駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
アルナさんから昼休みを借りた、その翌朝。
僕は角兎亭の食堂で、女将さんから渡された包みを道具袋へ詰めていた。
「今日はずいぶん多いですね」
黒パンに角兎肉、炙った野菜。それから、小さな焼き菓子まで入っている。
包みの厚さは、どう見ても一食分ではなかった。
「多くないよ。昼と、帰りが遅くなった時の分さ」
女将さんは大鍋を掻き混ぜながら、こちらを見ようともせずに答える。
朝食の煮込みからは、豆と香草の匂いが立ち上っていた。
「今日は夕方には戻る予定です」
「予定だろ?」
「はい」
「だったら持っていきな」
木杓子の先を突きつけられた。
「坊やの予定ほど信用ならないものはないからね」
「僕は予定どおりに帰っている方だと思います」
「その予定に、余計な依頼を二つ三つ足すだろうが」
「困っている人がいた場合だけです」
「毎回いるじゃないか」
……不思議なことに、その通りだった。
ギルドへ向かう途中で荷車の車輪が外れていたり、迷子のケルンを見つけたり、逃げた飼育用の角兎を追いかけたり。
街の中にも、依頼票にならない小さな困り事は多い。
「今日はガルドさんと一緒ですから、大丈夫ですよ」
「あの兄ちゃんも、あんたに付き合うだろ」
「止めてくれる時もあります」
「止めきれたことは?」
包みを道具袋へ押し込みながら、僕は少し考えた。
「……何度かは」
「指で数えられる程度だね?」
「両手は必要だと思います」
「二年で両手かい」
女将さんが、呆れたように鼻を鳴らす。
「まあいい。帰ったら、ちゃんと夕飯を食べるんだよ」
「はい。行ってきます」
「あいよ。今日は余計なもんまで狩ってくるんじゃないよ」
「狩る予定はありません」
そう答えると、女将さんは大鍋を混ぜる手を止めた。
訝しむように目を細め、僕の顔を覗き込む。
「予定は、ねぇ」
「……行ってきます」
これ以上続けると不利になりそうだったので、僕は足早に角兎亭を出た。
◆
その日の最初の依頼は、南門から半刻ほど離れた農園までの護衛だった。
運ぶのは麦粉と農具。
依頼人は小人族の商人で、荷車を引くケルンは人見知りが激しい。
「噛みますから、正面には立たないでくださいね」
商人から説明を受けた直後、ケルンが僕のフードへ鼻先を伸ばしてきた。
湿った息が布越しに額へ当たる。
「……懐かれてません?」
「珍しいですね。普段は知らない人を見ると蹴るんですが」
ケルンの口が開く。
鋭い歯が、僕のフードの端を咥えた。
「ルキウス。それ懐いてねぇぞ」
「ガルドさん、見てないで助けてください」
「噛まれてから言え」
隣で腕を組んでいたガルドさんが、ケルンの鼻先を軽く押す。
フードが解放され、引っ張られていた首も元へ戻った。
「危なかった……」
「何でお前は、魔物には食われかけても平気なくせに、ケルンに噛まれるとそんな顔すんだ」
「戦う相手ではありませんから」
「相手が敵ならいいのかよ」
「よくはありません」
答えながら、乱れたフードを直す。
ガルドさんは何か言いたそうに口を開いたものの、商人が荷台へ登ったため、そのまま飲み込んだ。
「では、お願いします」
「はい。道中は僕が前を見ます」
「俺は荷車の横につく。狭い道じゃ速度を落とせよ」
「分かりました」
僕が先へ出ると、ガルドさんは荷車の右側へ回った。
打ち合わせは、それだけだった。
二年前なら、出発前に一つずつ役割を確認していた。
敵が前から来た場合。
横から来た場合。
荷車が止まった場合。
僕が焦って一人で飛び出した場合――最後の確認だけ、妙に多かった気がする。
今は、互いに何をするか分かっている。
僕が前方の道と痕跡を見て、ガルドさんが依頼人と荷を守る。
敵が出れば、彼が盾となり、僕が側面から崩す。
言葉にしなくても、身体が自然にその位置へ収まった。
「前方、枝が折れています」
街道脇へ寄り、土へ残る痕跡を見る。
獣の足跡ではない。細長い靴跡が二人分。
荷車の車輪が一度、道端へ外れた跡もある。
「古いか?」
「昨日か、一昨日だと思います。血もありません」
折れた枝の先を確かめ、僕は立ち上がる。
「盗賊ではなさそうです」
「行商人が道を譲った跡かもな」
「はい。念のため、少し速度を落としましょう」
ガルドさんが御者台の商人へ片手を上げる。
荷車の進みが緩やかになった。
そのまま街道を進み、農園へ着いたのは予定より少し早い時刻だった。
魔物も盗賊も現れない。
荷物も無事。
護衛依頼としては、何も起こらないことが一番の成果だ。
「ありがとうございました。帰りも頼めますか?」
荷を下ろし終えた商人が尋ねる。
僕はガルドさんを見る。
「どうします?」
「別料金だぞ」
「もちろんです。ギルドを通します」
商人が手続きを約束したところで、農園の奥から大きな音が響いた。
木材が倒れ、何かが激しく鳴く。
続いて、小人族の男性が倉庫から飛び出してきた。
「誰か! 角兎が逃げた!」
僕とガルドさんの視線が重なる。
「坊主」
「困っているようです」
「俺はまだ何も言ってねぇ」
「すぐ終わります」
返事を待たず、鳴き声のした方角へ走る。
背後からガルドさんの深い溜め息が聞こえた。
「そういうところだぞ!」
農園の柵を飛び越えた角兎は、畑の畝を蹴散らしながら走っていた。
普通の野生個体より大きい。
飼育されて栄養状態がよいのだろう。後脚も太く、速度も速かった。
「元気ですね」
思わず口元が緩む。
角兎が振り返り、頭の角をこちらへ向けた。
「おい、何で楽しそうなんだ!」
後ろから追いついたガルドさんが叫ぶ。
「捕まえやすそうな場所を考えているだけです」
「走る速度が上がってんぞ!」
角兎が僕へ突進する。
右へ避ければ、畑の外へ逃げられる。
左には柵。
なら――正面から受けず、ぎりぎりまで引きつける。
「坊主、斬るなよ!」
「飼育用だと分かっています!」
角が腹へ届く直前、身体を半歩ずらした。
勢いを殺さないまま首元へ腕を回し、身体ごと地面へ転がる。
「うわっ……!」
土と草が視界を回る。
角兎は暴れたものの、後脚を抱え込むと身動きが鈍った。
「捕まえました!」
「捕まえ方が狩りなんだよ!」
ガルドさんが駆け寄り、角を掴む。
二人で身体を押さえると、角兎はようやく大人しくなった。
農園の男性たちが縄を持って走ってくる。
その顔には安堵より、呆れの方が強く浮かんでいた。
「ありがとうございます。でも、怪我は?」
「ありません」
「服は泥だらけだぞ」
「洗えば落ちます」
立ち上がり、外套についた土を払う。
ガルドさんは僕の背中を叩きながら、低く唸った。
「休養明けの初仕事で、何で角兎と取っ組み合ってんだ」
「早く捕まえるには、あれが一番でした」
「お前、剣を抜くの我慢しただろ」
「飼育用ですから」
「野生なら?」
「……状況によります」
ガルドさんの犬耳が、力なく横へ倒れた。
「何が状況によるんだよ」
◆
農園から戻ったあと、僕たちはギルドで護衛依頼の報告を済ませた。
本来なら、そこで昼食を取る予定だった。
けれど、受付へ戻ったアルナさんが、僕たちを見つけるなり一枚の紙を差し出した。
「北区の倉庫へ、薬草を運んでいただけませんか?」
依頼票ではない。
ギルド内部の急ぎの手伝いらしい。
「運搬班が足りないんですか?」
「一人、体調を崩してしまいまして。量は多くありませんが、午後の治療に必要だそうです」
アルナさんは僕の泥だらけの外套へ目を止める。
猫耳が、僅かに横へ傾いた。
「……何があったのですか?」
「角兎を捕まえました」
「護衛依頼では?」
「途中で逃げていたので」
「予定外の獲物を狩ったんですね」
「狩ってはいません。生け捕りです」
正確に訂正する。
なぜかアルナさんの耳は、さらに低くなった。
「話は後で聞きます。運搬は難しいでしょうか?」
「大丈夫です」
「俺も手伝う」
ガルドさんが僕より先に答える。
断れば僕一人で行くと分かっている顔だった。
「ありがとうございます。昼食は?」
「まだです」
「では、先に食べてから――」
「薬草は急ぎですよね?」
「午後までに届けば間に合います」
「運んだあとで食べます」
僕が言うと、アルナさんはペンを置いた。
受付台へ両手を重ね、まっすぐ僕を見る。
「あとで、ですね」
「はい」
「その言葉を、昨日の私へ言いましたね?」
「……言いました」
「何と返されましたか?」
「食べに行きましょう、と」
猫耳がぴんと立つ。
「では、先に食べてください」
「ですが、薬草が――」
「坊主」
ガルドさんが僕の肩を掴み、受付から半歩下がらせた。
「食うぞ」
「でも」
「食う」
「荷物は?」
「食ったあとに運ぶ」
「時間が――」
「角兎追い回す時間はあっただろうが」
痛いところを突かれた。
「……分かりました」
「本当に?」
「本当に本当です」
僕が答えると、アルナさんは満足そうに頷いた。
「今日は、ガルドさんがいてくださって助かります」
「最近、俺もそう思う」
「二人とも大袈裟ですよ」
抗議したけれど、聞いてもらえなかった。
ギルドの食堂で女将さんの包みを開く。
中には、やはり二人で食べても余るほどの黒パンと肉が入っていた。
「女将さん、分かってたんですね」
「お前が余計な仕事を増やすことをな」
ガルドさんは角兎肉を挟んだ黒パンを取り、大きく齧る。
僕も向かいへ座り、焼き菓子以外の包みを卓へ広げた。
「ガルドさんも増やしているでしょう」
「俺は、お前が行くからついてってんだよ」
「断ってもいいんですよ?」
「断ったら一人で行くだろ」
返事をしようとして、口を閉じる。
たぶん、行く。
薬草を倉庫へ運ぶだけなら、一人でも問題はない。
「……運ぶと思います」
「だろうな」
ガルドさんは呆れながらも、口元を少しだけ緩めた。
「お前が誰かを放っとけねぇのは、もう分かってる」
「ガルドさんもでしょう?」
「俺は選ぶぞ」
「何をです?」
「今すぐじゃなきゃ駄目か。俺がやる必要があるか。危険がどの程度か」
黒パンを卓へ置き、ガルドさんは太い指を一本ずつ立てる。
「全部考えてから動く」
「僕も考えています」
「考えて、全部やってるだろ」
「必要だと思うので」
「その必要の範囲が広すぎんだよ」
言われても、どこまで狭めればいいのか分からない。
困っている人を見つけた。
自分にできる。
なら、手を貸す。
それほど難しいことではないと思う。
「まあ、今すぐ直せとは言わねぇよ」
ガルドさんは再び黒パンへ齧りつき、咀嚼しながら僕を見る。
「ただし、俺が止めたら一度は止まれ」
「一度は?」
「まず止まって、話を聞け。それでも行くなら一緒に考える」
「ガルドさんも来るんですか?」
「放っといたら、お前だけで行くだろ」
「ありがとうございます」
「礼を言うところじゃねぇ」
犬耳が、少しだけ気まずそうに後ろへ倒れる。
「ほら、食え。運搬が待ってるぞ」
「はい」
黒パンを口へ運ぶ。
噛むと肉の塩気と香草の香りが広がった。
ガルドさんが前にいると、安心する。
戦いの時だけではない。
僕が何かを見つけて走り出しても、彼なら隣へ来てくれる。
――だからこそ、頼りすぎないようにしなければ。
「坊主」
「はい?」
「今、余計なこと考えただろ」
「どうして分かったんですか?」
「急に難しい顔したからだ」
僕は黒パンを置き、少し迷ってから尋ねた。
「僕は、ガルドさんに頼りすぎでしょうか」
「急に何だよ」
「フレイヴィアさんにも、誰かを頼れと言われました。でも、頼りすぎるのも違うと思って」
ガルドさんは何度か瞬きをした。
それから、盛大に額を押さえる。
「お前は、極端なんだよ」
「極端?」
「頼るか、一人で全部やるか。その二つしかねぇのか」
「ほかにあります?」
「普通に並んで歩け」
太い指が、僕の胸元へ向けられる。
「俺が前に出る時は任せろ。お前が動ける時は、お前がやれ。疲れたら代われ。間違えたら止めろ。それでいい」
「それは、頼ることでは?」
「頼ってるし、頼られてる。相棒ってのは、そういうもんだろ」
相棒。
その言葉が、耳の奥へ残った。
「……相棒ですか」
「何だよ、その顔」
「いえ。嬉しいなと思って」
素直に答えると、ガルドさんは黒パンを持ったまま固まった。
犬耳の先が、僅かに赤くなっている。
「お前、そういうの急に言うな」
「すみません」
「謝るな。余計に変になる」
「では、ありがとうございます」
「それも言うな!」
声が大きくなり、周囲のハンターたちがこちらを見た。
ガルドさんは咳払いし、黒パンを急いで口へ詰める。
「早く食え」
「はい」
「あと、その顔やめろ」
「普通の顔です」
「妙に嬉しそうなんだよ」
「嬉しいので」
「だから言うなっての!」
食堂の奥から笑い声が上がった。
僕には、ガルドさんがどうしてそこまで慌てるのか分からなかった。
◆
午後は、薬草の運搬から始まった。
ギルドの倉庫で木箱を二つ受け取り、ガルドさんが一つを肩へ担ぐ。
僕も残りを持ち上げようとしたけれど、彼の手が箱の上へ置かれた。
「お前は小さい方だ」
「同じ大きさですよ」
「中身が違う。そっちは軽い」
「交換しましょうか?」
「しねぇ」
ガルドさんは大きな箱を軽々と持ち上げ、そのまま歩き出す。
僕も残された箱を抱え、隣へ並んだ。
「僕も、もう少し重い物を持てますよ」
「知ってる」
「では、どうして?」
「俺の方が持てるからだ」
「単純ですね」
「単純でいいんだよ」
北区の倉庫までは、歩いて四半刻ほど。
道中、荷車を避け、細い路地を抜ける。
ガルドさんは僕より大きな箱を持っているのに、歩調を合わせていた。
僕が少し速くなれば速くなり、角を曲がる前には必ず半歩前へ出る。
本人は無意識なのだろう。
けれど、戦いの時と同じだ。
「ガルドさん」
「何だ」
「やっぱり、お兄さんみたいですね」
「急に何の話だ」
「前に、自分で言っていましたよね」
「昔の話だ」
「今も変わらないと思います」
「箱落とすぞ、坊主」
顔は見えなかったけれど、犬耳が後ろへ倒れている。
それ以上は言わない方がよさそうだった。
薬草を届けたあと、僕たちは倉庫の職員から追加の頼み事を受けた。
空箱をギルドへ戻すだけの仕事だ。
「これは帰り道ですから、余計な依頼ではありません」
「まだ何も言ってねぇよ」
「顔に出ていました」
「お前も分かるようになったな」
空箱を抱え、再びギルドへ向かう。
その途中で、通りの端に人だかりができていた。
中央には一台の荷車。
後輪が溝へ落ち、傾いた荷台から穀物袋が崩れかけている。
「……ガルドさん」
「見るな」
「でも」
「衛兵がいる」
「人手が足りていないようです」
「あと二人来た」
「僕たちが手伝えば、もっと早く終わります」
「空箱を戻す仕事がある」
言われ、僕は腕の中の箱へ目を落とした。
「置いて手伝えば――」
「坊主」
ガルドさんが足を止める。
低い声だった。
「一回、止まれ」
「…………」
昼食の時に言われた言葉を思い出す。
彼が止めたら、まず止まって話を聞く。
「はい」
人だかりの少し手前で立ち止まる。
ガルドさんは荷車と衛兵、それから集まっている人々を順番に見た。
「怪我人はいない。荷も落ちてねぇ。衛兵が二人いて、向こうから荷運び人も来てる」
「……僕たちでなくても大丈夫ですね」
「ああ」
ちょうど屈強な小人族の男たちが駆けつけ、荷車へ手をかける。
数人で持ち上げると、車輪はすぐに溝から抜けた。
「本当だ」
僕たちが動かなくても、問題は解決した。
当たり前のことなのかもしれない。
けれど、足を止めなければ気づかなかった。
「どうだ?」
「僕が行く必要はありませんでした」
「そういう時もある」
「少し、不思議な感じです」
「何がだよ」
「困っている人を見て、何もしないで通り過ぎるのが」
ガルドさんは歩き出しながら、肩越しに僕を見る。
「何もしてねぇわけじゃない。状況を見て、大丈夫だと判断した」
「それも行動ですか?」
「少なくとも、考えず飛び込むよりはな」
僕もその隣へ並ぶ。
「分かりました」
「本当か?」
「次も、一度は止まります」
「一度だけかよ」
「必要なら、そのあと手伝います」
「まあ、今はそれでいい」
ガルドさんの犬耳が、僅かに持ち上がった。
◆
空箱を返し終えた時には、太陽が西へ傾き始めていた。
「今日は、これで終わりですね」
ギルドの倉庫から出る。
護衛。
角兎の捕獲。
薬草の運搬。
空箱の返却。
予定していた仕事は、一つだけだった。
けれど、結果として四つになっている。
「終わりだ」
ガルドさんが念を押すように答える。
「掲示板は見ませんか?」
「見ねぇ」
「明日の予定だけでも」
「見ねぇ」
「新しい討伐依頼があるかもしれません」
「だから見ねぇんだよ」
肩を掴まれ、倉庫から受付の方角へ向けられる。
「報告したら帰るぞ」
「分かっています」
大広間へ戻ると、夕方のギルドは朝以上に騒がしかった。
依頼帰りのハンターたちが報告へ並び、酒場ではすでに杯を掲げている者もいる。
受付の向こうで、アルナさんの猫耳がこちらを見つけてぴこりと動いた。
けれど、僕たちの泥と埃にまみれた姿を確かめると、その耳はゆっくり伏せられていく。
「……護衛依頼でしたよね?」
「はい」
「薬草の運搬もお願いしました」
「はい」
「どうして朝より汚れているのですか?」
アルナさんは受付台の上で両手を重ねる。
笑顔は崩れていない。
――少し怖い。
「角兎を捕まえまして」
「聞きました」
「もう伝わっているんですね」
「農園から、ギルドへ感謝の連絡が届きました」
それなら、よい報告ではないだろうか。
「それから、空箱を戻しました」
「それも聞いています」
「ほかには何もしていません」
「荷車を助けようとして、ガルドさんに止められたそうですね」
「どうしてそれまで?」
アルナさんの視線が僕の隣へ移る。
ガルドさんが、気まずそうに犬耳の後ろを掻いた。
「帰り道で伝えた」
「いつの間に……」
「お前が掲示板見てる間だよ」
「見ないと言ったのに」
「お前が見てただろうが」
……確かに、入口付近から少しだけ眺めた。
近づいてはいないので、約束には反していないと思う。
「ルキウスさん」
「はい」
「今日は休養明けでしたね」
「身体に問題はありませんでした」
「問題があるかどうかではありません」
アルナさんは椅子から立ち上がり、受付台越しに僕をじっと見つめる。
「一日で何件、働きましたか?」
「護衛と運搬です」
「角兎は?」
「依頼ではありません」
「空箱は?」
「帰り道でした」
「荷車は?」
「手伝っていません」
僕が一つずつ答えるたび、猫耳が少しずつ伏せられていく。
「つまり、四件です」
「二件だと思います」
「四件です」
「三件では?」
「どうして増えたのですか?」
「角兎を数えるなら、空箱も入るかと」
「そこを競わないでください」
アルナさんが額へ手を添えた。
その横で、ガルドさんが大きく息を吐く。
「だから言っただろ。坊主は仕事を増やす病気だって」
「ガルドさんも、全部一緒に来ていますよね」
「放っとけねぇからだよ」
「結果的に働いた量は同じです」
「お前が言うな」
二人の声が重なる。
アルナさんとガルドさんが顔を見合わせ、そのまま同時に疲れた表情を浮かべた。
「何ですか?」
「坊主。お前、身体は疲れてねぇのか」
「少しは。でも、まだ動けます」
「そうじゃねぇ」
ガルドさんは近くの椅子を引き、重たい身体を沈めた。
背負っていた盾を床へ置き、肩を大きく回す。
「身体じゃなくて、気分が疲れた」
「気分?」
「ああ。朝からずっと、お前が何か拾ってこねぇか見張ってたからな」
犬耳まで、力なく垂れている。
「僕は拾っていませんよ」
「依頼を拾ってんだよ」
「今日は依頼票を追加で取っていません」
「困り事も同じだ」
受付の向こうで、アルナさんが静かに頷いた。
「ガルドさんのお気持ちが、とてもよく分かります」
「だろ?」
「はい。ルキウスさんを送り出した日は、何を増やして帰ってくるか分かりませんから」
「何も増やさず帰る日もあります」
「怪我が増えます」
「…………」
反論できなかった。
僕はガルドさんの向かいへ座る。
身体は確かに疲れている。
けれど、嫌な疲労ではない。
いろいろな人の役に立てた。
角兎も捕まえた。
ガルドさんと一日中動き、息の合った仕事もできた。
「僕は、楽しかったですけど」
「それだよ」
ガルドさんが僕へ指を向けた。
「お前は働いてる時も、狩ってる時も、ずっと楽しそうなんだ」
「嫌々やるより、よくありませんか?」
「限度がある」
「僕は普通だと思います」
アルナさんが、僕とガルドさんを交互に見る。
それから受付台の下へ屈み、何かを取り出した。
卓上へ置かれたのは、一枚の木札だった。
「本日の依頼受注停止」
赤い文字で、そう書かれている。
「これは?」
「ルキウスさん専用です」
「専用なんですか?」
「今、作りました」
裏を見ると、墨がまだ乾いていなかった。
「明日の朝まで、依頼を受けることを禁止します」
「ですが、緊急依頼が出た場合は?」
「ほかのハンターがいます」
「僕に向いている依頼かもしれません」
「その場合も、まず休んでください」
「獲物が――」
「ルキウスさん」
笑顔のまま呼ばれ、僕は口を閉じた。
「……はい」
アルナさんが木札を、僕の前へ押し出す。
「角兎亭まで、これを持って帰ってください」
「持って帰るんですか?」
「女将さんに見せてください」
「監視されている気分です」
「実際に監視してもらいます」
手に取ると、木札は思っていたより重かった。
「ガルドさんもです」
「俺も?」
「今日はずっと付き合っていたのでしょう?」
「俺は坊主の見張りだ」
「結果的に一緒に働いています」
「正論だな」
ガルドさんが天井を仰ぐ。
しばらく黙ったあと、椅子へ深く沈み込んだ。
「……こういう時は、酒だな」
「酒ですか?」
僕が聞き返すと、犬耳が僅かに起き上がる。
「身体は動くのに、頭と気分だけ疲れた時はな。飯食って、飲んで、馬鹿な話して寝る」
「治療師から、今日は控えるように言われていませんでしたか?」
「一杯だけだ」
「本当に?」
「本当に本当だ」
僕の言葉を使い、ガルドさんが胸を張る。
アルナさんは疑うように目を細めた。
「一杯で済みますか?」
「俺を誰だと思ってる」
「何杯も飲む方です」
「今日は一杯だって」
ガルドさんは僕へ顔を向けた。
「坊主。お前、宴って知ってるか?」
「宴……ですか?」
その言葉へ、思わず背筋が伸びる。
物語の中では何度も読んだ。
大きな依頼を終えたあと、仲間たちが酒と料理を囲み、戦いを語り合う。
杯を掲げ。
肩を組み。
時には歌い、夜が明けるまで笑う。
「知っています」
僕は両手を卓へ置き、身を乗り出した。
「依頼を達成したハンターたちが集まって、肉を焼き、お酒を飲みながら互いの武勇を称えるものですよね?」
「……まあ、間違っちゃいねぇ」
「英雄譚では、途中で喧嘩が始まることもあります」
「始めるなよ」
「僕はしません」
「獲物がいれば?」
「宴に獲物は出ませんよね?」
「出ても狩るな」
先回りして注意された。
「本当に宴をするんですか?」
「宴ってほど大袈裟じゃねぇよ。何人かで飲むだけだ」
ガルドさんは盾へ腕を預け、口元を緩める。
「姫さんと聖女様も呼んでみるか。受付嬢さんも、仕事が終わるならどうだ?」
「私もですか?」
突然話を向けられ、アルナさんの猫耳が勢いよく立った。
「今日一日、俺たちの面倒見て疲れたろ」
「面倒を見たのは、帰ってきてからだけですが」
「普段の分も含めてだ」
「それなら……」
アルナさんの視線が、僕へ向く。
目が合うと、猫耳が僅かに外側へ揺れた。
「ルキウスさんは、参加されますか?」
「もちろんです」
僕はすぐに頷いた。
「宴ですよね?」
「だから、飲み会みてぇなもんだって」
「同じでは?」
「期待しすぎるなよ」
ガルドさんはそう言ったけれど、胸の奥はすでに浮き立っていた。
仲間と食事を囲むことはある。
女将さんの料理を一緒に食べたことも、依頼帰りにガルドさんと酒場へ寄ったこともある。
けれど、「宴」として集まったことはない。
「どこでやるんですか?」
「店を決めるところからだ」
「何を食べます?」
「店による」
「肉はありますか?」
「あるだろ」
「お酒は?」
「お前は弱いだろうが」
「試してみないと分かりません」
「前に一杯で寝ただろ」
「あれは空腹だったからです」
「今度は笑い出したりするなよ」
「そんなことありました?」
「覚えてねぇのか」
ガルドさんが頭を抱える。
アルナさんは口元へ手を当て、小さく笑っていた。
「楽しそうですね、ルキウスさん」
「はい。宴は初めてなので」
「そこまで喜ばれると、断れませんね」
アルナさんは自分の勤務表を確認し、指先で時刻を追う。
「少し遅くなりますが、仕事が終わってからなら参加できます」
「決まりだな」
ガルドさんが膝を叩いて立ち上がった。
「明日の夜。場所は俺が探しとく」
「フレイヴィアさんとセラフィーンさんには、僕が伝えます」
「今日はもう教会にもギルドの奥にも行くなよ」
「明日伝えます」
「本当だな?」
「本当に本当です」
立ち上がり、木札を道具袋へ収める。
明日の朝まで、依頼は禁止。
少し落ち着かない。
けれど、明日の夜には宴がある。
「帰ります」
「真っすぐですよ」
アルナさんが、受付台の向こうから念を押す。
「分かっています」
「掲示板も見ません」
「もう見ました」
「受けませんね?」
「木札がありますから」
道具袋を軽く叩く。
アルナさんは満足そうに頷いた。
「では、お疲れさまでした」
「はい。明日を楽しみにしています」
「私もです」
受付を離れ、ガルドさんと出口へ向かう。
その途中で討伐依頼の掲示板が目に入った。
新しく貼られた紙がある。
赤い縁。
推奨ランク4。
大型ではなさそうだけれど、群れの確認数は――。
「坊主」
襟首を掴まれた。
「まだ何もしていません」
「目が完全に狩りへ行ってた」
「内容を確認しただけです」
「文字が見える距離まで近づいてねぇだろ」
「雰囲気で」
「雰囲気で狩りに行こうとすんな」
ガルドさんに引かれ、そのままギルドの外へ運ばれる。
「明日は宴だ。依頼じゃねぇ」
「分かっています」
「獲物の話も、なるべくするな」
「どうしてです?」
「お前が途中で狩りへ行くからだよ」
「行きません」
「本当に?」
「本当に本当です」
夕暮れの通りへ出る。
石畳には長い影が伸び、酒場では夜の準備が始まっていた。
焼ける肉。
香辛料。
開けられた酒樽の匂い。
「宴……」
声に出すと、胸の奥がさらに弾む。
「だから期待しすぎるなって」
「分かっています。でも、楽しみです」
「そうかよ」
ガルドさんは呆れたように笑い、僕の背中を軽く叩いた。
「今日は帰って寝ろ。明日は、依頼票じゃなくて仲間の顔を見てろ」
「はい」
頷き、角兎亭へ続く道を歩く。
明日は、初めての宴だ。
きっと物語に描かれているものとは違う。
それでも――誰かと杯を囲み、同じ時間を過ごすというだけで、足取りは自然と軽くなった。
できれば明日まで、危険な依頼が出ないでほしい。
……出た場合は。
「坊主」
「何ですか?」
「今、余計なこと考えただろ」
「考えていません」
「本当に?」
「本当に本当です」
ガルドさんの犬耳が、疑うようにこちらへ向いた。
僕は視線を逸らし、少しだけ歩調を速める。
明日は宴だ。
狩りのことは――明日が終わるまで、考えないことにしよう。
たぶん。
◆
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。
少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ぜひよろしくお願いいたします