駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
~前回までのあらすじ~
前回は都市『エルドラン』へやってきたルキウスがギルドへ訪問、というところで終わりました。
今回はそのギルドに入って~からになります。
それでは、どうぞ。
◆
重たい扉をくぐった瞬間、いくつもの匂いが押し寄せてきた。
革に鉄。汗と酒、それに香ばしく焼けた肉……その奥からは、僅かに血の匂いも混ざって鼻腔を刺激した。
「うわ」
思わず、入口で足が止まる。
ここが、ハンターズギルド。
物語の中では何度も読んだ場所だ。
英雄たちが依頼を受け、仲間と出会い、まだ見ぬ土地へと旅立っていく――僕がずっと憧れてきた、冒険の始まりの場所。
けれど、実際に目の前へ広がっていた光景は、想像よりも大きく、騒がしく……そして、ずっと現実的だった。
硬い石造りの床には、靴や武器で擦れた傷が無数に走っている。
壁一面には依頼書が貼られ、天井からは巨大な角や爪、見たこともないモンスターの骨が吊るされていた。
「本物だ……」
奥の酒場では、大柄なハンターたちが昼間から酒杯を掲げている。
その隣の卓では、弓を背負った女性が地図を広げ、仲間と真剣な顔で話し込んでいた。
笑っている人。
怒鳴っている人。
血の滲んだ腕を押さえながら、報告書へ文字を書き込んでいる人。
――本の挿絵とは違う。
ここにいる人たちは、本当に命を懸けて仕事をしている。
そんな当たり前のことを、初めて実感した。
「それで、受付は……」
入口の脇へ立ったまま、大広間を見回す。
依頼書の並ぶ掲示板。
巨大な牙や毛皮を量っている素材買取所。
酒場に、何かを言い争っているハンターたち。
目に入るものが多すぎて、どこから探せばよいのか分からない。
ガルドさんからは、街へ入ったら真っすぐギルドへ行けと言われた。
ギルドには来た。
次はハンター登録だ。
そこまでは分かっている。
問題は、どこで登録するのかだった。
「……あれかな」
大広間の奥に、横長のカウンターが見えた。
何人かの職員が座り、並んだハンターから書類や素材を受け取っている。
きっと、あれが受付だ。
人の流れを邪魔しないよう壁際へ寄り、カウンターへ向かう。
近づくにつれ、その右端だけ妙に様子が違うことへ気づいた。
ほかの受付には何人ものハンターが並んでいる。
それなのに、そこだけぽっかりと空間が空いていた。
「どうして、誰も並んでないんだろう」
ギルド全体がこれほど騒がしいのに、まるでそこだけ切り取られたように静かだった。
自然と、視線が向く。
そして――目を奪われた。
一人の女性が、受付の前に立っていた。
夜をそのまま流したような黒髪が、腰の辺りまで真っすぐに伸びている。
背中には、僕の身長ほどもありそうな大剣。首元からは黒い鱗が覗き、腰から伸びた太い尾が、石床すれすれで緩やかに揺れていた。
何より目を引いたのは、黄金色の瞳だ。
ただ手元の書類を読んでいるだけなのに、その周囲の空気まで張り詰めて見える。
「……綺麗な人だなぁ」
声へ出したあとで、慌てて口元を押さえた。
幸い、周囲の喧騒に紛れたらしい。
綺麗な人だった。
それと同時に――強い人なのだと思った。
理由を尋ねられても、上手く説明はできない。
ただ、立っている姿を見ただけで、僕とは何もかも違うと分かってしまった。
「はい。確かに受領しました」
女性の前にいる受付嬢が、報告書を確認して顔を上げる。
ふわりとした栗色の髪。
頭の上には、髪と同じ色をした猫耳があった。
「今回の報告も問題ありません。いつもありがとうございます、フレイヴィア様」
「よい。余が勝手にやっていることだ」
フレイヴィア様と呼ばれた女性が、カウンターへ片手を置く。
「そうはおっしゃいますが、本来は複数名で行う調査です。調査班も大変助かっています」
「ならば、次も必要があれば呼べ」
受付嬢は僅かに目元を和らげ、手元の書類を丁寧に揃えた。
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
「ああ。ご苦労だった」
フレイヴィアさんは差し出された書類へ軽く目を通し、外套の内側へしまう。
僕も、ようやく我に返った。
「いけない」
見惚れている場合ではない。
僕はハンターになりに来たのだ。
ちょうど右端の受付が空いた。
先ほどまでフレイヴィアさんが立っていたから、ほかの人が近づかなかっただけなのだろう。
受付そのものは使ってよいはずだ。
――たぶん。
都会には、僕の知らない決まりが多い。
けれど、何もせず立っていてもハンターにはなれない。
僕は人の間を抜け、空いたカウンターへ向かった。
「おい」
近くの卓から、小さな声が聞こえた。
「見たか、あいつ」
「右へ行ったぞ」
別の誰かが答え、酒杯の陰からこちらを窺っている。
「マジか」
「知らねぇんだろ」
ひそひそと交わされる声に、足を止めかけた。
「……僕のことかな」
何かを間違えただろうか。
靴は履いている。
武器も抜いていない。
列へ割り込んだわけでもない。
自分の格好を見下ろしてみるけれど、問題らしい問題は見つけられなかった。
ならば、大丈夫だろう。
分からないことを分かったふりはしてはいけない。
けれど、分からないことをすべて気にしていては、一歩も動けなくなってしまう。
カウンターまで、あと数歩。
その時、硬い靴音が近づいてきた。
かつ、かつ、と石床を打つ音。
顔を上げる。
フレイヴィアさんが、こちらへ歩いてきていた。
「……っ」
僕に用があるわけではない。
ギルドの出口へ向かうためには、僕の横を通る必要があるだけだ。
そう分かっているのに、妙に身体へ力が入る。
黄金の瞳が近づく。
すれ違う――その直前。
フレイヴィアさんの足が止まった。
「……主」
低い声だった。
誰に向けた言葉なのか分からず、周囲を見回す。
けれど、すぐ近くにいるのは僕だけだった。
「えっと……僕ですか?」
恐る恐る、自分を指差す。
答えはない。
黄金の瞳が、フードの奥を覗き込むように細められていた。
縦に伸びた瞳孔が、僕の顔から胸元へゆっくりと動く。
――何かを見られている。
それだけは分かる。
けれど、何を確かめられているのかは、まったく分からなかった。
僕も、フレイヴィアさんも何も言わない。
ただ視線だけが、深いフード越しに重なる。
「…………」
息をすることさえ忘れかけた、その時。
「フレイヴィア様! こちらです!」
ギルドの入口付近から声が飛んだ。
呼び声を受け、フレイヴィアさんの眉が僅かに動く。
「ああ。今行く」
短く答えてから、もう一度だけ僕を見る。
結局、それ以上は何も言わなかった。
黒髪を揺らし、開け放たれた扉の向こうへ歩いていく。
彼女が通り過ぎると、張り詰めていた空気まで一緒に遠ざかっていった。
「……ぷはぁ」
溜め込んでいた息を、一度に吐き出す。
何もされていない。
怒鳴られてもいないし、背中の大剣を抜かれたわけでもない。
それなのに、危うく呼吸の仕方を忘れるところだった。
「あの……お客様?」
目の前から声を掛けられ、肩が跳ねる。
「あ、はい!」
慌てて振り向く。
先ほどフレイヴィアさんの報告を受けていた猫耳の受付嬢が、こちらを見ていた。
柔らかな表情をしているものの、少しだけ困ったように眉を下げている。
「大丈夫ですか?」
「たぶん」
「たぶん、ですか」
受付嬢の猫耳が、僅かに傾いた。
「何をされたわけでもないので、大丈夫です」
「そうですね。もし何かされていたら、今頃ギルド中が大騒ぎになっています」
それは、どういう意味だろう。
――詳しく聞くのが少し怖い。
受付嬢は、フレイヴィアさんが出ていった扉へ目を向けた。
「お客様は、フレイヴィア様のお知り合いでしょうか?」
「いえ。今、初めて会いました」
「そうなのですか?」
猫耳が、ぴんと立つ。
その動きが気になり、目で追いかけそうになった。
かわいい。
「……」
けれど、初対面の女性の耳を見つめ続けるのは、怪しい動きに入るかもしれない。
ガルドさんから注意されたばかりだ。
僕は慌てて、カウンターへ視線を落とした。
「はい。見られて、『主』と言われただけです」
「それが珍しいのです」
受付嬢は口元へ指を添え、考えるように視線を動かす。
「フレイヴィア様が、ご自身のパーティーメンバー以外へ声を掛けることは、あまりありませんから」
「もしかして、怒っていたのでしょうか」
「少なくとも、私にはそう見えませんでした」
その言葉を聞き、胸の奥へ入っていた力が少し抜ける。
「よかったです」
「ただ、気にはされていたようですね」
「僕、そんなに変でしょうか」
受付嬢の視線が、深く被ったフードへ向いた。
――やはり、この格好は目立つらしい。
けれど、彼女はフードを外すようには言わなかった。
「どうでしょう。この街では、事情があって顔を隠している方もいらっしゃいます」
「そうなのですか?」
「はい。ただ、フレイヴィア様が何を気にされたのかは、私にも分かりません」
受付嬢は小さく微笑んだ。
「ご本人へ尋ねるしかないと思います」
「次に会ったら、聞いてみます」
「……聞けるとよいですね」
なぜか、少し心配そうな声だった。
「ところで」
受付嬢の表情が、仕事のものへと変わる。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「あ」
そうだった。
フレイヴィアさんに見られた理由を考えているうちに、本来の目的を忘れていた。
腰の袋へ入れた百ソルへ触れる。
ガルドさんから借りたお金だ。
まずハンターになり、仕事を見つける。
そう約束してきた。
僕は背筋を伸ばし、受付嬢へ向き直る。
「ハンターになりに来ました!」
「ハンター登録ですね」
「はい!」
大きく頷くと、栗色の猫耳が小さく揺れた。
「承知しました。では、こちらへどうぞ」
受付嬢が、カウンターの正面を示す。
僕は半歩ずれていたことに気づき、慌てて立ち位置を直した。
「改めまして、私は受付担当のアルナと申します」
「アルナさん」
「はい。本日はハンター登録でお間違いありませんか?」
アルナさんが、確認するように僕の顔を見上げる。
「間違いありません。お願いします!」
彼女は柔らかく微笑み、カウンターの下から一枚の書類を取り出した。
細いペンと小さな金属板、それから文字を刻むためらしい道具が、順番に並べられる。
――本当に登録するのだ。
僕が、ハンターズギルドへ。
そう思っただけで、胸の奥がまた騒がしくなった。
「まずは、こちらの登録書類へ記入をお願いします。代筆は必要ですか?」
「代筆?」
「読み書きが苦手な方には、こちらで代わりに記入しています」
アルナさんがペンを持ち、僕と書類を交互に見る。
「いかがされますか?」
「大丈夫です。自分で書けます」
「読み書きができるのですね」
僅かに目を丸くされた。
「はい。母に教わりました」
「そうですか。よいお母様ですね」
「はい。とても!」
胸を張って答える。
母は、いろいろなことを教えてくれた。
読み書きに計算。
森で食べられる草の見分け方や、絶対に口へ入れてはいけない茸の見分け方。
特に茸は大切だ。
以前、見分け方を間違えた時には、母が半泣きになりながら僕の口へ薬草を詰め込んできた。
「……あれは怖かったな」
主に、茸ではなく母が。
「どうかされましたか?」
「いえ。母は、とてもよい母です」
「そうですか」
アルナさんが不思議そうに猫耳を動かす。
少し説明が足りなかったかもしれないけれど、間違ったことは言っていない。
「では、こちらへお名前をお願いします」
「はい」
ペンを受け取り、空欄へ自分の名前を書く。
――ルキウス。
普段から使っている名前なのに、正式な書類へ書くと少しだけ緊張した。
「年齢は、こちらです」
「十七です」
数字を書き込む。
正確な生まれた日は知らない。
けれど、母が十歳の誕生日を祝ってくれたことは覚えているので、そこから数えれば十七で間違いないはずだ。
たぶん。
「次に、出身地をお願いします」
「出身地……」
ペン先を止める。
母と暮らしていた場所には、町や村のような名前がなかった。
僕たちはリューネ山と呼んでいたけれど、その名称が世間で通じるのかは分からない。
「ええと……」
少し考え、空欄へ文字を書き込む。
――リューネ山、奥地。
アルナさんが書類を覗き込み、首を傾げた。
猫耳も同じ方向へ傾く。
かわいい。
……違う。
今は耳を見ている場合ではない。
「リューネ山……。申し訳ありません、聞いたことがありません」
「ここから、ずっとあちらの方です」
僕はギルドの外へ向かって指を差す。
実際にどの方角なのかは、自信がなかった。
それでも、あちらの方であることは間違いない。
たぶん。
「ずっと、あちらですか」
「はい。辺境も辺境らしいです」
「なるほど……」
アルナさんは、僕が指差した方向と書類を見比べた。
すべてを理解したというより、ひとまずそういう場所なのだと受け入れてくれたらしい。
「では、次に戦闘経験を確認します」
「はい!」
背筋を伸ばす。
アルナさんは書類の次の欄へペンを移した。
「使用する武器は?」
「片手剣です」
「魔法は使用できますか?」
「使えません」
ペン先が次の項目へ移る。
「治癒術や補助術は?」
「使えません」
「モンスターの討伐経験は?」
一瞬だけ、答えへ詰まる。
「……ありません」
かり、とペン先が止まった。
アルナさんが、ゆっくり顔を上げる。
「小型モンスターの狩猟経験は?」
「ありません」
「護衛経験は?」
「ありません」
彼女の猫耳が、少しだけ横へ倒れた。
「採取依頼の経験は?」
「ありません」
「……実戦経験は、まったくないということでしょうか」
質問へ答えているだけなのに、返事をするたび僕の評価が下がっている気がする。
「森で獣を追い払ったり、罠を作ったりはしていました」
「その罠で、モンスターを捕らえたことは?」
「ありません」
アルナさんの手が止まる。
「片手剣で、何かと戦った経験はありますか?」
「木剣で母と練習していました」
「実際の片手剣では?」
「……ありません」
沈黙が落ちた。
アルナさんの笑顔は崩れていない。
けれど、その顔には少しだけ、こう書いてあるように見えた。
――この人、大丈夫でしょうか。
自分でも思う。
大丈夫だろうか、僕。
「だ、大丈夫ですか?」
恐る恐る尋ねると、アルナさんは一度だけ目を瞬かせた。
それから、安心させるように柔らかく微笑む。
「大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
「はい。最初は、誰でも経験のないところから始まります」
倒れていた猫耳が、僅かに持ち上がった。
「登録時点で実戦経験がない方も、珍しくありません」
「そうなんですね」
胸を撫で下ろす。
「ただし」
アルナさんが、書類の上へ両手を重ねた。
「無理は禁物です」
「はい」
「特にルキウスさんは、分からないことがあったら必ず職員へ確認してください」
先ほどまでより、声が少しだけ真剣になる。
「依頼の内容、道具の使い方、モンスターの特徴……分からないまま外へ出ることが、一番危険です」
「分かりました」
「本当に?」
アルナさんが、じっとこちらを見る。
「本当に本当です!」
元気よく答えると、彼女の眉が僅かに下がった。
「……少し不安ですね」
「なぜですか。こんなに元気よく返事をしているのに」
「元気がよすぎるからです」
返事というものは、元気ならよいわけではないらしい。
――難しい。
アルナさんは登録書類を手元へ戻し、別の冊子を開いた。
「それでは、登録に必要な注意事項を説明します」
「はい」
冊子には、いくつもの項目と簡単な地図が描かれていた。
「ハンターは、依頼を受けて報酬を得る職業です。依頼には採取、運搬、護衛、調査、捕獲、討伐などがあります」
「はい」
「登録直後の方はランク1から始まり、実績と試験によってランクが上がります」
アルナさんの指が、地図の周辺へ描かれた線をなぞる。
「エルドランの周囲には、渓流、雪原、砂漠、沼地、火山などの探索地域があります。ただし、ランクによって入れる範囲には制限があります」
「ランク1は、どこまで行けるんですか?」
「各地域の一番域までです。それより先には、許可なく入らないでください」
地図には、各地域を区切るように数字が振られていた。
奥へ行くほど数字が大きくなり、描かれているモンスターの印も増えている。
「強くなれば、遠くまで行けるんですね」
「はい。ただし、強さだけで判断してはいけません」
アルナさんの指が、地図から僕へ向けられる。
「天候や地形、持っている道具、依頼へ出る人数……すべてを確認してから受注してください」
「分かりました」
今度は、少しだけ静かに答えた。
アルナさんは満足そうに頷き、冊子を閉じる。
「最後に、最も大切なことをお伝えします」
「はい」
カウンターの向こうから、真っすぐに見つめられた。
「依頼は、達成して戻ってくるまでが依頼です」
大広間では、変わらず多くの声が飛び交っている。
笑い声。
食器の鳴る音。
依頼を巡って言い争う声。
けれど、その言葉だけが、不思議とはっきり聞こえた。
「素材や報酬よりも、まず生きて帰ることを優先してください」
「生きて帰る……」
「はい。それがハンターにとって、何より大切なことです」
ガルドさんも、似たようなことを言っていた。
英雄は、死体につける名前ではない。
生きて帰り、次も誰かを助ける。
――そのためにも、まずは自分が帰らなければならない。
腰の袋へ入れた百ソルへ触れる。
借りたお金だって、返すと約束した。
「分かりました。必ず生きて帰ります」
「本当に?」
「本当に本当です」
アルナさんは僕をしばらく見つめた。
正確には、深く被ったフードを見つめている。
「……分かりました」
小さく息を吐き、書類の最後へ印を押した。
「では、登録を完了しますね」
アルナさんは、カウンターの横へ置かれた小さな金属板を手に取る。
書類と見比べながら、専用の道具で文字を刻んでいく。
かちり。
かちり。
小さな音が鳴るたび、胸の鼓動が強くなった。
「…………」
まだだろうか。
待っている間に何度も手元を覗き込みたくなったけれど、仕事の邪魔になってはいけない。
僕は指先を握り、どうにか我慢する。
やがて、刻む音が止まった。
「お待たせしました」
アルナさんが金属板の表面を布で拭き、僕の前へ差し出す。
両手で受け取った。
「……冷たい」
小さいのに、思っていたよりも少し重い。
表には、剣と盾を組み合わせたギルドの紋章。
恐る恐る裏返すと、そこには僕の名前が刻まれていた。
――ルキウス。
その下に、もう一つ。
ハンターランク1。
「こちらが、ルキウスさんのギルドカードです」
アルナさんの声が、少し遠く聞こえた。
本当に――本当に、僕はハンターになったのだ。
森の奥で本を読んでいた僕が。
母に泣かれながら家を出て。
ガルドさんの荷車へ乗せてもらい、通行料すら知らず、百ソルを借りて街へ入った。
そして今。
ハンターズギルドで、自分の名前が刻まれたカードを手にしている。
「……へへ」
顔が緩んだ。
表。裏。
もう一度、表。
それから、また裏。
何度確認しても名前は消えない。
ランク1の文字も、そのまま残っている。
「ギルドカードは逃げませんよ」
アルナさんが、困ったように笑っていた。
「分かっています」
「では、しまっても大丈夫では?」
「もう少しだけ見ます」
カードを光へ翳す。
刻まれた文字が、微かに輝いて見えた。
「そんなに嬉しいですか?」
「はい。すごく」
即答だった。
これは、即答してもよいはずだ。
アルナさんの目元が、少しだけ和らいだ。
受付嬢としての笑顔というよりも、僕が喜んでいることを、本当に喜んでくれているように見える。
「それでは、改めまして」
アルナさんが背筋を伸ばす。
僕も、つられて姿勢を正した。
「ようこそ、ルキウスさん」
栗色の猫耳が、明るく持ち上がる。
「ハンターズギルドへ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
――ようこそ。
受け入れられた。
そんなふうに感じた。
僕はギルドカードを、両手で大切に握り締める。
まだ何の実績もない。
一度も依頼を達成していない、ランク1のカードだ。
それでも、今の僕には何よりも眩しかった。
「はい!」
力いっぱい頷く。
「よろしくお願いします、アルナさん!」
こうして僕は、ハンターになった。
英雄には、まだ遠い。
遠すぎて、そこまで続く道さえ見えていない。
それでも――最初の一歩だけは、確かに踏み出した。
◆
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