駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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第二章 第六話『少年は相棒と働きすぎる』

 

 ◆

 

 アルナさんから昼休みを借りた、その翌朝。

 僕は角兎亭の食堂で、女将さんから渡された包みを道具袋へ詰めていた。

 

「今日はずいぶん多いですね」

 

 黒パンに角兎肉、炙った野菜。それから、小さな焼き菓子まで入っている。

 包みの厚さは、どう見ても一食分ではなかった。

 

「多くないよ。昼と、帰りが遅くなった時の分さ」

 

 女将さんは大鍋を掻き混ぜながら、こちらを見ようともせずに答える。

 朝食の煮込みからは、豆と香草の匂いが立ち上っていた。

 

「今日は夕方には戻る予定です」

「予定だろ?」

「はい」

「だったら持っていきな」

 

 木杓子の先を突きつけられた。

 

「坊やの予定ほど信用ならないものはないからね」

「僕は予定どおりに帰っている方だと思います」

「その予定に、余計な依頼を二つ三つ足すだろうが」

「困っている人がいた場合だけです」

「毎回いるじゃないか」

 

 ……不思議なことに、その通りだった。

 

 ギルドへ向かう途中で荷車の車輪が外れていたり、迷子のケルンを見つけたり、逃げた飼育用の角兎を追いかけたり。

 街の中にも、依頼票にならない小さな困り事は多い。

 

「今日はガルドさんと一緒ですから、大丈夫ですよ」

「あの兄ちゃんも、あんたに付き合うだろ」

「止めてくれる時もあります」

「止めきれたことは?」

 

 包みを道具袋へ押し込みながら、僕は少し考えた。

 

「……何度かは」

「指で数えられる程度だね?」

「両手は必要だと思います」

「二年で両手かい」

 

 女将さんが、呆れたように鼻を鳴らす。

 

「まあいい。帰ったら、ちゃんと夕飯を食べるんだよ」

「はい。行ってきます」

「あいよ。今日は余計なもんまで狩ってくるんじゃないよ」

「狩る予定はありません」

 

 そう答えると、女将さんは大鍋を混ぜる手を止めた。

 訝しむように目を細め、僕の顔を覗き込む。

 

「予定は、ねぇ」

「……行ってきます」

 

 これ以上続けると不利になりそうだったので、僕は足早に角兎亭を出た。

 

 ◆

 

 その日の最初の依頼は、南門から半刻ほど離れた農園までの護衛だった。

 

 運ぶのは麦粉と農具。

 依頼人は小人族の商人で、荷車を引くケルンは人見知りが激しい。

 

「噛みますから、正面には立たないでくださいね」

 

 商人から説明を受けた直後、ケルンが僕のフードへ鼻先を伸ばしてきた。

 湿った息が布越しに額へ当たる。

 

「……懐かれてません?」

「珍しいですね。普段は知らない人を見ると蹴るんですが」

 

 ケルンの口が開く。

 鋭い歯が、僕のフードの端を咥えた。

 

「ルキウス。それ懐いてねぇぞ」

「ガルドさん、見てないで助けてください」

「噛まれてから言え」

 

 隣で腕を組んでいたガルドさんが、ケルンの鼻先を軽く押す。

 フードが解放され、引っ張られていた首も元へ戻った。

 

「危なかった……」

「何でお前は、魔物には食われかけても平気なくせに、ケルンに噛まれるとそんな顔すんだ」

「戦う相手ではありませんから」

「相手が敵ならいいのかよ」

「よくはありません」

 

 答えながら、乱れたフードを直す。

 ガルドさんは何か言いたそうに口を開いたものの、商人が荷台へ登ったため、そのまま飲み込んだ。

 

「では、お願いします」

「はい。道中は僕が前を見ます」

「俺は荷車の横につく。狭い道じゃ速度を落とせよ」

「分かりました」

 

 僕が先へ出ると、ガルドさんは荷車の右側へ回った。

 打ち合わせは、それだけだった。

 

 二年前なら、出発前に一つずつ役割を確認していた。

 敵が前から来た場合。

 横から来た場合。

 荷車が止まった場合。

 僕が焦って一人で飛び出した場合――最後の確認だけ、妙に多かった気がする。

 

 今は、互いに何をするか分かっている。

 僕が前方の道と痕跡を見て、ガルドさんが依頼人と荷を守る。

 敵が出れば、彼が盾となり、僕が側面から崩す。

 

 言葉にしなくても、身体が自然にその位置へ収まった。

 

「前方、枝が折れています」

 

 街道脇へ寄り、土へ残る痕跡を見る。

 獣の足跡ではない。細長い靴跡が二人分。

 荷車の車輪が一度、道端へ外れた跡もある。

 

「古いか?」

「昨日か、一昨日だと思います。血もありません」

 

 折れた枝の先を確かめ、僕は立ち上がる。

 

「盗賊ではなさそうです」

「行商人が道を譲った跡かもな」

「はい。念のため、少し速度を落としましょう」

 

 ガルドさんが御者台の商人へ片手を上げる。

 荷車の進みが緩やかになった。

 

 そのまま街道を進み、農園へ着いたのは予定より少し早い時刻だった。

 

 魔物も盗賊も現れない。

 荷物も無事。

 護衛依頼としては、何も起こらないことが一番の成果だ。

 

「ありがとうございました。帰りも頼めますか?」

 

 荷を下ろし終えた商人が尋ねる。

 僕はガルドさんを見る。

 

「どうします?」

「別料金だぞ」

「もちろんです。ギルドを通します」

 

 商人が手続きを約束したところで、農園の奥から大きな音が響いた。

 

 木材が倒れ、何かが激しく鳴く。

 続いて、小人族の男性が倉庫から飛び出してきた。

 

「誰か! 角兎が逃げた!」

 

 僕とガルドさんの視線が重なる。

 

「坊主」

「困っているようです」

「俺はまだ何も言ってねぇ」

「すぐ終わります」

 

 返事を待たず、鳴き声のした方角へ走る。

 背後からガルドさんの深い溜め息が聞こえた。

 

「そういうところだぞ!」

 

 農園の柵を飛び越えた角兎は、畑の畝を蹴散らしながら走っていた。

 普通の野生個体より大きい。

 飼育されて栄養状態がよいのだろう。後脚も太く、速度も速かった。

 

「元気ですね」

 

 思わず口元が緩む。

 角兎が振り返り、頭の角をこちらへ向けた。

 

「おい、何で楽しそうなんだ!」

 

 後ろから追いついたガルドさんが叫ぶ。

 

「捕まえやすそうな場所を考えているだけです」

「走る速度が上がってんぞ!」

 

 角兎が僕へ突進する。

 右へ避ければ、畑の外へ逃げられる。

 左には柵。

 なら――正面から受けず、ぎりぎりまで引きつける。

 

「坊主、斬るなよ!」

「飼育用だと分かっています!」

 

 角が腹へ届く直前、身体を半歩ずらした。

 勢いを殺さないまま首元へ腕を回し、身体ごと地面へ転がる。

 

「うわっ……!」

 

 土と草が視界を回る。

 角兎は暴れたものの、後脚を抱え込むと身動きが鈍った。

 

「捕まえました!」

「捕まえ方が狩りなんだよ!」

 

 ガルドさんが駆け寄り、角を掴む。

 二人で身体を押さえると、角兎はようやく大人しくなった。

 

 農園の男性たちが縄を持って走ってくる。

 その顔には安堵より、呆れの方が強く浮かんでいた。

 

「ありがとうございます。でも、怪我は?」

「ありません」

「服は泥だらけだぞ」

「洗えば落ちます」

 

 立ち上がり、外套についた土を払う。

 ガルドさんは僕の背中を叩きながら、低く唸った。

 

「休養明けの初仕事で、何で角兎と取っ組み合ってんだ」

「早く捕まえるには、あれが一番でした」

「お前、剣を抜くの我慢しただろ」

「飼育用ですから」

「野生なら?」

「……状況によります」

 

 ガルドさんの犬耳が、力なく横へ倒れた。

 

「何が状況によるんだよ」

 

 ◆

 

 農園から戻ったあと、僕たちはギルドで護衛依頼の報告を済ませた。

 

 本来なら、そこで昼食を取る予定だった。

 けれど、受付へ戻ったアルナさんが、僕たちを見つけるなり一枚の紙を差し出した。

 

「北区の倉庫へ、薬草を運んでいただけませんか?」

 

 依頼票ではない。

 ギルド内部の急ぎの手伝いらしい。

 

「運搬班が足りないんですか?」

「一人、体調を崩してしまいまして。量は多くありませんが、午後の治療に必要だそうです」

 

 アルナさんは僕の泥だらけの外套へ目を止める。

 猫耳が、僅かに横へ傾いた。

 

「……何があったのですか?」

「角兎を捕まえました」

「護衛依頼では?」

「途中で逃げていたので」

「予定外の獲物を狩ったんですね」

「狩ってはいません。生け捕りです」

 

 正確に訂正する。

 なぜかアルナさんの耳は、さらに低くなった。

 

「話は後で聞きます。運搬は難しいでしょうか?」

「大丈夫です」

「俺も手伝う」

 

 ガルドさんが僕より先に答える。

 断れば僕一人で行くと分かっている顔だった。

 

「ありがとうございます。昼食は?」

「まだです」

「では、先に食べてから――」

「薬草は急ぎですよね?」

「午後までに届けば間に合います」

「運んだあとで食べます」

 

 僕が言うと、アルナさんはペンを置いた。

 受付台へ両手を重ね、まっすぐ僕を見る。

 

「あとで、ですね」

「はい」

「その言葉を、昨日の私へ言いましたね?」

「……言いました」

「何と返されましたか?」

「食べに行きましょう、と」

 

 猫耳がぴんと立つ。

 

「では、先に食べてください」

「ですが、薬草が――」

「坊主」

 

 ガルドさんが僕の肩を掴み、受付から半歩下がらせた。

 

「食うぞ」

「でも」

「食う」

「荷物は?」

「食ったあとに運ぶ」

「時間が――」

「角兎追い回す時間はあっただろうが」

 

 痛いところを突かれた。

 

「……分かりました」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 僕が答えると、アルナさんは満足そうに頷いた。

 

「今日は、ガルドさんがいてくださって助かります」

「最近、俺もそう思う」

「二人とも大袈裟ですよ」

 

 抗議したけれど、聞いてもらえなかった。

 

 ギルドの食堂で女将さんの包みを開く。

 中には、やはり二人で食べても余るほどの黒パンと肉が入っていた。

 

「女将さん、分かってたんですね」

「お前が余計な仕事を増やすことをな」

 

 ガルドさんは角兎肉を挟んだ黒パンを取り、大きく齧る。

 僕も向かいへ座り、焼き菓子以外の包みを卓へ広げた。

 

「ガルドさんも増やしているでしょう」

「俺は、お前が行くからついてってんだよ」

「断ってもいいんですよ?」

「断ったら一人で行くだろ」

 

 返事をしようとして、口を閉じる。

 たぶん、行く。

 薬草を倉庫へ運ぶだけなら、一人でも問題はない。

 

「……運ぶと思います」

「だろうな」

 

 ガルドさんは呆れながらも、口元を少しだけ緩めた。

 

「お前が誰かを放っとけねぇのは、もう分かってる」

「ガルドさんもでしょう?」

「俺は選ぶぞ」

「何をです?」

「今すぐじゃなきゃ駄目か。俺がやる必要があるか。危険がどの程度か」

 

 黒パンを卓へ置き、ガルドさんは太い指を一本ずつ立てる。

 

「全部考えてから動く」

「僕も考えています」

「考えて、全部やってるだろ」

「必要だと思うので」

「その必要の範囲が広すぎんだよ」

 

 言われても、どこまで狭めればいいのか分からない。

 困っている人を見つけた。

 自分にできる。

 なら、手を貸す。

 

 それほど難しいことではないと思う。

 

「まあ、今すぐ直せとは言わねぇよ」

 

 ガルドさんは再び黒パンへ齧りつき、咀嚼しながら僕を見る。

 

「ただし、俺が止めたら一度は止まれ」

「一度は?」

「まず止まって、話を聞け。それでも行くなら一緒に考える」

「ガルドさんも来るんですか?」

「放っといたら、お前だけで行くだろ」

「ありがとうございます」

「礼を言うところじゃねぇ」

 

 犬耳が、少しだけ気まずそうに後ろへ倒れる。

 

「ほら、食え。運搬が待ってるぞ」

「はい」

 

 黒パンを口へ運ぶ。

 噛むと肉の塩気と香草の香りが広がった。

 

 ガルドさんが前にいると、安心する。

 戦いの時だけではない。

 僕が何かを見つけて走り出しても、彼なら隣へ来てくれる。

 

 ――だからこそ、頼りすぎないようにしなければ。

 

「坊主」

「はい?」

「今、余計なこと考えただろ」

「どうして分かったんですか?」

「急に難しい顔したからだ」

 

 僕は黒パンを置き、少し迷ってから尋ねた。

 

「僕は、ガルドさんに頼りすぎでしょうか」

「急に何だよ」

「フレイヴィアさんにも、誰かを頼れと言われました。でも、頼りすぎるのも違うと思って」

 

 ガルドさんは何度か瞬きをした。

 それから、盛大に額を押さえる。

 

「お前は、極端なんだよ」

「極端?」

「頼るか、一人で全部やるか。その二つしかねぇのか」

「ほかにあります?」

「普通に並んで歩け」

 

 太い指が、僕の胸元へ向けられる。

 

「俺が前に出る時は任せろ。お前が動ける時は、お前がやれ。疲れたら代われ。間違えたら止めろ。それでいい」

「それは、頼ることでは?」

「頼ってるし、頼られてる。相棒ってのは、そういうもんだろ」

 

 相棒。

 

 その言葉が、耳の奥へ残った。

 

「……相棒ですか」

「何だよ、その顔」

「いえ。嬉しいなと思って」

 

 素直に答えると、ガルドさんは黒パンを持ったまま固まった。

 犬耳の先が、僅かに赤くなっている。

 

「お前、そういうの急に言うな」

「すみません」

「謝るな。余計に変になる」

「では、ありがとうございます」

「それも言うな!」

 

 声が大きくなり、周囲のハンターたちがこちらを見た。

 ガルドさんは咳払いし、黒パンを急いで口へ詰める。

 

「早く食え」

「はい」

「あと、その顔やめろ」

「普通の顔です」

「妙に嬉しそうなんだよ」

「嬉しいので」

「だから言うなっての!」

 

 食堂の奥から笑い声が上がった。

 僕には、ガルドさんがどうしてそこまで慌てるのか分からなかった。

 

 ◆

 

 午後は、薬草の運搬から始まった。

 

 ギルドの倉庫で木箱を二つ受け取り、ガルドさんが一つを肩へ担ぐ。

 僕も残りを持ち上げようとしたけれど、彼の手が箱の上へ置かれた。

 

「お前は小さい方だ」

「同じ大きさですよ」

「中身が違う。そっちは軽い」

「交換しましょうか?」

「しねぇ」

 

 ガルドさんは大きな箱を軽々と持ち上げ、そのまま歩き出す。

 僕も残された箱を抱え、隣へ並んだ。

 

「僕も、もう少し重い物を持てますよ」

「知ってる」

「では、どうして?」

「俺の方が持てるからだ」

「単純ですね」

「単純でいいんだよ」

 

 北区の倉庫までは、歩いて四半刻ほど。

 道中、荷車を避け、細い路地を抜ける。

 

 ガルドさんは僕より大きな箱を持っているのに、歩調を合わせていた。

 僕が少し速くなれば速くなり、角を曲がる前には必ず半歩前へ出る。

 

 本人は無意識なのだろう。

 けれど、戦いの時と同じだ。

 

「ガルドさん」

「何だ」

「やっぱり、お兄さんみたいですね」

「急に何の話だ」

「前に、自分で言っていましたよね」

「昔の話だ」

「今も変わらないと思います」

「箱落とすぞ、坊主」

 

 顔は見えなかったけれど、犬耳が後ろへ倒れている。

 それ以上は言わない方がよさそうだった。

 

 薬草を届けたあと、僕たちは倉庫の職員から追加の頼み事を受けた。

 空箱をギルドへ戻すだけの仕事だ。

 

「これは帰り道ですから、余計な依頼ではありません」

「まだ何も言ってねぇよ」

「顔に出ていました」

「お前も分かるようになったな」

 

 空箱を抱え、再びギルドへ向かう。

 

 その途中で、通りの端に人だかりができていた。

 中央には一台の荷車。

 後輪が溝へ落ち、傾いた荷台から穀物袋が崩れかけている。

 

「……ガルドさん」

「見るな」

「でも」

「衛兵がいる」

「人手が足りていないようです」

「あと二人来た」

「僕たちが手伝えば、もっと早く終わります」

「空箱を戻す仕事がある」

 

 言われ、僕は腕の中の箱へ目を落とした。

 

「置いて手伝えば――」

「坊主」

 

 ガルドさんが足を止める。

 低い声だった。

 

「一回、止まれ」

「…………」

 

 昼食の時に言われた言葉を思い出す。

 彼が止めたら、まず止まって話を聞く。

 

「はい」

 

 人だかりの少し手前で立ち止まる。

 ガルドさんは荷車と衛兵、それから集まっている人々を順番に見た。

 

「怪我人はいない。荷も落ちてねぇ。衛兵が二人いて、向こうから荷運び人も来てる」

「……僕たちでなくても大丈夫ですね」

「ああ」

 

 ちょうど屈強な小人族の男たちが駆けつけ、荷車へ手をかける。

 数人で持ち上げると、車輪はすぐに溝から抜けた。

 

「本当だ」

 

 僕たちが動かなくても、問題は解決した。

 当たり前のことなのかもしれない。

 

 けれど、足を止めなければ気づかなかった。

 

「どうだ?」

「僕が行く必要はありませんでした」

「そういう時もある」

「少し、不思議な感じです」

「何がだよ」

「困っている人を見て、何もしないで通り過ぎるのが」

 

 ガルドさんは歩き出しながら、肩越しに僕を見る。

 

「何もしてねぇわけじゃない。状況を見て、大丈夫だと判断した」

「それも行動ですか?」

「少なくとも、考えず飛び込むよりはな」

 

 僕もその隣へ並ぶ。

 

「分かりました」

「本当か?」

「次も、一度は止まります」

「一度だけかよ」

「必要なら、そのあと手伝います」

「まあ、今はそれでいい」

 

 ガルドさんの犬耳が、僅かに持ち上がった。

 

 ◆

 

 空箱を返し終えた時には、太陽が西へ傾き始めていた。

 

「今日は、これで終わりですね」

 

 ギルドの倉庫から出る。

 護衛。

 角兎の捕獲。

 薬草の運搬。

 空箱の返却。

 

 予定していた仕事は、一つだけだった。

 けれど、結果として四つになっている。

 

「終わりだ」

 

 ガルドさんが念を押すように答える。

 

「掲示板は見ませんか?」

「見ねぇ」

「明日の予定だけでも」

「見ねぇ」

「新しい討伐依頼があるかもしれません」

「だから見ねぇんだよ」

 

 肩を掴まれ、倉庫から受付の方角へ向けられる。

 

「報告したら帰るぞ」

「分かっています」

 

 大広間へ戻ると、夕方のギルドは朝以上に騒がしかった。

 依頼帰りのハンターたちが報告へ並び、酒場ではすでに杯を掲げている者もいる。

 

 受付の向こうで、アルナさんの猫耳がこちらを見つけてぴこりと動いた。

 けれど、僕たちの泥と埃にまみれた姿を確かめると、その耳はゆっくり伏せられていく。

 

「……護衛依頼でしたよね?」

「はい」

「薬草の運搬もお願いしました」

「はい」

「どうして朝より汚れているのですか?」

 

 アルナさんは受付台の上で両手を重ねる。

 笑顔は崩れていない。

 

 ――少し怖い。

 

「角兎を捕まえまして」

「聞きました」

「もう伝わっているんですね」

「農園から、ギルドへ感謝の連絡が届きました」

 

 それなら、よい報告ではないだろうか。

 

「それから、空箱を戻しました」

「それも聞いています」

「ほかには何もしていません」

「荷車を助けようとして、ガルドさんに止められたそうですね」

「どうしてそれまで?」

 

 アルナさんの視線が僕の隣へ移る。

 ガルドさんが、気まずそうに犬耳の後ろを掻いた。

 

「帰り道で伝えた」

「いつの間に……」

「お前が掲示板見てる間だよ」

「見ないと言ったのに」

「お前が見てただろうが」

 

 ……確かに、入口付近から少しだけ眺めた。

 近づいてはいないので、約束には反していないと思う。

 

「ルキウスさん」

「はい」

「今日は休養明けでしたね」

「身体に問題はありませんでした」

「問題があるかどうかではありません」

 

 アルナさんは椅子から立ち上がり、受付台越しに僕をじっと見つめる。

 

「一日で何件、働きましたか?」

「護衛と運搬です」

「角兎は?」

「依頼ではありません」

「空箱は?」

「帰り道でした」

「荷車は?」

「手伝っていません」

 

 僕が一つずつ答えるたび、猫耳が少しずつ伏せられていく。

 

「つまり、四件です」

「二件だと思います」

「四件です」

「三件では?」

「どうして増えたのですか?」

「角兎を数えるなら、空箱も入るかと」

「そこを競わないでください」

 

 アルナさんが額へ手を添えた。

 その横で、ガルドさんが大きく息を吐く。

 

「だから言っただろ。坊主は仕事を増やす病気だって」

「ガルドさんも、全部一緒に来ていますよね」

「放っとけねぇからだよ」

「結果的に働いた量は同じです」

「お前が言うな」

 

 二人の声が重なる。

 アルナさんとガルドさんが顔を見合わせ、そのまま同時に疲れた表情を浮かべた。

 

「何ですか?」

「坊主。お前、身体は疲れてねぇのか」

「少しは。でも、まだ動けます」

「そうじゃねぇ」

 

 ガルドさんは近くの椅子を引き、重たい身体を沈めた。

 背負っていた盾を床へ置き、肩を大きく回す。

 

「身体じゃなくて、気分が疲れた」

「気分?」

「ああ。朝からずっと、お前が何か拾ってこねぇか見張ってたからな」

 

 犬耳まで、力なく垂れている。

 

「僕は拾っていませんよ」

「依頼を拾ってんだよ」

「今日は依頼票を追加で取っていません」

「困り事も同じだ」

 

 受付の向こうで、アルナさんが静かに頷いた。

 

「ガルドさんのお気持ちが、とてもよく分かります」

「だろ?」

「はい。ルキウスさんを送り出した日は、何を増やして帰ってくるか分かりませんから」

「何も増やさず帰る日もあります」

「怪我が増えます」

「…………」

 

 反論できなかった。

 

 僕はガルドさんの向かいへ座る。

 身体は確かに疲れている。

 けれど、嫌な疲労ではない。

 

 いろいろな人の役に立てた。

 角兎も捕まえた。

 ガルドさんと一日中動き、息の合った仕事もできた。

 

「僕は、楽しかったですけど」

「それだよ」

 

 ガルドさんが僕へ指を向けた。

 

「お前は働いてる時も、狩ってる時も、ずっと楽しそうなんだ」

「嫌々やるより、よくありませんか?」

「限度がある」

「僕は普通だと思います」

 

 アルナさんが、僕とガルドさんを交互に見る。

 それから受付台の下へ屈み、何かを取り出した。

 

 卓上へ置かれたのは、一枚の木札だった。

 

「本日の依頼受注停止」

 

 赤い文字で、そう書かれている。

 

「これは?」

「ルキウスさん専用です」

「専用なんですか?」

「今、作りました」

 

 裏を見ると、墨がまだ乾いていなかった。

 

「明日の朝まで、依頼を受けることを禁止します」

「ですが、緊急依頼が出た場合は?」

「ほかのハンターがいます」

「僕に向いている依頼かもしれません」

「その場合も、まず休んでください」

「獲物が――」

「ルキウスさん」

 

 笑顔のまま呼ばれ、僕は口を閉じた。

 

「……はい」

 

 アルナさんが木札を、僕の前へ押し出す。

 

「角兎亭まで、これを持って帰ってください」

「持って帰るんですか?」

「女将さんに見せてください」

「監視されている気分です」

「実際に監視してもらいます」

 

 手に取ると、木札は思っていたより重かった。

 

「ガルドさんもです」

「俺も?」

「今日はずっと付き合っていたのでしょう?」

「俺は坊主の見張りだ」

「結果的に一緒に働いています」

「正論だな」

 

 ガルドさんが天井を仰ぐ。

 しばらく黙ったあと、椅子へ深く沈み込んだ。

 

「……こういう時は、酒だな」

「酒ですか?」

 

 僕が聞き返すと、犬耳が僅かに起き上がる。

 

「身体は動くのに、頭と気分だけ疲れた時はな。飯食って、飲んで、馬鹿な話して寝る」

「治療師から、今日は控えるように言われていませんでしたか?」

「一杯だけだ」

「本当に?」

「本当に本当だ」

 

 僕の言葉を使い、ガルドさんが胸を張る。

 アルナさんは疑うように目を細めた。

 

「一杯で済みますか?」

「俺を誰だと思ってる」

「何杯も飲む方です」

「今日は一杯だって」

 

 ガルドさんは僕へ顔を向けた。

 

「坊主。お前、宴って知ってるか?」

「宴……ですか?」

 

 その言葉へ、思わず背筋が伸びる。

 

 物語の中では何度も読んだ。

 大きな依頼を終えたあと、仲間たちが酒と料理を囲み、戦いを語り合う。

 

 杯を掲げ。

 肩を組み。

 時には歌い、夜が明けるまで笑う。

 

「知っています」

 

 僕は両手を卓へ置き、身を乗り出した。

 

「依頼を達成したハンターたちが集まって、肉を焼き、お酒を飲みながら互いの武勇を称えるものですよね?」

「……まあ、間違っちゃいねぇ」

「英雄譚では、途中で喧嘩が始まることもあります」

「始めるなよ」

「僕はしません」

「獲物がいれば?」

「宴に獲物は出ませんよね?」

「出ても狩るな」

 

 先回りして注意された。

 

「本当に宴をするんですか?」

「宴ってほど大袈裟じゃねぇよ。何人かで飲むだけだ」

 

 ガルドさんは盾へ腕を預け、口元を緩める。

 

「姫さんと聖女様も呼んでみるか。受付嬢さんも、仕事が終わるならどうだ?」

「私もですか?」

 

 突然話を向けられ、アルナさんの猫耳が勢いよく立った。

 

「今日一日、俺たちの面倒見て疲れたろ」

「面倒を見たのは、帰ってきてからだけですが」

「普段の分も含めてだ」

「それなら……」

 

 アルナさんの視線が、僕へ向く。

 目が合うと、猫耳が僅かに外側へ揺れた。

 

「ルキウスさんは、参加されますか?」

「もちろんです」

 

 僕はすぐに頷いた。

 

「宴ですよね?」

「だから、飲み会みてぇなもんだって」

「同じでは?」

「期待しすぎるなよ」

 

 ガルドさんはそう言ったけれど、胸の奥はすでに浮き立っていた。

 

 仲間と食事を囲むことはある。

 女将さんの料理を一緒に食べたことも、依頼帰りにガルドさんと酒場へ寄ったこともある。

 

 けれど、「宴」として集まったことはない。

 

「どこでやるんですか?」

「店を決めるところからだ」

「何を食べます?」

「店による」

「肉はありますか?」

「あるだろ」

「お酒は?」

「お前は弱いだろうが」

「試してみないと分かりません」

「前に一杯で寝ただろ」

「あれは空腹だったからです」

「今度は笑い出したりするなよ」

「そんなことありました?」

「覚えてねぇのか」

 

 ガルドさんが頭を抱える。

 アルナさんは口元へ手を当て、小さく笑っていた。

 

「楽しそうですね、ルキウスさん」

「はい。宴は初めてなので」

「そこまで喜ばれると、断れませんね」

 

 アルナさんは自分の勤務表を確認し、指先で時刻を追う。

 

「少し遅くなりますが、仕事が終わってからなら参加できます」

「決まりだな」

 

 ガルドさんが膝を叩いて立ち上がった。

 

「明日の夜。場所は俺が探しとく」

「フレイヴィアさんとセラフィーンさんには、僕が伝えます」

「今日はもう教会にもギルドの奥にも行くなよ」

「明日伝えます」

「本当だな?」

「本当に本当です」

 

 立ち上がり、木札を道具袋へ収める。

 明日の朝まで、依頼は禁止。

 

 少し落ち着かない。

 けれど、明日の夜には宴がある。

 

「帰ります」

「真っすぐですよ」

 

 アルナさんが、受付台の向こうから念を押す。

 

「分かっています」

「掲示板も見ません」

「もう見ました」

「受けませんね?」

「木札がありますから」

 

 道具袋を軽く叩く。

 アルナさんは満足そうに頷いた。

 

「では、お疲れさまでした」

「はい。明日を楽しみにしています」

「私もです」

 

 受付を離れ、ガルドさんと出口へ向かう。

 その途中で討伐依頼の掲示板が目に入った。

 

 新しく貼られた紙がある。

 赤い縁。

 推奨ランク4。

 大型ではなさそうだけれど、群れの確認数は――。

 

「坊主」

 

 襟首を掴まれた。

 

「まだ何もしていません」

「目が完全に狩りへ行ってた」

「内容を確認しただけです」

「文字が見える距離まで近づいてねぇだろ」

「雰囲気で」

「雰囲気で狩りに行こうとすんな」

 

 ガルドさんに引かれ、そのままギルドの外へ運ばれる。

 

「明日は宴だ。依頼じゃねぇ」

「分かっています」

「獲物の話も、なるべくするな」

「どうしてです?」

「お前が途中で狩りへ行くからだよ」

「行きません」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 夕暮れの通りへ出る。

 石畳には長い影が伸び、酒場では夜の準備が始まっていた。

 

 焼ける肉。

 香辛料。

 開けられた酒樽の匂い。

 

「宴……」

 

 声に出すと、胸の奥がさらに弾む。

 

「だから期待しすぎるなって」

「分かっています。でも、楽しみです」

「そうかよ」

 

 ガルドさんは呆れたように笑い、僕の背中を軽く叩いた。

 

「今日は帰って寝ろ。明日は、依頼票じゃなくて仲間の顔を見てろ」

「はい」

 

 頷き、角兎亭へ続く道を歩く。

 

 明日は、初めての宴だ。

 きっと物語に描かれているものとは違う。

 

 それでも――誰かと杯を囲み、同じ時間を過ごすというだけで、足取りは自然と軽くなった。

 

 できれば明日まで、危険な依頼が出ないでほしい。

 

 ……出た場合は。

 

「坊主」

「何ですか?」

「今、余計なこと考えただろ」

「考えていません」

「本当に?」

「本当に本当です」

 

 ガルドさんの犬耳が、疑うようにこちらへ向いた。

 

 僕は視線を逸らし、少しだけ歩調を速める。

 

 明日は宴だ。

 

 狩りのことは――明日が終わるまで、考えないことにしよう。

 

 たぶん。

 

 





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