駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第二章 第五話『少年は受付嬢の昼休みを借りる』

 

 ◆

 

 翌日の正午前。

 僕は休養日を使い、ハンターギルドを訪れていた。

 

「休養日という言葉の意味、分かっていますか?」

 

 受付へ着くなり、アルナさんから尋ねられた。

 柔らかな笑顔ではあるけれど、二つの猫耳はぴんと前を向いている。

 

「依頼は受けませんよ」

「本当ですか?」

「本当に本当です」

 

 いつもの返事をすると、アルナさんの耳が僅かに揺れた。

 けれど、今日はそれだけでは誤魔化されてくれないらしい。

 

「では、その装備は何ですか?」

「普段着です」

「片刃剣を佩いた普段着が?」

「街の外へ出るつもりはありません」

 

 腰へ視線を落とす。

 確かに片刃剣はある。

 外套の下には胴当ても着けていた。

 

 ……言われてみれば、少しだけ普段着からは遠いかもしれない。

 

「街の中で何かあったら困りますから」

「街中で武器が必要になるような何かを、探してはいませんよね?」

「探してはいません」

 

 見つけた時にどうするかは、また別の話だけれど。

 そこまで口にする必要はないだろう。

 

 僕は道具袋から一枚の紙を取り出し、受付台へ載せた。

 

「昨日の異常個体について、セラフィーンさんから追加の所見を預かってきました」

「教会から?」

 

 アルナさんが紙を受け取り、素早く目を通す。

 笑顔の奥に隠れていた仕事の顔が表れ、猫耳が僅かに外へ傾いた。

 

「水に含まれる魔力が、港の患者から検出されたものと似ている……」

「はい。ただ、同じものかはまだ分からないそうです」

「異常個体の調査も、まだ続いています」

 

 書類を揃えながら、アルナさんが素材保管庫の方角へ目を向けた。

 

「今朝確認した時も、遺体は濡れたままでした」

「やっぱり、乾いていないんですね」

「はい。調査員が水を採取していますが、汲み取っても毛の奥から滲み出てくるそうです」

 

 死んだ灰牙犬の毛から、何刻経っても流れ続ける水。

 昨日の冷たさが、指先へ蘇る。

 

「今から見に行っても?」

「駄目です」

 

 間髪を入れずに断られた。

 

「まだ何もしていません」

「ルキウスさんの目が、少し輝きました」

「そんなに分かりやすいですか?」

「最近は、少しだけ」

 

 アルナさんは追加の所見を別の書類へ挟み、紐でまとめる。

 それから、逃げ道を塞ぐように僕を見上げた。

 

「今日は休養日です」

「見るだけですよ」

「昨日も同じことを言って、港へ行こうとしたそうですね?」

「誰から聞いたんですか?」

「セラフィーン様です」

 

 昨日のうちに伝わっていたらしい。

 教会とギルドの連携が早いのはよいことだけれど、僕の行動まで共有されているのは少し困る。

 

「ガルドさんからも、見張っておくように言われました」

「ガルドさんまで……」

「フレイヴィア様からは、危険な依頼票へ近づけるなと」

「皆さん、僕を何だと思っているんでしょう」

「目を離すと狩りへ行く人です」

 

 はっきりと言われた。

 

「僕は、そんなに狩りへ行っていませんよ」

「昨日も行きました」

「依頼ですから」

「一昨日も討伐依頼の掲示板を見ていました」

「確認しただけです」

「その前の日は?」

「……採取依頼の帰りに足跡を見つけたので」

「追いましたね?」

「少しだけです」

 

 獲物の種類と数を確かめるため、森の入り口まで追っただけだ。

 結局、別のハンターが追っていた獲物だと分かり、すぐ引き返した。

 

 つまり、狩りには行っていない。

 

「狩ってはいません」

「そこは重要ではありません」

 

 アルナさんは額へ手を当て、細く息を吐いた。

 猫耳まで少し疲れて見える。

 

「ともかく、異常個体の保管庫には入りません」

「分かりました」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 しばらく見つめられたあと、ようやく警戒が解かれる。

 アルナさんは胸元で小さく息を吐き、次の書類へ手を伸ばした。

 

「追加所見は、調査担当へ渡しておきます」

「お願いします」

 

 用事は済んだ。

 そのまま帰るべきなのだろう。

 

 けれど、受付台の横には朝から積まれたままらしい書類の山。

 アルナさんの手元には、冷めた茶の入ったカップだけが置かれていた。

 

「アルナさん」

「はい?」

 

 書類へ向けられていた顔が上がる。

 僕は受付奥の時計へ目を向けた。

 

「もうすぐ昼ですよ」

「そうですね」

「お昼は?」

「あとでいただきます」

 

 答えながら、アルナさんは次の依頼報告書を開いた。

 その横顔には迷いがない。

 

 ――これは、食べない顔だ。

 

「昨日も、あとでと言っていませんでしたか?」

「昨日は食べましたよ」

「何をです?」

「焼き菓子を一つ」

「それは昼食ではありません」

 

 アルナさんのペンが、僅かに止まる。

 

「忙しかったので」

「今日も忙しそうですね」

「ですから、あとで――」

「今日は何を食べるつもりですか?」

 

 尋ねると、今度こそ手が止まった。

 猫耳が片方だけ外へ傾く。

 

「……まだ決めていません」

「持ってきていないんですか?」

「朝、少し急いでいまして」

「では、食べに行きましょう」

 

 僕が言うと、アルナさんが瞬きをした。

 受付台の上で、握ったままのペンが小さく揺れる。

 

「私と、ですか?」

「ほかに誰がいるんです?」

「いえ、その……」

 

 アルナさんは左右の受付へ視線を走らせた。

 同僚たちは忙しそうに依頼人へ対応している。

 

「まだ仕事が残っています」

「休憩時間も仕事のうちだと、女将さんが言っていました」

「女将さんが?」

「休まず働くと、あとで余計に迷惑をかけるそうです」

 

 僕も昨日、似たようなことを言われた。

 休むよう言われた日にギルドへ来ている時点で、説得力には少し欠けるかもしれない。

 

 ――そこは黙っておこう。

 

「それに、アルナさんは僕へ休めと言いましたよね」

「言いました」

「自分だけ休まないのは、不公平です」

「それとこれとは……」

 

 アルナさんの声が少しだけ弱くなる。

 僕は受付台へ両手をつき、僅かに身を乗り出した。

 

「昼休みを、僕に貸してください」

「貸す?」

「きちんと食べたら、お返しします」

 

 どう返すのかまでは考えていない。

 けれど、食べ終わるまで借りればいい。

 

 アルナさんはしばらく僕を見つめ、それから小さく口元を緩めた。

 

「変なお願いですね」

「駄目ですか?」

「……少し、待っていてください」

 

 猫耳を僅かに伏せ、アルナさんは隣の受付へ向かう。

 同僚の職員へ何かを相談すると、相手は一度こちらを見た。

 

 目が合う。

 職員の女性は、なぜか楽しそうに笑った。

 

「ゆっくりしてきてください」

「ですが、混雑していますし」

「午後の交代を少し早めます。アルナさん、昨日もまともに休んでいないでしょう?」

「それは……」

 

 言葉を詰まらせるアルナさんへ、女性は追い払うように手を振る。

 

「行ってきてください。ルキウスさん、よろしくお願いしますね」

「はい。きちんと食べてもらいます」

「ルキウスさんまで……」

 

 アルナさんは少し困ったように眉を下げた。

 けれど、猫耳の先は嬉しそうにぴくぴくと動いていた。

 

 ◆

 

 ギルドを出ると、真昼の陽射しが石畳へ白く降り注いでいた。

 通りには屋台が並び、炙った肉や香辛料、焼きたてのパンの匂いが風に乗って流れている。

 

 アルナさんは仕事用の上着だけを脱ぎ、淡い色のシャツと膝下まであるスカート姿になっていた。

 いつも受付台を挟んで向き合っているせいか、隣を歩く姿は少し新鮮に見える。

 

「どこで食べましょうか」

「ルキウスさんにお任せします」

「僕が決めても?」

「昼休みを借りているのでしょう?」

 

 アルナさんは、少しだけ悪戯っぽく笑う。

 

「貸している間は、ルキウスさんが責任を持ってください」

「分かりました」

 

 責任は重い。

 少なくとも、焼き菓子一つで済ませるわけにはいかなかった。

 

「何か食べたいものはありますか?」

「何でも大丈夫ですよ」

「何でも、が一番難しいんですよね……」

 

 女将さんに尋ねても、同じことを言われる時がある。

 そして本当に何でも作ると、もっと肉が欲しかったなどと言われるのだ。

 

「では、魚にしましょう」

「魚ですか?」

「ラッツさんの店なら、今日のおすすめを知っていると思います」

 

 港へ続く通りへ曲がる。

 人混みの間を抜けていくと、見慣れた狐耳が魚の並ぶ露店の向こうで揺れていた。

 

「おっ、ルキウス!」

 

 ラッツさんがこちらへ大きく手を振る。

 その視線が僕の隣へ移り、狐耳がぴんと立った。

 

「なんだなんだ。今日は受付嬢さんと一緒か?」

「はい。昼食を食べに来ました」

「へぇ」

 

 ラッツさんは顎へ手を添え、僕とアルナさんを交互に見る。

 なぜか笑いを堪えているようだった。

 

「昼食ねぇ」

「何かおかしいですか?」

「いやいや。昼食なら、昼食だ」

 

 繰り返しただけで、答えになっていない。

 

 アルナさんへ目を向けると、猫耳が少しだけ横へ伏せていた。

 暑いのだろうか。

 頬も僅かに赤い。

 

「アルナさん、大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 僕の言葉を使われた。

 ならば、大丈夫なのだろう。

 

「ラッツさん、すぐ食べられるものはありますか?」

「ちょうどリーヴァウォを焼いてるところだ。二人なら、向こうの卓を使えよ」

 

 ラッツさんが露店の脇を指差す。

 簡素な屋根の下に、小さな木の卓と椅子が二つ並んでいた。

 

「ありがとうございます」

「礼なら、代金を払ってからにしな」

「もちろんです」

 

 財布を出そうとすると、アルナさんが素早く僕の手首を押さえた。

 

「自分の分は払います」

「昼休みを借りたのは僕です」

「それと支払いは別です」

「責任を持ってと言いましたよね?」

「食べる場所を決める責任です」

 

 アルナさんが財布を取り出す。

 僕も引くつもりはない。

 

「僕が誘いました」

「でも、私の食事です」

「昨日も食べていなかった分があります」

「それは関係ありません」

「あります」

 

 互いに財布を持ったまま、少しの間見つめ合う。

 すると、間にいたラッツさんが楽しそうに笑い始めた。

 

「かかっ! そんなに揉めるなら、まとめて後払いにしてやるよ」

「それでは解決していません」

「食ったあとに決めろ。魚が焦げちまう」

 

 網の上では、確かに二尾の魚が焼けている。

 皮の表面から脂が落ち、炭の上で小さく炎が上がった。

 

「……先に食べましょうか」

「そうですね」

 

 ひとまず財布を収め、アルナさんと卓へ向かう。

 僕が椅子を引くと、彼女は少し意外そうに目を丸くした。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 アルナさんが腰を下ろす。

 向かいの椅子へ座ると、受付台を挟んでいる時より距離が近く感じられた。

 

 しばらくして、ラッツさんが大きな皿を運んでくる。

 炙ったリーヴァウォに刻んだ香草。薄く切った黒パンと、酢漬けの野菜も添えられていた。

 

「ほらよ。今日は身が太いぞ」

「美味しそうですね」

「だろ? そっちの嬢ちゃんも、遠慮せず食えよ」

「ありがとうございます」

 

 アルナさんが丁寧に頭を下げる。

 ラッツさんは満足そうに鼻を鳴らし、露店へ戻っていった。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 皮へ刃物を入れると、ぱりりと小気味よい音が鳴る。

 白い身から湯気が上がり、香草と魚の脂が混ざった匂いが鼻をくすぐった。

 

 一口食べる。

 塩気は強すぎず、柔らかな身の甘さがよく分かった。

 

「おいしいです」

「本当ですね」

 

 アルナさんの猫耳が、嬉しそうに立つ。

 その動きが食事の感想よりも分かりやすく、僕は思わず見つめた。

 

「どうしました?」

「いえ。耳が」

「耳?」

 

 アルナさんが片手を頭へ伸ばす。

 触れられた猫耳が、少しだけ後ろへ倒れた。

 

「何かついていますか?」

「何もついていません。美味しい時は、立つんですね」

「……見ていたんですか?」

「目の前にありますから」

 

 答えると、アルナさんは片手で両耳を隠そうとした。

 当然ながら、一つの手では両方を隠せない。

 

「見ないでください」

「どうしてです?」

「恥ずかしいので」

「可愛いと思いますけど」

 

 猫耳が、ぴたりと止まった。

 

「……もう一度、お願いします」

「何をです?」

「いえ、何でもありません」

 

 アルナさんは顔を伏せ、魚の身を小さく切り分け始めた。

 耳の付け根まで赤くなっている。

 

 やはり暑いのかもしれない。

 屋根の下とはいえ、今日は陽射しが強かった。

 

「水をもらってきましょうか?」

「大丈夫です。本当に」

 

 少し強めに断られた。

 本人が大丈夫と言うなら、無理に動く必要もないだろう。

 

 食事を進めていると、通りの向こうを三人組のハンターが歩いていく。

 背中には弓と槍。

 腰には採取袋があり、会話の端から北の林での狩りへ向かうらしいと分かった。

 

「大角鹿が出たらしいぞ」

「角の大きな雄か?」

「昨日、採取班が足跡を見つけたってよ」

 

 思わず、通りを歩く三人へ目が向く。

 

 大角鹿。

 気性は荒くないが、追い詰めると鋭い角を振り回す。

 成長した雄なら突進も速く、正面から受けるのは危険だ。

 

 昨日の灰牙犬で使った傷薬は補充済み。

 左腕も、ほとんど痛まない。

 今から向かえば、日が傾く前には――。

 

「ルキウスさん」

 

 目の前で指を鳴らされた。

 

「はい?」

「今、何を考えていました?」

「大角鹿についてです」

「追いかけませんよ」

「追いかけるとは言っていません」

「腰が少し浮いていました」

「……本当ですか?」

 

 椅子を確かめる。

 確かに、立ち上がる直前のような姿勢になっていた。

 

「話を聞こうと思っただけです」

「何の話を?」

「足跡が見つかった場所や、大きさを」

「そのあと、どうしますか?」

「見に行けるなら――」

 

 そこまで答え、アルナさんの耳がゆっくり伏せていくのが見えた。

 

「……今日は休養日でした」

「はい」

 

 僕は椅子へ深く座り直す。

 通りの向こうでは、三人組の姿が人混みへ消えていた。

 

「でも、少し気になりませんか?」

「なりません」

「大角鹿ですよ?」

「知っています」

「角が大きいらしいです」

「だから何なのですか?」

 

 尋ねられ、答えに迷う。

 

 角が大きい。

 突進も速い。

 狩り応えがありそうだ。

 

 ――だから、何なのだろう。

 

「……見てみたいと思いませんか?」

「思いません」

 

 即答だった。

 アルナさんは黒パンを一口食べ、じっとこちらを見る。

 

「ルキウスさん」

「はい」

「自覚がないのが、一番困ります」

「何のです?」

「そのうち、ご自分で気づいてください」

 

 教えてはくれなかった。

 ただ、その猫耳は呆れたように横へ広がっている。

 

「食べましょう」

「そうですね」

 

 大角鹿について考えるのを一度やめ、皿へ戻る。

 今は昼食を食べる時間だ。

 

 ……もし次に依頼票が出ていたら、その時考えればいい。

 

 ◆

 

 食事を終え、代金は結局、僕が払った。

 アルナさんが魚を食べ終えた隙に、ラッツさんへ先に渡したのだ。

 

「ずるいです」

「誘ったのは僕ですから」

「では、次は私が払います」

「次?」

 

 聞き返すと、アルナさんの歩みが僅かに止まった。

 けれど、すぐに何事もなかったように歩き出す。

 

「また私の昼休みを借りることがあるかもしれません」

「なるほど」

 

 それなら、次は任せてもよいだろう。

 昼食をきちんと取らせる機会も増える。

 

「分かりました。次はお願いします」

「……はい」

 

 アルナさんの尾が、スカートの後ろで小さく揺れた。

 

 ギルドへ戻るには、まだ少し時間がある。

 そのまま市場の中を歩いていると、装備店の軒先へ水色の外套が飾られていた。

 

 表面には光沢があり、裾には細かな紋様が縫い込まれている。

 

「耐水加工の外套ですね」

「最近、港で働く方によく売れているそうです」

 

 アルナさんも足を止め、外套へ目を向けた。

 

「雨だけでなく、海水にも強い布を使っています。普通の外套より高いですけれど」

「これなら、昨日の水も染みにくかったでしょうか」

「分かりません。あれが普通の水ではないなら、完全には防げないと思います」

 

 店の硝子越しに値札を見る。

 今の僕が使っている外套の、何倍もの値段だった。

 

「高いですね」

「ランク5以上のハンターが使う物ですから」

「いつか買い替えた方がいいでしょうか」

「今の外套も、かなり傷んでいますよ」

 

 アルナさんの指が、僕の袖口へ触れる。

 昨日の戦闘で爪が掠めた場所は、布が少し裂けていた。

 

「補修すれば、まだ使えます」

「そう言い続けて、二年使っていますよね」

「物持ちがいいんです」

「フレイヴィア様ほどではありませんけれどね」

 

 昨日見た部屋を思い出す。

 フレイヴィアさんの場合、物持ちがいいというより、何も手放せないに近かった。

 

「報酬が増えたら考えます」

「先に自分の装備を整えてくださいね」

「そのつもりです」

 

 外套から離れ、隣の店へ目を向ける。

 硝子の中には、上質な筆記具や装飾品、小さな生活用品が並べられていた。

 

 落ち着いた色の髪留め。

 羽根飾りのついたペン。

 磨かれた調理用の小刀。

 木製の小箱。

 

「こういう物も、報酬が余れば買いたいですね」

「装備以外もですか?」

 

 アルナさんが僕の視線を追う。

 

「はい。お世話になった人たちへ、何か贈りたいです」

「お世話になった方?」

「女将さんやガルドさん。フレイヴィアさんと、セラフィーンさんにも」

 

 二年間で受け取ったものを思い返す。

 食事。

 武器。

 治療。

 教え。

 帰ってくる場所。

 

 僕がランク4まで進めたのは、自分一人の力ではない。

 分かってはいても、今まで返せたものはほとんどなかった。

 

「今の報酬では、大した物は買えませんけど」

「贈り物は、値段ではないと思いますよ」

「それでも、使える物がいいです」

「ルキウスさんらしいですね」

 

 アルナさんが柔らかく笑う。

 僕は店内に並ぶ品を眺めながら、一人ずつ似合いそうな物を考えた。

 

 女将さんには、丈夫な調理道具。

 ガルドさんには、盾の手入れに使える物。

 フレイヴィアさんへ贈る場合は――。

 

「フレイヴィアさんには、何を渡しても収集物になりそうですね」

「収納箱などはいかがですか?」

「その箱の中へ、さらに物を詰めそうです」

「箱そのものも収集されるかもしれません」

「ありそうです」

 

 二人で顔を見合わせ、少し笑う。

 

「セラフィーンさんには……」

 

 白い翼を思い出す。

 指先に触れた、柔らかな羽。

 あの長い翼を手入れするなら、専用の櫛などが使えるかもしれない。

 

「翼の手入れに使う物がよさそうです」

「翼へ?」

 

 アルナさんの猫耳が、ぴくりと動いた。

 

「昨日、触らせてもらったんです」

「…………」

 

 返事がない。

 顔を向けると、アルナさんは店の中に並ぶ筆記具を見つめていた。

 

「どうしました?」

「セラフィーン様の翼に、触れたのですか?」

「はい。とても柔らかかったです」

 

 アルナさんの尻尾が、一度だけ左右へ揺れる。

 それから、静かに僕へ向き直った。

 

「天使族の方は、あまり他人に翼を触らせないと聞きます」

「意味があるそうです」

「意味まで聞いたのですか?」

「それは秘密だと言われました」

 

 答えると、猫耳がゆっくり後ろへ伏せられた。

 

「……そうですか」

「アルナさんは知っています?」

「知りません」

 

 少しだけ声が硬い。

 疲れが戻ってきたのだろうか。

 

「そろそろ戻りましょうか」

「はい。昼休みが終わってしまいます」

 

 アルナさんが先に歩き出す。

 僕も追いかけようとして――硝子の中にある一本のペンが目に入った。

 

 深い緑色の軸。

 先端には小さな金色の飾り。

 派手ではないけれど、受付台で使えばよく似合いそうだった。

 

「アルナさん」

「はい?」

 

 数歩先で、彼女が振り返る。

 僕は店内のペンとアルナさんを見比べた。

 

「アルナさんには、何がいいですか?」

「私?」

 

 猫耳が勢いよく立つ。

 

「はい。お世話になった人には、アルナさんも入っていますから」

「…………」

「欲しい物はありますか?」

 

 アルナさんは口を開いたまま、しばらく動かなかった。

 通りの人々が僕たちの間を通り過ぎていく。

 

「アルナさん?」

「急に聞くのは、ずるいです」

「どうしてです?」

「心の準備ができていません」

 

 贈り物を尋ねるのに、準備が必要なのだろうか。

 

「今すぐ決めなくても大丈夫ですよ」

「そういう問題では……」

 

 アルナさんは胸元へ片手を当て、一度深く息を吸った。

 伏せられていた耳が、少しずつ元へ戻る。

 

「では、無事に帰ってきてください」

「物ではありませんね」

「一番欲しい物です」

「僕は物ではありませんよ」

「そういう意味ではありません」

 

 今度は呆れられた。

 けれど、その表情は先ほどより柔らかい。

 

「それなら、普段から持ち帰っています」

「毎回、怪我も一緒に持ち帰っています」

「今回は軽傷でした」

「軽傷も怪我です」

 

 アルナさんが腰へ手を当てる。

 猫耳も、こちらを叱るように前へ向いた。

 

「では、怪我を減らします」

「本当ですか?」

「本当に本当です」

 

 答えると、彼女は少しだけ笑った。

 

「その約束を守ってくださるなら、贈り物はそれで十分です」

「でも、形に残る物も贈りたいです」

「でしたら……」

 

 アルナさんの視線が、僕の後ろにある店へ向く。

 硝子越しに並んだ筆記具を眺め、少し考えるように耳を揺らした。

 

「いつか、ルキウスさんが選んでください」

「僕が?」

「はい。私が自分で選ぶより、その方が嬉しいと思います」

 

 難しい注文だった。

 けれど、頼まれたのなら真剣に考えたい。

 

「分かりました」

「まだ買わなくて大丈夫ですからね」

「報酬が余った時にします」

「まずは装備です」

「分かっています」

 

 念を押され、僕たちはギルドへ向かって歩き出す。

 

 ◆

 

 ギルドへ戻ると、昼前より受付周辺の人が増えていた。

 アルナさんは急いで仕事用の上着を羽織り、受付台の内側へ戻る。

 

「昼休み、ありがとうございました」

「きちんと食べてもらえたので、返却を確認しました」

「無事に戻ってきましたね」

「街の中ですから」

 

 僕が答えると、アルナさんは受付台へ手を置いた。

 

「街の中でも、目を離すと狩りへ行きかけました」

「行ってはいません」

「大角鹿の話を聞いた瞬間、立ち上がりました」

「少し姿勢を変えただけです」

「腰に手も当てていました」

「片刃剣の位置を確認しただけです」

「どうして昼食中に確認する必要があるのですか?」

 

 言われてみると、必要はなかった気がする。

 

「……癖でしょうか」

「直してください」

 

 即答された。

 

 アルナさんは溜め息をつきながらも、猫耳はどこか楽しそうに立っている。

 午前中より顔色もよくなり、声にも張りが戻っていた。

 

「では、僕は帰ります」

「寄り道はしませんね?」

「大角鹿の足跡を見に行くくらいなら――」

「ルキウスさん」

 

 笑顔のまま名前を呼ばれる。

 僕は続く言葉を飲み込んだ。

 

「冗談です」

「本当ですか?」

「半分くらいは」

「それは冗談ではありません」

 

 受付台の下で、栗色の尻尾が一度だけ強く揺れる。

 

「まっすぐ角兎亭へ帰ってください」

「はい」

「異常個体を見に、保管庫へも行かないでください」

「はい」

「討伐依頼の掲示板も見ません」

「…………」

「ルキウスさん?」

「……はい」

 

 依頼票を見るだけなら問題ないと思ったけれど、今日はやめておこう。

 

「それでは、行ってきます」

「今日は帰る方ですよ」

「では、帰ります」

 

 言い直して背を向ける。

 扉へ向かって数歩進んだところで、後ろから声が届いた。

 

「ルキウスさん」

 

 振り返る。

 受付台の向こうで、アルナさんが胸元へ両手を重ねていた。

 

「今日は、ありがとうございました」

「昼食のことですか?」

「はい。それから――」

 

 猫耳が少しだけ横へ傾く。

 

「次も、楽しみにしています」

「次の昼休みですね」

「……そういうことにしておきます」

 

 少し不思議な答えだった。

 けれど、次も一緒に食事へ行ってよいらしい。

 

「分かりました。また借りに来ます」

「はい。お待ちしています」

 

 今度こそギルドを出る。

 

 真昼を過ぎた通りには、まだ多くの人が行き交っていた。

 遠くからは商人の呼び声。

 港の方角からは、帆を下ろす音と潮風が届く。

 

 その途中。

 壁へ貼られた狩猟情報の紙が、風に揺れているのが見えた。

 

 北の林に現れた、大角鹿の雄。

 推定危険度はランク3。

 角の大きさから、通常個体よりも――。

 

「…………」

 

 立ち止まりかけた足を、無理やり前へ出す。

 

 今日は休養日だ。

 アルナさんにも、まっすぐ帰ると答えた。

 

 だから、見ない。

 詳しい場所も、報酬も、推奨人数も確認しない。

 

「明日、まだ残っていたら……」

 

 小さく呟き、慌てて口を閉じる。

 

 別に、狩りたいわけではない。

 ただ――どれほど大きな角なのか、少し気になるだけだ。

 

 ……本当に、それだけである。

 

 僕は狩猟情報へ背を向け、角兎亭へ続く道を歩き出した。

 

 先ほどより少しだけ、足取りが重かった。

 

 ◆

 

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