駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
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エルドランの門へ続く列は、少しずつ前へ進んでいた。
荷物を山ほど積んだ荷車。
金属の籠へ小型モンスターを入れたハンター。
何頭ものケルンを連れた商人。
門の向こうから聞こえてくる喧騒へ耳を傾けながら、僕は荷台の上で落ち着きなく周囲を見回していた。
「すごいですね……」
見上げても、城壁の上端が遠い。
門の左右には武装した衛兵が並び、街へ入る者の書類や荷物を確認している。
「さっきから、それしか言ってねぇぞ」
「だって、すごいので」
「まあ、最初はそんなもんか」
ガルドさんは楽しそうに笑い、手綱を軽く引いた。
荷車が一台分だけ前へ進む。
「そうだ。俺との話に付き合ってくれた礼に、通行料くらいは払ってやるよ」
「通行料?」
口にした途端、ガルドさんがゆっくりと振り返った。
「ああ。街へ入るための金だ」
「街へ入るのに、お金が必要なんですか?」
「……坊主」
ガルドさんは何かを確かめるように、僕の顔を見つめる。
「お前さん、まさか知らなかったのか?」
「はい」
正直に頷くと、犬耳が力なく横へ倒れた。
「そんなことも知らねぇ奴が、どうして一人で旅に出ようと思ったんだ」
「母は反対していました」
「母ちゃんが正しい」
反論できない。
少なくとも、今のところは。
「通行料は払ってやるから、それはいい。問題は、そのあとだ」
「そのあと?」
「街へ入ったら、飯を食うだろ」
「食べます」
「寝る場所も要る」
「必要ですね」
「装備や道具も、いつかは買う」
「はい」
「それをどうするつもりだった?」
質問の意味を理解し、僕は膝の上へ置いた鞄を見た。
母が持たせてくれた着替え。
水筒。
携帯食。
古い片手剣。
何度も読んだ『蒼空のアルヴィス』。
それから、少しの薬草。
鞄を開き、底まで探る。
念のため外套の内側や腰の袋にも手を入れてみた。
当然ながら、硬貨は一枚も出てこない。
「……ない」
「あん?」
「お金がありません」
自分で口にすると、急に背中が冷たくなってきた。
森で暮らしていた時は、お金を使う機会がなかった。
食べ物は森にあり、壊れた道具は母が直してくれた。服も、必要になればいつの間にか新しいものが用意されていた。
だから、旅へ出る時にも何も疑問へ思わなかった。
街へ行く。
ハンターになる。
依頼を受ける。
そこまでは考えた。
けれど、ハンターになるまでにも生活が必要だということは、綺麗に抜け落ちていた。
「どうしよう……」
荷台の縁を掴み、門の向こうを見る。
エルドランへ入った直後に、山へ帰る自分の姿が浮かんだ。
母はきっと喜ぶ。
『やっぱりお母さんと一緒に暮らすのが一番ですね!』
そう言って、二度と外へ出してくれないかもしれない。
「僕の旅が、門の前で終わってしまいます」
「大袈裟だな」
「家へ帰るしかありません」
「歩いてか?」
「……かなり遠いですね」
「途中で飯は?」
「木の実を探します」
「野宿は?」
「慣れています」
「なら、街の外でも生きられはするか」
ガルドさんは顎を撫で、僕の細い荷物をもう一度見た。
「だが、それで英雄になるのか?」
「なれないと思います」
「だろうな」
即答だった。
少し前まで夢を応援してくれていた人とは思えない。
けれど、正しいので何も言い返せなかった。
「ったく、仕方ねぇな」
ガルドさんは懐へ手を入れ、小さな革袋を取り出した。
中から何枚か硬貨を取り分けると、それを僕へ差し出す。
「ほら」
「何ですか?」
「見りゃ分かるだろ。金だよ」
「それは分かります」
掌へ置かれた硬貨を見る。
色や大きさの異なるものが混ざっている。
「百ソルある」
「百ソル」
金額を聞いても、それが多いのか少ないのか分からない。
分からないけれど、ガルドさんが簡単に渡してよいものではないことくらいは感じられた。
僕は慌てて両手を閉じ、硬貨を押し返す。
「受け取れません」
「受け取れ」
「ここまで乗せてもらって、通行料まで払ってもらえません」
「なら、街の入口で野垂れ死ぬか?」
「街の近くなら、何か食べられるものが落ちているかもしれません」
「拾い食いから始まる英雄譚は、あまり聞きたくねぇな」
僕も聞きたくない。
「ですが――」
「貸しだ」
ガルドさんが僕の手を開かせ、硬貨を握らせた。
「やるんじゃなく、貸す。それならいいだろ」
手の中に感じる重さと、ガルドさんを交互に見る。
「必ず返します」
「まず稼いでから言え」
大きな手が、僕の拳を硬貨ごと包む。
「街へ入ったら、真っすぐハンターズギルドへ行け。登録して、仕事を探せ」
「はい」
「依頼を受ける前に、内容をよく聞け。分からねぇことを、分かったふりすんな」
「はい」
「危なくなったら逃げろ」
「英雄を目指しているのに?」
「英雄は死体につける名前じゃねぇ」
ガルドさんの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「生きて帰って、次も誰かを助ける。それができなきゃ、英雄も何もねぇよ」
「……分かりました」
握った硬貨が、急に重くなった気がした。
「必ず生きて、返します」
「金の話と命の話を一緒にするな。重すぎるだろうが」
「でも、どちらも返します」
「命は返さなくていい。持っとけ」
ガルドさんは呆れたように笑い、前へ向き直った。
やがて荷車が列の先頭へ着く。
衛兵が積み荷とガルドさんの通行証を確認し、門の脇にある小さな窓口を指した。
ガルドさんが二人分の通行料を支払うと、硬い音を立てて柵が上がる。
「行っていいぞ」
「ご苦労さん」
荷車が動き出す。
高い門の影へ入り、ほんの一瞬だけ辺りが暗くなった。
石壁の間を抜ける車輪の音が、何重にも反響する。
そして――眩しい光と一緒に、街の喧騒が押し寄せてきた。
潮の匂い。
焼いた肉と魚の香り。
金属を打つ音。
客を呼び込む商人たちの声。
道の左右には、色鮮やかな布を張った露店が隙間なく並んでいる。
その間を荷車やケルン、人々が縫うように行き交っていた。
「すごい……」
「また言ったな」
「これは仕方ありません」
頭の上で猫耳を動かす人。
長い兎耳を後ろへ流し、人混みの間を歩く人。
首元へ鱗を持つ人の隣では、背中に白い翼を畳んだ女性が果物を選んでいた。
少し先には、僕の腰ほどしかない小人族が、自分より大きな木箱を一人で運んでいる。
屋根の上へ目を向ければ、風に透けるような身体を持つ精霊族が、軒先の灯具を直していた。
これほど多くの人を、一度に見たことがない。
そもそも母以外の人と話した経験自体、ほとんどなかった。
右を見ても人。
左を見ても人。
耳。
角。
翼。
尾。
鱗。
目に入ったものを一つずつ追っているうちに、頭の中がいっぱいになっていく。
「坊主。そろそろ俺は港へ行くぞ」
「もうですか?」
荷車が、大きな通りの脇へ止まった。
「ああ。積み荷を届けにゃならん」
「そうでした。お仕事の途中でしたね」
僕は慌てて荷台から下りる。
久しぶりに地面へ立つと、まだ身体の中だけが揺れているようだった。
「ギルドは、この道を真っすぐだ」
ガルドさんが大通りの先を指す。
「剣と盾の紋章がある、馬鹿みてぇにでかい建物だ。見りゃ分かる」
「初めての街で、それだけで分かりますか?」
「分かる」
まぁでも、とガルドさんは快活に笑って、僕を見る。
「分からなきゃ誰かに聞け」
「知らない人にですか?」
「この街で、知ってる奴だけと話してたら何も始まらねぇぞ」
それもそうだ。
「あの、ガルドさん」
「何だ?」
「家はどこにありますか?」
「金を返すためか?」
「はい。それと、お礼も言いに行きたいので」
いつか、絶対に。
できれば、近いうちに……そう言えば、ガルドさんは少しだけ目を丸くしたあと、後頭部を乱暴に掻いた。
「港の西側にある住宅区だ。運び屋組合で俺の名前を出せば分かる」
「ガルドさん、だけで?」
「ガルド・ヴァランだ」
「ヴァラン」
忘れないように、鞄から小さな帳面を取り出す。
――ガルド・ヴァラン。
港西側、運び屋組合。
百ソル。
最後の金額へ二重に線を引く。
「そこまで書かなくても忘れねぇだろ」
「大事なことなので」
「几帳面なこって」
ガルドさんは手綱を握り、僕へ片手を上げた。
「じゃあな、坊主。まずはハンターになってこい」
「はい。本当に、ありがとうございました」
「礼は金を返す時にまとめて聞く」
「では、その時にたくさん言います」
「ほどほどにしろよ」
ケルンが歩き出し、荷車もゆっくりと動き始める。
「ガルドさん!」
人混みへ紛れる前に、背中へ向かって声を上げた。
「ありがとうございました!お金!絶対に返しに行きますからー!」
「おーう。待ってるぞ!」
大きな手が一度だけ上がる。
やがてガルドさんの荷車は、港へ向かう人々の中へ見えなくなった。
掌には百ソル。
鞄の中には、書き込んだばかりの名前と住所。
一人になった。
森を出てから初めて、近くに知っている人が誰もいなくなった。
途端に街の音が大きくなる。
誰も僕を見てはいないのに、フードの奥へ視線が集まっているような気がした。
外套の端を握り、深く息を吸う。
「……まずは、ギルド」
ガルドさんが指した道へ顔を向け、僕は人の流れへ足を踏み出した。
◆
「おい、そこの兄ちゃん!」
何度目かの荷車を避けたところで、横から大きな声を掛けられた。
周囲を見回してみる。
僕以外にも、兄ちゃんと呼べそうな人はいくらでもいた。
「おーい! 深いフードの兄ちゃんだよ!」
どうやら僕だった。
「……僕ですか?」
「そうそう。あんただ」
魚を並べた露店の奥で、狐耳の獣人が大きく手を振っている。
日に焼けた腕には、僕の前腕ほどもある青銀色の鱗魚種が握られていた。
「今日のリーヴァウォは脂が乗ってるぞ。一匹どうだい?」
「リーヴァウォ……」
名前を口にした途端、狐耳の店主が得意そうに魚を持ち上げる。
「焼いても煮ても美味い。旅人なら、串焼きにしてやってもいいぞ」
「美味しそうです」
銀色の皮へ浮かんだ焼き目を想像する。
森を出てから携帯食しか口にしていなかったこともあり、急に腹が空いてきた。
けれど、腰の袋へ触れる。
中にあるのは、借りた百ソルだ。
「すみません。今は買えません」
「金がないのか?」
「借りたお金ならあります」
「そりゃ、いかんな」
店主は一度瞬きをしてから、腹を抱えて笑った。
「かかっ! 変な兄ちゃんだな!」
「返すまで、必要なこと以外には使わないと決めました」
「なら、稼いでからは絶対に来てくれよな!」
狐耳が楽しそうに揺れる。
「その時は一番いいやつを売ってやるよ」
「本当ですか!?」
「おう、俺は約束を破らねぇ男さ」
二の腕に力こぶを作りながら言う狐耳の獣人さん。
それを見て、少し笑みがこぼれた。
「わかりました! なら必ず来ます」
「兄ちゃん名前は?」
「ルキウスです」
「俺はラッツだ。魚が食いたくなったら、覚えときな」
「ラッツさん。覚えました」
頭を下げ、露店を離れる。
背後から、すぐに別の客を呼び込む声が聞こえてきた。
初めて会った相手へ、あれほど自然に声を掛けられる。
街の人というのは、すごい。
僕にはまだ難しそうだ。
「真っすぐ……でしたよね」
ガルドさんから教わった道を進む。
露店の並ぶ一角を抜けると、道幅が広くなった。
武器を背負った人や、革鎧を着た人の姿が目立ち始める。
大剣。槍。弓。杖。
巨大な牙を肩へ担いで歩く人もいれば、血の染みた袋を二人がかりで運ぶ人もいた。
同じ方向へ向かう人の流れを追い、建物の間から顔を上げる。
「……あれだ」
ギルドの場所は聞く気満々だったので、脳内で教えてもらうシミュレーションをしていたが、ギルドはガルドさんの言う通り教えられなくても、すぐに分かった。
――思わず、感嘆に声が漏れる。
灰色の石と太い木材で造られた、三階建ての大きな建物。
正面には、剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
開け放たれた扉を、ハンターらしい人々が絶えず出入りしていた。
「あれが、ハンターズギルド」
喉が小さく鳴る。
掌へ汗が滲み、外套の内側へ何度か指を擦りつけた。
物語では、何度も読んだ場所だ。
英雄が仲間と出会う場所。
初めて依頼を受ける場所。
名もない駆け出しが、世界へ踏み出す場所。
扉の向こうから、笑い声と怒鳴り声が混ざって聞こえる。
革と鉄、それから微かな血の匂いが、風に乗って流れてきた。
怖くないわけではない。
それでも、足は止まらなかった。
腰の袋へ入れた百ソルへ触れる。
ハンターになり、仕事を見つける。
まずは、この借りたお金を返す。
それが、英雄を目指す僕の最初の目標になった。
「よし」
小さく息を吐き、開け放たれた扉へ足を踏み入れる。
知らない人。
知らない仕事。
知らない世界。
そのすべてが待つ場所へ――僕は初めて、自分の足で入っていった。
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