駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~   作:木乃実なぎ

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少年は刃先に命を学ぶ

 

 

 朝。

 目を開けたら瞬間、知らない天井だった。

 

「……」

 

 白い天井。

 木の梁。

 窓の外から聞こえる、知らない街のざわめき。

 一瞬、ここがどこなのか分からなかった。

 森の家ではない。

 母さんの声もしない。

 窓の外に見えるのは木々ではなく、石造りの建物と、朝から忙しそうに行き交う人の影。

 そして鼻先をくすぐるのは、焼いたパンと肉の匂いだった。

 

「……あ」

 

 思い出した。

 昨日、アルナさんに紹介してもらった宿に泊まったのだ。

 角兎亭。

 新人ハンターがよく使う、安くて食事もそれなりに美味しい宿。

 そう説明されて来た場所だった。

 

「ふぁ……ぁ。ふぅ」

 

 体を起こすと、思っていたより体が重かった。

 昨日は一日だけで、森で暮らしていた十七年分くらいの出来事があった気がする。

 エルドランに来て、ハンターズギルドに入って、ハンター登録をして、初めての依頼を受けて、スノウラビを狩って、血まみれで帰って、装備ごと洗われた。

 最後の一つだけは、思い出すとまだ少し心が削れる。

 

「アルナさんの言うことを聞いておいてよかった」

 

 昨日、無理にもう一つ依頼を受けていたら、きっと怪我をしていたに違いない。

 そう心の中でアルナさんに感謝しながら、僕は布団の中から手を伸ばした。

 枕元に置いていたギルドカードを手に取る。

 冷たい金属の感触。

 表には剣と盾の紋章。

 

「……夢じゃない」

 

 思わず頬が緩む。

 昨日も何度も確認した。

 寝る前にも確認した。

 寝る直前にも、もう一回確認した。

 それでも朝になれば消えているかもしれないと思ったけれど、消えていなかった。

 僕はちゃんとハンターになっていた。

 

「へへ」

 

 笑ってしまう。

 部屋に一人でよかった。

 もし誰かに見られていたら、かなり変な人だ。

 そんなことを考えていると、部屋の扉が軽く叩かれた。

 

「起きてるかい、血まみれ坊や」

「呼び方!」

 

 思わず、返事より先に叫んだ。

 前言撤回。

 もしかしたら、もう変な人になっているのかもしれない。

 扉の向こうから、からからと豪快な笑い声が聞こえた。

 

「起きてるみたいだね。朝飯できてるよ。冷めないうちに降りてきな」

「あ、はい! すぐ行きます!」

 

 女将さんの足音が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。

 昨日、角兎亭に来た時のことを思い出した。

 大柄で、声が大きくて、よく笑う人だった。

 そして宿に入った瞬間、僕を見るなり、

 

『おや、あんたが噂の血まみれ坊やかい』

 

 と言った人でもある。

 噂が速い。

 本当に速い。

 僕は身支度を整え、フードを深く被り直してから一階へ降りた。

 

 ◆

 

 食堂には、すでに何人か客がいた。

 朝から分厚い肉を食べている人。

 眠そうにスープをすすっている人。

 大きな荷物を背負ったままパンをかじっている人。

 その間を、女将さんが大きな皿を持って忙しそうに歩き回っている。

 

「お、来たね。昨日の血まみれ坊や」

「おはようございます。あと、名前はルキウスです」

「知ってるよ。血まみれ坊やのルキウス」

「増えた」

「はっはっは! 元気そうで何よりだよ」

 

 女将さんは笑いながら、僕の前に朝食を置いてくれた。

 焼いたパン。

 豆のスープ。

 薄く焼いた肉。

 それから、少し酸っぱい匂いのする漬物みたいなもの。

 おいしそうだ。

 お腹が鳴る前に、僕は慌てて手を合わせた。

 

「いただきます」

 

 まずはスープを一口。

 温かい。

 空っぽだった胃に、じんわり染み込んでいく。

 それからパンをちぎってスープにつけ、口に放り込んだ。

 

「ふっごい、いいまちです! ほくにみなほのほうなんか」

「こら! 口に飯突っ込みながらしゃべるんじゃないよ!」

 

 ばぎゃ、と頭を叩かれた。

 

「い、いったぁ……!」

 

 想像の三倍くらい重い拳だった。

 思わず涙が出てくる。

 

「す、すみません」

「あっはっは! いいんだよ。それだけこの街を気に入ってくれたってことだろ?」

 

 女将さんは、今度は僕の頭をがしがしと撫でた。

 力が強い。

 首が持っていかれそうになる。

 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

「あんた、ハンターになったんだろ?」

「はい! 昨日ギルドで登録したばかりですけど」

「そうかいそうかい」

 

 女将さんは、僕の前に追加のパンを一つ置いた。

 それから、少しだけ声を落とす。

 

「覚えておくんだよ、坊主。ハンターはね、生きて帰って、飯を食って、寝て、また起きる。それがまず一番偉いんだよ」

「……はい」

「だから、ちゃんと食べな」

「はい!」

 

 言われるがまま、僕は朝食に手をつけた。

 パンは少し固い。

 けれど、スープと一緒に食べれば十分においしい。

 肉も香ばしくて、塩気がちょうどいい。

 それなりに、なんてアルナさんは言っていたけれど、僕には十分すぎるくらいおいしかった。

 

 ◆

 

 朝食を終えた僕は、角兎亭を出てギルドへ向かった。

 昨日、アルナさんに教えてもらった通り、角兎亭はギルドから近い。

 二つ角を曲がれば、すぐにあの大きな建物が見えた。

 灰色の石と太い木材で造られた、三階建ての巨大な建物。

 正面には、剣と盾の紋章。

 昨日と同じ場所なのに、今日は少しだけ違って見えた。

 昨日は、あまりにも眩しくて、遠くて、物語の中の場所みたいだった。

 でも今日は、ほんの少しだけ。

 自分が入ってもいい場所に見えた。

 少しの緊張と一緒に、僕はギルドの扉を開ける。

 中は昨日と同じように騒がしかった。

 酒場の方ではハンターたちが朝から声を張り上げ、受付前では何人もの人が依頼書を眺めている。

 しかし僕が入った瞬間、近くの席にいたハンターがこちらを見た。

 

「お、昨日の血まみれの新人だ」

「今日はまだ赤くねぇな」

「ったりめぇだろ! まだ早朝も早朝だぞ」

 

 がははは、と笑い声が上がる。

 聞こえている。

 全部聞こえている。

 僕はフードの端を押さえながら、できるだけ何も聞こえなかったふりをした。

 人はこうして強くなるのかもしれない。

 主に羞恥心に対して。

 

「あ、ルキウスさん」

 

 受付に向かうと、アルナさんがこちらに気づいた。

 

「おはようございます」

「おはようございます!」

 

 今日も、ふわりとした茶色の髪と、ぴこぴこ動く猫耳がかわいい。

 昨日あれだけ迷惑をかけたので、少し顔を合わせるのが怖かった。

 けれど、アルナさんは変わらず柔らかく笑ってくれた。

 

「本日はどういったご用件で……と、言いたいところなんですが」

「剥ぎ取り講習、ですよね!」

 

 僕の返事に、アルナさんは微笑んだ。

 

「お、ちゃんと覚えていたんですね。えらいですよ」

「ありがとうございます!」

 

 なんだか子ども扱いされている気がする。

 きっと気のせいだろう。

 たぶん。

 僕がそう考えている間に、アルナさんは受付の奥へ声をかけた。

 

「グラムさん、お願いします」

「おう」

 

 低い声が返ってきた。

 奥から出てきたのは、大柄な男の人だった。

 腕が太い。

 首も太い。

 髭も濃い。

 文字通り獅子のような人で、あまりにも鋭い眼光が真っ直ぐ僕に向けられる。

 

「こいつが昨日の血まみれ新人か」

「はい。ルキウスさんです」

「ルキウスです! よろしくお願いします!」

「声がでけぇ」

 

 お、怒られてしまった。

 

「すみません!」

「それもでけぇ」

「すみません……」

 

 声を小さくする。

 難しい。

 元気よく返事をすると怒られ、小さくすると不安になる。

 返事とは奥深いものだ。

 

「ついてこい」

「はい」

 

 グラムさんは短く言って、ギルドの奥へ歩き出した。

 僕は慌ててその後を追う。

 

 ◆

 

 受付の向こう側へ入るのは初めてだった。

 通路を抜けると、石造りの広い部屋に出る。

 そこには、昨日の受付とはまるで違う空気があった。

 石の床。

 水路。

 素材を洗う桶。

 壁にかけられた刃物。

 吊るされた小型モンスター。

 そして、獣の匂いと血の匂い。

 思わず背筋が伸びる。

 

「昨日の毛皮、見た」

「え」

「初めてにしちゃ悪くねぇ。傷も少ない」

「あ、ありがとうございます!」

「だが、血を浴びすぎだな」

「はい……」

 

 反論できない。

 昨日の自分の姿を思い出すと、むしろよくあれで受付まで行ったなと思う。

 グラムさんは作業台の上に、用意してあったスノウラビを置いた。

 

「モンスターには、それぞれ骨格というものがある。骨が関節で繋がり、そこに筋肉がついて、皮がある。この世界にはいろんな種類のモンスターがいるが、そこは大体一緒だ」

 

 グラムさんは太い指で、スノウラビの体の形を示していく。

 僕は黙って頷いた。

 

「剥ぎ取りってのは、力任せにやるもんじゃねぇ。刃を入れる場所、引く角度、体の向き。それを間違えりゃ素材を傷つけるし、自分も汚す」

「はい」

「それと、覚えとけ」

 

 グラムさんは、作業台の上に置かれたスノウラビに手を置いた。

 

「ハンターってのは、ただモンスターを倒す仕事じゃねぇ」

 

 その声は低く、静かだった。

 怒鳴っているわけではない。

 けれど、妙に耳に残る声だった。

 

「皮は装備に使う。骨は道具になる。牙や爪は武器や飾りに使われる。肉は食う。脂も薬や油になる。使えるところは、できるだけ使う」

「……はい」

「モンスターを狩るってのは、命を奪うってことだ」

 

 命。

 その言葉で、昨日のスノウラビを思い出した。

 白くて、丸くて。

 草むらで耳をぴくりと動かして。

 僕を見るなり逃げて。

 腕の中で、ばたばたと暴れていた。

 かわいかった。

 必死だった。

 それを、僕は捕まえた。

 

「奪った命を、無駄にするな」

 

 グラムさんはそう言って、刃物を手に取った。

 刃が、光った。

 作業は静かだった。

 驚くほど静かだった。

 皮と肉の間に刃を入れる。

 無理に切らない。

 引いて、押して、少しずつ剥がしていく。

 力ではなく、流れに沿っているみたいだった。

 僕は息をするのも忘れて見ていた。

 

「やってみろ」

 

 手渡された刃物は、思ったより軽かった。

 けれど、妙に重く感じた。

 

「いきます」

 

 作業台の前に立ち、教わった通りに刃を入れる。

 

「そこじゃねぇ」

「はい!」

「返事で皮は戻らねぇ」

「はい……」

「力入れすぎだ。切るんじゃねぇ。外すんだ」

「外す」

「そうだ。皮と肉の間を探せ」

 

 難しい。

 すごく難しい。

 剣を振るのとは全然わけが違う。

 手元を見る。

 刃の角度を意識する。

 素材を傷つけないように、少しずつ進める。

 気を抜くと、すぐに刃が深く入りそうになる。

 

「そこ、危ねぇ」

「はい!」

「だから声がでけぇ」

「すみません……」

 

 何度も注意される。

 何度もやり直す。

 額に浮いた汗を、手の甲で拭う。

 今のところ、血は浴びていない。

 それだけでも昨日よりは進歩だ。

 そうして。

 

「ふぅ……」

 

 どうにか一枚の皮を剥ぎ終えた。

 綺麗、とは言い難い。

 ところどころ不格好だ。

 けれど昨日よりは、ずっと落ち着いてできた気がする。

 グラムさんがそれを手に取り、じっと見る。

 

「まあ、マシになったな」

「ありがとうございます!」

「褒めてねぇ」

「でも、昨日よりマシなら進歩です」

「……まあ、そうだな」

 

 グラムさんは少しだけ口元を動かした。

 笑ったのかもしれない。

 たぶん。

 多分だけど。

 

「今日覚えたことを忘れるな。分からねぇ素材に手ぇ出す時は、まず聞け」

「はい」

「知らねぇことを知ったふりする奴から死ぬ」

「……はい」

 

 その言葉は、妙に重かった。

 昨日の僕は、知らないままやった。

 運良く毛皮は綺麗だった。

 でも、それは本当に運が良かっただけだ。

 知らないことは、聞く。

 分からないことは、学ぶ。

 それもハンターの仕事なのだと、少しだけ分かった気がした。

 

 ◆

 

「お疲れ様でした」

 

 受付に戻ると、アルナさんがそう言ってくれた。

 僕が近づくと、アルナさんの猫耳が小さく動く。

 

「どうでしたか?」

「難しかったです」

「でしょうね」

「でも、グラムさんが丁寧に教えてくれたおかげで、何とかなりそうです」

 

 そう言うと、アルナさんは安心したように微笑んだ。

 

「そう言ってもらえると、講習を受けてもらった意味がありますね」

「じゃあ、次は依頼を――」

 

 お願いします。

 そう言いかけたところで、アルナさんに言葉を遮られた。

 

「その前に、もう一つ済ませておかないといけないことがあります」

「済ませておかないといけないこと?」

「はい」

 

 そう言って、アルナさんは何やら紹介状のようなものを書き始めた。

 さらさらとペン先が動く。

 僕はその手元を見つめながら、首を傾げた。

 

「教会への登録です」

「教会、ですか?」

 

 教会。

 本では読んだことがある。

 癒しと祈りの場所。

 水の民――天使族が多く仕える場所。

 怪我人を治す場所。

 でも、僕は今、怪我をしているわけではない。

 

「僕、怪我してませんよ?」

「今はしていなくても、これからする可能性があります」

「しないように頑張ります」

「頑張ってもします」

「断言」

「します」

 

 アルナさんはきっぱり言った。

 そこまで言われると、する気がしてくる。

 いや、したくはない。

 

「ハンターとして活動していく以上、怪我をした時に教会を利用することがあります。ですが、緊急時に身元確認や支払い方法の確認で手間取ると困りますから、事前に登録しておく必要があるんです」

「なるほど」

 

 確かに、ハンターとして活動していく中で、一度も怪我をしないというのは無理な話かもしれない。

 かのアルヴィスも、十ページに一回は怪我をしていた気がする。

 

「大怪我をしてから書類を書けと言われても困りますよね」

「確かに」

「意識がなければ書けませんし」

「それはそうでは?」

「でも同意がなければ、治療できる範囲にも限りがあります。だから、緊急時の治療許可や連絡先を、先に教会へ伝えておくんです」

「なるほど」

 

 僕はうなずいた。

 大怪我をしてから慌てるより、先に済ませておいた方がいい。

 言われてみれば、とても当たり前のことだった。

 

「登録だけなら、それほど時間はかかりません。ギルドカードを持って、教会支部へ行ってください」

「一人で行って大丈夫ですか?」

「はい。場所も分かりやすいですので大丈夫だと思います。大通りを西へ進めば、白い尖塔が見えます」

「白い尖塔」

「はい。迷わないでくださいね」

「はい!」

「……」

「……」

 

 アルナさんは僕の顔をじっと見た。

 僕も、なぜか少し不安になって見返した。

 少しの沈黙のあと、アルナさんはもう一枚紙を取り出す。

 

「一応、地図を書きますね」

「ありがとうございます」

 

 信用。

 やはり信用が足りない。

 僕はアルナさんから簡単な地図と紹介状を受け取った。

 

「登録が終わったら、今日は無理に依頼を受けず、宿に戻って休んでください」

「え、依頼は」

「休んでください」

「はい」

 

 圧があった。

 昨日ほどではない。

 でも、確かに圧があった。

 僕は素直に、教会へ向かうことにした。

 角兎亭で目を覚まし、朝食を食べ、ギルドで剥ぎ取りを学んだ。

 昨日より少しだけ、ハンターらしいことができた気がする。

 でも、アルナさんの言う通り、まだ知らないことは多い。

 剥ぎ取り。

 教会。

 治療。

 生きて帰るために必要なものは、剣だけではないらしい。

 僕は紹介状を大事にしまい、ギルドの扉を押し開けた。

 朝とは違う陽の光が、大通りを白く照らしている。

 その先にあるという白い尖塔を目指して、僕は歩き出した。

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、角兎亭での朝と、剥ぎ取り講習の回でした。

次回は教会登録。
新しい人物も登場します。

感想・評価などいただけると、とても励みになります。……次回はついに聖女様が……っ。
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