駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

12 / 44

 ~前回までのあらすじ~
 前回はルキウスの買い物が終わりました。
 ということで今回からは心機一転、新しい冒険です。


第一章 第十一話『少年は次の一歩に胸を躍らせる』

 

 ◆

 

 新しい装備を買った翌朝。

 僕は角まだ少し硬いな」

 

 手の甲には補強が入り、丈夫な革が手首まで覆っている。

 以前使っていた薄い手袋とは違い、指を曲げるたびに革の硬さが返ってきて、他人の手を借りて動かしているような違和感があった。

 

 腕当ても同じだ。

 胸と脇腹を覆う革帯も、フードの内側へ収めた厚手の襟布も、身体を動かすたびに存在を主張してくる。

 

 特に首元は少し息苦しい。

 けれど、不快な重さではなかった。

 

 ナイフバードの羽先がフードを裂いた瞬間を思い出し、襟布の端へ触れる。

 

「守られている……か」

 

 フレイヴィアさんは、装備は死を遠ざけるものであって、勝利を約束するものではないと言った。

 これを身につけたからといって、僕の剣が速くなるわけでも、身体が強くなるわけでもない。

 

 それでも、同じ攻撃を受けた時の傷は浅くなる。

 逃げて帰れる可能性も、昨日までより少しだけ増えるはずだ。

 

 窓へ映った自分を見る。

 相変わらずフードを深く被っているため、顔はほとんど見えない。それでも腕当てと革帯が増えた分、昨日までより少しだけハンターらしく見えた。

 

「強そう……ではないな」

 

 少なくとも、血まみれで帰ってきた時よりはましだ。

 かなりましだと思う。

 

 腕を曲げ、片手剣を抜く動きを何度か試す。

 少し重い。けれど、剣を振れないほどではなかった。

 

「使っていれば、馴染む」

 

 アルナさんの言葉を思い出し、留め具をもう一度確かめる。

 ギルドカードと教会登録を示す羽印を外套へしまい、僕は部屋を出た。

 

 ◆

 

 ギルドの重たい扉をくぐった瞬間、革と鉄、汗と酒の匂いに混じって、いつもとは違う張り詰めた空気を感じた。

 

 朝のハンターズギルドは、基本的に騒がしい。

 依頼を選ぶ人に、帰還報告をする人。朝食を取りながら仲間を待つ人や、早くも酒杯を傾けている人もいる。

 

 いくつもの声と音が重なり、大広間全体が一つの大きな生き物みたいに動いている。

 

 けれど今日は、その騒がしさの下へ、落ち着かない気配が沈んでいた。

 

 掲示板の前では、何人かのハンターがいつもより長く話し込んでいる。

 受付の奥でも、職員たちが書類を運びながら、小声で何かを確認していた。

 

「何かあったのかな」

 

 周囲を見ながら、いつもの受付へ向かう。

 

 アルナさんは何枚もの書類を前にして、机へ座っていた。

 いつものように声を掛ければ笑顔を返してくれると思ったけれど――今日は少し様子が違う。

 

 書類へ置いた指先が止まっている。

 栗色の猫耳は僅かに伏せられ、尻尾も椅子の横でゆっくりと揺れていた。

 

 嫌そう。

 

 というより、言いたくないことを言わなければならない人の顔だった。

 

「おはようございます、アルナさん!」

 

 声を掛けると、アルナさんは書類から顔を上げた。

 一拍遅れて、いつもの受付嬢らしい表情を整える。

 

「……おはようございます、ルキウスさん」

「どうしたんですか? すごく嫌そうな顔をしています」

「嫌そうな顔をしています」

「自覚ありなんですね」

「あります」

 

 アルナさんは認めると、手元の書類を一度揃えた。

 紙の端を丁寧に整える動作はいつも通りなのに、指先には僅かな迷いが残っている。

 

「僕、また何かしました?」

「今回はしていません」

「今回は」

「今回は、です」

 

 そこは強調された。

 

 ひとまず、今朝の僕は何もしていないらしい。

 今朝は。

 

 胸を撫で下ろしたものの、アルナさんの表情は晴れない。

 僕を見て、何かを言いかけて口を閉じる。それから書類へ視線を落とし、もう一度こちらを見た。

 

 その様子で、何となく分かった。

 

 アルナさんは、これから僕が何と答えるのかを知っている。

 そして、その答えを聞きたくないのに、受付嬢として尋ねなければならないのだ。

 

「ルキウスさん」

「はい」

「ルキウスさんは、ランク2への昇級試験を受ける条件を満たしています」

 

「…………」

 

 息が止まった。

 

「ランク2……」

 

 今の僕は、ランク1だ。

 登録したばかりの駆け出しで、初依頼では泥だらけになり、ナイフバードの討伐では脇腹を切られた。

 

 装備も昨日ようやく最低限のものを揃えたばかりだ。

 そんな僕に、次のランクの話が出ている。

 

「……僕が、ですか?」

「はい」

「本当に?」

「本当です」

 

 アルナさんは書類を一枚、受付台の上へ置いた。

 けれど、すぐにはこちらへ渡さない。手のひらで軽く押さえたまま、僕の目を真っすぐ見ている。

 

「この一週間、かなりの数の依頼を達成しましたから」

「装備を買うお金を貯めるためでしたけど」

「理由はどうあれ、依頼を受け、達成し、報告して報酬を得たことに変わりはありません」

 

 アルナさんは、指を一本ずつ折るように数えていく。

 

「薬草採取、運搬、素材整理、捕獲補助、納品。それから、古い依頼書の交換や掲示板の補修も行いました」

「釘を打ったことも数に入るんですか?」

「依頼として受けた仕事ですから、当然です」

 

 続いて、僕の新しい装備へ視線が向く。

 

「剥ぎ取り講習を終え、教会登録も済ませています。装備も、ようやく最低限のものが整いました」

「ようやく」

「ようやくです」

 

 淡々とした言葉だった。

 でも、ただ記録を読み上げているわけではない。

 

 アルナさんは、この一週間の僕を見ていた。

 

 薬草を摘んだこと。

 荷物を運んだこと。

 何度も道を尋ねながら、薬箱を届けたこと。

 

 どれも、小さな仕事だった。

 英雄譚に書かれるような、華々しい冒険ではない。

 

 けれど――きちんと積み重なっていた。

 

「ですので、ルキウスさん」

 

 アルナさんが、試験書類を僕の方へ僅かに滑らせる。

 

「ハンターランク2への昇級試験を受けられます。受けますか?」

 

 胸元のギルドカードが、急に重くなったような気がした。

 

 たった一枚の金属板。

 そこへ刻まれたランク1という文字の先に、初めて続きが見えている。

 

 受けられる。

 次へ進むための試験を。

 

 僕が。

 

「受けます!」

 

 考えるより先に、言葉が出た。

 

 アルナさんは目を閉じる。

 深く、静かに息を吐いた姿は、最初からそう答えると分かっていたようだった。

 

「……そう言うと思いました」

「え」

「そう言うと思ったので、嫌だったんです」

「嫌だったんですか」

「嫌でした」

 

 ものすごく正直だった。

 

 けれど、アルナさんは試験書類を引っ込めなかった。

 僕が受けると決めた以上、受付嬢として説明しなければならない。そんな顔をしている。

 

「でも、嫌なのに教えてくれるんですね」

 

 僕が尋ねると、アルナさんの猫耳がぴくりと動いた。

 

「私たち受付は、注意勧告ができます。危険だと伝えることも、準備が不足していると説明することもできます」

「はい」

「ですが、条件を満たしたハンターの決断へ、必要以上に口を挟むことはできません」

 

 書類の端を押さえる指へ、僅かに力が入る。

 

「行くな、と命令することはできないんです」

「…………」

「だから説明します。危険も、条件も、合格に必要なことも。その上で、選ぶのはルキウスさんです」

 

 その言葉は、思っていたよりも重かった。

 

 アルナさんは、僕を止めたいのかもしれない。

 まだ早い。危ない。不安だと、そう思っているのだろう。

 

 僕が泥と血にまみれて帰ってきた姿も、わざと脇腹へ攻撃を受けたことも知っている。

 

 それでも、僕が進もうとするなら、そのために必要なことを教えてくれる。

 心配しながら。不安そうな顔をしながら。

 

 それでも、きちんと一人のハンターとして扱ってくれている。

 

「ありがとうございます」

「お礼は、試験へ受かってからにしてください」

「はい!」

「その返事が早すぎるところが、不安なのですよね……」

 

 アルナさんは小さく息を吐き、試験書類を僕の前へ向けた。

 

 ◆

 

「それでは、試験内容をご説明します」

 

 アルナさんは簡単な地図を広げ、東へ伸びる街道を指でなぞった。

 街道の外れにある林道。渓流地帯と街道の境目にあたる場所で、僕はまだ足を踏み入れたことがない。

 

「今回のランク2昇級試験は、討伐ではありません」

「討伐ではないんですか?」

「はい。東街道外縁部での痕跡調査です」

「痕跡調査……」

 

 地図の一か所へ、小さな印がつけられる。

 

「目的は、小型モンスターの痕跡を確認し、周囲の危険度を判断して報告することです。想定されている対象は、スノウラビ、ナイフバード、それからラッシュラットですね」

「ラッシュラット?」

「小型の鼠型モンスターです。単体なら弱いですが、群れで行動すると厄介です」

「鼠」

「小さいからといって、油断しないでくださいね」

「はい」

 

 小さいから弱いとは限らない。

 ナイフバードで、十分に学んだ。

 

「試験官が一名同行します。試験官が危険だと判断した場合は、その場で中止です」

「合格するには、何をすればいいんですか?」

「正確な観察、無理をしない判断、そして帰還後の報告です」

「倒さなくてもいいんですか?」

「倒さなくていいです」

「試験なのに?」

「試験だからです」

 

 そこだけ、アルナさんの声が少し強くなった。

 

「ランク2になれば、ランク1の時よりも少しだけ遠い場所へ行けるようになります」

「少しだけ」

「はい。ですが、その少しが命取りになることもあります」

 

 アルナさんは、地図へ置いた指を外縁部のさらに奥へ動かす。

 ほんの僅かな距離なのに、紙の上でも、その先だけが暗く見えた。

 

「ですから試験では、倒せるかどうかよりも、危険を発見できるか、無理をせず戻れるかを確認します」

「進む試験ではなく、戻る試験なんですね」

「そう考えていただいて構いません」

 

 僕が想像していた昇級試験とは、少し違う。

 

 もっと強いモンスターを倒し、戦う力を認めてもらうものだと思っていた。

 けれど、アルナさんが見ているのは、剣の強さだけではない。

 

「ハンターは、倒せる相手を探す仕事ではありません」

 

 アルナさんの猫耳が、真っすぐこちらを向く。

 

「倒してはいけない相手を、見分ける仕事でもあります」

 

 その言葉に、ナイフバードとの戦いが蘇った。

 

 動きを追えない。

 剣が届かない。

 

 それでも勝つために、自分の脇腹を差し出した。

 

 セラフィーンさんは言った。

 あれは勝つための方法にはなっても、生き残るための方法とは限らない。

 

 アルナさんからは、弱いからこそ装備で補うのだと教わった。

 

 そして今度は――倒してはいけない相手を見分けろと言われている。

 

「……分かりました」

 

 ゆっくりと頷く。

 

 アルナさんは、すぐに僕の目を覗き込んだ。

 

「本当に?」

「本当に本当です」

「……そこは、まだ不安ですね」

「返事を変えた方がいいですか?」

「返事ではなく、行動で示してください」

「はい」

 

 今度は、先ほどよりも少し間を置いて答える。

 それで多少は納得したのか、アルナさんの肩から僅かに力が抜けた。

 

「ただ、今は一つ問題があります」

「問題?」

 

 アルナさんは周囲を確認し、声を少しだけ落とした。

 内容が必要以上に広まらないよう、気を配っているらしい。

 

「最近、雪原地帯で異常が発生しています」

「雪原地帯」

 

 思わず、声が弾んだ。

 

 雪原。

 エルドランの周囲に広がる五つの区域の一つで、今の僕にはまだ入れない場所だ。

 

 白い雪に、冷たい風。

 森や渓流では見たことのないモンスター。

 

 名前を聞いただけで、頭の中へ知らない景色が浮かんでくる。

 

「ルキウスさんは行きません」

「まだ何も言っていません」

「顔に出ています」

「フードを被っているのに?」

「最近は分かるようになりました」

「そうですか……」

 

 フードの意味が、少しずつ失われている。

 

「これは、ランク1の方が関わる話ではありません。ルキウスさんは昇級試験のことだけを考えてください」

「はい」

 

 素直に頷くと、アルナさんの表情が少しだけ緩んだ。

 それでも声は低いまま、説明が続けられる。

 

「雪原地帯の浅い区域で、本来なら奥地にいるはずのモンスターの痕跡が確認されています」

「奥地のモンスターが、浅い場所まで?」

「はい。まだ確定ではありませんが、ランク3相当の大型と思われる足跡も報告されています」

「ランク3……」

 

 大型モンスター。

 

 その言葉だけで、胸の奥へ小さな熱が生まれた。

 けれど同時に、先ほどのアルナさんの言葉も思い出す。

 

 倒してはいけない相手を見分ける。

 今の僕にとって、ランク3の大型は間違いなくそちらだ。

 

「放置できる状況ではありません。そのため、支部の中堅以上のハンターや調査員が、雪原の調査へ回されています」

「それで、ギルドの様子がいつもと違ったんですね」

「はい。それから――昇級試験を担当できる方も不足しています」

 

 アルナさんが別の書類をめくる。

 

 そこには何人もの名前と予定が並び、いくつかには線が引かれていた。

 横へ小さく、雪原調査と書き足されている。

 

「本来なら、昇級試験はもう少し余裕のある時期に行います。ですが現在、低ランクの試験を担当できる試験官の手が足りません」

「では、試験は受けられないんですか?」

「申請はできます。ただ、すぐに日程を組めるかどうかは分かりません。試験官なしで実施することはできませんから」

 

 アルナさんが、困ったように眉を下げる。

 

 僕は受付台に置かれた試験書類を見た。

 

 受けられると聞いて、すぐに受けると答えた。

 胸も高鳴っている。

 

 けれど、少し待たなければならないらしい。

 

「……仕方ありませんね」

 

 口にすると、アルナさんが少し驚いたように目を上げる。

 

「待てますか?」

「はい。危険な場所へ一人で行くわけにはいきませんから」

 

 焦るな。

 無理をするな。

 

 きちんと待て。

 

 自分へそう言い聞かせた――その時だった。

 

 ギルドの重たい扉が、低い音を響かせて開いた。

 

 ◆

 

 空気が変わった。

 

 先ほどまでざわざわと揺れていた大広間の気配が、扉の音を境に、一方向へ流れていく。

 

 何人かのハンターが自然と道を空ける。

 集まった視線の先を追えば、見覚えのある黒髪があった。

 

 黄金の瞳。

 首元に覗く黒い竜鱗。

 

 強靭な尾と、背中へ差した身の丈ほどの大剣。

 

 フレイヴィア・ヴォルグラート。

 

 昨日、防具屋で見た姿とは違う。

 柔らかな服を着て、可愛いと伝えたら、耳まで赤くして動揺していた人ではない。

 

 今の彼女は、エルドラン支部最高位のハンターだった。

 

 歩くだけで、周囲が勝手に道を譲る。

 声を張らなくても、誰もがその存在に気づく。

 

 強い人というのは、剣を抜かなくても強いのだと分かった。

 

 フレイヴィアさんは迷わず受付へ進み、アルナさんの隣にいた職員の前で足を止めた。

 

「お疲れさまです、フレイヴィア様」

 

 職員が姿勢を正して頭を下げる。

 

「うむ。報告だ」

「承ります」

 

 手にしていた書類を差し出す。

 僕は邪魔にならないよう、受付台の端へ少しだけ身体を寄せた。

 

 できれば、目立たないように。

 

 けれど――黄金の瞳は、すぐにこちらを捉えた。

 

「ルキウス」

「は、はい! お疲れさまです!」

「うむ」

 

 短い。

 

 たったそれだけだった。

 

 それでも、名前を覚えられていた。

 胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなる。

 

 フレイヴィアさんの視線が、僕の新しい腕当てへ落ちた。

 昨日選んだ装備を確かめるように一度だけ細められ、そのままアルナさんの手元へ移る。

 

「何の書類だ」

「ランク2昇級試験の調整です」

「こやつのか」

 

 黄金の瞳が、再び僕へ向く。

 

 こやつ。

 

 僕のことらしい。

 

「はい。ですが現在、試験官が不足しており、まだ日程を決められなくて」

 

 アルナさんの説明を聞き、フレイヴィアさんは数秒だけ黙った。

 

 何かを考えているのか。

 それとも、特に何も考えていないのか。

 

 表情からは分からない。

 

 けれど、その沈黙だけで周囲の音が少し遠ざかった気がした。

 

「ならば、その役――余がやろう」

 

「…………」

 

 ギルドの空気が、もう一度変わった。

 

 ざわり、と小さな声が広がる。

 

 近くにいたハンターたちがこちらを見た。

 受付の奥にいた職員も、揃って手を止めている。

 

 僕も固まった。

 アルナさんも、報告書と試験書類を持ったまま固まっていた。

 

「……フレイヴィア様が、ですか?」

「うむ」

「ですが、ランク2の昇級試験にフレイヴィア様をお願いするのは、その……あまりにも」

「暇だ」

「暇」

「半日なら空く」

「しかし……」

「何か問題があるか?」

 

 言葉は短い。

 説明もほとんどない。

 

 けれど、そこに迷いはなかった。

 

 アルナさんは困ったように眉を寄せ、僕とフレイヴィアさんを交互に見る。

 

「……安全面では、ありません」

「ならばよい」

 

 それで決まりらしい。

 

 すごい。

 話が速すぎる。

 

「明朝、ギルド前」

 

 フレイヴィアさんの身体が僕へ向く。

 慌てて背筋を伸ばした。

 

「え、あ、はい!」

「遅れるな」

「はい!」

 

 フレイヴィアさんは満足したように一度頷き、アルナさんへ報告書を示した。

 

「処理を頼む」

「は、はい。承りました」

「ではな」

 

 短い言葉。

 短い滞在。

 

 それだけでフレイヴィアさんは受付を離れ、来た時と同じように大広間を真っすぐ横切っていった。

 

 扉が閉まる。

 遅れて、ギルドの空気が元へ戻り始めた。

 

「フレイヴィアさんが、試験官……」

「……そうなりましたね」

 

 アルナさんの声には、少しだけ疲れが混じっていた。

 

「すごいことですか?」

「すごいことです」

「ですよね」

 

 分かってはいた。

 でも、確認したかった。

 

 新人のランク2試験へ、支部最高位のランク7ハンターが同行する。

 普通ではない。

 

 たぶん、かなり普通ではない。

 

 アルナさんは書類を整え、試験官の欄へフレイヴィアさんの名前を書き込んだ。

 途中で筆先が一度止まる。

 

 まさか、この書類へその名前を書くことになるとは思わなかったのだろう。

 

「ルキウスさん」

「はい」

「明日は、絶対に無茶をしないでください」

「はい」

「フレイヴィア様がいるから大丈夫、ではありません」

「はい」

「試験は、フレイヴィア様に守っていただくためのものではありません。ルキウスさん自身が判断できるかを見るものです」

「……はい」

 

 今度は、きちんと意味を考えてから頷いた。

 

 フレイヴィアさんが一緒にいる。

 これほど心強いことはない。

 

 でも、だからといって危険へ踏み込んでよいわけではない。

 フレイヴィアさんが助けてくれる前提で無茶をすれば、それは僕の試験ではなくなってしまう。

 

「今日は早く休んでください。装備の確認も忘れずに」

「はい」

「緊張して眠れないかもしれませんが」

「もう少し、眠れない気がしています」

「でしょうね」

 

 アルナさんは小さく笑った。

 けれど、その笑みはすぐに薄くなり、最後にもう一度、真面目な目で僕を見る。

 

「ちゃんと帰ってきてください」

「はい。帰ってきます」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 アルナさんの猫耳が、いつものように僅かに伏せられた。

 

 それでも今日は、もう一度念を押すことはしなかった。

 ただ、僕の新しい腕当てを見つめ、静かに頷いた。

 

 ◆

 

 角兎亭へ戻ったあと、僕は机の上へギルドカードを置いた。

 

 ルキウス。

 ハンターランク1。

 

 刻まれた文字を、しばらく見つめる。

 

 明日、僕はランク2への昇級試験を受ける。

 受かるかどうかは分からない。

 

 そもそも、きちんとした試験を受けること自体が初めてだ。

 

 しかも試験官は、フレイヴィアさん。

 エルドラン支部最高位の竜族で、僕とは比べものにならないほど強いハンター。

 

 昨日、可愛らしい服が似合うと伝えたら、ものすごく動揺していた人でもある。

 

「……明日、その話をしたら怒られるかな」

 

 たぶん、怒られる。

 試験へ集中しろと言われるだろう。

 

 寝台へ腰を下ろし、新しい腕当ての留め具を確かめる。

 革はまだ硬い。けれど、昨日よりは僅かに僕の腕へ馴染んでいる気がした。

 

 アルナさんの顔を思い出す。

 

 試験を受けると答えた時、はっきり嫌だと言われた。

 僕が危険へ進もうとするのを、怖がっているのだと思う。

 

 それでも、アルナさんは説明してくれた。

 僕がこの一週間、きちんと学び、働いていたことも見ていてくれた。

 

 なら――応えたい。

 

 無茶をするのではなく。

 強がるのでもなく。

 

 見て。

 考えて。

 生きて帰る。

 

「ランク2……」

 

 昨日までより、少しだけ遠くへ行けるようになる。

 同時に、昨日までより少しだけ危険な場所へ踏み込むということでもある。

 

 ギルドカードを手に取り、指先で端をなぞる。

 

 まだ、ランク1。

 

 けれど明日。

 僕は次の一歩を踏み出すため、初めての昇級試験へ挑む。

 

「……楽しみだな」

 

 口元が、自然と緩んだ。

 

 緊張はしている。

 不安もないわけではない。

 

 それでも、胸の奥で鳴っている鼓動は、恐怖よりも期待の方が大きかった。

 

 僕は新しい装備を机へ並べ、明日の準備をもう一度最初から確かめる。

 

 結局、その夜は――アルナさんの予想通り、なかなか眠ることができなかった。

 

 





 ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。
 少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ぜひよろしくお願いいたします
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。