駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第二章 第二話『少年は竜姫の部屋に戦慄する』

 

 ◆

 

 ベルを鳴らしても、扉を叩いても返事はなかった。

 けれど、家の奥からは何かが崩れるような音が聞こえている。

 

「…………」

 

 留守ではない――おそらく。

 無事かどうかについては、少し自信がない。

 

「フレイヴィアさん、入りますよ」

 

 念のため扉越しに声をかけ、懐から二年前にもらった合鍵を取り出す。

 鍵は抵抗なく回った。

 引き抜いてから、僕はゆっくりと扉を開く。

 

 そして――戦慄した。

 

「……嘘だ」

 

 扉を開けた姿勢のまま、しばらく動けなかった。

 フレイヴィアさんの家を出てから、まだ一週間しか経っていない。

 人が家をここまで荒らすには、あまりにも短い時間だ。

 

 少なくとも、昨日までの僕はそう信じていた。

 

「まず……床がない」

 

 正確には、床が見えない。

 玄関から居間へ続くはずの廊下には、大小さまざまな木箱が積まれていた。

 箱の隙間には、片方だけの手甲。

 刃の欠けた短剣。

 何に使うのか分からない金属棒。

 装飾の施された壺の上には、獣の頭ほどもある黒い石が鎮座している。

 

 壁際へ立てかけられた巻物の横では、薄紫色の布が箱から垂れ、その端が別の鎧へ絡みついていた。

 雑然としている、などという可愛らしい状態ではない。

 

 増え続けた物に、家そのものが押し負けようとしている。

 

「……一週間ですよね?」

 

 窓は荷物に塞がれ、朝だというのに室内は薄暗い。

 閉め切られた空気には、埃と金属、それから乾燥した薬草の匂いが混じっていた。

 

 靴の先で、何か硬い物を踏む。

 

「おっと」

 

 慌てて足を退けると、金色の留め具が床を転がり、木箱の下へ消えていった。

 

「…………」

 

 今の物が必要だった場合、僕にはもう見つけられる気がしない。

 

 玄関へ片足を残したまま、もう一度室内を見渡す。

 最後に来た時は、少なくとも居間まで真っすぐ歩けた。

 今は右へ進めば木箱。

 左へ避ければ鎧。

 その間には、三本ほどの角が束ねて置かれている。

 

「何の角だろう……」

 

 一本だけ、今にも脈打ちそうな色をしていた。

 詳しく確認する機会は、できれば一生訪れないでほしい。

 

「フレイヴィアさん?」

 

 少し声を張って呼んでみる。

 返事はない。

 けれど、奥の部屋から人の気配だけは感じられた。

 

 家の中にはいる。

 この惨状の中心で無事に暮らせているかは――別の話だけれど。

 

「失礼します」

 

 誰も返事をしてくれないので、自分で断ってから中へ進む。

 足元の木箱を跨ぎ、倒れかけた槍を片手で支える。

 ところが、その石突きが隣の箱へ触れ、上に並んでいた小瓶が一斉に揺れ始めた。

 

「待ってください」

 

 誰に頼んだのか、自分でも分からない。

 反射的に両手を伸ばし、落ちてきた小瓶を胸元で受け止める。

 

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 

 透明な瓶の中では、粘り気のある赤い液体がゆっくりと揺れていた。

 

「……危なかった」

 

 何の液体かは知らない。

 知らないからこそ、絶対に割りたくなかった。

 

 小瓶を箱の中央へ戻し、今度は身体を横向きにして隙間を抜ける。

 腰の片刃剣が何かへ引っかかりそうになり、慌てて鞘を手で押さえた。

 

 進むたび、金属が擦れる。

 床を這う布が靴へ絡みつく。

 自分の家でもないのに、ただ歩くだけでひどく緊張した。

 

「一つ動かしたら、全部崩れそうだな……」

 

 いや。

 さっき、実際に何かが崩れていた。

 

 どうにか居間へ辿り着く。

 予想はしていたけれど――そこも廊下と大差なかった。

 

 長椅子は半分ほど荷物に埋まり、卓の上では紙束と食器、正体不明の金属片が仲良く同居している。

 暖炉の前には外套が脱ぎ捨てられ、椅子の背には何本ものベルトが巻きつけられていた。

 

 そして、その部屋の中央に。

 

「む」

 

 フレイヴィアさんがいた。

 床へ座り込み、長い黒髪を背中へ流しながら、木箱の中を探っている。

 黄金の瞳は真剣そのものだった。

 

 この家が現在進行形で荷物に呑み込まれていることなど、少しも気にしていないらしい。

 

「フレイヴィアさん」

「来たか、主」

「来ました」

「遅かったな」

 

 フレイヴィアさんは箱の中から何かを持ち上げ、違うと判断したのか、背後の山へ放った。

 

「約束した時間どおりです」

「そうか」

「はい。むしろ、フレイヴィアさんが準備できていないように見えます」

「準備はしている」

 

 そう言いながら、今度は片方だけの靴を取り出す。

 少し眺めたあと、それも別の箱へ入れた。

 

「何を探しているんですか?」

「髪紐だ」

「髪紐?」

 

 フレイヴィアさんの黒髪を見る。

 普段は綺麗に整えられているけれど、今日は寝起きのままなのか、毛先がところどころ跳ねていた。

 

「いつも使っている物ですか?」

「ああ。ここに置いたはずなのだが」

「ここ、というのは?」

「この辺りだ」

 

 フレイヴィアさんは、部屋の半分ほどを尾で示した。

 

「範囲が広すぎませんか?」

「この辺りには違いない」

「最後に見たのはいつです?」

「昨夜だ」

「昨夜なら、もっと簡単に見つかりそうですけど」

「そう思っていた」

 

 思っていたらしい。

 けれど、現実はこの有り様である。

 

 僕も足元を確認しながら近づき、木箱の横へしゃがんだ。

 

「一緒に探します」

「よい」

「このままだと、待ち合わせに遅れます」

「余は遅れぬ」

「今の時点で、着替えてもいませんよ」

「主が急かすからだ」

「僕が来る前から探していましたよね?」

 

 フレイヴィアさんは答えず、箱の底から古びた布を引っ張り出した。

 どうやら、聞こえなかったことにしたらしい。

 

「黒い紐ですか?」

「黒に金が入っている」

「長さは?」

「この程度だ」

 

 両手を少し広げて示される。

 それなら、細長い物を探せばよい。

 

 近くに積まれていた布を一枚ずつ持ち上げる。

 青い外套。

 赤い帯。

 何かの毛皮。

 その下から、小さな木箱が現れた。

 

「これは?」

 

 蓋には何の印もない。

 持ち上げると、内部で硬い物が触れ合う音がした。

 

「開けてもいいですか?」

「ああ」

 

 膝の上へ載せ、蓋を開く。

 

「……あれ?」

 

 中に入っていたのは、使い古された革手袋だった。

 右手の指先には穴が開き、手のひらには何度も縫い直した跡がある。

 

 見覚えがあった。

 

「これ、僕が最初に使っていた手袋ですよね」

「ああ」

「どうして、ここに?」

 

 革手袋を持ち上げる。

 今の僕の手には、もう少し小さい。

 二年前、剣を握るだけで手の皮が剥けていた頃に使っていた物だ。

 

「主が置いていったからだ」

「捨てたと思っていました」

「何故、捨てる」

 

 フレイヴィアさんは、本当に分からないという顔をした。

 

「もう穴も開いていますし、使えませんよ」

「使えずとも、なくす理由にはならぬ」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」

 

 箱の中を覗き込む。

 手袋の下には、折れた木剣の柄が入っていた。

 革の紐が巻かれたままになっている。

 

「これも……僕のですね」

「主が初めて折った木剣だ」

「初めて、ということは、ほかにもあるんですか?」

「ある」

 

 フレイヴィアさんは背後の木箱を指差した。

 そこには、折れた木剣が何本も突き刺さっている。

 

「全部残しているんですか?」

「当然だ」

「全部、僕が折ったんですよね」

「半分は余が折った」

「それも残すんですか?」

「主と余が使った物だ」

 

 短く言って、フレイヴィアさんは再び探し物へ戻った。

 

 僕は手の中にある木剣の柄を見つめる。

 最初の頃は、構え方さえ満足にできなかった。

 振れば転び、避ければ壁へぶつかり、持ち方を直されているうちに日が暮れた。

 

 その頃に使っていた物が、まだここにある。

 

「……こういう物まで、全部覚えているんですね」

「余の物だからな」

「僕の物だったと思います」

「置いていった時点で、余の物だ」

「勝手では?」

「返してほしいのか?」

 

 フレイヴィアさんが手を止め、こちらを見る。

 黄金の瞳には、ほんの僅かに警戒するような色があった。

 

「いえ。使えませんし」

「ならばよい」

 

 すぐに視線が箱へ戻る。

 黒い尾の先も、どこか安心したように緩く揺れた。

 

「でも、これ以上増えたら本当に住めなくなりますよ」

「まだ住める」

「玄関から居間まで来るだけで、命懸けでした」

「主は大袈裟だな」

「赤い液体の入った瓶が三本落ちてきました」

「割れなかったであろう」

「僕が受け止めたからです」

「ならば問題ない」

「問題しかありません」

 

 木箱を閉じ、元の場所へ戻す。

 ただし、上へ物を積むのはやめた。

 せめて、次に開ける時くらいは簡単に取り出せるだろう。

 

「不要な物は、本当にないんですか?」

「ない」

「壊れた武器も?」

「ない」

「片方だけの靴も?」

「もう片方がどこかにある」

「見つかっていないなら、片方だけでは?」

「いずれ見つかる」

「いつです?」

「じきに」

「髪紐と同じ答えですね」

「じきに見つかるからな」

 

 フレイヴィアさんは迷いなく言い切った。

 

 片づけることは諦めよう。

 下手に僕が触れば、必要な物を行方不明にするだけでなく、帰る道まで消してしまいそうだった。

 

「主」

 

 呼ばれて顔を上げる。

 フレイヴィアさんは、僕の頭の横を指差していた。

 

「そこだ」

「どこです?」

「右だ。青い布の下」

 

 身体を捻り、積まれた布の隙間へ手を伸ばす。

 青い外套を持ち上げると、その下から細い黒紐が現れた。

 

 金色の糸が、端へ一本だけ織り込まれている。

 

「ありました」

「うむ」

 

 差し出すと、フレイヴィアさんは満足そうに頷いた。

 けれど、受け取っただけで髪を結ぼうとはしない。

 

「結ばないんですか?」

「主」

「はい」

「結べ」

「僕がですか?」

「余は着替えを探す」

 

 今度は、近くに積まれた衣類へ手を伸ばし始める。

 両手が空いていないから、ということらしい。

 

「自分で結んだ方が早いのでは?」

「主がいる」

「理由になっていますか?」

「なっている」

 

 断る理由も見つからず、僕はフレイヴィアさんの後ろへ回った。

 

「座ったままでお願いします」

「ああ」

 

 長い黒髪を両手で集める。

 指の間を滑る髪は、思っていたより柔らかい。

 癖のない髪がさらさらと流れ、少し気を抜けば手から零れてしまいそうだった。

 

「フレイヴィアさんの髪は、結びづらいですね」

「何故だ」

「僕よりずっと長いので」

「主も伸ばせ」

「修行の邪魔になりませんか?」

「余が結ぶ」

「毎朝ですか?」

「当然だ」

 

 本当に毎朝やりそうだった。

 それはそれで、角兎亭から通う必要が出てくる。

 

「今の長さでいいです」

「そうか」

 

 髪を低い位置でまとめ、黒い紐を巻く。

 慣れていないので、左右の長さが少し違ってしまった。

 

「少し曲がりました」

「構わぬ」

「見なくていいんですか?」

「主が結んだのだろう」

「はい」

「ならば問題ない」

 

 振り返ることもなく、フレイヴィアさんは言った。

 

「…………」

 

 どういう理屈なのだろう。

 けれど、悪い気はしなかった。

 

 結び終えた髪から手を離す。

 黒い髪が背中の中央で一つにまとまり、金糸の入った紐が小さく光った。

 

「できました」

「うむ。礼を言う」

「どういたしまして」

 

 フレイヴィアさんは立ち上がり、結ばれた髪を肩越しに確認しようとした。

 当然、背中までは見えない。

 それでも尾が満足そうに一度だけ床を叩いた。

 

「それで、今日はどうするんですか?」

「主のクエストについていこうと思っていてな」

 

 あまりにも自然に言われ、僕は一度瞬きをした。

 

「今日の依頼にですか?」

「ああ」

 

 フレイヴィアさんは床から黒い上着を拾い上げ、埃を軽く払った。

 

「珍しいですね。普段は、もっと難しい依頼を直接頼まれているでしょう」

「今日は空いている」

「それだけですか?」

「それだけではない」

 

 上着を腕に掛けたまま、フレイヴィアさんが僕を見る。

 

「修行を終えて、最初の討伐であろう」

「はい」

「ならば、成果を見ておきたい」

 

 声は普段と変わらない。

 けれど、黄金の瞳がほんの少し楽しそうに見えた。

 

「ガルドさんも一緒ですよ」

「知っている」

「では、僕たちだけでも大丈夫だと思いますけど」

「余は見るだけだ」

「本当に?」

 

 思わず聞き返す。

 フレイヴィアさんは腕を組み、少し考えるように視線を上げた。

 

「なるべく」

「もう不安になりました」

「主とガルドで片づけられるならば、手は出さぬ」

「片づけられると思います」

「ならば、余は眺めている」

「途中で倒したくなりませんか?」

「少しはなるだろうな」

「我慢してください」

「善処する」

 

 予想していたより、ずっと信用できない返事だった。

 

「危なくなった場合は、お願いします」

「無論だ」

 

 今度の返事には迷いがない。

 それなら、十分だろう。

 

「では、一緒に待ち合わせ場所へ行きますか?」

「主は先に行け」

「どうしてです?」

「着替える」

 

 フレイヴィアさんは、自分の姿へ視線を落とした。

 

 薄い部屋着。

 裸足。

 腰には武器もない。

 髪だけは、今しがた僕が結んだ。

 

「待っていますよ」

「よい。先に行け」

「でも、服は見つかっているんですか?」

 

 僕が尋ねると、フレイヴィアさんは床に積まれた衣類へ目を向けた。

 

 黒い布を持ち上げる。

 首を振って元へ戻し、今度は赤い外套を脇へどかす。

 その下から出てきた革の胴当てを眺め、また違う場所へ置いた。

 

「……どこに置いた」

「今、探していますよね?」

「確認しているだけだ」

「何をです?」

「場所を」

「それを探すと言うのでは?」

「細かいことを気にするな」

 

 これ以上続ければ、ガルドさんとの待ち合わせに間に合わなくなる。

 僕は小さく息を吐き、荷物の隙間へ身体を向けた。

 

「では、先に行っています」

「ああ」

「本当に、すぐ来てくださいね」

「任せろ」

 

 任せてよいのだろうか。

 

 少し不安に思いながら、木箱を跨ぎ、倒れかけた槍を避ける。

 帰り道は、一度通った分だけ少し楽だった。

 

 あと少しで玄関へ辿り着く。

 そう思った時、背後から大きな音がした。

 

 どさっ。

 がらがら。

 からん――。

 

「…………」

 

 木箱が揺れ、金属が転がり、最後に柔らかな何かが床へ落ちる。

 

 僕は振り返った。

 

「大丈夫ですか?」

「問題ない」

 

 即答だった。

 けれど、フレイヴィアさんの姿は大量の布に埋もれている。

 山の中から黒い尾だけが伸び、何事もなかったように左右へ揺れていた。

 

「手伝いましょうか?」

「先に行け」

 

 布の山から片腕が突き出し、僕を追い払うように手を振る。

 

「でも、埋まっていますよ」

「すぐに出る」

「髪、崩れていませんか?」

「……問題ない」

 

 一瞬だけ返事が遅れた。

 髪の方は、少し問題があるのかもしれない。

 

「分かりました。待っていますからね」

「ああ」

 

 今度こそ家を出て、扉を閉める。

 朝の涼しい空気が頬へ触れた。

 

 室内にこもっていた埃と薬草の匂いが消え、代わりに焼きたてのパンと、遠くの港から流れてくる潮風が鼻をくすぐる。

 

「……一週間で、どうしてああなるんだろう」

 

 誰も答えてくれない疑問を零しながら、ガルドさんとの待ち合わせ場所へ歩き始めた。

 

 今日は、二年間の修行を終えてから初めての討伐依頼だ。

 同行するのはガルドさん。

 それから、荷物の山から無事に脱出できれば、フレイヴィアさんも来るらしい。

 

 僕が二年間で身につけたものを、街の外で見せる日になる。

 

「よし」

 

 腰に佩いた片刃剣へ触れ、少しだけ歩調を速める。

 胸の奥には期待と、ほんの僅かな緊張があった。

 

 できればその前に。

 フレイヴィアさんには、きちんと服を見つけてきてほしい。

 

 それから――せっかく結んだ髪も、無事であってほしかった。

 

 




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