駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
~前回までのあらすじ~
前回はセラフィ―ンさんと二人で町を回っていたルキウス。
今回はようやくお金がたまったのであの時の借りを返しに行くそうです。
◆
港側の運送区は、朝から声と音で満ちていた。たちが行き先を確認しながら木箱を積み込んでいる。
縄を締める音。石畳を軋ませる車輪に、騎獣ケルンの低い鳴き声……そこへ魚と香辛料、潮に濡れた木箱の匂いまで混じり、ギルドとは違う騒がしさが押し寄せてきた。
「……懐かしいな」
この街へ来て、まだそれほど長いわけではない。
それでも、この匂いを吸い込むと、随分と昔のことのように感じられた。
あの日、僕はガルドさんの荷台に乗せてもらい、エルドランまでやって来た。
門の前で通行料が必要だと知り、財布を探して――そもそも、一ソルも持っていないことに気づいた。
結局、ガルドさんに百ソルを借りた。
それからギルドへ登録し、初依頼では血と泥にまみれた。
剥ぎ取りを学び、教会で治療され、装備を買い、雪原で昇級試験を受けた。
そして今、僕はランク2になっている。
何かが劇的に変わったわけではない。
強くなった実感だって、まだほとんどなかった。
けれど――素材袋の奥には、少しずつ貯めた百ソルが入っている。
今日の目的は、依頼ではない。
「借りたものを、返さないと」
荷車の間を抜け、運送区の奥へ進む。
木箱を運ぶ人の邪魔にならないよう端へ寄り、縄を束ねていた運送人へ軽く頭を下げる。
犬耳や獣人族の耳が忙しなく動く中、やがて見覚えのある大きな背中が見えた。
大きな荷台の脇で、ケルンの首元を撫でながら荷物の固定を確かめている。
頭の上にある犬耳はぴんと立ち、声を掛ける前からどこか明るかった。
「ガルドさん!」
僕が呼ぶと、その犬耳がぴくりと動いた。
振り返ったガルドさんは、最初こそ誰だという顔をしたものの――すぐに目を見開き、豪快に笑った。
「おう? ……おお! あの時のフード坊主じゃねぇか!」
「ルキウスです!」
「覚えてる覚えてる。英雄志望の坊主だろ」
「そこまで覚えているんですか」
「濃かったからなぁ」
ガルドさんは荷台から離れ、僕の肩を軽く叩く。
「門の前で通行料も払えねぇって顔してたくせに、英雄になりたいとか言ってたやつだ。忘れる方が難しいだろ」
「言い方」
間違ってはいない。
いないけれど、もう少し格好よく覚えていてほしかった。
ガルドさんは笑いながら、僕の装備を上から下まで眺める。
腕当てに厚手の手袋。胸と脇腹を守る革帯に、新しくした素材袋……買ったばかりの頃より少しだけ傷の増えた装備を見て、眉を上げた。
「お、ちょっとハンターらしくなったじゃねぇか」
「本当ですか!」
「ああ。前は森からそのまま出てきた迷子って感じだったからな」
「そこまででした?」
「そこまでだった」
「否定が早い」
きっぱり言われた。
でも、あながち否定もできない。
あの時の僕は通行料すら知らず、ギルドの場所も、宿の取り方も分からなかった。
胸の中にあったのは、ハンターになりたいという憧れだけ。
ほとんど何も知らないまま、エルドランまで来たのだ。
「ギルドには登録できたのか?」
「はい。ランク2になりました」
「早ぇな!?」
ガルドさんの犬耳が、勢いよく立った。
「早いんですか?」
「少なくとも、俺が思ってたよりは早ぇ。お前、最初は通行料も知らなかったんだぞ」
「そこを基準にされると、一生初心者な気がします」
「初心は大事ってやつだ」
「便利にまとめましたね」
ガルドさんが、また声を上げて笑う。
その笑い方が、あの日と少しも変わっていなかった。
エルドランへ来てから、いろいろなことがあったけれど――ガルドさんは変わらず、明るく、豪快で、少しだけ僕をからかうように笑っている。
それが、なんだか嬉しかった。
「それで、今日はどうした? 荷運びの仕事か。それとも、ケルンに乗りたくなったか?」
「今日は、これを返しに来ました」
素材袋へ手を入れ、奥にしまっていた革袋を取り出す。
何度も数え直した。
きちんと、百ソル入っている。
僕はそれを、両手でガルドさんへ差し出した。
「通行料の百ソルです。貸してくれたので」
「…………」
ガルドさんは、すぐには受け取らなかった。
僕の手元へ視線を落とし、次にフードの奥を覗き込むように顔を見る。
周囲では荷車が動き、運送人たちが声を掛け合っているのに――その一瞬だけ、僕たちの間から音が遠ざかった気がした。
「律儀だな、お前」
「借りたものなので」
「別に、急がなくてもよかったんだぞ」
「でも、早く返したかったんです」
あの日、ガルドさんが百ソルを貸してくれなければ、僕はエルドランの門をくぐることすらできなかった。
ハンターにもなれず。
アルナさんや、セラフィーンさん、フレイヴィアさんとも出会わなかった。
たった百ソル。
けれど、僕にとっては――始まりへ進むために必要な百ソルだった。
ガルドさんは少し困ったように笑う。
もしかすると、返ってくることを期待していなかったのかもしれない。
あるいは最初から、返しても返さなくても構わないくらいのつもりで貸してくれたのだろう。
それでも、しばらく僕を見つめたあと、革袋を受け取った。
「じゃあ、受け取っとく」
「はい」
「ただし、これは返済ってより――お前が自分の足でここまで来た証拠として受け取る」
「証拠?」
「そうだ」
ガルドさんは革袋を、軽く持ち上げる。
「門の前で金がなくて困ってた坊主が、自分で依頼を受けて、稼いで、貯めて、返しに来た。大したもんだ」
「…………」
革袋を渡した手のひらが、少しだけ熱くなる。
褒められたのだと思う。
真正面から言われると、どうにも落ち着かない。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは、こっちかもしれねぇけどな」
ガルドさんは革袋を腰の鞄へしまい、満足そうに笑った。
「こういうのは、受け取る方も気分がいい」
胸の中に残っていた小さな引っかかりが、すっと軽くなる。
返せた。
ようやく――エルドランへ入るために作った、最初の借りを返すことができた。
「で、飯は食ったか?」
「朝は食べました」
「財布は?」
「寂しくなりました」
「だろうな!」
ガルドさんが大笑いし、僕の背中をばしんと叩いた。
「うわっ」
勢いで少し前へつんのめる。
わりと痛い。
けれど、悪い痛さではなかった。
そばにいたケルンが、何をしているのだろうという顔でこちらを見る。
「百ソル返した直後の坊主から、飯代まで奪うほど俺は冷たくねぇよ。来い。ランク2祝いだ」
「でも、それだとまた借りが」
「これは祝いだ。借りじゃねぇ」
「……では、ありがたく」
「素直でよろしい」
ガルドさんは、荷台とケルンを同僚らしい運送人へ任せる。
そうして僕の肩へ腕を回すと、そのまま港市場へ向かって歩き出した。
◆
連れていかれたのは、エルドランへ来た日に匂いだけで負けそうになった屋台だった。
炭火の上では、細長い魚が何匹も焼かれている。
銀色の皮へ脂が浮かび、時折ぱちりと音を立てるたびに、香ばしい煙が市場の風へ流れていった。
リーヴァウォ。
鱗魚種の一種で、細長い身体に銀色の鱗を持つ魚型モンスター。
焼けば皮がぱりりと反り、脂の強い香りが立つらしい。
あの日は、食べていくかと聞かれても買えなかった。
所持金が、一ソルもなかったからだ。
「おう、ガルド。いつものかい?」
狐耳の店主が、焼き網の向こうから声を掛けてくる。
「今日は二つだ」
「珍しいな。後ろのフードの子は?」
「俺の知り合いだ。門前借金返済記念」
「何だそりゃ」
「俺にもよく分からん」
「僕にもよく分かりません」
店主は笑いながら、焼き上がったリーヴァウォを一本ずつ串へ刺した。
差し出された魚から、白い湯気が立っている。
香ばしい匂いが、ものすごい。
あの日、匂いだけを嗅ぎながら通り過ぎたものが――今は、自分の手の中にある。
「これ、エルドランへ来た日に見たものです」
「食えなかったのか?」
「所持金がなくて」
「そりゃそうだ。俺が貸した百ソルも、通行料で消えたからな」
「はい」
「なら、今日は食っとけ」
串を受け取り、熱を冷ますように息を吹きかける。
それから、魚の腹へかじりついた。
「――っ」
皮が、ぱりりと割れた。
中から熱い身がほろりと崩れ、塩気と脂、それに僅かな香草の香りが口いっぱいへ広がる。
熱い。
けれど、飲み込むのを待てないくらい美味しい。
「うまいです」
「だろ?」
「はい。あの日、食べられなかったので……余計にうまいです」
「そういう飯はな、大体うまい」
ガルドさんは、リーヴァウォへ豪快にかじりつく。
僕も、もう一口食べた。
財布は軽くなった。
素材袋の奥から、百ソル分の重みも消えた。
それでも手の中にある魚は温かく、胸の内側まで少しずつ満たしてくれるようだった。
「で、英雄への道は順調か?」
リーヴァウォを食べながら、ガルドさんが尋ねてきた。
僕はすぐには答えず、港を行き交う人たちへ目を向ける。
荷物を抱えて走る運送人。
店先で値段を交渉する人。
船から魚を下ろす人に、空になった木箱を回収する人。
「順調……かは、分かりません。でも、ランク2にはなりました」
「十分だろ」
「でも、戦ってばかりではないんです」
串を持ったまま、指を折っていく。
「薬草を採ったり、スノウラビを捕まえたり。ギルドで素材を整理したり、荷物を運んだり」
「アルヴィスだって、最初から竜を斬ってたわけじゃねぇだろ」
「それは、そうですけど」
物語では、どうしても派手な部分が目立つ。
強大な敵。
危険な冒険。
誰かを救い、皆から称えられる英雄。
薬草を摘んだ日や、荷物を運んだ日は、何行かで終わってしまうかもしれない。
ガルドさんは食べ終えた串を、屋台の脇にある籠へ放り込む。
「英雄譚ってのは、最後の派手なところばっかり覚えられがちだがな」
港の騒がしさの中でも、その声は不思議とよく聞こえた。
「そこまで行くための飯や道、荷物なんかがなきゃ、旅は続かねぇんだよ」
「飯と、道と、荷物」
「そうだ。腹が減りゃ歩けねぇ。道を間違えりゃ目的地へ着かねぇ。荷物がなきゃ、野宿だってできねぇ」
ガルドさんは空になった手を、軽く広げる。
「綺麗な剣だけ持ってりゃ、旅ができるってもんじゃねぇだろ」
「……確かに」
「だから薬草採りも、荷物持ちも、飯を食うことも、全部ちゃんと先へ続いてる。派手じゃねぇだけだ」
手の中のリーヴァウォを見る。
港の屋台で食べる魚。
ギルドで受けた採取依頼。
教会へ運んだ蜂蜜。
フレイヴィアさんと捕まえたスノウラビ。
どれも物語の見せ場にはならないかもしれない。
それでも、少しずつ先へ続いている。
「ガルドさんって、たまにすごくいいことを言いますよね」
「たまにって何だ、たまにって」
「いつもは、お兄さん呼びの圧が強いので」
「そこは大事だろ」
「大事なんですね」
「大事だ。俺はまだ、お兄さんだ」
「はい、ガルドさん」
「今、お兄さんって言わなかったな?」
「気のせいです」
「お前、成長したな。悪い方向に」
ガルドさんが笑う。
僕も笑った。
あの日と同じような。
でも、ほんの少しだけ違う会話だった。
◆
リーヴァウォを食べ終えたあと、ガルドさんは少しだけ声を落とした。
「そういや、雪原の方がきな臭いらしいな」
その言葉に、手にしていた串の先が下がる。
「北で目撃された、大型モンスターの話ですか?」
「耳が早いな」
「ギルドで噂を聞きました。それから、昇級試験で雪原へ行った時、大きな足跡を見ました」
「お前、雪原へ行ったのか?」
「浅い区域だけです。フレイヴィアさんが、試験官でした」
「フレイヴィア様が?」
ガルドさんの犬耳が、勢いよく立った。
「はい」
「……お前、妙な縁を拾うのがうまいな」
「自覚はあまりありません」
「そこがまた怖ぇんだよ」
ガルドさんは小さく息を吐き、港の北側へ顔を向ける。
先ほどまでの明るい表情とは違う。
道と荷の流れを見ている、運送人の顔だった。
「雪原北部へ向かう荷が、少し止まってる」
「荷が?」
「ああ。正式な通行止めってわけじゃねぇが、北側の中継小屋へ行く便が減ってる」
倉庫の間を抜ける風が、僕のフードを揺らす。
「ケルンが、雪原方面の匂いを嫌がるって話もある。運送人の間じゃ、大型が浅い場所まで降りてきてるんじゃねぇかって噂も出てる」
「ケルンも嫌がるんですか」
「獣の勘は馬鹿にできねぇぞ。俺たちより先に、変な匂いや気配へ気づくことがある」
雪原で見つけた、大きな足跡が頭へ浮かぶ。
古い。
けれど、浅い。
あの時は、今はいないとフレイヴィアさんに言われて安心した。
でも、運送人の荷が止まり始めている。
騎獣まで何かを嫌がっている。
一つの足跡だけではなかったのかもしれない。
白い雪の下で、僕の知らない何かが少しずつ動き始めている。
「お前は近づくなよ」
「アルナさんにも言われました」
「なら、二重に言われたな。近づくな」
「はい」
頷く。
今の僕では、ランク3相当の大型モンスターを相手にできない。
それは分かっている。
怖い。
それも間違いなかった。
けれど――気になってしまう。
雪原の北。
浅い場所へ残された、大きな足跡。
遠くから大型を見たという誰か。
それを嫌がるケルン。
それらの言葉が、頭の中で冷たい風のように渦巻いていた。
「英雄譚なら、ここで主人公が雪原へ突っ込むんだろうがな」
ガルドさんの声に、苦笑が漏れる。
「そうですね」
「現実なら、そういうやつから凍るか食われる」
「うっ」
「だから、お前はちゃんと準備して――行けるようになってから行け」
「行けるようになってから」
「そうだ。夢があるなら、急ぐな」
ガルドさんが、僕の肩へ手を置く。
「死んだら、続きは読めねぇ」
妙にガルドさんらしい言い方だった。
けれど、その言葉はまっすぐ胸へ落ちた。
死んだら、続きは読めない。
英雄譚の主人公なら、危険な噂を聞いた瞬間に走り出すのかもしれない。
けれど僕は、まだランク2になったばかりだ。
北の雪原へ踏み込めるほど強くない。
大型モンスターを倒す力もなければ、誰かを救える力だってない。
今は――まだ。
「分かりました。近づきません」
「よし」
「今は」
「…………」
ガルドさんが、少しだけ目を細める。
それから、困ったように笑った。
「そういうところが、英雄志望っぽいんだよなぁ」
「駄目ですか?」
「駄目じゃねぇよ」
置かれていた手が、僕の肩を軽く叩く。
「ただ、ちゃんと生きてそこまで行け」
「はい」
ちゃんと生きて、そこまで行く。
簡単なようで――きっと、それが一番難しい。
◆
ガルドさんが仕事へ戻る時間になり、僕たちは運送区へ引き返した。
歩きながら、ガルドさんはケルンや荷運びについて、いくつか教えてくれた。
港のどの道が混みやすいのか。
どの時間に市場を通ると、焼いた魚の匂いで腹が減るのか。
ケルンに嫌われる乗り方や、荷車を傾けない荷物の置き方。
実用的な話なのか、ただの雑談なのか分からないものも多かったけれど――聞いていて楽しかった。
荷台の前へ戻ると、ガルドさんはケルンの首元を軽く撫でた。
ケルンは低く鳴き、僕をちらりと見る。
嫌われてはいない。
そう思いたい。
「また困ったら来い」
「またお金を借りるのは、ちょっと」
「金じゃなくてもいいだろ。道や荷運び、ケルンの乗り方なんかも教えられる」
「ケルンの乗り方」
「そのうち覚えておくと便利だぞ」
「では、いつか教えてください」
「おう。安くしといてやる」
「無料ではないんですね」
「商売だからな」
「現実的だ」
「飯もケルンも、ただじゃ動かねぇんだよ」
ガルドさんは、もう一度ケルンの首を軽く叩く。
鼻を鳴らしたケルンが身じろぎし、荷台の縄を揺らした。
倉庫の間を港の風が抜け、魚と木箱、それから獣の匂いを運んでいく。
「ガルドさん」
「ん?」
「あの時は、ありがとうございました」
改めて、頭を下げる。
「だから、百ソルは返しただろ」
「それでもです」
お金を貸してくれたことだけではない。
エルドランまで連れてきてくれた。
門の前で困っている僕を見捨てず、ギルドや宿のことまで教えてくれた。
それがなければ、今の僕はいない。
「ありがとうございました」
ガルドさんは少しだけ目を丸くし、照れくさそうに頭をかいた。
犬耳も、居心地悪そうに小さく揺れている。
さっきまで豪快に笑っていた人が、こういう時だけ困った顔をするのが少しおかしかった。
「……おう。いいから、ちゃんと生きて英雄になれよ、坊主」
「はい!」
「あと、お兄さんな」
「はい、ガルドさん」
「おい」
最後に、もう一度笑い合う。
そうして僕は、朝から騒がしい運送区をあとにした。
財布は軽くなった。
けれど、不思議と足取りは重くない。
借りを返した。
ランク2になったことを報告できた。
そして、エルドランへ来た日に食べられなかったリーヴァウォを、今日はちゃんと食べることができた。
少しずつだ。
本当に、少しずつ。
門の前で通行料も払えなかった僕は、依頼を受け、報酬をもらい――借りた百ソルを返せるくらいにはなった。
ただ。
雪原の北にいるという大型モンスターの噂だけは、帰り道のどこかで、ずっと胸の奥に残っていた。
近づくな。
アルナさんにも、ガルドさんにも、そう言われた。
だから、今は近づかない。
――今は、まだ。
この時の僕は、確かにそう思っていた。
◆
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。
少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ぜひよろしくお願いいたします