駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第一章 第二十四話『少年は知らない天井で目を覚ます』

 

 ◆

 

 目を開けると、白い天井があった。

 木目一つない、綺麗な天井だ。

 山奥の家とも、角兎亭の部屋とも違う。ギルドの医務室と呼べるほど僕はギルドに詳しくないけれど、少なくとも見覚えはなかった。

 つまり、これはあれだ。

 一度くらいは言ってみたかったやつだ。

 僕はしばらく天井を眺め、わずかに口元を緩めた。

 

「……知らない天井だ」

 

 言えた。

 ついに言えた。

 思っていたより感動は薄かったけれど、こういうものは言えたことに意味がある。いつか誰かに「言ったことある?」と聞かれたら、僕は堂々と頷ける。

 そんな日が来るかどうかは、知らない。

 

「…………」

 

 ささやかな満足感に浸っていると、薬草と清潔な布、それに水の匂いが鼻をくすぐった。

 どうやら、ここは治療をする場所らしい。

 そこでようやく、自分の身体がやたらと重いことにも気づいた。

 試しに腕を動かそうとする。

 動かない。

 いや、動くには動く。ただ、動かす前から身体のあちこちが「やめておけ」と訴えているような気がした。

 肩に、脇腹。脚と背中まで、全部がまとめて文句を言っている。

 

「……なんで、こんなに」

 

 声にした瞬間、途切れていた記憶が一気に戻ってきた。

 白い雪原。

 背中に感じた、ミミルさんの体温。

 追ってくる重い足音に、折れた枝。凍った水底のような目をした、巨大な白い影。

 目の前へ迫った鉤爪。

 それから――黒い髪と、大きな背中。

 

「そうだ……」

 

 僕は大型モンスターに追われて。

 フレイヴィアさんが来てくれて。

 その前に、ミミルさんを――。

 

「ミミルさんは!?」

 

 反射的に身体を起こそうとして、全身へ鋭い痛みが走った。

 

「いっ、つ……!」

 

 痛い。

 洒落にならないくらい痛い。

 身体の内側へ細い杭を何本も打ち込まれたような痛みに、肘から力が抜ける。

 それでも、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 

「ミミルさんは!? リュシアさんは!? ちゃんと助かって――」

 

 言いかけたところで、扉の方から何かが落ちる音がした。

 視線を向ける。

 入口には、白い衣を着た若い天使族の職員さんが立っていた。

 どうやら紙束を持っていたらしいけれど、それは今、床へ盛大に散らばっている。

 彼女は僕を見たまま、目を大きく見開いていた。

 

「…………」

「…………」

 

 目が合う。

 僕はとりあえず、まだ動いてくれる方の手を少しだけ上げた。

 

「あ、おはようございます」

「せ……」

「せ?」

「セラフィーンさまぁぁぁー!!!」

 

 ものすごく叫んだ。

 それから職員さんは紙束を床へ残したまま、廊下の向こうへ走り去っていった。

 残された僕は、寝台の上で半端に身体を起こしたまま、しばらく開け放たれた扉を見つめる。

 

「……僕、そんなに死にそうだったんだ」

 

 いや、たぶん死にそうだったのだろう。

 死人が目を覚ましたような反応をされるくらいには。

 それは分かる。

 分かるけれど、起きただけで悲鳴を上げられる経験は、人生で初めてだった。

 知らない天井に続いて、知らない反応である。

 

 やがて、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。

 今度は叫び声を上げた職員さんよりも落ち着いている。それでも、普段より少しだけ速い。

 扉が開く。

 入ってきたのは、セラフィーンさんだった。

 白と淡青の衣に、淡い金色の髪。深い湖を思わせる青い瞳。

 いつも通りの静かな雰囲気を纏っているけれど、僕を見る目だけは僅かに揺れていた。

 

「ルキウスさん」

「はい。おはようございます。ええと、知らない天井でした」

「……知らない、天井?」

「人生で一度は言ってみたかったんです」

 

 セラフィーンさんが目を瞬かせる。

 少しの間を置いたあと、困ったように眉を下げた。

 

「目が覚めて最初に言うことが、それなのですね」

「正確には、そのあとすぐにミミルさんの心配をしました」

「そこは、順番を誇るところではありません」

 

 穏やかな声だった。

 けれど、ほんの少し呆れている。

 いつものセラフィーンさんだと分かり、それだけで肩から力が抜けた。

 そのせいで脇腹が痛み、僕は小さく息を詰める。

 セラフィーンさんはすぐに寝台の横へ来ると、僕の額へ手を当てた。

 冷たい手ではない。

 柔らかくて、少しだけ温かい。

 指先が首筋へ移り、脈を確かめていく。その手慣れた仕草を見ていると、ひとまず自分が生きていることだけは信用できそうだった。

 

「気分はどうですか」

「全身が、自分のものではないみたいです」

「痛みは?」

「あります。でも、生きている感じがしますね」

 

 そう答えると、セラフィーンさんの目がわずかに伏せられた。

 以前、彼女から言われたことを思い出す。

 

『痛みに耐えられることと、身体が壊れないことは違います』

 

 あの時は、確かにそうだな、くらいに考えていた。

 けれど今は違う。

 僕の身体が全力でその言葉へ頷いている。痛みに耐えられても、壊れる時は普通に壊れるらしい。

 とても勉強になった。

 二度と実地で確認したくない種類の勉強だった。

 

「ミミルさんとリュシアさんは」

 

 もう一度尋ねると、セラフィーンさんは小さく息を吐いた。

 

「ミミルさんも、リュシアさんも無事です。怪我は重いですが、命に別状はありません」

「本当ですか?」

「本当です」

「本当に本当ですか?」

 

 言ってから、しまったと思った。

 これはアルナさんとのやり取りだった。

 けれどセラフィーンさんは、少しだけ目を瞬かせたあと、静かに頷いてくれた。

 

「本当に本当です」

「……よかった」

 

 胸の奥へ詰まっていたものが、声と一緒に抜けていく。

 ミミルさんが生きている。

 リュシアさんも生きている。

 僕があそこで稼いだ時間は、完全な無駄ではなかった。

 そう思った途端、身体から力が抜けた。寝台へ沈み込み、深く息を吐く。

 全身が痛いのに、安心したせいで今にも眠ってしまいそうだった。

 

「ところで、僕はどれくらい寝ていたのでしょうか?」

 

 まだ聞かなければならないことがある。

 セラフィーンさんは僕の包帯を確かめながら、さらりと答えた。

 

「二週間です」

「…………」

 

 二週間。

 

「…………」

 

 二週間?

 

「はい?」

「二週間です」

「二週間というのは、十四日間ということですか?」

「はい。だいたい三百三十六時間ということです」

「急に数字が大きくなった」

「分かりやすくしたつもりだったのですが」

「いえ、分かりやすいです。分かりやすいんですけど、三百三十六時間と言われると、なんだか罪の重さみたいに聞こえます」

「それくらい危なかった、ということです」

「あ、はい。すみません」

 

 反射的に謝ると、セラフィーンさんは小さく息を吐いた。

 

「謝る相手は、私よりもほかにいると思います」

「……アルナさんですか?」

「はい」

「怒っています?」

「とても」

「とても」

「はい。とても」

 

 僕は静かに天井を見上げた。

 知らない天井だ、などと言っている場合ではなかった。

 目を覚ました喜びよりも先に、猫耳の受付嬢から怒られる未来が見える。

 ものすごく鮮明に見える。

 たぶん耳をぴんと立てて、尻尾を膨らませている。想像だけで怖い。

 

「……今からもう一度寝たら、許してもらえませんかね」

「駄目です」

「ですよね」

 

 セラフィーンさんの表情が、ほんの少しだけ緩む。

 けれど、すぐに真面目なものへ戻った。

 

「それと、ルキウスさん。これは別の話になるのですが」

「はい」

 

 改まった表情で見つめられると、理由もなく胸が落ち着かなくなる。

 こういう顔は心臓に悪いから、できればやめてほしい。

 ただでさえ、今の僕の身体はあまり丈夫ではない。

 

「謝らなければならないことがあります」

「え。治療費が払えないとかですか?」

「違います」

 

 セラフィーンさんは首を横へ振り、少しだけ視線を落とした。

 

「治療のために、あなたのフードを外しました」

「…………」

 

 僕は瞬きをする。

 セラフィーンさんは、言葉を選ぶように続けた。

 

「人前で外したくないものだと分かっていました。ですが、怪我が重く、そのままでは顔色や呼吸を確認できなかったのです。だから……あなたの許可を得ずに外しました」

「…………」

「ごめんなさい」

 

 声は静かだった。

 けれど、ただ事実を報告しているわけではない。

 僕にとって大切なものだと知っていたからこそ、きちんと謝ろうとしてくれている。

 その真剣な顔を前にして、僕は少しだけぽかんとしてしまった。

 それから、思わず笑う。

 

「なんだ、そんなことですか」

「そんなこと、ではないと思います」

「いえ。僕からすれば、そんなことですよ。命を助けてもらったんですから」

 

 枕元へ目を向ける。

 そこには、綺麗に畳まれたフードが置かれていた。

 母から、絶対に外してはいけないと言われたもの。

 外せば大変なことになるかもしれないと、何度も聞かされたもの。

 僕にとって、それが大切なものであることは間違いない。

 だけど、セラフィーンさんは僕を助けるために外した。

 なら、責める理由など一つもなかった。

 

「むしろ……」

 

 僕はゆっくりとフードへ手を伸ばした。

 腕へ痛みが走り、顔が僅かに引きつる。それでも指先で布を摘まみ上げた。

 いつもなら軽いはずのフードが、今はやたらと重い。

 

「窮屈だったんですよね、これ」

 

 わざと軽い調子で持ち上げ、笑ってみせる。

 

「こうしてフードを脱げる場所ができたのは、僕にとっては幸運でした」

「……ルキウスさんは、本当に」

「はい?」

「いえ。なんでもありません」

 

 セラフィーンさんは静かに首を振った。

 けれど、その目は僕の顔へ向けられたままだった。

 僕自身よりも、ずっと大切な何かを見るような目だった。

 フードを外しているからだろうか。

 見られることに慣れていないせいか、少しだけ胸の奥がざわつく。

 

「それと、もう一つ」

「まだあるんですか?」

「はい」

 

 今度の声は、先ほどよりも慎重だった。

 

「あなたの素顔を見た方が、もう一人います」

「もう一人?」

「フレイヴィア様です」

「えっ」

 

 思わず変な声が出た。

 フレイヴィアさん。

 あの、フレイヴィアさん。

 竜族の姫で、ランク7のハンターで、雪原まで僕を助けに来てくれた人。

 僕が目指しているものへ、あまりにも近い人。

 その人に、素顔を見られた。

 

「え、ええと……そうですか。フレイヴィアさんに……」

「嫌でしたか?」

「嫌ではありません! 嫌ではないんですけど、なんというか、すごい人に寝顔を見られたような……いえ、寝顔どころではなかったのでしょうけど」

 

 言いながら、自分でも何を気にしているのか分からなくなってきた。

 死にかけた姿を見られたことはそれほど恥ずかしくないのに、素顔を見られたことは少し恥ずかしい。

 よく考えなくても、順番がおかしい。

 セラフィーンさんは、困ったように小さく微笑んだ。

 

「フレイヴィア様は、あなたのフードをかけ直してくださったそうです。ギルドへ戻るまで、誰にも見えないように」

「……そう、なんですか」

 

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 あの人は、何も聞かずに隠してくれた。

 僕が大切にしているものだと、たぶん分かってくれたのだと思う。

 嬉しいような、申し訳ないような――何とも言い表しにくい気持ちだった。

 

 セラフィーンさんは、そこで一度言葉を切った。

 先ほどまでとは違う。

 僕の反応を確かめるような、慎重な沈黙だった。

 

「ルキウスさん」

「はい」

「ルキウスさんは、その……人間、なのでしょうか」

「人間?」

 

 聞き慣れたはずの言葉を、どうしてわざわざ確かめるのだろう。

 僕は少し首を傾げた。

 

「はい。母からは、そう聞いています」

 

 普通に答えたつもりだった。

 けれど、セラフィーンさんは黙り込んでしまった。

 青い瞳が、何かを確かめるように僕の顔を見ている。

 その反応に、今度はこちらが不安になった。

 

「あれ。何か変でしたか?」

「いえ。確認したかったのです」

 

 セラフィーンさんは、慎重に言葉を選びながら尋ねる。

 

「人間という種族について、何か聞いていますか?」

「ええと……僕が人間だということくらいですかね。あとは、身体があまり強くないとか、魔力が薄いとか。フードは絶対に外してはいけないとも言われました」

「ほかの人間に会ったことは?」

「ありません」

「お母様は?」

「母はエルフです」

 

 セラフィーンさんの表情が、さらに深くなる。

 僕はようやく、何かがおかしいのだと気づき始めた。

 人間であることを確認される。

 ほかの人間を知っているかと聞かれる。

 それはつまり――僕が思っているより、人間というものが珍しいということだろうか。

 

「……あの。もしかして、人間って珍しいんですか?」

「珍しい、というより……」

 

 セラフィーンさんは言葉を止めた。

 どう伝えるべきか、迷っているようだった。

 僕は黙って待つ。

 個室の外から、誰かが廊下を歩く音が聞こえた。

 水を運ぶ音。

 布が擦れる音。

 教会の中は静かなのに、不思議と生きている人たちの音が多かった。

 

「いないんです」

「え?」

「今の世界には、人間がいないんです」

「……いないって、何が」

「人間が、です」

 

 いや。

 いやいやいや。

 

「そんな、いないなんてことがあります?」

「少なくとも、現在生きている人間を、私は知りません」

 

 セラフィーンさんは僕から目を逸らさず、静かに続けた。

 

「人間は、遠い昔に滅んだ種族だとされています」

「遠い昔……」

 

 頭の中で、曖昧な言葉が転がった。

 十年でも、僕にとっては随分と遠い。

 けれど長命な種族の言う遠い昔は、僕が思っているものとは違う気がする。

 

「遠いって、どれくらいですか?」

「さあ」

 

 思いのほか、あっさりとした答えだった。

 セラフィーンさんは小さく首を傾げる。

 

「何せ、古い書物――それこそ、おとぎ話で見たことがあるくらいですから」

「おとぎ話……」

「はい。私もルキウスさんを見るまでは、想像上の生き物だと思っていましたよー」

「想像上の生き物」

 

 僕は思わず、自分の腕を見る。

 触れば痛い。

 血も流れる。

 二週間も眠るし、目が覚めれば全身が悲鳴を上げている。

 ずいぶんと現実味のある想像上の生き物だった。

 

「……僕、もしかして珍獣ですか?」

「珍獣ではありません」

「でも、想像上の生き物だと思っていたんですよね?」

「はい」

「では、珍獣では?」

「違います」

 

 即答だった。

 そこだけは、どうしても譲れないらしい。

 

「希少種?」

「違います」

「幻獣?」

「ルキウスさん」

 

 少しだけ低い声で名前を呼ばれ、僕は口を閉じた。

 怒られたのかと思ったけれど、セラフィーンさんの青い瞳には、いつもの穏やかさとは違う光が浮かんでいる。

 なんというか――ものすごく、興味を持たれていた。

 

「本当に、何もないのですね」

「何もないって、結構失礼では?」

 

 僕の抗議を聞いているのかいないのか、セラフィーンさんはそっと額へ手を伸ばした。

 ぺたり、と掌が触れる。

 先ほど熱を測った時とは違う。確かめるように額を撫で、そのまま髪を分けるように指先を動かした。

 

「角はありません」

「はい。生えたことはないですね」

 

 今度は耳へ触れる。

 指先で形を確かめるように、そっと縁をなぞられた。

 

「尖ってもいません」

「母は尖っていますけど、僕は昔からこれです」

「翼もありませんね」

「背中まで確認します?」

「先ほど治療で確認しました」

「あ、そうでした」

 

 そういえば、身体中の傷を治してもらったのだった。

 僕よりも僕の身体に詳しくても、何もおかしくはない。

 

 セラフィーンさんの手が、今度は頬へ移る。

 片方をぺたぺたと触り、それから反対側も同じように確かめ始めた。

 頬を軽く押されるたびに、顔が少しずつ横へずれる。

 

「……セラフィーンさん」

「はい」

「僕は、何を調べられているのでしょうか」

「人間です」

「見れば分かるものなんですか?」

「分からないので、触っています」

「なるほど。何も分かりませんね」

 

 頬を押されたまま答えると、セラフィーンさんがほんの少し笑った。

 いつもの聖女らしい微笑みというより、珍しいものを見つけた少女の笑い方だった。

 

「肌も、特に変わりませんね」

「変わっていたら、僕も今日までに気づいていると思います」

「歯は?」

「口まで見るんですか?」

「冗談です」

「今の顔、少し本気でしたよね?」

 

 セラフィーンさんは答えず、最後にもう一度だけ僕の頬をぺたりと触った。

 それから、ようやく手を離す。

 

「不思議ですね」

「僕からすれば、セラフィーンさんの翼の方がずっと不思議ですけど」

「私たちにとっては普通です」

「僕にとっても、これが普通なんです」

 

 触られていた頬を指先でさする。

 角もない。

 翼もない。

 耳も尖っていない。

 何も持っていないことが、今の世界では一番珍しいらしい。

 

「つまり僕は、セラフィーンさんが昔読んだおとぎ話から出てきたと」

「そういうことになりますね」

「……やっぱり珍獣では?」

「違います」

「そこは頑固ですね」

「ルキウスさんほどではありません」

 

 それを言われると、反論は難しかった。

 僕は天井へ目を向ける。

 白くて、綺麗な――まだ見慣れない天井。

 目を覚ました途端、自分がおとぎ話の生き物だったと知らされるなんて、さすがに想像していなかった。

 

「母は……」

 

 何を知っていたのだろう。

 どうして僕を山奥で育てたのか。

 どうして、フードを外すなと言ったのか。

 そして、どうして僕は――自分のことを何も知らなかったのだろう。

 考えようとすると、頭の奥に薄い霧がかかった。

 二週間も寝ていたせいかもしれない。

 怪我のせいかもしれない。

 あるいは、寝起きで考えるには大きすぎる話なのかもしれない。

 

 セラフィーンさんが、心配そうに僕を見ている。

 さっきまで頬をぺたぺた触っていた人と同じとは思えないほど、真剣な顔だった。

 その表情を見ていると、こちらまで必要以上に深刻になってしまいそうだった。

 だから、僕は少しだけ笑う。

 

「まあ、いいか」

「……よろしいのですか?」

「考えても分からないことは、考えても分かりませんから」

 

 それに、僕が人間だろうと何だろうと、急に身体が強くなるわけではない。

 魔力が増えるわけでもない。

 目を覚ました途端にランクが上がるような、都合のいい話でもなかった。

 

「人間だろうと珍獣だろうと、僕がランク2の駆け出しハンターであることは変わりませんからね」

「珍獣ではありません」

「そこは譲らないんですね」

「はい」

 

 セラフィーンさんが、ほんの少しだけ笑った。

 その表情を見て、僕も少し安心する。

 きっと、大変な話なのだろう。

 僕が思っているより、ずっと。

 けれど、今すぐ全部を理解することはできない。

 だったら、まずは目の前のことから考えるしかなかった。

 

 僕は生きている。

 ミミルさんも、リュシアさんも生きている。

 フレイヴィアさんが助けてくれた。

 セラフィーンさんが治してくれた。

 そしてアルナさんには――これから、とても怒られる。

 今は、それだけでもう手一杯だった。

 

「それと、このことは、しばらく伏せておいた方がよいと思います」

「僕が人間だということですか?」

「はい」

「ギルドにも?」

「はい」

「アルナさんにも?」

 

 セラフィーンさんの表情が、僅かに曇った。

 

「……今は、まだ」

 

 僕は少し黙った。

 アルナさんには、話したいと思う。

 あの人には、たくさん心配をかけている。

 いつも怒って、呆れて、それでも依頼へ向かう僕を送り出してくれる。

 そんな人へ隠し事をするのは、胸の奥へ小さな棘を残すようで嫌だった。

 けれど、セラフィーンさんがそう言うなら、きっと理由があるのだろう。

 少なくとも、僕よりずっとこの世界のことを知っている人だ。

 

「分かりました」

 

 答えると、セラフィーンさんが少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「よろしいのですか?」

「はい。僕はこういう難しい話がよく分からないので、分かっている人の言うことを聞きます」

「……そうですか」

「でも」

 

 僕は、もう一度天井を見上げた。

 白い天井。

 知らない天井。

 言ってみたかった台詞を言えた天井で――自分が知らなかったことまで知ってしまった。

 

「いつかは、アルナさんにも話したいです。あの人には、たくさん心配をかけていますから」

「はい。その時は、きっと」

 

 セラフィーンさんは、静かに頷いた。

 その言葉を聞いた途端、急に身体が重くなる。

 会話をしていただけなのに、随分と疲れていたらしい。二週間も眠っていたのだから、むしろこれだけ喋っている方がおかしいのかもしれない。

 セラフィーンさんが、肩まで布をかけ直してくれる。

 

「今は眠ってください。かなり危険な状態だったのですから」

「分かりました」

 

 素直に頷く。

 瞼を閉じようとして、ふと思い出した。

 

「ところで、セラフィーンさん」

「はい」

「僕が起きたこと、アルナさんには――」

 

 その瞬間だった。

 廊下の向こうから、ものすごい勢いで足音が近づいてくる。

 軽い。

 速い。

 そして――聞き慣れている。

 

「ルキウスさんが目を覚ましたって本当ですかぁぁぁ!?」

 

 僕は固まった。

 セラフィーンさんは、静かに微笑む。

 

「伝わったようですね」

「……僕、怒られます?」

「はい。おそらく、とても」

 

 僕はもう一度、天井を見上げた。

 知らない天井だ、などと言っている場合ではなかった。

 この日、僕は自分がおとぎ話の中にいるはずの人間だと知らされた。

 けれど、それよりも先に――アルナさんに怒られる覚悟をすることになった。

 

 





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