駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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少年は初依頼で血まみれになる(1/2)

 

 

 表に、裏に。また表に、裏に。

 意味もなくギルドカードを眺めていると、カウンターの向こうから控えめな声がかかった。

 

「あの、ルキウスさん」

「はい!」

 

 勢いよく顔を上げる。

 アルナさんは、少し困ったように笑っていた。頭の上の猫耳が、ぴこりと小さく動く。

 

「ギルドカードは逃げませんよ」

「あはは。そりゃあ、そう、なんですけどね」

 

 分かってはいる。

 分かってはいるのだが、やっと手に入ったハンターの証なのだ。嬉しくないわけがない。

 

「へへ」

「そんなに嬉しいですか?」

「はい。すごく」

 

 即答だった。

 これは即答していいやつだと思う。

 アルナさんは目元を少しだけ和らげると、カウンターの下から何枚かの依頼書を取り出した。

 

「それでは、早速依頼を受けてみますか?」

「はい!」

「初めての依頼でしたら、このあたりがおすすめです」

 

 アルナさんは依頼書を一枚ずつ並べていく。

 薬草採取。

 倉庫への荷運び補助。

 街道沿いの清掃。

 

 指先が依頼書の上を滑るたびに、知らない仕事の名前が僕の前に置かれていく。

 どれも大事な仕事なのだと思う。

 薬草は怪我人を治すのに必要だろうし、荷運びだって誰かの役に立つ。街道の清掃も、旅人には大切なことだ。

 大切なのは分かる。分かるのだけれど。

 

「スノウラビ……」

 

 僕の目は、その中の一枚に吸い寄せられていた。

 依頼書には、そう書かれている。

 スノウラビの毛皮一枚以上の納品。

 

 場所は渓流地帯。

 対象は、白い毛皮を持つ素早い小型モンスター。

 モンスター。

 毛皮。

 ハンター。

 その三つの言葉が、僕の頭の中で綺麗に並んだ。

 

「アルナさん」

「はい」

「これにします!」

 

 依頼書を指差すと、アルナさんは目を細めた。

 猫耳が、さっきより少しだけ横に倒れる。

 

「スノウラビの毛皮納品ですね」

「はい!」

「初めての依頼ですよ?」

「はい!」

「素早いですよ?」

「はい!」

「無理はしないでくださいね?」

「はい!」

 

 元気よく返事をするたびに、アルナさんの表情が少しずつ不安そうになっていく。

 おかしい。

 元気な返事は良いことのはずなのに。

 

「……やっぱり少し不安です」

「なぜでしょう。僕はこんなにも元気なのに」

「元気だからです」

 

 どうやら、元気にも限度があるらしい。

 難しい。

 アルナさんは依頼書を手に取り、内容を確認するように目を落とした。

 

「スノウラビは小型ですが、れっきとしたモンスターです。角がありますし、追い詰めれば突進してきます。まともに受ければ怪我をします」

「はい」

「依頼は毛皮の納品です。無理に複数狩る必要はありません。一枚でも納品できれば達成です」

「はい」

「危ないと思ったら、すぐに戻ってきてください。依頼は失敗しても構いません。まず、生きて帰ることです」

 

 その言葉だけ、少し重かった。

 僕は胸元のギルドカードを握る。

 小さな金属札の硬さが、手のひらに伝わった。

 

「はい。生きて帰ります」

「本当に?」

「本当に本当です!」

 

 アルナさんはじっと僕を見た。

 僕も、真っ直ぐに見返す。

 少しの間、カウンターの上に沈黙が落ちた。

「……分かりました」

 やがて、アルナさんは小さく息を吐いた。

 

「では、依頼を受注しますね」

「はい!」

 

 受けられた。

 つまり勝ちである。

 何に勝ったのかは分からないけれど、何かに勝った気分だ。

 アルナさんはギルドカードと依頼書を手元の道具に通した。

 かちり、と小さな音がする。

 

「受注完了です。今回は剥ぎ取り用の短刀と布袋を貸し出します。短刀は素材を傷つけないように使ってください」

「分かりました!」

「……本当に?」

「本当に本当です!」

「その返事、少し信用できなくなってきました」

「なぜ!?」

 

 アルナさんは少しだけ笑った。

 それから、真面目な顔に戻る。

 

「場所は東門から出て、渓流地帯一番域。乗合ケルンを使えば片道三十分ほどです。日が傾く前には戻ってきてください」

「はい!」

「いってらっしゃいませ、ルキウスさん」

 

 その言葉に、胸が弾んだ。

 僕は依頼書と貸し出された道具を大事にしまい、深く頭を下げる。

「行ってきます!」

 そうして僕は、人生で初めての依頼へと出かけた。

 

 ◆

 

 渓流地帯は、町から東にあった。

 ケルンの荷台に揺られること、三十分。

 道は少しずつ石畳から土へと変わり、やがて木々の匂いが濃くなっていく。

 

 川のせせらぎが聞こえた。

 冷たい風がフードの端を揺らし、湿った土と葉の匂いが鼻先をくすぐる。

 森の匂いだ。

 どこか懐かしい。

 けれど、僕の知っている森とは少し違う。

 道にはギルドの印があり、ところどころに目印の杭が立っていた。踏み固められた道も、木に結ばれた布も、ここが誰かに管理されている場所なのだと教えてくれる。

 

「無理はしない。危ないと思ったら戻る。生きて帰る」

 

 アルナさんに言われたことを、小さく呟く。

 大事なことだ。

 何度も言われた。

 依頼は、達成して帰ってくるまでが依頼。

 分かっている。

 分かっているのだが。

 

「初依頼……!」

 

 声が弾んだ。

 仕方ない。

 これは仕方ない。

 だって初依頼なのだ。

 英雄譚の始まりなのだ。

 たとえ相手がスノウラビでも。

 いや、スノウラビに失礼だった。相手はモンスターだ。油断してはいけない。

 僕は依頼書をもう一度確認してから、辺りを見回した。

 

「スノウラビ……スノウラビ……」

 

 アルナさんの話では、真っ白な毛皮に黒い瞳。丸い体と長い耳を持った、小型のモンスターらしい。

 臆病で、素早い。

 水辺よりは、低い草むらや倒木の陰を好む。

 案外見つけられない者なんだろうな、なんて思っていたが、自分の予想より早くその時はやってきた。

 

「草がかじられた跡。白い毛。小さな足跡……」

 

 見つけた痕跡を、ひとつずつ確認する。

 母さんに教わった森歩きが、少しだけ役に立っている気がした。

 僕は腰を落とし、草をかき分けながら慎重に進む。

 すると、少し先の草むらが揺れた。

 

「あ、いた」

 

 白い毛玉みたいなものが、草の陰で丸くなっていた。

 長い耳。丸い体。黒い目。

 間違いない、あれがスノウラビだろう。

 

「……かわいい」

 

 思わず呟いた。

 かわいい。

 ものすごくかわいい。

 これを狩るのか。

 ハンターという職業は、思っていたより心にくる。

 けれど、依頼だ。

 畑や草地を荒らすこともあるらしいし、素材にもなる。何より、僕は依頼を受けた。

 受けた以上、やるしかない。

 

「よし」

 

 小さく息を吐く。

 僕は腰の片手剣に手をかけた。

 その瞬間、スノウラビの耳がぴくりと動く。

 次の瞬間。

 白い毛玉は、弾けるように逃げ出した。

 

「――は、速っ!」

 

 想像の三倍速かった。

 いや、五倍かもしれない。

 とにかく速い。

 僕は慌てて追いかける。

 草に足を取られ、枝にフードが引っかかった。

 

「ぐえ」

 

 首が締まる。

 慌てて枝を外す。

 その間に、スノウラビはさらに遠ざかっていた。

 

「待っ、待って!」

 

 待つわけがない。

 モンスターだ。

 僕の都合で待ってくれるモンスターなら、それはもうかなり優しい。

 

 剣を抜く暇もない。

 抜いたところで、当たる気もしない。

 

 僕は追いかける。

 逃げられる。

 追いかける。

 逃げられる。

 泥に足を取られる。

 

「うわっ」

 

 転んだ。

 顔からいった。

 湿った土の匂いが鼻に入る。

 痛い。

 そして情けない。

 

「……これ、思ってたより大変かも」

 

 顔についた泥を拭いながら、ふと呟く。

 初依頼。

 想像では、もう少し格好よく剣を振っているはずだった。

 現実の僕は、泥を食べている。

 かなり違う。

 でも、諦めるわけにはいかない。

 僕は袖で口元の土を拭い、草むらの揺れを追った。

 

 スノウラビは、さっきから同じ方向へ逃げている。

 水辺には近づかない。

 低い藪をくぐる。

 倒木の横を抜ける。

 ただ闇雲に追っても、追いつけない。

 だったら、と僕は正面から追うのをやめた。

 

 少しだけ回り込む。

 小石を拾い、草むらの反対側へ投げた。

 がさり、と音がする。

 スノウラビが跳ねた。

 逃げ道が変わる。

 

「ここ!」

 

 僕は倒木の横へ走り込んだ。

 白い影が飛び出してくる。

 剣ではなく、体で飛び込んだ。

 泥が跳ねる。

 そのまま地面に転がる。

 腕の中に、確かな毛の感触があった。

 

「ちょ、いた、いたいってば!」

 

 暴れられる。

 蹴られる。

 角が腕をかすめる。

 痛い。

 でも、離さない。

 

「つ、捕まえた……!」

 

 腕の中で、スノウラビがばたばたと暴れている。

 小さいのに力が強い。

 このままでは逃げられる。

 僕は必死に体勢を変え、スノウラビの動きを押さえ込んだ。

 それから、短刀に手を伸ばす。

 格好よくはなかった。

 全然なかった。

 むしろ、かなり泥臭かった。

 それでも。

 しばらくして、僕の手元には白い毛皮が一枚残った。

 

「……やった」

 

 息が切れていた。

 膝も腕も泥だらけだった。

 けれど、毛皮は取れた。

 初めての依頼。

 初めての狩猟。

 初めての素材。

 胸の奥が、じわじわと熱くなる。

 

「やった……!」

 

 声に出すと、嬉しさが一気に込み上げてきた。

 僕は毛皮を布袋にしまい、もう一度周囲を見回す。

 危なかったら戻る。

 そう約束した。

 毛皮は一枚で達成。

 ここで引き返せば、きっとアルナさんも安心してくれる。

 

 そう分かっていた。……分かってはいたのだ。

 けれど、まだ日も高い。

 体も動く。

 足元には、さっきとは別の小さな足跡が続いている。

 胸の奥で、さっき灯った熱がまだ消えていなかった。

 

「……もう少しだけ」

 

 そう呟いて、僕は次の痕跡を探し始めた。

 それがこの日、二度目の小さな失敗になることを、僕はまだ知らなかった。

 

 

 

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