駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

44 / 44
第二章 最終話『少年は五つ目の印を受け取る』

 

 ◆

 

 翌朝。

 目を覚ました僕は、寝台へ横になったまま右手を開いた。

 指を曲げ、手首を回す。次に腕を持ち上げ、肩をゆっくりと動かしてみた。

 深く息を吸うと右脇腹が僅かに引きつったものの、昨日ほどではない。両脚にも重さは残っているが、ギルドまで歩くくらいなら問題なさそうだった。

 

「……大丈夫そうだ」

 

 上体を起こし、寝台の端へ足を下ろす。

 壁際には、鞘へ収めた片刃剣が立てかけられていた。

 いつものように手を伸ばしかけ……昨日、武器は持ってくるなと言われたことを思い出す。

 

 ギルドマスター。

 アルナさん。

 治療役。

 

 それから、女将さんにも念を押されていた。

 

「置いていこう」

 

 誰もいない部屋で、念のため声に出した。

 言葉にしておかなければ、部屋を出る直前に持っていきそうな気がしたからだ。

 

 フード付きの外套を羽織り、階段を下りる。

 朝の角兎亭には、肉と豆を煮込んだ匂いが満ちていた。大鍋の前に立つ女将さんは、浮かんできた角兎肉を大きな匙で押し戻している。

 僕に気づくと、その視線が頭から足元までゆっくりと動いた。

 

「動けるのかい」

「はい。昨日よりは」

 

 女将さんは僕の腰へ片刃剣がないことを確かめ、口元を大きく緩めた。

 

「偉いじゃないか。言われた通りに武器は持っていないね」

「昨日、何度も言われたので」

 

 そう言うと、女将さんは豪快に笑いながら僕の前へ皿を置いてくれる。

 

「普通は、言われなくても武器は握らないんだけどね」

 

 目の前に置かれた器には、いつもの朝食より明らかに多く角兎肉が入っていた。

 黒パンが二つ。

 炙った野菜まで、普段の倍近く盛られている。

 

「随分と多くありませんか」

「今日はギルドマスターに呼ばれてるんだろ?」

「はい。先日の雪原について、詳しい報告をしてほしいそうです」

 

 女将さんは僕の返事を聞きながら、煮込みの隣へ肉の載った小皿まで追加した。

 

「だったら腹へ入れていきな。話の途中で倒れられたら、縁起が悪いよ」

「空腹では倒れません」

「傷だらけでは帰ってくるくせに、妙なところで自信があるね」

「……いただきます」

 

 これ以上は増やされそうだった。

 器を両手で持ち上げ、煮込みを口へ運ぶ。温かな汁が身体の内側へ落ちるたび、寝起きの重さが少しずつ抜けていった。

 

 今日聞かれるのは、北部簡易拠点までの経路や現場の状況についてだろう。

 戦闘のおおまかな経緯は伝えているものの、調査報告としては足りない部分も多い。

 白い大型が纏っていた水についても、詳しく聞かれるかもしれなかった。

 

 報告する内容を頭の中で整理しながら、どうにか皿を空にする。

 さすがに腹が重い。

 今日は安静にしろと言われているのだから、これだけ食べれば昼食は必要ない気がした。

 

「ごちそうさまでした」

「残さなかったね。偉いじゃないか」

「残したら、さらに増やされそうだったので」

「よく分かってるじゃないか」

 

 女将さんは笑いながら空いた器を回収する。

 僕は席を立ち、食堂の扉へ向かった。

 

「行ってきます」

「ああ」

 

 扉へ手を伸ばしたところで、背中から声が飛んでくる。

 

「昼には腹を空かせてな」

 

 取っ手へ触れた手が止まった。

 

「……昼ですか?」

「そうだよ」

「今、これだけ食べたばかりですが」

「動けば空くさ」

「今日は安静にするよう言われています」

「なら、安静にしながら空かせな」

 

 難しいことを言われている。

 

 女将さんから、昼までに腹を空かせろなどと言われたことは一度もなかった。

 朝食を残すなとは何度も言われたが、次の空腹まで指定されたのは初めてだ。

 

「何かあるんですか」

「さあねぇ」

 

 女将さんは大鍋へ向き直り、何事もなかったように匙を動かし始めた。

 太い肩が僅かに揺れている。

 笑いを堪えているようにも見えた。

 

「……分かりました」

 

 尋ねても教えてくれそうにない。

 小さな疑問を残したまま、角兎亭をあとにした。

 

 ◆

 

 朝のエルドランは、すでに多くの人で賑わっていた。

 荷車が石畳を進み、露店から焼きたてのパンと香辛料の匂いが漂ってくる。

 昨日の帰還騒ぎも落ち着いたのか、今日は足を止められることもなくギルドへ向かえた。

 

 建物が見えてきたところで、横の通りから大柄な人影が現れる。

 肩へ外套を掛け、大きな犬耳を朝風に揺らしていた。

 

「ガルドさん」

「おう。早いな、坊主」

「ガルドさんも」

 

 ガルドさんは、自分が泊まっている南通りの宿から来たらしい。

 短い髪はまだ僅かに湿っており、傷ついた肩には新しい包帯が巻かれていた。左腕を大きく動かさないよう気をつけてはいるものの、歩き方に問題はなさそうだった。

 

「肩は大丈夫ですか」

「宿を出る前に治療役へ見せてきた。あとは無茶せず休めとよ」

 

 包帯の巻かれた肩を、右手で軽く叩く。

 その動きに痛みは出なかったらしく、ガルドさんはいつも通り口元を緩めた。

 

「僕と同じですね」

「俺は二日だ」

「僕は三日です」

 

 ガルドさんが得意げに二本の指を立てる。

 

「勝ったな」

「治るのが早い方が勝ちなんですか」

「そりゃそうだろ」

「では、僕も明日には治します」

「そういう話じゃねぇ」

 

 立てていた指で額を押され、フードが僅かにずれた。

 

「治療役に言われた日数は守れ」

「ガルドさんもですよ」

「俺は大人だからいいんだよ」

「便利ですね、大人」

「お前も二年後には使えるぞ」

「覚えておきます」

 

 並んでギルドの扉をくぐる。

 革と鉄、紙と墨。それから酒場の厨房から、焼いた肉の香りが漂ってきた。

 

 大広間は、普段と変わらない。

 依頼票を確認するハンター。

 受付へ並ぶ人。

 机を囲み、今日の予定を話し合う集団。

 

 僕たちへ何人かの視線が向いたものの、すぐに元の仕事へ戻っていく。

 昨日ほど注目を浴びずに済みそうで、少しだけ安心した。

 

 受付台では、アルナさんが書類を整理していた。

 僕たちに気づくと茶色い猫耳がぴんと立ち、真っ先に僕の腰へ視線を向ける。

 片刃剣を持っていないことを確認すると、その耳が僅かに緩んだ。

 

「おはようございます、ルキウスさん。ガルドさん」

「おはようございます」

「おう」

 

 アルナさんは受付台の脇から出ると、僕たちの歩き方を確かめるように目を細めた。

 

「お二人とも、体調は?」

「問題ありません」

「肩は痛ぇが、動ける」

 

 僕とガルドさんが続けて答える。

 アルナさんの猫耳が、片方ずつ僕たちへ向いた。

 

「無理はしていませんか」

「していません」

「俺もしてねぇ」

 

 アルナさんは僕の外套を見下ろし、腰回りをもう一度確かめる。

 

「武器は?」

「置いてきました」

「よろしいです」

 

 今度はガルドさんへ顔を向け、僅かに鼻を動かした。

 

「酒は?」

「まだ飲んでねぇよ」

「本当ですか」

「朝から疑うなよ」

 

 ガルドさんが顔をしかめる。

 アルナさんは彼の息を確かめるように少しだけ顔を寄せ、それから一歩離れた。

 

「本当ですね」

「俺の信用、坊主より低くないか?」

「種類が違います」

「どう違うんですか」

 

 尋ねると、アルナさんの猫耳が僕へ向く。

 

「ルキウスさんは、注意していないと依頼へ行こうとします」

「ガルドさんは?」

「注意していないとお酒を飲みます」

「どちらも信用されていませんね」

「お前と一緒にすんな」

 

 ガルドさんの犬耳が、僕とは反対側へ向いた。

 

 アルナさんは抱えていた書類を整え、受付を別の職員へ引き継ぐ。

 

「ギルドマスターがお待ちです。こちらへどうぞ」

 

 三人で二階へ続く階段へ向かう。

 大広間はいつも通りの騒がしさを保ったまま、僕たちへ気を向ける者はいなかった。

 

 ◆

 

 ギルドマスター室へ入る。

 大きな机。壁一面へ貼られた周辺地図。棚へ並べられた、何年分もの報告書。

 机の上には北部一帯の地図が広げられ、その隣には複数の小瓶が並べられている。

 どれも薄く濁った水で満たされていた。

 

「来たか。座ってくれ」

 

 ギルドマスターが、机の上へ広がっていた書類を端へ寄せる。

 ガルドさんと並んで椅子へ腰を下ろすと、アルナさんは僕の斜め後ろへ立ち、抱えてきた報告書を開いた。

 

「で、今日はどうして俺たちは呼び出されたんだ?」

 

 ガルドさんが椅子へ深く腰を掛け、大きな犬耳をギルドマスターへ向ける。

 ギルドマスターはすぐには答えず、机の端に置かれていた小さな呼び鈴を手元へ引き寄せた。

 

「大したことじゃない。まあ、そう急ぐな」

 

 鈴を一度だけ鳴らす。

 澄んだ音が部屋へ広がり、ほどなくして扉の外から返事が聞こえた。

 

「何か飲み物はいるか?」

「あ、では僕は温かい香草茶を」

「酒はないのか?」

 

 ガルドさんが当然のように尋ねる。

 ギルドマスターは手元の書類から顔を上げ、眉間へ深い皺を刻んだ。

 

「あるわけないだろう、馬鹿が」

 

 その言葉に、ガルドさんがわざとらしく舌打ちする。

 不満そうに伏せられた犬耳まで含めて、あまりにもガルドさんらしい。

 口元から、少しだけ笑いが零れた。

 

「何笑ってんだ、坊主」

「いえ。ガルドさんらしいと思って」

「朝から酒の一杯も出せねぇ方がおかしいんだよ」

 

 ガルドさんは椅子の背へ体重を預け、まだ納得できないらしく腕を組む。

 

「お前の基準でギルドを運営する気はない」

「少しは景気がよくなるかもしれねぇぞ」

「仕事にならなくなる方が先だ」

 

 ギルドマスターが呆れたように息を吐く。

 その横で、アルナさんの猫耳が会話に合わせて左右へ揺れていた。

 

 ほどなくして、彼女が盆へ二つの杯を載せて戻ってくる。

 僕の前には湯気の立つ香草茶。

 ガルドさんの前には、冷たい果実水が置かれた。

 

「酒じゃねぇ」

「果実水です」

「見れば分かる」

「では、問題ありませんね」

 

 アルナさんは何事もなかったように盆を脇へ抱える。

 ガルドさんは何か言い返そうとして口を開いたものの、諦めたように杯を持ち上げた。

 

「俺の扱い、年々悪くなってねぇか」

「ガルドさんの行動が、年々分かりやすくなっているだけです」

「それ、俺が悪いって言ってるか?」

「はい」

「聞かなきゃよかった」

 

 犬耳が力なく横へ倒れる。

 また笑いそうになり、僕は香草茶へ口をつけて誤魔化した。

 柔らかな香りと温かさが、喉から胸へゆっくりと落ちていく。

 

 僕たちが一息ついたのを確かめてから、ギルドマスターは北部一帯の地図を机の中央へ引き寄せた。

 

「呼んだ理由は、先に伝えていた通りだ。昨日だけでは確認しきれなかった、雪原での行動と現場の状況を聞いておきたい」

「正式な報告ってわけか」

 

 ガルドさんが杯を机へ戻す。

 先ほどまでの軽い表情が少しだけ引き締まり、犬耳も地図へ向けられた。

 

「そういうことだ。難しく考える必要はない。覚えている範囲で構わん」

「分かりました」

 

 ギルドマスターが地図上の街道へ指を置く。

 僕たちはそこから、拠点へ向かうまでの経路を順番に説明していった。

 

 どの道を通ったのか。

 拠点へ近づくまでに、何を見たのか。

 生存者を発見した場所。

 救助信号を上げ、白い大型と接触するまでの流れ。

 

 内容は、本当に大したことではなかった。

 ギルドマスターが短く尋ね、僕とガルドさんが覚えていることを答える。

 そのたびにアルナさんの筆が紙の上を走り、時折、聞き取った内容を確かめるように猫耳がぴくりと動いた。

 

 話の流れが変わったのは、白い大型について説明していた時だった。

 

「その大型は、水に濡れていなかったか」

 

 ギルドマスターが、不意にそう尋ねた。

 ――机の上の小瓶が、揺れた気がした。

 思わず息を呑む。

 まさしく、その通りだった。

 

「はい」

 

 小瓶へ目を向けたまま頷く。

 

「雪原にいたのに、全身が濡れていました。傷口からも、血とは別に水が流れていて」

「潮臭かったな」

 

 ガルドさんも杯から手を離し、表情を引き締める。

 

「寒さの中でも凍らなかった。あれが普通じゃねぇのは、俺でも分かる」

「……やはりか」

 

 ギルドマスターは神妙な顔つきで腕を組んだ。

 その視線が、机の上へ並べられた小瓶へ落ちる。

 

「何か知っているんですか」

「似た個体が、最近ほかの地域でも確認されている」

 

 ギルドマスターは小瓶の一つを持ち上げ、僕たちの前へ置いた。

 薄く濁った液体が、瓶の内側で静かに揺れる。

 

「種類も生息地も違う。だが、体内へ異常な量の水を宿し、傷口から潮臭い液体を流すという特徴は共通している」

「病気か何かですか?」

「まだ分からん」

 

 ギルドマスターの太い指が、瓶の側面を一度だけ叩いた。

 

「ギルドでは、この現象を仮に『水憑き』と呼んでいる」

「水憑き……」

 

 水に憑かれたもの。

 白い大型の姿を思い返すと、妙に納得できる名前だった。

 

「感染するものなのか?」

「それも不明だ。外部から何かを与えられたのか、別の原因があるのか……現時点では、どれも推測の域を出ない」

 

 ギルドマスターは少しだけ考え込むように小瓶を見つめた。

 やがて短く息を吐き、瓶を元の位置へ戻す。

 

「まあ、その話は一旦これくらいにしておこう。何せ分かっていないことが多すぎる」

 

 そう言って、机の上へ広げられていた地図を畳み始める。

 言葉通り、これ以上話しても答えは出ないのだろう。

 

「ただし、水憑きについては現時点で口外するな。原因も危険性も分からないまま噂だけが広がれば、余計な混乱を招く」

「分かりました」

「俺も黙っておく」

 

 ガルドさんが杯を持ち上げ、そのまま果実水を飲み干す。

 アルナさんも報告書の最後へ筆を走らせ、静かに紙を閉じた。

 

「報告は以上だ。助かった」

「はい」

 

 これで終わりらしい。

 

 香草茶の残りを飲み、杯を机へ戻す。

 椅子へ手をついて立ち上がろうとすると、隣でもガルドさんが包帯の巻かれた肩を庇いながら腰を浮かせた。

 

「待て、ルキウス」

 

 ギルドマスターの声に、動きを止める。

 

「まだ何か?」

「お前には、もう一つ話がある」

 

 立ち上がりかけた身体を、もう一度椅子へ戻す。

 何か報告に漏れがあっただろうか。

 雪原の向こうで見た人影についても、昨日のうちに伝えている。

 

 思い返しても、ほかに大きな見落としは浮かばなかった。

 

 ギルドマスターは僕の顔をしばらく見つめたあと、机の引き出しへ手を伸ばした。

 

「ランク五から先の昇格条件については知っているな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、背筋が伸びた。

 

「……はい」

 

 ――ランク五。

 そこから先は、ランク四までとは扱いが大きく異なる。

 規定数の依頼をこなせばいいわけでも、決められた試験へ合格すればいいわけでもない。

 

 膨大な経験。

 成し遂げた偉業。

 純粋な強さ。

 

 何か一つに明確な基準があるわけではなく、ギルドがその者の実績と能力を総合して判断する。

 だからこそ、全ハンターの八割ほどがランク四以下に留まっている。

 逆に言えばランク5以上のハンターは文字通り別格として見られる……そんなランクだ。

 

 ギルドマスターが、なぜ今その話をするのか。

 すぐには分からなかった。

 

「二年前、お前はランク一としてこのギルドへ登録した」

「はい」

 

 ギルドマスターは引き出しから何枚もの書類を取り出し、机の上へ重ねていく。

 見覚えのある依頼名が、紙の端へいくつも記されていた。

 

「それから採取、調査、護衛、討伐。依頼の種類を選ばず、地道に実績を積み重ねてきた」

「……はい」

「決して派手な依頼ばかりではない。むしろ、お前が受けてきたのは誰もが避けるような小さな仕事が多い」

 

 薬草の採取。

 荷運び。

 逃げた家畜の捜索。

 街道沿いの小型モンスターの駆除。

 

 どれも、英雄譚には残らないような仕事だった。

 それでも、困っている人がいるならと思い、一つずつ受けてきた。

 

「失敗もある」

「……はい」

 

 ギルドマスターが一枚の報告書を持ち上げる。

 端へ押された赤い印に、見覚えがあった。

 

「負傷による中断も多い」

「はい」

「多すぎる」

「すみません」

 

 背後で、アルナさんの猫耳が大きく動いた気配がした。

 振り返らなくても、強く同意していることだけは分かる。

 

「だが、同じ失敗は減っている」

 

 報告書が机へ戻される。

 ギルドマスターの指が、積み重なった依頼記録の上をゆっくりと滑った。

 

「無謀に踏み込んでいた者が、周囲を見るようになった。

 自分だけで動いていた者が、仲間へ頼ることを覚えた。

 倒すことばかり考えていた者が、守るべきものを優先するようになった」

 

 ギルドマスターの瞳に僕が映る。

 

「一歩ずつ。しかし確かにお前は強くなっていっている」

 

 胸の奥へ、一つずつ言葉が落ちてくる。

 自分では、変わったつもりなどなかった。

 ただ、できなかったことを覚えた。

 失敗したから、次は同じ失敗をしないようにした。

 それだけだった。

 

「二年前、お前は白い大型から逃げたな」

「はい」

 

 あの日の雪原が、瞼の裏へ蘇る。

 濁った青白い瞳。

 何もできず、ただ逃げた自分。

 

「そして今回、お前は仲間と共に同じ個体へ立ち向かい、生存者三名を守ったまま討ち取った」

 

 今度は、ガルドさんの背中が浮かぶ。

 白い爪を止める大盾。

 大きく開いた傷口。

 そこへ何度も通した、僕の刃。

 

「俺がいなきゃ、坊主一人では無理だった」

 

 ガルドさんが椅子へ背を預け、包帯の巻かれた肩を軽く押さえる。

 

「だが、逆も同じだ。俺だけでも倒せなかった」

「その通りだ」

 

 ギルドマスターは短く頷く。

 

「一人で届かない相手へ、仲間となら届く。それを理解し、実行できることもハンターの力だ」

 

 僕一人では勝てなかった。

 ガルドさん一人でも倒せなかった。

 

 だから、二人で戦った。

 それを特別なことだとは思っていなかった。

 できないことを任せ、できることをしただけだ。

 

「経験だけなら、まだ足りない。純粋な強さだけを見れば、上位の者には及ばない」

 

 ギルドマスターの声は、決して甘くなかった。

 事実を一つずつ並べるように、静かに続く。

 

「だが、二年間積み重ねてきた実績。危険の中で生存者を見つけた観察力。大型を拠点から引き離した判断。そして、格上の個体を仲間と討ち取った功績」

「……」

「そのすべてを踏まえ、審議を行った」

 

 ギルドマスターが、再び机の引き出しへ手を入れる。

 今度は書類ではなかった。

 取り出されたのは、細長い黒い箱。

 目立つ装飾はなく、銀色の留め具だけが光を反射している。

 

 箱が机の中央へ置かれた。

 胸の奥で、何かが小さく鳴った。

 

 けれど、考えがまとまるより先に打ち消す。

 そんなはずはない。

 

 僕はまだ二年と少ししか活動していない。

 できないことも多い。

 今回の大型だって、ガルドさんがいなければ何もできなかった。

 

 ギルドマスターの手が、黒い箱へ置かれる。

 

「審議の結果、ギルドはお前が次の段階へ進むに値すると判断した」

 

 銀色の留め具へ、太い指が掛かった。

 ――かちり。小さな音が、やけに大きく聞こえた。

 蓋が、ゆっくりと持ち上がる。

 

 黒い布の上へ、一枚のギルドカードが収められていた。

 銀色の薄い金属板。

 形も、大きさも、今胸元へ入れているものとほとんど変わらない。

 

 違うのは、表面に刻まれた線。

 一。二。三。四。

 その下に、もう一本。

 ――五本目。

 何度見ても、線は消えなかった。

 

 息の仕方を忘れたように、胸が止まる。

 目の前にあるものを理解しているはずなのに、頭がそれを受け入れてくれない。

 

「ルキウス」

 

 名前を呼ばれる。

 返事をしなければ。

 そう思うのに、喉がうまく動いてくれなかった。

 

 

 

「これまでの実績、今回の救助及び討伐功績をもって――お前を本日付でランク五へ昇格させる」

 

 

 

 言葉は、確かに聞こえた。

 けれど、その意味が胸へ落ちてくるまでに、随分と時間が掛かった。

 

「……僕が?」

 

 ようやく出たのは、それだけだった。

 

「お前以外に誰がいる」

「でも……」

 

 視線を黒い箱へ戻す。

 五本の線が刻まれたカードは、変わらずそこにあった。

 

 夢にも思っていなかった。

 

 遠い場所だと思っていた。

 いつか辿り着ければいいと考えることすら、今の僕には早いと思っていた。

 

 そこへ、自分の名前が並ぶ。

 

「何かの間違いでは」

「審議を経て決定したことだ。間違いではない」

 

 ギルドマスターは表情を変えず、黒い箱を僕の方へ押し出した。

 机を擦る音と共に、五本の線が少しずつ近づいてくる。

 それでも、手を伸ばせなかった。

 

「アルナさん」

 

 斜め後ろを振り返る。

 アルナさんの猫耳は真っすぐに立ち、抱えた書類へ指を添えていた。

 受付台ではあまり見せない、柔らかな笑みが浮かんでいる。

 

「本当なんですか」

「はい」

 

 アルナさんは迷わず、一度だけ強く頷いた。

 

「おめでとうございます、ルキウスさん」

 

 その言葉を聞いても、まだ信じきれない。

 今度はガルドさんを見る。

 ガルドさんは椅子へ座ったまま、犬耳をこちらへ向けていた。

 

「ガルドさん」

「何だよ」

「僕……ランク五になるそうです」

「聞いてたよ」

「本当に?」

「何度聞くんだ」

 

 呆れた声だった。

 けれど、口元は大きく緩んでいる。

 

「受け取れ」

 

 ギルドマスターの声に、膝へ置いていた両手を持ち上げる。

 指先が震えていた。

 

 白い大型を前にした時とは違う。

 恐怖ではない。

 嬉しいはずなのに、胸の奥が苦しくて、うまく呼吸ができない。

 

 机の上へ手を伸ばす――けれどカードへ触れる直前で、また動きが止まった。

 

「どうした」

「……少し、怖くて」

「カードがか?」

「受け取ったら、本当になってしまう気がして」

 

 ギルドマスターが僅かに眉を上げる。

 

「受け取らなくても、お前はもうランク五だ」

「そうなんですか」

「そういうものだ」

 

 ガルドさんが吹き出した。

 アルナさんも口元へ手を添え、笑いを堪えている。

 

 恥ずかしい。

 けれど、その笑い声を聞いているうちに、胸の強張りが僅かに解けた。

 

 もう一度、手を伸ばす。

 指先がカードへ触れた。

 

 ――冷たい。

 いつものギルドカードと変わらない、金属の冷たさ。

 指を差し込み、黒い布の上からゆっくりと持ち上げる。

 

 ――軽い。

 重さも、今までのカードとほとんど変わらなかった。

 それなのに両手の上へ載せた瞬間、腕ごと沈んでしまいそうなほど重く感じられた。

 

 これまで終わらせてきた依頼。

 失敗した日。

 怪我をした日。

 助けられなかった日。

 

 そして、助けることができた命。

 すべてが、この小さな金属板へ詰まっているような気がした。

 

「……五本ある」

 

 思わず声が漏れる。

 数え間違いではない。

 指先で、一つずつ線をなぞる。

 

 一。二。三。四。五。

 本当に――五本ある。

 

 胸の奥から、じわじわと熱が広がっていく。

 驚きが消えたわけではない。

 まだ夢の中へいるような、足元のない感覚も残っている。

 けれど、指先へ触れる線は本物だった。

 

「アルナさん」

「はい」

「僕、ランク五です」

「はい」

 

 アルナさんの猫耳が、嬉しそうに小さく揺れた。

 

「ガルドさん」

「何だ」

「ランク五になりました」

「見りゃ分かる」

「僕が」

「そうだよ」

 

 何度聞いても、同じ答えが返ってくる。

 そのたびに、胸の奥へ溜まっていた何かが、少しずつ形を変えていった。

 信じられない。

 

 嬉しい。怖い。

 僕はまだ、先へ進める。

 たくさんの感情が一度に込み上げ、どれを先に言葉へすればいいのか分からなかった。

 

「……やった」

 

 自分でも驚くほど、小さな声だった。

 けれど、一度口へ出すと止められない。

 

「やりました」

「ああ」

「僕、本当にランク五になりました」

「おう」

 

 ガルドさんが笑いながら、僕のフードへ大きな手を置く。

 二度、三度と乱暴に撫でられ、フードが目元までずれた。

 

「夢では?」

「しつこいな!」

 

 さらに強く頭を掻き回される。

 アルナさんが慌てて止めようとしていたが、僕はカードから目を離せなかった。

 

 口元が、勝手に緩んでいく。

 隠そうとしても、どうにもならなかった。

 

 嬉しい。

 ようやく、はっきりとそう思えた。

 

 責任が増える。

 危険な依頼も増える。

 今の僕では足りないことも、まだいくつもある。

 

 それでも。

 

 二年前、何者でもなかった僕が。

 門前で百ソルすら持っていなかった僕が。

 今、この場所にいる。

 

「嬉しいです」

 

 五本の線が刻まれたカードを、胸元へ引き寄せる。

 自分の声が、少しだけ震えていた。

 

「……とても」

 

 アルナさんが書類を胸元へ寄せ、柔らかく目を細める。

 

「私が最初のカードをお渡しした時は、ランク一でした」

「覚えています」

 

 あの日の受付台。

 何度も説明を聞き返しながら、受け取ったばかりのカードを見つめていた。

 

「説明を聞きながら、ずっとカードを見ていましたね」

「嬉しかったので」

 

 アルナさんの猫耳が、こちらへ少しだけ傾く。

 

「今日も、同じ顔をしています」

「顔が見えるんですか」

「雰囲気です」

「便利ですね、雰囲気」

「ルキウスさんは、分かりやすいですから」

 

 今日は隠せていない自覚がある。

 たぶん、フードがなくても同じだっただろう。

 

「それと、報酬の話だが」

 

 ギルドマスターの声に、カードから顔を上げる。

 机の横から数枚の書類が取り出され、僕たちの前へ並べられた。

 

「今回の報酬は三つだ。北部簡易拠点の現地調査に対する基本報酬。生存者三名の発見及び救助に対する追加報酬。そして、大型個体の討伐報酬」

「はい」

 

 ギルドマスターが、それぞれの金額を読み上げていく。

 一つ目。二つ目。三つ目。

 頭の中で足そうとして、途中で分からなくなった。

 最後だけ、桁が一つ多かったような気がする。

 

「……もう一度、お願いします」

「聞こえなかったか?」

「聞こえました。ですが、最後の数字が少し多かったような」

 

 ギルドマスターは書類へ目を落とし、もう一度同じ金額を告げた。

 

「気のせいではない」

「間違いでは?」

「今日はそればかりだな」

 

 ガルドさんが、呆れたように犬耳を傾ける。

 

「昇格も報酬も、間違いじゃねぇよ」

「でも、こんなに」

「大型一体を倒したんだぞ。安い方が困るだろ」

 

 ガルドさんは机の上の書類へ身を乗り出し、記された金額へ目を走らせた。

 

「倒したのは、僕一人ではありません」

「ああ。討伐報酬は俺とお前で分ける。調査と救助の功績分は、それぞれに支払われる」

 

 ギルドマスターが一枚目の書類を指で押さえる。

 

「大型の素材については、水憑きの調査が終わるまでギルドが保管する。通常なら素材の売却分も討伐者へ還元されるが、今回は調査協力費を別途支払う」

「素材は使えないんですか」

「現時点ではな。肉も皮も、通常の個体と同じ安全性があるとは限らない」

「分かりました」

 

 報酬は、このあと受付で受け取れるらしい。

 書類へ記された金額をもう一度見る。

 五本の線と同じで、目を離した途端に数字が変わってしまいそうだった。

 

「これだけあれば、防具を一式替えられるな」

 

 ガルドさんが書類から顔を上げる。

 

「今のものも、まだ使えます」

「大型の爪で裂かれてるだろうが」

「縫ってあります」

「縫えば何でも元通りになると思うな」

 

 ガルドさんは僕の外套へ残る縫い目を指で示した。

 

「外套は使えています」

「防具の話をしてんだよ」

「報酬は、できれば貯めようかと」

「何のために?」

 

 犬耳が、呆れたように横へ倒れる。

 

「今後、必要になるかもしれないので」

「今必要なんだよ。武器と防具は命を預ける道具だ。金を残して本人が死んだら意味がねぇ」

「ですが、全部使う必要は」

「全部とは言ってねぇ。必要な分を使えと言ってる」

 

 言っていることは正しい。

 それでも、大きな金額を一度に使うのは少し落ち着かなかった。

 エルドランへ来たばかりの頃、百ソルを持っていなかったことを今でも覚えている。

 

「その件については、私からもお話しするつもりでした」

 

 斜め後ろから、アルナさんの声がした。

 振り返ると、すでに別の紙へ何かを書き込んでいる。

 

「信頼できる防具店を何軒か選びます。怪我が治ったら、必ず見に行ってください」

「修理を頼む店ですか」

「新調する店です」

 

 アルナさんは筆を止め、真っすぐに僕を見る。

 

「今の防具を見てもらってからでも」

「新調する店です」

「……はい」

 

 選択肢がない。

 アルナさんの猫耳は穏やかに立っていたが、反論を受け入れる様子もなかった。

 

「宿代と食費の分は残してください」

「当然です」

「それなら安心しました」

「安心する基準がおかしいですよ」

 

 アルナさんが小さく息を吐く。

 ガルドさんは隣で肩を揺らして笑っていた。

 

「報酬の配分や装備について考えるのも、ハンターの仕事だ」

 

 ギルドマスターが書類をまとめる。

 

「必要な装備や物資を自分で判断し、次の依頼へ備えろ」

「はい」

 

 新しいギルドカードへ、指先で触れる。

 受けられる依頼が増える。

 得られる報酬も増える。

 けれど、その分だけ必要になるものも、背負うものも増えていくのだろう。

 

「話は以上だ」

 

 ギルドマスターが報告書を閉じる。

 

「今日は依頼を受けるな。手続きと報酬の受け取りが終わったら休め」

「分かりました」

「ガルドもだ」

「俺まで?」

 

 ガルドさんが、自分の胸元を指差す。

 

「肩を治してから働け」

「運送なら右腕だけでも」

「休め」

「……はい」

 

 犬耳が力なく伏せられる。

 どうやら今日から仕事へ戻るつもりだったらしい。

 

 ギルドマスターの視線が、部屋の扉へ向いた。

 

「外の連中を、あまり待たせるな」

「外?」

 

 何のことか尋ねても、ギルドマスターは書類を片づけるだけだった。

 

「行けば分かる」

 

 五本の線が刻まれたカードを、外套の内側へ大切に収める。

 立ち上がると、金属板が胸元へ触れて小さな音を立てた。

 

 まだ、すべてを信じられたわけではない。

 それでも胸の奥へ広がる熱は、もう抑えられそうになかった。

 

 ◆

 

 ギルドマスター室を出る。

 二階の廊下へ足を踏み出した途端、大広間から賑やかな笑い声が聞こえてきた。

 

 普段の騒がしさとは少し違う。

 杯を打ち鳴らす音。

 酒樽の栓が抜かれる音。

 誰かが歌い始め、すぐに別の誰かから下手だと怒鳴られている。

 

「朝から随分と騒がしいですね」

「いつものことだろ」

「そうでしょうか」

 

 ガルドさんも首を傾げている。

 どうやら彼も、何も聞かされていないらしい。

 

 アルナさんだけは、前を向いたまま茶色い猫耳を落ち着かなさそうに動かしていた。

 

「アルナさん」

「何ですか」

「何か知っていますね」

「知りません」

 

 返事が少し早い。

 僕が猫耳を見ると、アルナさんは片手でそっと耳を押さえた。

 

「耳が動いています」

「気のせいです」

「手で隠しましたよね」

「早く下りましょう」

 

 背中を軽く押され、階段を下りていく。

 

「わ、わわわ。ちょ、アルナさん。――って、え?」

 

 大広間へ顔を出した瞬間、酒と焼いた肉の匂いが押し寄せてきた。

 いつもの机は端へ寄せられ、その上には大皿へ積まれた肉や黒パン、炙った野菜が並んでいる。

 酒樽の栓はすでに開けられ、あちこちで杯が打ち鳴らされていた。

 

 宴は――とっくに始まっていた。

 

 角兎亭の女将さんは、太い腕で料理の大皿を抱えている。

 狐耳を揺らす魚屋のラッツさんは、炙ったリーヴァウォを配っていた。

 マリカさんとボルドさんは酒樽の横で笑い、ギルド職員まで受付台の奥で果実水の杯を持っている。

 さらに、その輪の中には見覚えのある人たちがいた。

 

「ルキウスさん!」

 

 杖を片手に立つミミルさんが、こちらへ大きく手を振る。

 その隣では、以前助けたハンターたちが杯を持ち、無事な姿で笑っていた。

 

 誰かが僕たちに気づく。

 その視線が次々と広がり、宴の輪から声が飛んできた。

 

「主役がやっと来たぞ!」

「遅ぇぞ、ガルド!」

「ルキウス、こっちに料理があるぞ!」

「五本目を見せてくれ!」

 

 何が起きているのか理解できず、階段の前で足が止まる。

 

「……皆さん、知っていたんですか」

「昨日のうちに準備してたんだよ!」

 

 女将さんが大皿を机へ置き、豪快に笑った。

 

「だから腹を空かせてこいって言ったのさ」

「教えてくれてもよかったのでは」

「それじゃ面白くないだろ」

「朝食を減らしてくれても」

「それは別の話だよ」

 

 やはり、朝食は減らしてもらえなかったらしい。

 マリカさんが酒樽から杯を満たし、ガルドさんへ突き出す。

 

「ほらよ。無事に帰った祝いだ!」

「おう、気が利くじゃねぇか」

 

 ガルドさんが右手を伸ばす。

 けれど、渡す直前でマリカさんは杯を引いた。

 

「いやでも、けが人に酒を飲ませるのはご法度か?」

 

 からかうように杯を揺らす。

 酒が縁から少しだけこぼれた。

 ガルドさんの犬耳が、勢いよく立つ。

 

「ばかが! ケガも病気も酒飲んで直すんだよ!」

 

 杯を奪い取ると、包帯の巻かれた肩も忘れたように高く掲げる。

 そのまま宴の輪へ踏み込み、ボルドさんの隣へ肩を並べた。

 

「おら、どけ! 今日の主役が来たぞ!」

「自分で言うのかよ!」

「大型の突進を止めた男だぞ! もっと酒を寄越せ!」

「肩が治ってからにしろ!」

 

 笑い声に包まれながら、ガルドさんの姿が人の輪へ飲み込まれていく。

 階段の前には、僕とアルナさんだけが残された。

 

「……行ってしまいました」

「ガルドさんですから」

 

 アルナさんは困ったように笑い、酒杯を掲げる犬耳を見つめた。

 

「あとで取り上げます」

「今ではないんですか」

「今日だけは、一杯くらいなら」

 

 茶色い猫耳が、宴の音へ合わせるように揺れる。

 その表情は受付台に立っている時よりも、少しだけ柔らかかった。

 

「皆さん、本当に知っていたんですね」

「はい。正式な決定が出たのは、昨日の夕方です」

 

 アルナさんは僕の胸元へ視線を向ける。

 外套の下にしまった、新しいギルドカード。

 見えていないはずなのに、その場所を正確に捉えていた。

 

「ルキウスさんには、絶対に伝えないようお願いしました」

「どうしてですか」

「驚いてほしかったので」

 

 猫耳が、少しだけ伏せられる。

 

「……迷惑でしたか?」

「いえ」

 

 すぐに首を横へ振る。

 迷惑なはずがない。

 

 信じられないくらい嬉しかった。

 カードを受け取ったことも。

 皆がそれを知り、こうして待っていてくれたことも。

 

「驚きました」

「よかったです」

「まだ、少し信じられていません」

「カードを見ますか?」

「さっきから何度も見ています」

 

 胸元へ手を添える。

 指先へ、外套越しに硬い感触が伝わった。

 

「では、今度は私が確認しましょうか」

「消えていたら教えてください」

「消えませんよ」

 

 アルナさんが小さく笑う。

 

「改めて、おめでとうございます。ルキウスさん」

「ありがとうございます」

 

 五本の線が刻まれたカードは、変わらずそこにあった。

 

「二年前、僕へ最初のカードを渡してくれたのも、アルナさんでした」

「覚えています」

「僕もです」

「説明を三回しました」

「そこまで覚えている必要はありません」

「同じ質問を三回されましたから」

 

 アルナさんの猫耳が、楽しそうに揺れる。

 

「でも、あの時のルキウスさんが、こんなに早くここまで来るとは思っていませんでした」

「僕も思っていませんでした」

 

 答えると、アルナさんは僕を真っすぐに見上げた。

 

「本当に、頑張りましたね」

 

 その言葉は、ギルドマスターから評価を告げられた時とは違う形で胸へ入ってきた。

 ――頑張った。

 自分では、まだ足りないとばかり思っていた。

 けれど、二年間ずっと見ていたアルナさんがそう言うのなら、少しくらいは認めてもいいのかもしれない。

 

「はい」

 

 今度は、否定しなかった。

 

「頑張りました」

 

 アルナさんの目が僅かに見開かれる。

 すぐに、その表情が嬉しそうな笑みに変わった。

 

「ルキウスさん!」

 

 宴の輪から、もう一度名前を呼ばれる。

 ミミルさんが杖を掲げ、その隣で何人ものハンターが手招きしていた。

 

「こっちへ来てください!」

「料理がなくなるぞ!」

「新しいカードを見せろ!」

「白い大型の話も聞かせてくれ!」

 

 一度に呼ばれ、どこへ向かえばいいのか分からない。

 

「すごいですね」

「ルキウスさんを待っていたんですから」

「でも、どこから行けば」

「こっちですよ!」

 

 ミミルさんが人の輪を抜け、こちらへ歩いてくる。

 杖を脇へ抱え直すと、空いた手で僕の右手を掴んだ。

 

「皆さん、ずっと待っていたんです」

「ミミルさん、歩いて大丈夫なんですか」

「ルキウスさんに心配されたくありません」

「それは、どういう意味ですか」

「そのままの意味です」

 

 ミミルさんは笑いながら、僕の手を引く。

 反対側からは、以前助けたハンターの一人が外套の袖を掴んだ。

 

「ほら、早く来い!」

「カードを見せろって!」

「料理も残してあるぞ!」

「朝食をかなり食べたのですが」

「宴は別腹だ!」

 

 女将さんと同じことを言われている気がする。

 振り返る。

 アルナさんは階段の前に立ち、こちらを見ていた。

 茶色い猫耳が楽しそうに揺れている。

 

「アルナさんも」

「はい。すぐに行きます」

 

 アルナさんは受付台へ置かれた書類を指し、それから宴の輪へ視線を向けた。

 

「先に楽しんでいてください」

「絶対に来てくださいね!」

「はい。約束です」

 

 柔らかな笑みが返ってくる。

 

 手を引かれ、人の輪へ入っていく。

 皿を渡され、果実水の杯を押しつけられ、次々に声を掛けられる。

 少し離れたところでは、ガルドさんがすでに二杯目へ手を伸ばし、アルナさんの猫耳が鋭く立っていた。

 

 騒がしい。

 ひどく騒がしい。

 

 それでも、この場所から離れたいとは思わなかった。

 

 二年前。

 この街へ来た時、僕は一人だった。

 知っている人も。

 帰りを待ってくれる人も。

 こうして手を引いてくれる人もいなかった。

 

 今は違う。

 胸元では、五本の線が刻まれたカードが、歩くたびに小さく外套へ触れている。

 英雄には、まだ遠い。

 きっとこれからも、何度も届かないと思うのだろう。

 

 それでも。

 憧れているだけだった僕は、いつの間にか一人で歩かなくなっていた。

 

 掴まれた手を握り返す。

 そのまま僕は、笑い声に満ちた宴の輪へ踏み込んだ。

 

 胸元で、五本目の印が小さく鳴った。

 

 

 第二章『英雄を目指した少年』感。

 





 これにて、
『駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~』
 第二章は完結となります!

 まず初めに。
 ここまで読んでくださった読者様。
 評価、感想をくれる方々。誤字脱字衍字報告をしてくださる方。
 本当に、ありがとうございます。皆様のおかげで、ここまで楽しくルキウスの物語を書き続けていられます。

 次話からはいよいよ物語も転機――第三章に入ります。
 重ねてになりますが、ここまで読んでくださった読者様、本当にありがとうござます。
 そして、もしよろしければ次話からも楽しんで頂ければ、とっっっても嬉しいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ED傭兵、清純幼淫魔を誑かす 〜行き倒れ淫魔を哀れに思い、ED治療も兼ねて拾ったが――勃たんし、それを硬派で誠実と勘違いされるし〜(作者:ぞうきん)(オリジナルファンタジー/恋愛)

 過去の出来事から不能になったオッサン傭兵クレバーは、ある日淫魔の少女を拾う。あわよくばED治せないかななんて軽い気持ちで考えていたが、彼は淫魔という生物のことを全く分かっていなかった。淫魔は幼かろうがなんだろうが、好いた男のためならば――――人外の執着心を以って、あらゆる手段でその精を搾り尽くさんとするのだ。


総合評価:1162/評価:8.1/連載:9話/更新日時:2026年08月07日(金) 02:29 小説情報

義務レットは自由に生きてみる(作者:POTROT)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

義務と責務に追われて死んで、転生しても義務と責務に追われる日々。▼そんなある日、全てが嫌になったギムレットは義務を捨て、レットになった。


総合評価:2991/評価:8.52/連載:9話/更新日時:2026年07月26日(日) 15:56 小説情報

病弱貴族になった俺、治癒魔法をかけながら戦えばいいことが判明する(※血反吐付き)(作者:池崎)(オリジナルファンタジー/戦記)

突如として前世の記憶を思い出し、自身が病弱貴族になってしまったことを悟った主人公は、とある出来事をきっかけに──「治癒魔法をかけ続けたら戦えるのでは??」と気づき、おっさん治癒術師を巻き込んで修練に励む。▼その結果──確率で血反吐を吐きながら拳で戦うHENTAIスタイルになってしまう。▼「だ、大丈夫! すごく痛いけどすぐ治るから!!」▼


総合評価:1954/評価:8.52/連載:10話/更新日時:2026年08月08日(土) 12:42 小説情報

【完結】鶴が恩返ししないんだが(作者:エタリオウ)(オリジナル現代/恋愛)

生まれつき鳥に好かれやすい高校生・佐鳥鳳介の家に、ある雪の夜、一人の美少女が訪ねてきた。▼これはまさか、現代版・鶴の恩返し――?▼だが、その出会いを境に、鳳介の日常は少しずつ鳥に侵食されていく。▼彼を守ろうとする居候。▼クラスメイトはストーカー。▼完璧すぎる幼馴染。▼そして、彼の過去へ踏み込んでくる後輩。▼鳥に愛され、鳥に狙われ、鳥に振り回される。▼これは、…


総合評価:4996/評価:8.89/完結:26話/更新日時:2026年06月26日(金) 20:07 小説情報

原作を諦めた男、原作が終わった後に原作キャラに絡まれる(作者:オワッター)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

好きだったゲームの世界に転生したものの、才能と環境が原因で原作に関われなかったセオドは、ある時原作が終わったことを風の噂で耳にした。▼そんな彼の元に、原作では死亡するはずだった少女リリシェラが現れる。▼しかも彼のことを師匠と呼び慕ってくるのだ。▼だが、そんな彼女は色々な理由から、世間知らずのお嬢様になっていた。▼結果として、リリシェラに生き方を教える「師匠」…


総合評価:2834/評価:8.47/連載:5話/更新日時:2026年03月23日(月) 12:04 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>