駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

15 / 15
少年は聖女と蜂蜜を運ぶ

 

 ◆

 

 ランク2になってから、最初に受ける依頼。

 そう聞くと、もう少し胸が高鳴るようなものを想像していた。

 

 たとえば、少し強いモンスターの討伐とか、今まで行けなかった場所の調査とか。

 ランク2になったからこそ任される、危険で、難しくて、少しだけ格好いい仕事とか。

 けれど、現実はもう少し落ち着いていた。

 

「清水草の採取と、教会への納品です」

 

 ギルドの受付で、アルナさんはそう言った。

 目の前に置かれた依頼書には、エルドラン教会支部からの依頼だと書かれている。

 場所は渓流地帯の少し奥。

 内容は水辺に生える清水草を採って、教会へ届けること。

 討伐でも護衛でもなく、採取と納品の依頼だった。

 

「ランク2になって最初の依頼には、ちょうどいいと思います」

「清水草って、薬草ですよね」

「はい。教会で薬湯や傷薬に使われます。似た草がありますが、葉脈が淡く青いものを選べば大丈夫です」

 

 アルナさんは依頼書の端に描かれた簡単な絵を指先で示した。

 細長い葉。

 中央から枝分かれする、淡い青の葉脈。

 僕はその特徴を、頭の中で繰り返す。

 

「青い葉脈ですね」

「はい。茎を折ると透明な汁が出ます。少し甘い匂いもありますが、似た草と迷ったら無理に採らずに戻ってきてください」

「分かりました」

「それから、渓流沿いは足元が滑りやすいです。水辺に夢中になって、川に落ちないように」

「落ちませんよ」

 

 僕がそう言うと、アルナさんはじっとこちらを見た。

 猫耳がぴんと立っている。

 信用されていない。

 とても分かりやすい。

 

「……落ちません。たぶん」

「そこは言い切ってください」

「落ちません」

「はい。それでお願いします」

 

 アルナさんはようやく少しだけ笑った。

 たぶん、僕があまり重く受け取りすぎないようにしてくれているのだと思う。

 あるいは、今日の依頼に限っては、あれこれ細かく言うよりも、まず無事に行って帰ってくることを優先しているのかもしれない。

 

「気をつけて行ってきてくださいね」

「はい!」

 

 僕は依頼書を受け取り、ギルドカードをしまって、ギルドを出た。

 

 ◆

 

 渓流地帯は、相変わらず水の音が近かった。

 そんな道を進みながら、思わずつぶやいてしまう。

 

「もう少しやりごたえのあるクエストを期待してたんだけだどなぁ」

 

 なんて。

 命大事に。を口酸っぱく言われているのに自分でも懲りないなぁ、とは思いながらも、それでも呟かずにはいられなかった。

 

 ランク1の頃によく歩いた第一区域より少し奥へ進むと、木々の影は濃くなり、足元の土も湿り気を増していく。

 川沿いに生える草の種類も、少しずつ変わってきた。

 とはいえ、雪原のような緊張感はない。

 

 空気にはどこか馴染みのある森の匂いが混じっていて、僕は何度か足を止めながら、依頼書に描かれた清水草の形を思い出した。

 清水草は、水辺に細く伸びていた。

 葉脈が淡い青。

 茎を折ると透明な汁。

 少し甘い匂い。

 

 アルナさんに言われた通りの特徴を一つずつ確かめながら、僕は必要な分を採っていった。

 剣は抜かなかった。

 モンスターとも戦わなかった。

 

 途中、水辺の草むらが少し揺れて、何か小さな生き物がいるような気配はあった。

 けれど、こちらへ向かってくる様子はない。

 僕は無理に確かめようとはせず、その場所を避けて歩いた。

 

 ランク2になって最初の依頼は、思っていたより静かだった。

 けれど、水辺にしゃがみ込んで草の葉脈を見比べていると、これはこれでちゃんとハンターの仕事なのだと思えた。

 

 間違えれば薬にならない。

 雑に扱えば、使える部分を傷めてしまう。

 派手ではないけれど、誰かがやらなければならない仕事なのだろう。……そう思えば、すこしこのクエストも楽しく思えてきた。

 

 そして、僕は清水草を束ね、葉の向きを揃えてから素材袋へ丁寧にしまった。

 それから、服についた泥を軽く払って、教会へ向かった。

 

 

 教会へ入ると、そこは相も変わらず静謐に満ちていた。

 白い石で造られた廊下。

 淡く差し込む光。

 水音のように低く続く祈りの声。

 

 清潔な布と、薬草と、ほんの少し甘い香油の匂い。

 怪我人の声もあるし、治療を待つ人の気配もある。

 けれど、ギルドのように荒々しくはなく、騒がしささえどこか柔らかい布に包まれているようだった。

 

 僕が受付の近くで声をかけようとすると、奥から白と淡い青の衣をまとった人がこちらへ歩いてきた。

 薄い金色の髪が、光を受けて静かに揺れる。

 背中の白い翼は柔らかくたたまれていて、深い湖みたいな青い瞳が、僕を見つけると少しだけ和らいだ。

 

「あらー、ルキウスくん。どうもこんにちは」

 

 律儀に頭を下げるセラフィーンさんに、僕も慌てて頭を下げる。

 

「こんにちは。それと、お久しぶりです、セラフィーンさん」

「今日は、治療ではないのですね」

 

「はい。納品です」

「それは、とても良いことです」

「そんなにですか?」

「はい。怪我をして来られる方より、納品で来られる方を見る方が、気持ちは穏やかです」

「確かに、教会的にはその方が平和ですね」

「はい。とても」

 

 セラフィーンさんは、本当に少し嬉しそうにそう言った。

 その言い方があまりにも穏やかだったので、僕は少しだけ照れくさくなりながら、素材袋から清水草の束を取り出した。

 

「清水草、持ってきました」

「確認しますねー」

 

 セラフィーンさんは近くの台へ布を敷き、その上に清水草を一本ずつ丁寧に並べていく。

 

 手つきが静かだった。

 急いでいないのに無駄がない。

 

 葉の先を持ち、葉脈を光に透かし、折れた部分の汁を確かめ、香りを軽く見る。

 その一つ一つの動きが、祈りの所作にも似ているように思えた。

 

「うん。綺麗に採れています」

「本当ですか」

 

「はい。濁水草も混じっていませんし、根も傷つけすぎていません」

「よかった……」

 

 思わず息が抜けた。

 討伐依頼ではないからといって、失敗していいわけではない。

 ちゃんと依頼として受けた以上、ちゃんと届けられたことが分かると、少し肩の力が抜ける。

 

「とても慎重に採ったのですね」

「ランク2になって最初の依頼で失敗したら、かなり格好悪いかなと思って」

 

「格好のためだったのですか?」

「い、いや、それだけじゃないですけど」

 

 セラフィーンさんは小さく笑った。

 静かな笑い方だったけれど、少しだけからかわれた気がした。

 教会の聖女様は、思ったより人をからかう。

 

「でも、丁寧に届けていただけて助かりました。清水草は、薬湯にも傷薬にも使いますから」

「僕が採った草が、薬になるんですね」

 

「はい。誰かの熱を下げたり、傷の痛みを和らげたりするものになります」

「そう聞くと、ちょっと緊張しますね」

 

「もう採り終わった後なのに?」

「後から緊張が来ました」

 

「では、次は採っている時に少しだけ緊張してください」

「少しだけでいいんですか」

 

「緊張しすぎると、草まで緊張してしまいそうですから」

「草もですか?」

「たぶん」

 

 たぶん。

 セラフィーンさんは真面目な顔でそう言ったので、僕はまた少し笑ってしまった。

 

 納品の確認が終わった後、セラフィーンさんは清水草の束を薬棚の方へ運んだ。

 棚の中には、乾燥させた薬草や小瓶がきれいに並んでいる。

 その前で彼女はふと何かを思い出したように、小さく首を傾げた。

 

「この後、少し市場へ行こうと思っていたのです」

「市場ですか?」

 

「はい。薬湯に使う蜂蜜と、小瓶を少し。あと、清潔な布も補充しておきたくて」

「セラフィーンさんって、普段から買い出しもするんですね」

 

「しますよ」

「もっと、こう……教会の奥で祈っている人かと」

 

 そういうと、口に手を当てながら声をだしてセラフィ―ンさんは笑った。

 

「ふふ。私とて、人ですよー?祈りもします。買い物もします」

「聖女様って忙しいんですね」

「蜂蜜の値段も覚えなければなりませんから」

「それは大変だ」

「はい。季節で変わるので」

 

 聖女様は蜂蜜の値段を覚えるらしい。

 なんだか、少し意外だった。

 でも考えてみれば、薬に使うものを買うなら当然なのかもしれない。

 祈るだけで薬棚が勝手に満たされるわけではないし、治療に使う布や瓶も、誰かが用意しなければならないのだ。

 

「よければ、荷物持ちしますよ」

 

 僕がそう言うと、セラフィーンさんは少し驚いたように目を瞬かせた。

 

「よいのですか?」

「はい。今日は依頼も終わりましたし、このくらいならできます」

 

「それでは、お願いしてもよいでしょうか」

「任せてください」

 

 僕が頷くと、セラフィーンさんは近くの修道士さんに一言断り、外へ出る準備を始めた。

 教会の中で見る彼女は、聖女という言葉が似合う人だった。

 けれど、白と淡い青の衣の上に薄い外套を羽織り、買い物用の小さな籠を持つ姿は、それだけではなかった。

 

 もちろん、相変わらず神聖で綺麗なのだけれど。

 ちゃんと街の中で暮らしている、一人の人にも見えた。

 

 

 教会を出て市場へ向かう途中、何人もの人がセラフィーンさんに声をかけた。

 

「セラフィーン様、この前はありがとうございました」

「娘の熱が下がりました。本当に助かりました」

「今日は買い出しかい?」

 

 セラフィーンさんは、その一人一人に丁寧に返事をした。

 急いでいる様子はない。

 かといって、立ち止まりすぎるわけでもない。

 

 相手の顔を見て、言葉を受け取り、必要な分だけ返して、また歩き出す。

 その姿を見ていると、教会で傷を癒すことだけが彼女の仕事ではないのだと分かる。

 

「すごいですね」

 

 僕が言うと、セラフィーンさんは少し不思議そうにこちらを見た。

 

「すごい、ですか?」

「皆、セラフィーンさんのことを知ってるんだなって」

「私も、皆さんのことをできるだけ覚えるようにしています」

「覚えるんですか?」

「はい。怪我をした場所や、苦手な薬や、家族のことを少し覚えておくだけで、次に会った時に話しやすくなることがありますから」

 

「治療って、そういうのもあるんですね」

「たぶん、あります」

「また、たぶん」

「はい。たぶんです」

 

 セラフィーンさんは、少しだけ楽しそうに言った。

 市場へ入ると、街の音が一気に大きくなる。

 

 魚を売る声。

 肉を焼く匂い。

 布を広げる店。

 薬瓶を並べる屋台。

 香辛料の鼻をくすぐる匂い。

 果物の甘い色。

 

 以前、港の市場でリーヴァウォを買えずに眺めていた時のことを思い出す。

 あの時は所持金がなかった。

 今は少しあるけれど、今日は買い物をする側というより、荷物持ちだ。

 

 それはそれで、少し誇らしい。

 ただ、セラフィーンさんと一緒に歩いていると、当然ながら周囲の視線も集まる。

 

「聖女様だ」

「隣のフードの子、誰だ?」

「荷物持ちか?」

 

 小声が聞こえる。

 僕は少しだけ肩を小さくした。

 

 フードの内側で、息がこもる。

 悪いことをしているわけではないのに、人に見られると少し落ち着かない。

 

「人の目が気になりますか?」

 

 セラフィーンさんが、隣で静かに言った。

 

「少し」

「では、私も気にすることにしましょうか」

 

「え?」

「一人で気にするより、二人で気にした方が、少し軽いかもしれません」

 

 

 セラフィーンさんは、真面目な顔でそう言った。

 言っていることはよくわからなかったが、それが少し面白くて、僕も笑ってしまった。

 

 

 蜂蜜屋の店主は、セラフィーンさんを見るなり笑顔になった。

 

「おぉ、聖女様、いつものかい?」

「はい。今日は少し多めにお願いします」

 

「また子どもたち用か」

「苦い薬は、なかなか手強いですから」

「ははっ、そりゃそうだ。俺だって苦い薬は嫌だね」

 

 店主は棚から丸い瓶をいくつか取り出し、琥珀色の蜂蜜を光に透かして見せた。

 濃い金色が、瓶の中でゆっくり揺れる。

 それを見ているだけで甘い匂いがするようだった。

 

「苦い薬って、やっぱり苦いんですか?」

 

 僕が聞くと、セラフィーンさんは迷わず頷いた。

 

「苦いです」

「そこは否定しないんですね」

 

「苦いものを苦くないと言うと、次から信じてもらえなくなります」

「誠実だ……」

 

「なので、蜂蜜で少しだけ誤魔化します」

「誤魔化すんですね」

 

「優しい誤魔化しです」

「優しい誤魔化し」

 

 何となく、良い言葉のような気がした。

 僕が受け取った蜂蜜の瓶を籠へ入れると、思っていたより重かった。

 蜂蜜というのは、瓶が小さくても意外とずっしりしている。

 

「重くありませんか?」

「大丈夫です。蜂蜜相手ならまだ勝てます」

 

「戦うものではありませんよ」

「確かに」

 

 セラフィーンさんが少し笑った。

 その笑みを見て、店主がにやにやと僕を見る。

 僕は何となく居心地が悪くなり、籠を持ち直した。

 

 次に向かったのは、薬瓶を扱う店だった。

 小さな瓶、大きな瓶、口の細い瓶、丸い瓶、色のついた瓶。

 似たように見えるものが棚に並んでいるけれど、セラフィーンさんは一つ一つ手に取って、口の広さや蓋の締まり方を確かめていく。

 

「この瓶は口が少し狭いですね」

「この瓶とこっちの瓶、違うんですか?」

 

「違います」

「同じに見えます」

 

「こちらは少し口が広いので、薬湯を入れやすいです。こちらは粉薬向きですね」

「そんな違いが」

 

「ルキウスさんも、剣なら少しの重さの違いが気になりませんか?」

「あ、分かります」

 

「それと同じです」

「なるほど」

 

 そう言われると、一気に分かりやすくなった。

 道具には、それぞれ向いた使い方がある。

 剣でも、防具でも、薬瓶でも、それは同じなのだろう。

 清潔な布を買う店でも、セラフィーンさんは布の手触りを確かめ、織り目を見て、肌に当てた時の柔らかさを確認していた。

 

「治療に使う布は、肌に触れますから」

「そこまで見るんですね」

 

「痛い時に、布まで痛いと悲しいでしょう」

「確かに」

 

 僕は頷いた。

 痛い時に、布まで痛いと悲しい。

 そういう考え方を、僕はしたことがなかった。

 でも、言われてみればその通りだと思う。

 

 

 買い物の途中、市場の端で子どもが転んだ。

 大きな音ではなかった。

 けれど、泣き声はすぐに響いた。

 

 石畳につまずいたのか、小さな子どもが膝を押さえて座り込んでいて、近くにいた母親らしき人が慌てて駆け寄っている。

 セラフィーンさんは、迷わず歩み寄った。

 

「見せてください」

 

 声は穏やかだった。

 でも、動きは早かった。

 

 彼女は子どもの前に膝をつき、泣いている子どもの目線に合わせる。

 それから、膝の傷をそっと確認した。

 

 大きな怪我ではない。

 擦り傷だ。

 

 けれど、子どもにとっては十分痛いのだろう。

 涙がぽろぽろ落ちている。

 

「痛かったですね」

「う、うん……」

「泣いても大丈夫ですよ。痛い時は、痛いと言ってよいのです」

 

 その言葉に、僕はなぜか少しだけ動けなくなった。

 痛い時は、痛いと言っていい。

 当たり前のようで、僕にはあまり馴染みのない言葉だった。

 

 セラフィーンさんは小さく水の魔法を使い、傷口についた砂を洗い流した。

 淡い光が水に混じり、子どもの膝の赤みを少しだけ和らげていく。

 

 完全に治すほどではない。

 でも、痛みは引いたらしい。

 子どもの泣き声が少しずつ小さくなる。

 

「これは、薬ではありません」

 

 セラフィーンさんは、外套の内側から小さな蜂蜜飴を取り出した。

 

「ほんと?」

「はい。今日は特別です」

 

 子どもはまだ涙の残る顔で飴を受け取り、母親は何度も頭を下げた。

 セラフィーンさんはそれを丁寧に受け止め、子どもにもう一度だけ、走る時は足元を見てくださいね、と言って立ち上がった。

 僕は、少し遅れて歩き出す。

 

「痛い時は、痛いと言っていい。なんだか不思議な言葉ですね」

 

 市場の賑わいの中で、僕はぽつりと言った。

 セラフィーンさんは、こちらを急かさずに歩調を合わせる。

 

「そうですか?」

「僕、あんまり言ってこなかった気がします」

 

「我慢していたのですか?」

「我慢……というか、言う前に何とかなることが多かったというか」

 

「それは、何とかならなかった時に困りますね」

「確かに」

 

 僕が少し笑うと、セラフィーンさんも小さく笑った。

 

「痛いと言うのは、誰かに迷惑をかけることではありません。痛い場所を教えることです」

「教えること」

 

「はい。お腹が空いたと言えば、ご飯を用意できます。眠いと言えば、休む場所を探せます。痛いと言えば、傷を探せます」

「なるほど」

 

「ですから、痛い時は痛いと言ってください」

「でも、それで迷惑がかかるかもしれません」

 

 そういうといいんですよ、とセラフィ―ンさんは言う。

 

「それでいいんです。人に一切迷惑をかけないことなんて、不可能ですから。でも、だからこそ、人の迷惑も許してあげるんです」

 

 セラフィーンさんは、そう言ってまた歩き出した。

 大げさな説教ではない。

 ただ、当たり前のことを教えるみたいな言い方だった。

 だからこそ、変に胸に残った。

 

 

 買い物の最後に、僕たちは市場の端にある屋台で少し休むことになった。

 セラフィーンさんが選んだのは薬草茶で、僕が選んだのは甘い果実湯だった。

 屋台の簡易席に座ると、歩き回った足が少しだけ重いことに気づく。

 

 蜂蜜の瓶や小瓶や布を運ぶのは、討伐依頼とは違う。

 けれど、それはそれでちゃんと疲れるものらしい。

 

 セラフィーンさんは薬草茶を一口飲んだ。

 僕はその湯気の匂いを嗅いで、少しだけ眉を寄せる。

 

「薬草茶、苦そうですね」

「少し苦いです」

 

「蜂蜜、入れないんですか?」

「子どもたちの分ですから」

 

「セラフィーンさんの分は?」

「私は慣れています」

 

「でも、甘い方がおいしいですよ」

「……それは、そうですね」

「認めた」

 

 僕が言うと、セラフィーンさんは器を両手で包んだまま、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 その仕草が、少しだけ普通の人っぽくて、僕はまた笑ってしまった。

 

「ルキウスさんは、甘いものが好きなのですか?」

「好きです。森にいた頃は、母が果実を煮たものをたまに作ってくれて」

 

「お母様が」

「はい。すごく甘くて、すごく量が多かったです」

 

「量が多いのですか?」

「母は心配性なので。食べられる時に食べなさいって、山盛りにするんです」

 

「優しい方なのですね」

「はい。優しいです。ちょっと、かなり、ものすごく過保護ですけど」

 

「ものすごく」

「外に出るのも大変でした」

 

「では、今こうして街を歩いているのは、とても大きな冒険なのですね」

「そうかもしれません」

 

 言われてみれば、そうだった。

 ハンターになること。

 ギルドに登録すること。

 依頼を受けること。

 雪原へ行くこと。

 フレイヴィアさんとランク1のクエストに行くこと。

 セラフィーンさんと市場で蜂蜜を買うこと。

 どれも、家にいた頃の僕にはなかったことだ。

 

「セラフィーンさんは、甘いもの好きですか?」

「嫌いではありません」

「その言い方は、好きなやつですね」

「……ふふ。ばれましたか。実は、少しだけ」

 

 たぶん少しではない。

 でも、そこは追及しないことにした。

 

「では、次は甘いものにしましょう」

「次、ですか。ルキウスくんは、デートの約束を作るのが上手ですね」

 

 で!?と思わずたじろぐ。

 

「そ、そんなつもりじゃ、なかったんです!」

「ふふ。冗談ですよ。では、約束ですよ」

 

 そういってセラフィ―ンさんは椅子から腰を上げる。

 日も傾き始めた頃。

 帰りの街並みを眺めながらセラフィ―ンさんは僕を見た。

 

「ルキウスさんは、街に慣れましたか?」

「まだ全然です。でも、知ってる人は増えました」

 

「それは良いことです」

「はい。ギルドの人、宿の女将さん、アルナさん、フレイヴィアさん、セラフィーンさん」

 

「私は、知っている人に入れていただけるのですね」

「入りますよ。今、一緒に蜂蜜持ってますし」

「ふふ。そうですか」

 

 そう言って、セラフィーンさんは少しだけ楽しそうに飲みかけの薬草茶を口に含む。

 やっぱり少し苦そうだった。

 けれど、その表情も含めて、何だか穏やかな時間だった。

 

 

 買い物を終えて教会へ戻る頃には、籠の中は蜂蜜の瓶と小瓶と布でいっぱいになっていた。

 重くないと言えば嘘になる。

 けれど、運べない重さではない。

 それに、これが薬になるのだと思うと、不思議と嫌ではなかった。

 

「助かりました」

 

 教会の倉庫へ荷物を置くと、セラフィーンさんは丁寧に頭を下げた。

 

「いえ。これくらいなら」

「これくらいを、きちんとしてくださるのはありがたいです」

 

 そう言われると、少し照れくさい。

 僕は頬をかきかけて、フードの布に指が当たっただけで終わった。

 セラフィーンさんは棚から小さな包みを取り出す。

 淡い色の布に包まれた、小さな傷薬だった。

 

「これは、今日のお礼です」

「え、いいんですか?」

 

「はい。私からです」

「ありがとうございます。でも、使わない方がいいんですよね」

 

「はい。使わずに済むなら、それが一番です」

「じゃあ、大事に使わないようにします」

「はい。それが一番です」

 

 僕は傷薬を素材袋の奥へしまった。

 できれば使わない。

 それが一番。

 

 少し前の僕なら、傷薬をもらったら心強いと思っただけだったかもしれない。

 でも今は、使わないで済ませたいと思う。

 そう思えること自体が、少しだけ変化なのかもしれなかった。

 教会を出る前、セラフィーンさんが僕を呼び止めた。

 

「ルキウスさん」

「はい」

 

「次に教会へ来る時も、できれば治療以外でも是非来てくださいね」

「納品とか、荷物持ちとか?」

 

「はい。あるいは、ただのお茶でも」

「分かりましたでは、時間あるときに是非」

「はいー。それでは、今日はとても助かりましたー」

 

 セラフィーンさんは静かに微笑んだ。

 その笑顔に見送られて、僕は教会を出た。

 

 

 ギルドへ戻ると、アルナさんは依頼書の納品印を確認して、問題なく完了処理をしてくれた。

 

「ランク2初依頼、完了ですね」

「はい」

「良い出だしです」

「ありがとうございます!」

 

 アルナさんは依頼完了の印を押し、書類を整えた。

 その手元を見ながら、僕は素材袋の奥にしまった傷薬の重さを少しだけ意識する。

 

「教会の方はどうでしたか?」

「納品して、買い物の荷物持ちをしてきました」

「荷物持ち」

「蜂蜜と小瓶と布です」

 

「なるほど。教会らしいですね」

「聖女様も蜂蜜の値段を覚えるらしいです」

「それは覚えますよ」

「アルナさんも普通に受け入れるんですね」

「教会もギルドも、帳簿と在庫からは逃げられませんから」

「急に現実的」

 

 アルナさんは少し笑いながら、書類を受付の奥へしまった。

 ランク2になって最初に受けた依頼は、派手な討伐ではなかった。

 清水草を採って、教会へ届けて、セラフィーンさんと市場を歩いて、蜂蜜と小瓶と布を運ぶ依頼になった。

 

 剣は抜かなかった。

 モンスターとも戦わなかった。

 

 けれど、蜂蜜の瓶は意外と重くて、小瓶には用途ごとの違いがあって、聖女様も買い物をするし、苦いお茶より甘いお茶の方が好きらしい。

 そういうことを知った一日だった。

 ハンターの仕事というものは、たぶん僕が思っていたよりずっと、街の中の誰かの暮らしに繋がっている。

 

 そう思いながら、僕は素材袋の奥にしまった小さな傷薬の重さを、少しだけ確かめた。

 その時、少し離れたテーブルに座っていたハンターたちの声が、ふと耳に入った。

 

「……北の方で見たって話、本当か?」

「ああ。雪原の奥だろ。足跡だけじゃねぇ、実物を遠目に見た奴がいるらしい」

「大型か?」

「たぶんな。しかも、浅い方へ降りてきてるって話もある」

 

 雪原。

 大型。

 その二つの言葉に、僕は思わず顔を上げた。

 

 昨日、昇級試験で見た大きな足跡が頭をよぎる。

 古いが、浅い。

 フレイヴィアさんはそう言っていた。

 

「アルナさん」

「はい」

「今の話って、昨日の雪原の足跡と関係ありますか?」

 

 僕が尋ねると、アルナさんは依頼書を片づける手を一度だけ止めた。

 それから、声を少し落とす。

 

「まだ、はっきりしたことは分かっていません」

「分かっていない」

「はい。北の雪原地帯で、大型モンスターらしき目撃報告が出ているのは事実です。ただ、種の特定も、移動経路も、まだ確定していません」

「浅い区域まで来てるっていうのは」

「可能性の話です」

 

 アルナさんはそう言ったけれど、その表情はあまり軽くなかった。

 

「ルキウスさんは、今は近づかないでください」

「はい」

「これはお願いではなく、受付としての指示です」

「……はい」

 

 アルナさんの声がいつもより真面目だったので、僕は素直に頷いた。

 雪原の北。

 大型モンスター。

 まだ見たことのない何かが、白い世界の奥から不穏の影をゆっくりと、しかし確かにのばしはじめていた。

 

 ◆

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、ランク2になったルキウスの最初の依頼でした。
セラフィ―ンさん、可愛いですねぇ。自分が可愛いことを自覚している女の子は私も大好きです。
次回は、ルキウスが借金を返しに行きます。

追記。
 感想・評価をくれている読者様、本当にありがとうございます。
 おかげさまでランキングにまで乗せていただいて……っ;;。
 物語はルキウスの進むままに展開してしまいますが、文章の方はいつも読んでくださる読者様にできる限り読みやすく、楽しんで頂けるよう努力していきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

うすほそな幼なじみを口説き落とすRTA(作者:アホ面オムライス)(オリジナル現代/恋愛)

五歳の春、黒瀬湊は砂場の隅で膝を抱える少女を見て「放っておいたら死ぬ」と直感した。以来十二年、彼は彼女を幸せにするための「最短ルート」を走り続ける。これは善意100%のRTAが、いつしか彼女を誰よりも重く育てていく物語。▼高評価だけ忘れずにポチッとよろしくお願いします!!▼※カクヨム・なろうでも公開中▼https://kakuyomu.jp/works/29…


総合評価:694/評価:7.82/完結:6話/更新日時:2026年07月09日(木) 19:18 小説情報

スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら(作者:石田フビト)(オリジナル現代/冒険・バトル)

迷宮という存在が当たり前となった現代社会で、冒険者になろうとしている青年がいた。▼何か高尚な理由があったわけではない。▼ただ生きるためには、母を楽にさせるためには金が必要だった。▼されど一攫千金も莫大な名誉も求めずに。▼永遠と続く薬代を稼ぐことだけを希望として。▼その青年は一人、迷宮へと足を踏み入れる。▼……はずが、何故か個性的な女性達と関わり合い、彼自身も…


総合評価:1986/評価:8/連載:39話/更新日時:2026年07月10日(金) 20:15 小説情報

魔法少女世界で俺のエンカテーブルがクール系に偏り過ぎてるんだが(作者:TSから逃げるなぁぁ!!卑怯者おぉ!!)(オリジナル現代/冒険・バトル)

「大変だお前ら!魔物が現れ」「私には関係無い。」「騒ぎ立てる程の事ではないわ」「私が出る必要が無い…」「…………」「貴様に言われずとも分かっている!」「たぞああぁあああぁああッんああああぁあぁああ」


総合評価:1196/評価:7.71/連載:8話/更新日時:2026年06月16日(火) 19:00 小説情報

数多の世界のヤンデレ親友とのバッドエンドを見届けた俺、全ての記憶を引き継いでもう一週……え?!バッドエンドの方の親友達も記憶引き継いでるんですか?!  (作者:ハンノーナシ)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

▼とある男、ライア・リーベルには愛する親友達が居た。▼個性的で、才能があって。▼そんな親友に囲まれた幸せな人生は、大人になるにつれ転機を迎える。▼親友達との才能の差、立場の差。▼そんな物がライアと、親友達さえ苦しめる。▼そんな些細な事から始まり、終わった『バッドエンド』達。▼ライアは過去に戻り、親友達を救う……。▼「えっ、別々の世界が過去に逆流した事によって…


総合評価:629/評価:7.75/連載:11話/更新日時:2026年05月31日(日) 20:49 小説情報

救えなかったら時が戻る人、やり遂げたら何故か周りが病み始める。(作者:ゲーミング千手観音)(オリジナル現代/日常)

▼ 普通に日常を過ごしていただけなのに、何故か突然「その日毎に救助対象が変わって、しかも助けられずに死なせてしまうと一日の最初に戻る」という状態に陥ってしまう主人公。▼ 絶望して、心を壊しながらも一年間やり遂げた主人公はその呪いから開放される。▼ ────そしたらなんか今まで助けた人全員病んだ。なんで?▼ そう言ったお話。▼ 尚、助けられた人達は呪いが無くな…


総合評価:639/評価:8.18/連載:6話/更新日時:2026年07月09日(木) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>