駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第一章「英雄に憧れた少年」
第一章 第一話『少年は夢を口にする』


 

 ◆

 

 からからと車輪が回り、土の道に落ちていた小石を弾く。

 木々の隙間から差し込む陽射しが、流れていく景色と一緒に荷台の上を横切っていた。

 

 荷車を引いているのは、ケルンという四本脚の騎獣だ。

 太い脚が地面を蹴るたび、荷台へ積まれた木箱が小さく跳ねる。

 

 僕はそのうちの一つへ背中を預け、見たことのない森を眺めていた。

 

 生えている木も、道端に咲く花も、僕が暮らしていた山とは少しずつ違う。

 同じ森の中にいるはずなのに、車輪が回るたび、知っている世界から遠ざかっていくようだった。

 

 やがて荷車が大きな石を踏んだ。

 

「うわっ」

 

 荷台が跳ね、身体が僅かに浮く。

 慌てて縁へ掴まると、手綱を握っていた男が肩越しに振り返った。

 

「おぉ、悪いな。ここらは道が整ってなくてよ」

「いえ。乗せてもらっているだけで、十分ありがたいです」

「がっはっは! そう言ってくれると、こっちも気が楽だ」

 

 豪快な笑い声と一緒に、男の頭にある茶色い犬耳が揺れた。

 

 日に焼けた大きな身体。

 革の上着から覗く腕には、細かな傷がいくつも刻まれている。

 

 森を出て街道らしき道へ辿り着いたところで、偶然通りかかった人だ。

 一人で歩いていた僕を見るなり荷車を止め、エルドランまで乗せてくれることになった。

 

 少なくとも、悪い人ではないと思う。

 たぶん。

 

「そういや、まだ名乗ってなかったな」

 

 男は前を向いたまま、片手を軽く上げた。

 

「俺はガルドだ。ガルド・ヴァラン」

「僕はルキウスです」

「おう。よろしくな、ルキウス」

 

 名前を呼ばれ、少しだけ背筋を伸ばす。

 

「よろしくお願いします、ガルドさん」

 

 僕が頭を下げると、ガルドさんの犬耳が満足そうに動いた。

 

「しかし、坊主」

 

 ガルドさんは前方へ顔を戻しながら、片方の耳だけをこちらへ向ける。

 

「お前さん、どうしてあんなところにいたんだ?」

「あんなところ?」

「あの山の奥だよ。近くに集落もねぇし、街道からも外れてる」

 

 ガルドさんは再び振り返り、僕の外套と小さな荷物を順番に眺めた。

 最後に、顔を覆うように深く被ったフードへ視線を止める。

 

「見たところ、旅には慣れてねぇ。それに――素性を隠して、ガキが一人旅だなんて随分穏やかじゃねぇな」

「ガキではありません。十七です」

「俺から見りゃ、十分ガキだ」

 

 片方の眉が持ち上がる。

 年齢については、譲るつもりがないらしい。

 

「そういうものですか?」

「そういうもんだ」

 

 大人は時々、何の説明にもなっていない言葉を自信満々に使う。

 

「家を出たところだったんです」

「あの山に家があるのか?」

「はい」

 

 ガルドさんの犬耳が、確かめるようにこちらへ向く。

 

「一人で暮らしてたわけじゃねぇよな?」

「まさか。母と暮らしていました」

 

 答えた途端、家を出る直前のことを思い出した。

 

『やっぱり、お母さんは反対です! あと百年くらい一緒に暮らしましょう、ルキ君!』

『百年も経ったら、僕は死んでるよ』

『いやぁぁぁ、どうしてそんなこと言うのぉぉぉ。死ぬなんて言わないでぇぇぇ!』

 

 そう叫んだ母に抱き締められ、危うく旅立つ前に骨を折られるところだった。

 

 泣きながらも最後には送り出してくれたけれど、僕が何度振り返っても、母は同じ場所で手を振っていた。

 

 今でも少し、胸の奥が痛む。

 

 いつか仕事で稼げるようになったら、母の好きな酒を持って帰ろう。

 百年分は無理でも、一晩くらいは機嫌を直してもらえるはずだ。

 

「随分と心配されてたみてぇだな」

「少しだけです」

「今の話のどこが少しなんだよ」

 

 ガルドさんが呆れたように笑う。

 それから、こちらへ向けていた犬耳が僅かに動いた。

 

「そもそも、どうして素性を隠してるんだ、坊主は」

 

 視線が、僕のフードへ落ちる。

 右手の指は無意識に、布の端を掴んでいた。

 

『フードは、人前では絶対に外したら駄目ですよ』

 

 家を出る前。

 母は泣きながらも、この約束だけは何度も念を押してきた。

 

『街には、いろいろな人がいます。優しい人も、悪い人も。ルキ君がどんな人なのか、簡単に知られてはいけません』

 

 理由を尋ねても、母は困ったように笑うだけだった。

 

『いつか、きちんと説明します。だから今は、お母さんの言うことを聞いてください』

 

 その「いつか」がいつなのかは、まだ教えてもらっていない。

 

「母に言われたんです。人前では、絶対に外すなと」

「理由は?」

「分かりません」

 

 返事を聞いたガルドさんが、訝しそうに目を細めた。

 

「分からねぇまま被ってんのか?」

「母が、意味のないことを言うとは思えませんから」

 

 ガルドさんはしばらく黙っていた。

 

 車輪が土を踏み、一定の音を刻んでいく。

 やがて彼は、それ以上フードについて尋ねることなく、前へ向き直った。

 

「まあ、外したくねぇなら無理にとは言わん」

「いいんですか?」

「人には、言えねぇ事情の一つや二つあるもんだ」

 

 深く聞かれなかったことへ、少しだけ安堵する。

 

「ただし」

「はい」

「顔を隠すなら、その分だけ言葉と行動には気をつけろよ」

 

 ガルドさんは片手を手綱から離し、自分の目元を指で示した。

 

「どういうことですか?」

「顔が見えねぇ奴は、それだけで警戒される。お前さんに悪気がなくても、相手には分からねぇ」

 

 指を下ろし、再び手綱を握る。

 

「だから、挨拶はちゃんとする。聞かれたことには答える。怪しい動きはしねぇ」

「分かりました」

「分からねぇことを、分かったふりもしねぇ」

 

 念を押すように、片方の犬耳がこちらへ向いた。

 僕は頷きかけて、ふと疑問に思う。

 

「それなら、どうしてガルドさんは僕を拾ってくれたんですか?」

 

 ガルドさんはすぐには答えなかった。

 前を向いたまま手綱を軽く引き、道へ張り出していた枝を避けるようにケルンの進路をずらす。

 

「さぁな。別に、大した意味はねぇよ」

「大した意味はないんですか?」

「フードを被ったガキが、あんなところを一人で歩いてりゃ、そりゃ心配にもなるだろ」

 

 当たり前のことのように言われた。

 

 顔も素性も分からない相手を荷台へ乗せる方が、よほど心配ではないだろうか。

 そう思いながら背中を見ていると、こちらの疑問を察したのか、犬耳が小さく動く。

 

「それに、俺は見る目があるからな」

「見る目?」

「ああ。坊主が悪い奴じゃなさそうだってことくらい、だいたい分かってた」

「フードを被っているのに?」

 

 ガルドさんは肩越しに振り返った。

 日に焼けた顔には、根拠の欠片も見当たらないほど自信に満ちた笑みが浮かんでいる。

 

「フードを被っているのに、だ」

 

 自信満々に言い切り、すぐに前へ向き直った。

 

 そういうものなのだろうか。

 

 僕には獣人族の感覚や特性について、ほとんど知識がない。

 もしかすると犬系の獣人族には、顔を見なくても相手の人柄を見抜く力があるのかもしれない。

 

 ここまで言い切るのなら、たぶんそうなのだろう。

 

「すごいんですね、獣人族は」

「ん?」

 

 ガルドさんが僅かに首を傾げる。

 

「何でもありません」

 

 違う可能性が少しだけ頭をよぎったけれど、ひとまず深く考えないことにした。

 

「それで?」

 

 ガルドさんが話を戻すように、手綱を持ち直す。

 

「そこまで心配してくれる母親を残して、どうして一人で家を出たんだ」

「え?」

「親子喧嘩じゃねぇんだろ?」

 

 僕は反射的に木箱から身体を起こした。

 

「違います!」

「なら、やりたいことでもあるのか?」

 

 ガルドさんが肩越しにこちらを見る。

 犬耳の下で、口元が意地悪そうに持ち上がっていた。

 

「フードで顔を隠しても、そういうのは隠せてねぇぞ」

「何がですか?」

「何かを始めたくて、仕方ねぇって顔だ」

 

 言いながら、楽しそうに片方の耳を揺らす。

 

「顔は見えていないはずですが」

「雰囲気で分かる」

「また、それですか」

 

 ガルドさんは悪びれることなく肩を竦めた。

 

「便利だろ?」

「便利なのは、ガルドさんだけだと思います」

 

 それに、先ほどは顔を見なくても人柄が分かると言っていた。

 もはやフードを被っている意味が、ガルドさんの前ではほとんどない。

 

「言いたくねぇなら、無理に聞きゃしねぇよ」

「言いたくないわけでは……」

「なら、聞かせてくれよ」

 

 ガルドさんは再び前を向いた。

 それでも、片方の犬耳はこちらへ向いたままだった。

 

「森の奥で暮らしてた坊主が、外へ出ようと思った理由をよ」

 

 荷台の下で車輪が石を弾いた。

 からん、と乾いた音が森の奥へ転がっていく。

 

 膝の上に置いていた手を握る。

 

「……笑いませんか?」

「あん?」

「笑わないって、約束できますか?」

 

 ガルドさんは一度だけ目を瞬かせたあと、前を向いたまま笑った。

 

「俺は男の夢を笑うような男に見えるか?」

「少し見えます」

「ひでぇな」

 

 僕が黙って見つめていると、ガルドさんは居心地悪そうに後頭部を掻いた。

 

「さっきから、ずっと面白そうにしているので」

「そりゃ、お前さんの反応が面白いからだ」

 

 やっぱり、笑われる気がする。

 

 自分でも、身の丈に合わない夢だと分かっていた。

 それでも、ここまで聞かれて黙っている方が恥ずかしい。

 

 息を吸う。

 湿った森の匂いが、胸の奥へ入ってきた。

 

「僕は……なりたいんです」

「あん? 聞こえねぇぞ」

「だから、その……」

 

 言葉が喉へ引っかかり、上手く外へ出てこない。

 

「おいおい」

 

 ガルドさんが耳へ手を添え、わざとらしくこちらへ身体を傾ける。

 

「お前さんの夢は、そんな小せぇ声でしか言えねぇもんなのか?」

 

 煽られている。

 それくらいは僕にも分かった。

 

 けれど、胸の奥に抱えてきた言葉が、声と一緒に押し上がってくる。

 

 顔を上げる。

 フードの奥から、ガルドさんの大きな背中を真っすぐに見た。

 

 

 

「英雄になりたいんです!」

 

 

 

 声が森へ響いた。

 

 近くの枝に止まっていた鳥が、驚いたように飛び立つ。

 羽音が遠ざかり、一瞬だけ静けさが戻った。

 

 その直後。

 

 

 

「がっはっはっはっはっは!」

 

 

 

 僕の声よりも大きな笑い声が、森の中へ広がった。

 

「ひ、酷い!笑わないって言ったじゃないですか!」

 

 きっと、僕の顔は赤面しているに違いない。

 そんな僕のことなんてお構いなしに、ガルドさんは未だ笑い続けながら僕を見た。

 

「悪い悪い!」

「やっぱり、僕には無理だと思ったんでしょう!」

 

 顔が熱い。

 フードがなければ、きっと耳まで赤くなっているのが見えていた。

 

 だから言いたくなかったのだ。

 自分が弱いことくらい、自分が一番よく分かっている。

 

 強い身体はない。

 剣の才能も、魔法の力もない。

 物語の主人公のように、人を惹きつける何かだって持っていない。

 ――ただの人間だ。

 それも、森から出てきたばかりの、何も知らない少年にすぎない。

 

「こんな弱そうな奴が、英雄になんてなれるわけないって――」

「そんなわけあるか」

 

 ガルドさんの声から、笑いが消えた。

 先ほどまでとは違う真剣な響きに、僕は続けようとしていた言葉を飲み込む。

 

「笑ったのは、馬鹿にしたからじゃねぇ」

 

 ガルドさんは手綱を片手へまとめ、もう一方の手をこちらへ伸ばした。

 大きく硬い手が、フードの上から僕の頭を乱暴に撫でる。

 

「お前さんの夢が、昔の俺と同じだったからだ」

「同じ……?」

「ああ」

 

 僕の頭から手を離し、再び手綱を握る。

 

「俺も昔は、英雄になりたかった」

「ガルドさんも?」

「おう。俺にも、そんな時期があった」

 

 ガルドさんは過ぎていく木々へ目を向けた。

 その横顔には、先ほどまでとは違う懐かしさが滲んでいる。

 

「今はこうして運び屋をやっているが、昔はハンターだった。仲間と一緒に、世界を回ったこともある」

「本当ですか?」

「嘘をついてどうする」

 

 それなら、ガルドさんは僕が本でしか知らない世界を、実際に見てきたのだ。

 

「もしかして、『蒼空のアルヴィス』も読んでいましたか?」

「当然だろ。あれを読まずに育った男なんざ、世界中を探してもそうはいねぇ」

「ですよね!」

 

 思わず、木箱から身体を起こす。

『蒼空のアルヴィス』。

 平凡な少年アルヴィスが多くの出会いと別れを経て世界を巡り、最後には世界を滅ぼそうとする古竜を討ち倒す物語。

 

 僕は何度読んだか分からない。

 読みすぎて背表紙が裂け、母に修理してもらったあとも繰り返し読んだ。

 

 今では、修繕した紙と糸のせいで元の倍ほどの厚さになっている。

 

「僕も、アルヴィスに憧れて家を出たんです」

「いいじゃねぇか」

「でも、僕にはアルヴィスみたいな才能はありません」

 

 口にすると、先ほどまでの高揚が少しだけ萎んだ。

 

「アルヴィスみたいな剣の才能も、仲間もたくさんの仲間も、どんなに怖くても前へ進む勇気ですらあるかわからない」

 

 膝の上へ視線を落とす。

 握った指には、剣を振ってきた硬さなどほとんど残っていない。

 

「僕にあるのはただ憧れだけです」

「それがあるなら、十分だろ」

「十分でしょうか」

 

 ガルドさんはすぐには答えなかった。

 手綱を握り直し、木々の隙間から続く道の先を見つめる。

 

「坊主」

 

 やがて、低い声が落ちた。

 

「お前がお前の夢を信じてやらないで、誰がお前を信じるんだ」

 

 風が木々の間を抜け、フードの端を揺らした。

 

 何の根拠もない言葉だった。

 

 僕が英雄になれる証拠なんて、どこにもない。

 ガルドさんだって、今日会ったばかりの僕が何をできるのか知らないはずだ。

 

 それでも、その言葉は胸の奥へ真っすぐ落ちてきた。

 

 夢を信じてもらえた。

 そう思った。

 

「……ありがとうございます」

「おう」

「おっちゃん」

 

 ガルドさんの犬耳が、ぴくりと立った。

 

「今、いい話をしたところだぞ」

「すみません。つい」

「お兄さんと呼べ、お兄さんと」

 

 ガルドさんが自分の胸を親指で指す。

 

「ガルドお兄さん」

「おう」

「少し似合いませんね」

 

 満足そうに頷いていた顔が、ぴたりと止まった。

 

「歩いて行くか、坊主?」

「すみませんでした」

 

 すぐに頭を下げる。

 ガルドさんは鼻を鳴らしたものの、犬耳は楽しそうに揺れていた。

 それから、荷車はしばらく森の道を進み続けた。

 

 木々の間隔が少しずつ広くなる。

 湿った葉と土の匂いに、これまで嗅いだことのないものが混じり始めた。

 

 冷たく、少し塩辛い風。

 

「この匂いは?」

「海だ」

「海……」

 

 本の挿絵でしか見たことがない。

 

 荷台の端へ身を寄せ、木々の向こうへ目を凝らす。

 まだ水面は見えなかった。

 

 代わりに、遠くから幾つもの音が重なって聞こえてくる。

 

 大勢の人の声。

 金属を打ちつける音。

 荷車の車輪。

 騎獣の鳴き声。

 

「そろそろだぞ」

 

 ガルドさんの声に、荷台から身を乗り出す。

 

 最後の木々を抜けた。

 

「――わ」

 

 最初に見えたのは、巨大な城壁だった。

 

 見上げても上端が遠い。

 左右へ目を向けても、終わりが見えなかった。

 

 その中央には、何台もの荷車が並んで通れるほど大きな門が開いている。

 門の向こうには石造りの建物が幾重にも重なり、さらに奥では、空へ伸びる船の帆柱が風に揺れていた。

 

 大勢の人。

 荷物を積んだ車。

 見たことのない服や、武器や、種族。

 

 あまりにも多くのものが一度に視界へ飛び込んできて、息をすることさえ忘れてしまう。

 

「すごい……」

 

 ようやく漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。

 

「どうだ。すげぇだろ」

 

 ガルドさんが得意そうに笑う。

 彼が作った街ではないと思うけれど、今は指摘する余裕がない。

 

 荷車が門へ続く列の最後へ並んだ。

 からからと回っていた車輪が速度を落とし、やがてゆっくりと止まる。

 

 目の前にある街の中から、知らない世界の音が溢れていた。

 

 ガルドさんは片手で手綱を握り、もう一方の腕を大きく広げる。

 

「ようこそ、自由交易都市エルドランへ」

 

 犬耳を揺らし、僕を振り返った。

 

「ここが、坊主の始まりの町だ」

 

 胸の奥で、心臓が大きく鳴った。

 

 英雄になるために、森を出た。

 

 何をすればいいのかも、どこへ向かえばいいのかも、まだ分からない。

 それでも、最初の場所には辿り着いた。

 

 僕は膝の上で拳を握り、城門の向こうを真っすぐに見た。

 

 知らない人。

 知らない仕事。

 知らない世界。

 

 そのすべてが、あの門の先で待っている。

 

 からからと車輪が再び回り始めた。

 

 僕の夢を乗せた荷車は、自由交易都市エルドランへ向かって、ゆっくりと進んでいった。

 

 





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