駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第一章 最終話『少年は再びギルドに立つ』

 

 ◆

 

 ギルドという場所は、基本的に騒がしい。

 朝なら、掲示板の前で依頼を選ぶハンターたちの声が響く。昼になれば、依頼を終えた者たちの報告や笑い声が飛び交い、夕方には併設された酒場から肉の焼ける匂いと、その日の成果を自慢する声が流れてくる。

 自由交易都市エルドランのハンターズギルドも、その例に漏れない。

 

「その依頼、昨日も残ってなかったか?」

「報酬の割に歩くんだよ。誰が受けるか」

「文句を言ってないで働け、働け」

 

 木と石で造られた大広間には、今日も多くのハンターが集まっていた。

 壁一面の依頼票を眺める者。

 受付の列に並ぶ者。

 テーブルに腰掛け、出発前の腹ごしらえをする者。

 いつも通りの光景だ。

 けれど、交わされる話の端々には――まだ北の雪原の名が残っていた。

 

「それで、北の調査はどうなったんだ?」

 

 窓際のテーブルで、獣人族の男が杯を片手に尋ねた。

 名をドランという。

 三十を少し越えたランク4のハンターで、茶色い獣耳と日に焼けた顔を持つ。街道周辺や雪原外縁の護衛を主に請け負い、今回の救援にも参加していた。

 雪煙の向こうで何が起きていたのか、そのすべてを見たわけではない。

 それでも――あの日の白い巨体は、遠目からでも忘れようがなかった。

 向かいに座るエルフのハンターが、声を潜める。

 

「しばらくは立ち入り制限だとさ。調査員も追加で出すらしいが、あの大型がいるなら低ランクは近づけない」

「そりゃそうだ。あれはランク2や3がどうこうできる相手じゃない」

 

 ドランは杯を置き、太い腕を組んだ。

 雪へ溶け込むような白灰色の体毛。

 木々を踏み潰す脚。

 離れていても、身体が竦むほどの圧力。

 救援隊が駆けつけた時、フレイヴィアが先行していなければ――どうなっていたかは考えたくもない。

 

「ミミルとリュシアは?」

「命は助かった。しばらく休養だとよ」

「なら、まだよかった方だな」

 

 周囲にいた数人が頷いた。

 

「……よかったな」

 

 誰かが、確かめるように呟く。

 調査員二人は生きて帰った。

 救援隊にも死者は出ていない。

 大型モンスターの情報も持ち帰られた。

 結果だけを並べれば、被害は最小限だったと言えるのかもしれない。

 

「けどよ……」

 

 別のハンターが、卓上の皿を指で押した。

 誰も続きを急かさない。

 全員が、同じことを考えていたからだ。

 

「例のフードの坊主は?」

 

 その言葉に、テーブルの周囲が僅かに静まった。

 フードの坊主。

 名前を知らない者でさえ、そう聞けば誰のことか分かる。

 それくらいには、あの少年もギルドで知られるようになっていた。

 

「ああ、ルキウスか」

 

 エルフのハンターが、少しだけ眉を下げる。

 

「目は覚ましたって聞いたぞ」

「本当か?」

「セラフィーン様がそう仰っていたって、教会から戻ったやつが話してた」

 

 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

 ドランも、胸の奥へ溜めていた息を吐く。

 

「あの怪我で生きてたのか」

「悪運が強いんだろうな」

「悪運だけでどうにかなる傷じゃなかったぞ。見ただろ、フレイヴィア様が背負って戻ってきた時の姿」

 

 何人かが、揃って渋い顔をした。

 ギルドへ運び込まれた時のルキウスを見ていた者は少なくない。

 血と雪に濡れ、意識を失い、深くフードを被せられたまま動かなかった少年。

 あの姿を見て、助かると信じられた者がどれほどいただろう。

 

「真面目なやつだったよな」

 

 ぽつりと、誰かが言った。

 

「依頼も選り好みしねぇし、採取でも運搬でも、受付嬢ちゃんに言われたらちゃんと行ってた」

「そのたびに血だらけだったけどな」

「血だらけ率が高すぎるんだよ、あいつは」

「小型相手にあそこまで怪我して帰ってくる新人、逆に珍しいぞ」

 

 テーブルに、小さな笑いが起こった。

 馬鹿にした笑いではない。

 呆れと親しみ。それに、少しの心配が混じったものだった。

 

「あいつ、ガルドの兄貴に借りた金も返しに行ったんだろ?」

「聞いた聞いた。百ソルだろ。律儀だよな」

「角兎亭の女将も気に入ってたぞ。血まみれ坊やとか呼んでた」

「それは気に入ってるのか?」

「女将が飯を多めに出してるなら、気に入ってる証拠だ」

 

 また笑いが起こる。

 ルキウスは、強いハンターではなかった。

 少なくとも、今はまだ。

 けれど、嫌われてはいなかった。

 変なフードを被った、よく分からない新人。

 真面目で、礼儀正しく、妙に人懐っこい。

 そして――やたらと無茶をする。

 そんな評判が、本人の知らないところで少しずつ広がっていた。

 

「でも……もう無理だろうな」

 

 ドランが声を落とす。

 笑いが止まった。

 誰も、すぐには否定しなかった。

 向かいのエルフが、静かに杯へ目を落とす。

 

「……だろうな」

「命が助かっただけで十分だ。あの怪我でハンターに戻るのは難しい」

 

 ドランは、大広間の奥にある依頼板へ視線を向けた。

 採取。

 護衛。

 討伐。

 調査。

 紙へ書かれた文字だけなら、どれも簡単に見える。

 けれど、その向こうには常に怪我があり――時には死がある。

 

「クエストで大怪我をしたハンターが戻ってくるのは、そう多くねぇ。身体が治っても、心まで戻るとは限らないからな」

「一度、本気で死にかけると足が止まる」

「特に大型はな。あの圧は、低ランクがまともに浴びるもんじゃない」

 

 誰かが、苦く笑った。

 

「ランク2の新人が、ランク4相当の大型に追い回されたんだ。普通はもう、雪を見るだけで足が竦む」

「責められねぇよ」

「むしろ、生きて辞められるなら運がいい」

 

 それは、冷たい言葉ではなかった。

 ハンターとして生きてきた者たちが知る、当たり前の現実だった。

 骨が折れ、剣を握れなくなった者。

 脚を痛め、走れなくなった者。

 仲間を失い、依頼票を見ることさえできなくなった者。

 

「生きて帰っただけじゃ、戻れねぇこともあるからな」

 

 その一言に、誰も返事をしなかった。

 生きて帰ったからといって、同じ場所へ戻れるとは限らない。

 誰もが、それを知っていた。

 

 ドランは受付の方を見る。

 アルナが、いつも通り仕事をしていた。

 書類を受け取り、依頼内容を確認し、カウンターの向こうに立つハンターへ説明している。

 けれど、少し痩せたようにも見えた。

 目元には、まだ疲れが残っている。

 

「受付嬢ちゃんも大変だったろうな」

「ああ。毎日、教会へ通ってたって聞いたぞ」

「そりゃそうだろ。あいつ、毎回あの子に見送られてたしな」

「怒られてるところも、よく見た」

「怒られるだけ、気にかけられてたってことだ」

 

 アルナの猫耳が、ぴくりと動いた。

 聞こえていたのかもしれない。

 けれど、彼女は仕事の手を止めなかった。

 ただ、受け取った書類を整える指先だけが――ほんの一瞬、動きを止める。

 

「まあ、元気になったら顔くらい見せに来るだろ」

 

 ドランは杯を持ち上げた。

 

「ハンターを辞めるにしても、挨拶くらいはするだろうし」

「そうだな」

「ちゃんと生きてるなら、それで十分だ」

 

 誰かがそう言った。

 その時だった。

 

 からん、と。

 ギルドの扉が開き、入口の鈴が鳴った。

 いつもと変わらない音だった。

 新しい依頼人か。

 朝の出発に遅れたハンターか。

 その程度のものだと思いながら、ドランは何気なく入口へ顔を向け――杯を持ったまま固まった。

 

「……おい」

 

 開いた扉の前に、フードの少年が立っていた。

 

 ◆

 

 久しぶりのギルドだった。

 重たい扉をくぐった瞬間、いくつもの匂いが押し寄せてくる。

 革に鉄。人の汗と酒、それに奥の食堂から漂ってくる温かなスープの匂い。

 依頼票の紙が揺れる音や、受付で交わされる声まで、何もかもが懐かしかった。

 

「……戻ってきた」

 

 声にすると、胸の奥が少しだけ跳ねた。

 教会で目を覚ましてから、一週間。

 最初の数日は、寝台から起き上がるだけで息が切れた。

 歩く練習を始めれば、廊下を少し進んだだけで脚が重くなり、調子に乗って距離を伸ばせば――。

 

『動きすぎです』

 

 セラフィーンさんに、静かに止められた。

 アルナさんには毎日のように怒られた。

 ミミルさんとリュシアさんが無事だと聞いて安心したけれど、実際に顔を見られるようになるまでには少し時間がかかった。

 そして今日。

 ようやく、外出の許可が出た。

 

「……長かった」

 

 もちろん、完全に治ったわけではない。

 セラフィーンさんからは、何度も念を押されている。

 

『無茶はしないでください』

 

 アルナさんにも言われた。

 

『本当に、本当に本当に無茶はしないでください』

 

 さらに、フレイヴィアさんからも。

 

『動けることと、動いてよいことは違う』

 

 全員が、ほとんど同じことを言っている。

 

「信用がないなぁ……」

 

 自分でも、その理由には心当たりしかなかった。

 それはそれとして――今日から、ハンター生活再開である。

 胸がどきどきしていた。

 まだ脇腹は、深く息を吸うと僅かに引きつる。

 肩にも違和感が残っていて、長く歩けば脚も重くなる。

 それでも、自分の足でここまで来られた。

 

「うん」

 

 ただそれだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 ギルドへ入って数歩。

 そこで、何かがおかしいことに気づく。

 

「……あれ?」

 

 大広間が静かだった。

 いや、完全に静まり返っているわけではない。

 奥では誰かが声を潜めて話しているし、受付からは紙をめくる音も聞こえる。

 けれど――明らかに、視線が集まっていた。

 僕に。

 

「……おはようございます?」

 

 とりあえず挨拶をしてみる。

 次の瞬間、近くのテーブルにいたハンターさんたちが一斉に立ち上がった。

 

「おい、坊主!」

「お前、もう歩いていいのか!?」

「教会を抜け出してきたんじゃねぇだろうな!」

「顔色悪いぞ!」

「座れ! とりあえず座れ!」

 

 あっという間に囲まれた。

 

「え、ええと……」

 

 一歩退こうとして、脇腹が小さく引きつる。

 

「いっ……」

「ほら見ろ! まだ痛ぇんじゃねぇか!」

「セラフィーン様の許可は!?」

「も、もらってます。一応」

「一応ってなんだ、一応って!」

 

 怒られた。

 ハンターさんたちにまで怒られた。

 なぜだろう。

 僕は、ただギルドへ来ただけなのに。

 

「……いや、理由は分かるけど」

 

 二週間も眠っていたらしい。

 一週間前まで、まともに歩けなかった。

 心配されるのは当然なのだろう。

 でも――こんなに囲まれるとは思っていなかった。

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

 茶色い獣耳のハンターさんが、僕の顔を覗き込むように尋ねた。

 雪原の救援で見かけた人だと思う。

 名前までは分からないけれど、ギルドでも何度か見た覚えがあった。

 

「はい。まだ少し痛みますけど、歩く分には大丈夫です」

「歩く分には、な」

「はい」

「走るなよ」

「はい」

「戦うなよ」

「え」

「え、じゃねぇ」

 

 睨まれた。

 僕は素直に口を閉じる。

 その時、受付の方から足音が近づいてきた。

 

「ルキウスさん」

 

 アルナさんだった。

 いつもの受付嬢の制服。

 猫耳はぴんと立っている。

 目元にはまだ少し疲れが見えるけれど、今日の顔はきちんと受付嬢のものだった。

 

「おはようございます、アルナさん」

「おはようございます」

 

 少し間が空く。

 アルナさんは、僕の顔から肩、腕、脇腹の辺りまで順番に視線を滑らせた。

 

「…………」

「その目、何か見つけました?」

「異常がないか確認しています」

「ギルドに入るたびに健康診断を受けることになりそうです」

「必要だと思います」

「そうですか……」

 

 冗談ではない顔だった。

 アルナさんはもう一度、僕の足元まで確認してから尋ねる。

 

「本当に、セラフィーン様から許可をいただいたんですね?」

「はい」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 いつものやり取りだった。

 そのことが、少し嬉しい。

 アルナさんも一瞬だけ表情を緩める。

 けれど、すぐに周囲のハンターさんの一人が口を開いた。

 

「――それより、お前。何しに来たんだ?」

 

 その声に、周囲が僅かに静かになる。

 僕は首を傾げた。

 

「何って……クエストですが」

 

 空気が止まった。

 不思議なくらい、ぴたりと。

 僕を囲んでいたハンターさんたちが、全員同じような顔で固まっている。

 

「……クエスト?」

「はい」

「今日から?」

「はい。今日から、ハンター生活再開なので」

 

 普通に答えたつもりだった。

 でも、どうやら普通ではなかったらしい。

 獣耳のハンターさんが、信じられないものを見るように僕を見つめる。

 

「お前……怖くないのか?」

 

 その問いに、僕は少しだけ黙った。

 

「…………」

 

 怖くない。

 そう答えられたら、格好よかったのかもしれない。

 けれど、そんなことはなかった。

 白い雪原を思い出す。

 迫る爪。

 折れた枝を握った手。

 フードが外れ、顔へ触れた冷たい風。

 死ぬと思った瞬間。

 思い出すだけで、喉の奥が冷たくなる。

 

「怖いですよ」

 

 正直に答えた。

 ハンターさんたちは、黙って僕を見る。

 

「今でも、思い出します。雪の音も、あいつの目も……たぶん、しばらく忘れられません」

 

 手袋の中で、指を軽く握る。

 怖かった。

 痛かった。

 悔しかった。

 そして最後には――また、助けられた。

 

「でも、辞めたいとは思わなかったので」

 

 口にしてみると、自分でも少し不思議だった。

 雪原で死にかけたことより、もう二度と依頼票を取れない自分を想像する方が、ずっと嫌だった。

 もう一度、ギルドの扉を開く。

 また依頼へ向かう。

 そのために身体を動かすことを、迷ったことはなかった。

 

「だから、戻ってきました」

 

 誰も、すぐには何も言わなかった。

 茶色い獣耳のハンターさんが、やがて頭を掻く。

 

「……そうかよ」

「はい」

「馬鹿だな、お前」

「よく言われます」

 

 小さな笑いが起こった。

 今度の笑いには、少しだけ安堵が混じっていた。

 

「それに、今日は一人ではありません」

 

 そう告げた瞬間だった。

 ギルドの奥で、空気が変わる。

 大広間にいたハンターたちが、自然と道を空けた。

 音が、一つずつ静まっていく。

 

「来たか」

 

 フレイヴィアさんが歩いてきた。

 黒髪を背へ流し、黄金の瞳をまっすぐこちらへ向けている。

 背には、身の丈ほどの大剣。

 いつものように堂々とした歩き方で、まるでギルドの床の方が彼女に合わせているみたいだった。

 

「はい。遅くなってすみません」

「病み上がりにしては早い」

「セラフィーンさんには、無理をしないようにと言われました」

「では、無理をせぬように無理をさせる」

「それは結局、無理なのでは?」

「口答えできるなら十分だ」

 

 周囲がざわついた。

 僕はその声で、ようやく気づく。

 

「……あれ?」

 

 もしかして、この会話は少し変だっただろうか。

 フレイヴィアさんは気にした様子もなく、受付へ視線を向けた。

 

「アルナ」

「はい」

 

 アルナさんは、すでに書類を用意していた。

 

「本日の依頼は、東街道沿いの小型モンスター痕跡確認です。危険度は低いものですが、リハビリも兼ねていますので、絶対に無理はしないでください」

「はい」

「本当に?」

「本当に本当です」

「フレイヴィア様もです」

「余もか」

「はい」

 

 フレイヴィアさんが僅かに眉を上げる。

 アルナさんは依頼書を差し出しながら、真剣な顔で告げた。

 

「怪我もさせないでください」

 

 フレイヴィアさんは、ほんの少しだけ間を置いた。

 

「……善処する」

「そこは断言してください」

「ならば、なるべく怪我をさせぬ」

「弱くなりました」

「怪我のない修行などあるのか?」

「病み上がりです」

「む」

 

 フレイヴィアさんが黙った。

 僕は、苦笑するしかない。

 

「アルナさん、大丈夫です。無理はしません」

「ルキウスさんの大丈夫は、信用度が低いです」

「はい……」

 

 反論できなかった。

 ギルドカードと依頼書を受け取る。

 紙の重みが、妙に懐かしい。

 

「また、依頼に行ける」

 

 思わず漏れた声に、アルナさんの猫耳が小さく動いた。

 何かを言いかけたようだったけれど、結局は言葉にせず、依頼書を持つ僕の手を見つめる。

 その代わり、いつもと同じ声で告げた。

 

「行ってらっしゃいませ」

「はい。行ってきます」

 

 そのやり取りだけで、胸が温かくなった。

 

「では、行くぞ」

「はい」

 

 フレイヴィアさんが歩き出す。

 僕も、その隣へ並ぶ。

 いや、歩幅が違いすぎるので、少し後ろになる。

 それでも、以前のようにただ背中を見送るだけではない。

 今日は――一緒に行くのだ。

 

 周囲のハンターさんたちは、まだぽかんとしていた。

 やがて一人が、受付にいるアルナさんへ恐る恐る声を掛ける。

 

「受付嬢ちゃん」

「はい?」

「あれ、どういうことだ?」

 

 アルナさんは、書類を整えながら、何でもないことのように答えた。

 

「ああ。ルキウスさん、弟子入りしたんですよ。フレイヴィア様に」

 

 一瞬の沈黙。

 今度こそ、ギルド全体が完全に静まり返った。

 

「…………」

 

 誰かが杯を落とした。

 硬い音が床へ響く。

 その次の瞬間――。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 大広間が爆発した。

 

「フレイヴィア様に!?」

「あの坊主が!?」

「弟子!?」

「竜族の姫の!?」

「いや待て、どうやったらそうなるんだよ!」

「雪原で何があった!?」

「肉か!? 肉を持っていったのか!?」

「それは見舞いだろ!」

「なんで知ってるんだよ!」

 

 ものすごい騒ぎになった。

 僕は扉の前で立ち止まり、振り返る。

 

「あれ。言ってませんでしたっけ?」

「言ってません」

 

 アルナさんが即答した。

 

「そうでしたか」

「そうでした」

「言った方がよかったですか?」

「事前に心の準備はさせてあげてもよかったと思います」

 

 周囲を見る。

 心の準備が足りなかったらしいハンターさんたちは、まだ大騒ぎを続けていた。

 フレイヴィアさんは、ギルド中の騒ぎなど気にした様子もなく扉へ向かっている。

 

「騒がしいな」

「フレイヴィアさんのせいでもあると思います」

「余のせいか?」

「はい」

 

 フレイヴィアさんは少しだけ考えた。

 

「ならば、行くぞ」

「そこで納得するんですね」

「騒ぎが収まるまで待つ必要はなかろう」

「それは、そうですけど」

 

 思わず笑う。

 脇腹が少しだけ痛んだ。

 けれど、その痛みも――今日は悪くなかった。

 

 ギルドの扉をくぐる。

 外には、エルドランの朝が広がっていた。

 潮を含んだ港の匂い。

 石畳を歩く人々の声。

 遠くから聞こえる荷車の音。

 何もかもが、初めてこの街へ来た日のことを思い出させる。

 

 ガルドさんの荷台に揺られ。

 百ソルを借り。

 何も知らないまま、ギルドの扉を開いた日。

 あの日の僕は――ただ、英雄に憧れていた。

 

「フレイヴィアさん」

「なんだ」

「少し、ゆっくり歩いてもらえますか?」

「もう疲れたか?」

「いえ。歩幅の問題です」

「鍛えろ」

「脚の長さは鍛えても変わらないと思います」

「諦めるな」

「そこは諦めさせてください」

 

 フレイヴィアさんの尾が、小さく揺れた。

 笑ったのかもしれない。

 僕は少しだけ歩幅を広げ、その隣へ追いつく。

 

 英雄は、今もまだ遠い。

 フレイヴィアさんの背中は、ずっと先にある。

 手を伸ばしても、簡単には届かない。

 雪原で思い知らされた。

 僕には力がない。

 誰かを守るどころか、最後にはまた助けられた。

 

 ――それでも。

 

「次は、もう少し頑張ります」

「もう少しでは足りぬ」

「厳しいですね」

「余の弟子になるのだろう?」

「はい」

「ならば、ついてこい」

「……はい!」

 

 今度は、その背中を追うための道が、確かに目の前にあった。

 僕は少し痛む身体で、フレイヴィアさんの隣を歩き出す。

 後ろのギルドからは、まだハンターたちの絶叫が聞こえていた。

 

 英雄に憧れた少年は、弱かった。

 何度も傷つき、何度も助けられた。

 理想には、まだ遠く及ばない。

 

 けれど――少年は再び、歩き始めた。

 

 ◆

 

 第一章 英雄に憧れた少年 完

 





 これにて『駆け出しハンターは英雄に憧れる~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~』第一章『少年は英雄に夢を見る』完結となります。
 ここまで読んでくださった方。
 本当に、本当にありがとうございます。
 暖かい感想や、評価も大きな私の励み、モチベーションになっています。

 重ねてにはなりますが、ここまで読んでくださった読者様に感謝を。
 次話からは、第二章になります。
 もしよければ、第二章からもルキウスの冒険譚をお楽しみください。

 
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