり強くて、綺麗で――物語の中から抜け出してきたようだった。
でも今日は、以前とは少し違って見える。
可愛いと言われて、あれほど慌てる人でもある。
そう思うと、ほんの少しだけ距離が近くなった気がした。
本人に言えば、また怒られるだろうけれど。
◆
その夜。
角兎亭へ戻ると、女将さんが僕を見るなり豪快に笑った。
「おお。少しはハンターらしくなったじゃないか」
「本当ですか?」
「少なくとも、血まみれ坊やよりは強そうだね」
「その呼び名は、もう卒業したいです」
「じゃあ、半人前坊や」
「悪化しています」
女将さんは腹を揺らし、楽しそうに笑った。
けれど、新しい腕当てや手袋を見る目は真剣だった。
革帯の位置や、補修された靴底まで確認してから、満足そうに頷く。
「うん。いいじゃないか。ちゃんと帰ってこられそうな装備だ」
「はい。帰ってくるための装備です」
「いい心がけだよ」
その言葉が、少し嬉しかった。
夕食を終え、二階の部屋へ戻る。
身につけていた装備を外し、机の上へ一つずつ並べた。
新しい手袋。
腕当て。
襟布と革帯。
丈夫な素材袋。
一週間分の報酬は、ほとんどなくなった。
革袋は軽い。
けれど、不思議と損をした気はしなかった。
「力なき理想は詭弁であり、理想なき力は暴力である……」
フレイヴィアさんから教わった言葉を、もう一度口にする。
理想を掲げるのなら、力を持て。
力を持つのなら、何のために振るうのかを忘れるな。
僕には、まだ力がない。
ナイフバード一羽に傷だらけにされ、自分から攻撃を受けなければ、剣を当てることもできなかった。
今日買った装備を身につけたからといって、急に強くなるわけでもない。
それでも――これは、力へ近づくための一歩なのだと思う。
机の上の腕当てへ、そっと触れる。
新品の革は硬く、まだ僕の腕の形には馴染んでいない。
使っていれば、身体に合ってくる。
アルナさんはそう言っていた。
たぶん僕自身も、同じなのだろう。
まだ何も知らない。
弱くて、未熟で、できないことばかりだ。
それでも依頼を受け、失敗し、教わりながら――少しずつ、ハンターになっていく。
「……よし」
ギルドカードを手に取る。
ルキウス。
ハンターランク1。
まだまだ、駆け出し。
英雄への道は遠い。
相変わらず、どこにあるのかも見えないほど遠い。
けれど今日の僕は、昨日より少しだけ――生きて帰る準備ができていた。
◆
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