駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
朝。
目を開けたら瞬間、知らない天井だった。
「……」
白い天井。
木の梁。
窓の外から聞こえる、知らない街のざわめき。
一瞬、ここがどこなのか分からなかった。
森の家ではない。
母さんの声もしない。
窓の外に見えるのは木々ではなく、石造りの建物と、朝から忙しそうに行き交う人の影。
そして鼻先をくすぐるのは、焼いたパンと肉の匂いだった。
「……あ」
思い出した。
昨日、アルナさんに紹介してもらった宿に泊まったのだ。
角兎亭。
新人ハンターがよく使う、安くて食事もそれなりに美味しい宿。
そう説明されて来た場所だった。
「ふぁ……ぁ。ふぅ」
体を起こすと、思っていたより体が重かった。
昨日は一日だけで、森で暮らしていた十七年分くらいの出来事があった気がする。
エルドランに来て、ハンターズギルドに入って、ハンター登録をして、初めての依頼を受けて、スノウラビを狩って、血まみれで帰って、装備ごと洗われた。
最後の一つだけは、思い出すとまだ少し心が削れる。
「アルナさんの言うことを聞いておいてよかった」
昨日、無理にもう一つ依頼を受けていたら、きっと怪我をしていたに違いない。
そう心の中でアルナさんに感謝しながら、僕は布団の中から手を伸ばした。
枕元に置いていたギルドカードを手に取る。
冷たい金属の感触。
表には剣と盾の紋章。
「……夢じゃない」
思わず頬が緩む。
昨日も何度も確認した。
寝る前にも確認した。
寝る直前にも、もう一回確認した。
それでも朝になれば消えているかもしれないと思ったけれど、消えていなかった。
僕はちゃんとハンターになっていた。
「へへ」
笑ってしまう。
部屋に一人でよかった。
もし誰かに見られていたら、かなり変な人だ。
そんなことを考えていると、部屋の扉が軽く叩かれた。
「起きてるかい、血まみれ坊や」
「呼び方!」
思わず、返事より先に叫んだ。
前言撤回。
もしかしたら、もう変な人になっているのかもしれない。
扉の向こうから、からからと豪快な笑い声が聞こえた。
「起きてるみたいだね。朝飯できてるよ。冷めないうちに降りてきな」
「あ、はい! すぐ行きます!」
女将さんの足音が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。
昨日、角兎亭に来た時のことを思い出した。
大柄で、声が大きくて、よく笑う人だった。
そして宿に入った瞬間、僕を見るなり、
『おや、あんたが噂の血まみれ坊やかい』
と言った人でもある。
噂が速い。
本当に速い。
僕は身支度を整え、フードを深く被り直してから一階へ降りた。
◆
食堂には、すでに何人か客がいた。
朝から分厚い肉を食べている人。
眠そうにスープをすすっている人。
大きな荷物を背負ったままパンをかじっている人。
その間を、女将さんが大きな皿を持って忙しそうに歩き回っている。
「お、来たね。昨日の血まみれ坊や」
「おはようございます。あと、名前はルキウスです」
「知ってるよ。血まみれ坊やのルキウス」
「増えた」
「はっはっは! 元気そうで何よりだよ」
女将さんは笑いながら、僕の前に朝食を置いてくれた。
焼いたパン。
豆のスープ。
薄く焼いた肉。
それから、少し酸っぱい匂いのする漬物みたいなもの。
おいしそうだ。
お腹が鳴る前に、僕は慌てて手を合わせた。
「いただきます」
まずはスープを一口。
温かい。
空っぽだった胃に、じんわり染み込んでいく。
それからパンをちぎってスープにつけ、口に放り込んだ。
「ふっごい、いいまちです! ほくにみなほのほうなんか」
「こら! 口に飯突っ込みながらしゃべるんじゃないよ!」
ばぎゃ、と頭を叩かれた。
「い、いったぁ……!」
想像の三倍くらい重い拳だった。
思わず涙が出てくる。
「す、すみません」
「あっはっは! いいんだよ。それだけこの街を気に入ってくれたってことだろ?」
女将さんは、今度は僕の頭をがしがしと撫でた。
力が強い。
首が持っていかれそうになる。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
「あんた、ハンターになったんだろ?」
「はい! 昨日ギルドで登録したばかりですけど」
「そうかいそうかい」
女将さんは、僕の前に追加のパンを一つ置いた。
それから、少しだけ声を落とす。
「覚えておくんだよ、坊主。ハンターはね、生きて帰って、飯を食って、寝て、また起きる。それがまず一番偉いんだよ」
「……はい」
「だから、ちゃんと食べな」
「はい!」
言われるがまま、僕は朝食に手をつけた。
パンは少し固い。
けれど、スープと一緒に食べれば十分においしい。
肉も香ばしくて、塩気がちょうどいい。
それなりに、なんてアルナさんは言っていたけれど、僕には十分すぎるくらいおいしかった。
◆
朝食を終えた僕は、角兎亭を出てギルドへ向かった。
昨日、アルナさんに教えてもらった通り、角兎亭はギルドから近い。
二つ角を曲がれば、すぐにあの大きな建物が見えた。
灰色の石と太い木材で造られた、三階建ての巨大な建物。
正面には、剣と盾の紋章。
昨日と同じ場所なのに、今日は少しだけ違って見えた。
昨日は、あまりにも眩しくて、遠くて、物語の中の場所みたいだった。
でも今日は、ほんの少しだけ。
自分が入ってもいい場所に見えた。
少しの緊張と一緒に、僕はギルドの扉を開ける。
中は昨日と同じように騒がしかった。
酒場の方ではハンターたちが朝から声を張り上げ、受付前では何人もの人が依頼書を眺めている。
しかし僕が入った瞬間、近くの席にいたハンターがこちらを見た。
「お、昨日の血まみれの新人だ」
「今日はまだ赤くねぇな」
「ったりめぇだろ! まだ早朝も早朝だぞ」
がははは、と笑い声が上がる。
聞こえている。
全部聞こえている。
僕はフードの端を押さえながら、できるだけ何も聞こえなかったふりをした。
人はこうして強くなるのかもしれない。
主に羞恥心に対して。
「あ、ルキウスさん」
受付に向かうと、アルナさんがこちらに気づいた。
「おはようございます」
「おはようございます!」
今日も、ふわりとした茶色の髪と、ぴこぴこ動く猫耳がかわいい。
昨日あれだけ迷惑をかけたので、少し顔を合わせるのが怖かった。
けれど、アルナさんは変わらず柔らかく笑ってくれた。
「本日はどういったご用件で……と、言いたいところなんですが」
「剥ぎ取り講習、ですよね!」
僕の返事に、アルナさんは微笑んだ。
「お、ちゃんと覚えていたんですね。えらいですよ」
「ありがとうございます!」
なんだか子ども扱いされている気がする。
きっと気のせいだろう。
たぶん。
僕がそう考えている間に、アルナさんは受付の奥へ声をかけた。
「グラムさん、お願いします」
「おう」
低い声が返ってきた。
奥から出てきたのは、大柄な男の人だった。
腕が太い。
首も太い。
髭も濃い。
文字通り獅子のような人で、あまりにも鋭い眼光が真っ直ぐ僕に向けられる。
「こいつが昨日の血まみれ新人か」
「はい。ルキウスさんです」
「ルキウスです! よろしくお願いします!」
「声がでけぇ」
お、怒られてしまった。
「すみません!」
「それもでけぇ」
「すみません……」
声を小さくする。
難しい。
元気よく返事をすると怒られ、小さくすると不安になる。
返事とは奥深いものだ。
「ついてこい」
「はい」
グラムさんは短く言って、ギルドの奥へ歩き出した。
僕は慌ててその後を追う。
◆
受付の向こう側へ入るのは初めてだった。
通路を抜けると、石造りの広い部屋に出る。
そこには、昨日の受付とはまるで違う空気があった。
石の床。
水路。
素材を洗う桶。
壁にかけられた刃物。
吊るされた小型モンスター。
そして、獣の匂いと血の匂い。
思わず背筋が伸びる。
「昨日の毛皮、見た」
「え」
「初めてにしちゃ悪くねぇ。傷も少ない」
「あ、ありがとうございます!」
「だが、血を浴びすぎだな」
「はい……」
反論できない。
昨日の自分の姿を思い出すと、むしろよくあれで受付まで行ったなと思う。
グラムさんは作業台の上に、用意してあったスノウラビを置いた。
「モンスターには、それぞれ骨格というものがある。骨が関節で繋がり、そこに筋肉がついて、皮がある。この世界にはいろんな種類のモンスターがいるが、そこは大体一緒だ」
グラムさんは太い指で、スノウラビの体の形を示していく。
僕は黙って頷いた。
「剥ぎ取りってのは、力任せにやるもんじゃねぇ。刃を入れる場所、引く角度、体の向き。それを間違えりゃ素材を傷つけるし、自分も汚す」
「はい」
「それと、覚えとけ」
グラムさんは、作業台の上に置かれたスノウラビに手を置いた。
「ハンターってのは、ただモンスターを倒す仕事じゃねぇ」
その声は低く、静かだった。
怒鳴っているわけではない。
けれど、妙に耳に残る声だった。
「皮は装備に使う。骨は道具になる。牙や爪は武器や飾りに使われる。肉は食う。脂も薬や油になる。使えるところは、できるだけ使う」
「……はい」
「モンスターを狩るってのは、命を奪うってことだ」
命。
その言葉で、昨日のスノウラビを思い出した。
白くて、丸くて。
草むらで耳をぴくりと動かして。
僕を見るなり逃げて。
腕の中で、ばたばたと暴れていた。
かわいかった。
必死だった。
それを、僕は捕まえた。
「奪った命を、無駄にするな」
グラムさんはそう言って、刃物を手に取った。
刃が、光った。
作業は静かだった。
驚くほど静かだった。
皮と肉の間に刃を入れる。
無理に切らない。
引いて、押して、少しずつ剥がしていく。
力ではなく、流れに沿っているみたいだった。
僕は息をするのも忘れて見ていた。
「やってみろ」
手渡された刃物は、思ったより軽かった。
けれど、妙に重く感じた。
「いきます」
作業台の前に立ち、教わった通りに刃を入れる。
「そこじゃねぇ」
「はい!」
「返事で皮は戻らねぇ」
「はい……」
「力入れすぎだ。切るんじゃねぇ。外すんだ」
「外す」
「そうだ。皮と肉の間を探せ」
難しい。
すごく難しい。
剣を振るのとは全然わけが違う。
手元を見る。
刃の角度を意識する。
素材を傷つけないように、少しずつ進める。
気を抜くと、すぐに刃が深く入りそうになる。
「そこ、危ねぇ」
「はい!」
「だから声がでけぇ」
「すみません……」
何度も注意される。
何度もやり直す。
額に浮いた汗を、手の甲で拭う。
今のところ、血は浴びていない。
それだけでも昨日よりは進歩だ。
そうして。
「ふぅ……」
どうにか一枚の皮を剥ぎ終えた。
綺麗、とは言い難い。
ところどころ不格好だ。
けれど昨日よりは、ずっと落ち着いてできた気がする。
グラムさんがそれを手に取り、じっと見る。
「まあ、マシになったな」
「ありがとうございます!」
「褒めてねぇ」
「でも、昨日よりマシなら進歩です」
「……まあ、そうだな」
グラムさんは少しだけ口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
たぶん。
多分だけど。
「今日覚えたことを忘れるな。分からねぇ素材に手ぇ出す時は、まず聞け」
「はい」
「知らねぇことを知ったふりする奴から死ぬ」
「……はい」
その言葉は、妙に重かった。
昨日の僕は、知らないままやった。
運良く毛皮は綺麗だった。
でも、それは本当に運が良かっただけだ。
知らないことは、聞く。
分からないことは、学ぶ。
それもハンターの仕事なのだと、少しだけ分かった気がした。
◆
「お疲れ様でした」
受付に戻ると、アルナさんがそう言ってくれた。
僕が近づくと、アルナさんの猫耳が小さく動く。
「どうでしたか?」
「難しかったです」
「でしょうね」
「でも、グラムさんが丁寧に教えてくれたおかげで、何とかなりそうです」
そう言うと、アルナさんは安心したように微笑んだ。
「そう言ってもらえると、講習を受けてもらった意味がありますね」
「じゃあ、次は依頼を――」
お願いします。
そう言いかけたところで、アルナさんに言葉を遮られた。
「その前に、もう一つ済ませておかないといけないことがあります」
「済ませておかないといけないこと?」
「はい」
そう言って、アルナさんは何やら紹介状のようなものを書き始めた。
さらさらとペン先が動く。
僕はその手元を見つめながら、首を傾げた。
「教会への登録です」
「教会、ですか?」
教会。
本では読んだことがある。
癒しと祈りの場所。
水の民――天使族が多く仕える場所。
怪我人を治す場所。
でも、僕は今、怪我をしているわけではない。
「僕、怪我してませんよ?」
「今はしていなくても、これからする可能性があります」
「しないように頑張ります」
「頑張ってもします」
「断言」
「します」
アルナさんはきっぱり言った。
そこまで言われると、する気がしてくる。
いや、したくはない。
「ハンターとして活動していく以上、怪我をした時に教会を利用することがあります。ですが、緊急時に身元確認や支払い方法の確認で手間取ると困りますから、事前に登録しておく必要があるんです」
「なるほど」
確かに、ハンターとして活動していく中で、一度も怪我をしないというのは無理な話かもしれない。
かのアルヴィスも、十ページに一回は怪我をしていた気がする。
「大怪我をしてから書類を書けと言われても困りますよね」
「確かに」
「意識がなければ書けませんし」
「それはそうでは?」
「でも同意がなければ、治療できる範囲にも限りがあります。だから、緊急時の治療許可や連絡先を、先に教会へ伝えておくんです」
「なるほど」
僕はうなずいた。
大怪我をしてから慌てるより、先に済ませておいた方がいい。
言われてみれば、とても当たり前のことだった。
「登録だけなら、それほど時間はかかりません。ギルドカードを持って、教会支部へ行ってください」
「一人で行って大丈夫ですか?」
「はい。場所も分かりやすいですので大丈夫だと思います。大通りを西へ進めば、白い尖塔が見えます」
「白い尖塔」
「はい。迷わないでくださいね」
「はい!」
「……」
「……」
アルナさんは僕の顔をじっと見た。
僕も、なぜか少し不安になって見返した。
少しの沈黙のあと、アルナさんはもう一枚紙を取り出す。
「一応、地図を書きますね」
「ありがとうございます」
信用。
やはり信用が足りない。
僕はアルナさんから簡単な地図と紹介状を受け取った。
「登録が終わったら、今日は無理に依頼を受けず、宿に戻って休んでください」
「え、依頼は」
「休んでください」
「はい」
圧があった。
昨日ほどではない。
でも、確かに圧があった。
僕は素直に、教会へ向かうことにした。
角兎亭で目を覚まし、朝食を食べ、ギルドで剥ぎ取りを学んだ。
昨日より少しだけ、ハンターらしいことができた気がする。
でも、アルナさんの言う通り、まだ知らないことは多い。
剥ぎ取り。
教会。
治療。
生きて帰るために必要なものは、剣だけではないらしい。
僕は紹介状を大事にしまい、ギルドの扉を押し開けた。
朝とは違う陽の光が、大通りを白く照らしている。
その先にあるという白い尖塔を目指して、僕は歩き出した。
◆
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、角兎亭での朝と、剥ぎ取り講習の回でした。
次回は教会登録。
新しい人物も登場します。
感想・評価などいただけると、とても励みになります。……次回はついに聖女様が……っ。