駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
大通りを西へ進むと、アルナさんの言った通り、白い尖塔が見えた。
「ほぇえ。すごいなぁ」
自分でも、呆けた感想を言ってしまったと思う。
でも、それくらい圧巻の建物だった。
エルドランの教会支部は、ギルドとはまるで違う建物だ。
ギルドが、石と木と鉄の塊だとすれば。
教会は、水と白い光でできているみたいだった。
高く、細く、空へ祈るように伸びた塔。
陽の光を受けた白い石壁は、眩しいほどなのに、目に痛くはない。
入口へ続く道の左右には、低い水路が流れていた。
さらさらと水の音がする。
植えられた花は淡い青と白が多く、風が吹くたびに小さく揺れた。
「……なんか、ちょっと緊張するな」
あまりに静謐なせいだろうか。
どうにも落ち着かない。
ギルドに入る時とは、緊張の種類が違う。
あちらは胸が高鳴る場所だった。
ここは、背筋が自然と伸びる場所だった。
中へ入ると、さらに静かだった。
人はいる。
祈っている人。
怪我をした腕を支えられている人。
椅子に座って待っている人。
白い衣を着た教会の人たち。
けれど、誰も大声を出していない。
水音だけが、空間の底でずっと鳴っている。
僕は受付らしき場所へ向かい、アルナさんからもらった紹介状とギルドカードを差し出した。
「あの、ハンター登録に伴う教会登録で来ました」
白い衣を着た男性が、穏やかに頷く。
「はい。確認いたします」
「あ、ありがとうございます」
返事をするだけで、こちらまで小声になる。
男性は紹介状とギルドカードを確認してから、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「はい。問題ありません」
ギルドカードをこちらに返して、しかし、と頭を少し下げて男性はつづけた。
「すみません。あいにく今、登録を担当する役員が出払っておりまして」
「登録を担当する方、ですか?」
「はい。基本的にハンターさんの治療は、最初に登録を受け持った者が継続して担当することになっているんです」
「継続して……専属、みたいなものですか? すごいですね!」
思わず声が弾んだ。
ハンター一人に、治療を担当してくれる人がつく。
なんだか、それだけで一人前になったような気がする。
けれど、男性は小さく首を振った。
「いえ、そこまで大げさなものではありませんよ。ただ、その方の怪我の履歴や、使っている薬、治癒術の通りなどが分かっていないと、不都合になることが多いのです。こちらとしても、同じ者が見た方が助かるんですよ」
「そうなんですか」
言われてみれば、確かにそうだ。
毎回違う人に説明するより、前に診てくれた人が覚えていてくれた方が安心できる。
僕は納得して、紹介状を受け取り直そうとした。
「分かりました。では、今日は日を改めます」
「申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。怪我をしているわけでもありませんし」
そう言って、僕が頭を下げようとした時だった。
「あらー? それなら、私がその方の登録に付き合いますよー」
奥から、のんびりとした声がした。
ふわふわとしていて、水面に落ちる花びらみたいな声。
僕は顔を上げる。
白い廊下の奥。薄い光の差す場所から、一人の女性が歩いてきた。
――思わず息をのんだ。
息をのむほどの美女だった。
一言でいえば、白い天使、だった。
比喩ではない、だっても文字通りその背中にはふわふわとした大きな翼があったのだから。
羽の生えた白い女の人、柔和に笑いながらこちらに歩いてくる。
薄い青を重ねたような衣。
歩くたびに布が静かに揺れて、裾に刺繍された水紋が、本当に流れているみたいに見えた。
髪は、朝日に透ける麦の穂みたいな金色だった。
肩より少し長い髪が、歩くたびにふわりと揺れる。
その髪の間から、白い翼が見えた。
顔立ちは、驚くほど整っていた。
でも、フレイヴィア様のような、見る者を気圧す美しさではない。
汚れた手で触れてはいけないような。
そんな、静かな美しさだった。
瞳は、深い湖の底みたいな青。
目が合った瞬間、僕は少しだけ息を止めた。
「セラフィーン様」
受付の男性が、少し驚いたようにその名を呼ぶ。
「ちょうど手が空いたところですからー。ハンターさんの登録なら、私が受け持ちますよー?」
「しかし――」
「私では、能力不足でしょうか」
驚くほど、気落ちした様子の声音に、目じりを下げる。
それを見て職員の男性は、いやいや、と手を振った。
「そ、そんなまさか!でも、本当によろしいのですか?」
「はい。構いませんよー。それに、せっかく来てくれたのに申し訳ないですしね」
セラフィーンと呼ばれた女性は、僕の前で足を止め、柔らかく微笑んだ。
「といわけで、お待たせしました。あなたが、ルキウスさんですね」
「は、はい!」
声が思ったより大きく出た。
しまった。明らかに場違いな音量だ。
僕が慌てて口を押さえると、その人は少しだけ目を細めた。
「大丈夫ですよ。そんなに緊張しなくても」
「はい!」
「……緊張していますね」
「し、しています」
正直に答えると、彼女はふふ、と小さく笑った。
笑い声まで穏やかだった。
「私はセラフィーン・エル=ラファ。この教会支部で治癒を担当しています」
「ルキウスです。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします、ルキウスさん」
セラフィーンさんは、僕のギルドカードを受け取った。
その指先は白く細い。
なんだか、見ているだけでどきどきしてしまう。
こんなに優しく対応してもらっているのに。
僕は必死で、余計な考えを頭から振り払った。
「ハンター登録に伴う教会登録ですね」
「はい。アルナさんに、先に登録しておくように言われました」
「わかりましたー。怪我をしてからでは、遅いですからねー」
「怪我をしないように頑張ります」
「それでも、怪我をする方が多いです」
「アルナさんにも同じことを言われました」
「では、よく覚えておいてください」
セラフィーンさんの声は優しかった。
けれど、言っていることはかなりはっきりしている。
教会の人は、優しくても甘いわけではないらしい。
◆
登録は、奥の小さな部屋で行うことになった。
部屋には机と椅子があり、壁には水を象った紋章がかけられている。
窓辺には小さな花。
机の上には書類と、透明な水の入った器。
「まず、お名前とギルドカードの確認をします」
「はい」
「ルキウスさん。ハンターランク1。所属はエルドラン支部」
「はい」
「緊急連絡先はありますか?」
「緊急連絡先……」
僕は少しだけ言葉に詰まった。
母さんのことが頭に浮かぶ。
でも、あの山は遠い。
そもそも手紙が届くのかも分からない。
母さんに連絡が行ったら、たぶん泣きながら街まで飛んでくる。
それはそれで、大変なことになる気がする。
「……今は、ありません」
「分かりました。空欄にしておきます」
セラフィーンさんは、それ以上深く聞かなかった。
アルナさんと同じだ。
この街の人は、聞かない優しさを知っている。
少し、ありがたかった。
「大きな病歴はありますか?」
「ないと思います」
「怪我が治りにくい、あるいは治りやすいと言われたことは?」
「ええと……特には」
セラフィーンさんは、穏やかな表情のまま書類に記入を続けた。
そのまま、いくつか簡単な質問を受ける。
使っている武器。
魔法が使えるか。
治癒術を受けた経験があるか。
僕は、ほとんどありません、と答えた。
「では最後に、治癒術の通りを確認します」
「通り?」
「怪我をした時、治癒術がどの程度届きやすいかを見る簡単な確認です。痛いことはしませんので安心してください」
「わかりました」
そう言って、セラフィーンさんは僕の手を取って、静かに目を閉じた。
長いまつ毛。
柔らかくて、すべすべしていて、明らかに自分のものとは違う手。
僕の心臓が、性懲りもなく跳ね――
「あら」
「ひゃい!?」
思わず変な声が出た。
セラフィーンさんは、僕の手元を見つめていた。
「小さな擦り傷がありますねー。腕と肩にも、少し打ち身があるみたいですが」
「え。気づいてませんでした」
「首にも赤い跡が」
「首は枝に引っかかりました。ぐえってなりました」
「ぐえ」
セラフィーンさんは、一瞬だけ何とも言えない顔をした。
「……軽く治しますね」
「いいんですか?」
「はい、勿論。それが私たちの仕事ですからー」
セラフィーンさんが再度目を伏せる。
空気が、静かに変わった。
彼女の手から、淡い光がこぼれる。
白ではなく、青でもなく。
水に朝日を溶かしたような色。
その光が、僕の手に触れた。
痛みはない。
熱くもない。
ただ、体の中を細い水が通っていくような感覚があった。
不思議だった。
けれど嫌ではない。
むしろ、体がその光を待っていたみたいに、すっと受け入れていく。
「……」
セラフィーンさんの指先が、ほんの少しだけ止まった。
「セラフィーンさん?」
「……治癒の通りが、とても良いですね」
「そうなんですか?」
「はい。普通はもう少し、術が体の中の魔力に馴染むまで時間がかかります。種族によっては、私たちの魔力を受け付けにくい方もいますしー」
「いいってことですか?」
「治療の上では、良いことです」
「よかった」
僕がほっとすると、セラフィーンさんは小さく微笑んだ。
けれど、その青い瞳の奥には、ほんの少しだけ考え込むような色があった。
それも一瞬のことだった。
治癒はすぐに終わった。
手の擦り傷も、肩の重さも、首の違和感も、気づけば消えている。
「すごい。本当に治ってる」
「軽い傷でしたから」
「それでも、すごいです」
心からそう思った。
傷が消える。
痛みがなくなる。
自分では気づかなかったものまで、見つけて癒してくれる。
教会とは、すごい場所だ。
素直にそう感じた。
「それと、これで登録は完了です」
セラフィーンさんは、ギルドカードを返してくれた。
そこには小さな羽のような印がついている。
どうやら、これが教会登録済みの印らしい。
僕はそれを大事に受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。ですが、ルキウスさん」
「はい」
セラフィーンさんの声が、少しだけ真面目になった。
メっと人差し指を立てながら。
「治癒術は、怪我をしても大丈夫にするものではありません」
優しい声。
けれど、その言葉だけは静かに重かった。
「傷を塞ぐことはできます。痛みを和らげることもできます。けれど、傷ついた事実まで消えるわけではありません。それは努々お忘れなきようお願いしますー」
そう言うと、セラフィーンさんはにへらと笑った。
「怪我をした時は、早めに来てください。血まみれ、泥まみれ、動けない、痛くないけれど違和感がある。そういう時は、自己判断しないことが大事ですよー」
「はい」
「では、気をつけて。ルキウスさん」
「はい。ありがとうございました。ではまた、セラフィーンさん!」
僕は頭を下げ、教会を後にした。
◆
ルキウスが教会を出ていった後、セラフィーンはしばらく処置室に残っていた。
白い布の敷かれた寝台。
記入を終えた登録書類。
その上に書かれた名前を、もう一度見る。
「ルキウス、くん」
ハンターランク1。
エルドラン支部所属。
登録内容だけを見れば、ごく普通の新人ハンターだった。
素性はフードに隠れてよく見えないけれど、この街ではさほど珍しくもない。
受け答え自体は素直で、緊張しながらも真っ直ぐ返事をする子だった。
駆け出しのハンターには、そういう者がごまんといる。
それ自体は、珍しいことではない。
けれど。
「……治癒の通りが、良すぎる」
セラフィーンは小さく呟いた。
治癒術には、必ず相手の魔力との馴染みがある。
傷に水を染み込ませるように、術を体へ通す。
相手の魔力が強ければ、術は表面で少し弾かれる。
体質によっては、馴染むまでに時間がかかる。
それが普通だ。
種族によって差はあれど、どの身体にも、その者の内側を流れる魔力がある。
けれど、ルキウスの身体は違った。
術が、ほとんど抵抗なく入っていった。
まるで、扉が開いていたかのように。
あるいは元から、遮るものがほとんどなかったかのように。
「……不思議な子」
自分に問いかけるように、セラフィーンは言う。
答えは出ない。
なにせ、登録時の小さな擦り傷を治した程度だ。
重い怪我を診たわけではない。
深く調べたわけでもない。
それに本人も、自分を特別なものだとは思っていないようだった。
むしろ、あまりにも無防備だった。
緊張していて、まっすぐ返事をする。
注意されると素直に頷く。
そして、最後には当たり前みたいに「ではまた」と言って出ていった。
「……アルナが心配するのも、分かりますね」
セラフィーンは登録書類を丁寧に閉じた。
ではまた。
その言葉を思い出し、セラフィーンは小さく息をつく。
「ふふ。ではまた、なんて。怪我をする気満々ですか?」
水を張った器の表面が、わずかに揺れる。
セラフィーンはその揺れを見つめながら、静かに祈る。
どうか、あの真っ直ぐさが、彼自身を壊す刃になりませんように、と。
「……少し楽しみにしている私も、私ですねー」
そう呟いて、セラフィーンは処置室を後にした。
◆
ギルドへ戻ると、アルナさんはすぐにこちらへ気づいた。
「おかえりなさい、ルキウスさん。登録はできましたか?」
「はい! 登録してきました!」
「どうでしたか?」
「セラフィーンさんという方が、とっても優しくやってくれましたよ!」
「セラフィーン様に!?」
アルナさんは少しだけ驚いたように僕を見た。
猫耳も、ぴんと立っている。
でも、すぐに表情を戻した。
「ま、まぁ。ひとまず、登録できたなら大丈夫です」
「はい!」
「では、今日は宿に戻って休んでください」
「依頼は?」
「なしです」
「即答」
「即答です」
駄目だった。
どうにか流れでごまかせないかなと思っていたが、そう思い通りにはいかないらしい。
まあ、今日は剥ぎ取り講習も受けたし、教会にも行った。
確かに、これ以上何かを詰め込む必要はないのかもしれない。
「分かりました。今日は休みます」
「本当に?」
「本当に本当です!」
「……」
「……」
アルナさんは静かに僕を見た。
猫耳が、ぴくりと動く。
「角兎亭まで、まっすぐ帰ってくださいね」
「はい」
信用。
やはり信用である。
一体僕は、どこでここまでアルナさんの信用を落としてしまったのだろうか。
少し考えてみたけれど、心当たりが多すぎたので考えるのをやめた。
僕はアルナさんに頭を下げ、ギルドを出る。
空は昨日と同じように、夕方の色へ少しずつ近づいていた。
今日は依頼を受けていない。
モンスターも狩っていない。
けれど、剥ぎ取りを学び、教会に登録し、治癒術というものに触れた。
昨日とは違う一歩。
けれど、これもきっとハンターに必要な一歩なのだろう。
「……まっすぐ帰ろう」
そう呟いて、僕は角兎亭へ向かって歩き出した。
大通りの向こうで、白い尖塔が夕陽を受けて淡く光っている。
それを一度だけ振り返ってから、僕はフードを押さえ、宿へと足を向けた。
◆
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は教会登録と、セラフィーンの初登場回でした。
次回は、少し危険なクエストにルキウスが行くそうです。……真っ白の金髪天使。性格もおっとりしていて可愛いといいですね。
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