駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
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目を開けると、白い天井があった。
木目一つない、綺麗な天井だ。
山奥の家とも、角兎亭の部屋とも違う。ギルドの医務室と呼べるほど僕はギルドに詳しくないけれど、少なくとも見覚えはなかった。
つまり、これはあれだ。
一度くらいは言ってみたかったやつだ。
僕はしばらく天井を眺め、わずかに口元を緩めた。
「……知らない天井だ」
言えた。
ついに言えた。
思っていたより感動は薄かったけれど、こういうものは言えたことに意味がある。いつか誰かに「言ったことある?」と聞かれたら、僕は堂々と頷ける。
そんな日が来るかどうかは、知らない。
「…………」
ささやかな満足感に浸っていると、薬草と清潔な布、それに水の匂いが鼻をくすぐった。
どうやら、ここは治療をする場所らしい。
そこでようやく、自分の身体がやたらと重いことにも気づいた。
試しに腕を動かそうとする。
動かない。
いや、動くには動く。ただ、動かす前から身体のあちこちが「やめておけ」と訴えているような気がした。
肩に、脇腹。脚と背中まで、全部がまとめて文句を言っている。
「……なんで、こんなに」
声にした瞬間、途切れていた記憶が一気に戻ってきた。
白い雪原。
背中に感じた、ミミルさんの体温。
追ってくる重い足音に、折れた枝。凍った水底のような目をした、巨大な白い影。
目の前へ迫った鉤爪。
それから――黒い髪と、大きな背中。
「そうだ……」
僕は大型モンスターに追われて。
フレイヴィアさんが来てくれて。
その前に、ミミルさんを――。
「ミミルさんは!?」
反射的に身体を起こそうとして、全身へ鋭い痛みが走った。
「いっ、つ……!」
痛い。
洒落にならないくらい痛い。
身体の内側へ細い杭を何本も打ち込まれたような痛みに、肘から力が抜ける。
それでも、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「ミミルさんは!? リュシアさんは!? ちゃんと助かって――」
言いかけたところで、扉の方から何かが落ちる音がした。
視線を向ける。
入口には、白い衣を着た若い天使族の職員さんが立っていた。
どうやら紙束を持っていたらしいけれど、それは今、床へ盛大に散らばっている。
彼女は僕を見たまま、目を大きく見開いていた。
「…………」
「…………」
目が合う。
僕はとりあえず、まだ動いてくれる方の手を少しだけ上げた。
「あ、おはようございます」
「せ……」
「せ?」
「セラフィーンさまぁぁぁー!!!」
ものすごく叫んだ。
それから職員さんは紙束を床へ残したまま、廊下の向こうへ走り去っていった。
残された僕は、寝台の上で半端に身体を起こしたまま、しばらく開け放たれた扉を見つめる。
「……僕、そんなに死にそうだったんだ」
いや、たぶん死にそうだったのだろう。
死人が目を覚ましたような反応をされるくらいには。
それは分かる。
分かるけれど、起きただけで悲鳴を上げられる経験は、人生で初めてだった。
知らない天井に続いて、知らない反応である。
やがて、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
今度は叫び声を上げた職員さんよりも落ち着いている。それでも、普段より少しだけ速い。
扉が開く。
入ってきたのは、セラフィーンさんだった。
白と淡青の衣に、淡い金色の髪。深い湖を思わせる青い瞳。
いつも通りの静かな雰囲気を纏っているけれど、僕を見る目だけは僅かに揺れていた。
「ルキウスさん」
「はい。おはようございます。ええと、知らない天井でした」
「……知らない、天井?」
「人生で一度は言ってみたかったんです」
セラフィーンさんが目を瞬かせる。
少しの間を置いたあと、困ったように眉を下げた。
「目が覚めて最初に言うことが、それなのですね」
「正確には、そのあとすぐにミミルさんの心配をしました」
「そこは、順番を誇るところではありません」
穏やかな声だった。
けれど、ほんの少し呆れている。
いつものセラフィーンさんだと分かり、それだけで肩から力が抜けた。
そのせいで脇腹が痛み、僕は小さく息を詰める。
セラフィーンさんはすぐに寝台の横へ来ると、僕の額へ手を当てた。
冷たい手ではない。
柔らかくて、少しだけ温かい。
指先が首筋へ移り、脈を確かめていく。その手慣れた仕草を見ていると、ひとまず自分が生きていることだけは信用できそうだった。
「気分はどうですか」
「全身が、自分のものではないみたいです」
「痛みは?」
「あります。でも、生きている感じがしますね」
そう答えると、セラフィーンさんの目がわずかに伏せられた。
以前、彼女から言われたことを思い出す。
『痛みに耐えられることと、身体が壊れないことは違います』
あの時は、確かにそうだな、くらいに考えていた。
けれど今は違う。
僕の身体が全力でその言葉へ頷いている。痛みに耐えられても、壊れる時は普通に壊れるらしい。
とても勉強になった。
二度と実地で確認したくない種類の勉強だった。
「ミミルさんとリュシアさんは」
もう一度尋ねると、セラフィーンさんは小さく息を吐いた。
「ミミルさんも、リュシアさんも無事です。怪我は重いですが、命に別状はありません」
「本当ですか?」
「本当です」
「本当に本当ですか?」
言ってから、しまったと思った。
これはアルナさんとのやり取りだった。
けれどセラフィーンさんは、少しだけ目を瞬かせたあと、静かに頷いてくれた。
「本当に本当です」
「……よかった」
胸の奥へ詰まっていたものが、声と一緒に抜けていく。
ミミルさんが生きている。
リュシアさんも生きている。
僕があそこで稼いだ時間は、完全な無駄ではなかった。
そう思った途端、身体から力が抜けた。寝台へ沈み込み、深く息を吐く。
全身が痛いのに、安心したせいで今にも眠ってしまいそうだった。
「ところで、僕はどれくらい寝ていたのでしょうか?」
まだ聞かなければならないことがある。
セラフィーンさんは僕の包帯を確かめながら、さらりと答えた。
「二週間です」
「…………」
二週間。
「…………」
二週間?
「はい?」
「二週間です」
「二週間というのは、十四日間ということですか?」
「はい。だいたい三百三十六時間ということです」
「急に数字が大きくなった」
「分かりやすくしたつもりだったのですが」
「いえ、分かりやすいです。分かりやすいんですけど、三百三十六時間と言われると、なんだか罪の重さみたいに聞こえます」
「それくらい危なかった、ということです」
「あ、はい。すみません」
反射的に謝ると、セラフィーンさんは小さく息を吐いた。
「謝る相手は、私よりもほかにいると思います」
「……アルナさんですか?」
「はい」
「怒っています?」
「とても」
「とても」
「はい。とても」
僕は静かに天井を見上げた。
知らない天井だ、などと言っている場合ではなかった。
目を覚ました喜びよりも先に、猫耳の受付嬢から怒られる未来が見える。
ものすごく鮮明に見える。
たぶん耳をぴんと立てて、尻尾を膨らませている。想像だけで怖い。
「……今からもう一度寝たら、許してもらえませんかね」
「駄目です」
「ですよね」
セラフィーンさんの表情が、ほんの少しだけ緩む。
けれど、すぐに真面目なものへ戻った。
「それと、ルキウスさん。これは別の話になるのですが」
「はい」
改まった表情で見つめられると、理由もなく胸が落ち着かなくなる。
こういう顔は心臓に悪いから、できればやめてほしい。
ただでさえ、今の僕の身体はあまり丈夫ではない。
「謝らなければならないことがあります」
「え。治療費が払えないとかですか?」
「違います」
セラフィーンさんは首を横へ振り、少しだけ視線を落とした。
「治療のために、あなたのフードを外しました」
「…………」
僕は瞬きをする。
セラフィーンさんは、言葉を選ぶように続けた。
「人前で外したくないものだと分かっていました。ですが、怪我が重く、そのままでは顔色や呼吸を確認できなかったのです。だから……あなたの許可を得ずに外しました」
「…………」
「ごめんなさい」
声は静かだった。
けれど、ただ事実を報告しているわけではない。
僕にとって大切なものだと知っていたからこそ、きちんと謝ろうとしてくれている。
その真剣な顔を前にして、僕は少しだけぽかんとしてしまった。
それから、思わず笑う。
「なんだ、そんなことですか」
「そんなこと、ではないと思います」
「いえ。僕からすれば、そんなことですよ。命を助けてもらったんですから」
枕元へ目を向ける。
そこには、綺麗に畳まれたフードが置かれていた。
母から、絶対に外してはいけないと言われたもの。
外せば大変なことになるかもしれないと、何度も聞かされたもの。
僕にとって、それが大切なものであることは間違いない。
だけど、セラフィーンさんは僕を助けるために外した。
なら、責める理由など一つもなかった。
「むしろ……」
僕はゆっくりとフードへ手を伸ばした。
腕へ痛みが走り、顔が僅かに引きつる。それでも指先で布を摘まみ上げた。
いつもなら軽いはずのフードが、今はやたらと重い。
「窮屈だったんですよね、これ」
わざと軽い調子で持ち上げ、笑ってみせる。
「こうしてフードを脱げる場所ができたのは、僕にとっては幸運でした」
「……ルキウスさんは、本当に」
「はい?」
「いえ。なんでもありません」
セラフィーンさんは静かに首を振った。
けれど、その目は僕の顔へ向けられたままだった。
僕自身よりも、ずっと大切な何かを見るような目だった。
フードを外しているからだろうか。
見られることに慣れていないせいか、少しだけ胸の奥がざわつく。
「それと、もう一つ」
「まだあるんですか?」
「はい」
今度の声は、先ほどよりも慎重だった。
「あなたの素顔を見た方が、もう一人います」
「もう一人?」
「フレイヴィア様です」
「えっ」
思わず変な声が出た。
フレイヴィアさん。
あの、フレイヴィアさん。
竜族の姫で、ランク7のハンターで、雪原まで僕を助けに来てくれた人。
僕が目指しているものへ、あまりにも近い人。
その人に、素顔を見られた。
「え、ええと……そうですか。フレイヴィアさんに……」
「嫌でしたか?」
「嫌ではありません! 嫌ではないんですけど、なんというか、すごい人に寝顔を見られたような……いえ、寝顔どころではなかったのでしょうけど」
言いながら、自分でも何を気にしているのか分からなくなってきた。
死にかけた姿を見られたことはそれほど恥ずかしくないのに、素顔を見られたことは少し恥ずかしい。
よく考えなくても、順番がおかしい。
セラフィーンさんは、困ったように小さく微笑んだ。
「フレイヴィア様は、あなたのフードをかけ直してくださったそうです。ギルドへ戻るまで、誰にも見えないように」
「……そう、なんですか」
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
あの人は、何も聞かずに隠してくれた。
僕が大切にしているものだと、たぶん分かってくれたのだと思う。
嬉しいような、申し訳ないような――何とも言い表しにくい気持ちだった。
セラフィーンさんは、そこで一度言葉を切った。
先ほどまでとは違う。
僕の反応を確かめるような、慎重な沈黙だった。
「ルキウスさん」
「はい」
「ルキウスさんは、その……人間、なのでしょうか」
「人間?」
聞き慣れたはずの言葉を、どうしてわざわざ確かめるのだろう。
僕は少し首を傾げた。
「はい。母からは、そう聞いています」
普通に答えたつもりだった。
けれど、セラフィーンさんは黙り込んでしまった。
青い瞳が、何かを確かめるように僕の顔を見ている。
その反応に、今度はこちらが不安になった。
「あれ。何か変でしたか?」
「いえ。確認したかったのです」
セラフィーンさんは、慎重に言葉を選びながら尋ねる。
「人間という種族について、何か聞いていますか?」
「ええと……僕が人間だということくらいですかね。あとは、身体があまり強くないとか、魔力が薄いとか。フードは絶対に外してはいけないとも言われました」
「ほかの人間に会ったことは?」
「ありません」
「お母様は?」
「母はエルフです」
セラフィーンさんの表情が、さらに深くなる。
僕はようやく、何かがおかしいのだと気づき始めた。
人間であることを確認される。
ほかの人間を知っているかと聞かれる。
それはつまり――僕が思っているより、人間というものが珍しいということだろうか。
「……あの。もしかして、人間って珍しいんですか?」
「珍しい、というより……」
セラフィーンさんは言葉を止めた。
どう伝えるべきか、迷っているようだった。
僕は黙って待つ。
個室の外から、誰かが廊下を歩く音が聞こえた。
水を運ぶ音。
布が擦れる音。
教会の中は静かなのに、不思議と生きている人たちの音が多かった。
「いないんです」
「え?」
「今の世界には、人間がいないんです」
「……いないって、何が」
「人間が、です」
いや。
いやいやいや。
「そんな、いないなんてことがあります?」
「少なくとも、現在生きている人間を、私は知りません」
セラフィーンさんは僕から目を逸らさず、静かに続けた。
「人間は、遠い昔に滅んだ種族だとされています」
「遠い昔……」
頭の中で、曖昧な言葉が転がった。
十年でも、僕にとっては随分と遠い。
けれど長命な種族の言う遠い昔は、僕が思っているものとは違う気がする。
「遠いって、どれくらいですか?」
「さあ」
思いのほか、あっさりとした答えだった。
セラフィーンさんは小さく首を傾げる。
「何せ、古い書物――それこそ、おとぎ話で見たことがあるくらいですから」
「おとぎ話……」
「はい。私もルキウスさんを見るまでは、想像上の生き物だと思っていましたよー」
「想像上の生き物」
僕は思わず、自分の腕を見る。
触れば痛い。
血も流れる。
二週間も眠るし、目が覚めれば全身が悲鳴を上げている。
ずいぶんと現実味のある想像上の生き物だった。
「……僕、もしかして珍獣ですか?」
「珍獣ではありません」
「でも、想像上の生き物だと思っていたんですよね?」
「はい」
「では、珍獣では?」
「違います」
即答だった。
そこだけは、どうしても譲れないらしい。
「希少種?」
「違います」
「幻獣?」
「ルキウスさん」
少しだけ低い声で名前を呼ばれ、僕は口を閉じた。
怒られたのかと思ったけれど、セラフィーンさんの青い瞳には、いつもの穏やかさとは違う光が浮かんでいる。
なんというか――ものすごく、興味を持たれていた。
「本当に、何もないのですね」
「何もないって、結構失礼では?」
僕の抗議を聞いているのかいないのか、セラフィーンさんはそっと額へ手を伸ばした。
ぺたり、と掌が触れる。
先ほど熱を測った時とは違う。確かめるように額を撫で、そのまま髪を分けるように指先を動かした。
「角はありません」
「はい。生えたことはないですね」
今度は耳へ触れる。
指先で形を確かめるように、そっと縁をなぞられた。
「尖ってもいません」
「母は尖っていますけど、僕は昔からこれです」
「翼もありませんね」
「背中まで確認します?」
「先ほど治療で確認しました」
「あ、そうでした」
そういえば、身体中の傷を治してもらったのだった。
僕よりも僕の身体に詳しくても、何もおかしくはない。
セラフィーンさんの手が、今度は頬へ移る。
片方をぺたぺたと触り、それから反対側も同じように確かめ始めた。
頬を軽く押されるたびに、顔が少しずつ横へずれる。
「……セラフィーンさん」
「はい」
「僕は、何を調べられているのでしょうか」
「人間です」
「見れば分かるものなんですか?」
「分からないので、触っています」
「なるほど。何も分かりませんね」
頬を押されたまま答えると、セラフィーンさんがほんの少し笑った。
いつもの聖女らしい微笑みというより、珍しいものを見つけた少女の笑い方だった。
「肌も、特に変わりませんね」
「変わっていたら、僕も今日までに気づいていると思います」
「歯は?」
「口まで見るんですか?」
「冗談です」
「今の顔、少し本気でしたよね?」
セラフィーンさんは答えず、最後にもう一度だけ僕の頬をぺたりと触った。
それから、ようやく手を離す。
「不思議ですね」
「僕からすれば、セラフィーンさんの翼の方がずっと不思議ですけど」
「私たちにとっては普通です」
「僕にとっても、これが普通なんです」
触られていた頬を指先でさする。
角もない。
翼もない。
耳も尖っていない。
何も持っていないことが、今の世界では一番珍しいらしい。
「つまり僕は、セラフィーンさんが昔読んだおとぎ話から出てきたと」
「そういうことになりますね」
「……やっぱり珍獣では?」
「違います」
「そこは頑固ですね」
「ルキウスさんほどではありません」
それを言われると、反論は難しかった。
僕は天井へ目を向ける。
白くて、綺麗な――まだ見慣れない天井。
目を覚ました途端、自分がおとぎ話の生き物だったと知らされるなんて、さすがに想像していなかった。
「母は……」
何を知っていたのだろう。
どうして僕を山奥で育てたのか。
どうして、フードを外すなと言ったのか。
そして、どうして僕は――自分のことを何も知らなかったのだろう。
考えようとすると、頭の奥に薄い霧がかかった。
二週間も寝ていたせいかもしれない。
怪我のせいかもしれない。
あるいは、寝起きで考えるには大きすぎる話なのかもしれない。
セラフィーンさんが、心配そうに僕を見ている。
さっきまで頬をぺたぺた触っていた人と同じとは思えないほど、真剣な顔だった。
その表情を見ていると、こちらまで必要以上に深刻になってしまいそうだった。
だから、僕は少しだけ笑う。
「まあ、いいか」
「……よろしいのですか?」
「考えても分からないことは、考えても分かりませんから」
それに、僕が人間だろうと何だろうと、急に身体が強くなるわけではない。
魔力が増えるわけでもない。
目を覚ました途端にランクが上がるような、都合のいい話でもなかった。
「人間だろうと珍獣だろうと、僕がランク2の駆け出しハンターであることは変わりませんからね」
「珍獣ではありません」
「そこは譲らないんですね」
「はい」
セラフィーンさんが、ほんの少しだけ笑った。
その表情を見て、僕も少し安心する。
きっと、大変な話なのだろう。
僕が思っているより、ずっと。
けれど、今すぐ全部を理解することはできない。
だったら、まずは目の前のことから考えるしかなかった。
僕は生きている。
ミミルさんも、リュシアさんも生きている。
フレイヴィアさんが助けてくれた。
セラフィーンさんが治してくれた。
そしてアルナさんには――これから、とても怒られる。
今は、それだけでもう手一杯だった。
「それと、このことは、しばらく伏せておいた方がよいと思います」
「僕が人間だということですか?」
「はい」
「ギルドにも?」
「はい」
「アルナさんにも?」
セラフィーンさんの表情が、僅かに曇った。
「……今は、まだ」
僕は少し黙った。
アルナさんには、話したいと思う。
あの人には、たくさん心配をかけている。
いつも怒って、呆れて、それでも依頼へ向かう僕を送り出してくれる。
そんな人へ隠し事をするのは、胸の奥へ小さな棘を残すようで嫌だった。
けれど、セラフィーンさんがそう言うなら、きっと理由があるのだろう。
少なくとも、僕よりずっとこの世界のことを知っている人だ。
「分かりました」
答えると、セラフィーンさんが少し驚いたように目を瞬かせる。
「よろしいのですか?」
「はい。僕はこういう難しい話がよく分からないので、分かっている人の言うことを聞きます」
「……そうですか」
「でも」
僕は、もう一度天井を見上げた。
白い天井。
知らない天井。
言ってみたかった台詞を言えた天井で――自分が知らなかったことまで知ってしまった。
「いつかは、アルナさんにも話したいです。あの人には、たくさん心配をかけていますから」
「はい。その時は、きっと」
セラフィーンさんは、静かに頷いた。
その言葉を聞いた途端、急に身体が重くなる。
会話をしていただけなのに、随分と疲れていたらしい。二週間も眠っていたのだから、むしろこれだけ喋っている方がおかしいのかもしれない。
セラフィーンさんが、肩まで布をかけ直してくれる。
「今は眠ってください。かなり危険な状態だったのですから」
「分かりました」
素直に頷く。
瞼を閉じようとして、ふと思い出した。
「ところで、セラフィーンさん」
「はい」
「僕が起きたこと、アルナさんには――」
その瞬間だった。
廊下の向こうから、ものすごい勢いで足音が近づいてくる。
軽い。
速い。
そして――聞き慣れている。
「ルキウスさんが目を覚ましたって本当ですかぁぁぁ!?」
僕は固まった。
セラフィーンさんは、静かに微笑む。
「伝わったようですね」
「……僕、怒られます?」
「はい。おそらく、とても」
僕はもう一度、天井を見上げた。
知らない天井だ、などと言っている場合ではなかった。
この日、僕は自分がおとぎ話の中にいるはずの人間だと知らされた。
けれど、それよりも先に――アルナさんに怒られる覚悟をすることになった。
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