駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
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目を開けると、見覚えのない白い天井があった。
石造りの天井には細い亀裂が走り、その隙間から差し込んだ朝の光がぼんやりと視界へ滲んでいる。
……朝?
そう思って身体を起こそうとした瞬間、胸から背中、腕、脚まで一斉に痛みが走った。
「っ……」
息を吸うだけで胸が痛い。
右手なんて指を曲げただけで、昨日ずっと片刃剣を握っていた感覚が蘇ってきた。
それでも、痛いということは生きているらしい。
そこまで考えたところで、最後に見た光景が頭へ戻ってくる。
水禍渡りの主の中。
黒い核へ何度も片刃剣を振り下ろして、最後に入った亀裂。
そこへもう一度刃を入れた瞬間、確かに核は砕けた。
その直後、周囲を形作っていた肉も足場も崩れ、水の中へ呑まれて――そこから先は覚えていない。
「……帰ってきたんだ」
小さく呟きながら周囲を見る。
広い部屋には僕と同じように横になっている人が何人もいて、壁際には薬箱や水の入った桶、使い終えた布が積まれている。
教会ではない。
たぶん、高台へ用意されていた避難所の一つだ。
窓の外からは何人もの話し声が聞こえていた。
……そうだ。
主を倒したあと、海は戻ってきていた。
「街……」
寝台から脚を下ろす。
床へ足をつけると膝が震えたけれど、壁へ手をつけば立てないほどではない。
近くへ置かれていた外套だけを羽織り、片刃剣には手を伸ばさなかった。
誰かを呼んだ方がいいのかもしれない。
でも、その前に自分の目で確かめたかった。
扉を開けて外へ出ると、朝の風に混じって強い潮と泥の匂いが鼻へ入った。
普段なら港の方から漂ってくるはずの匂いが、今は街全体からしている。
嫌な予感に急かされるように高台の端まで歩き、そこからエルドランを見下ろした。
「……」
その惨状を見て、思わず足が止まった。
港の防波壁は途中から大きく崩れ、残っている石組みにもいくつもの亀裂が走っている。
船は岸を離れて道の上にまで乗り上げ、港沿いに並んでいた建物のいくつかは屋根どころか壁まで失っていた。
その奥の倉庫街にも泥と瓦礫が広がっていて、第二防衛線で使った荷車や木材がどこへ行ったのかも分からない。
第三防衛線だった辺りにまで水の痕が残り、昨日まで見慣れていた街並みはあちこちで途切れている。
……これが、僕たちの街?
胸の奥へ重いものが落ちた。
防波壁で戦った。
倉庫街まで下がった。
最後には僕たち自身が壁になって、そこでも止めきれなくて。
主の中にまで入った。核も壊した。
それなのに、目の前にあるエルドランはこんな姿になっている。
――ギリ。と悔しさが音になる。
もっと早く気づけていたら。
もっと早く主を倒せていたら。
僕がもっと強ければ、防波壁も、倉庫も、誰かの家も、ここまで壊れずに済んだんじゃないか。
視線を下ろすと、高台にはまだ大勢の人が残っていた。
毛布へ包まれている人。
家族で寄り添っている人。
壊れた街を見ながら、何も言わず座っている人。
この人たちはこれから、あそこへ帰らなければならない。
自分の家へ。店へ。
昨日まで暮らしていた場所へ。
僕は唇を噛み、ゆっくり坂を下りていく。
何を言えばいいのかは分からない。
それでも、謝らないといけないと思った。
そんなことを考えながら歩いていると、近くにいた獣人族の男性と目が合った。
額へ包帯を巻いたその人が僕を見たまま目を見開く。
「あ……」
そこでようやく、フードを被っていないことに気づいた。
昨日の風で外れて、そのまま大勢の前へ顔を晒した。
今さら隠しても遅いのかもしれない。
伸ばしかけた手を下ろし、男性へ頭を下げる。
「あの……僕――」
「坊主!?」
「……え?」
突然上がった大声に顔を上げる。
男性は僕ではなく周囲へ向かって腕を振っていた。
「起きてるぞ! おいお前ら!坊主、起きたぞ!」
「本当か!?」
「どこだ!」
「あそこだ!」
「おい、生きてるじゃねえか!」
座っていた人まで立ち上がり、次々と視線が集まってくる。
何が起きているのか分からないまま、それでも言わなければと思ってもう一度頭を下げた。
「すみま――」
「うおおおおおおおおおおッ!!」
「っ!?」
言葉を最後まで出すより早く、歓声が身体へぶつかった。
「良かったぞ、坊主!」
「起きやがった!」
「本当に生きてた!」
「ありがとな!」
「よく帰ってきた!」
「主を倒したんだろ! 聞いたぞ!」
あちこちから声を掛けられ、僕は頭を上げたまま動けなくなる。
「待ってください。僕だけじゃ――」
「そんなこと分かってるよ!」
「竜姫様も、ギルドマスターも、ハンターたちも、みんな戦ってくれてた!」
「俺たちだって見てたからな!」
「でも最後にあの化け物の中へ入って、仕留めてくれたのはお前だろ!」
「それに、あいつらもお前の背中を見てって嬉しそうにいってたぜ!」
「ありがとな!」
真正面からそう言われて、返す言葉が出てこなかった。
……どうして。
街はこんなになっているのに。
みんな、僕を責めるどころか笑っている。
「あの……亡くなった人は、いるんですか?」
それまでの歓声が少しだけ静かになる。
聞くのが怖い。
でも、知らないままではいられない。
「誰か……この水禍渡りで、亡くなった人は」
「いないよ」
後ろから聞き慣れた声がした。
振り返ると、角兎亭の女将さんが腕を組んで立っている。
服は泥で汚れ、いつもの店にいる時よりずっと疲れて見えたけれど、背筋だけは変わらず真っすぐだった。
「女将さん」
「死んだ奴は一人もいない」
「……え?」
「怪我人は山ほどいるよ。重傷の奴だっている。でもね、命を落とした奴はいない」
一瞬、意味を理解できなかった。
あれだけのことがあった。
水憑きが街へ押し寄せ、防波壁が壊れて、最後には海そのものが戻ってきた。
それなのに。
「……本当に?」
「こんなことで嘘ついてどうするんだい」
「一人も?」
「ああ。一人もだ」
胸の中で何かがほどけた。
「……良かった」
「本当に……良かった」
それでも、顔を上げれば壊れた街が見える。
安心したはずなのに、そこを見た途端にまた胸が重くなった。
「でも、街が……」
「何だい?」
「すみません。僕たちは、街を守るために戦ったのに」
「守ったじゃないか」
「……でも」
「ルキウス」
女将さんの声が僕の言葉を止めた。
「街は、また直せるよ」
「……え?」
「家が壊れたなら建て直せばいい。道が剥がれたなら敷き直しゃいい。店が潰れたなら、また建てればいい。防波壁だって、壊れたならもう一度積めばいい」
「でも、それには時間も」
「かかるだろうね」
女将さんはあっさり認めた。
「金もいる。材料もいる。昨日までと同じ暮らしへ戻るのにどれだけかかるかなんて、あたしにも分からないよ」
そこで一度周囲へ目を向け、また僕を見る。
「けどね、死んだ奴は戻せない」
「……」
「家を建て直すより難しいとか、何年かかるとか、そういう話じゃない。いなくなった奴は、もう帰ってこないんだ」
女将さんが片手を上げ、僕の周囲にいる人たちを示した。
家族と肩を寄せている人。
包帯を巻いたまま笑っている人。
さっき僕へ声を掛けてくれた人。
そのどれもが、ちゃんとここにいる。
「でも今回は、みんなここにいる。だったら、大勝ちじゃないか」
「……大勝ち」
「ああ。あんたたちが前で踏ん張ったから、みんな逃げられた。最後には、あんな馬鹿でかいのまで倒してくれた」
女将さんがにっと笑う。
「家族がいる。友達がいる。隣の家のうるさい爺さんも、酒飲んでくだ巻いてる馬鹿も、みんな生きてる」
「誰が馬鹿だ!」
「あんただよ!」
女将さんがすぐに怒鳴り返し、周囲から笑い声が上がる。
……笑ってる。
自分の家がどうなったのかも分からない人だっているはずなのに。
それでも、みんな笑っている。
「建物が壊れたくらいで、この街がなくなったことにするんじゃないよ。ここに住んでる連中が残ってるんだ。だったら、エルドランはまだここにある」
そう言ってから周囲へ向き直り、大きく息を吸う。
「そうだろう、みんな!」
「おう!」
「当たり前だ!」
「俺んとこなんて屋根が半分飛んだだけだぞ!」
「それ十分ひどいだろ!」
「壁が残ってりゃ何とかなる!」
「うちは一階全部水浸しだ!」
「張り合うところじゃねえ!」
また笑い声が広がった。
女将さんも肩を揺らしながら、ぱん、と一度大きく手を叩く。
「だったら決まりだ! いつまでここで壊れた街を眺めて悲しい顔してるんだい! 直せるって分かったなら、とっとと直すよ!」
「今からか!?」
「いつからやるつもりだったんだい!」
「昨日死ぬほど戦ったんだぞ!」
「死んでないだろ!」
「無茶苦茶だ!」
文句を言いながらも、一人の男性が立ち上がる。
それにつられるように別の人も毛布を畳み、袖を捲った。
「……まあ、やらなきゃどうにもならんしな」
「俺も行く」
「港はまだ危ねえぞ。水が引いた場所から確認しよう」
「大工連中は?」
「ドワーフならもう下で建物見てたぞ」
「早すぎるだろ!」
さっきまで壊れた街を眺めていた人たちが、次々と立ち上がっていく。
使えそうな道具を手に取る人。
怪我をしている人へ「お前は残れ」と言う人。
誰から指示されたわけでもないのに、もう街へ戻るための話を始めている。
その光景を見ているうちに、胸の奥が急に熱くなった。
目の前が滲む。
朝日が眩しいからだと思ったけれど、頬へ流れたものへ触れると指先が濡れた。
……涙。
悲しいわけじゃない。
壊れた街を見れば、まだ胸は痛い。
守れなかったものだってたくさんある。
それでも。
「……みんな、強いなぁ」
あんな夜を越えたばかりなのに。
街がここまで壊れたのに。
もう次のことを考えている。
涙を拭っても、すぐにまた視界が滲んだ。
……これで、よかったんだ。
防波壁も、家も、店も、倉庫も壊れてしまった。
でも、その中で暮らしていた人たちは生きている。
笑って、怒鳴って、もう自分たちの街を直そうとしている。
「……ちゃんと、救えたんだ」
声にすると、胸の奥へ残っていたものがさらにほどけた。
今度は涙を止めようとは思わなかった。
それでも俯いたまま何度か目元を拭っていると、突然、高台の奥から聞き慣れた声が響いた。
「ルキウスさんッ!!」
「……え?」
顔を上げる。
人の間を縫うように、アルナさんがこちらへ走ってきていた。
猫耳はぺたりと伏せられ、いつもの受付で見せる落ち着いた顔なんてどこにもない。
「アルナさん?」
「ルキウスさん!」
「はい、どうし――ぐぇ!?」
返事を最後まで言うより先に、勢いのまま飛び込んできたアルナさんに身体ごと抱き締められた。
傷へ響いて思わず息が詰まったけれど、それ以上に肩口へ触れたアルナさんの身体が震えていることに気づく。
「……心配したんですからね」
胸元から聞こえた声も震えていた。
「本当に……今度こそ死んじゃうかと思ったんですから」
背中へ回された腕に、また力が入る。
昨日の最後を思い出す。
核を斬ったあと、水へ呑まれて。
僕自身はどうやってここまで戻ってきたのか覚えていない。
「主の中に入ったって聞いて、それから全然出てこなくて……フレイヴィアさんに引き上げられた時だって、目を開けなくて……」
「……すみません」
「謝らないでください」
「はい」
「もう、本当に……」
最後の方は声になっていなかった。
どうすればいいのか少し迷ってから、僕は左手を上げ、アルナさんの背中へそっと触れた。
「大丈夫です」
「……」
「ちゃんと帰ってきましたから」
「それは、見れば分かります」
「はい」
「だから余計に腹が立つんです」
「どうしてです?」
「知りません!」
顔を埋めたまま怒られた。
それでも、少しして背中へ回されていた腕の力が緩む。
「次からは、もう少し心配させないようにします」
「何回目ですかそれ!」
今度は耳元で怒鳴られた。
周囲から笑い声が聞こえ、アルナさんもそれに気づいたのか、ようやく身体を離す。
ただ、僕の肩を掴んだ手はそのままだった。
「というか、どうしてここにいるんですか?」
「……街を見に」
「そうじゃありません! 目を覚ましたばかりですよね?」
「はい」
「それなのに、どうして勝手に部屋からいなくなるんですか!」
「あ」
言われて初めて、自分が誰にも何も言わず出てきたことを思い出す。
「街が気になって」
「探したんですよ! 目を覚ましたって聞いて見に行ったら寝台が空っぽで、どこにもいなくて!」
「……ごめんなさい」
「本当に、心臓が止まるかと思いました!」
「それは、その――」
「やはり、こちらでしたか」
今度は落ち着いた声が横から聞こえた。
振り向くと、白い服を着たセラフィーンさんが人の間から歩いてくる。
髪はいつもより少し乱れ、目元にも疲れが残っていたけれど、僕と目が合うと小さく息を吐いた。
「セラフィーンさん」
「目を覚ました患者さんが突然いなくなったと聞いて、私も探していました」
「……すみません」
「あとで、少しお話があります」
「少し、ですか?」
「長くなるかもしれません」
穏やかに笑っているのに怖い。
「主!」
さらに後ろから声が飛び、黒髪を揺らしながらフレイヴィアさんが近づいてきた。
僕の正面まで来ると、何も言わずに頭から足元まで一度視線を走らせる。
「……何ですか?」
「動いておる」
「はい」
「喋っておる」
「はい」
「生きておるな」
「……はい」
「そうか」
それだけ言って、黄金の瞳が僅かに細められた。
「良い」
短い言葉だった。
でも、それで十分だった。
「フレイヴィアさん」
「何だ」
「僕を助けてくれたんですよね」
「当然だ」
「……ありがとうございます」
「礼などいらぬ」
迷いのない返事が返ってくる。
そう言いながらも、フレイヴィアさんの尾が一度だけ地面を叩いた。
「主を連れ帰るのは余の役目だからな。その代わり、二度と余の手が届かぬ場所で勝手に死にかけるな」
「努力します」
「努力ではない」
「……はい」
「よう、坊主」
そこへ、さらに聞き慣れた声が加わった。
「ガルドさん」
ガルドさんは片手を上げながら歩いてくる。
腕にも額にも包帯が巻かれていて、とても人のことを心配していられる姿には見えなかった。
「身体、大丈夫なんですか?」
「その台詞、今のお前にだけは言われたくねえよ」
「でも」
「でもじゃねえ」
さっきから何度同じことを言われているんだろう。
ガルドさんは僕の前まで来ると、一度だけ全身を確認するように眺め、それから少し笑った。
「帰ってきたな」
「……はい」
「ちゃんと」
「はい」
最後に聞いた声を思い出す。
『ちゃんと帰ってこいよ、ルキウス!』
僕は返事をした。
でも、その約束を自分一人で守れたわけじゃない。
「みんなのおかげです」
また目の奥が熱くなった。
「おい、また泣くのか?」
「泣いてません」
「思いっきり目ぇ赤いぞ」
「これは、その前からです」
「じゃあ結局泣いてんじゃねえか」
「ガルドさん」
「何だ」
「うるさいです」
「そこまで言えるなら元気だな」
笑いながら頭へ伸びてきた手を、横からアルナさんが叩き落とした。
「痛ぇ!」
「患者さんです! 勝手に触らないでください!」
「さっきお前が思いっきり抱きついてたじゃねえか!」
「あれはいいんです!」
「どういう理屈だよ!」
「アルナさんの理屈です」
「無茶苦茶だろ!」
「そなたら、主の前で騒がしいぞ」
「嬢ちゃんも大概だろうが!」
「余は常に冷静だ」
「どの口が言ってんだ!」
声が重なり、セラフィーンさんまで口元へ手を当てて笑っている。
僕もつられるように笑った。
昨日まで、誰かがいなくなるかもしれないと思っていた。
それが今は、みんな目の前にいて、いつもみたいに騒いでいる。
……これでいい。
本当に。
「はいはい! いつまで再会を喜んでるんだい!」
その全部を吹き飛ばすように女将さんの声が響いた。
「動ける奴は、とっとと行くよ!」
「もう行くのか!?」
「だから何度言わせるんだい! 街は勝手には直らないよ!」
女将さんが腕を捲りながら坂の下を指す。
「港はまだ危ないから、水が引いた場所からだ! 瓦礫を運べる奴は瓦礫! 大工は建物! 商人連中は使える物資を確認! 怪我してる奴は邪魔だから残りな!」
「女将が完全に仕切ってるぞ!」
「ギルドマスターより怖ぇから従っとけ!」
「誰が怖いって!?」
「何でもありません!」
住民たちが笑いながら動き出す。
僕もその後へ続こうと一歩踏み出した。
「じゃあ、僕も手伝――」
「駄目です」
アルナさんに即座に腕を掴まれた。
「まだ最後まで言ってないんですけど」
「言わなくても分かります」
「余にも分かったぞ」
「そんなに顔に出てます?」
「出てますね」
セラフィーンさんまで頷く。
「坊主、大人しく諦めろ。お前は治療だ」
「でも、人手は多い方が」
「お前が倒れたら仕事が一つ増えるだろ」
「……それは」
「ほら、反論できねえ」
ガルドさんが笑った。
諦めきれずに復興へ向かう人たちを見ると、その中から大きな声が飛んでくる。
「おい! 酒樽が無事か確認しとけよ!」
「何で最初に酒なんだよ!」
「必要だろ!」
「何に!?」
「決まってんだろ! 宴だよ!」
「……宴?」
思わず聞き返すと、周囲の人たちが今さら何を言っているんだという顔で僕を見る。
「当たり前だろ!」
「水禍渡りを乗り切ったんだぞ!」
「こんな日に宴やらなくていつやるんだ!」
「でも、街はまだこんな状態ですよ?」
「だから直すんだよ!」
男性が壊れた街を指し、それから笑う。
「直して、食って、飲んで、騒ぐ! そうすりゃ明日からまたやれるだろ!」
「……すごい理屈ですね」
「いい理屈だろ?」
「それにな!」
別の人が僕の方を向いた。
「あんな災いを乗り越えたんだ。街を挙げて祝わねえとな!」
「食料残ってるか!?」
「かき集めろ!」
「酒もだ!」
「だから酒ばっかり気にするんじゃないよ!」
女将さんの怒鳴り声が飛び、また笑いが起こる。
その中で、誰かがさらに声を張った。
「水禍渡りに打ち勝ったエルドランと――英雄の誕生祝いだ!」
「……え?」
今度は、僕だけが声を失った。
周囲の人たちの視線がこちらへ向いている。
「英雄?」
「お前だよ!」
「僕?」
「主の中へ飛び込んで核をぶった斬ってきたんだろ!」
「でも、僕一人で倒したわけじゃありません」
「分かってるって!」
慌てて周りを見る。
「フレイヴィアさんが主を押さえて、メルシアさんが水を止めて、ガルドさんたちや他のハンターだって――」
「だから、それも含めて祝うんだよ!」
勢いよく返されて言葉が止まる。
「でも」
「いいじゃねえか、英雄の一人くらい増えたって!」
「増えるものなんですか?」
「多い方が景気いいだろ!」
「そういう話なんですか!?」
周囲からどっと笑い声が上がった。
「英雄様は宴の主役だからな!」
「逃がすなよ!」
「その前に治療です!」
アルナさんが間へ割って入る。
「ルキウスは絶対安静です!」
「宴までには治るだろ!」
「治りません!」
「なら担いで連れてこい!」
「もっと駄目です!」
「余が運べば問題あるまい」
「フレイヴィアさんまで参加しないでください!」
「余ならば揺らさず運べるぞ」
「そういう問題ではありません!」
「聖女様、何とか言ってくれ!」
「そうですね」
セラフィーンさんが少し考えてから、僕を見る。
「宴までに、できる限り治療しておきましょう」
「セラフィーン様!?」
「おおおおおっ!」
住民たちが一斉に沸いた。
「聖女様のお墨付きだ!」
「決まりだな!」
「今日中に広場開けるぞ!」
「食い物も集めろ!」
「酒!」
「だから酒を最優先にするんじゃないよ!」
女将さんの怒鳴り声にも、もう誰も怯まない。
むしろそれを合図にしたみたいに、それぞれが街へ向かって歩き出す。
「まったく、しょうがない連中だねぇ」
女将さんも口では呆れながら、最後には笑っていた。
そして坂の下へ向き直ると、街中に届きそうな声を張り上げる。
「よし! だったらさっさと片づけるよ! 日が暮れるまでに宴ができるくらいには街を戻しな!」
「無茶言うな!」
「水禍渡りに勝った連中が、この程度で弱音吐くんじゃないよ!」
「そりゃそうだ!」
「やるぞ!」
「おおおおおおおっ!」
声が朝の街へ響いていく。
女将さんを先頭に、住民たちが次々と坂を下っていく。
壊れた街へ。
自分たちの街へ。
「今夜は宴だぞ!」
「エルドラン中で祝うぞ!」
「災いに勝った祝いだ!」
「英雄の誕生祝いも忘れんな!」
「僕はまだ納得してないんですけど!」
「聞こえねえな!」
「絶対聞こえてましたよね!?」
返ってきたのは笑い声だった。
その背中を見ているうちに、さっき流した涙の跡がまた少し熱くなる。
……みんな、本当に強い。
水禍渡りは、この街からたくさんのものを奪った。
元通りになるまで、きっと時間もかかる。
それでも、ここにいる人たちまでは奪えなかった。
だったら、女将さんが言った通りなのかもしれない。
また直せる。
また始められる。
「では、ルキウスさん」
「……はい」
右腕をアルナさんに掴まれる。
反対側にはセラフィーンさんが立ち、少し後ろにはフレイヴィアさんとガルドさんまでいる。
「戻りますよ」
「やっぱりですか?」
「当たり前です」
「僕、本当に少しくらいなら」
「駄目です」
「余も付き添おう」
「フレイヴィアさんまで?」
「主がまた勝手に消えぬようにな」
「もう消えませんよ」
「信用できん」
「俺も同意見だな」
「ガルドさんまで!」
完全に囲まれてしまった。
これでは街へ向かうどころか、逃げることすらできない。
「……分かりました」
「最初からそう言えばいいんです」
「でも、宴には行きたいです」
「治療の結果次第ですね」
セラフィーンさんが笑う。
「頑張って治します」
「そこは絶対行けるって言ってくださいよ」
また周囲から笑い声が上がった。
その向こうでは、もう復興へ向かった人たちの声が聞こえている。
瓦礫を動かす音。
木材を運ぶ声。
誰かを呼ぶ声。
その中に、やたら大きな声が混じった。
「今夜は宴だぞー!」
「分かったから働きな!」
女将さんの怒鳴り声まで届いてくる。
僕は思わず笑いながら、もう一度だけ街の方を振り返った。
まだ壊れている。
昨日までと同じエルドランには、到底見えない。
それでも、もう誰もただ壊れた街を眺めてはいなかった。
……大丈夫。
この街はちゃんと生きている。
そして今日からまた、ここで始めるんだ。
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