駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
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ギルドという場所は、基本的に騒がしい。
朝なら、掲示板の前で依頼を選ぶハンターたちの声が響く。昼になれば、依頼を終えた者たちの報告や笑い声が飛び交い、夕方には併設された酒場から肉の焼ける匂いと、その日の成果を自慢する声が流れてくる。
自由交易都市エルドランのハンターズギルドも、その例に漏れない。
「その依頼、昨日も残ってなかったか?」
「報酬の割に歩くんだよ。誰が受けるか」
「文句を言ってないで働け、働け」
木と石で造られた大広間には、今日も多くのハンターが集まっていた。
壁一面の依頼票を眺める者。
受付の列に並ぶ者。
テーブルに腰掛け、出発前の腹ごしらえをする者。
いつも通りの光景だ。
けれど、交わされる話の端々には――まだ北の雪原の名が残っていた。
「それで、北の調査はどうなったんだ?」
窓際のテーブルで、獣人族の男が杯を片手に尋ねた。
名をドランという。
三十を少し越えたランク4のハンターで、茶色い獣耳と日に焼けた顔を持つ。街道周辺や雪原外縁の護衛を主に請け負い、今回の救援にも参加していた。
雪煙の向こうで何が起きていたのか、そのすべてを見たわけではない。
それでも――あの日の白い巨体は、遠目からでも忘れようがなかった。
向かいに座るエルフのハンターが、声を潜める。
「しばらくは立ち入り制限だとさ。調査員も追加で出すらしいが、あの大型がいるなら低ランクは近づけない」
「そりゃそうだ。あれはランク2や3がどうこうできる相手じゃない」
ドランは杯を置き、太い腕を組んだ。
雪へ溶け込むような白灰色の体毛。
木々を踏み潰す脚。
離れていても、身体が竦むほどの圧力。
救援隊が駆けつけた時、フレイヴィアが先行していなければ――どうなっていたかは考えたくもない。
「ミミルとリュシアは?」
「命は助かった。しばらく休養だとよ」
「なら、まだよかった方だな」
周囲にいた数人が頷いた。
「……よかったな」
誰かが、確かめるように呟く。
調査員二人は生きて帰った。
救援隊にも死者は出ていない。
大型モンスターの情報も持ち帰られた。
結果だけを並べれば、被害は最小限だったと言えるのかもしれない。
「けどよ……」
別のハンターが、卓上の皿を指で押した。
誰も続きを急かさない。
全員が、同じことを考えていたからだ。
「例のフードの坊主は?」
その言葉に、テーブルの周囲が僅かに静まった。
フードの坊主。
名前を知らない者でさえ、そう聞けば誰のことか分かる。
それくらいには、あの少年もギルドで知られるようになっていた。
「ああ、ルキウスか」
エルフのハンターが、少しだけ眉を下げる。
「目は覚ましたって聞いたぞ」
「本当か?」
「セラフィーン様がそう仰っていたって、教会から戻ったやつが話してた」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
ドランも、胸の奥へ溜めていた息を吐く。
「あの怪我で生きてたのか」
「悪運が強いんだろうな」
「悪運だけでどうにかなる傷じゃなかったぞ。見ただろ、フレイヴィア様が背負って戻ってきた時の姿」
何人かが、揃って渋い顔をした。
ギルドへ運び込まれた時のルキウスを見ていた者は少なくない。
血と雪に濡れ、意識を失い、深くフードを被せられたまま動かなかった少年。
あの姿を見て、助かると信じられた者がどれほどいただろう。
「真面目なやつだったよな」
ぽつりと、誰かが言った。
「依頼も選り好みしねぇし、採取でも運搬でも、受付嬢ちゃんに言われたらちゃんと行ってた」
「そのたびに血だらけだったけどな」
「血だらけ率が高すぎるんだよ、あいつは」
「小型相手にあそこまで怪我して帰ってくる新人、逆に珍しいぞ」
テーブルに、小さな笑いが起こった。
馬鹿にした笑いではない。
呆れと親しみ。それに、少しの心配が混じったものだった。
「あいつ、ガルドの兄貴に借りた金も返しに行ったんだろ?」
「聞いた聞いた。百ソルだろ。律儀だよな」
「角兎亭の女将も気に入ってたぞ。血まみれ坊やとか呼んでた」
「それは気に入ってるのか?」
「女将が飯を多めに出してるなら、気に入ってる証拠だ」
また笑いが起こる。
ルキウスは、強いハンターではなかった。
少なくとも、今はまだ。
けれど、嫌われてはいなかった。
変なフードを被った、よく分からない新人。
真面目で、礼儀正しく、妙に人懐っこい。
そして――やたらと無茶をする。
そんな評判が、本人の知らないところで少しずつ広がっていた。
「でも……もう無理だろうな」
ドランが声を落とす。
笑いが止まった。
誰も、すぐには否定しなかった。
向かいのエルフが、静かに杯へ目を落とす。
「……だろうな」
「命が助かっただけで十分だ。あの怪我でハンターに戻るのは難しい」
ドランは、大広間の奥にある依頼板へ視線を向けた。
採取。
護衛。
討伐。
調査。
紙へ書かれた文字だけなら、どれも簡単に見える。
けれど、その向こうには常に怪我があり――時には死がある。
「クエストで大怪我をしたハンターが戻ってくるのは、そう多くねぇ。身体が治っても、心まで戻るとは限らないからな」
「一度、本気で死にかけると足が止まる」
「特に大型はな。あの圧は、低ランクがまともに浴びるもんじゃない」
誰かが、苦く笑った。
「ランク2の新人が、ランク4相当の大型に追い回されたんだ。普通はもう、雪を見るだけで足が竦む」
「責められねぇよ」
「むしろ、生きて辞められるなら運がいい」
それは、冷たい言葉ではなかった。
ハンターとして生きてきた者たちが知る、当たり前の現実だった。
骨が折れ、剣を握れなくなった者。
脚を痛め、走れなくなった者。
仲間を失い、依頼票を見ることさえできなくなった者。
「生きて帰っただけじゃ、戻れねぇこともあるからな」
その一言に、誰も返事をしなかった。
生きて帰ったからといって、同じ場所へ戻れるとは限らない。
誰もが、それを知っていた。
ドランは受付の方を見る。
アルナが、いつも通り仕事をしていた。
書類を受け取り、依頼内容を確認し、カウンターの向こうに立つハンターへ説明している。
けれど、少し痩せたようにも見えた。
目元には、まだ疲れが残っている。
「受付嬢ちゃんも大変だったろうな」
「ああ。毎日、教会へ通ってたって聞いたぞ」
「そりゃそうだろ。あいつ、毎回あの子に見送られてたしな」
「怒られてるところも、よく見た」
「怒られるだけ、気にかけられてたってことだ」
アルナの猫耳が、ぴくりと動いた。
聞こえていたのかもしれない。
けれど、彼女は仕事の手を止めなかった。
ただ、受け取った書類を整える指先だけが――ほんの一瞬、動きを止める。
「まあ、元気になったら顔くらい見せに来るだろ」
ドランは杯を持ち上げた。
「ハンターを辞めるにしても、挨拶くらいはするだろうし」
「そうだな」
「ちゃんと生きてるなら、それで十分だ」
誰かがそう言った。
その時だった。
からん、と。
ギルドの扉が開き、入口の鈴が鳴った。
いつもと変わらない音だった。
新しい依頼人か。
朝の出発に遅れたハンターか。
その程度のものだと思いながら、ドランは何気なく入口へ顔を向け――杯を持ったまま固まった。
「……おい」
開いた扉の前に、フードの少年が立っていた。
◆
久しぶりのギルドだった。
重たい扉をくぐった瞬間、いくつもの匂いが押し寄せてくる。
革に鉄。人の汗と酒、それに奥の食堂から漂ってくる温かなスープの匂い。
依頼票の紙が揺れる音や、受付で交わされる声まで、何もかもが懐かしかった。
「……戻ってきた」
声にすると、胸の奥が少しだけ跳ねた。
教会で目を覚ましてから、一週間。
最初の数日は、寝台から起き上がるだけで息が切れた。
歩く練習を始めれば、廊下を少し進んだだけで脚が重くなり、調子に乗って距離を伸ばせば――。
『動きすぎです』
セラフィーンさんに、静かに止められた。
アルナさんには毎日のように怒られた。
ミミルさんとリュシアさんが無事だと聞いて安心したけれど、実際に顔を見られるようになるまでには少し時間がかかった。
そして今日。
ようやく、外出の許可が出た。
「……長かった」
もちろん、完全に治ったわけではない。
セラフィーンさんからは、何度も念を押されている。
『無茶はしないでください』
アルナさんにも言われた。
『本当に、本当に本当に無茶はしないでください』
さらに、フレイヴィアさんからも。
『動けることと、動いてよいことは違う』
全員が、ほとんど同じことを言っている。
「信用がないなぁ……」
自分でも、その理由には心当たりしかなかった。
それはそれとして――今日から、ハンター生活再開である。
胸がどきどきしていた。
まだ脇腹は、深く息を吸うと僅かに引きつる。
肩にも違和感が残っていて、長く歩けば脚も重くなる。
それでも、自分の足でここまで来られた。
「うん」
ただそれだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
ギルドへ入って数歩。
そこで、何かがおかしいことに気づく。
「……あれ?」
大広間が静かだった。
いや、完全に静まり返っているわけではない。
奥では誰かが声を潜めて話しているし、受付からは紙をめくる音も聞こえる。
けれど――明らかに、視線が集まっていた。
僕に。
「……おはようございます?」
とりあえず挨拶をしてみる。
次の瞬間、近くのテーブルにいたハンターさんたちが一斉に立ち上がった。
「おい、坊主!」
「お前、もう歩いていいのか!?」
「教会を抜け出してきたんじゃねぇだろうな!」
「顔色悪いぞ!」
「座れ! とりあえず座れ!」
あっという間に囲まれた。
「え、ええと……」
一歩退こうとして、脇腹が小さく引きつる。
「いっ……」
「ほら見ろ! まだ痛ぇんじゃねぇか!」
「セラフィーン様の許可は!?」
「も、もらってます。一応」
「一応ってなんだ、一応って!」
怒られた。
ハンターさんたちにまで怒られた。
なぜだろう。
僕は、ただギルドへ来ただけなのに。
「……いや、理由は分かるけど」
二週間も眠っていたらしい。
一週間前まで、まともに歩けなかった。
心配されるのは当然なのだろう。
でも――こんなに囲まれるとは思っていなかった。
「本当に大丈夫なのか?」
茶色い獣耳のハンターさんが、僕の顔を覗き込むように尋ねた。
雪原の救援で見かけた人だと思う。
名前までは分からないけれど、ギルドでも何度か見た覚えがあった。
「はい。まだ少し痛みますけど、歩く分には大丈夫です」
「歩く分には、な」
「はい」
「走るなよ」
「はい」
「戦うなよ」
「え」
「え、じゃねぇ」
睨まれた。
僕は素直に口を閉じる。
その時、受付の方から足音が近づいてきた。
「ルキウスさん」
アルナさんだった。
いつもの受付嬢の制服。
猫耳はぴんと立っている。
目元にはまだ少し疲れが見えるけれど、今日の顔はきちんと受付嬢のものだった。
「おはようございます、アルナさん」
「おはようございます」
少し間が空く。
アルナさんは、僕の顔から肩、腕、脇腹の辺りまで順番に視線を滑らせた。
「…………」
「その目、何か見つけました?」
「異常がないか確認しています」
「ギルドに入るたびに健康診断を受けることになりそうです」
「必要だと思います」
「そうですか……」
冗談ではない顔だった。
アルナさんはもう一度、僕の足元まで確認してから尋ねる。
「本当に、セラフィーン様から許可をいただいたんですね?」
「はい」
「本当に?」
「本当に本当です」
いつものやり取りだった。
そのことが、少し嬉しい。
アルナさんも一瞬だけ表情を緩める。
けれど、すぐに周囲のハンターさんの一人が口を開いた。
「――それより、お前。何しに来たんだ?」
その声に、周囲が僅かに静かになる。
僕は首を傾げた。
「何って……クエストですが」
空気が止まった。
不思議なくらい、ぴたりと。
僕を囲んでいたハンターさんたちが、全員同じような顔で固まっている。
「……クエスト?」
「はい」
「今日から?」
「はい。今日から、ハンター生活再開なので」
普通に答えたつもりだった。
でも、どうやら普通ではなかったらしい。
獣耳のハンターさんが、信じられないものを見るように僕を見つめる。
「お前……怖くないのか?」
その問いに、僕は少しだけ黙った。
「…………」
怖くない。
そう答えられたら、格好よかったのかもしれない。
けれど、そんなことはなかった。
白い雪原を思い出す。
迫る爪。
折れた枝を握った手。
フードが外れ、顔へ触れた冷たい風。
死ぬと思った瞬間。
思い出すだけで、喉の奥が冷たくなる。
「怖いですよ」
正直に答えた。
ハンターさんたちは、黙って僕を見る。
「今でも、思い出します。雪の音も、あいつの目も……たぶん、しばらく忘れられません」
手袋の中で、指を軽く握る。
怖かった。
痛かった。
悔しかった。
そして最後には――また、助けられた。
「でも、辞めたいとは思わなかったので」
口にしてみると、自分でも少し不思議だった。
雪原で死にかけたことより、もう二度と依頼票を取れない自分を想像する方が、ずっと嫌だった。
もう一度、ギルドの扉を開く。
また依頼へ向かう。
そのために身体を動かすことを、迷ったことはなかった。
「だから、戻ってきました」
誰も、すぐには何も言わなかった。
茶色い獣耳のハンターさんが、やがて頭を掻く。
「……そうかよ」
「はい」
「馬鹿だな、お前」
「よく言われます」
小さな笑いが起こった。
今度の笑いには、少しだけ安堵が混じっていた。
「それに、今日は一人ではありません」
そう告げた瞬間だった。
ギルドの奥で、空気が変わる。
大広間にいたハンターたちが、自然と道を空けた。
音が、一つずつ静まっていく。
「来たか」
フレイヴィアさんが歩いてきた。
黒髪を背へ流し、黄金の瞳をまっすぐこちらへ向けている。
背には、身の丈ほどの大剣。
いつものように堂々とした歩き方で、まるでギルドの床の方が彼女に合わせているみたいだった。
「はい。遅くなってすみません」
「病み上がりにしては早い」
「セラフィーンさんには、無理をしないようにと言われました」
「では、無理をせぬように無理をさせる」
「それは結局、無理なのでは?」
「口答えできるなら十分だ」
周囲がざわついた。
僕はその声で、ようやく気づく。
「……あれ?」
もしかして、この会話は少し変だっただろうか。
フレイヴィアさんは気にした様子もなく、受付へ視線を向けた。
「アルナ」
「はい」
アルナさんは、すでに書類を用意していた。
「本日の依頼は、東街道沿いの小型モンスター痕跡確認です。危険度は低いものですが、リハビリも兼ねていますので、絶対に無理はしないでください」
「はい」
「本当に?」
「本当に本当です」
「フレイヴィア様もです」
「余もか」
「はい」
フレイヴィアさんが僅かに眉を上げる。
アルナさんは依頼書を差し出しながら、真剣な顔で告げた。
「怪我もさせないでください」
フレイヴィアさんは、ほんの少しだけ間を置いた。
「……善処する」
「そこは断言してください」
「ならば、なるべく怪我をさせぬ」
「弱くなりました」
「怪我のない修行などあるのか?」
「病み上がりです」
「む」
フレイヴィアさんが黙った。
僕は、苦笑するしかない。
「アルナさん、大丈夫です。無理はしません」
「ルキウスさんの大丈夫は、信用度が低いです」
「はい……」
反論できなかった。
ギルドカードと依頼書を受け取る。
紙の重みが、妙に懐かしい。
「また、依頼に行ける」
思わず漏れた声に、アルナさんの猫耳が小さく動いた。
何かを言いかけたようだったけれど、結局は言葉にせず、依頼書を持つ僕の手を見つめる。
その代わり、いつもと同じ声で告げた。
「行ってらっしゃいませ」
「はい。行ってきます」
そのやり取りだけで、胸が温かくなった。
「では、行くぞ」
「はい」
フレイヴィアさんが歩き出す。
僕も、その隣へ並ぶ。
いや、歩幅が違いすぎるので、少し後ろになる。
それでも、以前のようにただ背中を見送るだけではない。
今日は――一緒に行くのだ。
周囲のハンターさんたちは、まだぽかんとしていた。
やがて一人が、受付にいるアルナさんへ恐る恐る声を掛ける。
「受付嬢ちゃん」
「はい?」
「あれ、どういうことだ?」
アルナさんは、書類を整えながら、何でもないことのように答えた。
「ああ。ルキウスさん、弟子入りしたんですよ。フレイヴィア様に」
一瞬の沈黙。
今度こそ、ギルド全体が完全に静まり返った。
「…………」
誰かが杯を落とした。
硬い音が床へ響く。
その次の瞬間――。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
大広間が爆発した。
「フレイヴィア様に!?」
「あの坊主が!?」
「弟子!?」
「竜族の姫の!?」
「いや待て、どうやったらそうなるんだよ!」
「雪原で何があった!?」
「肉か!? 肉を持っていったのか!?」
「それは見舞いだろ!」
「なんで知ってるんだよ!」
ものすごい騒ぎになった。
僕は扉の前で立ち止まり、振り返る。
「あれ。言ってませんでしたっけ?」
「言ってません」
アルナさんが即答した。
「そうでしたか」
「そうでした」
「言った方がよかったですか?」
「事前に心の準備はさせてあげてもよかったと思います」
周囲を見る。
心の準備が足りなかったらしいハンターさんたちは、まだ大騒ぎを続けていた。
フレイヴィアさんは、ギルド中の騒ぎなど気にした様子もなく扉へ向かっている。
「騒がしいな」
「フレイヴィアさんのせいでもあると思います」
「余のせいか?」
「はい」
フレイヴィアさんは少しだけ考えた。
「ならば、行くぞ」
「そこで納得するんですね」
「騒ぎが収まるまで待つ必要はなかろう」
「それは、そうですけど」
思わず笑う。
脇腹が少しだけ痛んだ。
けれど、その痛みも――今日は悪くなかった。
ギルドの扉をくぐる。
外には、エルドランの朝が広がっていた。
潮を含んだ港の匂い。
石畳を歩く人々の声。
遠くから聞こえる荷車の音。
何もかもが、初めてこの街へ来た日のことを思い出させる。
ガルドさんの荷台に揺られ。
百ソルを借り。
何も知らないまま、ギルドの扉を開いた日。
あの日の僕は――ただ、英雄に憧れていた。
「フレイヴィアさん」
「なんだ」
「少し、ゆっくり歩いてもらえますか?」
「もう疲れたか?」
「いえ。歩幅の問題です」
「鍛えろ」
「脚の長さは鍛えても変わらないと思います」
「諦めるな」
「そこは諦めさせてください」
フレイヴィアさんの尾が、小さく揺れた。
笑ったのかもしれない。
僕は少しだけ歩幅を広げ、その隣へ追いつく。
英雄は、今もまだ遠い。
フレイヴィアさんの背中は、ずっと先にある。
手を伸ばしても、簡単には届かない。
雪原で思い知らされた。
僕には力がない。
誰かを守るどころか、最後にはまた助けられた。
――それでも。
「次は、もう少し頑張ります」
「もう少しでは足りぬ」
「厳しいですね」
「余の弟子になるのだろう?」
「はい」
「ならば、ついてこい」
「……はい!」
今度は、その背中を追うための道が、確かに目の前にあった。
僕は少し痛む身体で、フレイヴィアさんの隣を歩き出す。
後ろのギルドからは、まだハンターたちの絶叫が聞こえていた。
英雄に憧れた少年は、弱かった。
何度も傷つき、何度も助けられた。
理想には、まだ遠く及ばない。
けれど――少年は再び、歩き始めた。
◆
第一章 英雄に憧れた少年 完
これにて『駆け出しハンターは英雄に憧れる~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~』第一章『少年は英雄に夢を見る』完結となります。
ここまで読んでくださった方。
本当に、本当にありがとうございます。
暖かい感想や、評価も大きな私の励み、モチベーションになっています。
重ねてにはなりますが、ここまで読んでくださった読者様に感謝を。
次話からは、第二章になります。
もしよければ、第二章からもルキウスの冒険譚をお楽しみください。